--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行の滞在日記です。
9月20日(水) 曇 10594
曇だけどちょっと蒸している。吉祥寺へ行き、MEGUさんとランチを取る。鞍馬山の話などした。シーラさんが上京するので、その時の打ち合わせなどもする。ランチが終わり、MEGUさんはジムへ行き、茶店で本でも読もうと別れた。歩いていたら、散歩がしたくなって歩き出す。寺のような物が通りの突き当りに見えたので、そっちの方へ行くと、武蔵野八幡宮があったので、お参りをして、さっき見えた寺の方に行くと、お寺があった。この辺は吉祥寺というくらいだから、お寺が多いのかもしれない。
それから茶店へ行って読書。帰ろうと思い店を出たが、井の頭公園へ行く。池を1周して帰ろうと思って歩いて行くと、弁財天があった。ここでもお参り。節操なくお参りする。それだけしても、東北の復興は遠いのだ。池は緑色の藻の様なものにおおわれていた。なんか汚い印象がした。池が死んでいるのかと思った。石碑があり、『小さな秋みつけた』という童謡が、ここで作られたことを知る。
イングランドのプレミアでは、カップ戦で岡崎が、途中出場して1ゴール1アシストで、全ゴールに絡んで2-0でリバプールを破った。こういう活躍を聞くと元気が出る。イチローにしても、いつも出場するわけではないのに、準備を怠らない。岡崎もそう。そういう処を監督は、ちゃんと見ていて賞賛する。自分が納得できるかどうかという、価値観を大事にしているから、周りに左右されない。人のせいにしない。そういう特性が日本人にはあるのだろうか?何かで読んだが、ある韓国人が、戦後引き上げ途中で、配給があって、日本人は、ちゃんと列を作って並んでいた。腹が空いて疲れ切っていても、自分だけ食べれれば良いという風には思わない。中には本を読んでいる人までいた。だから、東日本大震災の時に、文句も言わずに並んでいる人を見ても、驚かなかった。日本人には当たり前の事だと思った。世界中の人が賞賛していたけど。と、言っていた。そういう道徳心が染み付いているのかもしれない。
「 植木等 お前、自分がどういうことしたのか分かってるのか?なんでそんな、お母さんを追い返すような真似したんだ。せっかくいらしたんじゃねぇか。 松崎雅臣(のちの小松政夫) いや、あの。 植木 お前まさか、自分の母親を俺たちに見せるのを恥ずかしいと思ったんじゃないだろうな。 松崎 その、植木さん死ぬほど忙しいし、寝る暇もないくらい忙しいし、俺のことなんか 植木 馬鹿野郎!俺の時間の事なんて考えなくて良いんだよ。挨拶に来た母親を追い返したって訊いて、「おっ松崎、俺のことよく判ってるな。さすがじゃねぇか」とでも言うと思ったのか?本当にそう思ったんだったら今すぐ出ていけ。そんな付き人はいらねぇ!いいか、親の心っていうのはな、理屈じゃないんだよ。言葉にできないもんなんだよ。お前のことが心配で、迷惑かけてやしないかって、いてもたってもいられなくて、わざわざ博多から上京してくる母親の気持ちを、少しでも考えたことがあるのか!俺の親父が、未だ三重の寺の住職だった頃なぁ。戦時中、戦争反対って説教して、何度も投獄された事があったんだ。俺は子供で何も分からなかったけどなぁ。親父が捕まったってそれだけで、ただ惨めで恥ずかしくてよ。 廊下で話を訊く、植木等の父、徹誠。 植木 でもお袋はちゃんとしてなぁ。貧乏だったけど、毎日弁当作って、親父の処に持ってけって、俺に警察まで届けさせたんだよ。そんなことをさせるお袋も憎かった。赤だなんだって、後ろ指さされて。心がみすぼらしくって。でも、お袋は全部分かってたんだ。親父は何にも間違ったことは言ってない。だったらどうして、どうして陰口を叩かれなきゃいけないんだ。子供達が惨めな思いをしなきゃいけないんだ。そう思ったからこそ、正々堂々と弁当作って俺に届けさせたんだよ。 涙を流す松崎。 植木 お前も、早くに父さん亡くして、お母さんが女手一つでどれだけ苦労したか。