断腸亭日常日記 2017年 7月-8月

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
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 7月30日(日) 雨 4024

 朝から雨が降っている。おそらく、昨日の雨がそのまま降り続いているのだろう。昨日の夕方、雨の中高田馬場へ出掛けた。安田さんがスタジオを貸してくれたので、そこで、スペイン闘牛ビデオ上映会を開催した。着いたら、安田さんやMEGUさん、浜さんがいた。安田さんは、テレビやDVDプレーヤーを用意してくれていた。遅れてくると言っていた人たちも、それほど遅れてくることなく、ぞくぞく到着して始めた。

 今年のサン・イシドロのビデオ会は、初めが、La oreja de Van Gogh のPV 『Rosas』を流し始めた。初めのファエナは、5月21日のアントニオ・フェレーラ。非常に印象的だったファエナだ。3年間怪我でアレナを離れていたが、復帰後は、観客にアピールする姿がほとんどなくなった。牛との対話を楽しんでいるような闘牛をする。そして、このファエナは今までの闘牛のイメージにはないような感動を感じた。フェレーラが興奮して観客にアピールするのではなく、静かに牛を対話する姿に、観客の方が興奮していくさまは、かなり胸に迫る物があった。観客は耳2枚を要求したが、プレシデンテが1枚しか出さなかった。観客は怒って、場内2周するように望んだが、フェレーラはそれを遠慮した。こういうところにも、人が変わったような感じがする。

 次は、5月25日ヒネス・マリンの耳2枚のグラン・ファエナ。20歳若い闘牛士がアルクルセン牧場の牛でのプエルタ・グランデ。闘牛士としての希望の扉を開けた瞬間に立ち会えたことは素晴らしいことだ。ピカを刺したのは、彼の父親。場内1周の時、泣いていた。これから10年以上スペインの闘牛場へ呼んで貰えるような、精進が必要だ。次が5月26日のセバスティアン・カステージャのグラン・ファエナ。牛は場内1周。剣が半分しか刺さらなかったので、耳1枚にしかならなかったのは残念。

 次が5月31日のロカ・レイ。ファン・カルロス元国王の前で今年も耳を切った。次が6月2日のエンリケ・ポンセの耳1枚のファエナ。内容はいつものポンセ。特に語る物はないが、ピンチャッソ1回で耳1枚というのが納得できない。2頭目のはこのファエナより悪く、そしてまた、ピンチャッソ1回で耳1枚。訳の分からないプエルタ・グランデだった。次が、6月6日のビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、アレハンドロ・タラバンテと、パコ・ウレニャの2つのファエナ。タラバンテがなめらかなムレタ捌きを見せ、パコ・ウレニャはドタバタしたファエナ。ビクトリーノらしい牛を感じるのはパコ・ウレニャのファエナ。しかし、これを観れば、タラバンテの特異なファエナが浮き彫りになる。

 次が6月8日ファン・デル・アラモの2つのファエナ。牛は、アルクルセン牧場。ヒネス・マリンと同じ牧場で、しかも、ソルテオを観て、ヒネス・マリンが耳2枚切った牛が他の牛と腰つきが違って見えたのを記憶して、それから牛の見方が判ってきた切欠の牧場。そして、ファン・デル・アラモの初めの牛は、この日1番良い牛に見えた。出てきたときは、カポーテに逃げ、ピカが入るとまた逃げ、とてもファエナになりそうな感じがなかった。バンデリージャ・ネグロが出るんじゃないかと思ったくらい。それを、膝を着いて牛を左右に大きく振ってパセを続けると、豹変したように牛が動き出した。タンダ・デ・ムレタソの後に喝采がなり、「オーレ」の声が続いていた。剣が決まり、観客のほとんどが耳2枚が出るだろうと思っていたが、プレシデンテが1枚しか出さなかったので、観客が激怒した。耳を持って場内1周したが、観客はもう1周するよう催促して結局場内2周した。

