断腸亭日常日記 2018年 1月

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
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 2018年1月1日(月) 晴 6483

 元旦。昼頃に起きて、初詣に行く。いつも行っている近所のお寺と神社。お寺に行くといつもよりも人がいた。元旦だからそうなんだろうと思って、神社へ行くと鳥居の外まで人があふれている。こんなに人が来るんだと、思って近づいて行くと、物凄い人。もうこれは諦めて、歩いて行くと、神社を囲むように社殿から鳥居、神社の外と、コの字に列が100mくらい出来ている。目算で200から300人くらいが並んでいる。ここは大払いの茅の輪があるので、それを左に回り、右に回り、左に回って参拝するので、人の列が減りずらいのだろう。部屋に戻って、朝食を取る。

 昨日は、紅白を録画して、シャワーを浴びて、紅白の竹原ピストルの終わり部分だけ聴いた。何か、いつもとテンポが速くて、彼の歌の良さが、充分出ていない印象だ。ちょっと残念。ただ、男のファンが多いと思っていたら、最近は女性ファンも増えたようで、審査委員の女優も売れない頃、彼の歌を聴きながら、励みにしたという話をしていた。録画していた、『龍馬の遺言』を、見ていたら、THさんから連絡があった。下山さんと一緒にセビージャにいるのだという。セビージャのそば屋の事を訊かれたが、判らない。THさんは、メキシコに4週間ぐらいいて、ホセ・トマスなどを見ていた。話したいことがいろいろあるが、それは後にして、相変わらず元気そうだった。下山さん元気そう。牧場にもいっぱい行ったようなので、良い話が訊けるだろう。年越しそばは、海老の天ぷらだった。

 『龍馬の遺言』の後、『ゆく年くる年』を観て、『みをつくし料理帖』を観る。黒木華という女優はなんと、日本の女らしいのだろうと思う。彼女がやる役は、どういう役でも、引き立つような感じがする。上手い女優は、宮崎あおい。観たい女優は、綾瀬はるか。やっぱり、『JIN-仁』の着物姿が印象に残っている。澪(みお)という役の、心尽くしの料理が素晴らしい。降り注ぐような負の状況に、打ち勝っていく姿と、彼女を支える周りの人々の人情がなんとも心地良い。いつもお参りに行く小さな祠のお稲荷さん。そこで出会う人が澪の力になる。

 千早振る 熊野の宮の なぎの葉を 変わらぬ千代の ためしにぞ折る 藤原定家

 下がり眉の澪にとっての祈りが、子供の頃、易者に言われた、不幸の相、雲外蒼天を、努力によって乗り切ろうとする姿に重なる。「雲外蒼天の相。おまはんの人生には、艱難辛苦が降り注ぐ。その運命は避けられん。けんど、その苦労に耐えて、精進重ねれば、必ず、真っ青な空を望むことが出来る。他の誰もが望めんほどの、澄んだ綺麗な空を。」と易者に言われる。澪の料理は、人の気持ちを穏やかにする。美味しいものを食べたという幸せな気持ちにさせる。ドラマ観てたら、寒ざわらの昆布締めが食べたくなった。

 つまづいたっていいじゃないか。にんげんだもの。 相田みつお


 1月2日(火) 晴 6502

 昨日はお参りできなかった神社に、夕方近くになってようやくお参りできた。もう茅の輪くぐりの、やり方の看板が、外されていた。前にいる母娘が右から回り始めたら、神社の人が、正式なやり方は、左から回り右に行って・・・と、説明していた。看板外すと、初めて来た人は分からないのも無理はない。初詣は、お願いしてはいけない。正月を無事にむかえられたことを、感謝することを伝えるのが、神様への礼儀だという。ただ神様は、心が広いので、お願いされても怒ったりはしないのだという。

