−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、滞在日記です。
8月20日(月) 曇 15283
涼しい。台風も近づいて来ている。秋田の金足農業が決勝に勝ち進んだ。150キロの速球を投げる吉田投手は連投で、春の王者、大阪桐蔭と優勝を争う。口に入れているマウスピースが印象的。第1回で決勝に進んだ秋田県勢から103年ぶりの決勝進出だ。東北勢の初優勝になるのか、県立高校として久々の優勝に成るのか注目が集まる。秋田の中学出身者だけで勝ち進んだ。2ランスクイズを決めたり、それぞれが技術を磨いてきた。ホームベース付近で校歌を歌う時、全員が胸を張り背を反らして大声で歌う姿は、特異な感じがする。が、笑顔がそこにある。
夜、『ファミリーヒストリー さだまさし』を観る。明治とか大正とか昭和の時代、日本人の多くが中国や樺太などへ行っていた。外国に住み、言葉を覚えその土地の人々と触れ合い、根付いていた。親戚などを頼って来たり、知人を頼ったりして。しかし、戦争に翻弄される。さだまさしのお婆さんのエムさん。樺太から親戚を頼って中国へ行く。戦争に負け、エムさんがいた住み込みで働く時計店へ、ソ連兵が略奪に来た。「時計でも好きなだけ持っていけいばいい」というと、あるソ連兵が1個の時計のような物を耳に当てると、「音がしないじゃないか」というとロシア語が喋れたエムさんが、「お前は馬鹿か。それは方位磁石だ。」というと、「馬鹿とはなんだ」といって腰のピストルを抜いた。エムさんが「殺すんなら殺せ。私は充分生きた」というと、ピストルを発砲した。弾は脇の階段に当たった。去った後、それを観ていた子供たちは、階段の弾痕を何度も触ったという。肝のすわった人だとビックリした。こういう事が、人間の度胸とか、その人の生き方を作っていくのだろうと感じた。
8月21日(火) 晴 8069
午後から研修があり夜帰ってきた。正直疲れた。100回目の夏の甲子園。連投がたたり、やはり吉田輝星投手は大阪桐蔭に打ち込まれた。足もつったのか良い投球ができず、「もう投げられない」とマウンドに集まった内野手に言ったという。「あんな弱気な輝星は初めて」と二塁手が驚き、キャプテンが交代を進言したしたという。試合後、号泣する吉田投手。「全然歯が立たなかった」とつぶやいたという。それでも、NHKのダイジェストでは、「甲子園は自分を成長させてくれました」と語った。
そして輝いているといえば、もう2年前くらいから泳げば日本新を出し続けている池江璃花子。アジア大会でも、日本新で金メダルをもう4つ取った女子高生。挫折というのがないのかと驚く。この輝きが東京オリンピックまで続くことを願う。U−20女子ワールドカップで、なでしこがドイツを破って決勝進出。アグレッシブな攻撃と創造性があるとフランスのメディアは賞賛している。元ドイツの監督も、スペインより日本が私の本命と優勝を押している。
NHKBSで『アナザーストーリー 小野田寛朗』を途中から見る。戦争が終わり、ルバング島に残ったのは、小野田少尉、他部下3名。5年後一人が投降し、残留日本兵3名がいることが知れる。それから4年後もう一人はフィリピン警察軍に撃たれ死亡。1972年10月19日フィリピン警察軍に撃たれ死亡。食料は、ジャングルで調達もしたが、住民を襲って食料調達をしていた。農耕で使っていた牛なども殺して食べていた。銃撃戦や住民など30人以上を殺したと様だ。だから、鈴木紀夫が上官の谷口少佐を連れてきて、命令解除の口達後に、フィリピン軍に投降し銃を渡した時、処刑を覚悟していたという。当時のマルコス大統領は、恩赦を与え、「立派な軍人」と評したという。
住民の中には、小野田殺害計画を立ていた人たちがいたという。小野田に身内が殺された恨みからである。マルコス大統領から勅命で、小野田を傷つけるなという命令を遂行した軍人は、「小野田は、犯罪者なのか、英雄なのか?それは今でも答えが出ていません」と、言っていた。
日本は、60年代後半の70年安保闘争と全共闘の学生運動。三島由紀夫の割腹自殺。72年、2月、札幌オリンピック、横井庄一帰還。連合赤軍の浅間山荘事件。7月、『日本列島改造論』をぶち上げた田中角栄が総理大臣になり、大井競馬場で、ハイセイコーがデビューした。8月世界初の電子計算機カシオミニが発売される。9月ミュンヘンオリンピックでイスラエル選手が捕虜にされ殺されるテロ事件が起きる。日中国交正常化。10月シャボン玉ホリデーが終わり、阪神タイガースの村山実が引退。柳家金語楼が死んだ。11月日航機ハイジャック事件。ニクソンがアメリカ大統領になる。
