断腸亭日常日記 2018年 10月 その1

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
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 10月16日(火) 曇 12589

 秋風が心地よい。朝食を取りに出掛け、戻って池袋に行った。そこで物産展のイートインで、海鮮丼を食べた。昨日は、日本橋の物産展で、キュウリの焼酎漬けとイカの沖漬け買って来て一杯やった。夕方、用事で新宿へ行ったついでに、大きなワンタンが入っているワンタン麵を食べた。

 ムンド・トロに載っていたデータを観て唖然とした。それは何かといえば、闘牛士の出場回数である。今年1番多く闘牛場に出場した闘牛士は、ロカ・レイの54回。6位までが40回以上出場。13位までが30回以上。26位までが20回以上。43位までが10回以上。1回以上出場した闘牛士は149人で耳1枚以上取った闘牛士が138人。ホセ・トマスは、1回だった。

 それが、データで残っている1番古い1999年を観ると、1番多く闘牛場に出場した闘牛士はエル・フリの132回。100回以上が二人。5位までが70回以上。26位までが40回以上。27位までが30回以上。45位までが20回以上。70位までが10回以上。1回以上出場した闘牛士は228人で、耳1枚以上取った闘牛士が202人。ホセ・トマスは、64回だった。

 この間の19年間で大きく変わった。最高回数が、132回から、54回に激変している。闘牛士の総数も減っている。つまり、闘牛の回数が激変しているのだ。20世紀の初めの頃は、100回以上やっていた闘牛士は3人いた。ファン・ベルモンテとホセリートと名前を覚えていないもう一人。全体の闘牛界数は400回あるかないかくらいだったと記憶する。つまりほとんどの闘牛にその三人が出場していたということだった。

 今まで1番多く出場したのは、1995年のヘスリン・デ・ウブリケの151回だったと記憶する。僕が見始めた90年代に劇的に多くなり、2011年から明らかに減り出した。不況もあるだろう。バルセロナで闘牛を禁止されたこともあった。そういう政治状況もある。しかし、闘牛を観に来る観客が明らかに減ってきているような気がする。闘牛士の出場回数だけだが、観客数も想像できる減り方がこのデータにはあると思う。どうなるんだろうなぁ、闘牛と思った。

 ちなみに、下山さんの見解だと、タラバンテの引退は、サバティコだろうと言っていた。3年くらい休むんじゃないかと言っていた。大学などで10年働くと1年間の休暇が貰えるが、そういうのをスペイン語で、An~o sabatico という。闘牛士にはよくあること。セサル・リンコンも取ったし、ホセ・トマスも何度も引退時期がある。6年間休養していた時がある。僕も感覚として、下山さんの見解に賛成だ。


 10月17日(水) 雨のち曇 17039

 朝雨が降り、太陽がのぞき、それから曇になった。昨日の日本対ウルグアイのサッカーは、打ち合いになり4-3で勝った。トップ下の三人、右から堂安、南野、中島が躍動した。試合後、長友が中島を、「ドリブルお化け」と言い、ビッグクラブへ行けると絶賛したが、ウルグアイ守備陣をキリキリ舞いさせた。背が170くらいで小さいが、キレが凄い。観ていてワクワクする。中島のパスから南野が切り返してゴール。この場面をスペイン誌は、「ゴディンの武装解除」と表現した。ウルグアイ守備は良い。南米以外のチームに初めて4失点を記録した。ゴディンはアトレティコ・デ・マドリード守備の要。それを、三人のテクニックとスピードでタジタジにした。

 堂安はドリブルのキープ力があり当たりに強い。南野もキープ出来、トップの大迫のポストプレーも利いている。反則か囲まないとやられる。ゴディンもビックリしたと思う。観ていて楽しくなるサッカーだ。今シーズンヨーロッパのリーグでは、バイエルン、レアル・マドリード、バルセロナと信じられないような負け方をして混戦状態なっている。地殻変動ともいえるエネルギーを感じる。ワールドカップでも、そういうエネルギーを感じたが、確実に差が詰まってきている。その現実がこの試合にも出た。SBも右に酒井、左に長友と走力と技術をもった選手を配置して中盤も良かった。それが連動して攻めているからウルグアイも対応しきれなかった。ゴディンには、アトレティコの要としてリーガで頑張って欲しい。が、この試合の守備では苦しんでいた。ともあれ森保ジャパンは3連勝。希望が満ちている。