 観るスポーツで、1番好きなのがラグビー。うーん、競馬も好きだけど。今日は、大学選手権準決勝2試合が行われた。今は帝京が全盛の時代。昔の様に同志社の様な関西のチームはベスト4には残ってこない。早稲田・慶応・明治は弱体化して、帝京の1強時代だ。対抗戦から2校とリーグ戦から2校。関東の4校の戦いになった。そして、明治が久しぶりに逆転で決勝に駒を進めた。そして、帝京。帝京はチームとして強い。決勝はよっぽどのことがない限り、帝京が勝つだろう。

 今日は満月。スーパームーン。どんな月が観れることか。


 1月3日(水) 晴 9276

 今日が帰省ラッシュのピークで道路が渋滞しているようだ。たぶん、新幹線なども混んでいるのだろう。

 『超入門! 落語 THE MOVIE』や『落語ディーバ!』を観ていて、色々な落語家のことを思い出した。古今亭志ん朝、柳家小三治。俺にとってはこの二人が双璧。志ん生や馬生も、そして、ハチャメナ談志もいる。でも、実は高座で生で聞いて、笑っていた近さからいうと、古今亭円菊と川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)だった。多分、落語ファンでも知らない名前だろうと思う。円菊は、志ん生の弟子で、最後まで世話をしたようだ。円菊の噺で、非常に笑えたのは、女房役の時の話し方や仕草だった。もう死んでしまっていただろうと思って、調べたら、なんとまだ、川柳川柳は生きていた。しかも1月の新宿末広亭で出るという事が判ってビックリした。この落語家もハチャメチャといえばハチャメチャ。落語の途中で歌を歌う。それも軍歌とか。軍歌なんて嫌いだが、川柳の歌いっぷりが凄い。歌が上手いとかそういうんじゃない。気持ち良さそうに歌っている姿、おかしいのだ。志ん朝と違った尋常じゃなさを感じた。

 『落語ディーバ!』でやっていた、志ん朝の『大工調べ』の啖呵を切る処。1秒間に11文字を言うという。あの歯切れの良さは何だろう。誰もまねの出来ない話芸。対比で、柳家三三の啖呵を切る処をやっていた。これも確かに凄い。1秒間に9文字言っているという。しかし思えば、志ん朝若くして死んだ。今生きていれば80くらいになっていただろう。そうしたら、『大工調べ』の歯切れの良い啖呵をどう語ったんだろうと思う。それとも『大工調べ』じゃなく、人情噺でもやるようになっていたのだろうか?談志だって年を取ってからは、言葉が出ずらくなっていた。それでも高座に出ていた。芸とは、年齢によって少しずづ変わって行くのだと思う。その時出来ることを、出来るようにやる。そうなっていくのだと思う。金原亭馬生が死ぬ3か月前の高座を聞いたことがある。幕が上がり、話が終わると幕が下りた。穏やかな語り口だった。もう、歩けなかったのだろうと思う。それでも、高座に出て噺をする。あんな風に何処にも力が入っていない芸というのを観ると、馬生の芸風や生き方を感じた。


 1月4日(木) 晴 8624

 今日も寒いが、明日はもっと寒くなるようだ。日本人は、お盆のような月が好きだ。2日の満月は大きかった。

 関西・栗東トレーニングセンターで、調教師の父親の後ろ盾で、活動をしている池添謙一騎手が、15日から関東・美浦トレーニングセンターに拠点を移して活動することになった。オルフェーヴルの主戦騎手だった池添が、以前からのプランを実行にうつすのだという。藤沢和雄厩舎や大竹厩舎の調教をつけながら夏場の函館・札幌開催の関東馬の騎乗依頼につなげたい意向のようだ。期間は、1か月を目安にしているようだ。非常に珍しいケースで、夏の新馬戦など、来年のクラシックにも繋がるようにという考えなのだろう。つまり、今年のクラシック、トライアルの前には栗東に戻るという事のなのだろう。

 漱石の子規宛の手紙を読んでいたら、意味が解らない処があったので、調べた。

 「俗に申せば銭のなきためやむをえず握り睾玉(きんたま)をしてデレリと陋巷(ろうこう)にたれこめて御座る也。」

 握り睾玉というのはなんだろう?意味は、「少しの金も持つていない、又は何もしていないでいる状態。手持無沙汰で睾丸でも握つているより仕方がないところより」ということのようだ。

