断腸亭日常日記 2017年 11-12月

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

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 11月27日(月) 晴/曇 8418

 ジャパンカップは、大本命、キタサンブラックが逃げて直線坂上くらいまで先頭だったが、追ってきたシュバルグランに交わされ、ゴール直前で、レイデオロにも交わされ3着だった。2着がレイデオロ。優勝した馬主、佐々木主浩は、横浜や大リーグのマリナーズでイチローと一緒に活躍した大魔神佐々木である。姉、ヴィルシーナ、妹、ヴィブロスに続く、三兄妹がGⅠ馬になった。机を叩きながら声を枯らして叫んでいたという。

 ヨーロッパ遠征をしているラグビー日本代表は、フランスに23-23で引き分け、1勝1分けで遠征を終えた。地元フランスで、代表チームの不甲斐なさに、フランス人は、「金返せ」とヤジを飛ばし、試合終了のホイッスルが鳴ると、ブーイングが沸き起こったという。それだけ、日本が良かった証拠だ。ワールドカップ日本大会に向けていい状態のようだ。エディー・ジョーンズがいなくなっても、チーム状態は間違った方向に行っていないようだ。

 滋賀で料理を食べたときに、カウンターの中に土釜を置いてご飯を炊いていた。その上の方に神棚があった。そして神棚の前の天井には、「雲」を書かれてあった。食事しながら何だろうあれ?考えたが解らない。デザートが出たときに、主人に訊いた。すると、神様の上には何もありませんという意味で、「雲」とか「天」とか書くのだという。京都で修業した人なので、京都の神棚はそういう風習があるのかもしれないと思った。『京都人の密かな愉しみ』には出てこなかったけど…。

 と、思っていたが、出雲大社の社殿、ご神体を収めている部屋の天井には、雲が描かれている。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ須佐之男命。雲が八つ描かれていると思いきや、江戸時代描かれた天井画は、七つしかない。八つ描くとそれで終わってしまうから、七つで止めているのだという。つまり、禅宗などの考え方と同じだ。それは良いとして、ご神体の前の天井に雲が描かれているのは、神棚の前の天井に、「雲」と書くのと同じことだなぁと思ったのだ。

 秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。  世阿弥『風姿花伝』(いわゆる通称『花伝書』より)


 11月28日(火) 曇/晴 10179

 寒いと思い、厚手のダウンを着て散歩に出ると、汗がにじみ出てくる。近所のお寺の紅葉は盛りに近い。先週より今週の方が良い色になってきた。

 山本健吉の『いのちのかたち』を、読んでいるのだが、今一つ「大和だましい」という言葉の意味が解らない。ネットで調べると色々出ているが、そこに出ているものは、『いのちのかたち』で、書かれているいることとは違うのである。

 ネット上にある、「大和魂」は、大体以下のようなもの。

『漢才に対する実務的な、あるいは実生活上の才知、能力』(国史大事典解説)。
吉沢義則「大和魂と万葉歌人」では、「国民精神、すなわち大和魂の意志を考える 材料として、万葉歌人の詠歌態度」に焦点を当てている。
菅原道真の菅家遺戒にいう「和魂漢才」とは、<国体は漢学の知識だけではその神髄を会する能はずして、国学の奥妙は必ず和魂と漢才を併用してのみ会得しうる。> (奥村伊九良「大和魂の歴史」より)
かくあさましき悪事を申し行ひ給へりし罪により、この大臣の御すゑはおはせぬなり。さるはやまとたましいなどはいみじくおはしたるものを(大鏡)

 江戸時代になると、本居宣長の「やまとごごろ」では「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」が、本流になって行くようだ。そして、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」 や、獄中で書いた遺書『留魂録』の冒頭「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」

 明治になると夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に、「大和魂!と新聞屋が言う。大和魂!と掏摸(すり)が言う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする。」  「東郷大将が大和魂を持っている。さかな屋の銀さんも大和魂を持っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている。」  「だれも口にせぬ者はないが、だれも見たものがない。だれも聞いたことはあるが、だれも会った者がない。大和魂は天狗の類か」 とあり、それは江戸時代、滝沢馬琴『椿説弓張月』に、「事に迫りて死を軽んずるは、日本魂(やまとだましい)なれど多くは慮の浅きに似て」という記述があるようだ。漱石も馬琴も『大和魂』には否定的だ。

