断腸亭日常日記 2018年 12月

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

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 12月3日(月) 曇 16474

 夜に匂いがついている古着屋で買ったシャツを、お湯につけランドリーマグちゃんと入れて、一晩つけ置きしたものを、朝洗濯したら大分匂いがしなくなった。あと1・2回同じ洗い方をすれば、もっと嫌な匂いが落ちるだろう。この前、ネットをやっていたら、最新のミシュランのラーメン部門が載っていた。家に1番近いのが、佐野実の弟子が開いている店で、そこに行ってみた。3人並んでいた。麺は、もんでない真っ直ぐなもので、チャーシューは2種類あって、豚と鶏。スープは黒っぽい塩味が濃い感じだ。それでも、麺とスープのバランスが良く、スープの味が麺に絡んで丁度いい。チャーシューは柔らかく、鶏の方は、弾力があって食べ応えがある。シナチクが大きく柔らかく食べ応えがある。

 今年は紅葉の盛りが遅い。何故葉っぱは紅葉するのか?秋になると、葉っぱの中にあるたんぱく質を、来年使うために木の幹に全部回収する。もう光合成をやらないというサインが、葉が緑から赤や黄色になって出している。だから、紅葉する木は、来年も葉っぱが出てくることを意味するようだ。葉には元々黄色い色素があって、日が当たるとアントシアニン色素を持っているとの赤くなる。これが色々なグラデーションを作り、美しさを演出する。また、散りたての葉っぱは、香りがする。桜の木は、桜の香りがし、1番強烈なのは、桂の木で、甘い綿菓子のような香りがするようだ。観たかったなぁ、京都の紅葉。残念。セビージャに住んでいる下山さんは、紅葉が観れるのだろうか?日本の紅葉には、かなわないだろうと思うのだが…。


 12月4日(火) 晴 10260

 今日練馬は25度を記録し夏日になった。夕方は、風が強かった。「ボーッと生きてんじゃねーよ」は、今年の流行語大賞にはならなかった。大賞は、カー娘がオリンピックでいっていた、「そだねー」だった。マリリンが授賞式で、私たちで良いんですかと、言っていた。たまには、ボーッとしたいことがある。米ちゃんは、電車の中で、ボーッとしていたいから、ガラケイで、メールもやっていないと言っていた。手帳とペンと、本をもって喫茶店で、ボーッとしてタバコが吸いたい気分だ。


 12月5日(水) 晴 11747

 阿佐ヶ谷まで行った。いつも行かない処を歩くのも良いものだ。商店街を歩くもの面白い。こんな物がこの値段で売られているのかとか、こんな店があるのかと、観ているだけで楽しい。

 昔、スペインへ行った当初、町の広場に帽子をかぶった老人がベンチに座ってした。険しい表情でただそこに座っていた。何をする訳でもなくそこに佇む。それだけである。あの当時のスペインは、銀行の年利は、15%くらいあって、不況の時代。それでも、船に乗っていたので、色々な国に行ったという老人がいた。日本にも行ったと言っていた。着いた港が、横浜だったのか神戸だったのか、何処だったかはもう覚えていないが。

 それと、教会へ行くと、入口の門の前に、黒い服を着た老婆がいて、黒い頭巾もかぶっていた。何を言っているのか判らなかったが、真鍮の小皿を出して、小銭をくれるようにと催促しているようだった。よく訊くと、それは言葉になっていなかった。黒衣の老婆は、聾唖者だった。それに気づいたら、なんだか体がブルッと震えるような、怖さを感じた。それは理屈でない。教会の前という場所で、黒衣の老婆が言葉にならない言葉を発しながら、肌の色が違う、見ず知らずの物に物乞いをする。キリスト教的な装置的な物を感じた気がした。

 昨日ボーッとしていたいと書いたが、もう一つ思い出したことがある。夕暮れに何をする訳でもなく、ただ歩く老人たちがいた。自分がそういう年になって、夕暮れに同じ時刻に、待ち合わせた訳でもないのに、ただ歩く老人たちというのは、少なくても日本にはいない。スペインでは、今でもそういう人たちがいるのだろうか?ただボーッと歩くことは、散歩の時はあるが、それが集団的に行うことはない。あの共同幻想の空間はなんなのだろう?

