断腸亭日常日記 2017年 12月 その1

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行高野山・京都旅行滞在日記です。

99年4月15日~5月11日 5月12日~6月4日 6月7日~6月10日 2000年4月20日~4月29日 5月1日~5月14日
5月15日~5月31日 6月1日~6月15日 6月16日~6月29日 2001年4月19日~5月3日 5月4日~5月17日
5月18日~5月31日 6月1日~6月11日 6月12日~6月22日 2002年4月16日~4月30日 5月1日~5月15日
5月16~5月31日 6月1日~6月13日 2003年4月16日~5月24日 5月25日~6月10日 6月12日~6月26日
2004年4月14日~5月7日 5月8日~5月31日 6月1日~6月17日 2005年3月31日~4月24日 4月25日~5月22日
5月23日~6月16日 2006年4月13日~5月6日 5月7日~5月29日 5月30日~6月19日 2007年4月20日~5月19日
5月20日~6月16日 2008年5月13日~6月16日 2009年5月25日~6月6日 6月7日~6月12日 6月13日~6月22日
6月23日~7月3日 7月4日~7月21日 9月24日~10月2日 2010年5月29日~6月7日 6月8日~6月26日
11月14日~11月26日 2011年3月5日~3月17日 7月20日~7月31日 8月1日~8月22日 9月14日~10月3日
 11月21日~11月27日 2012年 4月2日~4月22日 11月1日~11月13日  12月4日~12月11日 2013年 4月18日~5月4日
 5月5日~5月13日  5月14日~5月24日 10月1日~10月29日  11月25日~12月6日  2014年5月31日~6月23日
6月24日~8月19日  8月24日~9月2日 2015年6月17日~9月20日 9月22日~11月19日  11月20日~12月31日
 2016年4月4日~5月2日 5月3日~5月20日  5月23日~6月1日  6月2日~6月20日  9月1日~9月15日
 11月16日~11月30日 2017年 5月8日~5月21日  5月22日~5月31日  6月1日~6月12日  6月13日~6月27日
 6月28日~7月14日  7月15日~7月29日  7月30日~8月12日   8月13日~8月26日  8月27日~9月11日
 9月12日~9月19日  9月20日~10月2日   10月3日~10月14日 10月15日~10月29日  10月30日~11月12日
 11月13日~11月26日  11月27日~12月11日   12月12日~12月24    

 12月25日(月) 晴 7100

 クリスマス。デパ地下は、買い物客でにぎわっていた。ケーキ売り場や、鶏のもも肉の売り場には、行列が出来ている処がある。特にケーキは、女性客が並んでいる。たぶん、昨日の方が列が長かっただろうと思う。高円寺で、何処へ移ったのか、判らなかったラーメン屋の所在が偶然判り、そこでレバニラを食べて新宿へ出かけた。来年の手帳を、買っていなかったので紀伊国屋で買った。高円寺にはないので、しかたない。新宿の街をぶらついて、夕方は、そのラーメン屋で、ラーメンを食べた。ホント久々で、店主が年を取っていた。それでも味はほとんど変わっていなかったし、御愛想をする前後の笑顔は良い顔をしていた。こういう顔を70くらいでも、出来ることが素晴らしいと思った。

 昨日BSプレミアムで、藤井聡太四段のドキュメンタリーをやっていた。デビューから29連勝。史上最速の50勝。記録づくめ中学生。来年は高校に進学することが決まっている。29連勝中のプレッシャーは凄かったようで、自分の将棋が出来ずに、膝を叩いたり、落ち込んだり。連勝ストップ後は、指し手に迷いが出て、自信を失ったりする。師匠は、こういう時、励まさない方が良いと言っていた。勝負の世界に生きているのだから、勝った時も、負けた時も、普段通りに接した方が良いという。

 しかし、森内元名人との公式戦で、勝利したことが自信になって、最速の50勝まで辿り着く。中学生で、プロも勝てない詰将棋の名人で、AI を1年半前から導入して、将棋に磨きをかけてきた。それでも、思春期の中学生。大人でさえ、相当のプレッシャーを感じるだろうに、それをはねのけての記録達成。凄いものだ。それだけではない。今の自分ではタイトルが取れないと、自覚していて、もっと将棋が強くなりたいと言っていた。穏やかな口調で、ちゃんと、自己分析をする。大人でも、そう冷静に出来ない人が多いのに、本当に凄い。そして、勝負師だ。