 小林秀雄の「大和魂」は、「融通の利かない、堅い学問知識に対して、柔軟な、現実生活に即した知恵の事を云っているんだ。学者とか知識人とかは、観念的な生活をしているが、そこには、大和魂はない。一般の当たり前の、日本人的な具体的な生活をしている人達が、大和魂をもっているんだ。」 「在原業平が”遂に行く道とはかねてききしかど昨日今日とはおもはざりしを”という辞世を詠んだろう。契沖はこれをほめて”これは一生のまことを正直にあらわしている。”と言った。宣長もまた、”あっぱれだ、此こそ大和魂をもった法師だ”ってほめたのだ。」 高見澤潤子「兄小林秀雄との対話」

 日本サッカーの父的な存在のドイツ人、デットマール・クラマー(メキシコ五輪、銅メダルの影の立役者。選手の育成から日本リーグ創設を提言した)元コーチのインタビューで「大和魂」について  インタビューア「日本代表を指導していた頃、よく「大和魂」という言葉を使っていたとききましたが、どのような意味でつかっていたのでしょうか。?」    クラマー氏「「大和魂」という言葉を初めて聞いたのは戦争の時でした。戦争の時、将校から日本の特攻隊、そして『神風』の役割についてしらされたのです。将校は「大和魂」という言葉の意味についても教えてくれましたが、これらは皆のために自分を犠牲にする精神のことであり、我々にもその精神を持つようにと言いました。・・・」

 そして、ボクシングの藤猛の『大和魂』である。山本健吉がいう「大和魂」は、あくまで、紫式部が『源氏物語』乙女巻で書いたものの事をいう。時代が変わり、その言葉の意味が変わってくるが、基はどういう意味で、言われていたかという事である。最悪の『大和魂』の使われ方は、ナショナリズム、国粋主義的に、大和魂の精神をもっていれば不備があっても敵に勝てるみたいな戦前・戦中の使われ方である。吉田松陰の言葉は、カッコ良い。だが、死を覚悟してそういうとこを言っているのだ。政治家になりたいのならいざ知らず、そういうのに、惑わされてはいけない。そういう意味で、漱石も馬琴も冷めている。時代において、そういう目を持つ必要がある。


 11月29日(水) 曇 11176

 「一番大事なことは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ。」

 「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く。」 --井上ひさし より--

 良いことを言う。しかし、こういうことが、難しい事なのだと思う。


 11月30日(木) 曇のち雨 10301

 今日は日本橋の三井記念美術館へ『驚異の超絶技巧展』を観に行った。明治工芸から現代アートへという副題が付いている。安藤緑山の象牙の牙彫の「胡瓜」は、ポスターにもなっているが、超リアル。本物のようだし、稲崎栄利子の陶磁は、まさに珊瑚のようだ。現代作家の前原冬樹の木彫、「一刻:皿に秋刀魚」は皿の上に食べかけの秋刀魚乗っている。それは、1本の木から彫られている。だから皿と秋刀魚がくっついている。この人の経歴は、サラリーマンやプロボクサーの後、東京芸大で学んだという。

 国立博物館の高円宮コレクションの根付を観ても思ったが、江戸時代の職人技は凄いし、現代作家も結構良かった。前原冬樹の作品はどれも素晴らしかった。それから、京都に七宝記念館のある並河靖之の作品もなるほど素晴らしい。大竹亮峯の作品も良かった。鹿の角で彫った、「キク」の橋本雅也もマニアックに良い。「綿毛蒲公英」の鈴木翔太には唸った。それと、まるで白黒写真のような、水墨画を描く現代作家、山口英紀はビックリする。これが水墨画というのが信じられない。