そんな中で10月ルバング島で、小野田少尉の部下、小塚金七上等兵がフィリピン警察軍に撃たれ死亡した。73年日本から捜索隊が派遣されたが、見つからず、74年鈴木紀夫によって発見された。帰還後の日本中の熱狂はすさまじかった。故郷和歌山県海南市。そこの宇賀部神社の宮司を親戚がやっていた。海南市の帰って来た時は、物凄い人だったという。宇賀部神社にお参り来た時、お祓いをするように言われた、小野田は声を荒げて怒ったという。私は、けがれていないといった。親戚が死んだのでそういう意味でいったのだというが、小野田は怒った。
それだけでなく、小野田の目には、「国は変わらないが、人が変わってしまった。」「平和に酔いしれている雰囲気が、いたたまれなかった」のだという。そういうのが、日本を離れブラジル移住を決断させたようだ。それからは笑顔が多くなったという。ブラジルのカンポ・ブランデで、牛1800頭を飼うまでになる。姪が移住していたのでそこを選んだのかもしれない。日常が戦争だった小野田には、異国で新しい人生を歩もうと、原野を開墾している姿が生き生きしていたという。30年国の為にやったのに、自分には何もない。これから何かをやろうとする気持ちがあったという。
「目的があれば、切り捨てが効く。」戦争では、生きるために、目の前のことに、悩んだりしていると生き残れない。それが、のちに小野田自然塾になり、2万人の子供たちにキャンプ生活を通じて、自然教育を行った。何度も小野田自然塾に通って、小野田に教えてもたらという元塾生の女性は、「色んな困難なことで出会ったら、周りの人に助けてもらえるように、仲間がいることを教えてもらった」と言っていた。
8月22日(水) 晴 12024
今日は暑い。猛暑がまたやってきた。録画していていた『日曜美術館』を2週続けて観る。「いわさきちひろ」と、「プラド美術館展」。ベラスケスの『ラス・メニーナス』は日本に来ていいないが、あの絵の特異性は始めて観たときに感じた。鏡の中に写る国王と王妃。ダリの絵の中に出てくる鏡の中にいる人物の絵を思い出す。そして、何よりもバルセロナのピカソ美術館で観た、ラス・メニーナスの連作。あれを見て初めてピカソが理解できた気がした。ベラスケスの実験的というか意欲的な視点で絵を描いてきたことが判った。
いわさきちひろが、女性だったと初めて知った。絵を見てそれが想像できない自分の感性に、こんなもんなんだと、ある意味ガッカリした。親の決めた好きでもない人と結婚して満州へ行く。そこで、相手の男性が自死する。帰国して始めは油絵を描いていた。題材は子供。好きな人と結婚して子供が笑まれてからは特にそうだったようだ。それから水彩画に代わったのは、戦後。漫画家のちばてつや(あしたのジョーなど)が子供の目を、スイカの目と言っていた。子供の可愛さは、万国共通。絵本などは世界的に評価されているという。ちばは、子供の表情にある悲しさみたいなものを言っていた。可愛らしさと、悲しさというか淋しさ。その複雑さが言葉でなく、絵で表現している。こういう繊細さが女性らしさなのだ。そこが判らないってどういう事と、自問自答。
昨日秋田のイオンモール。甲子園の決勝が始まる14時には人がいなくなったという。100回目103年ぶりの決勝進出で、秋田県民はテレビにかじりついていたようだ。こういう処は東北人。何年経っても変わらないなと思った。そういう意味では嬉しい処だ。花巻東の菊池雄星が春の選抜の決勝で投げた時も、希望を持っていた。大谷翔平が岩手県の大会で160キロを出した時も、希望があった。東北のダルビッシュ有の時もそう。ただしダルビッシュの場合は宮城出身ではなく大阪出身。しかし、優勝旗は、白河の関を越えることはなかった。しかし、落合は吉田投手を絶賛した。「秋田から久々に出た、超1級品。」
残念なことに、マイナーで調整していたダルビッシュ有は、故障の為に、今季絶望となった。
8月23日(木) 晴 8705