 これも昔だが、神楽坂を歩いていた時に、路地の小道から聴こえる三味線の音。それは、江戸の風情を感じさせるものだった。そういう物がまだ残っていた時代だったのだろう。そこには、落語を感じ、浮世絵を感じ、時代劇映画を感じた。山田風太郎の『人間臨終図巻』をつまみ読みしながら、様々な死に様に、感じることが多かった。


 12月6日(木) 曇時々雨 10266

 雨が降って寒くなってきた。朝ドラ『まんぷく』で、手榴弾で魚を取っていた社員の為に、GHQに捕まり牢屋に入れられる。旧陸軍の施設を借り受けて、塩作りやダネイホンという栄養食品を作っていたが、GHQは、内乱を企てたという罪である。萬平を助けようと思うが、商工会の会長の三田村も手が出せない。そこを紹介した世良まで逮捕された。新聞記事になり、福子のホテル時代の同僚の旦那で、福子の姉の咲にプロポーズした歯科医師の牧や、軍の物資を横流しした罪を萬平に着せて逃げた加地谷も、GHQの担当軍曹に会って、萬平の無実を訴える。

 しかし、そんなことはお構いなしに、軍曹は曹長に裁判をするように催促した。GHQは、日本に進駐した時、あらゆる権力を握った。その中で、歌舞伎などの演目『忠臣蔵』など仇討ちの事などの話は上演を禁止された。日本人の中にあるそういう仇討ちの心情を恐れたのだ。だから、旧陸軍施設にあった手榴弾を使っていたという事実に、反乱の企み有りと決めつけて、萬平達を裁こうとしているのだ。おそらく、こういうことは、当時の日本各地で行われたことだろうと思う。

 雨が上がったのを見計らって、昼食に出掛ける。食後タバコを吸いながら、少し本を読んだ。帰りにスーパーに寄り、焼き芋、鯖煮、羊肉、豚肉など買ってくる。夕食は、朝作った、油揚げの入った味噌汁と、買ってきたものなどで取ろうと思う。


 12月7日(金) 曇/晴 9161

 今日は暖かい。昨日作った味噌汁と鯖煮、納豆で朝食を取る。今週は2歳牝馬女王決定戦、GT阪神ジュベナイルフィリーズ。といっても、1番強いと思われるグランアレグリアは、出走しない。何故なら、2歳牡馬マイルのGT朝日杯フュチュリティステークスに挑戦するからだ。それだけの自信を陣営は持っているのだろう。そういう意味で、ジュベナイルフィリーズは、その2番手の争いになるレースになった。おそらく、重賞やオープン戦での実績馬が人気になると思う。枠順が発表されたが、チラッと見たら、ダノンファンタジーが1番人気になりそうだ。

 午後上野の国立博物館へ行った。『マルセル・デュシャン展』を観た。現代アートの価値を一変させた作家だ。アンドレ・ブルトンなどと共に、ダダイズム、シュールレアリスム運動の先頭を走った人。一般的には、男性用小便器を、美術館に『泉』とタイトルを付けて出展して、物議を醸す。既製品にタイトルを付けて、それを芸術品のように展示したことで、賛否両論になった。これでも、既製品に手を加えた作品を出し続けた。『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称、大ガラス。展示されているのは、複製品で、いわゆる東京版である。)という作品などが有名だ。元々は画家だったというには、今回初めて知った。

 1912年に発表された『階段を降りる裸体』は、左から右下に階段を降りている、おそらく、女を描いているが、どう見ても、ピカソなどが始めたキュビズムの絵だ。それを、何故かキュビズムの人たちから批判され絵を辞める。しかし、懲りずにアメリカで作品を発表すると話題になったという。その後は、アメリカで活動する。芸術ではないような既製品に手を加えた作品などを発表する。が、チェスに狂い、作品を作らない時代が長かった。今回フィラデルフィア美術館所有の作品が主なもので、後半の日本の浮世絵や掛軸、茶碗などは殆どデュシャンとは、関係あると思えないものまで、さも関係あるように展示されているのは、余計だ。

 それにしても、デュシャンが問いかけた、芸術とは何か?というのが、現代アートに反響し反映され、繋がっているのは、明らかだ。


 12月8日(土) 晴/曇 10197

 今日は寒い。大雪を過ぎて寒くなった。天気予報は土日は冷えると言っていた。

 先日、二日に渡ってBSプレミアムで、太宰治に関する番組をやっていた。教科書で読んだ太宰治の『走れメロス』。その授業が道徳の時間だった忘れた。友情の物語を先生は賞賛した。しかし、素直な人間ではないので、そう簡単には思えなかった。お互いにお互いのことを疑う処が、面白いと思った。普通に考えて、当たり前に出てくる心情だと思う。その後、お互いにそのことを謝罪する。そういうのを読んで、照れくさいというか、何というか、ちょっと違う感じがした。小さい頃、こんなことを言う人は、周りにはいなかった。なんか芝居がかっているというか、嘘くさい感じがした。だから授業が終わってから、あれは違うと悪口を言った。