観てきてるんだろう! 徹誠 う、うーん。 扉を開けて入る。 植木 父さん。あれ、なんで? 妻・登美子 私が夕飯誘ったの。 徹誠 全く俺は、どんな顔して訊いていれば良いのか?入ってくるタイミングも分からんし、まあこんな顔で入ってきちゃいましたけどもー。 登美子 ふっ。(笑う) 植木 ふっ。よし松崎。どこに電話すれば、お前のお袋さんと話が出来る。 場面が変わり博多。 ちょ、早う来。クレージーの植木等。 ビックリする母・ハツエ もしもし。 植木 松崎雅臣君のお母様でいらっしゃいますか。私植木等をいいます。先日は松崎君が大変失礼なことを致しましたようで。 ハツエ はぁ、いや。あっこれは。 植木 なんでも彼がお母様を無理矢理帰したそうで。私からもお詫びをと。 ハツエ これはまぁ。 植木 松崎君は確かに、私が責任を持って預かっておりますから、どうぞご心配ないで下さい。 ハツエ それはもう。 植木 まあ、こういう世界ですから一人前になれるかは、本人次第という処もありますが、私もあの出来る限り事は致しますから。次に上京した折には是非とも、直接ご挨拶をさせて頂きたいと思っております。 ハツエ そんな。ああの。 植木 ちょっと松崎君に代わりますので。おい松崎。 松崎 母ちゃん。 ハツエ ビックリしたがないねぇ。 松崎 ごめん。 ハツエ あんた、あの植木さんが電話掛けてくれたとよ。 松崎 泣きながら、ごめん。 ハツエ あげな立派なお人にお世話して貰うととねぇ。母ちゃん安心したばい。 松崎 うっ、うっ、ごめん。 ハツエ ほれ、電話代もったいないけん、きりんしゃい。雅臣。体にだけは気いつけにゃいけんよ。それじゃね。 植木 飯にするか。松崎、お前も食ってけ。 席に着く松崎。 植木 頂きます。 登美子、徹誠 頂きます。 植木 うん、良い味だ。 松崎 親父さん。親父さん、すいませんでした。 植木 にっこりする。 徹誠 ほら、若いんだからモリモリ食べなさい。ねっ、親父さん。 植木 ちょっとむっとする。 登美子が笑う。 泣きながらご飯を先に食べる松崎。 植木 最初に飯行くかな? 登美子 うふふ。 徹誠 ははは。 登美子 美味しい? 松崎 涙を流しながらこくんとうなずく。」 ーーNHK『植木等とのぼせもん』よりーー
9月21日(木) 晴 14169
昨日BSで、『絶景にっぽん 月の夜』を観る。初めが銀閣寺を一晩借り切り月を観るという企画があることを知る。月見は、中秋の名月とその次の十三夜の月を観て、楽しむことを昔からやっていた。両方の月を観ないと、片見月と言って嫌ったのだという。
「沖縄の雄綱と雌綱を合わせて行われる祭りは二十六夜に行われる。昔は、月に合わせて生活をしていた。と、言っていた。それはそうだろうと思う。昔は、太陰暦だったからだ。祭りは、老若男女が混じり合って初めて成立する。
ある林業家が、月の満ち欠けが分かる、月齢カレンダーを見て、ここが丁度「切り旬」ですね。切り旬とは、満月から下弦の月を過ぎて新月に移る1週間ほどいう。これが、木を切るのに打って付けの時期の事。この時期に切った木を、「新月木」と呼ばれ、月のパワーによって神秘な力を宿しているという。林業家が言うには、「虫が入りにくい。香りが良い。木の色がうまくあがっている。」という。この時期には、木の養分が根っこの方に降りて行き、腐りにくくなるのだという。防腐剤などがなかった時代、新月木は、日本の木造建築を支える大事な建材だったそうだ。世界最古の木造建築法隆寺にも、新月木が使われているという。林業家「家を作って30年で壊したら、山なんかみんな丸裸になっちゃいますよ。それをうまく使い続けるためには、新月木で、良い状態の木じゃないとダメだ」という。長持ちする木は、月のおかげかもしれないという。
