断腸亭日常日記 2017年 6月

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
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 6月28日(水) 雨/曇 13641

 雨が降ったり、やんだりが続いている。雨が降っていたり、雨上がりの葉っぱは、光っていて綺麗だ。お寺の庭を観に行くとより綺麗に見えるのが雨上がりだ。

「藤井の成長を支えたのが母親の裕子さん(47)だ。29連勝の新記録に「このような記録を達成することができ、本当に素晴らしいと思います。一局一局を大切に、これからも“強くなる”という目標に向かって進んでいってほしいです」とコメントした。裕子さんは勝敗を気に掛けながらも「落ち着いて目の前の対局に取り組めるよう、普段は勝ち負けの話はせず、集中している時は邪魔しない」というスタンスを貫いてきた。

 子供の才能を伸ばすために、どう関わるべきなのかは、世の親たちにとって永遠のテーマだ。裕子さんの「前に出過ぎない姿」に注目するのは評論家の芹沢俊介さん。「息子のあるがままを肯定的に捉えてきたように感じる。そのことが藤井さんの安定感を培い、対局での粘り強さにつながっているのでは」と分析した。

 「過去40年で天才を3人挙げるなら、谷川、羽生、藤井」と断言するのは、小学校低学年から藤井を見守ってきた将棋ライターの鈴木宏彦さん。「将棋の場合、才能が遺伝するケースは少ない」といい、「谷川、羽生、藤井に共通するのは、親が将棋をしなかったこと。将棋ができる親が子供に練習を強制し、やる気を失わせる例も多い。3人とも出過ぎない親だったのがよかった」と話した。」 ーースポーツニッポンよりーー

 親が子のやることを見守るのは、大変だと思う。それでも、好きなことを好きなだけやらせれば、藤井四段の様な子供に成長する。これから思春期。色々な事があると思うが、成長を見守り、必要なときに必要なアドバイスが出来れば、子供はより成長するのだろうと思う。THさんの親子関係を観ていると、そんな気がする。彼女の親は凄いんだろうなぁと思っていたが、実際会って話を訊くとやっぱりなぁと思うことが多かった。家庭環境というか教育環境が素晴らしいと思う。恵まれた環境で、ノビノビやりたいことをやっている。うらやましさを感じる。人のことをそう思って仕方がないが、自分がやってきたことを続けていくしかない。自分が出来ることをやる。そういう気持ちが、藤井四段の新記録に思う事だ。14歳に、気持ちの上では負けないようにやっていかなければと思う。


 6月29日(木) 雨/曇 15396

 夏も近づく 八十八夜 

 街には、竹が飾られ短冊に願い事が書かれている。プリ尻になりたい、という自分の願いを書いたものや、娘が希望の学校に入れるようにという、母親の願い。家族が仲良く健康で暮らせるようにという、家族の事が書かれているものもある。こういうのも、時代によって内容が変わってきているのだろう。

 スペインから戻って、今のところ時差ボケをあまり感じないでいる。去年は、昼間に眠くなったりして、1週間以上時差ボケで大変だったが、日本からスペインに行ったときのように楽だった。イバン・ファンディニョが死んだ日の闘牛中継で、急遽追悼番組を放送した。イバン・ファンディニョのドキュメンタリーを作ったディレクター?、フェルナンド・フェルナンデス・ロマン、フランシスコ・エスプラが出演した。エスプラは、イバン・ファンディニョの死を惜しんだ。そして、今まで闘牛士が死ななかった方が奇跡に近いといったという。ジィージョの死から去年のビクトル・バリオまで30年。その間には、ピカドールやバンデリジェーロが何人も死んだ。30年の間に、闘牛士が死ななかったことが奇跡だとエスプラがいっていたという。下山さんから訊いた。

 昨日西武ライオンズの森コーチが多臓器不全の為に急死した。監督は会見で涙を流し、教えを受けていた選手は悔しがり、もとチームメイトのロッテの伊東監督、解説の金村もショックを受けていた。現役時代150キロの速球を投げリリーフで活躍。42歳という若さで急死した。球界全体で考えなければならい健康管理の問題のようだ。七夕の短冊に何を書くかは人それぞれ。その時の心情が反映されることもあれば、今まで気持ちを書く人もいる。政治のニュースは、うんざりするものばかりだから、海老蔵の嫁さんがガンで死亡した時の最後の言葉が、愛していると、言ったという心温まる愛の話や、藤井四段の連勝記録のような明るい話題に、人々は飛びつくのだと思う。