 『人間失格』が太宰ファンの良くいう作品だが、太宰の作品は、処女短編『晩年』から始まり、『グッド・バイ』で終わる作品群。それだけでも、笑ってしまうような作家というか、創作された物語性を感じる。『晩年』の冒頭にヴェルレーヌの詩の引用で始まる。「撰(えら)ばてあることの 恍惚と不安 二つわれにあり」。その後に、「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目(しまめ)が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」と始まる。もう完璧に近い編集の成果だ。感心する。中に、「思い出」という短編に、よく本を読んでくれた、たけという女中に連れられて、近所のお寺の地獄絵を観て泣いたと書いている。

「火を放(つ)けた人は赤い火のめらめら燃えてゐる籠を脊負はされ、めかけ持つた人は二つの首のある青い蛇にからだを卷かれて、せつながつてゐた。血の池や、針の山や、無間奈落といふ白い煙のたちこめた底知れぬ深い穴や、到るところで、蒼白く痩せたひとたちが口を小さくあけて泣き叫んでゐた。嘘を吐けば地獄へ行つてこのやうに鬼のために舌を拔かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。
 そのお寺の裏は小高い墓地になつてゐて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒堵婆が林のやうに立つてゐた。卒堵婆には、滿月ほどの大きさで車のやうな黒い鐵の輪のついてゐるのがあつて、その輪をからから廻して、やがて、そのまま止つてじつと動かないならその廻した人は極樂へ行き、一旦とまりさうになつてから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる、とたけは言つた。たけが廻すと、いい音をたててひとしきりつて、かならずひつそりと止るのだけれど、私が廻すと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行つてその金輪のどれを廻して見ても皆言ひ合せたやうにからんからんと逆廻りした日があつたのである。私は破れかけるかんしやくだまを抑へつつ何十囘となく執拗に廻しつづけた。日が暮れかけて來たので、私は絶望してその墓地から立ち去つた。」(「思い出」太宰治)

 こういうのを読むと、太宰は非常に上手い具合に自分というものをみせている。だからなのか、『火花』を書いた芥川賞作家又吉直樹は、太宰太宰というのだろうか。山田風太郎『人間臨終図巻』の三十九歳で死んだ人々の太宰治の処には、初版の単行本一ページ二段で、4ページに渡って書いてある。これは他の人に比べて、かなりの量を書いている。最後の三行は、「この弱気なエゴイストは、しかし文学の衣装をまとうことによって、「桜桃忌」に毎年おびただしい若者を集めるという、他の作家には見られない魔力を発揮した。」と締めている。これはおそらく、風太郎の作家としての羨望と思える文章だ。


 12月9日(日) 曇 12852

 寒い朝。風が冷たい。一気に冬になったような天気だ。北海道から日本海側にかけて雪が降った。京都でも初雪が降ったという。

 昔観ていた朝ドラの再放送を、NHKでやっている。『あさが来た』だ。瓦解によって、両替屋商売が傾きかけ、それを救おうとあさは奮闘し、姉のはつは、実家の京都へ、金を借りに旦那と一緒に行って断られる。すると、どこかでこうなって欲しいと思ってました。と両親の前で言い切る。帰り道、妹のあさと会うが、そのことは一切言わずに、がんばろなと言って別れる。この当時の女の覚悟は見事だ。男には真似の出来ないものだろうと思う。その証拠のように、あさが奈良へ金を借りに行った時の度胸と覚悟は、相手の商人を圧倒していた。「目泳いでないな」と感心させ、「あんたそのうち、日本一の女商人になるわ」と言わしめる。

 フィギアスケート女子GPは、日本とロシアの選手が3人ずつ出場して行われた。注目は紀平梨花。連勝でオリンピック女王ザギトワに挑んだ。SPの1位になり、FPでもザギトワを上回り優勝した。ロシアのメディアは、「ザギトワは王位を失った。素晴らしい日本の情勢が連れ去った」をいう見出しで、完璧な演技でなければ勝てないと、報じたという。ザギトワのコメントは、「1年目の方が2年目より簡単だった。全てが初めてだったから期待も大きくなかった。今は周囲からの大きな期待がある。自分の神経質になっている部分に対応しなくてはいけないと思う。」と語った。SPで2位になって紀平について聞かれた時は、ノーコメントを貫いていた。一方、ジュニアの女子では、ロシア選手2人が4回転ジャンプに挑んだ。もう3回転半や4回転が当たり前になってくるようだ。