農業では、月農法を提唱している人がいる。橋本兄弟「月の周期を使った、害虫の防除のお話をさせていただきます。害虫は、満月の前にオスとメスが交尾をします。満月の前に卵を産みます。満月の4日から5日後にふ化をします。その後に農薬を散布することによって、害虫を駆除することが出来ます。」農薬の量は、以前の1/3に減ったという。「月のリズムの栽培に準じてやるとやらないのでは、まったく、違ってます。以前より確実に、収量性はあがってますね。」さらに月には、野菜を美味しくする力があるんだとか。「上弦の月は、実の方に栄養をいかせる。下弦の月は、根の方に栄養をいかせる。この切り替えで、そこに、どういう肥料をやっていくかという処が、ポイントになっていくと思います。」 橋本さんにいわせれば、農作物は、月の満ち欠けに合わせて養分を循環させるサイクルがある。月が上弦の月に向かう時、農作物は、養分を吸い上げて実を成長させる。逆に下弦の月に向かう時は、養分は下の方、根っこの部分に集まり根の成長が進むという。実と根菜、それぞれが成長するタイミングに合わせて肥料や水を与えると、美味しく育つのだという。もぎたての茄子を食べ、リンゴみたいな味がします。やはり月のリズム感で、ふたりで坊主にしようということで、ははは。「坊主農法」とも言われています。お月様って何でしょうね。ホントに。愛ですかね。へへへ。
さて銀閣寺。将軍が余生を過ごすパートナーに選んだのが月。庭園にはあまたの仕掛けられた月を観るための舞台装置の紹介。山荘の向かいには、月の出を楽しむために人工で作った月待山。白川砂で作られた、銀沙灘と向月台。月待山から出た月の光を反射させ銀閣寺を照らします。庭園の中央にある、錦鏡池は、月を映し出すための鏡。義政直筆の和歌が百首書かれた巻物。月の歌が多いという。
くやしくぞ 過ぎしうき世を 今日ぞ思ふ こころくまなき 月をながめて 足利義政 」
月の満ち欠けは、人生のようなものと前銀閣寺住職が言っていた。そうかもしれない。9月初めに京都へ行った時、トギちゃんと銀閣寺へ行った。その時に、夜に向月台に座って、酒が飲みたいと、言ったことを思い出す。トギちゃんも分かるなぁと、言っていた。そんなこと出来るわけないけど・・・。この番組、選曲も良かったなぁ。銀閣寺へ行った夜、京都迎賓館で見た月が綺麗だった。あれは満月ではなく、十三夜の月。満月は帰る日の6日だった。だから月は、京都ではなく、東京で観た。ところで、この『絶景にっぽん 月の夜』をやった夜は、新月だった。今日もまだ新月のように月は観えないだろう。
松尾芭蕉が、『奥の細道』に出かけた切欠が、松島の月を観ることだったという。しかし、実際には、句を詠んでいない。「松島や ああ松島や 松島や」というのは芭蕉の句ではない。あまりの絶景に言葉を失ったのだという。
絶景にむかう時は うばわれて不叶(かなわず) 芭蕉
9月22日(金) 曇のち雨 9256
夜中に作った、鮭のアラの味噌汁を温め朝食を取り、外部の講習に参加した。それから、新宿をブラブラして帰ってきた。朝ドラが終わった後、『あさイチ』に俳優の菅田将暉が出ていた。『ごちそうさん』では、息子役をやっていた。今度公開になる映画、『ああ荒野』ではボクサー役をするのだという。原作が寺山修司。吃音のボクサーなどが出てくるという。寺山らしいなぁと思った。昔は町に、聾唖者や吃音の人が必ず1人くらいはいて、人間って色んな人がいるんだと、子供の頃思ったものだ。
今みたいに差別用語がどうのという、事はいわなかったので、「オシ」とか「ドモリ」と、言っていた。お祖母ちゃんとか、お袋は、よくオシが来ると、何言っているか分からないに座り込んで、30分くらい話を聞いていた。終わって戻ってくると、何言ってたの?と聞くと、分からないというので、分からないのに、聞いていたんだと半分呆れて言ったことがある。でも、ああやって相手にしてあげる人が昔はいたようだ。そうやって、そういう人も社会の中に組み込んでいこうとしていたのかもしれない。
おそらく寺山は、子供の頃そういう風景を見ていたのだと思う。ドモリも良くいた。テレビにも映画監督の羽仁進などが出ていたが、ドモッていた。『吃音宣言』という本がある。武満徹が書いたものだ。それを読みたい読みたいと、思いながら大分時が経った。『吃音宣言』と、ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』を併読してみたい気分になった。