 6月30日(金) 雨のち曇 10746

 今日は、夏越の大祓。1年の半分が過ぎ、夏を無事過ごせますよう半年間の罪や穢れを祓う神事が、京都のお寺などで行われる。和菓子、水無月を食べるのがならい。食欲がなくなる夏になるとそばやそうめんなど食べる。スペインならガスパチョ。

 『ガッテン』は、納豆。海外では、納豆の糸が嫌われて、水で洗って食べるのだという。信じられない事だけど…。パックの納豆には、薄いビニールがあり、これを取るとき糸が邪魔になる。ガッテン風取り除き方は、四隅の1カ所にビニールの端を持っていき、少し出してフタを閉じる。それを何度かひねってから、二辺に沿って引っ張ると、糸が引かずに取り除ける。

 美味しい食べ方、その1は。納豆に酢を小さじ1/2入れると糸の切れが良くなる。味も美味しくなり、メレンゲのようにクリーミーになる。これは是非試してみたい!その流れで、兄弟で納豆屋をやっている人のこれが美味しい納豆というのは、ヨーグルトを入れるというもの。納豆菌と乳酸菌を同時に取れるという物。これも是非やってみたい!これは味のバランスから言うと、黄金値に近いようだ。科学的なデータを取って数値化すると判るようだ。

 日本以外で納豆を食べているところでは、せんべいみたいにして食べたりするところがあるようだが、調味料として使っているところがあるようだ。それにならって、ガッテン風のうまみ調味料の作り方。材料は、豚挽肉120g、納豆25g、砂糖大さじ1杯、酒大さじ1杯、味噌大さじ1杯、トウバンジャン小さじ1と1/2。納豆以外をフライパンで強火で1分炒め、弱火で3分。熱いうちにかき混ぜた納豆を入れかき混ぜ、あら熱を取って冷蔵庫で20時間。名付けて、納豆ジャン。これ作ってみた。冷蔵庫に入れている。

 他には、もずく酢に納豆を入れる。山形では、うどんのつゆの代わりにサバ缶と納豆で食べるというものだった。これも美味かった。途中から水分が少なくなるのが難点だが…。


 7月1日(土) 雨のち曇 10519

 朝BSの海外ニュースでフランスのテレビ局が、シモーヌ・ヴェイユが30日死亡したと興奮気味に話していた。戦時中、ナチの強制収容所で、家族を殺され、戦後弁護士になり、それから政治家に転身。女性たちの避妊や中絶の権利を勝ち取るために、妨害工作も諸ともせずに、強制収容所にいたので怖くないと、毅然とした態度で、立法に尽力した。その後、直接選挙となって初めて招集された欧州会議において議長に選出される。

 京都・二寧坂に、畳に座れるコーヒー店が出来た。スターバックコーヒー二寧坂店。ここは景観を守るため行列を作ることが禁止されている。待機場所まで作ってオープンした。築100年を超える日本家屋に、京都人も納得する店舗を作り激戦区の京都に新風を吹き込もうとしているのだという。京都の1人当たりのコーヒー消費量は、全国1位。何処へ行っても喫茶店があるのが京都。タバコが吸えない珈琲店が、畳でコーヒーという店を出す。何処まで出来るのか、興味深い。


 7月2日(日) 曇 10611

 曇っているのに蒸し暑い。天気予報では、熱中症への注意を呼びかけている。昨日の夜に北海道と熊本で、震度5の地震があった。北と南でほぼ同時に大きな地震があると、気味が悪い。北海道は、馬産地に地震があって嫌な気分だ。