昨日の天皇杯サッカー鳥栖対神戸で、フェルナンド・トーレスとアンドレス・イニエスタが途中出場した。そして、トーレスが来日初ゴールをあげた。福田がゴールライン際上手く交わしてマイナスのパスを簡単に決めた。観ていると簡単に見えるが、難しいシュートだ。アトレティコ時代からそうだが、難しいシュートの方が決めれるのがトーレス。嬉しそうだった。それと、久保健英が先発出場。目が覚めたのでそのまま起きた。DVDで映画を見て、それから牛乳を飲んで、散歩に出掛けた。戻ってきてまた牛乳を飲む。それから味噌汁を作り、納豆に山形のだしを入れ、サラダを食べて味噌汁、納豆ご飯を食べた。
昨日、THさんのお父さんに会い、頼まれたものを届けた。駅での立ち話だったが、少し話せた。それでDVDを2つ借りた。小津安二郎監督の戦前の作品。『戸田家の兄妹』(1941年昭和16年制作)『父ありき』(1942年昭和17年制作)。『戸田家の兄妹』を観る。小津の映画は苦手だ。東京へ出てきたころ、黒澤明、溝口健二、小津安二郎の三人の監督は是非観ようと思い何本か観たが、黒沢はアクション、溝口は恋愛、小津は日常を描いている特徴があったが、小津の日常を観ると、『東京物語』ですら眠気が出てしまうありさまだった。溝口の近松物や、そこに描かれる女たちに何故か魅かれた。
『戸田家の兄妹』は、父親が死んで、残された母親とそれを取り巻く兄妹たちの話だ。財界に顔の通った父親がいたときは、家族が幸せ暮らしていた。処が父親が突然死ぬと状況が変わる。借金を残していたことが判り、家土地を売り、骨董品も売る。円山応挙や、尾形光琳なども含まれている。こういう処もちゃんと小津は押さえているのだ感心した。父親が死に、兄妹でこの後のことを相談する。長男が、母親と未婚の末の妹の面倒を見ることにして、長女と次女が合意する。次男がこれを転機に、中国の天津に転勤することにする。
長男の処に行った、母親と妹は、居づらくなって、長女の処に行くが、ここも同じで、結局別荘で女中と三人で暮らす。1年経ち一周忌の法事の席で、次男が天津から帰国。長男と長女の家から、母親と妹が出て行ったことを不人情だと責める。次女の処へ行かなった事も。そして、母と妹に天津で一緒に暮らそうという。女中も一緒に来るという。妹は、兄さんへ結婚するように勧め、自分の友達との結婚を同意させる。その時、その友人が訪ねてくる。すると恥ずかしがって近くの浜に逃げ出す。
全く眠くならなかった。戦前でも、こういう家族の不人情を描いているのが、面白いと思った。次男役をやった佐分利信が良かった。それと、高峰三枝子。THさんのお父さんも言っていたが、この頃の女優は、良い処のというか、上流階級というか、そういう処の娘がなっているようで、品がある。そして、戦時下で作られた検閲映画。ギリギリの処で作っているのだろうと思う。天津に、女中が一緒に行くという処も、多分この時代を表現しているのだと思った。小津は、独身を貫いたが、母親が死んだ時、「ばばあが、逝ってしまった」と涙を流したと記憶する。小津が死んだ時の弔辞には、「終始ばばあ呼ばわりしていたが、こよなく母上を愛した」という言葉があった。還暦である12月12日に死亡。その夜、北鎌倉の自宅へ遺体が帰った時、喪服姿の原節子と杉村春子が玄関で号泣して立ち尽くしていたという。家族をテーマに据えて、ひたすら家族の形を撮り続けたようだ。北鎌倉の円覚寺にある墓碑には、「無」の一字が刻まれている。
8月24日(金) 雨のち曇 8729
いい具合に目が覚めて、外は台風の影響で雨が降っている。散歩は止めて、朝食の準備をする。やっこに山形のだしを乗せ、しゃけと味付け海苔。それと抹茶を水で溶いたお茶。しゃけとご飯を海苔でくるんで食べる。しゃけのあぶらが心地よい。やっこと山形のだしがさわやか。交互に食べるてお茶をすする。それだけで幸せな気分になる。豆腐の白、山形のだしの緑、ご飯の白、しゃけの赤というか濃い肌色。海苔の黒というか緑色が口の中で、混ざり合って溶けて行く。その混ざり具合を味覚として感じ、色を想像する。
『父ありき』を観る。例えば、そば屋でそばを食べる。城の石垣の処で腰掛ける。川に入って釣り竿をたらす。父と子を撮っているこのシーンは、全て向き合っているわけでない。川では、親子が横に並び川の流れを向いている。そば屋でも城でも横に並んでいて、向き合っていない。それなのに、親子で会話する。向き合って会話しないのは、日本人の照れなのかもしれない。昔、黒テントで、小津安二郎をオマージュした芝居をやったことがある。親子で川に横に並んで釣り糸をたらして、何気ない会話を交わす。「あれは、・・・だったなぁ」「あれは、そうですねぇ」みたいな明確ではない会話。観ているのは釣り糸についた浮きである。