 ラーメン屋の爺さんも、良い笑顔で仕事をしていた。藤井四段も迷ったりしながら、腕を磨いている。そしておそらく、それぞれが、周りにいる人たちへの感謝の気持ちを忘れずに、励んでいるんだと思う。


 12月26日(火) 晴 15219

 昨日から低気圧の影響で、強風が吹いて、北海道では強風と雪が降っている。各地で被害の報告が上がっている。そんな中で、大谷翔平のお別れ会が札幌ドームで開かれた。

 「米大リーグ・エンゼルス入りが決まった大谷翔平投手(23)が25日、札幌ドームで「サヨナラ会見」を行った。濃紺のジャケットに、青のチェックのシャツ、紫のネクタイ姿でグラウンドに登場した大谷は冒頭「Long time no see,I’m Shohei Ohtani.」といきなり英語であいさつを始めてファンを驚かせた。 同席していた通訳が当然のように「みなさんおひさしぶりです。大谷翔平です。今日は楽しんで下さい」という日本語に訳すと、大谷は「こんばんは。笑ってもらって良かったです」と笑顔を見せると「今日はお別れの場ではなくて、僕から伝えたいのはひとつ。感謝の気持ちを伝えたいと、ここに来ました」とファンに話した。

 常識を覆す二刀流挑戦に関しては「やり遂げたという感情はない。まだまだ道の途中」とメジャーでの継続を誓った。

 メジャー挑戦が決まった大谷は、本拠地札幌ドームのスタンドを開放して、自らの言葉で5年間を過ごした日本ハムのファンへの感謝を伝える機会を持った。会見には栗山監督も同席し、メジャーに挑む“二刀流”を激励した。」 --デイリースポーツより--

 「本拠地マウンドから大谷が投げた最後の一球を受け取った指揮官は、本人から、エンゼルスの背番号「17」のサイン入りユニホームを受け取り「世界一の選手になってこいよ!」と激励。」 --東スポより--

 「栗山監督からは「世界一の選手になると信じています」と直筆メッセージの書かれたピッチャーズプレートが贈られ、米国挑戦を激励された。」 --デイリースポーツより--

 「 「これだけ自分を支えてくれる方がいると実感するだけで、アメリカでもっと強く成長できると思う」と晴れ晴れしい表情で決意を語った。 ルーキー時代からプロ5年間を過ごした日本ハムの本拠地に別れを告げ、本場でも異例の投打の「二刀流」を継続する。「ここで教えられたことを向こうでもやりたい」と力強く話した。
 大谷は2012年の12月25日に入団会見を行っている。5年後のこの日球場は無料開放され、同選手の希望でグラウンドにはステージを設置した。会見に同席した日本ハムの栗山英樹監督は「これから翔平が大活躍してくれることにつながってくれれば良かったということになる」と述べた。 日本ハムではダルビッシュ有が12年1月、レンジャーズに移籍する際に札幌ドームのファンの前で会見した。

日本ハム・栗山英樹監督の話「(大谷との5年間は)心配ばかりだった。能力を持った選手。勝手に成長するので、それを邪魔しないようにやってきた。世界一の選手になる可能性がある。それを信じている」 」 --サンスポより--

 感謝の気持ちを語っているのは、大谷だけじゃない。有馬記念、3コーナーをまわった頃に、今日は絶対泣かないようにしようと思っていた馬主の北島三郎は、涙を流していたという。優勝が決まる前からキタサンブラックへの感謝の気持ちが沸き起こったようだ。騎乗した武豊もこういう馬に巡り合えて光栄と言い、感謝の気持ちを語っている。自分だけが凄いんだと思っていたら、鼻だけが高くなって、周りに感謝の気持ちも起きないだろう。成功する人々はみな、周りの人への感謝の心を持っている。

 昨日は帰りに牛肉を買ってきた。キリシタン大名の高山右近風に、ごぼうと一緒に煮込んだ。泥付きごぼうは、冷蔵庫に長い間置いていたもので、甘くなっている。これは、ガッテン風のごぼうに仕上げて甘くした。良い感じだ。