 テレビ中継では、2枚目が出ないときに、ファン・デル・アラモはガックリしていた。しかし、場内を廻る間に、観客から受ける喝采と、賞賛の声に感激していたようだ。そして、2頭目この日最後の牛。観客は初めから耳1枚を出すんだという意志を感じた。しかし、それに値するようなファエナでなければ、「オーレ」は出ないし、仮にそうなっても剣が決まらなければ、耳は出ない。そして、そういう不安はファエナが始まると薄れ、どこかに引き飛んでいった。闘牛場は興奮に包まれた。そして、剣も決まった。そして、2枚目の耳が出てプエルタ・グランデした。THさんのお父さんが言っていたが、1番ドラマチックなプエルタ・グランデだった。初めの牛で望みが絶たれた感じを、もう1頭の牛で、2枚目を切ったというのは、今後の彼の闘牛士人生を支えてくれると思う。

 これで今年のサン・イシドロのビデオは終わったが、最後に今年サン・イシドロに出なかった、ホセ・トマスを流すことにした。98年のガオネラのキーテ。コヒーダとそれにひるむことなく続けたキーテ。顔右半分に牛の血がべったり付いて、それを拭かずにテルシオ・デバンデリージャで自分の持ち場に着く。そして6頭目のファエナ。耳1枚切っていたので、もう1枚切ればプエルタ・グランデ。しかし、牛は直ぐに頭を上に振る牛で、エン・ガンチャばかり、ムレタが何度空中にに舞ったか。良いパセなど1つもない。こんな状態でもクルサードを繰り返し、丁寧にパセを繋ごうとする。そのホセ・トマスの意志が観客に伝わる。ちょっと形の良いパセが繋がると、「オーレ」がなる。が、続かない。剣を代え、パセを繋ぐが体の近くを通したら牛の返りが速くコヒーダされそうになる。2回角を振ったが、2回とも奇跡的に角の間に体があったためにダメージはない。剣は、牛が頭を直ぐに上に振ったので、半分しか刺さっていない。それでも観客は耳1枚を要求し、プレシデンテは耳1枚を出した。プエルタ・グランデ。観客がアレナに降りてきて、まるで恋人に見せるような嬉しそうな笑顔で抱きついていた。

 エンディングは、La oreja de Van Gogh の『Rosas』のコンサートのビデオ。そして、終わった後、THさんのお父さんと浜さんと飲みに行った。色々話をしたが、ビクトリーノ・マルティン牧場のタラバンテとパコ・ウレニャのファエナを続けたところを、あれは良かったといっていた。また、1番物語として良かったというファン・デル・アラモのファエナが現場で見れたことが良かったという。初めの牛の変わりようが凄かった事と、耳2枚でなくて、最後の牛で耳1枚出た物語が感じれた、それがやっぱり闘牛の面白さだと。その通りだと思う。浜さんのホテルの話もへーと思った。


 7月31日(月) 晴/曇 

 曇気味だが暑い。昼過ぎに、新宿に用事があり出掛けた。用事を済ませ、本屋で立ち読みをした。ついでだからと、新書があるところに行ったら、芥川・直木賞の単行本が飾られていた。『影裏』を手にとって読み始めた。盛岡がどう書かれているかに注目して目を走らせる。飛び読みというかそんな感じで読んでいた。川釣りに出掛ける会社の仲の良い同僚が会社を辞め、新しい会社で売り上げナンバー1になった。3月11日釜石で海釣りをして、行方不明になる。連絡がつかなくなり実家を訪ねると、戸籍上も縁を切っていることを告げられる。次男はこういう人間なんだということを言われ、被災地はあんな状態だから、あんたも探さない方が良いといわれる。立ち読みで全部読んでしまったのは初めてだ。

 川がいくつか出てきたし、その描写からどんな川かも想像できる。でも、何だろう。違和感を感じる盛岡だ。九州の人間が書くとこうなるのか、世代の違いなのか、よく判らないのだが…。それから茶店に入りタバコを吸っていたが、冷房が寒く2本で出てきた。『大衆の反逆』もそんなに読めなかった。本屋で立ち読みしていた時間の方が長かったことだけは確かだ。東京ドームで、ソフトバンク対日本ハム戦がある。たぶん、行かないだろう。

 Eテレの『日曜美術館』で、国立歴史民俗博物館でやっている「URUSHIふしぎ物語-人と漆の12000年史-」を取り上げていた。今まで、紀元前7200年前に中国で発見された漆器が、日本に伝わったと考えられていたが、なんと、紀元前12000年前に日本で漆器を使っていた事が解明されたという。今、漆(うるし)の80%を生産する岩手県浄法寺町。平泉の金色堂などでもおそらく使われただろう浄法寺の漆。飛鳥時代にお寺などで使われて漆器が花開き、安土桃山時代、江戸時代と蒔絵などの輸出品として技術が磨かれたようだ。西洋人は、陶磁器を「china」と呼ぶ一方で漆器を「japan」と呼んで親しんだという。興味がそそられたので、佐倉まで行ってみたいと思った。9月までやっているようだ。