 都議選の最終日に安部首相が秋葉原で、街頭演説をして、「安部辞めろ」コールが沸き起こり、森友学園の籠池泰典前理事長が現れ、100万円を持って「直接渡したい」といい、首相に向け「ウソつくな」「もらったものはもらったと言え」などとヤジを言い警官に離れた場所に連行されたという。もうなりふりかまわないの状態で、必死だ。こういう風にさせた要因も首相にあるのだろうと思う。加計学園の問題もあり、候補者は、首相に応援演説に来て欲しくなかった様だ。どうなるんだろう都議選。この結果次第では、安部政権は倒れてもおかしくないだろう。夜に大勢が判るという。その前に藤井四段が30連勝なるかどうかも判る。


 7月3日(月) 曇 15946

 曇なのに、33度あり蒸し暑い。昨日の都議選で、小池知事が率いる都民ファーストが大勝し、自民党は歴史的大惨敗した。これで都政は、小池知事が、議会を安定的に運営できる方向になった。一方、安部自民党。森友、加計問題などが起きたときに、「印象操作」「レッテル貼り」「何の問題もない」と、言ってちゃんとした説明もせず、何とか逃げようと振る舞っていた。

 強行採決を多用。そして、都議選中にも、「豊田真由子衆院議員の暴言・暴行」「稲田防衛相の防衛省、自衛隊としてもお願いしたいという発言」「下村元文科相の加計学園献金疑惑」。敗因を首相補佐官は、「自民党の自滅。おごりや危機管理に問題があった」といい、自民党中堅議員は、「加計問題などによる一時の突風ではなく、安部政権の強引な手法という根源的な問題によるのではないか」と語ったという。

 朝の首相は会見で、「大変厳しい都民の審判が下された。自民党に対する厳しい叱咤(しった)と深刻に受け止め、深く反省しなければならない」「政権が発足して既に5年近くが経過する中で、安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったんだろうと思う」「真摯(しんし)に受け止めなければならない」「国政には一時の停滞も許されない。反省すべき点は反省しながら、謙虚に丁寧に、しかしやるべきことはしっかりと前に進めていかなければいけない」と語った。

 言葉というものは、その時の心情を反映している。自身の強引な手法やおごりについては、認識していないようだ。そこに問題があると都民は審判を下したのだと思う。都民は怒っている。秋葉原で浴びたヤジがどういう意味だったのか、感じることが出来ていなのだろう。人はそう簡単には変わらない。しかし、おごる平家は久しからず。

 一つのおごりのないのは、藤井四段。連勝が止まり、「完敗」を認めた。MEGUさんは、良かった。14歳の子には受け止めれないようなプレッシャーから解放さてと、いっていた。藤井フィーバーは一旦終わる。これから、今まで以上の強者が対戦相手の将棋が続く。連勝のプレッシャーから解放され、自分将棋を作っていって欲しい。これから将棋での自分探しの旅が始まる。初戦対戦した加藤一二三は、過去20連敗位したことが3度あるといっていた。その時もいつもと変わることなく、淡々と将棋をうっていたといっていた。そういう日も来るかも知れないが、腐ることなく、将棋と向き合っていって欲しい。おごりのない、澄んだ目の少年。その純粋さに乾杯。


 7月4日(火) 曇/雨 13771

 曇でそんなに気温が高くない。でも、これから台風が来る。その前にと思い散歩に出掛けた。近くの神社に行ったら、まだ夏越の大祓の輪があった。それで遅くなったが、それをくぐることにした。笑っている印象が強い、小池百合子。一方、怒っている様な顔をしている印象が強い蓮舫。いまでも何故か、オールナンターズの印象が残っている。あの頃の方が、笑っていたよな。笑顔があるかないかで、選挙の票も、全然違う結果になってくる。アメリカ大統領選挙の時も思った。ヒラリーもっと笑えよって。笑わないからトランプが勝ったのかとさえ、思ったくらいだ。