 なんかこういうのを観ると、唯々凄いと思ってしまう。途中、神田で徳島ラーメンを食べて気分よく帰ってきた。


 12月1日(金) 曇一時雨 13092

 いつの間にか、今年も残り1か月になってしまった。大谷翔平は、ロスアンゼルスに着いている。大リーグが特例で、大谷のポスティングを21日間にして、その前に欲しい球団に、「代理人ネズ・バレロ氏(54)が、大谷が入団した場合の利点などを書面で説明するように全30球団に要請した。25日のAP通信によると、24日に大リーグ機構を通じて各球団に伝えられたといい、英語と日本語の文書で返答してほしいと求めたという。バレロ氏が入団後の起用法などの質問に対する返答を文書で要求したことは、米国内で大きな反響を呼んだ。大リーグ公式サイトは「日本のスターが、ぴったりの所属先を決めるため全チームに質問状を送付」と報じ、ニューヨーク・ポスト電子版は「大谷のユニークな就活には、30球団へのクイズが含まれていた」と伝えた。米ヤフースポーツは「ユニークな状況下でのユニークな要求だが、ユニークな才能を持っているからこそ理解できる」との解釈を示した。」(日刊スポーツ)

 原則は二刀流。サンスポは、来週マリナーズと面談すると伝えている。有力な球団として、ヤンキース、ドジャース、パドレスなど5球団に絞られていると、日刊スポーツが伝えている。松井秀喜が動くのではと言われている、ヤンキース。マエケンのいるドジャース。日本ハムと提携関係にあるパドレス。大谷との事前接触などが禁止されているためと、交渉期間が通常1か月が21日間に短縮されていることから、質問状とそれに対する返答が認められた。大谷は、「いろんな話を聞いてみたい。まだまだ足りない部分が多い選手。自分を磨きたい、そういう環境に自分を置きたい」と語っている。

 東京も大分寒くなってきた。かき揚げ、カレー、カレーとここ2日、朝食はカレーが続いた。本当はあまり肉を食べずに、魚や豆腐などを食べないとダメだと思う。実は、カレーもシーフード。海老とイカとあさりで作っている。


 12月2日(土) 曇 7308

 バドミントン全日本総合準決勝が行われて、高橋・松友が2-1で逆転勝ちした。山口茜も勝ち明日の決勝に駒を進めた。明日は、行って観ようと思っていたが、会場が駒沢オリンピック公園総合運動場体育館。行ったことがないし、遠いのでやめにした。Jリーグは、最終戦で鹿島がスコアレスドローで、川崎が5-0で勝ったため、川崎が逆転優勝してしまった。こんなこともあるんだと、愕然とした。今日の夜から、一段と寒くなってくるようだ。

 サッカーのワールドカップの抽選が行われて、日本は、ポーランド、セネガル、コロンビアとのグループに入った。抽選をテレビで観ていたが、最後の最後が日本だった。その前が韓国で、これは、ドイツ、スウェーデン、メキシコの組だったので、最後で良かった。でも、選手からすれば、ドイツとやりたかったのかもしれない。今までやっていないことを始めようと思えば、とにかく一歩前に出なければ始まらない。スポーツでも、攻めないければダメだし、攻める気持ちがなければ、上のレベルには行けない。


 12月3日(日) 曇 5106

 「子供の夢は、クリスマスイブ。大人の夢は、有馬記念。でしょ。」(JRAのCM)。確かに、その通りだと思う。1年の締めは有馬記念。バドミントンは、女子決勝で、山口茜が接戦で大堀彩に勝って2度目の優勝をした。山口はポーカーフェイスで、淡々とプレーして、大堀は、決まると声を上げて、ミスすると悔しそうな表情をする、正反対で対照的だった。大堀が勝つのかと思っていら、世界での経験値の違いか、山口が勝った。高橋・松友ペアは、福島・広田ペアに、0-2で完敗。試合後、高橋は涙を流し、しばらく休みたい。と言い、東京オリンピック出場意欲も白紙の状態であることをにおわせた。