 8月1日(火) 雨 10999

 涼しげだが、雨模様で変な天気だ。ビデオ会では、流さなかったが、今年のサン・イシドロに行っていたときに、毎日車椅子に乗って、エル・チャノが来ていた。闘牛が終わり階段を下りてくると、エレベーターで降りてきて良くあった。腕の良いバンデリジェーロで、大怪我をして下半身不随になった。彼のために、オメナッヘのフェスティバル闘牛も開催された。そのエル・チャノに牛を捧げて闘牛をやったのが、6月5日のゴメス・デル・ピラール。アレナからモンテラを投げ、それを観客が繋ぎエル・チャノまで届く。チャノは、モンテラを受け取った。観客の拍手が鳴り、モンテラを掲げて挨拶した。

 非常に印象的な場面だった。そして、ゴメス・デル・ピラールは、良いファエナを見せて、剣を決め耳1枚を切った。何か凄く嬉しかったファエナだ。半身不随になって闘牛から離れざるを得なくなったエル・チャノは、それでも、サン・イシドロに通い続け、それを知ってか知らずか、ゴメス・デル・ピラールが牛を捧げる。こういう姿を美しいと思う。エル・チャノもそうだし、その彼に牛を捧げたゴメス・デル・ピラールもそうだ。こういうスペイン風の闘牛に対する精神性が、闘牛という文化を支えている様な気がするからだ。いつか、このビデオを流したいと思う。明日は、日帰りで1回忌で盛岡に帰る。


 8月2日(水) 晴/曇 110388

 早朝、盛岡に向かった。向かえに来ていた弟と家に行き、着替えしてお寺に行った。叔父さんたちが来ていた。いとこの小3の女の子も、夏休みで来ていた。卒塔婆を書いてもらい、お経を読んでもらった。それから、お墓に行って卒塔婆をたて、線香をあげて拝んだ。去年も思ったが、お経の文言が所々分かるので、そこが気になった。昼食はそば屋で取った。相変わらずの叔父さん。小3の子はおとなしかったので、お母さんも高校まであまりしゃべらなかったと、いっていたら、お母さんうるさい。と、ボソッといったので、色々いうんだ。と訊くと、うるさいのといっていた。座敷に座って食べてきたら、立ったので、叔母ちゃんがどうしたのと、訊くと、足しびれたといっていた。

 さんさ踊りが昨日からやっていて、その話をしていたら、明日、小3の子が踊りに行くのだという。小学校で行くというので、先生と一緒に行くのかきくと、うなずいていた。別れて家に戻り、ちょっと休んで、駅に行った。駅前で、さんさ踊りの連が太鼓を叩き、踊っていた。大分踊り方が違うのだ。元々さんさ踊りは、各町内で踊っていた踊りで、市内でも、多少踊り方が違っていたが、広い中央通りで踊るようになってから、踊り方が派手になっているようだった。高円寺の阿波踊りもそうだが、本場の阿波踊りよりもずっと派手に踊り、派手な集団的なパフォーマンスが各賞の対象に合わせた志向が感じられる。さんさ踊りもそうなってきているのだろうと思った。本来は、片足を引きずるような踊り方をする。そういう特徴がないのが、寂しい気がした。

 駅に行く前に、南部せんべい屋によって、新しいイチゴチョコの南部せんべいを買った。その時、見慣れない物があったので、訊いたら、これは昔、その辺のスーパーとかで売っていた物です。スナックとかない頃のお菓子です。何か、直感的にあれかなと、思いそれも買い、駅に行く途中で開けて食べたら、思った通りの物だった。弟がなつかしといっていた。今これは、炭で焼かないと出来ない物で、手間がかかるから、作る人がいないといっていた。あそこだけで、作っているのか?駅の南部せんべい屋をいくつか観たが、やはりなかった。


 8月3日(木) 曇 10283

 涼しい朝である。昨日東京に戻って、夕食を取って部屋に戻ったら、部屋の近くの道路が濡れていた。雨が降ったようだった。昨日の夜は、途中から冷房がいらない事に気付き、窓を開け外気をいれても、涼しかった。台風が近づいているのもあるのだろう、こういう天気だ。