スペインに行き始めた頃、ある美術館に行ったことがあって、バルへ行ってトイレを行こうと思い、入って直ぐ、目の前にいるスペイン人に、トイレどこ?と訊くと、そのスペイン人が強度のドモリで、応えるのに30秒くらいかかった。その間にトイレのマークが見えたので、場所は分かったのだが、彼が言い終わるまで待って、ありがとうと言ってトイレに行ったことを思い出した。
「ぼくは吃りでした。吃りというのは言いたいことがいっぱいあるということで、想像力に発音が追いつかない。発音が追いつかなくとも、でもぼくはしゃべっているのです。このとんでもない「ずれ」はいつまでもぼくのどこかを残響させ、それがそのまま作曲に流れこんでいったように思います。」 武満徹
9月23日(土) 雨のち曇 10253
昨日から降っていた雨は、朝には霧雨になり、昼前には雨はあがった。バドミントンのヨネックス・ジャパン・オープン女子シングルの奥原希望は、準決勝を棄権した。体が言うことを聞かない。もう膝が悲鳴をあげたようだ。両膝の大怪我をして過去があるが、その影響なのだろう。去年の年末の全日本総合も右肩痛で棄権。コーチに強制的に棄権にさせられた。何も言わないと、誰かが止めないと、棄権しないようだ。
復帰も負傷箇所を気にして、プレーするのかと、問われて、思いっきりやって、体が壊れたら、それは仕方ないと、言い切っていた。バドミントンの為に一生懸命なのだ。今年の世界選手権の決勝で、2時間弱の大熱戦をやって優勝。その決勝で戦った相手を、ストレートでヨネックス・オープンを勝って優勝が見えてきていたが、膝痛で棄権。涙ボロボロこぼしながらの会見だったようだが、スポーツ選手のギリギリの選択。これも東京オリンピックを見据えてのこと。人は良い時じょうかりでない。そういう時に、何を考え、何をやるかだ。
カラヤンが、指揮者を追われたときに、1年間仕事につかず、毎日楽譜を読んで過ごしたという。再び指揮するための、充電期間にしたのだ。奥原も、同じようになれば素晴らしいと思う。明日は残念だが、奥原は観れない。高橋・松友ペアを楽しみにしたい。
9月24日(日) 晴 12221
東京体育館へ行って、ヨネックス・ジャパン・オープンを観てきた。バドミントンの女子金メダリスト、高橋・松友ペアの決勝を観てきた。苦労しながらだけど、2-0のストレートで優勝した。相手は長身の選手がいる韓国ペア。でも、右に左に、前に後ろにシャトルを散らして、二人の間や、体の正面や肩口と変化をつけて揺さぶって、勝利した。やっぱり、このコンビは最強。松友が2回、フォルトを取られていた。バドミントンの場合のフォルトは、6秒?以内にサーブしないと取られるようだ。
帰ってきて競馬。神戸新聞杯は、ダービー馬レイデオロが優勝。夏に力をつけてきた2番人気キセキが2着。と順当。3着がサトノアーサー。中山のメイン、オールカマーは、久々にルージュバックが優勝。2着が、ステファノス、3着が、タンタアレグリア。メイン両方的中だった。
ところで、バルセロナがあるカタルーニャの独立運動が激化している。10月1日に住民投票を州政府が強行しようとしている。警察が役所などに強制捜査に入ったり、それを住民が囲んで、監禁状態にしたりしているようだ。投票日まで、混乱が続くようだが、投票結果は、おそらく、スペインからの独立を選択することになるだろう。投票後も混乱が続きそうだ。フランコの亡霊が、いまだに影響しているのだろう。民族主義が政治と結びつくと、きな臭くなる。
9月25日(月) 晴 14303
朝、検査に行った。帰りに町をブラブラした。久々に歩く中野の地下は面白かった。昔あった韓国料理の食材店は見当たらなかった。魚屋で、づけ丼と、饅頭屋で紫芋の団子を買う。西武新宿線まで歩くことにした。途中五差路があって、新井薬師と沼袋の分かれ道だった。公園ではまだ蝉が鳴いている。