 クリムトが日本の絵を参考にしていたというのを、初めて知った。浮世絵に光琳の金屏風絵などを参考にして、あの金色を使っていたという。浮世絵のコレクションは莫大で、調度品も数多く所有し、アイディアをひねり出す為に、日本の調度品が飾られている部屋にこもったという。家紋のデザインを観て、絵の中の服の模様に使ったり、構図も浮世絵や光琳など琳派のデザインをアレンジした。BSフジで放送された『松下奈緒「接吻」~黄金の画家クリムトとウィーン1900年~』を観ていて、クリムトに持っていた親近感が、そういう訳だったのかと思った。昔、1番好きな『ダナエ』を美術館で観たときは、興奮した。ダナエの肌色に、青が描かれている。血管だけではなく、青い色がある。それがあの時、非常にリアルに感じられた。ダナエを包むように描かれている曲線は、光琳の『紅白梅図』の川の曲線だという。クリムトの金色と、金屏風が結びついた事が、非常に納得する。

 「私の絵に、自画像はない。私の顔は絵の対象にはならない。興味のあるのは、女性。そして、様々な現象。」と、クリムトが言ったのだという。金銀細工師の息子に生まれ、子供時代食べるものがない、貧しい環境だったというクリムト。そういう事も面白いと思った。だって、クリムトと言えばやはり、金色を思い出すからだ。エゴン・シーレは、弟子のようだ。そういえば、昔観た、『ジャポニズム』でも、印象派だけでなく、クリムトやエゴン・シーレも紹介されていたような気もしてきたが、忘れてしまった。


 12月4日(月) 曇 6209

 運慶の肉体表現は、あり得ない様な構図や筋肉や重心の在り方など不思議だ。『日曜美術館』で、ロダンをやっていた。運慶の仏像と、ロダンの彫刻などが非常に似ているいる気がするのだ。東大寺の南大門にある、金剛力士像(阿形像、吽形像)。誰でも知っている、ロダンの考える人。顎に右手の甲を置き、左太ももの上に右腕の肘を着いている。上体をひねっているから苦悶する考える人に観えるのだ。

 そして、当然出てくるのがカミーユ・クローデル。ロダンの弟子でしかも愛人。天才的な彫刻家。映画『カミーユ・クローデル』を観て知っている。主演は、イザベル・アジャーニ。そうフランソワ・トリュフォーの『アデルの恋の物語』のアジャーニだ。彼女は、何で恋に狂う女が似合うのだろう。美人薄命というより、幸が薄い感じがする。でも、忘れられない女優の一人だ。

 同じ恋に狂う女でも、『カミーユ・クローデル』は面白かったが、『アデルの恋の物語』は、退屈だった。文豪ビクトル・ユーゴの次女アデル・ユーゴーの話だ。トリュフォーが巨匠といわれない理由の一つが、つまらない映画があるということだと思う。それも含めて好きなのだが・・・。例えば、ビートルズファンは、ビートルズには駄作がないという。でも、ローリング・ストーンズには駄作がある。という言い方をして、ビートルズの方が良いみたいな事を言う人がいる。そうじゃねぇだろう、駄作があるから傑作が際立つんじゃないのと思うのだ。トリュフォーもそうだし、溝口健二もそうだと思う。

 『アデルの恋の物語』は、トリュフォーがテレビでアジャーニを観てインスピレーションを受けて、6年間暖めていた題材を脚本にした。映画はつまらなかったが、とにかく、アジャーニだけが印象に残る映画だった。のちにアジャーニは、「この映画のおかげで今の私がある」と語った。トリュフォーファンとしては、『カミーユ・クローデル』上映時に、アジャーニがいった言葉を思い出す。この作品をフランソワ・トリュフォーに観てもらいたかった。どれだけ私が女優として成長したか見せたかった。というような事を言っていた。その言葉を読んで落涙したのを覚えている。