 明治二十二年暮れの手紙には、吐血した体を心配している。読書、執筆しているか問い、書くのなら「胸中の思想」がなければいくら美辞麗句を書き並べても意味がない。「オリヂナルの思想」がなければ、大家といわれても価値がないといい、「余暇を以て読書に力を費し給へよ」と忠告している。落語好きから親しくなり、江戸から明治に変わる時代の中で、何かを信じようと模索する姿がお互いを引き付け、信じあえたのだろう。仲間の中にいても、孤独を感じる。そういう物を、共有できた友人だったようだ。

 以前闘牛の会で、片山先生に、「斎藤君は、ここにいても、本当の闘牛の話を出来る人がいないよね。」と、言われたことがある。他の人とは、話が合わないだろうという事を言っているのだ。その時、あー片山先生は、そういう事を解っているんだと、思った。本当の闘牛の話を出来るのは、当時、わずかなマドリードの知り合いと、下山さんだった。今は、マドリードの知り合いは、闘牛を観なくなった。その代わり、俺のHPを観て、THさんが闘牛の話が出来るようになった。それは嬉しいことだ。

 何も闘牛の話だけではなく、みんなといても違和感を感じる感覚。漱石は、そういう違和感を子規に対しては、感じていなかった。

 「党派心がなくつて理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作つて、権力や金力のための盲動しないということのです。夫(それ)だから其裏面には人に知られない淋しさも潜んでゐるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行く丈(だけ)で、さうして是(これ)と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所(そこ)が淋しいのです。」 --『私の個人主義』夏目漱石より--

 子規が吐血した時、医者に連れて行って、診察まで待合で一緒に待って、話をしたり、この二人は仲が良い。子規は気に入らない人間とは、口もきかなかったらしいから、お互いが志す文学についても、深く結びついていたのだろうと思う。『私の個人主義』で、其所(そこ)が淋しいのです。と、いう10年以上前に、子規は病死している。そして、子規が死んだ時、漱石はまだ、『吾輩は猫である』を書いていなかった。


 1月5日(金) 曇 10164

 散歩をしていると、突然気づくことがある。今まで気にしていなかったブロックの上から出ていた木が、ねこやなぎだと気が付いた。小指の先より小さいくらいのふわふわが枝に一杯咲いている。子供の頃、北上川の河原で良く見ていたものだ。だが、記憶にないものがある。ねこやなぎのふわふわが、どうなるのかという記憶がない。これから、それがどうなるのかが楽しみだ。

 今は便利で、ネットで落語が観れる。YouTube で、川柳川柳が観れる。久々に聴く彼の歌は、やっぱり面白かった。何個か演目をきいていて、気付いたのは、音楽の世界でも、江戸時代から、明治になって五線譜と西洋音楽が入ってきた。その違和感。そして、文学では、言文一致が言われた。そういうことを、『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』を、書いてある。というか、そのことが中心にあるといっていいだろう。川柳の落語きいて笑いながら、滝廉太郎のような作曲家も、文学でいう言文一致のような、五線譜の問題と格闘したのだろう感じた。


 1月6日(土) 晴 9263

 日が照っていると、散歩は暖かい。まだ町は、正月の余韻を残している。明けには、下山さんから連絡があった。怪我したようだが元気そうだった。正月やっていた『風雲児たち』を録画で観た。『解体新書』を訳した杉田玄白、前野良沢などの話だった。日本の医学の為に、完訳しよとする前野良沢。日本の医学の為に、1日も早く出版しようと奔走する杉田玄白。本に載せる絵が下手なので、玄白が平賀源内に相談すると、小田野直武を紹介される。その小田野が絵を描くことになる。この小田野が秋田蘭画の創始者になる。