この映画でも、このように意味のある会話がないときがある。それは、そこに家族がいるという事が、おそらく、1番意味のある事なのだと思う。余白あるいは、間。蓮見重彦の小津論を読んだ記憶はないが、こういう処が小津映画の特徴である。何気ない日常を描くのには、丁度いい。
小津の映画の構図が素晴らしい。俗に50ミリのローアングル。多分日常を描くには、このアングルが1番落ち着くのだと思う。初めの方に映る、富士山と湖と松。こういう構図自体が、浮世絵に出てくるような美しさがある。そして主演の笠智衆が、初めて小津映画の主演になった映画だ。親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちが、映画には出ている。検閲映画で、しかも戦後、色々な部分をカットされているというのに、ラストシーンではグッと来る。戦後、小津が小津的な映画を作っていくときの、原形がここにあるような気がする。そして、『父ありき』が戦前最後の作品になった。
8月25日(土) 晴 11362
今日は暑い。太陽の熱が体に感じる。U−20ワールドカップでなでしこは、スペインを3−1で破って優勝した。フル、U−17と3つあるワールドカップ全部を制覇した。女子では、初めてのチームになった。朝の男子マラソンも井上が優勝。昨日は、池江璃花子が6個目の金メダルを取った。『アスリートの魂 池江璃花子』を観た。母親が水泳選手で、3歳から水泳を始め、5歳で4つの泳法をマスターしたという。子どもの頃、部屋にうんていを作り、それにぶら下がって遊びながらやっていた。それが、結果的に肩甲骨の可動域が広がり、バタフライや自由形の腕の動き効果を発揮しているという。
バタフライの時に、腕を前に出し、水面に手が入った時に、掌に角度をつけて泳ぐ池江。その時に、泡がほとんど出ない。フォームを解析する人は、これは教えてもなかなか出来ることではないと感心していた。泡が出ないと、手でかく力が水に伝わりやすくなるので、早く泳げるのだという。それでも高校生。練習に身が入らない時期もあったようだ。しかし、コーチの練習メニューをこなせるようになって、自己記録更新が出来るようになる。怖いものなしの状態で、レースに挑んでいる。伸び盛り。記録が伸び、東京オリンピックの時は、100mバタフライで世界記録で優勝を目指しているという。
8月26日(日) 晴 12131
朝から暑い。蒸している。今日の満月はどんな満月か?エンジェルスの大谷翔平は4番DHで先発。第1打席は、外角のチェンジアップを右手1本でライト線へ2塁打。第二打席は、初球チェンジアップをセンターへ14号2ランホームランを打った。次が三振で、最後が報復気味の死球。ヒットとホームランは、サイヤング賞を取ったことがある、バーランダー。初対戦の時は3三振と力の差を見せつけられたが、3度目でホームランを打った。凄いパワーだ。大谷って打った瞬間、何が起こったのか分からない時がある。初めの二打席はそういう感じだった。ちょっと驚いてしまう。
小津映画で、親子が向き合わずに、同じ方向を向いて会話することを書いたが、ちょっと感じたことを書いておく。時々横を向いて話しかける。その時のカメラは、顔を斜めから撮っている。それを受けて反対側の会話相手の顔を、斜めから撮ってそれを受ける。部屋の中でも向き合わない。ちょっとづれている位置に座る。そういう撮り方もする。『父ありき』の最後では、息子が嫁になる女と秋田に向かう。汽車の中で、向き合って座り会話する。これが男女の仲を表すカットになっている。
家族を撮るときには、ほぼ同じ方向を向ているカットになっている。上記のシーンの対照として、『戸田家の兄妹』のラストは、次男が嫁さんになる女性と会うのに照れて、砂浜に逃げ出す。どちらも、これから家族を作る過程である。そこには、同じ方を向かずに、向き合うという処がある。他人同士では、お互いに向き合い、そういう過程を踏んで、家族になると、同じ方向を向くようになる。同じ方向を向くようになっている関係を家族として描いている。小津はこういう事を、意識して映画を撮っているような気がする。
蓮見重彦は、ゴダールをよく書いている。でも、感じるは、ゴダールと同じかそれ以上に、トリュフォーが好きなのではないかと感じるのだ。要は、文章を書く時に、蓮見は、トリュフォーよりも、ゴダールの方が書きやすいから、ゴダールを書いた文章が多いような気がするのだ。本当は、トリュフォー的な方が合っているいるような気がするのだが…。