 『アデルの恋の物語』が1973年。『カミーユ・クローデル』が1988年。その間、15年。トリュフォーが脳腫瘍で、遺作の主演女優ファニー・アルダンに看取られて死んだのが1984年だった。トリュフォーで、個人的に1番好きな『隣の女』も近松の物語のようで美しい。主演がファニー・アルダンとジェラール・ドパルデュー。そして、『カミーユ・クローデル』のロダン役が、ジェラール・ドバルデュー。何か重なるんだよな、トリュフォーと。ロダンとカミーユ・クローデルからアジャーニを思い出し、トリュフォーを思い出してしまった。


 12月5日(火) 晴 8426

 昨日は夜に雨が降った。今日はあれだったが、夜から寒気が降りてきて、今週は寒い日が続くようだ。12月という事で、部屋の片づけを始める。いろいろ要らないものなど分けるだけでも大変だ。

 「将棋の第30期竜王戦7番勝負の第5局が5日、鹿児島県指宿市で行われ、挑戦者の羽生善治棋聖(47)が渡辺明竜王(33)を87手で破り、通算4勝1敗で15期ぶりに竜王位を奪還し、前人未踏の「永世7冠」を達成した。」(スポーツ報知)凄いな。藤井四段だけじゃない。昔、武豊が、僕が命懸けで騎手やって1億円稼いでいるのに、羽生さんは将棋で、七冠取って1億稼いでる。と、愚痴っていたことがある。どっちがどっちという事はないと思うのだけど・・・。

 また京都にイノシシが出た。大徳寺の塔頭で、タヌキが絵を破いたというのを知っているが、イノシシだ。この前は、平安神宮で発見され、4キロ離れた二条城の堀で溺死した。今回は、永観堂の近くの東山中学・高校に2頭時間をおいて表れ、1頭はプールで溺死し、1頭は捕獲中だという。子供の頃、近所に豚を飼っている同級生の家があって、週に何度か生ゴミを貰いに来ていた。生ゴミだと思って捨てた、バナナの皮をおばあちゃんが、それはダメというので、どうして?と訊くと、豚が下痢するからと教えてくれた。その豚が逃げたことがあって、神社で遊んでいると凄い鳴き声を上げて100キロ以上あるような豚が走ってきて怖いので、神社を囲む石の上に立ってやり過ごした。豚でそれなら、牙のある野生のイノシシならもっと怖いと思う。でも、食いたいよなぁ、イノシシ。豚肉などは、温度が下がると肉が固くなるが、イノシシの肉は温度が高い時と同じく柔らかいと訊くので、どんなものだろうと思っている。


 12月6日(水) 晴/曇 5169

 Eテレ『知恵泉』で、新渡戸稲造を2週続けてやっていた。盛岡の人である。でも、子供の頃、学校で新渡戸稲造の名前を聞いた記憶がない。宮沢賢治や、石川啄木の名前は知っているし、国語の授業で教わった記憶がある。今は、盛岡駅に、賢治や啄木などと並び、郷土の有名人として紹介されている。これも、5000円札に使われたからだろう思う。

 恥ずかしい話だが、読んだことがない『武士道』を書いた人である。調べると漱石が明治36年から東京帝大・第一高等学校で教鞭をとり明治40年4月に、『坊っちゃん』が売れて、朝日新聞に入社して、一切の教職を辞めるが、新渡戸は、明治39年から第一高等学校校長になり東京帝大農科教授になる。接触があったのだろうかと思う。新渡戸は、盛岡藩の用人の家に生まれ、幼少の頃、医者から英語を学び、明治天皇の巡幸の際に、新渡戸家で休息した際、父祖伝来の生業を継ぎ農業に勤しむべしいう事を言われ、東京英語学校、札幌農学校二期生として入学。あのクラークとはすれ違いで学んでいないそうだ。谷崎潤一郎は、第一高校校長時代の教え子だったようだ。

 花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだに匂へ 人の知るべく  小野篁


 12月7日(木) 晴 8812

 大分寒くなってきたが、散歩をしていると汗が出る。顔が冷たい。椎茸が安かったので買ってきた。紅葉も大分色が褪せてきた。

 夜中NHKで、『ノー・ディレクション・ホーム』(前篇)を放送していたので観た。ウディ・ガスリーの話も出てくる。会いたくなって、探して行くと、精神病院にいた。ウディの前で歌を歌った。ウディはいつも体を震わせているだけのウディを観て、ディランは悲しくなったという。ウディ・ガスリーの『わが祖国』を初めて聴いたのは、天地真理のLPだった。その頃、ディランを知っていたのか、ウッディを知っていたのか忘れた。

