--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行の滞在日記です。
7月15日(土) 晴 11137
スーパーには、お盆の飾り物が売られている。東京は今日がお盆。何か違うような気がするが、そういうことらしい。8月15日がお盆と、子供の頃から思っていた地方育ちの者にとっては、違和感を感じる。
ビデオの編集段階になった。ダビングした時間が4時間弱。どう縮めれば良いのだろうと思案中。ちょっと考えないといけない。
「沢藤三八子 秋のあんこは、小豆の甘みが自然に出て、美味しおすわ。 石原茂(和菓子職人頭) 一年中ずーと名前を変えて、店並べるもんやさかいに、難しおすわ。塩けを変えたり、粒の大きさ変えたり。 三八子 春は牡丹餅(ぼたもち)、夏は夜船(よふね)。 茂 秋の御萩(おはぎ)、冬は北窓。 三八子 春の牡丹餅は牡丹の花。秋は萩の花に見立てたいうんは、分かりますけど、夏の夜船と冬の北窓いう名前は何でやろ。 茂 若女将が知らんとは珍し。 三八子 ほんまのこというと、同じ御萩で何で名前が違うやろ。同じやん。子供の頃から思てたん。 茂 これどすがな。餅米を蒸して粒が残る程度に丸める。ようは搗(つ)いてませんな。 三八子 そやから? 茂 ペッタン、ペッタン餅搗く音を出さんですむ。そやから隣の人が、いつ搗いたかわからん。くろうて、いつ岸に着いたかわからん夜の船と同じ。 三八子 雅どすなぁ。北窓は? 茂 夜船と同じどすわ。ついたんが分からん。つまり、つき知らず。それをお月さんとかけた。月が見えへんのは? 三八子 北側の窓。 茂 ちゅうことですわ。 三八子 ええ名前。」
「洛志社大学 コッツフィールド教授 言語文化論ゼミ
エミリー・コッツフィールド 京都人の季節感は、全てこの表で説明がつきます。一番日が短いのが12月の冬至。ゆず湯に入って「今年も終わりやなぁ」とほっこり。反対に一番日が長いのは6月の夏至。水無月を食べて「あと半年きばりますわ」。では、昼と夜の長さが同じここは?ミスター・繁野。 繁野 えー、秋分の日ですか? エミリー 御萩(おはぎ)食べて。 繁野 墓参り。 エミリー コレクト。この日は太陽が真東から昇って、真西に沈む。この西の彼方にあると信じられているのが。 繁野 極楽浄土? エミリー さすが京都人。仏教思想すり込まれている。 繁野 ほめてます。それ? エミリー 西方浄土ともいいますね。太陽が極楽にある真西に沈むことから、亡くなった人を、つまり、彼岸にいる人々に思いをはせる。京都人はこういうセンチメンタルな行事が大好き。 繁野 でた、京都人攻撃。 エミリー 暑さ寒さも。 全員 彼岸まで。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 月夜の告白』よりーー
7月16日(日) 晴 15403
三連休の中日。一回忌いつやるかも決めた。
ビデオの編集も、時間の制約がある中で、何を見せるかということになる。何も制約がないとダラダラになってしまうだろう。条件が何もないということは、多分何もない。必ず条件や制約がある中で、やらなければならない。だから工夫がいる。ゆっくり、通しでビデオを観て決めたい。ある程度の絞りはしてあるにせよ、詰めをする時にそれが決断の後押しするだろう。美術館などにも行きたいと思っているが、なかなか時間がない。でも、NHK放送博物館でやっている東日本大震災の展示は是非見たいと思っている。他にも色々あるけど、選んでいきたい。
7月17日(月) 曇時々雨 14314