 12月27日(水) 晴 11231

 晴れているけど、寒い。ちょっと良い話だと思ったのは、キタサンブラックで勝った武豊が、二人に勝ったことを報告したという。一人は去年死んだ父親武邦彦(元騎手・調教師)。もう一人は、15年に自殺した後藤浩輝騎手。父親に報告するは、良く判る。後藤は実は2015年1月31日キタサンブラックのデビュー戦の鞍上だった。それから約1か月後の2月27日自宅の脱衣所で首吊り自殺しているのを妻に発見される。原因は不明だが、多くの人たちは、度重なる大怪我で精神的なダメージを受けて・・・というような事を思った人が多いだろう。その後藤に、武豊が、有馬記念の勝利を報告したという。この話を訊いて、グッと来た。武豊が、好きとか、嫌いではなく、良い話だなぁと思った。報告された後藤も喜んでいるような気がする。後藤!君が乗ってデビューしたキタサンブラックは、GⅠを7勝して引退したんだよ。言ってもしょうがないが、死ぬことはなかったのだ・・・。

 『ブラタモリ』は、吉祥寺だった。近年住みたい街、1位に何年も続いている。それは、人は何故住みたくなるのかというのがテーマだった。駅のすぐ近くに公園がある。その中に、弁財天があり、それは江戸時代からお参りに来る人が多かったという。これは、神田上水の源泉は、公園池。正式名称は、井の頭恩賜公園。皇室から東京市に下賜され、100年前一般公開される。他に、公園内を玉川上水が通り、分水である仙川上水もあるのだという。

 処で、タモリが冒頭で指摘した、駅には、斜めに通りが通っている。おかしいよね。そして、吉祥寺というが吉祥寺という寺はない。何故、吉祥寺という地名が付いたかというと、江戸時代大火によって焼け出された人々を、幕府が土地を与え移住させた。その時の地名を焼け出された処にあった吉祥寺を地名にしたのだという。そして、与えられた土地は、五日市街道沿いに間口36m奥行き1140mの土地。街道沿いに家が建ち、その奥には、耕作地、つまり農地になった。えごまで四里。野菜を運ぶ限界地だったという。

 吉祥寺の駅が今の場所に出来たが、初めの候補地は違う場所だった。今の場所よりも新宿寄りの場所。つまり、線路と五日市街道が交わる位置だったというが、住民の反対運動が強く断念せざるを得なかった。そうするうちに、土地を提供すると申し出があった。そこで、今の場所に駅が出来る。土地を提供したのは、お寺。吉祥寺には、安養寺・光専寺・連乗寺・月窓寺という4軒の寺が集まる寺町がある。この寺が土地を駅に提供した。だから、駅に対して通りが斜めになっているのだという。この寺の土地は、公園まで続いていた。そして、寺の縁日に門前の商店がバーゲンセールをして、商店街が栄えたという。

 鉄道が通ったことによって、公園などに人が来て、商店街も潤い町が栄え、人が多く住むようになったようだ。処で、何故井の頭公園が、神田上水の源泉になったのか?地形的に言うと、多摩の方が江戸よりも高い位置にある。その中間地点で、井の頭の池のような処に湧き水が湧き出す。吉祥寺駅から公園に歩いて行くと公園のがしょが6mくらい低くなっている。こういう処に湧水が沸くのだという。ちなみに、武蔵野市の水道は、今でも80%が湧水を使っているのだという。面白なぁと思った。井の頭公園や、お寺を観に行きたいと思った。


 12月28日(木) 晴 11249

 今度紅白に出る竹原ピストル。今、生命会社のCMソングに使われている。ドサ回りのライブを続けて7年。歌を聴いていると、友川カズキの歌に出会った時のような衝撃を感じる。生ギター1本の弾き語り。彼が作った歌詞が、あの声に乗って発せられると、ストレートに声の響きが伝わってくる。彼の言葉が、歌声になった時に、歌詞以上の感情が伝わってくる。そういう感情が、聴いている方にストレートに届く。そして、聴いている人間は、人生をかえりみる事になる。そんな歌を歌う。自然体の感じがするのも凄いと思う。 