 日曜日の札幌競馬場。注目のレースが2つあった。1つは、1800m新馬戦。レイエンダ(スペイン語の伝説の意味。だから本当は、Leyenda なのだからレジェンダになるはずだが、全兄がレイデオロなので、レイと読ませたかったのだと思う)。今年のダービー馬レイデオロの全弟。7頭立て大外7枠に入った。1000m、1分3秒のスローペースの最後方を進んだ。4コーナー手前あと400mで動き出したレイエンダ。ルメールは持ったままで、大外を廻って直線で、ちょっとゴーサインを出すと加速して一気に先頭に躍り出て、鞭を入れることなく1馬身1/4差をつけて快勝した。騎乗したルメールは、レイデオロの主戦騎手。絶賛の言葉が並び、来年のクラシックのチャンピオンになるだろうとまで言い切ったのには、驚いた。スローペースを最後方から刺しきるというのは相当凄いが、それを新馬戦で出来るのは相当の器を感じる。

 もう1つは、GⅢクイーン・ステークス。1番人気が牝馬古馬の今年のマイルチャンピオンで、ヴィクトリア・マイルの優勝馬、アドマイヤリード。2番人気が3歳馬のマイル・チャンピオンで、NHKマイルの覇者、アロエリット。アロエリットは、プラス18キロの馬体重で出走。1800mの経験もあり、古馬である事から、アドマイヤリードの方が有利に思われた。しかしレースは、アロエリットがスタートを決めるとそのままハナに立ち、向正面では10馬身くらいのリードを取る。1000mが、58秒3のハイペース。先頭がくずれやすい展開だ。10馬身あった差は、4コーナーでは2馬身くらいになり、直線でたれると思いきや、追い出しを始めると差を広げ、楽勝の2馬身1/2差で優勝した。主戦横山典弘は、馬の気分を大事に乗って、4コーナーで引き付け、直線最後の追い出しで完勝に秋の大レースの手応えを感じたようだ。調教師で義理の弟でもある菊沢隆徳は、しっかり調教してプラス18キロだったので、心配していなかったという。レースは逃げても良いと騎手に伝えていたという。秋は秋華賞へ進む事が目標だという。ハイペースで逃げて、タイムも1分45秒7というのはかなり良い時計だ。秋は希望に満ちているといって良いだろう。アドマイヤは全く動けず完敗の内容。秋の競馬は、こういう風に前哨戦などで、力関係が判ってくるのが面白いところだ。

 お茶の茶碗には天目茶碗というのがあり、国宝になっている物も多い。京都の本能寺に展示されている信長所有の天目茶碗。丸い斑点がいくつもあり、斑点の周りの色が焼き具合によって綺麗な色になっている。中国や朝鮮では直ぐにすたれたらしいが、日本人の美意識には、それが美しいと思った。焼き物として失敗作のような偶然の産物である天目模様とその色彩。信長をはじめとする茶人たちには、最高の茶碗と呼ばれていた様だ。元は中国の茶葉の産地だった天目山一帯の寺院に於いて用いられた茶碗をいい、その上手く行かなかった焼き物の天目模様が出来上がった。

 お茶の本を読んでいたら、茶室に飾る花をいれる花入れの事が書いてあった。花入れには3つタイプがある。「  小座敷の花入れは、竹筒、籠、ふくべなど良よし。『南方録』  ーー中略ーー   花入れには、「真・行・草」がある。真・行・草は元々書体を区別する用語で、真は楷書、草は草書、行はその中間の行書のことをいう。 真といわれる花入れは、中国から輸入された胡銅という銅製の器や青磁の器のこと。左右均整で、見るからに襟を正しくしたくなるような美しさを備えている。 行の花入れは国産の焼き物で釉(うわぐすり)をかけたもの。草の花入れは、無釉(むゆう)の焼き物のほかに竹や籠(かご)。冒頭の利休の言葉にある「ふくべ」は、ひょうたんで作った器のことで草に入る。」 ーーサライの「茶の湯」大全よりーー