♪私は歩き続ける 自分の足が向かうままに 太陽の光を受けて輝く ダイヤモンドの砂漠まで♪(『わが祖国 This land is your land 』ウディ・ガスリー)

 ディランの昔の恋人、スージー・ロトロやジョーン・バエズが出てきて話している。監督は、『タクシードライバー』やザ・バンドの解散コンサート『ラスト・ワルツ』を撮ったマーティン・スコセッシ。ディランの語りもある。多くのミュージシャンの話もある。ディランがどういう人間か、その時、どういうミュージシャンだったかが解る。

♪シンデレラ 彼女はお気楽 “人を知るには相手が必要よ”と微笑む お尻のポケットに両手を入れる ベティ・デイヴィスのスタイルで
ロミオが現れて ぼやく “君は僕のものじゃないのかい?” すると誰かが言う “出て行け あんたの出る幕じゃない”
救急車が走り去った後に 唯一残った物音 それは シンデレラが廃墟の街を 掃除する音

月はほとんど姿を隠し 星も姿を隠し始める 女占い師は商売道具を たたんでしまった 残ったものは――
“ケインとアベル” そして “ノートルダムのせむし男” 誰もが愛を交わしている もしくは雨を待ちわびている
“よきサマリア人”は おめかしをし ショーに出る支度をしている 彼が今夜 出かけるのは 廃墟の街でのカーニヴァル♪(『廃墟の街』ボブ・ディラン)

 何だろう?物凄いインスパイヤが、沸き起こる。実はディランが言っているように、何を書いているのか、それは自分にも解らない。それはそれでいい。とにかく、次の言葉が頭に浮かんだ。

 「アイディアで頭が一杯だ。それで気が狂いそうだ」(ボブ・ディラン)


 12月8日(金) 曇/雨 8210

 12月8日だ。1941年の12月8日は、日本がアメリカに宣戦布告して真珠湾攻撃をした日だ。1980年の12月8日は、ニューヨークのダコタハウス前で、ジョン・レノンが暗殺された日だ。おそらく、ニューヨークの公園などでは、ジョンの『イマジン』が歌われるだろう。

 トランプ大統領は、イスラエルの首都をエルサレムと認めた。これに対して、ヨーロッパの主要国の首相。大統領は批判している。国連も批判し、パレスティナのあっぱす議長は中東和平を台無しにすると、批判した。北朝鮮との戦争もささやかれている昨今、世界は、トランプ大統領の動向に注目してしている。ハッキリ言えば良いことではない。世界は混とんとしている。

 今日本に居て生活している。円高になろうが、円安になろうが、どうでもいい。「今この場所から敵と味方に伝えよう。灯火はアメリカの新しい世代に引き継がれた。国があなたに何をしてくれるかでなく、あなたが国に何が出来るか問おう」と、JFケネディは、言った。政治家だから国とか国家という言い方をする。でも、庶民感覚でいえば、今の生活とか、これからの生活を考えるのが普通だ。

 神社に行って知ったが、今年は本厄だった。それほど悪い事はなかった。むしろ、気分としては良い方に向かっている気がする。若者のような気分で、光り輝く明日に向かっている。世界の混とんとは対照的に・・・。

♪ねえ ウディ 僕は歌を作ったよ 目の前の おかしなこの世界のこと
この世は病んで ひもじく ぼろぼろで 死んでいるようにも まだ生まれてないよういも見える♪(『ウディ・ガスリーに捧げる歌』ボブ・ディラン)


 12月9日(土) 晴 11427

 大谷は、エンジェルスへの入団を決めた。それが1番良い環境と判断した模様だ。背番号は、17。これで大リーグのストーブリーグが本格的に動き出すだろう。サッカーの東アジア大会が昨日から始まった。北朝鮮チームは、男女で来日中。何かこういう状況だと、ミサイルが飛んでこないだろうと安心するのは何故だろう?これから日本の第1戦が始まる。アメリカでは、大谷の会見が開かれるようだ。