それを、小津映画と、溝口映画に当てはめると、溝口よりも小津の方が書きやすいという事はあると思う。何故なら、カメラが捉える家族を追うと、小津の場合非常に分かり易い。そして、その分かり易さが、若い時に映画を観たときは、退屈に感じる。逆に言えば、退屈なまでに丁寧に分かり易く、家族という物を撮っているのだと思う。構図の中にある配置がその関係性を表す。それを徹底することが、小津映画なのかもしれない。
8月27日(月) 晴/曇 15369
朝から蒸し暑い。36度手前の気温。夜から曇って雨が降る予報だ。明日も雨。少し涼しくなるが、明後日からまた暑くなる予報が出ている。金曜日辺りから涼しくなるようだ。鳥栖のフェルナンド・トーレスが、1ゴール2アシストと活躍して、3−0で勝った。降格圏を争うガンバ大阪に勝ったのは大きい。天皇杯でもゴールし2試合連続の得点。しかも、鹿島から移籍した金崎もゴールしたので、これもチームにとっては大きい。スペインでもトーレスのゴールが報道されているようだ。イニエスタとトーレスが日本に移籍して、報道されることが増えた。イニエスタは、良いパスを供給しているが、日本人選手が決め切れていない。対戦したFC東京へ移籍した久保健英が素晴らしいゴールを決めた。バルセロナのカンテラで過ごした久保は、雲の上の存在といえたイニエスタの前で、ゴールしたのは嬉しかっただろう。17歳だが。18歳になったら、バルセロナへ戻りたいようだ。そうなれるように、結果を積み重ねて行ってほしい。
8月28日(火) 曇 9672
昨日夜一時土砂降りの雨が降った。雷鳴がとどろき近くに位置ているので凄い音と稲光。そのせいで朝から涼しかった。秋の気配を感じながら散歩。このくらいの気温なら気持ちいい。大谷翔平4番DHで先発。第二打席は15号逆転3ランホームラン。第四打席は、レフトへのヒットだった。エンジェルスは逆転勝ち。試合前、50球打者に投げて、いよいよ来週辺りから投手復帰への準備が整ってきているようだ。
先日パディージャが銅像の前の写真があった。何処の闘牛場の誰の銅像なのかと思っていたら、THさんのFacebookに、ビルバオのビスタ・アレグレ闘牛場にあるイバン・ファンディーニョの銅像だというの分かった。去年フランスで牛に刺されて死んだ、ファンディーニョが銅像になっている。闘牛士は、闘牛場で死ぬと銅像になる。そういう文化がスペインなのだ。
8月29日(水) 曇 9821
今日も涼しい。用事があって新宿へ行く。知り合いとばったり会って立ち話。なるほどと思った。相変わらず、新宿は外国人が多い。明日はぶり返して暑くなる予報。スポーツ界におけるパワハラは、女子レスリングに始まり、アマチュアボクシング会長、そして、女子体操コーチの話と、今年になって続いた。今日、パワハラを受けたという18歳の女子体操選手が会見をし、その中で、体操協会が自分とコーチの引き離そうとして、この問題を起こした主旨の内容を話した。
記事を読んだり、ニュースやその解説を聞いていると、どうも、18歳の選手がいう内容が本当のように思える。8年間そのコーチに師事し、教えて貰っている。その関係を、体操協会女子部長が所属する朝日生命に来るようにするために、パワハラしていると主張は、話を訊けばつじつまが合っている。女子レスリングの場合も、栄監督の至学館大学がほとんど日本代表だった。一つに集中する弊害が、その人のに権力が集中する構造を作り出す。栄監督が辞めされて、アジア大会で、1つも金を取れなかったが、それはそれで、選手や現コーチが考えれば良いことで、また戻った方が良いという事にはならない。もし18歳の女子選手のいう事が、本当なら大変なことだ。協会は、元コーチを、ナショナルトレーニングセンターへの出入り禁止にしたが、他の場所であれば、練習の指導は出来るといっているという。なんかおかしい。彼女の主張だと、他にも協会からパワハラを受けている人がいると、いっている。
石破茂へ対して、総裁選に勝ったら、必ず干してやるといっている人達と、同じ穴のムジナなのかもしれない。包容力がない。許容量がない。息が詰まりそうな政治と同じか?これから、体操協会が会見を開くというが、どういう主張をするのだろうか?どうせ否定するんだろうけど・・・。かっ、暗い話で嫌だなぁ。ムーンサルトが泣くぞ〜!