 鼓膜、十二指腸、神経という今でも使う医学用語が前野良沢によって訳される。出版をめぐって対立する良沢と玄白。訳に不満な良沢は、名前を載せないことで出版に同意する。のちに、玄白は、『蘭学事始』で、良沢が本に深く関わっていることを書き残す。1774年(安永3年)出版。これから蘭学が盛んになり、開国へ進む。老中、田沼意次の時代。京都には若冲がいた。何か、『天下御免』を思い出すなぁ。


 1月7日(日) 晴 7557

 大学ラグビーは、苦しみながら帝京が1点差で勝ち9連覇を達成した。勝負事で、明治が勝ってもおかしくない試合だった。それでも勝つのが凄い。角居調教師は、21年3月に厩舎を解散すると発表した。毎年のようにGⅠ馬を出した関西の名門。早い時期に発表したのは、若駒が早い時期に入ってくるので、馬主に告知するためだという。解散の理由は、母親の体調が悪く、地元に帰り天理教を継ぐためだという。このまま調教師をやっていれば、名声もお金も手に入れ続けることが出来るだろうに、そんなものより、大事なものがあるというのが、角居調教師の考え方だ。非常に珍しい例である。そして、かなり悩んでの決断だという。競馬界からは、惜しむ声があちこちで上がっているという。当然だろうと思う。

 新大河ドラマ『西郷(せご)どん』が、始まった。下級武士の西郷隆盛がいた下加治屋町からは、大久保利通、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛など明治政府の中心メンバーになった人たちがいる。長州は、吉田松陰の松下村塾から明治政府の中心メンバーの多くの出ている。狭い地区から何故そういう人々が出て来たのか?おそらく、そこに集まった人たちが、切磋琢磨してお互いに競い合ったからだろうと思う。


 1月8日(月) 曇 7514

 成人式の日、会場へレンタルや買った着物が届かないという事が東京・横浜で起こった。請け負った「はれのひ」という会社と連絡がつかないという。警察が調べているという。泣いたり、怒ったり、悲しんだりしている人がいる中で、見かねた同業者が急遽対応にあったりしたようだ。

 「 「よりによってこんな日に」-。横浜市中区や東京都八王子市に店舗を置き、晴れ着のレンタルや着付けを行う「はれのひ」が成人式当日の8日に連絡がつかなくなり、多くの新成人が晴れ着を着られなくなった騒動。急遽(きゅうきょ)対応する呉服店や美容院も多く現れたが、いずれも、はれのひの無責任な対応に怒り心頭だった。

 シンガー・ソングライター、松任谷由実さんの実家でもある東京都八王子市の「荒井呉服店」は、予約でいっぱいの中、急遽時間を削り出して被害に遭った新成人の着付けをした。 同店によると、騒ぎに気づいたのは8日午前5時ごろ。新成人の女性が両親に連れられて来店し、「晴れ着を着ることができなくなってしまったのですが、何とかなりませんか」と依頼してきたという。 予約もあり、そのときは対応できなかったが、インターネットをみて騒動になっていることが分かり、数人の着付けをしたという。

 同店では「よりにもよってこんな日に連絡がつかなくなるなんて…。こんな話は聞いたことがない。社員一同、憤りを通り越している」と話していた。

 同じ八王子市の美容室、ジュングレコヘアーでも急遽、騒動への対応を行った。「式の始まりには間に合わないけど、みんなと写真を撮りたい」。目を腫らして涙を流す新成人の女性に「急いでやるから大丈夫だよ」と加藤順子店長(52)は声をかけながら着付けとヘアメイクを行った。この女性には、はれのひで一緒に着付けを行う予定の友人もいたが、未明のうちからどうすればいいか分からずに、店の前で立たされ「もうやる気がなくなった」と成人式にも同窓会にも行かないと話していたという。加藤店長は「一生の思い出になる成人式、泣くのも分かる」と同情する。

 「昨日の夜には電話が通じたらしい。計画倒産なのだろうか。どのような事情があったのか知らないが、あと一日だけでもやれなかったのだろうか。同業者として信じられない」と驚いていた。」 --産経新聞より--