 「1966年6月29日。ビートルズ公演前夜。ビートルズの警備に当たる人たちの600個の弁当を作っている休憩中の会話。

シェフ なぁ宗男。 宗男 はい。何ですか、シェフさん。どうしました? シェフ 宗男。お前戦争中何処にいた。 宗男 あっ。(ため息)はー。はい、陸軍でビルマにいました。 シェフ お前茨城だろう。ビルマってまさか。インパール作戦って事か? 宗男 はい。生き残りです。仲間はほとんど戦死しました。 福田(中華屋の店主) インパールって。 シェフ だったらお前。 宗男 はい。 シェフ ひどい戦いを。した相手だろう。イギリスは。 宗男 はい。(笑う)ただただ山の中、飲まず食わずで歩くだけでよ。歩けなくなったやつは置いてかれて。置いてかれるのが怖くて、ただただ歩いて。時々空の上から、偵察機に見っけられ、雨みたいに爆弾降ってきて、逃げて隠れて。それがいっちまったら歩いて。俺は、死ぬんだなぁって、毎日思ってた。毎日仲間が死んで行くからね。うん、なんちゅか、死ぬまで生きてるんだな俺はって思ってた。うん。 シェフ 話したくなかったら良いんだぞ。 宗男 大丈夫です。ありがとうございます。悲しい話で終わんねがらよ。心配すんな。 鈴子 宗男はこうして生きてるのね、今。 宗男 はい。ある晩によ。斥候(せっこう)ってつってな。偵察みてなもんだな。斥候に行かされてよ。その夜は、月がくもってて、おまけにジャングルの中だからよ、真っ暗でよ。何も見えねんだ。で、いきなり出くわした。イギリス兵にね。気が付いたら直ぐ目の前にいた。俺も驚いたけど、向こうも驚いた顔してた。お互い銃を構えてさ、動けなくて。俺も怖くて震えてたけど、向こうも同じだったんだと思う。だんだん暗闇に目が慣れてきて、相手の顔が見えた。靴墨で黒く塗ってあったけどよ。俺と同じ年頃の男だった。今のみね子くらいかな。遠くから声が聞こえたんだ。向こうの仲間だ。そしたらよ、目の前のやつが、仲間に何か言ったんだ。なんつったのかわかんね。なんつったのかわかねから、余計怖くてよ。そしたら、そしたらな。そいつ俺観てニッコリ笑ったんだよ。笑ったの。で、そのまま仲間の方へ走ってった。俺はそのままボーとしてて。いつまでも、ボーとしててよ。何で笑ったんだかなって、分かんなくて、分かんなくてさ。うでも、俺はあいつのお陰で死なずにすんだんだ。 久坂早苗 だから、あれ。(イギリスの国旗を観る) 宗男 俺な、悔しかったんだよ。俺は笑うこと出来なかったからなぁ。だからよ、何かあっても拾った命だから、笑って生きようって決めたんだ。悔しかったねぇー。 シェフ そうか。 宗男 んで、ビートルズだよ。ちきしょう、ちきしょう、またイギリスかよって思ったけどよ。何か俺は嬉しかったんだ。勿論よ、ビートルズとその時のあいつは、関係ないと思うけどよ。ふっ。確かに俺は、あいつのお陰で生きてるのかも知れないけど、あいつだって、俺のお陰で生きているって考え方もあっぺ。 シェフ そうだな。 宗男 だろ。だからよ、俺の中でビートルズとあいつがごちゃになってしまった。(笑う)だからよ、なんか言いてんだ、ビートルズによ。「俺は生きてっぞ~」ってな。「俺は笑って生きてっぞ。おめえも生きってか~。笑って生きてっか~ってな」。言いてんだ。叫びてーんだ。と、言うわけでした。やあー、しんみりさせたなぁ。元治。つまんねぇギャグ言え。」 ーーNHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』第80話よりーー

 久々に安田さんへ電話した。昼だったので料理中。火を止めて話。斎藤さん闘牛の会へ戻ってこないのといわれた。戻りませんとハッキリ言った。みんな、斎藤さんちゃんとやってたって言っているよ。自分の会、やってるんでしょう。応援してるから、と。ありがたい言葉だと思った。お言葉に甘えてお願い事をした。快諾だった。また、女の人に助けてもらう。これでみんなにメールが打てる。明日、日帰りで盛岡へ帰る。


 7月5日(水) 曇 10622

 台風が去って、涼しい朝の東京を後に、日帰りで盛岡へ帰る。新幹線を降りた頃は、雨が降っていたが、昼食後は上がっていた。弟と会って話をした。色々なことがある。用事を済ませ、来月の1周忌の事もある。どうするのか、親戚などをも話さなければ日にちも決められない。それから、母親に会いに行く。寝ていた。髪の毛は、頭の上の方が白く、側面や後ろは黒っぽい色になっていた。