8月30日(木) 曇/晴 9809
朝食後、上野の東京国立博物館へ行った。『縄文展』を観た。火焔型土器が13個並んでいるのは壮観だ。遮光器土偶、縄文のビーナス、合掌土偶など。漆を塗った土器もあった。観た感じでは、火焔型土器が出た、新潟や青森の物が面白かった。外国の土器なども展示されている処があったが、縄文土器に比べると、ただの器という感じで、面白くない。おそらく、これだけの縄文時代の土器土偶が展示されて、これだけの人が観に来るのは、岡本太郎の論文があったからだろう。考古学の研究対象が、美術品として展示されている。その逆転現象も面白い。
女子体操のパワハラ問題は大きくなっている。オリンピック金メダリストの森末慎司は、「宮川選手がこういう発言をしたことによって、本当にすごい勇気がいったことだと思いますし、18歳の彼女をこういう会見をさせる協会側もどういうことなのかなと思います」「ただ、今までいろんなことがあった部分をそれが表に出なかった、その部分をこれを皆さんやりたくても出来ない部分がいっぱいあった。そういう部分で宮川選手がここまではっきり言ったことは相当、自分の中で気持ちをしっかりしてこういう形で出したと思います」「(表に)出て欲しいと思ってましたけどもね。逆にそういう中で今までずっと30年ぐらい前からそういうウワサはいっぱいありましたから。そういう部分で出て欲しいとは思ってましたけど、なかなかこういう発言をする選手、関係者がおられなかった」と、言ったという。
また、女子で現在1番成績の良い選手を教えた事もある、池谷幸雄は、女子部長を、「完全なるドンですよ」「僕らは従っていくしかない」といい、「間違っていたら、間違っているといいますけど」とも言ったようだ。元女子体操選手の田中理恵は、SMSで、女子選手のパワハラ告発に、「この問題は前から多くの体操選手が抱いていた疑問であり、私もそう感じていた1人です。でもみんな怖くて言えないんです」「それをあのちっちゃいさえは勇気を出して1人で訴えかけてくれました」「今後、体操選手がより良い環境で伸び伸びと体操が出来ることを願っています。どうかさえも勇気を無駄にしないでほしい」と、呼び掛けるものだったという。
それと、選手とコーチとの契約を引き継ぎます、高須クリニック高須克弥院長が名乗り出た。こういう時、お金に物言わせるうさん臭さを感じるが、いいタイミングでの、選手へのサポート表明は素晴らしいと思う。
8月31日(金) 晴一時雨 10264
すごく暑くなったが、15時ごろ落雷が鳴り雨が降り出した。少しは涼しくなったが、風がない処では、蒸しているような気がする。女子体操のパワハラ問題は、具志堅副会長が、「18歳の少女が嘘をつくとは思えない。宮川を守る」と明言した。協会と関係ない第三者委員会を立ち上げて、調査し対応すると会見でいった。「選手をサポートするのが協会の仕事。選手のための教会でなくてはいけない」といった。おそらく、こういう方向で事は進んで行くのだろう。なお、SMSで、鶴見虹子(25)が、「元朝日生命で元日本代表として、全力で宮川さえちゃんを応援したいです。皆さんも応援してあげて下さい」と綴ったという。森末や池谷は、今日もテレビ出演したようだ。池谷は、号泣していたという。副会長と女子部長夫婦が書面で見解を発表した。気になるのは、録音があるのでそれを訊けば判るという処。何でそういう物があるのか不思議で不気味だ。
カンブリア宮殿を観ていたら、浅野撚糸の、「エアーかおる」が欲しくなった。中でもバスタオルのハーフサイズの「エニータイム」。これがあれば風呂上がりの汗や、特に髪の毛の濡れなど頭に巻き付けるだけでほぼ乾いてしまうようだ。給水性が抜群に良くて、ある美容院チェーン店では、これを導入してからは、ヘアードライヤーの時間が半分になったという。
9月1日(土) 曇 8510
朝目覚めて、取り敢えずバナナとヨーグルト。それから散歩。そして、ビデオ会用の編集をし直したものをダビングと、思いきや、操作方法を忘れた。それでメーカーに電話していたら、大谷のヒットを見逃した。そして、作業。午前中はそんな感じで過ぎて行き、テレビ中継が終わって、競馬しながら、ダビングが続いた。何か忙しい。万希ちゃんからのメールに返信とか・・・。
編集は思った通りに完成しダビングも終了した。シャワーも浴びたので、これから向かおうと思う。
9月2日(日) 雨 7018
昨日の夕方から降り出した雨。家を出て駅に向かおうと扉を開けたら雨が降り出し、駅までの道のりで、すでに土砂降りになった。馬場に降りる頃には、小降りになった。スタジオに着いたらMEGUさんが着いた処。中には安田さんが待っていた。直ぐに出来るようにセットして待っていてくれた。変わりなく元気だという。MEGUさんは、北海道から戻ったばかりで、東京は暑いという。それから人が集まって、定刻を過ぎて始めた。