 藤井聡太七段は今日、史上最年少の新人王なった。16歳2か月。史上初が必ず付く記録を続けている藤井聡太。多分みんな、いつタイトルを取るんだろうと思っている。早く取って欲しいが、そう簡単ではないのも現実。

「チェコで開催された第42回世界オセロ選手権で最年少優勝記録を更新した小学5年福地啓介さん(11)に、帰国便の全日本空輸(ANA)がサプライズ祝福し、話題になっている。

 14日午後、福地さんの帰路の経由地のドイツ・デュッセルドルフ空港で、「オセロの世界チャンピオンに、この飛行機をご利用いただいています」との機内アナウンスが流れた。声の主は機長の谷田邦彦さん(51)。谷田さんはざわつく機内で、こう続けた。「以前の記録は私自身が1982年に打ち立てた15歳という記録。今回、大幅な更新。快挙でございます」

 日本オセロ連盟によると、谷田さんは82年の第6回大会で15歳で優勝。これまでの記録保持者だった。」(讀賣新聞)


 10月18日(木) 曇 8935

 朝食は秋の味覚サンマ。昼食は、サラダとピーマンに味を付けた挽肉を詰めたものを、フライパンで蒸し焼いたものをおかずにした。『ガッテン』でピーマンを美味しく食べる方法の一つで紹介していたものだ。ピーマンは半分に切らずに、縦に切れ目を入れ、その穴から挽肉を詰める。ピーマン一個そのまま使う挽肉詰め。そうした方がピーマンが美味しいのだという。やってみたが、中は詰めた挽肉に火が入りピーマンから出た水分がたっぷりで美味しかった。もう少し挽肉に味を付けた方が良かった。

 『ガッテン』でやった挽肉特集では、挽肉に使う部位は、前脚の付け根の部分。ここは美味しいが、筋があるので挽肉が良いといっていた。それで合わせ技のようにして試してみた。

 エル・シドが来年サバティコを取る。マヌエル・エスクリバノは、エル・タトとのアポデラードの契約を解除した。怪我で長く休んだ時期があり、そういうのも影響したのかもしれない。15日にパディージャの引退、タラバンテの突然の引退について書いたが、この時期は、闘牛のストーブリーグ状態でこういうニュースが多い。


 10月19日(金) 曇 9061

 この時期になると1か月後の紅葉を観に、京都への旅行を考えるのが、TTTを辞めてからの行事になっている感がある。すでにホテルの予約を入れている。日程を考え、何処に行くかも考える。テレビなので、京都の紅葉の番組などを観ると、それに磁場を感じてひかれる。どうしたもんかと考える。去年は、10日くらい奈良・高野山・滋賀・京都と廻ったが、今年はどうしよう?

 唐揚げと竜田揚げに違いは、小麦粉を付けて揚げるのと、片栗粉を付ける前に醤油で下味を付けて揚げるのの違いだという。唐揚げの唐は、禅宗の精進料理から来ているという話もある。竜田揚げは、落語にもなっている百人一首の、「千早ぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」の紅葉の色を表す、からくれなゐから取っているという。醤油で色がついて、揚げた時に片栗粉の白い処と相まって竜田川に流れる紅葉に見立ててそう呼ぶのだという。こんなこと知らなかった。こういう話を知ると、唐揚げも美味しいが、竜田揚げが食いたくなる。

 この前、落書きのようなメモに、「ふぎょぎょ」と書いていたら、あとでそれが謎の言葉として、これどういう意味とみんなで不思議がっていたという。そしたら、僕とよく話をする人が来て、それは斎藤さんが書いた言葉で、朝ドラの『半分、青い。』で出てくる、驚いた時に言う岐阜弁だと教えて、解決したのだという。僕が書いことも当てられた。でもみんな朝ドラを観てないんだなと、ふぎょぎょと思った。じぇじぇじぇと同じで方言なのだ。