 12月10日(日) 晴/曇 8292

 大谷翔平がエンジェルスの入団発表会に出席した。「 決断までの時間は「ワクワクもしましたし、すごく楽しみな気持ちもありました。これ以上ないっていうくらい濃い1日1日が続いた」と笑顔を見せたが、次の瞬間、少し困ったような表情を浮かべながら、苦しかった心の内を明かした。「やっぱり『エンゼルスにお願いします』っていうことは、他に断らなければいけない球団があるということで、すべての人にとっていい人になれないという申し訳なさを感じましたし、これだけ一生懸命資料を作ってくれて、プレゼンもしてくれて、いろんな球団の方が話をしてくれている中で、結局1つの球団にしかいけないということに関しては、やっぱり最後すごく悩みました」 」(Full-Count より)

「 エンゼルス入りを決めた理由については「感覚的なもので、どの球団も素晴らしいお話を聞けた。優劣がつくものではなく、気持ちの部分でエンゼルスにしたいなという気持ちが出てきたので、エンゼルスに決めました」と明かし、二刀流への挑戦については「僕自身はファンの方々、球団の方々と作っていくものだと思っている。まだまだ完成したものではない。みなさんの応援で成長させていってもらいたい」と話した。 」(Full-Count より)

 大谷はこれで、大リーグで活躍するための場所を手に入れた。あとはマッチを擦って火を点けるだけだ。その為に必要なものを、彼は持っているだろうと思う。


 12月11日(月) 晴 8861

 今日は暖かい。部屋の片づけをしていたら、当然本も手に取る。一冊の本が、無性に読みたいと思った。『慶応三年生まれ七人の旋毛曲(つむじまが)り』坪内祐三著である。

「慶応三年とは、十五代将軍徳川慶喜が大政を奉還(十月十五日)し、王政復古の大号令が発布(十二月九日)された年である。新撰組や見廻組が人をバタバタと殺して(暗殺して)いったのも、この年のことだ。その年に殺された者たちの中には海援隊隊長坂本龍馬・陸援隊隊長中岡慎太郎(十一月十五日)や禁裏御陵衛士頭伊東甲子太郎(十一月十八日)らも含まれる。」 --『慶応三年生まれ七人の旋毛曲(つむじまが)り』坪内祐三著より--

 付け加えるなら、この年の四月十四日に奇兵隊の高杉晋作も病死している。

「年が明けて鳥羽・伏見の戦い(いわゆる戊辰戦争)、さらには彰義隊で有名な上野の山の戦いを経て元号が明治と改元(その時から一世一元となる)されるのは九月のことであるが、慶応三年は、幕末維新の動乱のピークともいえる年だった。
 そしてこの年、動乱の世相を反映した不思議な出来事が、特に動乱の激しかった地域を中心に巻き起こっていった。「ええじゃないか」である。 --中略--

「市中乱舞に狂舞に狂呼して」とは、要するに、空から神社の札が舞って来るといって、人びとが踊り狂っていたのである。その狂乱は八月にまず尾張、三河、遠江の三国に始まり、東海道を渡って、東は横浜、江戸、さらには信州や甲州まで、そして西は伊勢神宮のある伊勢を中心に、京都、近畿、四国にまで広がり、翌年の一月ごろになるとピタリと止んだ。 --中略--