 新成人の藤田菜七子騎手は、今日7レースで、今年初勝利を飾った。後方2番手から、直線で追い出すとグングン伸びで、馬体が重なるようにゴールした。結果は1着同着だった。騎乗した馬の名は、「ビックリシタナモー」。その母の名は、「ノンキ」。


 1月9日(火) 雨のち曇 10600

 夜中、去年死んだ早坂暁脚本の『夢千代日記』をやっていた。追悼番組である。温泉町旅館に呼ばれた芸者、夢千代が二人の三味線に合わせて貝殻節を踊る。この歌、聴いたことがあると思った。

♪何の因果(いんが)で 貝殻(かいがら)(こ)ぎなろうた カワイヤノー カワイヤノ 色は黒うなる 身はやせる ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ

浜村沖から 貝殻が招く カワイヤノー カワイヤノ 嬶(かか)よ まま炊け 出にゃならぬ ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ

戻る舟路(ふなじ)にゃ 櫓櫂(ろかい)が勇む カワイヤノー カワイヤノ いとし妻子(つまこ)が 待つほどに ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ

忘れられよか 情(なさけ)もあつい カワイヤノー カワイヤノ あの娘(こ)ァ 浜村 お湯育ち ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ


帆立貝なら 帆立てて行こよ カワイヤノー カワイヤノ わたしゃあなたの 身を立てる ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ

押せよ押せ押せ 港が見える カワイヤノー カワイヤノ 押せば港が 近くなる ヤサホーエヤ ホーエヤエー ヨイヤサノ サッサ ヤンサノエー ヨイヤサノ サッサ♪ --貝殻節--

 『夢千代日記』の出演者は、夢千代が、吉永小百合、芸者たちは、樹木希林、楠トシエ、秋吉久美子、大信田礼子。ストリッパーで、緑魔子、照明係、あがた森魚。刑事役で、中条静夫、林隆三。医者、ケーシー高峰、旅館の女将、加藤治子、町の顔役、長門勇など。みんな若い。何の因果で、という歌いだしで、思い出したが、五つの赤い風船が貝殻節を歌っていた。この民謡を、ボーと聴いていると、♪カワイヤノー カワイヤノ♪という言葉だけが残る。浜村という地名があるが、『夢千代日記』は、舞台が浜村温泉なのだろうと思う。『わろてんか』に、登場する安来節はドジョウすくいが有名で、同じ山陰の民謡だ。朝ドラでは、安来節乙女組という名で舞台に立つ。その時、田んぼでやっている格好をしたいと、着物の裾をめくり、赤い腰巻を出し、しかもその丈も短くして、膝下を見せるようにする。あんたら恥ずかしくないんか?と、てんが訊くと、田んぼではこの格好です、と答える。

 何となく、思った。京都八坂神社の境内で、赤いエプロン姿で、三味線に合わせて豆腐を切る若い女が流行り、それが祇園の始まりになると、『ブラタモリ』でやっていた。赤い色と若い女の組み合わせで、時代に変化が生まれるのかもしれない。モーニング娘やAKB48も同じなのかもしれない。♪カワイヤノー カワイヤノ♪と・・・。赤が印象に残る、腰巻お仙のポスターを描いた横尾忠則。紅テントと唐十郎が時代に登場した時も、紅い腰巻のお仙がその象徴になった。ついでいえば、夢千代に出ている、あがた森魚のヒット曲も『赤色エレジー』といっていた。


 1月10日(水) 曇 7110

 3日続けて京都の番組の放送していた。『京都御所 至高の美の守り人』『京都 冷泉家の八百年』『京都 ふしぎの宿の物語』。不思議の宿とは、京都で300年続く最も古い旅館、俵屋である。そこにイギリス人編集者が泊まり行き、英語では訳せない「おもてなし」を感じるという設定になっている。ナビゲーターは本木雅弘、ナレーターの一人が、京都出身の岸部一徳だった。食事時、一皿食べ終わる頃に次の皿を持ってくる。この絶妙のタイミングに驚く。部屋は扉があり襖がある。客が食事しているところは見えない。それなのにどの皿も、食べ終わる頃に次の皿が運ばれる。