夕方、安倍首相は衆議院の解散を宣言した。ドイツでは、メルケル首相の与党が第1党を維持。しかし、難民受け入れ反対の右派政党が第3党に躍進した。日本の政界は総選挙に動き出したが、民進党や、自民党を脱党して、新党に合流する動きが加速している。新党・希望の党の代表に、小池百合子東京都知事が就任した。どさくさに紛れての解散。どさくさに紛れての、代表就任。自民党への不満をかわすための解散だが、その受け皿になるのが、希望の党。民進党は分解寸前。なんだか滅茶苦茶になってきたような気がする。
9月26日(火) 晴 12977
朝食を食べ、上野に出掛けた。東京都美術館の『ボストン美術館展』に行った。上野を降りると、人が一杯。途中から右に行く人が大勢いた。これは、国立博物館で今日から始まった、『運慶展』の人波のようだった。それを観ながら、そうか、今日からだったんだと思った。しかし、『ボストン美術館展』も思ったより人が入っていた。中国美術の龍はちゃんと観れなかった。目玉の、英(はなぶさ)一蝶の『涅槃図』も人だかりが出来ていた。他には、尾形乾山の焼き物で、絵が光琳。蕪村の屏風、酒井抱一の花魁図、歌麿の三味線を弾く美人図など。印象派の絵もある。
それから、国立科学博物館の『深海展』へ行った。昼だったので昼食を取り、中へ入ったが凄い人。夏休みが終わり、空いているとばかり思っていたが、とんでもない。歩くのが大変で、ぶつかりながら観ている状態になる。NHKでやった番組の映像が使われている。後半は、プレートの動きで地震が起こるメカニズムの説明や、東日本大震災の津波のメカニズムが分かり易く説明されていた。また、深海調査の掘削で、それが解明されたことなどが展示されていた。それから、日本館での常設展示も観た。そこにも、日本列島がどうできたかの展示もあった。NHKでやったものとほぼ同じ内容だった。『深海展』は人が多すぎて、疲れた。
3週続けて、『ブラタモリ』は高野山をやった。これを観たので、高野山へやっぱり行きたい気持ちが強くなった。外国人の中には、1か月高野山にいて、仏教の教えを吸収したいという人がいる。そこまでは、出来ないだろうが、阿字観などをして、真言密教を感じたいと思った。
9月27日(水) 曇のち雨 11892
今日も朝から検査に行った。本屋へ行き『サライ 国宝と紅葉の京都』とNHKテキスト『国宝に会いに行く』を買う。昨日から始まった『運慶展』の学習など。帰りに、朝食後、ドーナツ屋で、ドーナツとコーヒーを飲みながら読む。
昨日の夜、BS朝日で『京都ぶらり歴史探訪』を途中から観る。伊藤若冲と円山応挙を取り上げていた。江戸時代の同時期に、京都の市井から出てきた二人の絵師。若冲は、相国寺に絵を寄進したりしていたので、相国寺の関わりが強いと思っていたが、黄檗宗の禅僧で、煎茶の茶人の売茶翁(ばいさおう)の文化サロンへ行っていたようだし、若冲という名も、売茶翁から名付けられたという。若冲は、人物画をあまり描かなかったが、売茶翁の肖像画は何枚となく描いたという。
円山応挙は、農家の次男に生まれ、口減らしの為、寺に預けられる。それから京に出て、絵師について勉強し、その修業時代に、眼鏡絵を描き、西洋の遠近法を覚える。三井寺円満院の祐常門主や豪商三井家が、絵を認めパトロンになる。応挙は若冲より18歳年下で、同時代に、与謝蕪村、池大雅、上田秋成などが京都にいた。当時、絵師で1番人気があったのが応挙で、次が若冲だったという。
天明の大火で、京都の町が焼け野原になり、若冲は財産を失い、伏見深草の黄檗宗の石蓬寺門前に隠居。石蓬寺に残る五百羅漢像の原画を描いたり、天井画を描いたりした。応挙は、生まれ故郷の丹波の国(現在の京都府亀岡市)の金剛寺に滞在して、お礼として雨竹風竹図屏風や襖絵などを描いたりしたという。若冲は焼け出されて困ったときに、売茶翁の黄檗宗の石蓬寺に身を寄せ、応挙は、子供の頃小僧をしていた金剛寺に身を寄せた。自分がいるべき場所に戻るのだろうと思った。
9月29日(木) 雨 11171
