断腸亭日常日記 2019年 2月 京都旅行

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行高野山・京都旅行滞在日記です。

99年4月15日~5月11日 5月12日~6月4日 6月7日~6月10日 2000年4月20日~4月29日 5月1日~5月14日
5月15日~5月31日 6月1日~6月15日 6月16日~6月29日 2001年4月19日~5月3日 5月4日~5月17日
5月18日~5月31日 6月1日~6月11日 6月12日~6月22日 2002年4月16日~4月30日 5月1日~5月15日
5月16~5月31日 6月1日~6月13日 2003年4月16日~5月24日 5月25日~6月10日 6月12日~6月26日
2004年4月14日~5月7日 5月8日~5月31日 6月1日~6月17日 2005年3月31日~4月24日 4月25日~5月22日
5月23日~6月16日 2006年4月13日~5月6日 5月7日~5月29日 5月30日~6月19日 2007年4月20日~5月19日
5月20日~6月16日 2008年5月13日~6月16日 2009年5月25日~6月6日 6月7日~6月12日 6月13日~6月22日
6月23日~7月3日 7月4日~7月21日 9月24日~10月2日 2010年5月29日~6月7日 6月8日~6月26日
11月14日~11月26日 2011年3月5日~3月17日 7月20日~7月31日 8月1日~8月22日 9月14日~10月3日
 11月21日~11月27日 2012年 4月2日~4月22日 11月1日~11月13日  12月4日~12月11日 2013年 4月18日~5月4日
 5月5日~5月13日  5月14日~5月24日 10月1日~10月29日  11月25日~12月6日  2014年5月31日~6月23日
6月24日~8月19日  8月24日~9月2日 2015年6月17日~9月20日 9月22日~11月19日  11月20日~12月31日
 2016年4月4日~5月2日 5月3日~5月20日  5月23日~6月1日  6月2日~6月20日  9月1日~9月15日
 11月16日~11月30日 2017年 5月8日~5月21日  5月22日~5月31日  6月1日~6月12日  6月13日~6月27日
 8月27日~9月11日  10月30日~11月12日  11月13日~11月26日  2018年5月15日~5月26日  5月27日~6月7日
 2019年1月1日~1月13日  1月14日~1月24日 1月25日~2月5日 2月6日~2月18日

 2月19日(火) 雨 11220 京都のホテルにて

 新宿バスタから夜行バスで京都へやってきた。1時間で、首が痛くなった。休憩で2度停まったが、2度とも外に出た。朝の7時に京都到着。今日は24節気の雨水。駅の星之珈琲に行ったが満席で、四条へ向かった。ホテルの近くの、喫茶店に入った。眼鏡が曇る湿気。外が雨だから余計にお湯を沸かしているいるのでこうなるようだ。初老の人が一人だけいた。注文は、モーニング。トーストとゆで卵にコーヒー。先にバター付きのトーストとゆで卵が来た。一口トーストを口の中に入れたが、めっちゃ嬉しくなった、なんなんだこの美味さ。焼いてバターぬっただけなのに、こんなに美味しい。一枚のトースト4つに横に切ってある。それをつまむと、丸橋のように半円形になり、食べると甘さを感じ、中はしっとり、外も丁度良い焼き具合。さすが日本一のパン消費地京都。その辺にある昭和の香りがする喫茶店。京都のクオリティーの高さを感じる。コーヒーはドリップ式。これも美味しい。あとから二人男が別々に入ってきた。席についても何も言わない。何も訊かない。なのに、一人にはコーヒーと素焼きのトースト。一人には、アイスコーヒーとサラダが出てきた。素焼きのトーストを観て、食べてみたいと思った。

 それからホテルへ行き、荷物を預け、宮内庁京都事務所へ行った。予約をして、京都御所なら予約要らずに入れることを知った。時間がないので、御所内の梅園を観た。紅梅、白梅、蝋梅。やっぱり、蝋梅が1番香りが強い。本当に良い香りだ。それから東野のラーメン屋へ向かった。11時開店でちょっと前に着いたが、二人待っていた。店員が出てきて、注文を訊く。蟹塩ラーメンに、特製裕盛り。丼を持ってくると、麺が見えない。牛肉3枚、鶏肉3枚、鴨肉3枚と煮卵、姫竹、ネギとその上にゆず。肉が食べ応えある。煮卵が美味しい。姫竹は噛み応えがあり味が染みている。焦げ跡もいい。ゆずの香りが鶏肉と合う。麺だけがちょっと柔らかいのが残念。お腹がだいぶ膨れた。