 10月20日(土) 曇のち雨 14021

 競馬が終わった頃から、雷ゴロゴロ、土砂降りに近い雨が降ってきた。昨日のアジア大会U-19日本対北朝鮮で、決勝点をあげた久保建英のフリーキックが凄かった。17歳でもう直ぐ18歳。元バルセロナのユース。18歳になったらバルセロナに戻るのだろうか?バルセロナは、ずっと久保を見続けているという。リーガ・エスパニョーラで出場したら凄いことだ。他にも有望な選手が複数いた。日本は今、空前の層の厚さで、サッカーをやっているような気がする。


 10月21日(日) 曇 7140

 今日は豆名月。中秋の名月と豆名月。どちらかを観ないと、片見月と言って、昔の人は嫌ったのだという。今日は観れるのだろうか?これから外部の講習へ行く。競馬が出来ないかもしれない。

 新潟県津南町、十日町市。津南町は日本一の豪雪地帯。『鶴瓶の家族に乾杯』で、津南町にある火焔式土器の記念館を訪ねていた。国宝の火焔式土器の出土は、十日町市となっているが、隣町の津南町に記念館があるようだ。1か月前の『日曜美術館』でここを舞台に、3年に一度の現代アートの芸術祭をやっていることを紹介していた。大地に根ざせと、この活動は7回目で20年を超えたという。こういう地域おこしの活動を芸術祭という形で行われているのが、火焔式土器の出土した場所というのが興味深く思った。


 10月22日(月) 晴 12532

 朝早く目が覚めた。外はまだ暗かった。それから味噌汁を作り朝食を食べる。朝は、納豆でしょう、やっぱりと、思いながら食べる。昼は、豚肉の野菜炒め。昨日講習前に食べた豚肉の生姜焼きには、玉ねぎが一杯入っていた。紫の玉ねぎも入ってた。こういう生姜焼きがあるんだと思った。おまけにあまり生姜の味がしなかった。

 『落語ディーパ―』というのが、Eテレでやっていて、俳優の東出昌大と春風亭一之輔が中心に落語のお題を、30分二つ目の三人と、昔の落語家の噺など聞きながら、深く話をする番組があり、この前、4話分を一挙に放送した。その中の『居残り佐平次』で、志ん朝、談志、円楽の三人の比較をやっていた。好き嫌いもあるが、圧倒的に志ん朝の噺が素晴らしかった。そして、面白い。廓で勘定踏み倒す話で、それで居残って、その勘定を働いて返すのだが、勘定の断り方や、居残ってまるで、幇間のようによいしょして、客を喜ばせたり、廓になくてはならない存在になって行く処など、凄い。

 あの話っぷりを訊いたら、他の落語家の話はちょっと聞けない感じになる。それが談志や円楽でも。東出が舞台でやるとしたら、『芝浜』や『文七元結』なら直ぐにやりたいという気がするけど、『居残り佐平次』は、出来ません。と、言っていた。確かに、この調子の良さは芝居でもなかなか難しいと思う。が、東出って、そういうことも考えて落語を聞いているのかとちょっと驚いた。それでも思い出したのが映画『幕末太陽伝』。あれは確か、『居残り佐平治』と『品川心中』が基になっていたと思ったのだが…。

 ところで、佐平次というのは、浄瑠璃の世界で使われていた隠語で、べんちゃらを言う、でしゃばるとかを意味していたといたという。多分そっから取ったのではと、一之輔が言っていた。また、落ちが分かりずらいと、東出が言っていた。それには、一之輔も今の時代では分かりずらいのを認め、変えている師匠もいることを言っていた。


 10月23日(月) 雨/曇 13703

 朝、雨が降っているのでビックリした。雨上がり歩いていると、冬を感じた。部屋では暖房も初めて使った。何やら朝から頭が痛いが、風邪をうつされたのかもしれない。これから夜中、また、雨が降るという。