今日京都は祇園祭のメインの山鉾巡行である。京都の夏を彩る祇園祭。別名、ハモ祭り。何処の料亭でも谷崎潤一郎が好きだったハモが出る。でも、ハモより水茄子が食べたい。東京にも江戸野菜で寺町茄子というのがあって、これが水茄子の様に水分が多い茄子で、熱を加えると甘みが増すという。希少価値の茄子なので、何処で売っているのか知らない。水茄子も漬け物でも美味しい。寺島茄子も漬け物にしたら美味しいだろうと思う。夏の漬け物の代表の茄子。白いご飯で食べたい。そして、今日は雷蔵の命日でもある。死んだとき京都人は、死ぬときまで祇園さんの山鉾巡行に合わせるように逝って、最後まで京都人だったと、いったそうだ。
7月18日(火) 曇/雨 18079
局地的短時間に降る雨が、14時過ぎから降っていた。ゴロゴロが遠くで鳴っていると思っていたら、ダンダン近づいてきて豪雨。こういう雨は、500m付近に出来る雲が原因であることが判ってきた。気象庁は今後、上空500m付近に出来る雨雲の観測できるシステムを準備したいと、九州北部の豪雨被害後に記者会見でいっていた。今まで予想できないような事態が、進行形で起こると、対応を迫られるのだろう。
NHKテキスト『維摩(ゆいま)経』を読み返している。面白いことが色々書いてあったが、図像的な事を1つ書くと、大乗仏教の釈迦三尊像は、真ん中に釈迦如来その両脇に文殊菩薩、普賢菩薩が祀られているものが一般的スタイルだという。この場合中心の釈迦は「悟り」を現し、向かって右にいる文殊は智慧を、普賢は慈悲を表しているという。阿弥陀如来が中心の場合は、勢至(せいし)菩薩が智慧、観音菩薩が慈悲になる。薬師如来が中心の場合は、日光菩薩が智慧を、月光(がっこう)菩薩が慈悲という組み合わせになるのだという。密教でも、大日如来を御本尊として、金剛界曼荼羅が智慧、胎蔵(たいぞう)曼荼羅が慈悲を表現しているのだという。つまり、智慧と慈悲がなければ悟りに至らないという図像的な表現をしているという事のようだ。
「宮川町 芸妓 葉月
花街の女になろうと決めたとき、うちが宮川町にある、この置屋さんの世話になろうと思ったんわ、東の窓からお月さんが綺麗に見えるからや。お隣の祇園町は、近すぎて首が痛とうなるほど見上げんことには、月の出が見えんし、天神さんの近くにある上七軒は、遠すぎる。近からず、遠からず、東山の上にお顔を出さはる秋のお月はんを、花街のいらかごしに眺めることができる。十六夜(いざよい)のお月さんだけは、ほんま、いけず。早よう。・・・何をためろうて、そんなに。
ーー中略ーー 葉月 お母さん行ってきます。 舞妓 行ってきます。 歩きながら舞妓 ほんま。葉月さん姉さんは、お月さんが好きだすなぁ。 葉月 待ってるだけどす。 舞妓 何を? 葉月 月が欠けるんを。 舞妓 うふふ。嫌やわ。 葉月 何が可笑しいんや。 舞妓 普通は、お月さんがまんまるになる満月を、待つもんやおへんの? 葉月 月待ちも、色々あるんえ。 舞妓 欠けるなんて、験(げん)が悪いって、お母さんにいわれますえ。 葉月 しょうもないこといってんと、急ぐえ。 舞妓 待っとくれやす。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 月夜の告白』よりーー
7月19日(水) 晴 12784
昨日の雨で夜は涼しかった。
下山さんに、牧場の話を訊いたら判らないということだった。冬にテンタデロに行くという。そこで訊いてみるといっていた。エンシエロから発想した牛の移動、体力作りが、腰の丈夫さに繋がり、闘牛場で良いファエナが観れる牛になるという流れを考えたが、正しいかどうか不明だ。THさんが連絡をよこして、フランスのカタルーニャ地区の闘牛場で闘牛を観た事を話していた。非常に興味深い話だった。ラス・ベンタス闘牛場のアボナードも40人くらいいたという。観客の質が非常に高いといっていた。チケット代も高い。闘牛士の出場料も高いらしい。上質の観客の前で、闘牛をやるのは、闘牛士にとって心地よい緊張感をもちながら闘牛が出来るということだろうと思う。コルドバの観客とは違うようだ。牛の本を読んでいるようなので、そのうち面白い話が訊けるかも知れない。今、ビデオを編集中。