 阪神ジュベナイルフィリーズは、予想通りダノンファンタジーが優勝した。これで9週連続で外国人騎手が優勝したことになる。


 12月10日(月) 曇 17274

 寒い日が続く。明日、明後日は雨が降る予報。今日も最低気温は5度を切ったが、今週は寒い日が多いようだ。

 野村克也が、ベースボールマガジン社から、野球人に対して、手紙という形で、メッセージを出している。田中将大、大谷翔平など。今日ネットには、江夏豊への手紙だった。阪神を追い出され南海に入団したのは、野村がいたからだ。実力があるのに、ひねくれ者で、人気球団でチヤホヤされてきた江夏に、野村は、頭を下げて君が必要だといってもダメだろうと、野球の話をした。ある試合のあの1球は・・・。

 野球の奥深い話をして、江夏は南海に入る。先発からリリーフへ。渋る江夏に、革命を起こそうという、殺し文句で、リリーフへの転向。当時、今のような投手は、分業制になっていなかった。あくまで、先発投手が中心だった。絶対的なエースだった江夏が、セーブをあげ続けたことによって、日本のプロ野球に、投手の分業制が確立していった。野村は、江夏に、寂しかったんだろうという。プロでは、1日中野球の話ばかりしていると思っていた野村は、みんなは、酒と女の話ばかりでガッカリした。だからフレイザーが来た時、飯を食いながらメジャーの野球の話ばかり訊いたという。

 江夏とは 「 「ストライクの取り方っていくつある?」 するとお前は、「いくつあるって、どういうことよ」と聞き返した。 「ストライクの取り方は、最低3つあるやろ。野球はなんでも3の係数なんだ。見逃しのストライク、ファウルで稼ぐ、空振りで稼ぐ。簡単なことや。そのどれを選択するかというのが、バッテリーの呼吸だよ」 次に、こう聞いた。 「じゃあ、一番処しやすいバッターは、どんなバッターや? ホームランバッターか、アベレージバッターか」 「考えたことなかったわ」 「俺がキャッチャーやってて、一番処しやすいバッターは、選球眼の悪いヤツや。選球眼の悪いヤツには、なにもストライクを投げる必要はない。ボール球で誘えばいいんや」(江夏豊様 寂しがりの君へ 『野村克也からの手紙』) というような話をしたようだ。

 「お前は以降も日本ハム、西武、アメリカと渡り歩いた。やがて、薬物に手を染めた。善悪の判断は、人間の判断力における初歩中の初歩。それを誤るのは、お前の弱さのせいだけではない。俺は生まれ育った家庭環境にも原因があったと思っている。」

 「 『信は万物の基を成す』── 信用、信頼は、人が人の中で生きていくにあたって、最も大切なことだ。この言葉を今後、片時も忘れないでほしい。お前は自分で自分の人生をダメにしてしまった。しかし服役し、更生した姿勢が見られたからこそ、野球界と再びつながることができたんだ。

 本来なら、その野球に対する愛情、真摯な姿勢、豊富な知識を、指導者として存分に発揮してほしかった。回り道はしてしまったとはいえ、人生は長い。残りの人生をかけ、球界へまだまだ恩返ししてほしい。

信は万物の基を成す」

 野村の江夏への手紙には、愛がある。「信は万物の基を成す」良い言葉だ。子供の頃、野球に熱中したのは江夏がいたからだ。江夏が阪神だったし、野球だった。江夏は、人との付き合いが下手な人間なんだと思う。そういう処も含めて大好きだ。この1球の思いを、解説して欲しい。そして、現役選手に野球の大切なものを伝えて欲しいと思う。野村の言葉を読むと、信用できない人とは、やっぱり、付き合いたくないと思ってしまう。信用できる人とは、話したり、食事したりして会いたいと思うのは、自然だ。


 12月11日(火) 曇のち雨 10024

 今朝東京は、今季最低気温1度台を記録した。もう手袋が必要だ。朝ドラを観た後、味噌ラーメンを作って食べた。ガラスープと味噌が別に入った生めん。麺が美味しかった。今まで買ってきたものに比べて1番美味しかった。またスーパーで買ってこよう。今夜は関東でも雪が降る処が出るらしい。多分山沿いだと思う。

 ノーベル賞授賞式が行われ、日本から行った川端康成以来50年ぶりに着物で、メダルを受けっとった。医学・生理学賞受賞者を代表して英語で「地球上の全ての人々が健康的に暮らすため、この革命的な贈り物から恩恵が受けられるよう、この治療が広がっていくことを心から願う」と語った。