2018年サン・イシドロのビデオ会。初めが5月15日パコ・ウレニャ耳1枚。ここ2・3年で売り出してきた闘牛士。まともな闘牛をする。良くコヒーダされる。服の腹辺りに返り血がついている。16日のアントニオ・フェレーラの耳1枚。怪我で長期休養明けの去年から、味のある闘牛を続けている。クーロ・ディアスと共に、人生を語るような闘牛をする。ファエナ後半で、剣をアレナに刺して、左右でナトゥラルをする。17日のルイス・ダビ・アダメのキーテ。フリの有名なロペシーナなどをする。23日のロカ・レイの耳1枚。スペイン闘牛界に新風を巻き起こした誰にでも分かり易い闘牛をする。
6月1日のカジェタノの耳1枚。タブラに座りながら始めたファエナ。そんなに良くないが剣が決まり耳1枚。耳を受け取る時に、口笛と三拍子の手拍子を帯びて、1分くらい待って、それから耳を受け取っていた。兄のリベラ・オルドニェス(パキーリ)よりは、まともの闘牛をする。6月2日雨の中のパブロ・エルモーソ・デ・メンドーサの耳1枚。世界一の手綱さばき。観ていて惚れ惚れする。ぬかるんだアレナで馬はしっかり操作されている。久々に騎馬闘牛を流したが、みんなは改めてメンドーサの騎馬技術を堪能していた。息子のギジェルモがデビューして、こっちが父親以上といわれていることを伝えた。
6月4日のオクタビオ・チャコンの場内一周。ビデオには映っていないが、ピカの場の牛の置き方などで盛り上がりファエナに入って、右角は動くが、左角が危ない牛で、ナトゥラルがほとんど出来なかった。剣が決まり、観客は耳を要求したが、牛が場内一周(青いハンカチ)。プレシデンテの前に立っていた観客が右手をグルグル回して牛の場内一周を要求していた。6月5日のルイス・ボリバルの剣刺し。メホール・エストカダ。体を投げ出すような剣刺し。これはみんな驚いていた。しかし、牛が倒れず、デスカベジョ2回失敗で耳が消えた。そして、メホール・ファエナに選ばれた、5月24日のエル・フリの耳1枚。非常に盛り上がってオーレの声も大きくファエナも良かった。耳2枚の価値があるが、剣が半分しか刺さらなかったので、耳1枚。ここで前半終了。
休憩をはさんで、5月25日アレハンドロ・タラバンテ耳2枚、プエルタ・グランデ。滑らかで、牛の良さを引き出している。同じ日のロペス・シモンの2つのファエナ。初めの牛にコヒーダされて、剣刺し失敗も次の剣刺しを決めた。その時、またコヒーダ。それで観客は耳を要求した。そして、土砂降り雨の後のファエナ。田んぼのような状態になったアレナ丁寧にパセを繋いで、良い剣刺しを決めた。この日2枚目の耳が出て、タラバンテと共にプエルタ・グランデ通過した。5月30日のセバスティアン・カステージャの耳2枚。去年の耳1枚のファエナの方が明らかに良かった。この日は、カポーテの時に突然体の方に牛が来てコヒーダされて、左足の踵を怪我した。珍しく膝を着いてファエナを始める。踵の痛みがあったのかもしれない。後はカステージャらしいファエナ。いつもと変わらない。まっベーリー・スペシャル・ワン・パターン。ノビジェーロの時から観ているし、闘牛士になってから、命懸けで、観客に恐怖の悲鳴をあげさせたファエナもラス・ベンタス闘牛場で観ている。だから嫌いではない。タラバンテ、ロペス・シモン、カステージャはそれぞれ5回目のプエルタ・グランデだった。
最後は、THさんのお父さんと話をして編集を替えたもの。5月16日2頭目のタラバンテのファエナ。ビデオや写真では、1頭目耳1枚取ったファエナが取り上げられているが、実は2頭目のファエナがサン・イシドロの僕のメホール・ファエナだ。滑らかなファエナだけじゃなく、牛の扱いも良いし、牛を誘う時に、ムレタを持った手と同じ足を牛に近い形でやっていた。これは92年にセサル・リンコンがやったファエナと同じ形だ。セサルの方が何度もやっていた。それでも、タラバンテは自分のファエナの中であの形をみせたのは記憶を想起させた。
合計2時間半近いビデオ。長かったと思うけど、サン・イシドロの主要な部分は伝えられた。有名闘牛士だけとか、自分の好きな闘牛士だけではない世界が、サン・イシドロにある。それが、闘牛の色々な部分の魅力を伝えている。終わって飲み会。そこで色々な話をした。1番驚いたのは、靖国神社を作ったのは長州藩の人で、今でも、会津の人間は靖国神社が嫌いだという。幕末の京都での出来事があるからだろう。黒谷さんの行った時、会津藩士の墓を観たのを思い出す。京都見廻り組、新撰組などを作り、京都の治安を守り、戊辰戦争で会津若松での激戦と朝敵としての汚名を着せられたことがいまだに引きずっている。面白いなぁと思った。
9月3日(月) 曇/雨 12613