7月20日(木) 晴 7577
気象庁は、昨日梅雨明け宣言した。蝉も鳴き始めた。ビデオをダビングしようと思ったら、画面のサイズが違っているの出来ないと表示された。なるほど。録画するときにに問題があった。4:3の画面で録画を初め、途中で、16:9の画面に変えたのだ。そうしたらこういう事になったのだ。丁度、DVDがなくなったので、RからRWに変えるか、新しく買ってくるかして2つに分けてダビングすれば問題は解決する。
「二十六夜 古美術 雨月にて
客 うーん。ええ織部や。 店主 おおきに。 客 何ぞ、人麻呂の歌を軸にした物はおへんか? 店主 筆にはこだわりませんか? 客 品のあるもんやったら、名のあるもんでもかましません。 店主が軸を出す。 客 ほう。長月の 有り明けの月の ありつつも 君し来(き)まさば われ恋ひめやも 店主 拾遺和歌集の恋歌です。 客 二十六夜待ちの歌やなぁ。 店主 確かやおへんけど、烏丸光広の筆と、父はいうてました。 客 あんたどう思う? 店主 書風コロコロ変える器用な人やから、何ともいえへんけど、遊郭に遊びに行くためだったら、田んぼの牛にでも乗って行ったいう、遊び好きのお公家さんの洒脱(しゃだつ)さがある。まるで寝ころんだまま書いた様な。光広の筆や思います。 客 なるほど。同類は同類を、知る。やな。 店主 あっは。おそれいります。 客 雨月の三代目を、ちょっとたしなめてくれ、いわはる人がいてなぁ。まー、いっときの気の迷いだろう。はははは。ええ、目利きでした。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 月夜の告白』よりーー
二十六夜の月は、日が変わった1時過ぎに顔を出し、朝方にいなくなるらしい。朝見れるので有明の月と呼ぶらしい。江戸時代は、月待ち信仰のような物があり、月の出を待って拝んでいた。十五夜だけでなく色々あったようだ。二十六夜は、阿弥陀、勢至・観音が現れる信じられ拝んでいたという。恋歌だけじゃないみたいだ。昨日芥川・直木賞が発表された。芥川賞は、『影裏』。盛岡が舞台だという。読んでみたい。直木賞は、『月の満ち欠け』。タイトルが良い。こっちは八戸が舞台らしい。どっちも東北が舞台。なんとなくそうか、そうだろうなと、勝手に思った。
7月21日(金) 晴 19078
今日は西武球場へ行こうと思っていたが、予定を変更して午後医者に行って薬を取ってきた。病院では検査のため採血した。大谷は先発しなかった。この分だと、来年も日本ハムでプレーしている様な感覚だ。9月の札幌行きも止めようかと思っている。帰りに近くの公園へを歩いた。子供たちが網でトンボを捕ったり、小川では海老などを捕っていた。こういう公園もあるんだと思った。ざっと歩いて、木の下を観て歩く。のこのこ(蝉の幼虫)がいなかい観たが、穴が開いているが、その穴にはいなかった。こんな事をしていると、蚊が集まってきて足を結構刺された。嫌になって、公園を出て帰ってきた。
帰りに八百屋と肉屋で買い物をした。今日は茄子とピーマンを炒め豚肉とショウガを入れ物を作って食べよう。その後は、シャワーとビデオをまとめよう。ビデオ会まであと1週間になった。
7月22日(土) 晴 11943