 12月12日(水) 雨のち曇 12501

 盛岡では18cm雪が積もったという。東京も寒い。今年の漢字が、清水寺で発表された。平成最後の漢字は、「災」だった。自然災害が多かった日本。そういうものが反映されているようだ。藤井聡太七段は今日プロ入り後、100勝を16歳4か月で達成した。歴代トップで、勝率もトップを記録した。

 12月8日ジョン・レノンの命日だった。1980年のことだ。あの時、色々な人たちがそれぞれの立場で、様々な事が書かれ多くの人がそれを読んだ。音楽関係の人やそうじゃない人たちも。1941年の12月8日は真珠湾攻撃で、日米開戦の日でもある。そのことを絡めて書いた人は、2人いたと記憶する。その1人が上野昂志。思い出したように上野さんの本を出して読んだ。

 『紙上で夢みる』作家論を書いている。「変容する肉体の博物館 ――山田風太郎忍法小説論――」「明治のぞきからくり ――山田風太郎『警視庁草紙』論――」「ディスカバー「怪奇幻想」 ――横溝正史論――」「 「快感」に縛られた性 ――宇能鴻一郎・川上宗薫――」など。やはり、風太郎の明治物、『警視庁草紙』論が白眉だ。唸る。川路利良初代警視総監を描いた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』との比較などもそうだが、「虚」と「実」を織り交ぜながら、江戸から明治になった時代の、日本という国家の闇の部分というか、恐ろしさを浮き彫りにしていると書いている。都落ちの西郷隆盛に、自分も連れて行ってくれと頼む川路から始まる。それが最後は、西南戦争で警視庁抜刀隊を編成して熊本に西郷を打ちに行く。この川路の変化。それは、警視庁対、元南町奉行駒井相模守信興こと隅の御隠居、元八丁堀同心で柳町芸者のヒモ千羽兵四郎、元岡っ引きの冷酒のかん八。という構図で描かれる。登場人物は、三遊亭円朝や河竹黙阿弥、からくり儀右衛門など。10歳の幸田露伴、8歳の漱石、4歳の樋口一葉、坂本龍馬の嫁だったお龍など。画家では、高橋由一、河鍋暁斎など。

 奇想天外な物語が、明治という時代の中で動いて行く。洋行した大久保利通たちの現政府に、反旗を翻した者たちや、江戸時代を引きずる者たちが、異を唱える。1話読み切りの連作というスタイルで綴られる。上野さんの筆は冴えている。

 「海を眺めるとしばしのあいだ目がはなせなくなる、とうのは、むろんわたしが海の、ひらかれた眺望に心ひかれているからであろうが、しかしその「陸のはてには海がある/白帆が見える」というような景観だけがわたしの目をとらえてはなさないのではない。海と空が溶けあう彼方の水平線とともに、あるいはそれ以上に、足下の、波が寄せては返す海岸線に目を奪われてしまうのだ。波がくる。崩れた波頭が一瞬砂を覆い、また引いてゆく。そのはてのない繰り返しに釘づけになってしまうのである。もしかすると、わたしが花田清輝の「境界線の移動について」というエッセイのなかで、メルヴィルがどうしたとか、ポオがどうしたとかいうことの一切を忘れて、ただ、「海でもなければ陸でもない、あるいはまた海であるとともに陸である」領域ということばを記憶しているものも、この、波が砂を洗う現実の海岸線に対するわたしの執着のためかもしれない。むろんそこに見えているのは、たかだか寄せては返す波の運動にすぎないが、しかしその波の運動には海と陸との矛盾と調和の全てが含まれているはずだ。」

 こん具合に、上野さんの「明治のぞきからくり ――山田風太郎『警視庁草紙』論――」が、始まる。つまり、江戸と明治の境界線の時代を風太郎は書いている。そのことを、初めの文章で表している。その境界線には、海と陸との矛盾と調和の全てを含んで、物語も時代も進んでいくのだ。そこには、満潮も干潮も当然のように含まれている。


 12月13日(木) 晴 10964

 昨日、下山さんからメッセージが来た。そこには、91年のセサル・リンコンの4回連続プエルタ・グランデの動画があった。あの時、あの中に身を置いていたことが蘇る。6月6日の涙、涙のベネフィセンシア。初めて観たラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデの5月21日など。つまり、野球の原点が江夏なら、闘牛の原点がここにある。セサル・リンコン。永遠のイドロだ。動画を観ていてめっちゃテンションもモチベーションも上がった。

 『西郷どん』は、西南戦争になり、敗走して薩摩を目指すところで終わった。川路利良は、鹿児島に出来た(西郷が作った)私学校に密偵を送る。それは、大久保利通からの指示だった。現政府に対して、士族が各地で反乱を起こしていた。薩長土肥のなかで、長州も佐賀も。江藤新平は、西郷に会いに来て、加勢するように言うが、西郷は断る。『西郷どん』では、あくまで大久保中心の政府の作る、これからの日本が観たいと、西郷はいう。