 そして、本法寺へ。本阿弥光悦の巴の庭、長谷川等伯の『佛涅槃図』(複製)『波龍図屏風』。涅槃図は縦10m横6mとデカい。波龍図は、保存状態が悪いので、墨のばかし具合が判りづらい。この寺は、日蓮宗で、光悦が檀家だというので、一緒に競作している俵屋宗達も宗徒なのかと思って訊いたら、説明している学生がお寺に訊いてくれて、やっぱり檀家だと判った。こういう事は、Wikipedia やネットだけではなかなか判らないことだ。等伯は、七尾で日蓮宗の寺に仏画を書いていたので、宗徒なはずで、京都に絵師になる夢をもって上京した時に、頼るのは日蓮宗の寺。ここは何度も場所を変えている。等伯が出てきた頃は、一条戻り橋にあったという。それから秀吉の命で現在地に移ってきた。だから、光悦、宗達の頃はここにあった。今は、等伯の銅像とその横には、『京都人の密かな愉しみ』で使った枝垂桜がある。

 面白いと思ったのは、近くに妙顕寺というやはり日蓮宗の寺があり、ここは尾形光琳、乾山の墓がある。その西側には表と裏の千家がある。日蓮宗の寺に挟まれたような形になっているのが面白いと思った。

 それから、また移動。建仁寺塔頭、両足院。伊藤若冲と等伯が待っていた。若冲の『雪梅雄鶏図』。梅の木に雪が積もっているのが判るが、咲いている花は、椿。下に大きな雄鶏がいて、梅の小枝に鶯のような小鳥がとまっている。雄鶏の鶏冠の赤と椿の三輪の花のバランスが良い。梅の小枝と小枝の間の墨のぼかし具合が白い雪を強調している。照明のない雨空の暗い自然光で、この絵を観るのは最高なんだろうと思う。なぜなら美術館の証明ではない、若冲が描いた頃と同じ状態で観ることが出来るわけなのだから。それから歩いて帰ってきたら疲れた。それでも、一休みして錦市場で買い物をして、烏丸御池のラーメン屋で、淡竹(はちく)を食べた。牡蠣、アサリ、シジミの貝スープ薄い醤油味。レアに近い焼豚が3枚とこちらも姫竹。麺が良い感じ。うーん、京都のラーメンのクオリティーも相当高い。


 2月20日(水) 曇 27307 京都のホテルにて

 今日は今回の1番行きたかった、志明院(岩屋山金光峰寺志明院)へ行った。京都生まれ、京都育ちのトギちゃんの運転する車に乗って、北山を登って行く。杉の木が一杯倒れているところが結構ある。1か所工事の重機とトラックなどで、作業していた。材木の処理をしているか、山肌の改良をしているのか判らない。あまりに多くの木が倒壊しているので、伐採して道路をふさぐのを防いでいる処もある。2車線の道路は、1車線になっている処もある。対向車が来たら怖いところがある。元々の幅員が狭いところ、また、台風の影響で狭くなっている処もある。

 そんな道を、時にはゆっくり走りながら、寺の別れ道まで辿り着く。そこから5分くらい走ってようやく到着した。まるで、スペインの牧場の門からプラサまで時間がかかるくらいだった。それも坂道なので、バスで来ていたら、相当歩くことになった。トギちゃんがいて本当に良かった。寺も、鐘堂が倒木で倒壊して、屋根だけが残っていた。志明院は、司馬遼太郎が何度も来て宿坊に泊まった処だという。「魑魅魍魎最後の砦」といい、ろうそく1本で夜過ごすと、怪奇現象に悩まされたという。また、宮崎駿が、『もののけ姫』を作る時に取材に来たという。今は、修験者が来ることもあまりなくなったという。京都の人はまず来ない。来るのは、何処で調べたのか、観光客が来るという。

 空海が開眼した不動明王が本堂に、菅原道真が手彫りした眼力不動明王が奥の院へ安置されている。暗くてよく見えなかった。古い門を過ぎると、写真は撮れない決まり。まだ、境内には、雪が残っている処もある。自然石で作られた石段を登る。ヨーロッパの教会などの石段とは全然違う。色々な形の、色々な違う色の石が並んでいる。子どもの頃を思う出す。こういう石の変化みると、とても楽しかった。そん事を話しながら二人で登った。巨石の下の部分に窪みというか穴のような部分がある。石仏などがあった。その中に眼力不動明王もあったのだと思う。鉄の階段を昇った上にも同じようなものがあった。そこが、鴨川の源流と空海が言ったところのようだ。

 登ったところを降りて行って、歌舞伎十八番「鳴神」の舞台になった、岩屋に行く。そこにも大きな岩に窪みが出来ている。さびれた処で、なかなか良かった。トギちゃんは、京都に住んでいても、こんなところ来ない。でも、また来てみたいといったので、季節を変えて来ると面白いかもといった。それから山を下り、上賀茂神社へ行った。こんなことがないと、なかなか来ない。下鴨神社には、来るけど。ここも下鴨以上に、境内に川が流れていて、とても良い感じ。正倉院のような建物もあった。みんな古い建物で国宝・重要文化財に指定されているものが多い。