朝、目が覚めたら二日酔いの気配。ゴロゴロして起きたのが7時過ぎ。外は暑くなってきている。それでも水分を取って、散歩に出た。歩いているとそんなに暑く感じないが、直射日光を浴びるとそれは暑い。後半は汗が滲み、髪の毛から汗がしたたるくらいになった。廉価の八百屋に寄ったら開店準備中で、キュウリを頼んで、あとで取りに行くことにした。
人は何のために生きるのか?永遠の命題のような物だ。遺族が、伴侶の死の喪失感で鬱病になることがあるという。こういう人たちのための「遺族の心のケア」が必要になってきている。そこで残された遺族の心のケアをするための、「遺族外来」などで治療にあたっているのだという。家族のために日々の家事など。誰かの為に、何かをする。何気ない日常の何気ない会話。そういうモノがなくなる。生きていたときは、話し相手がいたのに、それがなくなる。生きている意味が感じられない様な、気持ちになって、やる気もなくなる。これは、夫婦だけでなく、お祖父さんお祖母ちゃん、両親や兄弟、子供が死んで、祖いう風になる人が増えているのだという。
それが、死後直ぐにそういう症状が出る人もいれば、5年、7年、長い人だと15年経って症状が出る人がいるのだという。後悔という気持ちが膨らんで来て、あの時、ああすれば良かったとか、こういう言葉を掛ければ良かったという、負の要素が心に引っかかっている状態になる様だ。それで、自分を責めて鬱になる。人は人との関わりの中で生活をし、希望も苦痛も感じながら生きている。夫婦など近い人死んでいなくなることによって、これが全くなくなった時に、症状として気力がなくなり、生きる意味が感じられなくなり、鬱になるのだという。小林麻央は、「なりたい自分になる」と、ブログに書いた。
人は何のために生きるのか?誰のために生きているのか?それはなかなか解らないよなぁ。でも、何かを誰かのためにやっているときは、心地よい。仕事でも、誰かの為になっているんだと思えるときは、そう思う。親父が死んでもうすぐ1年が経つ。そういう兆候は今はない。弟にもそれはない。弟は、母親の面倒も見ているので、そういう事を感じる暇がないのだろう。葬式などでも、涙の一つも見せない、俺と弟を見て、叔父さんが違和感を感じたようで、何か言っていた。俺も弟も何言っているのという感じで聞いていた。伯母ちゃんはそういうことは何も言わなかった。親に世話になって育ったんだから、何も感情がないわけでない。ちょっと黙っていて欲しいと思った。言葉で埋めれる事でない事もあるのだ。そういうのはここには書かないが…。
グラム・パーソンズのことからエミルー・ハリスを思い出し、YouTubeで見ていて、それから同時期に良く聴いていた、クリスタル・ゲイルをYouTubeで見た。『瞳のささやき Don't
it Make My Brown Eyes Blue 』の頃の彼女は、声の張りも素晴らしいし甘い声。そして、美しい。美しい人は、それだけで良いと、風太郎が言っていたがその通りだと思う。20代の頃、ビデオで見て足首ほどまで長く垂れ下がった、髪の毛も凄いなぁと思った。『瞳のささやき』がヒットしていた頃は、まだ、髪の毛は尻の辺りまでしかなかったが、歌や声から言えば、この頃のヒット曲の数々は、どれも素晴らしい。のっているときは、そういう状態になる歌手っているのだ。全てが輝いていた時期だ。しかし、美しさというのは、若さがなくなると変貌する。年を取った彼女は、ゴリゴリの共和党支持者のような白人女性に見える。ちょっとガッカリな年の取りからだなぁと思ってしまった。エミルーの年の取り方の方が、感じが良い。白髪で、相変わらすウエスタンブーツをはいて淡々と歌う。ギターを弾いて、カントリー。エミルーの方が良いなぁと、感じるのは何故だろう?