 『警視庁草紙』風に言えば、川路は、薩摩のお庭番から天皇のお庭番になる。廃藩置県になり、武士階級がなくなり、生活の糧をなくした士族が、その不満を反乱という形で暴発させる。それが、広沢参議や大村益次郎の暗殺という形で起きたり、長州や佐賀の乱という反乱が各地で起こる。西南戦争が日本最後の内乱にしようとしたのが、大久保たちの政府だった。その中には、薩摩出身者もいたが、多くの賊軍になった東北諸藩出身者も含まれていた。薩摩出身者は、新政府と旧薩摩の為、東北諸藩出身者は、賊軍の汚名を着せた西郷の首を取るために戦った。それは、幕末の京都の治安を守ったにも関わらず、戊辰戦争で徹底的に叩きのめされた会津藩のように、西郷を潰すことによって、新政府が日本という国家体制を作ろうとしたことに重なる。

 その為には、維新の英雄でさえ、大久保の友人であり恩師である西郷でさえ、潰さなければならないという覚悟があり、そして、その手段は選ばなかった。

「妙な大警視があればあるもの、これはひょっとすると――と、わしは考えた」
大警視が、しゃがれた声で訊いた。
「ひょっとすると――何でごわす」
「大警視は、乱こそ望んでおられたのじゃないかと」
 いまや問う者は、御隠居のほうであった。
「ところがあんたは、鹿児島のほうだけには暴発をふせぐべく、極力手を打たれた。さずがは御自身の郷国、恩人の大西郷だけには傷のつかぬように心をくだいておられるのか、と、わしはその心事を諒とした」
「・・・・・・」
「ところが、何ぞ知らん――そうじゃなかったのだ。それは、その時点までは西郷さんに起ってもらちゃ困るからじゃ。そして、各個撃破で西国一円反政府勢力を片付けたあとは、もうよろしい。まるはだかになった西郷さんが起っても、もうこわがるに当たらない――」
「・・・・・・」
「いや、今となっては、西郷に暴発してもらいたい。政府にとって、だれより怖い西郷を始末する機会をこそこいねがう。かくてあんたは、西郷暗殺の刺客を送った。――ああ、暗殺者を送り出す警視庁の大警視などというものがまたと世にあろうか」
――(中略)――
 御隠居はしずかに首をふっている。
「西郷暗殺――それならば、まだ常人の頭でわからんこともない。ところがあんたはその上をいって、巡査を刺客の心得で鹿児島に送り、みずから捕らえられて白状させ、怒りのために薩摩を暴発させようと計られたな。・・・・・・その細工の手応えが、そろそろあってもいいところじゃが、まだ知らせはないか?」 ――『警視庁草紙』山田風太郎より――

 風太郎は、元南町奉行駒井相模守こと隅の御隠居と川路の会話という形で、川路大警視の恐ろしさを、語っている。その強引なやり方は西南戦争の後、大久保の暗殺という形で現れる。


 12月14日(金) 晴 8635

 朝起きて、朝ドラを観て、納豆玉子ご飯と味噌汁を食す。そして、部屋の片づけを始めた。昼食を作るのが嫌になって、外に食べに行く。これから片付けの続きをしようと思う。ラーメンがミシュラン載ったのが、2015年。今年は一つ星の店が載ったようだ。ラーメン店を開店しても、1年以内に4割がつぶれるという。出すのは簡単だが、客の支持を得るのは難しいという。昔よく通っていた荻窪の丸福も、だいぶ前に行った時はもう美味しくなくなっていた。正直なもので、良く通っていた頃は、店の前にはいつも並んでいた。ちょっと先の春木屋は、客が並んでいたが…。大塚のホープ軒も良く行ったが、ここもダメになっていた。神宮球場近くにあったホープ軒もそう。

 1000円を超えるラーメンなんて、と、思うのは当たり前の感情だ。それを、伊勢海老を使って2400円で出すところがあるのをテレビで知る。また、トウブン50%オフで1日の栄養の1/3が取れるベースフードのベース麺がパスタだけではなく、ラーメンにも使われて売り出されているという。ラーメンというのも随分変わってきたと思う。NHKでは、カレーをやっていたが、今やラーメンよりもカレーの方が一杯食べられているという。しかも、バーなどが、営業しないランチタイムに、店舗を借りて営業する処も出てきたという。時間によって業態を替える。あの神田近郊には、400店あるという。