 冬に、竹筒に、一輪の蝋梅が飾られていたりしたら、それこそ、侘び茶の神髄を観た気がするだろうと思う。利休は草を好んだようだ。確かに竹筒が良いと思う。茶室に飾られる花だけが、その空間の中で、唯一直接的に自然の季節を感じられるものである。それを飾る花は、侘び茶の場合、草というのは、納得できる感情だ。♪春は菜の花、秋には桔梗♪と歌ったのは、中島みゆき。

「花を美しく見せるために無駄な枝や葉を除くことはかまわないが、剣山を使ったり意図的に枝を撓(たわ)めたりはしない。 茶花は、咲き始めや咲いた瞬間を理想とする。蕾ならば、開花を予感させるものがよい。」 ーーサライの「茶の湯」大全よりーー

 春の水仙。別名、雪中花、春玉、金盞銀台(きんさんぎんだい)。花一つとっても、奥深い。元々和歌などでも、日本人は花や自然を詠んでいる馴染みがある。それを、茶室に持ち込む事を考えたというのは、自然な流れだったのだろう。華道とは違う茶花の世界もある。今の時期になると、花屋はお墓参りの花の注文が多くなるのだろう。


 8月4日(金) 曇/雨 10561

 昨日の午後、上野に行った。ボストン美術館展を観ようと思っていったのだが、上野に着いたら、国立博物館へはじめに行きたくなった。というのも、年間パスを持っているのでタダで入れるのだ。出来れば庭を観たいと思って入ったのだが、秋まで閉鎖されていた。しょうがないので本館に入ってみた。結局本館と平成館にある考古室を観て、今やっている特別展の、「タイ ~仏の国の輝き~」のビデオを観てきた。

 今日は起きてから弟が撮っていたNHKの若冲の番組を2つ観た。そうしたら出掛けたくなくなって来た。『ひよっこ』を観て、昼食を取りそれでも、今日も上野に出掛けた。ボストン美術館展は、期間が長いので、昨日行ったときに行きたいと思った、『藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!』を、観に行った。国宝あり、重要文化財あり、そして、芸大生や教授が制作した物があった。

 地下2階の第1展示室には仏像や仏画などがあった。昨日BSでやっていた、五木寛之の『百寺巡礼』で、阿弥陀如来の表情のことやお地蔵さんの立ち姿のことをいっていたが、いわれてみればそうなのだが、そういう感覚を持ち合わせていないので、今までは無関心に近いのだ。小泉八雲が鎌倉で、閻魔大王像を観た後に、鎌倉大仏を観て、書いているのが、

「大仏様の気高くも美しいお顔と半眼の眼差しを仰ぎみていると、青銅のまぶたは子どもの眼差しにも似て、じっとこちらを優しげに視つめておられるように思われる。そして、この大仏様こそ日本人の魂の中にある優しさと安らかさのすべてを象徴しているように感じられる。」 ーー『日本の面影』 小泉八雲著 よりーー

 などと書かれてあると、どうしたってその表情を注目せずにはいられなくなる。確かに、阿弥陀如来の表情は、穏和で優しさが感じられる。永徳や池大雅の絵もあった。3階の第2展示室は明治以降の物があり、高橋由一の『鮭』が飾られている。岸田劉生の『麗子微笑』もあった。でも、可笑しかったのは、仏画の向かいに、マルセル・デュシャンのオブジェがあったこと。この違和感は面白いと思った。岡倉天心が今の東京芸術大学前身の東京美術学校を作った直後に高村光雲が教壇に立っていたようだ。その後、息子の光太郎が学んだ。光太郎の石膏とブロンズが展示されていたが、なかなか良かった。少なくても遺作になった、十和田湖にある「乙女の像」より全然良い。今回は前期なので、後期も観に行こうと思う。

 昨日夜の『新日本風土記』で、阿波踊りをやっていた。阿波踊りは、男踊りと女踊りがある。分かり易いのは女踊り。今の日本人は歩くとき右足を踏み出すと、左手が前に出る。しかし、昔の日本人は、右足と右手が同時に出て、次に左足と左手が出るという具合に歩いていた。何故なら体をひねりながら今のように歩くと着物がずれてくるのである。この歩き方を、ナンバ歩きという。それが、今でも阿波踊りに残っている。多分、昔の日本の踊りの基本的な体の動かし方は、右足と右手が同時に出るナンバ歩きの動作が基になっているのだろうと思う。これは、歌舞伎にもあるというが、大相撲の動きもナンバ歩きと同じで、右足、右手が同時に出ながら相手を押しに行く。これは、浮世絵などをよく観ると、そういう動作で歩いている姿が描写されている。ナンバ走りというのもある。オリンピックの400mリレーの銅メダリスト末續慎吾。馬でもギャロップではなく、そういう走り方があるが、それはまた、いつか書こうと思う。