 福岡に続き大分県にも、大雨による甚大な被害が差し迫っているとして、特別警報が出た。6時間で500ミリ以上の降水量を記録している所があるという。河川が氾濫している所もあるようだ。何十年に1度という大雨が降って、経験したことがないような甚大な被害が予想される様だ。まだ数時間強い雨が続く予報で、日が変わる明日も、雨が降り続く様だ。NHKの7時のニュースでは、ただちに命を守る行動を取って下さいと呼びかけている。とんでもないことになるかも知れない。


 7月6日(木) 曇 8363

 朝のニュースの時点で、福岡・大分と、佐賀・長崎・熊本も危ない状況になっているようだ。つまり九州北部はこの雨で、想像を絶する被害が出そうだ。消防だけでなく、自衛隊も救助に入っているようだ。河川の氾濫などで、孤立している所が沢山あるようで、朝の時点で6000人救助が必要なようで、ヘリコプター60機で対応するようだが、全容は把握できていない模様だ。

 ツイッターなどで救助も求めるツイートが多数寄せられている様だ。朝になり、これから被害状況が続々と判るって来るだろう。おそらく、九州だけでなく、全国の自衛隊が救助に向かわざるを得ない状況になるだろうと思う。


 7月7日(金) 晴 14661

 今日は七夕。そして、満月に見えるが十三夜。九州では、被害状況が段々明らかになって、濁流が流れた後に瓦礫が残されている所ばかりだ。まだ、雨が降り続いていて、これから新たな被害が出るかも知れない。

 マドリードの最後に三木田さんと会ってapartado の話したときに、いわれたのは、それは競馬から来ているんですねきっとと。確かにそういわれると、昔競馬に行くと、1レースから12レースまでパドックに張り付いて馬を観ていた時期がある。中央競馬は、未勝利、500万、1000万、1500万、オープンと条件がある。オープンには、オープン、重賞とある。重賞は、GⅢ、GⅡ、GⅠと3つのグレードがあり、1番上がGⅠである。勿論、短距離、中距離、長距離と大きく分けて3つの距離体系がある。

 短距離が得意な馬と、長距離が得意な馬の体型は違う。条件によって馬が違う。そういうのものを頭に入れて、馬を観る。そういうものを比較すると、apartado の牛の見方は、簡単だ。何処を観ればいいかというのは、今のところ判っているのは4つである。腰の部分が太くガッチリしている。後ろ脚がしっかりしている。後ろ脚とその前の腹を繋ぐ部分に三角形の凹みがない。腰から前の部分のバランスが良い。この4つを観ていると良い牛かどうかが見えてくる。と、いうことだ。

 もう一つ、セビージャで下山さんと上記の話をして、具体的に牧場の名前をあげて説明していたとき、ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛は全部駄目だと思った話をした。その時、下山さんは、そういえばといって話してくれたのは、ファン・ペドロ・ドメク牧場では、牧童が馬に乗って牛を追う所を観たことがないといっていた。他の牧場では、そういう風景をよく観たという。血統だけで、牛を闘牛場へ出して、ラス・ベンタス闘牛場では、通用しないということの様だ。地方のアレナの小さい闘牛場なら通用しても、アレナの広いラス・ベンタス闘牛場やセビージャのレアル・マエストランサ闘牛場では駄目だということが、理解出来る様だ。

 競走馬は、調教で馬を走らせて体を作ってレースに挑む。馬のトモ(後ろ脚)の前にある腹の部分は、たるんでいないし、三角形の凹みはない。血統だけでなく、闘牛の牛も、牧童に追われてある程度走る事を重ねる必要があるのかも知れないと思った。広いアレナの闘牛場では。


 7月8日(土) 晴 18955

 暑い中、散歩に出掛ける。うっすらと汗が流れる。今日は34度弱あった。明日は35度の予報。洗濯などする。今日は競馬もせずにビデオなどを観ていた。今夜NHKで藤井四段のドキュメントを放送する。是非観ようと思う。