 「 明治十一年五月十四日朝、福島県令山吉盛典(やまよしもりすけ)が裏霞ヶ関の内務卿大久保邸を訪れたとき、大久保は昂然として、「明治第一期の武力統一期はこれで終り、これからは内治興隆の十年にはいる。余の真骨頂はこの第二期にある。第三期はおはんたち後進にまかせよう」と語ったといわれる。
 このあと大久保は、午前八時出勤しようとして、いつものように玄関でまだあかん坊の娘芳子を抱きあげた。彼はただ一人の女児である芳子をことさら可愛がっていたのである。ところがこの朝芳子は異常に泣いてしがみつき、父から離れなかった。やむなく大久保は彼女を抱いたまま馬車に乗り、玄関前をひとまわりしてからあかん坊を下ろし、馬車を出させた。(大久保利謙『孫の描いた大久保利通のブロフィル』)
 その足で大久保は、過ぐる西南の役における陸海軍の将兵に手ずから勲章を与えるべく、太政官へ向った。朝からドンヨリ曇って、いまにも雨が落ちて来そうな空模様の朝であった。
 その馬車が、土牆(ドショウ)にはさまれた坂道となっている紀尾井町一番地にさしかかったとき、待ち受けていた六人の刺客が刀を抜いて殺到した。彼らは元加賀藩士島田一郎をはじめとする、西南の役に対する措置その他政治すべてにおいて大久保を非とする男たちであった。
 島田一郎の獄中談。
 「大久保の馬車の来かかるとたん、長連豪は一刀に馬の前肢を薙ぎたるに、馬はなおも一散に走りて数間をゆき過ぎるにぞ、こは仕損じたりしかと思いし折柄、脇田巧一が馬の前額に二の大刀を斬りつけたれば即座に倒れたり。
 ならびし別の一馬も進み得ざりしかば、余は大いに力を得て、ツツと馳せ寄り、右の方より馬車の扉をひらきて二刀まで刺し通せしそのときに、大久保が余を睨みし顔の凄さ、恐ろしさ、苦痛のゆえか無念ゆえか、その血色は今に忘れず。
 折しもまた左の方よりもだれなるか、二刀三刀刺しつらぬき、然して馬車よりひき出せしときは、もはや命も絶え絶えなりしが、なお七足八足ヒョロヒョロと歩みゆきしはまったく気のみ残りしなるべく、このときみなみな乱刀にてさんざんに斬りつけ、ついに止めを刺しおえたり」
 実にその頸には真横から短刀を突き刺し、そのままにしておいたという。
 彼らはズタズタにした大久保の屍体に唾を吐きかけ、返り血に染まったままの姿で宮内省に出頭自首し、七月二十七日、市ヶ谷監獄でみな斬刑を受けた。
 大久保は殺されたとき、前年彼が殺したともいうべき畏友西郷の手紙を懐中していたといわれる。
 ――その数日前、内務少輔前島密(ひそか)は大久保邸を訪れ、雑談中、大久保から「いやな夢を見た。西郷と崖の上で格闘し、いっしょに崖下に落ちたのだが、おれの頭蓋骨が割れているのに、中の脳髄がピクピク勤いている夢だ」という話を聞いた。この日、太政官で凶報を聞いて現場に馳せつけた前島は語る。
 「・・・暫(しばらく)ありて漸(ようや)く気を復し公の遺骸を点検せしに、肉飛び骨砕け又頭蓋裂けて脳の猶微動するを見る。・・・・・・これ果して真耶(か)夢耶(か)」
 なお五月十九日に行われた大久保の葬儀に、儀仗兵の指揮官を動めたのは、その西南の役で軍旗を奪われたものの、許されてこのとき歩兵第一連隊長となっていた乃本希典中佐であった。」 ――山田風太郎『人間臨終図巻』四十八歳で死んだ人々。大久保利通より――

 さて、片付けの続きをしようかと思う。


 12月15日(土) 晴 10956

 寝坊した。寝るのが遅かったからだなと、思った。外は天気が良い。暦が回り初めての誕生日。大根の味噌汁を作り、納豆玉子で食事する。中山のメインで典ちゃんが勝ったのが嬉しい。夜はクラブ世界一を決めるトーナメントに鹿島アントラーズが出場する。幸運を祈る。

 日曜日の朝日杯フュチュリティステークスの枠順が発表され、1番人気のグランアレグリアの藤沢和雄調教師は、「例えるなら、紀平梨花ちゃん!4回転くらいしちゃうかも」と語ったという。牡馬のマイル戦に、ただ1頭牝馬で挑戦するが、競馬ファンは絶対的な支持をしている。何故なら、デビュー戦で負かした馬が、先週の2歳牝馬チャンピンを決める阪神ジュベナイルフィリーズで、優勝したダノンファンタジー。2戦目の前走は、牡馬相手に重賞を圧倒したからだ。調教師が言うように、紀平梨花のように牡馬相手でもチャンピンになるだろうと思わせるだけの結果を出しているからだ。不安があるとすれば、2点。左回りの東京でしか走っていない点と、関西への輸送競馬になるという点だ。でも、それは心配事になるのか?