 12月29日(金) 晴 6269

 遅めに起きて、まず散歩。川沿いの日の当たる場所を、歩いていると心地よい。風が少し吹いているが、ポカポカの感じだ。いつものお寺と神社にお参りをして歩く。こんな寒い季節でも、花は咲いている。それぞれの季節に、それぞれの季節の花が咲く。この時期に咲く、寒椿などの花を羨ましく思う。道端に咲く、名もなき花たち。その可憐な事。

 「惚れたら、惚れぬけ」 広島東洋カープのスカウト統括部長、苑田聡彦(そのだとしひこ)の言葉だ。『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、この名物スカウトの苑田聡彦だった。気が付けば72歳。いまや最年長スカウトになった。年間350試合を観るのだという。選手を探しに行かない。データなどの先入観では観ないのだという。だから、見つけにいかない。

 「2年連続でセ・リーグを制した広島東洋カープ。この躍進の陰に、名物スカウトの存在がある。スカウト統括部長・苑田聡彦。72歳になった今なお現場で“ダイヤの原石”を探し続ける球界最年長スカウトだ。40年にわたるスカウト人生で、小早川毅彦・江藤智・金本知憲・黒田博樹・丸佳浩など、数多くの名選手の発掘に携わってきた。統括として、部下である8名のスカウトに求める流儀がある。
「選手に惚れる。惚れて、とことん練習に見に行く。ただちょっと1回見て良かったからって報告するなって。本当に、悪いところもちゃんと見て、報告してくれって。」 」 --『プロフェッショナル 仕事の流儀』HPより--

 「 「見つけようと思って見るんじゃないです。じっとスタンドに座って、見てたら、思わぬところで、いいとこで、いいところが出てきますからな。おっ、こういうことできる選手やなとか。そういう感じの見方ですね。」 人が人を見る。それは前評判や数字に縛られず、あらゆる選手に眠っている可能性を見抜くことだ。

 「この子なんかいいリストしてるけど、タイミングの取り方が下手なんです。いいバッターになりますよ。それが分れば。」 こうして見出した才能は、今カープの躍進を支える。例えば今シーズン最多安打を記録し最優秀選手に選ばれた丸佳浩。高校まではプロで活躍するには厳しいレベルのピッチャーだった。だが苑田は、バッターとしての非凡な才能を見抜いた。 「バッティングするときは、やっぱり、ハンドワークが柔らかくてね、フォロー(スイング)が大きいから、おのずと打球も飛ぶしね。これ絶対いけるなって感じ。楽しいですよ。こうしてやりよったら。疲れないです。いい選手を見たときはね。」

 広島の選手の平均年俸は12球団で11番目。1位のソフトバンクの半分にも満たない。それでもセ・リーグを連覇できたのには秘密がある。レギュラーの日本人選手は全員生え抜き。選手は財産と考え、苑田さんたちが発掘した才能を、じっくり育てる戦略が見事にはまっている。見つけにいかないと言いながら、何処を見て発掘するのか。

 打者編。バッターを見る時、大切にしているは、ヒットやホームランではない。なんと三振。 「三振していいということは、ないかもしれんけど、三振のしかたなんですよ。タイミング合って、思い切って振れるかどうか。当てにいったスイングとか、当てたヒットとかいうのは、僕は全然対象にしてないですね。フルスイングして三振したほうが、あと1回見てみようかなという気になりますけどね。」

 投手編。ピッチャーのコントロール。その真の力を知るには、なんと、内野手の動きを見るのだという。サインが決まって、ピッチャーが振りかぶるときに、野手がちょっと一歩二歩移動するということは、常日頃からこのピッチャーはコントロールがいいんだなと、(野手が)全然定位置を変えないというのは、キャッチャーが構えても、ボールがそこにこないから、どこにくるか分からないから、守備位置を移動できないという、面もありますからね。ピッチャーを見に来て、ピッチャーばかりは僕は見ないです。」