7月23日(日) 曇 14509
競馬も函館で2歳重賞が始まった。来年のクラシックに向けて、競争が始まっている。
NHKの『奇跡の子どもたちはいま』を観ていたら…。高校を卒業した女の子が、自分の得意な絵で、東日本大震災の事を伝えようとして、『フォックスという名の白鳥』という絵本を書く。直接的な大震災の話でなく、違う形で物語が進んでいく。その発表会の会場の準備の映像が流れ、そこに『あまちゃん』の挿入曲の1曲が流れたら、何かしら涙が溢れてきた。何なんだろう。奇跡の子どもたちとは、中学生が小学生の手を取ったりして引率して、高台に逃げて1人の犠牲者の出さなかった、釜石東中学校と鵜住居小学校生徒たちの行動を「釜石の奇跡」と言った。
その彼らは、釜石で暮らしていたり、釜石から離れている事に後ろめたさを感じていたり、忘れることが出来ない大震災の事に、苦しんだり色々な思いが胸の中に渦巻いている様だ。街の復興が進まない現状も、色々な感情を複雑にしている様だ。長い時間をかけて人の心を幸福にする方法を探し出して行くのだろう。その中から文化というモノが立ち上がって行くのだと思う。僕はそういうモノを、信じたいと思う。
7月24日(月) 晴 10207
同級生の Facebook に、大震災復興の活動をやっている人が、その活動の様子を載せていた。釜石に行くと、いつもお世話になっていると言うことが書かれていた。あいつは大槌町出身で、津波で母親と姉が流された。去年会ったときにそのことを笑いながら言っていた。昔からサッカーの練習の時も、苦しいときでも、苦しそうにしない奴で、笑顔さえ浮かべているの、何でそんな顔が出来るのかと思った事があった。でも、落ち着いて見えても、口には出さなくても、背負っているモノがあるのだ。だから、Facebook
の書き込みを観たときに、グッと来たのだ。わざわざ遠くから支援に来てくれる人を手伝い、笑顔で作業している。あいつらしいと思った。そうやっていることが、あいつの心を保たせているんだろうと思う。母親と姉の供養でもあるだろうし、釜石や大槌の復興への願いなのだろう。寡黙な男の饒舌な背中を観た気がした。今度会ったら、ギター弾いて歌いたいなと思った。2人にならないと、本当の気持ちは言わないだろうし、そういう機会があるかどうかさえ判らないけど…。
朝、大船渡から戻ったと、かもめの玉子を持ってきたNさん。ちょっと甘いですけど食べてくださいと。その後、喫煙所に行って話した。そしたら、もう1人喫煙所いて、レンタカー借りるとき、ネットで喫煙車を探すのが大変だということを言っていた。彼がいうには、車運転するのにタバコ吸わないなんてあり得ないと。だから、旅行行くのに、検索サイト禁煙室の項目ばかりあって、喫煙室の項目がない。喫煙室探すだけで疲れる話をしたら、ホント検索の項目作って欲しいと言っていた。賛成!いまや喫煙者の方が少数派。ホテルによっては、喫煙室の項目があるところがあるが、まだまだ少ない。
彼が出ていって、Nさんが、7年経ったのにまだ、仮設。まだ盛土やっている。と、嘆いていた。大震災の時は、車を運転していて、高台の道路にいて、車が動かなくなって、30分経っても動かないからみんな事故でも起きたのか思って外に出ていたら、津波が来ると叫び声が聞こえて、Uターンしてさらに高いところを目指して移動して道路の1番高いところに30台くらいいた時に津波が来たのだという。周りは家が流されたり。引き波が終わった後も、とても下に降りていける状態じゃなくて、4日間そこで過ごしたという。寒いから車のエンジンをかけてそこに何人も乗って暖を取り、何時間かすると、車を代えて、という具合にして、食べ物は、お菓子などをみんなで分けて食べて、お茶もそうしたらしい。水分がなくなってくると、小便でも飲みたくなるでしょうと、いったら、いやー水分取ってないから出ないですよ。といっていた。過酷な状況だったのだ。