 その中に、鱧(ハモ)のお椀を持ってくる。アツアツお椀。鱧が花の様にふんわりとなっている牡丹鱧。谷崎も鱧が好きだった。誰かが言っていたが、京都で食べる鱧と、他で食べる鱧は、味が違う。東京で食べたことがあるが、へぇー、って感じだった。京都では確かに美味しいと思った。『みをつくし料理帖』を思い出した。澪が遊郭の調理場を任されている知り合いが、鱧を料理しようとして噛まれて怪我をする。手伝いに行くと、遊郭の旦那に、女には料理させないといわれ、他の料理屋から料理人が来る。見た目は、鰻と同じだが気性が激しく鋭い歯で噛みつくのだ。

 やって来た料理人の弟子が案の定、指を噛まれる。慌てて引っ張ろうとする料理人に、指がちぎれると助言する。料理人は恐怖を感じる。それから布巾で鱧を掴んでまな板の上へ。鰻の様に頭の部分に釘のような物を刺そうとすると、澪が、先に絞めたほうが良いですよと、助言する。包丁で絞めた後、背から開こうとすると包丁の刃が入らない。澪が背中からは開けないと、言うと、怒った料理人が布巾をまな板に投げつける。まな板の鱧の血が料理人の顔にかかる。血が目に入ると痛がる。早く水で洗い流した方が良いといい、医者が目を洗う。鱧の血には毒がある。鰻も毒がある。解毒するために熱を入れるのだ。

 江戸では、鱧料理が出来る人がいなかったのだろう。大阪から来た澪は、鱧料理が出来た。江戸では、鰻を捌くとき背開きにする。武士は腹を切るのを嫌うので、現担ぎだ。鱧は背からは刃が入らない。尻から頭に向かって刃を入れると切れるらしい。料理人は治療され、澪が見事に鱧を料理する。

 京都は三方を山に囲まれた盆地で、新鮮な海の魚は生命力が強い鱧くらいしか入ってこない。小骨が多い鱧を骨切りの為に細かく包丁を入れる。これは熟練した料理人でなければ出来ないという。そういう牡丹鱧を俵屋では絶妙のタイミングで出してくる。そのタイミングは、調理場に客室係が伝えるのだという。その人の雰囲気などで気配を読み取るらしい。サービスは、心でするものではなく、知恵でするものだと思う、と女将は言う。「おもてなし」は、しいて言うなら、何かを慈しむ心を分かち合うことではないか。とイギリス人編集者は言った。


 1月11日(木) 晴/曇 5766

 九州・四国、から本州・北海道まで、雪が降っている。主に日本海側の降雪が多いようだ。

 昨日『400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る』を観た。支倉常長が、伊達政宗の命を受けて7年間のメキシコ、スペイン、イタリアで外交交渉をして、伊達藩との貿易をしてもらえるよう、メキシコではカトリックの洗礼まで受けた。スペインでは国王に謁見。ローマでも盛大に歓迎され教皇にも謁見。、伊達藩が地方の大名で、日本を代表するものでない事で、貿易は許されなかった。失意の中セビージャに戻ってくる。近郊のコリア・デル・リオの教会に支倉使節団が立ち寄り、骨を残していく。NHKでは、この骨を、秀吉の禁教令によって長崎で初めて殉教した26名の一人、宣教師のペドロ・バウティスタの物だと言っていた。下山さんに案内されて、あの教会で骨を観たことがある。その時の説明とはちょっと違うか・・・。

 コリア・デル・リオ村には、ハポン(JAPON)という名字の人が多い。ハポンとは、スペイン語の日本のこと。リーガ・エスパニョーラには、ハポン姓の審判までいる。そしてこの村には、700人のハポン姓の人たちがいる。そして、言い伝えか、噂か分からないが、支倉使節団の末裔とも言われている。確かモランテ・デ・ラ・プエブラは隣村の出身だったと記憶する。6年前に支倉常長の末裔がコリア・デル・リオを訪ねた時、歓迎されたそうだ。