台風が近づいていて、それの影響で雨が降っている。スペイン闘牛ビデオ上映会で、遅れてきたSさんが、上のつけ麺屋で食べていたら、電話がかかってきて、友人が死んで、それから知人から問い合わせの電話が色々あって遅くなったという。「最近、知り合いの訃報が続いて、そのうち僕も順番が」などとしみじみ言っていた。年を取ってくると、周りの環境ががそうなって、順番が回ってくるのが近いと思うのだろうなぁと思った。体に気を付けるように声掛けした。
3か月ぶりの大谷翔平が先発登板。49球投げて2安打1ホームラン2失点。負け投手。最速159キロを出したが、3回には140キロ台のストレートしか出なかった。途中ピッチャー返しの打球を、右手を出してぶつかった。その影響もあるのかもしれないという。今のところ、肘や肩には違和感がないという。明日になって、様子を見ないとと言っていた大谷。通常、マイナーで登板してから、メジャー復帰の手続きなのに、それない、打者としてメジャーに出続けての登板。有り得ないやり方で、ソーシア監督は大谷の投手復帰させた。取り合えず投げられたことに、希望が見えてきた。
9月4日(火) 雨/曇 14593
台風の影響で土砂降りになったり曇ったり、小雨になったり。朝、病院へ行って薬を貰いに行った。こんな天気だから着いたら誰もいなかった。狙いはあっていた。腰を下ろすと、間もなく呼ばれた。処方してもらい問診と血圧を測り、帰ってきた。先生が言うには、術後気になるのなら、手術した病院へ行って診て貰った方が良いという。駅までの道で雨が降ってきて傘をさした。台風は正午頃、徳島南部に上陸した。この台風の進路は、第二室戸台風に似ているという。その時は、大阪で12万戸が浸水したという。これから満潮になり、大阪湾では2mの高潮が予想されるという。関西の鉄道は運休して、関西空港も閉鎖されている。強風と降水量が凄い台風で、厳重な警戒が必要だという。このまま行けば大阪から福井に抜けるルートのようだ。徳島、和歌山、奈良で大雨が降っているようだ。
夕方になって、強風が吹いている。台風は福井沖に抜けて北上している。それでも、東京にも影響がある。営業時間を短くしている処も多いようだ。関西空港は、滑走路が冠水し、連絡橋に船が当たって、通行できない状況になった。線路も見えるので、それもダメ。陸の孤島になった状態のようだ。下山さんは、スペインに戻った。下谷さんは疲れることはないという。力強い言葉だ。
9月5日(水) 曇/晴 11237
今日の朝の涼しさは、秋を感じさせるものがあった。台風が去ったあとの、穏やかさを感じた。それから食事しながら『半分、青い。』を観る。律の台詞に、ピンときた。鈴愛の娘が紙コップでカニを無心で作っている姿を見て、動くカニにしようかと作ってあげる。そこで律が思い出す。律「あーこういう事だったのかな。」 花野「うーん?」 律「花野ちゃん夢中でカニ作ってるの観て、何か思い出した。」 花野「何かとは?」 律「何か。大事なこと。」 ・・・
律「なんかさ、花野ちゃんとこれ作ってたら、あーこういうシンプルな事だったのかな。と、ちょっと思った。何かを作りたかった、昔から。」 朝井(友人)「だから機械工学科だもんな。おっスゲーこれ。動く。」 律「そんな仕掛けでも花野ちゃん喜んでくれて。」 朝井「いや、凄いよこれ。俺、絶対出来ないもん。」 律「あっこういうシンプルな事だったのかなぁって。」 朝井「えっ、どういうこと?」 律「何かして、人に喜ばれたい。それは自分が楽しいと良いけど。その先に誰かの笑顔があると良い。ロボットの時もそうだった。勿論ロボット自体にも魅かれたけど。絶対誰かの役に立つって思ったんだ。何があっても、全てあの時のときめきから始まっていることを、忘れるものか。」 朝井「んっ、何だっけそれ、きいたことあるなぁ。」 律「秋風羽織の『いつもポケットにショパン』の台詞。いつも鈴愛が言っていた。」
そうだよなぁ、「ときめき」だよなぁ。闘牛観たときの「ときめき」。そういう気持ちを忘れちゃダメなのよねぇ。ちゃんと「ときめき」と向かい合わないといけないなぁと改めて思った。今日はセサル・リンコンの誕生日。結衣さんも同じ日が誕生日。
午前中は、大谷を観た。2打席連続見逃しの三振。3打席目で、センターへの16号ホームラン。左腕から初めてのホームランだった。これからは、プホルスが膝の手術で今シーズンアウトなので、DHでの出場回数が増えるだろう。今までは左腕だと代打になっていたが、これからは関係なく出場するようになるだろう。
午後、試合が終わり、昼食を食べて、病院へ向かった。風がまだ強い。術後の状態を説明して、触診。話をしたが、結局様子見で、1か月後にまた来ることになった。帰りに街を歩き、茶店でコーヒーを飲み、本を読んで、塩ラーメンを食べて帰ってきた。
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