4日目に自衛隊が来て、こっちに道路を作りましたから、ここを通ってくださいと、言われたという。自衛隊って凄いですね。山切り開いて道路作ってって、と言っていた。さらに、1人1人住所を訊いて、避難所を教えてもらって送ってもらったという。Nさんは、家族を捜しに遺体が運ばれてくると、観に行っていた。何百人の遺体を観たという。共通するのは、みんな驚いたような顔して口を開けていたという。いやー信じられないという顔だったといっていた。同級生は震災の時は、盛岡で働いていた。多分、大槌まで行って探したんだろうと思う。同じように、沢山の遺体を観て廻ったんだろうと思う。そういう気持ちや、思いは語らない。今は語れないのかも知れない。ただただ寡黙な東北人だ。Nさんの様に、仕事を求めて地元を離れて、東京で暮らす人。あいつみたいに、父親と勘当状態で大槌に帰らなくても、近くの釜石でコツコツやっている人間もいる。どっちが良いというのではない。あいつを観ていると、文句をいわない、けして諦めない。そして、自分の出来る範囲で、やれることをコツコツやっている姿に、ジーンと来てしまった。あいつの背中が、今まで以上に大きく見えた。
7月25日(火) 曇時々晴 9294
秋田で凄い雨が降ったと思ったら、今度は新潟と北陸が凄い雨だという。秋田では、浸水被害で、田んぼなど農業被害だけで数十億円なるようだ。ただし、まだ被害状況が把握できない所が多いので、どれほどになるのか判らないようだ。今年は、九州北部から始まった水害が多い年になっている。
国会で閉会中審査が行われているが、まともに答えない人たちばかりで、ニュースがあまり、気にならない。嘘をつくのが商売のような国会議員や、何も答えずに栄転する官僚が出ると、そういう目線になってくる。NHKでは、大相撲が終わり、国会中継をやっているが…。
ビデオの編集が終わり、ダビングも終了している。でも、もう一つ、ビデオテープへのダビングもしておきたいのだ。万が一、DVDが再生できないことがあるかもという懸念もあるからだ。大丈夫だと思うけど…。塩麹で漬けた茄子とキュウリを食べているが、ちょっとしょっぱい。だから、何かと合わせて食べている。薄味にした物と合わせると丁度良い味になる。
7月26日(水) 雨 17008
1時間に43ミリから72ミリに局地的な降水量予報が変更になった朝。土砂降りの雨が地面を叩き付けた。その後は、小降りの雨に変わった。気温が下がった気がする。でも、これから蒸してくるのかも知れない。
NHKのEテレでやっていた、「アナザーストーリーズ「1980’s CM黄金時代 3人の天才がいた」が実に面白かった。「 「亭主元気で留守がいい」、「おしりだって、洗ってほしい。」今も記憶に残るフレーズが次々にテレビCMから生まれた1980年代。それはまさにCMの黄金時代。流行語が続出するCMブームを作り上げたのは、同時期に現れた3人の天才。大阪の鬼才は“笑えるCM”の潮流を作り、東京で王道を行く男は“共感”で世界の頂点へ。そしてもう1人の男は不思議なコピーで日本を驚かせた。“今”の源流を作った男たちの物語。」 ーーNHKのHPからーー
3人とは、電通関西支社の堀井博次のグループ。代表CMは、「亭主元気で留守がいい」。東京の仲畑貴志。サントリーの広告の子会社で、開高健や山口瞳にもまれた男。代表CM「おしりだって、洗って欲しい」。そして、糸井重里である。あーと、思ったのは、堀井と仲畑が、戦前の京都出身だったということ。堀井は電通の社員で、制作グループの中心にいた。仲畑と糸井がコピーライターである。
「われわれが計らなければならないのは、まさに、その生そのものの価値である。正しくしかも自然な観点は、たった一つしかない。つまり、その生の中に自らを置き、生を内側から眺め、生そのものが自ら衰えを感じているかいないか、つまり、臆病で弱々しくなり、ひからびてきているかどうかを見極めることである。
しかし、たとえ生を内側から眺めたとしても、いったいどうしたらその生が自分で衰えを感じているかどうかを知ることができるだろうか。わたしは、それを見分ける上でなんら疑問を差しはさむ余地のない決定的な兆候が一つあると思う。すなわち、いかなる過去のいかなる生にも憧れていない生、したがって、自分自身であることを望んだ生は、まじめに考えた場合、いかなる意味でも、自分を衰退しつつある生とは呼びえないということである。」 ーー『大衆の反逆』 オルテガ・イ・ガセット著 よりーー
7月27日(木) 曇 22078