 「十六夜の鴨川の河原(荒神橋付近)
 男 月見酒ですか? 女 気持ちの良い宵だから、お月さんが綺麗やろ思って。 男 今日は十六夜やから、一時間もしたら大文字山の上に出ます。 女 一時間もあるんですか?昨日の中秋の名月は、今時分のぼったはずやけど。 男 今は一日ごとに40分、月の出が遅うなるんです。 女 そんなに。 男 晴れた日の夕方は、お月さんが出るまでここで笛を吹いてますからよう知ってます。月は時計代わりです。 女 はっ、そやから「いざよい」いうんですね。昨日とおんなじ時刻に月を待ってても、いざよう様になかなか出てきはらへん。 男 いざよう? 女 ためらう様を表す古語です。綺麗な笛。龍笛ですか? 男 はぁ、詳しいですね。 女 古美術を扱う店をしているもんですから、和楽器の事は少しくらいは。 男 これは能管いう笛です。形や大きさも龍笛と同じやけど、ここの所に「のど」という竹の薄い筒が隠してある。この小さい筒があるかないかで、音色が違ってくるんです。 女 どう違うんですか? 男 龍笛は、この世の音。能管は、あの世の音。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 月夜の告白』よりーー


 7月9日(日) 晴 5654

 朝早く目覚め、涼しいうちに散歩に行こうと思いあてもなく歩いた。途中前を歩く犬を連れた婆さんが突然ビックリして左によれていった。何かと思って観たら、10cmくらいのカエルが押しつぶされて死んでいた。婆さんの顔を見たら、しかめっ面でもーといっていた。それを観たらおかしくなって笑った。確かに、いきなりあんなのが目に飛び込んできたらぞっとする。犬が気付いてその次に、婆さんが気付いたのだろう。初めに気付いたのが自分じゃなくて、前を歩いている人で良かったと思った。でも、ざわざわする気分は、なかなか消えないだろうなぁと思った。

 ようやく、撮ってきたビデオを編集し始めた。どれだけの時間あるのか判らない。35日間通って撮り溜めたテープは60分テープ11本。今までの撮り方からすれば少ない。何故なら、ピカの場まで牛を観て撮ったから、良い牛の可能性が高いときだけ、ビデオを回したからだ。DVDの整理もして、ダビングも始めた。今日は満月。晴だから観れると思う。

 「京都人にとって、月は単なる天体の一つではない。様々に満ち欠けしてながら、この町の空をめぐるその姿に、不思議な霊威を抱き続けてきた。いわば、京都人にとって、月は神である。そして、彼らが待ち望む、一年で一番美しい満月の日が、もうすぐやってくる。西洋社会でも、古代ギリシアの時代から月の光が人の心を狂わせると信じられてきた。ラテン語の月を意味する Luna に由来する Lunatic という言葉は、「精神の錯乱した人」という意味がある。京都人もその例外ではないようだ。

 どういう訳か人は、美しい月を見上げるとき、等しくこう思う。あの人も見ているかも知れないと。こればかりは、洋の東西を問わない。人の遺伝子に組み込まれている、ロマンティックな習性だ。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 月夜の告白』よりーー

 朝、昨日の藤井四段のドキュメントを観た。29連勝の後、負けて、その後、勝った。ゲストには、中村名人と師匠の杉本七段。インタビューには、藤井四段の他に羽生三冠と、渡辺竜王。それぞれが、藤井四段の存在が、ショックといえるような衝撃を感じていることが判る。闘牛でいったらまるで、セサル・リンコンやホセ・トマス級のインパクトだ。14歳の中学生に、将棋界は戦々恐々としている。そして、大きな期待を持っている。


 7月10日(月) 晴 13250

 日が出ていないと涼しいが、日が出ると暑い。スペインと違って日陰が涼しいなんて事はない。蒸しているので日陰も暑い。勿論、日向はもっと暑い。それでも、ジョギングしている人がいるのだから、不思議だ。散歩に出掛けるなら、朝が良い。朝出来ないのなら、日が沈んでから。