国会冒頭で衆議院が解散した。民進党は、希望の党に合流して、候補者を立てるようだ。小沢一郎も合流するようだ。もう訳が分からない状態になってきた。安倍政権打倒の決断と前原代表が秘策に打って出た。解散に踏み切った安倍首相、民進党の看板を下ろし、希望の党への合流を選んだ前原代表。どちらもギリギリの選択で勝負するようだ。
落語に、『応挙の幽霊』をいう噺があることを知る。今は、YouTubeという便利な物があるのですぐ観れる。応挙の絵から幽霊が出てくる話。処で、ついでに他の落語を聞いた。『芝浜』が良いと思い、小三治、志ん生、志ん朝、談志。やっぱり芝浜は、小三治が素晴らしい。談志の話も良い。志の輔が芝浜を聞いて談志に入門したというが、何となくそういう気持ちも分かるなと思った。志ん生と志ん朝は、悪くないがこの話は二人には合わないと感じる。志ん朝の兄・馬生の方があっていると思う。志ん朝は、『崇徳院』とかの方が断然面白い。早口の江戸弁なので、芝浜って感じじゃない。噺によって演者のタイプに合う合わないがあるので、それはしょうがない。政治のことを考えるより、落語のことを考えるほうが、面白い。
9月29日(金) 曇/晴 9013
昨日の夜、新宿に行く。用事の前後に新宿を歩いたが、もう半袖では肌寒い。朝夕も20度を切って、秋そのものという感じになってきた。
セビージャのサン・ミゲルも終わり、マドリードのオトーニョが始まっている。セビージャでは、タラバンテが怪我をした。オトーニョが終わると、サラゴサのピラール。切符が売り出された様だ。10月1日のフェレーラとパコ・ウレニャはどうなるのだろう?これが1番興味がある。28日の牛はダイジェストを観ると、良い牛だったようだ。ロマンは、プエルタ・グランデを逃したようだ。耳1枚。初めの牛は、サン・イシドロのファン・デル・アラモのように膝をついたパセから始めていた。
『美の壺 漆器』を観ていたら、あれ?と、思った。漆を塗り、乾かし、削り漆を塗り金粉を蒔く。ある時は、それに色漆を塗り乾かす。それから磨くと色漆の下の金粉が薄っすらと顔を出す。その作業を観ていて、若冲の30幅の『動植彩絵』を思い出した。裏地と表地を蒔絵のようにして描いていたのかもしれないと。
9月30日(土) 曇 19592
先日の雨で、蝉の鳴き声は消えた。虫の音だけが響いている。さすがに明日から10月である。ネット上では、選挙の話が一杯出ている。その中で、リベラル派は何処へ?という記事が載っている。護憲派は、共産党や社民党へ投票するのか?ベクトルとしては非常に弱いだろう。希望の党も、維新の会も、自民党と同じ改憲派。リベラル派は何処に投票するのか?希望の党は、民進党の安保関連法反対の議員は公認しないといっている。こういうことよりも、経済政策とかバランスを考えて投票するのだと思う。こういう状況から、いずれ改憲されるだろうことは、想像に容易い。どう改憲されるのかという問題になっていくのだろう。
昨日のオトーニョは、カステージャは耳が取れず、パコ・ウレニャがグエルタ・グランデを逃した。耳1枚取った初めのファエナは良かった。2頭目の牛もパセを繋いでいたが、口笛が吹かれていた。コヒーダされ剣も決まったが耳にならなかった。10月1日にプエルタ・グランデ出来るか?なお、アントニオ・フェレーラとのマノ・ア・マノが怪我が治らず、ファン・バウティスタに変更になった。非常に残念。カルテルを観たとき、行こうかなぁと、思ったが、アドルフォ・マルティン牧場が引っかかって、その気にならなかったが、ビクトリーノ・マルティン牧場だったら行っていたかもしれない。やっぱり、選択は合っていたような気がする。
10月1日(日) 晴 14515
青空。快晴の朝の東京。もう10月で、気温は21度でちょうど良い陽気だ。バルセロナでは、カタルーニャ独立の住民投票が予定されている。スペイン中央政府は、違憲として訴え、スペイン裁判所は、違憲の判断をした。カタルーニャ自治州の住民の56%が州政府のやり方に反対している。特に18歳~36歳の若者の間では、この数値が63%と高くなっている。しかし、州政府への中央政府のやり方は良くないと思う人は、82%いて、この対応では、得率運動を弱体化へ向かわず、むしろ強化させていると思っているという。郵政局は、カタルーニャ自治州の独立を問う選挙関連の全ての書類を配達しない局員に通達した。これを受けて、州政府は、代替案を検討している。治安警察隊が州政府機関への立ち入り調査で、副知事などの逮捕者が出たりした。