今日は朝の涼しさが気持ちいい。暑い日が続くとこういう、涼が感じられると凄く嬉しい。でも何故か最近部屋に蚊がいるようで、いつの間にか刺されて足がかゆくて掻いている。大谷は復帰後、ようやくホームランを打った。狭い球場での場外ホームランだった。これで、波に乗ってくれれば嬉しいのだが…。こんな感じなら東京ドームへ観に行っても良いなぁと思う。
聖徳太子が編者とされる日本最古の仏典注釈書、『三経義疏』(さんきょうぎしょ)は、『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三つの教典が取り上げられている。『勝鬘経』『維摩経』は、在家仏教者が主役の教典で、『法華経』は、僧俗・貴賤・男女・善悪の差別なく救われる道が説かれているという。つまり、『維摩経』は、日本に仏教伝来初期から読まれてきた、大乗仏教の教典だった様だ。
「洛志社大学 コッツフィールド教授 言語文化論ゼミ
エミリー・コッツフィールド 春は出会いの季節でもあり、また、別れの季節でもあります。ミス寺島。 寺島 はい。 エミリー あなたは4月からの新しい生徒ですね。課題にしていた歌は見つかりましたか? 寺島 はい。たち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来ぬ エミリー グッドチョイス。九世紀の歌人、在原行平の有名な別れの歌ですね。 寺島 はい。八百五十五年の春。行平が因幡守に任ぜられ赴任地に向かう宴の席で詠んだ歌です。 エイミー 意味は。 寺島 これでお別れです。でも因幡の国の山に生える松のように「ここでずっと待っているよ」と、あなたが言うならば、直ぐにでも帰ってきましょう。 エイミー うーん。京都への断ちがたい気持ちを詠んだ、切ない歌ですね。 繁野 先生。 エイミー うーミスター繁野。今年もいたのね。 繁野 あきまへんか。 エイミー 勉強熱心も良いけど、就活もね。 繁野 おおきに。 エイミー で。 繁野 その歌なんですけど。うちのお祖母ちゃんが、よう使うてはりました。 エミリー 使う? 繁野 うちの実家に猫がおって、その猫がなんかいうたら、直ぐ家出するやっかいな猫で、その猫が家出するたんびに、家族総出で近所探すんですけど、これがなかなか見つからない。で、みんな諦めた頃に、お祖母ちゃんが、その歌短冊に書いて、猫が使ってた餌の皿の下に敷いとくんですわ。でも不思議とこれやると、猫が帰ってきおる。今日やっと意味が判りました。 寺島 そんな効き目あるんだ。 繁野 うちの近所のおばちゃんなんて、これで逃げてた文鳥を呼び戻しはったしね。相当御利益あると違う。 それを聞いたエイミーは、部屋に帰り、硯を出して墨を擦り、筆で短冊にこの歌を書き、エドワードの背広のポケットに入れる。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 桜散る』よりーー
夏も一息の感じの涼しさに、蝉までも鳴くのを忘れている様な感じだ。それだけでも暑苦しさを感じないのに、本当に風が心地よい。
7月28日(金) 晴のち曇 13578
昨日までの涼しさから一転、蒸し暑くなった。稲田朋美防衛相辞任し、民進党の蓮舫が代表を辞任した。女たちは去っていき、多分男たちが後任になるのだろう。政権は末期的だ。「ジャーナリストの田原総一朗氏(83)が28日、首相官邸で安倍晋三首相(62)に対し「政治生命をかけた冒険をしないか」と持ちかけたことを明らかにした。面会後に記者団の取材に答えた。
この日、首相と昼食をともにした田原氏は「食べている暇がなかった」というほどしゃべっていたという。記者からは「冒険」について「解散のことか」「進退についてか」などと矢継ぎ早に質問が飛んだが、田原氏は全て否定した。 結局、会話の中身を明かさなかった田原氏は「そのうち分かる。(首相は)やるつもりじゃないか」と意味深長な言葉を残し、官邸を後にした。」 ーー産経新聞よりーー
ビデオテープへのダビングも終了した。後は、明日の会を向かえるだけ。流すファエナは、観てのお楽しみってところ。部屋に蚊がいるのは、扉の外に一杯飛んでいるから開閉時に入ってきているようだ。そして、刺される。足だけでなく、首や顔も刺され、腕は血管の上を刺された。かゆいから掻くのだが、そうすると皮膚が赤くなり隆起する。しばらくすると、何もなかったようになる。