 ようやく、半分くらいビデオの録画が終わったくらい。時間がかかる。撮ってきたビデオをまた観るというもの、面白い感覚だ。それにしても、今頃気付いたのだが、ビデオカメラ2台をスペインに持っていって、1台だけを使っていた。去年使っていたカメラは今年は使わなかった。そしたら、去年使っていたカメラは、DVテープで録画出来るが、再生も巻き戻しも出来ない状態になっていた。つまりタッチパネルが使用できない状態になった為だ。もう訳が分かんない。だから、今年使ったカメラで再生ダビングをしている。本当なら2台で観てダビングするところを決めて、作業したいと思っていたが、そうはいかなくなった。


 7月11日(火) 晴 9595

 パンプローナのサン・フェルミンが開幕しているが、バンデリジェーロのピリが大怪我をした。知り合いかと心配したが、違った。ピリって名前のバンデリジェーロは3人くらいいる。知り合いは、6月18日ラス・ベンタス闘牛場に出場したピリだ。そうセサルの所に付いていたピリだ。もうセサルが引退して9年。闘牛場で出会った闘牛士もバンデリジェーロたちも大分少なくなった。それでも、挨拶したりした人たちはまだアレナに立っている。

 ビデオを観ていて思った。それにしても、ポンセのプエルタ・グランデは何なんだろう。何故あれがプエルタ・グランデになったのかビデオで観ても判らない。相当怒っていたんだろう、プエルタ・グランデのシーンがビデオに撮られていない。隣の爺さんとこれは耳じゃないとといって、抗議の三拍子の手拍子を打っていたが、自分の声は入っていなかった。興奮していたから、てっきり怒って怒鳴っていた声が入っていると思っていたが危惧に終わった。こんなファエナでラス・ベンタス闘牛場の観客が喜ぶのかと不思議に思った。

 でも、スペイン人のアフィショナードが集まるバルで、コロキオをしたときに、いたんだよなぁポンセファンが。アボナードなのに、ポンセファン。どういう事なんだと思ってしまう。ほとんど闘牛知らないじゃないかとということを、自らいっているような感じだと思った。最初のアポデラードは、セサル・リンコンと同じルイス・アルバレス。91年の4月までも2人とも売れない闘牛士。5月にセサルがラス・ベンタス闘牛場でプエルタ・グランデしてから翌年ポンセがベネフィセンシアでプエルタ・グランデするまでは、ポンセはあまり売れなかったが、それ以降は同等かそれ以上にポンセが売れた。そういう遺産のようなものが、今回の酷いプエルタ・グランデになったんだろう。質が無い、価値が無いプエルタ・グランデだったが、それでも記録に残るのが歴史だ。


 7月12日(水) 晴 13971

 暑い日が続く。そろそろ蝉が出てきたようだ。今日飛んでいるのを観た。暑いに中に、蝉の鳴き声はまだ聞こえない。あの声は、やる気がそがれる。暑いという状態が、耳から入って体全体に定着する様な感じだ。

 藤井四段はまた勝った。14歳最後の将棋だったそうだ。NHKで、AI 人工知能をやっていた。羽生三冠が、人工頭脳と佐藤名人が対戦した電王戦の解説をやっていた。プロの棋士たちでは考えつかないような手をAI は繰り出す。飛車は前後左右進めるので、棋士たちは進行方向をふさぐ手は打ちたくない。それをAI は平気打つ。10手先にはその打ち方が生きてくる。指されてみればなるほどと思うが、それを人が打つのが難しいという。

 AI は、タクシーのカーナビに搭載され、そこにタクシーの客が乗る可能性が高いかを画面表示して教える。行き道も表示される。これを導入したタクシー会社は、売り上げが20%上がったのだという。また、株式を売買する証券会社は、今や売買は、AI が瞬時に判断してAI 自身が売買をし、トレーダーはパソコンの画面を見ているだけだという。今や、実際の株などの経済を動かしていて、いかに、AI をプログラムするかが、その証券会社の運用実績に直結するのだという。

 佐藤名人と対戦した、AI は自分で自分と対戦を何万回とやってきているという。その教師データというのは、過去プロ棋士たちの対戦データ。5万局とも10万局ともいわれるデータだという。AI に棋士は勝てないだろうと思う。それは冷静に考えて無理なことだ。しかし、将棋は人対人でやるもの。体力も必要なら、ミスもある。一局の対局で、約2キロ体重が減るという将棋。人がやるから面白いのだと思う。あるエピソードで、おやつの時間に、羽生がアイスクリームを頼んだ。対戦相手は、手をつけずにダンダン溶けて来るアイスクリームを観て、溶けてますよというのをこらえていたという。ついに全部溶けた。羽生は、その溶けたアイスの皿を持ってズズーと飲んだという。その雰囲気にのまれたのか、羽生に負けたのだという。