 メキシコに戻り、それから伊達藩ではなく長崎に寄る。そこで出身地の支倉村の隣、松尾村出身と思われる松尾姓の人が長崎にとどまったという記録がある。その末裔が今沖縄を統括する司祭をやっているそうだ。墓があり専門家の話では、これはキリシタンの墓で、この墓には二人が葬られていて、その一人が使節団に同行した松尾ではないかと推量していた。


 1月12日(金) 晴 11831

 日本海側は降雪で学校が休校などしてして、生活に支障が出ているという。強風で、降雪が続く予報。明日明後日のセンター試験は、交通情報と天気予報確認するよう呼び掛けているようだ。

 先日、星野仙一が死んだ。子供の頃、プロ野球に熱中した。9連覇の頃の巨人。主砲、王・長嶋がいて、石橋を叩いても渡らない川上が監督をしていた。そんな巨人が嫌いで、阪神ファンだった。当時は、各球団にエースがいた。阪神は、村山、江夏。大洋には、平松。広島には、安仁屋、外木場。ヤクルトには、松岡。中日には、小川健太郎、星野。その中で、闘志を全身に表して投げていた村山や、内に秘めるようにクールに感じた江夏が好きだった。そして、星野。球が速いわけでもないし、あまり特徴を感じなかったが、この人こそ、闘志むき出して、真っ向勝負をしてた。小川は黒い霧事件で永久追放されて、エースは星野になっていた。星野が巨人戦で登板すると、やってくれるんじゃないかとワクワクして観ていた。巨人の10連覇を阻止したのも、星野がいた中日だった。

 人にはいろいろ長所や欠点がある。多くの人の場合は、その両方が語られることが多い。それは田淵にしても江夏にしても、山田久志にしても長所短所が言われ、時に短所が強調される。孤独に自殺した伊良部は、その人間性まで嫌われたふしがある。でも、長嶋茂雄などは、短所すら笑いのネタになるという稀有な存在だ。王貞治のようなその選手・監督時代の成績と、人間性によって讃えられる人も少ない。星野を語る時、人は、その厳しさと、熱と、人間の温かみを語る。宇野と言えば珍プレーの常連。ショート後方に上がったフライトおでこに当てて落球し失点。巨人の連続得点記録が継続された。星野がグランドにグラブを投げつけ怒りをあらわにした。痛いおでこに手をやらずに消沈。テレビからは確か、「宇野、星野に怒られるぞ」というヤジが聞こえた。しかし、実際はそのことを一言も責めなかったという。宇野は最近のスポーツ紙の記事に、「ただ、あの後も面と向かって怒られたことはない。グラウンドではああやってグラブを叩きつけていたけどね。後楽園ではいつもベンチで隣に座っていたんだけど、何か言われたという記憶はない。それよりもその後「飯でも食いに行こうや」と誘ってくれたことをよく覚えている。」(スポニチ)と語っている。

 NHK『ファミリーヒストリー』がアンコール放送で、星野仙一をやっていた。終戦直後、父親は病死して、そのあとに仙一が生まれる。母親は、3人の子供を抱えて、終戦後の混乱を、父親の教え子が手を差し出し乗り切っていく。ある時、友達とキャッチボールする仙一を観る。息子だけがグローブを持っていなかった。なけなしのお金でグローブを買ってあげる。高校に進学、野球に熱中する。大学進学も借金をして岡山から東京に出す。明治では、島岡野球も申し子になる。監督しては、中日時代2度、阪神時代、楽天と合計4度のリーグ優勝と楽天で日本一になった。番組の最後に、「僕は周りの人に恵まれていたんですね。」ぼそっと、言っていた。明治同級生のビートたけしが、野村元監督が・・・。沢山の人たちが星野仙一に対するコメントを出している。


 1月13日(土) 晴 11518

 日本海側は、今日もドカ雪が降ったところがあるようだ。京都の前日発売は、中止になった。降雪の予報が出ていて、開催が危ぶまれているからだ。中山・中京は大丈夫そうだ。でも、寒波が来ているので寒い。