9月20日ラホイ首相はカタルーニャ自治州プーチデモン州知事に向け、違憲投票の中止を要求する最後通告を行なった。首相は、「政府は武力介入を含めた全ての法的措置を取る」こと、これ以上の状況悪化を防ぐためにも、一刻も早く違憲投票の中止を発表するよう通達。状況は、州政府はツイッターを通じて、投票会場の通知を開始した。その後、司法裁判所によって閉鎖されると、偽のウェブサイトが登場した。検察の検事総長が、州知事の逮捕状を請求する可能性に言及した。背信、不服従と公金横領の嫌疑。しかし現時点での逮捕状請求は適切ではないとした。中央政府への対応への不満に配慮しているようだ。
スペイン国旗が、通常の3倍売れているという現象が起こっている。カタルーニャを含めて、スペインは1つという思いがこの現象を起こしているようだ。バルセロナ市警察は、市内に保管されている国所有の投票箱の監視を開始した。市内のエル・コルテ・イングレス(デパート)は、投票日の10月1日臨時に閉店することを決めた。どういう混乱が起こるか分からないからだという。
スペイン銀行の発表によると、今年第2・四半期におけるカタルーニャ自治州のスペイン国庫への債務総額は、524億9900万ユーロに達しており、240億3000万ユーロの債務を負うアンダルシアの2倍以上、また、354億500万ユーロのバレンシアが負う債務よりもはるかに上回っている。
カタルーニャの債務は今年3月には506億7700万ユーロであったため、その後の僅か3か月間で3、5%の増加となった。この負債増加が、独立投票と関連があるのか不明。(くまさんのHPを参考にする)
昨日のオトーニョは、ミゲル・アンヘル・ペレラが、耳1枚が2回で、プエルタ・グランデした。2頭目の牛は、遠くから呼べる牛。10m以上離れた処から牛を呼んでパセする闘牛は大好きだ。牛が良い。凄く好きな牛だ。プエルタ・グランデが決まった後、アポデラードのフェルナンド・セペダとペレラが抱擁していた。ペレラは気性に問題があって、アポデラードが見放したりしたことがあったのが、セペダをは、上手くいっているようだ。これで彼らになって何度目のプエルタ・グランデなんだろう。ペレラは、スペイン国旗を両手に持ち場内一周。スペインは1つという意味だったのだろうか、プエルタ・グランデを通るころから、闘牛ファンの「ビバ・エスパーニャ」の合唱の歌声が続いたようだ。
カタルーニャ独立の投票は今日行われている。
10月2日(月) 曇/雨 15437
カタルーニャ独立投票当日、カンプノウでFCバルセロナ対ラス・パルマスの試合は、試合開始45分前に、無観客試合の決定がなされ、3-0でバルセロナが勝利した。投票日などの混乱で、安全上の問題で無観客試合になった。バルセロナのジェラール・ピケは、「プロになってから最悪の経験だった」と言った。
「 「クラブの理事会は試合を取り消そうとあらゆる手段を講じた。全体で決定を下すために、ロッカールームにも下りてきたよ。今日は本当に大変な日だ。おそらく、僕がプロになってから最も大変な日だよ。最後には、全員でプレーすることを決断した」
「試合を行ったことに対する批判? リーガもラス・パルマスもプレーすることを望んでいたし、それに勝ち点だってかかっていた……。だけど、プレーをしたことに対して、批判をする人たちがいることも分かっている」
また住民投票についての見解を求められたピケは、カタルーニャを思う気持ちがあふれ、涙を流し、声を震わせながら言葉を発していた。