 8月5日(土) 曇 10868

 先日、京都迎賓館からメールが来て、9月の夜間一般公開の事前予約券が届いた。やっぱり、札幌行きは止めて、京都へ行くことに決めた。NHKのBSでもやった、迎賓館が見れるなら、この機会に見に行った方が良いに決まっている。何処まで公開され、何処まで写真が撮れるのかは判らないが、この目で、匠たちの現代伝統技術を観てみたいのだ。どうせ行くなら、行ったことがない、高雄か、貴船・鞍馬寺に行ってみたい。それと青龍殿も。

 お化け屋敷の原型が、お寺で坊さんが、檀家を集めてやった、地獄絵の絵解きだったという。こんな悪いことすると、閻魔様に舌抜かれるとか、殺生すると、串刺しにされて、手足を切られるとか、説明して、子ども達がそれを観て、恐がり、良い子にしますと思うのだという。それが大道芸になり、地獄絵の絵解きから、お化け屋敷になっていたのだという。はじめの興行が両国の回向院。天保7年という。

 お化けの人形を作る名人がいて、自分でもビックリするくらい怖いお化けが出来るときがあるという。やっぱり、女のお化けの方が怖い。落語だと、お化けと幽霊の違いは、美人がなるのがお化けで、そうじゃない人がなるのが幽霊。名人は、昭和の映画女優などの写真を見て、人形を作っていた。平成生まれの人は、アゴの骨格が小さいので、昭和生まれの人の顔の方が参考になるのだという。そして、人形は完成させないのだという。頭の上とかに色を塗らない処を作っておく。何故、完成させないかはいわなかった。思い出したのは、アメリカで砂絵を描く、インディアンのシャーマンのこと。砂絵は必ず完成させない。何故なら、完成させるとこの町の女がみんな妊娠してしまうからと、いう話だ。それと同じように、完成させるとお化けに魂が入ってしまうからだろうと、想像する。こういう考え方は、正しいと思う。その道を極めようとする人の考え方だと思うのだ。


 8月6日(日) 晴 8661

 広島原爆記念日。NHKでは特集番組が放送されている。広島で被爆したアメリカ兵の話をやっていた。1978年放送の番組だ。「爆撃機ローンサム・レディ号」のことだ。アメリカの元乗務員を訪ねて話を訊いていた。アメリカ政府がまだ、アメリカ兵士が被爆した事実を隠していた時代の話。公式に認めるのは83年だという。船長は科学者だった人で、原爆が人間に与える影響を知っていたようだ。息子を亡くした父親が、戻ってきたら牧場をやる。戻らなかったら、お父さんに牧場をあげるといったそうだ。

 広島で、アメリカ兵を弔った日本人。後年船長を被爆者が広島に呼んで、そういう処などを案内した。去年オバマ大統領が広島を現職のアメリカ大統領として初めて訪問した。演説で、アメリカ兵の被爆者リストを作った人たちに感謝をいっていた。肌の色、国籍が違っても人間として優しさに触れれば、共に戦った相手でさえ、微笑んで握手できる事を、船長の広島訪問で実現した。そこで、攻撃した船長と、攻撃された元日本兵が笑顔の対面。人は憎しみだけでは生きていけない。思い出にして笑ったり、未来に向かって、過去のあやまちも許したり、悲しみなどを共有したり出来るようだ。

 台風が九州南部に上陸したが、小倉では競馬が開催された。


 8月7日(月) 曇のち雨 11220

 ゆっくりした台風は、奄美沖に停滞した後、奄美大島の北を通り、それからゆっくり九州南部を通過し、四国の南をかすめる様に横断し、和歌山に上陸した。速度がゆっくりなので、降水量が多くなっているようだ。土砂崩れや、河川の氾濫が起こるかも知れないようだ。和歌山の辺りは、熊野古道がある処で、山の中の自然がそのまま信仰の対象になったところ。大雨が降りやすい地形。台風は名古屋に向かっているような感じだ。