 セサル・リンコンは、いくつもの伝説のファエナをやっている。多くの記録を作ったが、94年6月7日サン・イシドロで、バルタサル・イバン牧場のバストニートという牛のファエナもその一つ。これは良く、Facebookの動画に載っている。トロ・ブラボの牛。パセの後の、返りが速い牛で、苦労してパセを繋いでいた。ああいう牛に、ムレタを体の前に出して、大きなパセを繋ぐ闘牛士はまずいない。

 THさんが、この時のことを書いた本を手に入れたようだ。どんなことが書いてあるのか。読み終わったら訊いてみたい。それにしても、1冊の本になってしまう。バストニートとセサル・リンコン。そのこと自体が、凄いことだ。この日のプログラムには、クアドリージャが書かれてある。そこに、スペイン語で書き込みもある。闘牛観ながら書いたものだろう。バンデリジェーロが、モナキージョ・デ・コロンビア、ビセンテ・エステラス、マヌエル・ヒル。ピカドールは、もちろん、アンデルソン・ムリージョ。凄いメンバーだ。こういうのを観ると、呼び覚まされる。どうやって、こういうメンバーを集めたのかというのも興味深い。セサルだけではなく、周りの助言もあったと思う。


 10月24日(水) 晴 16435

 せっかくだから、今日の朝、茅ケ崎に行こうと思い立って、電車を乗り換え茅ケ崎へ着いたのが11時頃。南口に降りて徒歩7分くらい。茅ヶ崎市美術館でやっている、小原古邨(こそん)展を観た。先日『日曜美術館』でやっていて観たくなったのだ。明治10年生まれで、最後の浮世絵師と言われた小林清親を手掛けた大黒屋が版元などになっている。フェノロサが絶賛して、海外で絵が売れ、絵を描く時間が無くなって、木版画にして輸出した。だから、日本では忘れ去られていた。

 明治の財界の重鎮、原安三郎コレクションで、蔵の中でほこりをかぶった風呂敷に包まれて、出てきたのだという。200枚以上の版画が出てきて、それが今回初めて展示された。いわゆる、花鳥風月。展示は、春・夏・秋・冬に分かれていた。絵が上手いし、色彩も良い。外人が絵を観て、日本を感じる。絵師と彫り師と摺師が清親の工夫を生かしているような技をみせている。たぶん、これが時代的に最後になるんだろうなという仕事を観た気がした。光をある角度から当てると、仕掛けが出たり、面白い。こういう仕事が無くなってしまったのが、惜しいと思う木版画だった。いわば、錦絵から浮世絵を経て辿り着いた、技が無くなった。残念なことだ。小原古邨は、満月や雨が好きなようで、良く描いている。

 帰りは久々に、スーパー銭湯へ行った。高濃度炭酸泉、うたた寝湯、打たせ湯、ジャグジーなど。何だか気分が良くなった。


 10月25日(木) 晴 12195

 上に羽織った物は、昼暑ければ脱げばいい。日が暮れると、風が冷たくなるので、一枚羽織っただけだと寒く感じる日も多くなってきた。昨日かと思ってたが、満月は今日だった。昨日の月も良かった。秋の澄んだ空気の中で、月明かりが高い木の上に見えた。

 タラバンテ引退関連で、マドリード興行主などをやっているシモン・カサスと、タラバンテのアポデラードのトーニョ・マティージャ、それとタラバンテあての文章が書かれてあった。シモン・カサスは自主的に発言をした。その中で、今年のサン・イシドロ出場交渉について、トーニョ・マティージャと、去年16万ユーロだった出場料を24万ユーロ、つまり8万ユーロあげてタラバンテに敬意を表したという。また、2019年のサン・イシドロに3回出場する事も合意してあったという。24万ユーロは、1回の闘牛の50%の収入にあたるとしている。また、シモン・カサスは、トーニョ・マティージャを支持している。彼は正しいと言っていた。

 また、反闘牛の動きなども意識しての発言なのだろうか、色々な憶測への警告ともいえる発言もある。フィエスタの持続可能性に、危機があるとする場合、行政の無知によっている。闘牛士に釣り合った収入。現実に即した、経済リアリズムは、基本的に全ての人々に反映されなければならない。そうでなければ、フィエスタは将来消えるだろう。持続可能で健全な経済活動でなければならない。