「フランコの時代には投票など不可能だったが、今の僕たちはそうすることができる。僕はカタラン(カタルーニャ人)であり、カタランだと心から思っている。ここに住む人々は、この数年間にわたって本当に完璧な振る舞いを見せていたよ。だけど治安警察、国家警察がやって来て、ああした振る舞いを見せたんだ」
「国民党と中央政府の首相は、嘘をつくためにあらゆる手段を講じた。僕たちが少数派であり、ただ騒ぎを起こすようにデモを行っているだけだと。だけど今日、そうじゃないことが示された。僕たちは何百万人もいて、ただわめているわけじゃないんだ。僕たちは悪い人間じゃない。ただただ、投票をすることを望んでいるんだよ」
スペイン代表でプレーすることを疑問視され続け、2018年ロシア・ワールドカップを最後に同代表から引退する考えを公表していたピケだが、今回の件をきっかけとして同大会前に引退する可能性すら示唆している。
「僕は代表でプレーし続けられると思っている。今日カタルーニャで起こったことを非難し、民主主義を信じてくれる人々もスペインには多くいると思っている。でも監督かスペインサッカー連盟の誰かが僕を問題視して、不快に感じているとしたら、もう外れたっていい。2018年を前に代表を引退したっていいよ」
「愛国心? 代表チームは誰よりも愛国心を持っている選手の集まりではない。愛国心を競争する場ではないんだよ。スペイン国籍を取得した異なる国の選手たちが何人もプレーしてきたし、各選手が抱える愛国心にだって差はある。代表チームに参加するということは、最高のプレーを見せて勝利を目指すことだと理解している」 」 --「GOAL」より--
「首都マドリードをおひざ元とするレアルは、スペイン語で王室を意味する「レアル」を冠するだけあって、スペインを象徴するクラブである。それだけに今回のカタルーニャ独立の動きを、否定的に見る人々が多かった模様だ。試合は好調のスペイン代表MFイスコが2ゴールを挙げる活躍で、バルセロナをホームタウンとするエスパニョールを2-0で下したが、本拠地サンチャゴ・ベルナベウは少し異様な雰囲気に包まれたという。」 --「フットボールゾーンウェブ」より--
ピケがスペイン代表として、SNSで批判されていたが、一貫してカタルーニャ人としての立場を貫いていた。彼の発言は、カタルーニャ人には届いていただろうが、スペイン人には理解不能だったと思う。それは、グアルデオラ前監督の言葉も、同様だろうと思う。レアル・マドリードと対戦した、バルセロナを本拠地に置くエスパニョールの選手たちは、どういう気持ちだったのだろうか?同じバルセロナを本拠地にしながら、エスパニョール(スペイン人)というチーム名を持つ。そう考えると不思議な気になる。なお、アトレティコ・マドリードは、同じマドリードを本拠地にしているレガネスと対戦し0-0で引き分けた。
独立投票の結果は、住民の43%が投票して、90%が独立賛成に投票したという。混乱はこれからが本番だと思う。スペインというナショナリズムと、カタルーニャというナショナリズムの対立が鮮明になった。中央政府の政治家とカタルーニャ州政府の政治家の対立が、そこに住む住民の対立になってきているような感じになっている。落としどころというか、和解はないのだろうか?と、思ってしまう。バルセロナで、闘牛が開催されないのも、こういうナショナリズムの対立の図式の中にあるのだ。ナショナリズムによって、闘牛を禁止するという考え方は、おかしいと思う。そして、ナショナリズムによって、自由を奪うことは、文化の側面から見ればおかしい。どちらのナショナリズムも本来は、対立の為や、選別する為にあってはならないと思う。
オトーニョ最終日は、フェレーラに代わって、ファン・バウティスタが出場して、パコ・ウレニャとのマノ・ア・マノが、アドルフォ・マルティン牧場の牛で行われた。牛が悪かったようで、ウレニャが挨拶2回だった。ファン・バウティスタは、最後の牛は、ビビリが入っていた。今年のサン・イシドロの感じだと、そうなるだろうなぁと思った。
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