 ある芸人が、子どもの頃から母親に言われていたことがあり、それが、芸人になってからも自分の支えになったのだという。それは、『あおいくま』。

あせるな。
おこるな。
いばるな。
くさるな。
まけるな。

 1番好きなのは、「あせるな」。母親もその息子も1番上にある「あせるな」が1番好きなのだという。こういう言葉を、子どもの頃から訊かされて育っていたら、少しは人生も変わったのかも知れない。と、思った。


 8月8日(火) 雨のち曇 10736

 台風は北陸へ行き、東北へ向かっている。滋賀などでは川が氾濫しているようだ。ゆっくりの台風は降水量が多く、これから被害が増えるのだろう。台風が過ぎても、蒸し暑い南風が吹いて暑くなるようだ。『ひよっこ』は、父親が見つかって視聴率が上がっている。確かに面白くなってきた。

「たまたま通りのむこうで信号待ちをしている人たちを見るともなしに見ると、ふたりのハンサムな若者が目につく。ふたりとも二十代の後半で、そのなかのひとり、まれに見る美貌で長身、しかもスリムな男のほうでどこかで見た覚えがあった。ハリウッドがスペインでたくさん映画をとりはじめたころだったから、ぼくは映画俳優だろうと片付けようとして……はっと気づいた。
 アメリカの新聞で、彼の写真を見たことがある。そう思ったとたん、理由はわからないながら、名前まで思い出していた-ー-ジョン・フルトン・ショート。フィラデルフィア出身で、闘牛士!僕らは道のまんなかで出会った。
「ジョン・フルトンさんでしょう?」
 彼はその名前で闘牛をしていた。彼がうなずく。ぼくが自己紹介すると、彼はまたうなずく。スペインの大侯爵が、手押車でパンを売る男にうなずく感じで。
「幸運を、闘牛士(マタドール)」
 ぼくはスペイン語で型どおりの挨拶を送り、そのまま通り過ぎた。あとで知った話だが、もうひとりの若者はジェリー・ボイドといい、アメリカから来た作家志望の青年だった。そのボイドがフルトンに話しかけた。
「おいおい!あの男名のったとおりの男なら、同じフィラデルフィアから来てるんだよ。興味を持つかどうか、声をかけようじゃないか」
 ジョン・フルトンは闘牛士の作法どおり、本のことなどまったく知らない。ちょうど、ひどくつきに見放されていたときで、別にフィラデルフィアから来た男に会いたいとも思わなかった。しかし、ボイドにうながされるままに後戻りして、ぼくはのんびり歩いていたから、闘牛場の近くで追いつく。
「おたく、フィラデルフィアから?」
 フルトンはたずね、ぼくがそうだと答えると名刺をくれた。

若牛闘牛士 ジョン・フルトン
エルナンド・コロン30 セビージャ スペイン  」 ーー『アンダルシア物語』(イベリアの翻訳本)福武文庫 ジェイムズ・A ミッチナー著よりーー

 ジョン・フルトンは、のちに、下山さんのアポデラードになった人だ。英語圏のスペイン旅行のバイブルといわれる『イベリア』というミッチナーの本には、こういう風に登場する。


 8月9日(水) 晴一時雨 12214

 日曜日は、土用の丑の日で、月曜日が立秋。昨日は満月で、雲から出たり隠れたりしていた。今日は十六夜。朝から猛烈な暑さになっていて、都心で12時前に36.4度を記録した。海水浴場やプールがにぎわったようだ。かき氷が売れたようだ。その後、37.1度まで都心は気温が上がったが、雨が降り気温が下がった。そして、長崎原爆の日。

 高校野球で、岩手代表の盛岡大付属が、春夏連覇を目指す作新学院に、4-1で勝った。今年の春の選抜でも、春連覇を目指す智弁学園を破り、連覇の夢を砕いてベスト8。思えば、菊池や大谷がいた、花巻東が準優勝して以降、岩手県勢は強豪校と当たっても、ひるまなくなった様な気がする。