「真名(真名の井の化身) もう迷われませんように。 小料理屋の女将(鉄輪の井の化身) 無言。
場面が変わり父が走ってきて井戸の前で 勇一、勇一。ほっぺたを叩きながら、勇一しっかりせい。 家に戻り床に寝る勇一 土用の丑の日。 父(八神鑿泉(さくせん)工業社長) 土用ちゅうんは、立春、立夏、立秋、立冬、それぞれ季節の変わり目の前の十八日間のことや。書いて字の如く、土用の時期は、土の神さんが動きはる。そやから、その時期に土いじりをすると神さんの怒りをかうちゅう、言い伝えが、ワシらの土木業の世界にはあるんや。ただし、土用になる以前から始めた仕事は、大目に見てくれはる。一番あかんのは。 勇一 あっ。 父 土用の入りに仕事を始めるこっちゃ。 勇一 それを俺やってたて。 父 去年の七月二十日は、土用の入りの日。その日は日曜日やったのに、お前は、翌週から旅行行くゆうて、一人で仕事に行ったやろ。 勇一 あーそやった。 父 それが鉄輪(かなわ)の井や。あそこは、もう枯れて久しい井戸やけど、いわく付きの井戸やさかいなぁ。
一年前の鉄輪の井の前 小料理屋の女将 何してはるの? 勇一 井戸の具合を見てました。 女将 その井戸はもう枯れてますえ。 勇一 手水(ちょうず)の方です。うちが掘った井戸なんで、たまにメンテナンスしてるんです。飲むことは出来ませんけど、手清めることに使えます。 女将 そお。おおきに。うちこの近くで店してるんどすけど、良かったらどうぞ。お礼がしたいし。 勇一 お礼。 女将 ついておいでやす。
真名の井の前 勇一 真名の井ってどういう意味や。 真名 この上なく、神聖な水が湧く井戸のこと。 勇一 あー真名ちゃんが毎日この水で、お茶を入れててくれたから、俺は悪い物から守られてたのかもしれんなぁ。 真名 うちの、たった一つの、心からの願い事やから。 勇一 はっ。 真名 あなたの身に、災いが起こりませんように。 勇一 無言。 真名 覚えてはる。十年近く前、あなたがこの仕事始めたばっかりの頃。この井戸の手入れを熱心にしてくれはった。 勇一 あっ、そやったなぁ。親父の会社に入って初めての仕事やったわ。ははは。 真名 お陰で今でも、井戸が枯れんと、みんながええ水飲めます。 汲んだ水を勇一に渡し、 真名 うち今日で会社辞めましてん。 勇一 えっ、なんでまた。 真名 もう必要ないさかい。と、去っていく。 勇一 真名ちゃん。 社の本殿の前に立った真名 おおきに。 と、言って消える。」 ーー『京都人の密かな愉しみ 夏』よりーー
土用の丑の日は、過ぎたがまだ土用。うなぎが一杯輸入された。鰻屋やスーパーでは、沢山売れたようだ。土用の丑の日と鰻を結びつけたのは、江戸時代、平賀源内。丑の日に「う」の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを薦めた処、大繁盛した。今で言うコピーライターをして、庶民が食べるようになったのが始まりだ。
7月29日(土) 曇/雨 8936
遅めに起きてゆっくりしていた。朝食を取って、テレビを観ていたら、そうめんの店をやっている人が作り方を説明しながら3品作っていた。レシピが800あるという。徳島生まれで、子どもの頃から食べていた、つゆを工夫して、簡単な作り方も言っていた。こういうのはタイムリーだなと思った。この時期に、食べたいのは、うどんではなく、そうめん。めんつゆだけで食べると飽きるので、色々な食べ方をこうやって紹介されるのは嬉しい。
その後、つけっぱなしのテレビは、法然院をやっていた。四季折々の動植物がいる法然院。色々な見所があるんだとビックリした。お寺とか、神社で1番の目的はご神体というのが定番だろうけど、本当に観たいと思うところは実はそこじゃない。普通は入れない本殿の後ろにある森の中を歩きたいといつも思っている。伊勢神宮も、春日大社、出雲大社もそう。そこを歩けたら、多分気持ちが落ち着くだろうと思う。
これから、闘牛ビデオ会。忘れ物がないように準備して向かいたい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。