 一方、ファンタジスト。武豊は、JRAの2歳GT朝日杯だけを唯一勝っていないレース。勝てば、全GTレース制覇になる。そして、9週連続外国人騎手が勝っているGTを日本人騎手が止められるか?それとも、ミルコ・デムーロが乗るアドマイヤマーズが勝って続くのか?それは明日判る。


 12月16日(日) 曇 11886

 まず、昨日のクラブ・ワールド・カップ、鹿島対グアダラハラ(メキシコ)は、前半は押されて0−1で折り返した。後半は安倍を投入すると流れが変わり、3点を入れてグッと勝ちを引き寄せた。終了間際PKで1点取られたが、3−2で勝った。その後、リーガ・エスパニョーラで、レアル・マドリードは、1−0で、何とか勝ったが、ベンゼマやアセンシオが負傷で途中交代した。スペイン紙『Marca』は、鹿島の逆転劇を、「鹿島は復讐を望んでいる」とタイトルし、『AS』は、「鹿島は復讐に来た」と報じ、「それは不可能なことに対して、わずかな可能性を信じた人たちによる勝利だった。日本のサッカーは今までとは変わっている。今の鹿島はレオ・シルバ、レアンドロ、セルジーニョのブラジル人トリオだけではない。彼らは2016年の決勝でマドリーに敗れた時の復讐をする機会を得るために最高のストライカーであるスズキの不在が重要ではなかったことを結束力と素早さで証明した」と書いた。特に3点目の安倍のゴールは賞賛されている。さて、まさかが起こるか、それは、20日の1時半から試合が始まる。

 朝日杯は、スタートで行き脚がついたグランアレグリアが番手につけて、その後ろにアドマイヤマーズがつけた。平均より少し早いくらいのペースで進み、直線へ。グランアレグリアとアドマイヤマーズが並び、ミルコが少し内に絞めるような形になり、逃げたイッツクールの馬体にグランアレグリアが接触。少し追いづらくなる。アドマイヤが抜け出し、それを追うグランアレグリア。しかし、直後につけていたクリノガウディーに交わされた。優勝は、アドマイヤマーズ、2着はクリノガウディー、3着がグランアレグリア。4着が武豊のファンタジストだった。圧倒的な1番人気グランアレグリアは直線伸びを欠いて3着。それは何故なんだろう?右回りだったから?牡馬が相手だったから?直線ラチ沿いを走ったから?ともあれ、これで10週連続外国人騎手がGT制覇になった。


 12月17日(月) 雨/曇 19004

 「放送作家で脚本家の小山薫堂さん。かの有名な、大ヒット料理番組を手掛けた食通。世界中の料理を食べつくしてきた小山さん。一押しの洋食屋さんがこちら。「このハンバーグの素晴らしいところは、やっぱり、肉そのものの美味しさを、後ろから押し上げるような、いろんなうまみがギュッと凝縮されていて、それで一口食べると、またついもう一口食べたくなる、んで、そこにご飯を追いかけさせる。ご飯こっちへ来なさいっていうような、そういう手招きをしていような感じがありまして。この西洋のものと、日本が誇る米を、さも当たり前のように合流させ、さらにそこにみそ汁もつくと、今、違うものがなかなか交わらなかったり、あるいは国々が敵対している中で、握手をしっかりしているというその姿勢が、洋食の偉いところだなぁと、思います」(美の壺)

 こういうのを観るだけで、何か食堂へ行って、洋食が食べたくなる。当たり前に美味しいご飯。白いお皿に乗ったハンバーグにデミグラスソースがかかって、横にはサラダが添えられ、小皿でさらにトマトなどのサラダもある。その横に当たり前に美味しいみそ汁。何から食べよう?野菜、タンパク質、炭水化物?の順番?それともまず、みそ汁から?ハンバーグの肉の味を引き立てる、大きめに切られた玉ねぎの甘さを感じ、それを口の中でご飯を混ぜたいという欲望を強く感じる。あー食いたくなる洋食。ご飯の美味しさを引き立てる洋食。食べたい!


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