 熊本工業の山口翔投手。150キロを投げる。九州担当者が、1年の時から追いかけてきた逸材だ。だが見過ごせない課題があった。担当者「制球難というか、ストライクゾーンには投げられるんです。ただ細かいところで配給ができない。」 苑田は熊本に飛んだ。 「関東にいないよ。ひじの柔らかさもあるし、軸足で、ぶれないですよね。まだまだ速くなるよ。」 だが試合が始まるとやはり課題がむき出しになった。コントロールが乱れストライクが入らない。心配した担当が声をかけた時だった。 「この子が1番いいよ。今年見た中で1番いいよ。」 苑田が山口に見ていたものは。それは。逆境に燃える心。山口は、ストライクが入らない苦しい状況でも、けしてうつむかなかった。その熱い心こそが、プロで大成するには何より大切。 「気持ちがものすごく強い子じゃないかと思いますよ。ボールになってもぽかんとしているような感じで、ボールが続く人と、これいかんっていうのが、こっちに伝わってきますんでね。負けず嫌いっている感じですよね。楽しみですよ、このピッチャー。」 フォアボールとか死球とかは? 「いやいやまだ大丈夫です。5、6球に1球いい球がくるんですけどね。それを一軍レベルでやろうと思ったら5球のうち4球、10球のうち8球9球とくるように。今のところじゃちょっと少ないですからね。いい球はあるんだけど、続かないっちゅうことは、リリースポイントが一定していないんで」 4か月後のドラフト会議で2位で指名した。惚れたら、惚れぬ。山口の熱いハートに、広島カープの未来を賭けた。・・・・・・

 けれど、すべての選手が成功を手に出来る訳ではない。川島堅は、かつて甲子園を沸かせたスターだった。無駄のない、理想的なフォーム。苑田さんがほれ込み、1位指名。3球団競合の末、カープに入団した。けれど、肘を壊し、プロ野球生活7年、1勝に終わった。右肘には今も傷跡が残る。川島さんが引退して、20年以上経った今でも1時間かけて通ってくる。 川島 ご自宅の近くにも、いっぱい治療院はあると思うんですけど、わざわざここまで来てくれるというのは、それだけ気にかけてくれているんだなと、思っていますけど。そういうところが、やっぱり優しいところじゃないないかと思いますけど。」  「元気な顔を見たら、それでいい」

 苑田さんは、昭和20年炭鉱の町、福岡・大牟田で生まれた。運動神経抜群。近所で知らない人がいない野球少年だった。高校は、原辰徳さんの父・貢さんが監督する三池工業に進学。猛練習に耐え抜き、強肩強打の好選手に育った。そんな苑田さんをジッと見守る人がいた。広島カープ、スカウト久野久雄さん。他球団のどのスカウトより足繁く通ってくれた。

 「はっきり覚えてますよ。ジーと野球見て、いいプレーしたらにっこり笑ってくれよったですね。」 まだドラフト制度がなく、希望する球団に行くことが出来た時代。9球団から勧誘を受けたが、苑田さんが選んだのは、広島カープだった。 「原監督が、「実はこの球団は(契約金が)いくらいくら」って言われたけど、自分は全然、動かなかったですね。広島カープっちゅうことで。「契約金一番安いぞ」って言われても、「いや、僕はいいです」って。何か、1本の糸に結ばれたような、感じがするんですけどね。」

 しかし、プロは甘くなかった。周りは数段上手い選手ばかり。練習について行くのがやっと。5年目には、大型新人、山本浩二さんが入団。せっかく掴みかけた、外野のレギュラーの座を奪われ、内野へコンバートさせられた。でも、誰にも負けないものがあった。 「大、大です。大負けず嫌いですよ」 誰よりも、練習に練習を重ね、チームに欠かせない存在に成長。14年間現役を全うした。

 引退した苑田さんに、チームが用意したのはスカウトだった。でも苑田さんは、生来の口下手。あるのは誠意。いい選手はいませんか?球場や学校を、ひたすら回り続けた。 「もう誠意だけですよ。これは絶対うまくなると思ったら、とことん追いかける。追っかけて練習練習見とったらですね。技術も性格も分かってきますからね。本当に、いいところも悪いところも、見つけだしたろうって感じでね。」 その姿は、かつて自分を見守ってくれた、久野さんそのもの。やがて、苑田さんが見出した選手が輝き放ち始めた。ホームラン王2回、江藤智。連続フルイニング出場歴代最多、鉄人金本知憲。