「男子にして女装をなし、女子にして男装をなし」などという一節は、まさしく、百年後の全共闘運動やフーテンの若者たちの髪形やファッションと重なり合っている。
 さて話を、「水滸伝的空想」に戻そう。
 先に引いた柳田泉の一文には名前が上がっていない慶応三年生まれの人がいる。私は、数多い慶応三年生まれの人の中で、その人のことが一番好きかもしれない。しかも、慶応三年生まれに綺羅星のごとく人材が輩出したことを柳田泉に指摘したのは、まさに、その人だった。
 その人とは宮武外骨(みやたけがいこつ)である。
 外骨はたびたび、自分の生まれた年のことを問題にしているけれど、自伝「宮武外骨自叙伝(みのうえばなし)」(吉野孝雄編『新編 予は危険人物なり』に収録)で、「予は同年生の人々を調べてみると、その一部を列挙すると左のごとくである」と語って、尾崎紅葉から始まる五十三人の人の名前を列挙している。
 漱石、露伴、子規、緑雨はもちろんであるが、他に有名なところでは、南方熊楠、画家の藤島武二、建築家の伊東忠太、実業家の池田成彬、山下亀三郎、豊田佐吉、さらには軍人の鈴木貫太郎らがいる。外骨も言うように、「実に文学、実業、官吏、政治の各界にわたって多士済々、一代をリードした人々が少なくない」。
 これらの人びとをすべてを主人公に『明治水滸伝』あるいは『近代日本水滸伝』を描いていったら、どんなに面白いことだろう。」 --『慶応三年生まれ七人の旋毛曲(つむじまが)り』坪内祐三著より--

 おそらく、この本を買ったのは、漱石や子規の名前の他に、南方熊楠と、宮武外骨の名前があったからに違いない。特に著者が書いているように、変り者の外骨がやっぱり興味をそそられる。外骨のことは、一時、赤瀬川源平を中心に語られ、外骨の作った雑誌『滑稽新聞』の編集復刊など、関連本が多くが出版された。

 「米野球専門誌「ベースボール・アメリカ」が「日本にいる元大リーグ選手にとって、オオタニは特別だが、無敵ではない」というテーマで記事を掲載。この中でサファテは「彼は地球上で最高の選手だよ」と最大級の賛辞を送っている。

 広島、西武と渡り、日本で7シーズンを過ごしたサファテ。ソフトバンクでは4シーズンを戦い、昨季は大谷擁する日本ハムに大逆転でのリーグ優勝を許した。投手として、打者として大谷の力を目の前で感じており、「彼の魅力を知っている。彼はスーパースターになる、それくらい良いんだと初めから言い続けてきた」と、その才能を認めた。

 その一方で右腕の課題も指摘。記事の中で「彼は時々考え過ぎるんだ。『100マイル投げられるんだから、変化球はやめなよ』って思うんだけどね」と言い「優れた制球力は持っていない」とも。「オオタニはタナカマサヒロではない。タナカはストライクゾーンの低めに3球投げる制球を持っていて、マウンド上ではいつも安定していた。大谷は1年目にサイヤング賞争いは出来ないよ」と語っている。

 また、打者としては「彼の唯一の課題は内角への速球だ。日本人選手は彼に対して内角攻めしない傾向があった。きっと相当配慮していて、内角に投げて腕を壊したり肘に当てたりしたくないんだろう。自分は彼の内角に投げて成果を収めてきた。メジャーの投手は内角への投球を恐れない。そこが彼のしなければならなくなる適応の一つだ」としている。

 取材に対して「彼のしていることは間違いなく素晴らしいことで、彼が挑戦し、球団がその機会を与えるのは何よりだ。自分の意見だけど、いつか彼は選択しなければいけなくなると思う。打者か投手に専念することになるだろう。両立出来るとは思わない。ただ、もしどちらか選べば、40-40(40本塁打、40盗塁)かサイヤング投手になれる。でも、どちらかを選ばなきゃいけないね」と、将来的には投手か打者か、どちらかに絞ることになるだとうと予想したというサファテ。その上で「彼は地球上で最高の選手だよ。弱点を挙げたけど、弱みよりも強みのほうが勝っている」と結論づけたという。 」(Full-Count より)

 メキシコのテンポラーダが始まって、メキシコシティの大闘牛場のテンポラーダ・グランデも始まった。4人の闘牛士で8頭の牛。寒そうな服装で観ている。THさんも観に行っている。観た感じだとバレンシアのファジャスよりも寒そうだ。12日はホセ・トマス。日本だと13日の朝。楽しみだ。


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