 2009年か2010年にホセ・トマスの交渉にあたった当時のラス・ベンタス闘牛場興行主は、ホセ・トマスは出場しない。その理由は、出場料45万ユーロを要求された。これはほぼ1日の興行収入に匹敵するので、拒否したと言った。ホセ・トマス側はそれを否定したが、8年経っても1日の興行収入はあまり変わっていない事が、この内容から判る。

 トーニョ・マティージャのコメントは、タラバンテの為に、出場料を上げる為に日ごろから努力していたようだ。タラバンテは、ナンバー1の出場料を求めていたが、それは出来なかった。しかし2年間のアポデラードの仕事で、44%の出場料が上がったという。バジャドリードの興行主をしているトーニョ・マティージャは、ヌニェス・デル・クビジョ牧場でタラバンテが出場したがっていることを知っていたが、値段で折り合わなかったようだ。マドリードのファリア・デ・オトーニョに、タラバンテを出場させないように頼んだというのは、完全な間違いで、名誉棄損です。10月14日サラゴサのパディージャ、マンサナレスとタラバンテが出たものは、明らかにボイコットではなかった。

 私は偉大な財産を持っている。全ての闘牛士の利益を守るため努力した。リトリ、エル・タト、フィニート・デ・コルドバ、ファン・ホセ・パディージャ、ホセ・マリア・マンサナレス(多分父親の方だと思う)。タラバンテの為に44%出場料を上げたこと、助けたことを嬉しく誇りに思う。闘牛を愛し,尊敬している。光の衣装を着て、牛の前で人生を危険にさらしている闘牛士に対して、願いを託している。学習精神で全ての批判を受け入れてきた。闘牛の世界で、素晴らしい闘牛士は、大きな功績と名誉を持っているべきだと考えます。私は、自分の利益以上にこの問題が解決され、溝が埋まることを願っています。

 16日の日記にも書いたが、闘牛士の出場回数の激減。それは、何を意味するか。収入の激減。スペイン語圏で盛んなスポーツは、サッカーや野球がある。野球をやっている国は、ほぼ闘牛をやっていない。サッカーは国内リーグでは、昔は日本円で500万円くらいだった。スペインでは億単位の年収を稼げる。今、闘牛士で億の金を稼いでいる闘牛士は何人いるのだろうか?そうなるとどうしたって、命のやり取りをしない、サッカーの方へ子供たちは向かうだろう。

 問題は、経済活動だけではない。闘牛を取り巻く雰囲気、社会環境も悪化している。タラバンテの引退が、お金だけの問題ではないだろう。彼は一切理由を書いていない。その言葉の裏にあることを考えないと、ダメだろう。おそらく少なくても、3つ以上の理由があると考えるのが普通だろう。そして、闘牛の問題は深い処にある。それをみんなで考え、一つ一つ解決していかない、フィエスタ・ナシオナルは無くなることになる。それは、興行主、闘牛士たち、闘牛場で働く人たちや環境。牧場やその経営。そこに出入りする人たち。観光産業で働いたり、関わっている人たち。そして、政治家や行政機関など。効率だけで考えても問題は解決しないだろうと思う。


 10月26日(金) 曇 3853

 やばい!やられた。怖くて観るのをためらっていたが・・・。観たらやられた!『昭和元禄落語心中』。昭和52年春。刑務所から出所した男が、慰問で観た有楽亭八雲の『死神』の噺に感動して、弟子入りを志願。それまで弟子を取ったことがない名人。しかし、何故か弟子になる。そこには、ライバルだった親友の娘・小夏がいた。有楽亭助六と有楽亭八雲。そして、どうやら親友の娘は、身寄りがなかったため、八雲が引き取っていた。しかし、八雲を殺したいと思うほど恨んでいる。前座時代将来、名人になると言われた助六と八雲。刑務所から出所当日弟子入りした与太郎。寄席に行くと、「どことなく似てる」と言われる。助六に雰囲気が似ていると。寄席で八雲の『死神』を訊くと、2回目なのに、もう噺を覚えてしまう。それでもいっこうに稽古をつけて貰えない。小夏から借りた名人助六の噺をレコードで訊いて足しにする。