 だが48歳の時だった。ドラフト制度にいわゆる逆指名が導入された。大学生と社会人は球団を選べるようになり、注目される選手は資金力があるチームに流れるようになった。 「 「誠意は金じゃ」って、アマチュアの人が言いだしたんです。 「そうですか、分かりました、失礼します」って言って帰ってきよったですけどね。そういうのは大嫌い。最初から働きもせんで、何億くれとかね、そういうのは、気が知れん。そういう選手だったらいらない」 でも、苑田さんにとっては、厳しい時代となった。どれだけ足繁く通っても、最後に行きつくのは金の話。誠意は金じゃ。 「途中で分かりますよ、もう。うち、きついなと。どんどん差がつくと思ったですね。いい選手が全部、金がある球団がとってしまったら、弱いチームはそのままずっと」

 負けず嫌いに火が点いた。ダイヤの原石を見つけだす。血眼になって歩き回る中、ついに、あの選手と巡り合った。 「あの後ろ姿で僕は決めた。なんかかっこいいな。これは絶対良くなるなって」 黒田博樹さん。東都大学リーグの2部に所属するほぼ無名の選手だった。ほれ込んだのは、熱い心。 「やっぱり気持ちですよね。インコースを攻めて、ちょっと甘いところへいって打たれる。そうしたら次の打席も、絶対にインコースにいく。打てるもんなら打ってみろちゅう感じで。これはもう間違いないなって」 苑田さんのよみ通り、黒田さんは他球団から注目される存在に成長。争奪戦が始まった。でもマネーゲームでは、勝ち目がない。足で通い、姿勢を見せ続けるしかない。 惚れたら、惚れぬけ。 やがて、資金力のあるチームが黒田さんを1位指名にするという情報が飛び込んできた。あるのは誠意のみ。ただただ通い続けた。ドラフト会議まで3週間を切ったある日。黒田さんからこう告げられた。「他球団から1位指名だったとしても、カープに入団したい。」お金の話は一切でなかった。

 黒田 「昔から自分のピッチングを、ずっと見続けたことに対してね。そのひと言ひと言が説得力があって、そして、「カープに入ってもしっかしローテーションを守れるピッチャーになれる」と言ってくれると、口先だけではね、いくらでも言えますけど、そういう行動をされた方にね、言ってもらえたってのが、大きかったんじゃないかなと思いますね。」

 黒田さんは、広島を背負うエースになった。去年25年ぶりの優勝。その原動力になったのは、黒田さんだった。」 --『プロフェッショナル 仕事の流儀』より--

 男気黒田は、ヤンキースから年俸20億の提示されても、広島に戻ってきた。ヤンキースファンは驚いた。20億欲しくないの?なんで4億の広島にもどるの?だが、金じゃない、大切なものを黒田は知っている。だからこそ、座右の銘に西郷隆盛の漢詩の一節、「雪に耐えて梅花麗し」を使う。ヤンキース時代にジーターなどがその言葉に感動して、Tシャツを作って、チームメイトにプレゼントしたエピソードがある。

 「72歳になった苑田さん、一つの事を信じる。 野球の神様は、おる。 「真面目に仕事しよったらね。いい選手に巡り会えますよ。僕は絶対そう思いますよ。ずっと、何回も何回も通っとったらね。神様はいますよ。絶対。そういう神様。よう仕事しとるから、ちょっと今年は、誰も知らんけど、こういう選手を、チャンスを与えてやろうちゅうような、ポッと何か教えてくれそうなね。巡り会いがあるような、僕は感じる。そういうふうに思っていますね。」 」 --『プロフェッショナル 仕事の流儀』より--

 番組は、甲子園で活躍した地元広島広陵高校の中村奬成を1位指名最有力候補になる。悩みは、去年ドラフト4位指名した坂倉捕手が今年2軍で活躍して、将来の正捕手候補になっていた。オーナーに報告して中村奬成を1位指名を決定する。報道陣へのドラフト1位指名会見でそれを言うと、板倉のことを訊かれる。広島の禁じ手とも言える1年違いの同ポジション競争が始まる。しかし、他球団が、中村1位指名の情報が入る。そして、運命の日、くじ引きで中村獲得が決まる。

 「 「計9名。非常に素質のある、若鯉をとれました。よかったです。」 神様いましたね。 「いましたね。やっぱり、9名のスカウトが、本気になって、仕事してくれた結果です。」 プロ野球スカウト苑田聡彦。明日から41年目の新人探しが始まる。 プロフェッショナルとは。「この仕事は野球が好きじゃなかったら、僕は出来ないと思いますね。」 究極の野球好き。 「そうですね。そのかわりただ野球馬鹿になちゃいかんですね。惚れたら足を運ぶと。それくらいしか言いようがないですね。」 」 --『プロフェッショナル 仕事の流儀』より--