 高校サッカーで決勝に進出した監督が、ヨーロッパへ視察で出かける時に、走るメニューを多くしていた。走るのは退屈だ。一人抜け二人抜けして、走る選手が少なくなってきた。でも、ハイプレスの基本は走力と持久力。走らなければそれを維持できない。キャプテンがその時、「走ることは、メンタルトレーニングだ」と言ったという。その言葉に選手たちが気付いて、走り込みをみんなで続けたのだという。退屈なものこそ、大事なものだし続けなきゃいけないこと。それを、メンタルトレーニングと言った、キャプテンは素晴らしいと思った。


 1月14日(日) 晴 12009

 木々の芽は少しずつ膨らんで来ている。季節は少しずつ移って行く。季節に合った花が咲き、散っていく。買い物に行くと、やたら豆が目に入る。半月もすると、節分だからだろう。

 星野仙一は、16年7月膵臓癌が判明して余命90日と宣告された。それから1年半後、18年1月4日死亡した。星野仙一記念館館長の延原敏朗が取材に応じて、「最後までモルヒネ投与も拒否したようだ」と、語ったという。ちょっと考えられない。真似の出来ることではない。痛さを抑えるために、モルヒネ投与は治療として認められている。投与しないと痛みに耐えられないはずだ。それなのに・・・。


 1月15日(月) 晴 11102

 晴ているが寒い。やっぱり冬支度で出かねないと寒くなる。

 『ドキュメント72時間』で、酉の市でにぎわう新宿花園神社をやっていた。商売繁盛を願って熊手を買っていく。その前に前年に買った熊手を、神社におさめ、それから買うのだ。大体買う店は毎年同じと決まっているようだ。そして、そこに集まる人々と、興行する婆さん。昔は、両手がなくて足で絵を描く人(芸人)がいたんだよと言っていた。寺山修司や唐十郎のあのおどろおどろしい世界だ。そして浮浪者もいた。

 東京へ出てきて1番行った神社が、花園神社。始めて行ったのは、紅テントの唐十郎を観るため。アングラ芝居は、つかこうへいしか知らなかったので、こんなものがあるのかとビックリした。敷地の中に、確か浅間神社という言う社がある。そこに、石碑が立っている。

♪赤く咲くのはけしの花 白く咲くのは百合の花
どう咲きゃいいのさこの私 夢は夜ひらく

十五 十六 十七と 私の人生暗かった
過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく♪ --『圭子の夢は夜ひらく』作詞:石坂まさを より--

 十八の時、新宿の飲み屋を流して、デビュー曲『新宿の女』をヒットさせ、この歌が藤圭子の決定的なヒット曲になった。それを記念して石碑である。宇多田ヒカルの母親と言った方が、若い世代には分かり易いかもしれないが。でも、宇多田ヒカルがデビューした時、♪ It's automatic ♪ を聴きながら、おっさんたちは一様に、藤圭子の娘なら歌が上手いだろうと言っていた。もう何年も酉の市に通っているという人が一杯いた。この回の『ドキュメント72時間』のタイトルは、「夢は夜ひらく」だった。歌舞伎町の横にある花園神社には、似合うタイトルだと思った。


 1月16日(火) 晴 12617

 読みたくなった本があったので、国会図書館へ行ってきた。夕方、遠い駅から歩いて帰ってきたら家の近くで、タバコ屋の婆さんに会う。婆さん銀行へ行った帰り、遠回りして歩いてきたという。何でも、クリスマスの時に貧血になって、歩くだけで息切れがするのだという。家にいるだけだから、出掛けたら出来るだけ歩くようにしているという。病院へ行って検便出したり、検査もしたという。今度は結果を訊きに病院へ行くといっていた。狭心症の先生に診て貰っていると言い、薬を飲んでいるようだ。本当に貧血か、それとも狭心症なのか。元気だけが取り柄だったのに・・・とボヤいていた。昨日、新宿末広亭で落語を訊いたが、それは明日にする。


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