 初高座は、『寿限無』。客が見えていない。演じるので精一杯。小夏は母親と一緒に芸者の修行をした女将の処で女中をして働いている。その料亭に、八雲が来て、小夏が酒をもっていく。そこで、八雲が助六の型の落語をやる。そしていう。助六は俺の中にいつもいる。それから与太郎に稽古をつけてやるように、言われる。稽古をつけていると、昔のやくざの兄貴が訪ねてくる。組に戻るように脅される。小夏が口をはさむが、「女は黙ってろ」をすごまれる。与太郎は、落語がやりたいというが、そんなくだらないものと言われる。そこに八雲が来る。

 今これの親代わりやらせてもらっているものです。お前さんがボロボロに捨てちまったものを、何の因果か、私が拾っちまってね。与太、寄席があるだんろ。とっとと支度しな。後で寄席へ顔出すからね。この人連れて。聞かせてやんな。くだらねぇ落語をねぇ。どうしようと悩む与太郎。寄席でやる演目は、やくざ時代の心情を思い出す、新米のドロボーの噺『出来心』。小夏に稽古をつけて貰った演目だが、とちってばかり。高座で話し始めると客との間が分かってきて笑いを取る。高座の途中、八雲が言う。兄さん、あんた良い事訊いてくれたねぇ。なんで落語かって。その高座を訊いた兄貴は帰って行く。八雲は与太郎に、親分にも話を通すからと、もう心配ないことを言う。

 独演会の前座で何をするか、小夏が与太郎に訊くと、忘れてたと慌てて稽古に励む。当日、睡眠不足で集中できずに、とちってばかり。寝ずに稽古をしたためだった。八雲がやる『鰍沢』を、舞台の袖で訊いていたが、いびきをかいて寝てしまい、破門を言い渡される。が、仕方なく小夏が連れて帰る。マッチでタバコに火をつける八雲。与太郎は、師匠、口きいてくねぇのはよく判った。いねぇもんとして訊いて下さい。俺は師匠に心底惚れてる。これはもう、自分の根っ子みたいなもんだから、変えようがねぇ。でも、落語やらせてもらっているうちに、分かってきた。師匠の落語は、俺には絶対出来ねぇんだって。死んだ助六師匠の方が、まだ近けぇ気がする。でもそれがやりてぇのか、まだまだ全然分からねぇんだ。分からねぇから、師匠のそばにいさせて貰いたいんです。師匠と落語のそばに、いさせてください。俺にはもう、何処へも行き場がねぇんです。ここで生きて、ここに居場所を作るしかねぇんです。

 八雲は、自分が子供の頃、階段から落ちてびっこになって、師匠の七代目八雲の処に弟子入りした時のことを思い出す。「お願いします。ここにいさせてください」子供の時、八雲が言った言葉だ。ようやく口を開く八雲。いもしねぇもんが、良くべらべら喋るもんだ。お前さんがやりたい落語が何か。分からねぇなら、おせえてやろうか。お前さん自身の落語だよ。破門しねぇ代わりに、お前さんはあたしに三つ約束しなけりゃないよ。二つ目になるまでは、うちで面倒みてやらぁ。それまでに、助六とあたしのを叩きこむ。全部覚えろ。それが一つ。それとあたしはねぇ、助六と約束して果たせなかった事がある。二人で落語の生き延びる道を作ろうってねぇ。どっちが一人欠けったって出来ねぇことなんだ。だからこの穴を埋めておくれ。これが二つ。

 与太郎は、落語埋めるのは良いけど、そんなでけぇ約束。俺には出来るのかぁ。 八雲 出来ねぇ時は、もろとも心中だ。 目を見つめた与太郎は、あとの一つは。 八雲 絶対に、あたしより先に死なないこと。いいね、約束だよ。小夏、お前さんも。 ため息をついて 一つお前さん方に聞かせてやろうか。あの人と、あたしの約束の話をさ。なげぇ夜になりそうだ。覚悟しな。

 と、第1話が終わる。これ、原作が漫画だという。それの実写版。そう金曜日の夜に全10話で続く。今夜も見よう。


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