 将棋では、AI 登場によって、今まで自分の世界だけの将棋から、考えもしなかった指し方の可能性が広がってきているようだ。佐藤名人は、棋譜を観ながら自分が指した将棋に間違いが無いことを確認して、AI に負けましたといった。こういう対戦から公式戦での戦い方も変わってきているようだ。そういう物の象徴に、藤井四段があるようだ。詰め将棋の達人で、AI も研究している。

 AI はこれからドンドン実生活の役に立つ処に活用されて行くのが、流れだろう。スポーツにおいても、トレーニング方法や野球の投球術や、カウントによる打撃チャンスや、守備位置の研究などにもいかされるだろう。サッカーにおいても色々な活用方法があるだろう。しかし、どうだろう?闘牛だけは、闘牛場の中で活躍する部分が無いような気がする。


 7月13日(木) 晴 9058

 「1000万くらいの機械が5,6個ある。それが全部駄目になった。全部揃えようと思うと億の金が必要となる。」朝倉市で、被害にあった和菓子店の社長の話。従業員30人は全員一時解雇。失業手当を受ける苦渋の決断だという。「あと20年若かったら意欲もあるけど。もう息子に渡して楽しようと思ってたくらいだから」

 半崎美子。ショッピングモールの歌姫。あなたに寄り添う歌を歌う。号泣する人たちがいる。コンサートの後のサイン会では観客の色々な話を訊く。泣きながらサインをしている。つらい現実に寄り添う歌にいやされる観客。話を訊きながらその思うに寄り添う。そういうところから自作の歌が出来るのだろう。半崎さんの歌声は、声は良いし、心に響く歌詞。簡単で分かり易い言葉が、歌の中に入りやすいのだろう。宗教的な感じもする。ある音楽評論家は、半崎さんの歌は、ひとりに深く刺さる歌。といったという。


 7月14日(金) 晴 12371

 パンプローナのエンシエロ(牛追い)を観ていて思った。サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェスでも昔からやっているようだが、エンシエロは増えている様だが、これがおそらく昔のやり方。パンプローナは、8時から始まる。ソルテオは10時か11時に行われるのだろう。エンシエロの原型は、確か、牧場から闘牛場への牛の移動。牧童たちが馬に乗って、牛を囲んだりして連れて行った。時々牛が途中で逃げたりしたようだ。

 昔クエジャールのエンシエロを観たときに、丘の上に牛が1頭逃げてそれを追って、馬に乗った人たちが連れ戻しに行っていた事がある。こういうのが、昔良くあった風景だったのだろうと思ったことがある。今みたいにトラックがなかった時代には、馬に乗った牧童たちが、何十キロや、百キロを超える移動の道中だったのだろうと思う。移動は、牛を買う牧場は、牧場から牧場への移動をする。それは何百キロにもなる事があったようだ。

 こういう移動が必要な時代は、牧場で普段からそれに必要な牛の体力がなければ移動は出来ないだろうと思う。ここからは想像だ。体力をつけるために、牧場で牧童が牛を追って走らせたりしていたのではないかと、思ったのだ。そういうことを、日常的なり、定期的になり、体力作りをやって牧場は移動に備えていたのではないかと思う。それが同時に、闘牛場へ出たときに、牛の強さになっていたと、想像するのだ。

 今年ラス・ベンタス闘牛場で、ソルテオを観に行って、腰の太さに注目して牛の良し悪しが見えるようになった。その基本的な考えが、エンシエロを観ていて、牛の闘牛場や牧場への移動に絡む事と関係しているのではと、思いついたのだ。これが正しいかどうかは、スペインの文献を調べれば判るような気がする。あるいは、牧場で話を訊けば分かるのかも知れない。下山さんに訊いても分かるかも知れない。何となく、理屈として筋が1本通った考え方が出来たと思う。


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