 THさんが、スペイン語のウェッブサイトのページを紹介して来て、それを見たら、牛の写真が載っていて、何処の牧場の牛なのかを当てるクイズのようになっていた。ただでさえそういうのって判りづらいのに、アイホンの画面じゃ小さくて余計判らない。THさんは、去年ヘレスで闘牛を観ているときに、今日の牛です。と、いってスマホの画面を見せて、どれが良いですか?と、いたことがある。普通女子の場合、闘牛士がハンサムとか、格好いいとかいうのが、定番なのにそういうことをいわないで、牛がどうのという話をするところが、色んな処とから闘牛を見ているんだと驚いた。昨日は、そんなクイズを送ってきて、自分の正解率が何%かも書いていた。闘牛観に行かなくても、そういう風に闘牛を楽しんでいるのかと、思って相変わらずのテンションで闘牛を感じ、凄いもんだと思った。


 8月10日(木) 曇 8024

 昨日の猛暑から一転、涼しい日だった。昨日、雨が降ってから以降気温が上がらない様な感じになった。明日は、雨のようだ。

 百物語というのがあり、夏の夜などに、怖い話や、怪談などの話を百話して、キモ試しとかして昔楽しんだりしたそうだ。NHKBSでは、今昔物語から落語、講談、能、歌舞伎、都市伝説などまで合わせて、やっていた。貴船神社、一条戻り橋、伏見稲荷大社、六道珍皇寺などから中継などして、国際日本文化センター所長の小松和彦、『陰陽師』を書いた夢枕獏が解説をしていた。語りは、麿赤児や俳優、講談師、落語家がやっていた。こういうのの語りだと、麿赤児が異彩を放っていた。大駱駝艦の面々が化粧したりして幽霊になっていた。この時期の京都は、旧暦の七夕と六道まいりとがかさなっていて、なるほど良い時期を選んで番組を作ったもんだと思った。


 8月11日(金) 曇/雨 8460

 今日は涼しい。天気予報では、この状態が10日ほど続くのだという。涼しいのは良いけど、自給率が落ちている状態で、農作物はちゃんと育つのだろうかと心配してしまう。

 時々俺何やってるんだ!と、思うことが良くある。イバン・ファンディニョが死んだが、良いところを観た記憶がなかった。処がある切欠で、20013年のサン・イシドロで、コヒーダされて耳1枚切った闘牛を観ているんだということを、自分の観戦記に書いているの読んでビックリした。でもそんなに熱が入っていないで、冷めた感じで書いていた。何なんだろうなと思ってしまう。あの時確か下山さんに、イバン・ファンディニョが良いと前年訊いていた。それで、観たはずだ。多分、目がくもっていたのだと思う。だって、その時のネット動画を観ると感動的だからだ。俺、何やってるんだ!と、思ってしまうゆえんだ。観戦記っていうのは、データでもあるので、去年今年の観戦記を少しずつアップしていかないと思った。

 NHKの『くろげん+夏休み課外授業 親子でまなぼう!“戦争とテロ”』で、シリア、ダマスカスに住む15歳の少女が、楽しいのは歌を歌っているときという。何か歌ってくださいというと、綺麗な声で、『翼を下さい』を日本語で歌った。貧しい人たちの為に、治療を受けられない人たちの為に、医者になりたい。と、いっていた。内戦で、生きていく事が大変な時に、明日への希望をもって生きている姿は、健気で正しく美しい。何故、人間は、子どもの頃のこういう気持ちを持続できないのだろう?


 8月12日(土) 曇/雨 12739

 雨が降ったりやんだりの天気で涼しい。約1年ぶりに復帰した三浦皇成騎手が、2勝した。1年前の札幌で、落馬により腰骨を骨折。一時、下半身の感覚がなくなっていたという。もう騎手が出来ないんじゃないかという不安。苦しいリハビリを続けようやく復帰しての勝利だった。拍手を送りたい。5鞍乗って、2勝3着1回は、立派な成績だ。献身的にリハビリを支えたというわれるタレントほしのあきが妻。競馬面だけじゃなく、芸能面でもニュースで流れているようだ。性格が明るいと、嫌なことも気にせずに、頑張る方に気持ちが向かっていくのだろう。おめでとう、皇成。秋はGⅠレースに乗れるよう願っている。それが、来年に繋がっていく。

 大リーグのマリーンズを買収合意したといわれるグループに元ヤンキースのデレク・ジーターがいる。彼は現役時代の後悔として、日記をつかなかった事だという。最後の1年だけ日記をつけていてそう思ったのだという。多くの人との出会いや出来事を、忘れてしまったという。だから、日記を書いていれば良かったと。なお、マーリンズは、現在イチローが在籍しているチームだ。


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