 おそらく、プロサッカーとプロ野球の違いは、こういう野球を解って、選手を発掘しようとする、苑田聡彦のようなマメで真面目なスカウトが。いるか、いないか、というのが大きな違いなのではないかと、感じた。黒田を見抜いた時の話は、特に秀逸だ。


 12月30日(土) 晴 13597

 食べ物屋に入って、割り箸を割ってがっつくと、割り箸を削っているはずなのに、何故か、右の唇の端が痛くなることがあった。がっつくもんだから、口に入れた割り箸を取るときに、右の唇をこするのだ。そうするとヒリヒリしてくる。そのうち、そのヒリヒリする場所が、食べ物の塩味がくっついてもっと、ひりひりするようになる。そうなると、気を付けてももう遅い。気になると、気にしないようにしても、もうだめだ。そうすれば、2、3日は、塗り箸などを使って、しのぐことになる。

 株式市場で、ブル(bull)とベア(bear)というものがある。強気相場は、ブル。牛の角が上下する処からそう呼ぶらしい。弱気相場は、ベア。熊が前足を振り下ろす仕草、あるいは、背中を丸める仕草からそういうらしい。今株式市場は、ブルの強気相場だ。北朝鮮やエルサレムの不安要素もあるが、こういう状態だ。これからどうなるかは、判らない。

 思えば、サッカーと野球は、スカウトの見方が違うかもしれない。サッカーは、ある程度の眼をもっていれば、はっきり判る部分が多い。野球は、苑田さんの様に、お金のない球団では、大金の契約金を払うことが出来ない。だから、契約金の安い高校生の素質を見抜いて、育てる。サッカーではちょっと難しいかもしれない。野球では、広島の苑田さんたちがやっている方法が、機能するのは、選手の見方や方法論が優れている方だろうと思う。

 人を育てるのは難しい。興行という物は、人が集まって収益が出る。野球やサッカーでは、チーム成績によって、収益が正比例しがちだ。闘牛の興行においては、主に牧場の牛よりも、闘牛士によって左右される。そうなると有名闘牛士が出ないフェリアは、客が集まらない。何年か前、セビージャのフェリアには、マンサナレス以外の有名闘牛士が出場しないカルテルが発表されて、セビージャの通し券を持っていたアボナードたちが切符を買うのをやめたことがあった。こんなフェリアには、魅力がない。

 マドリードのラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロでは、コンスタントに有名闘牛士が出場する。勿論、長いフェリアだから、そうじゃない闘牛士も出てくる。そういう闘牛士でも、チャンスと思って、良い闘牛をすれば、他の闘牛場へも出場出来るようになる。才能があっても、チャンスも与えられずに、消えていく闘牛士が多いのも現実だ。わずかなチャンスを、ものにすることが出来る闘牛士は本当少ない。だから、そういう闘牛士に出会うと、嬉しくなる。特に、サン・イシドロの時は・・・。


 12月31日(日) 曇 12159

 東京都心では、雪が降った。寒い日だ。2、3日前からスーパーなどでは、正月用のおせちなどの食材が目立つようになって来た。そして今日は、年越しそばの材料が目立つ。そばにそばつゆ、天ぷら各種。年が暮れていく。

 『奇跡のレッスン』「ラグビー編~エディー・ジョーンズ~」で、エディーがしきりに声を掛けていた岩上選手(2年生)。プロップで100キロ以上ある体格を持っているのに、控えだった。自分から声も出せない選手で、監督が日に日に、岩上が成長していく姿を喜んでいた。監督が岩上に声を掛けたら、「ぱっとこっちを見て、何ですか?みたいな顔をして。今までだったら声掛けると、自信なさそうに下向くような感じだったけど・・・」と言ったり、最終日に、大学生との練習試合に、エディーから先発メンバーに選ばれて、ハーフタイムに、自分からチームメイトに声掛けをしている姿を見た、コーチが、「涙出そうになりました」と感激していた。

 エディーは、タックルに行くときは、75%の姿勢で、顔は相手が見えるように下げずに前を向いて、相手を見てタックルに行くと教える。攻撃では、パスを出したら、出したチームメイトの後ろに行き背番号が見えるくらいのとこでサポートして、いつでもパスが貰える位置にいるようにと伝える。タックルを受けたら、後ろのサポートする選手が声を出して、パスを要求するように伝える。非常に具体的なことを、高校生に伝える。

 「エディー 「ワールドカップで体格で劣る日本が、あの南アフリカに勝てたのは、奇跡や偶然ではありません。私はそのことを日本の皆さんに伝えたくて、この番組に出ることにしたんです。 練習は鏡の様に、試合とそっくりにしないとね。ラグビーの試合は状況判断の連続だ。それを鍛えないといけない。 エディーさんが1番伝えていたのは、声のエナジー。選手同士のコミュニケーションです。」

 このチーム(目黒学院。昔の目黒高校である)は、高校日本代表選手もいる。 エディー 「チームの中で、自分が何をすべきか、その役割を仲間に伝えるだけでなく、はっきりわからせることが大事。伝えたつもりでなく、確実にわからせる事が大事なのです。」

 岩上 「エディーさんと練習して、コールが足りなかったから、成功しなかった部分もあったので、そこはもっと修正していこうと思って、心を、どんどん出していって、そうすることによってプレーが、うまくいくようになって、それが自信につながりました。」

 練習が終わった後、エディーは、「練習は試合の為にするものです。練習でやったことしか試合には出ない。試合が練習と違うのは、ものすごいプレッシャーがかかること。だから、同じようなプレッシャーのかかる状況を作って、練習することが大切なんだ。いい結果を出すのは簡単。いい練習をして、それを自信に変えるのです。」 --『奇跡のレッスン』「ラグビー編~エディー・ジョーンズ~」より--

 エディーの言葉を訊いていると、アントニオ・コルバチョのことを思い出す。タランバンテがテンタデロをやっている時に、「クルサードしろ。もっと、もっと」というと、牛の前にいるタランバンテが、こうこれ以上出来ないといっても、コルバチョは、「もっと、もっと」と言っていたと、下山さんから訊いたことがある。

 試合は、先制トライを許し、追いつく展開。前半終了。ハーフタイムで選手たちは、しっかり、修正点を解っていた。後半も先行される。また追いつく。「岩上、いい」と何度も言っていた。そして、声を掛け合い逆転のトライ。エディは笑っていた。最後まで、集中力を保ってあった。コーチ陣に、エディーが言う。「思っていた以上にいい試合だった。小さいミスはあったが、ディフェンスラインもよかったし、いろいろな意味でポジティブな収穫があったな。」そして、岩上に声を掛ける。「君は、いい選手になるよ。いい練習を続ければ、いい結果がついてくる。楽しみにしているよ」岩上はこの言葉を訊いて、うなずき、ハイと、言っていた。こんな言葉を掛けられたら、どんなに嬉しかっただろうと思った。そして、チームに対して、「今日、いい勉強ね。みんなよくやった。これからも、いい練習をすれば、結果は必ずついてくる。夢に近づけるよ。OK。おめでとうございました。」と、言って拍手した。選手たちは、ありがとうございましたと、頭を下げた。

 キャプテンがエディーさんに、「4日間ありがとうございました。エディーさんから教わったことを、しっかり、頑張れるようにしたいと思います。」といった。チームの一人一人が成長した5日間だった。何をすればいいかが、具体的に分かったのだと思う。エディーは物凄い監督だと感服する。コーチたちもAチーム、Bチーム両方をしっかり目の届くようにしていこうと話し合った。後日談。目黒学院は、正月の花園大会の切符を手に入れた。自信なそうにしていた岩上はレギュラーになった。2回戦。その岩上が、勝利を決定づけるトライをあげて3回戦に駒を進めた。番組の中で、エディーは、合宿をしている処を訪ねる。チームみんなで食事をする。外国ではありえないことだという。その輪に入って、これは日本のラグビー文化のいいところと言っていた。

 エディーは初日に言っていた。日本一の練習をしたチームだけが、日本一になる。 そして、エディーさんから応援メッセージが届いた。君たちは勝つ準備ができている。

 なりにけり なりにけりまで 年の暮  芭蕉


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る