 昼食は、今宮神社の北にある処で、鶏醤油つけそばを食べた。12時過ぎに着いたら、駐車場が1台分だけあいていて、そこに停め並んだ。中の券売機で食券を買い、席に着くと割と早く着丼。麺が昆布出汁の中に入っている。メカブにお湯をかけると糸を引くくらいドロッとするが、そんな感じのだし汁細麺に入っている。つけ麺の細麺。それだけで感激だが、つけ汁の他に、小皿に、パウダー状のヌチマース(沖縄の塩)麺にかけて一口。麺の味が物凄く分かる。この麺最高に美味しい。パウダー状の塩の溶け具合が最高。次がおろした本ワサビをつけて一口。これもワサビの香りと辛味が心地いい。このまま、二口三口と食べ進めたくなる。麺が半分くらいになってようやく、つけ汁に入れて食べた。ちょっと醤油の味が強い気がした。中にはレア気味の焼豚と、柔らかい鶏肉。歯ごたえがあるのに、直ぐに噛み切れ味が染みているシナチク。後から考えると、ここにワサビを入れて食べた方が良かったなぁと、思う。麺を食べ終わった後はスープ割は、麺が入っていた昆布出汁にスープを入れて試す。かなりというか、最高のつけ麺だ。クオリティーが高い。東京のつけ麺は太麺が主流。これが1番の不満だが、この麺食べたら、つけ麺の麺はこうじゃなくちゃと、強く思った。こういうつけ麺の麺が食いたい!

 車の中で、トギちゃんと、細麺として出せる凄さを話しながら、昆布出汁に入れて出しているから、つけ汁との絡み方が普通の細麺と違うのかもしれないと思ったことをいった。昆布出汁に入れていないと、つけ汁がドンドン麺に絡んで少なくなって、味が変わる。それがないのは、そういうことじゃないかと。

 他にも何処へ行くか訊かれたので、妙心寺の天球院へ行った。狩野山雪の梅の絵が観たかったのだ。観たかった『梅に遊禽図』は、複製だった。が、高精細複製でつくられているので、ほぼ本物に近い出来になっている。この構図の力強さは、狩野派の中でも、1番といわれる、永徳よりも圧倒している気がする。絵をあんまり知らないトギちゃんでも、山楽の絵に比べて、全然違うといっていた。


 2月22日(金) 曇/晴 19300・31675 東京にて

 朝、東京へ戻る。昨日は、ホテルで朝食後、予約していた仙洞院御所へ向かう。何年か前の12月に、MEGUさんと一緒に行った。あの頃はまだ紅葉が残っていたが、今は冬。色があまりないので、冬寂びの世界だ。仙洞院は、天皇が退位して住んだ所。ここが出来て初めて入ったのが後水尾上皇。これで分かることは、修学院離宮は、後水尾上皇が作ったところ。桂離宮は、後水尾天皇が行幸するために造られたところ。今京都にある宮内庁に参拝申し込みをするところは、全て、後水尾天皇が関係している。

 信長・秀吉・家康と天下人が変わって行った時代に、徳川から中宮に迎えた和子。そこから金が流れたから、これだけのものが今に残っている。中は回遊式庭園になっているが、舟遊びもしたという。作庭は、小堀遠州と伝わっているという。池は南池、北池と分けていわれているが、繋がっている。何度も火災があって、池にもその影響が及んで、遠州が作庭した時とは、違ってきているという。南池に石の八橋かかっている。その上が藤棚になっている。5月には藤の花が咲くという。八橋とは、京都のお菓子ではなく、『伊勢物語』に出てくる八橋。元は、木の橋で出来ていたという。真っ直ぐな橋ではなく、木の板が途切れると、その横にまた板をずらしてついている行くような橋。

 そんな話を訊いた後に、銀閣寺の帰り寄った喫茶店で読んでいた風太郎の『甲賀忍法帖』にこんな文章があった。「池鯉鮒の東に駒場というところがある。そのむかし、このあたりに蜘蛛手かがりに流れる川があって、橋が八つあったから八つ橋といい、杜若(かきつばた)の名所で業平がその杜若の五文字を句のかしらにすえて、「から衣着つつなれしつましあればはるばるきぬる旅をしぞおもふ」と詠んだ」つまり、

から衣
着つつなれし
つましあれ
ばはるばるきぬる
旅をしぞおもふ

 五七五七七の頭の文字をたどれば、かきつばた(杜若)になるという、折句という技法を使った在原業平の句である。風太郎はそれを書いている。大和絵などでは八橋と杜若と、川のほとりでみんなで食事しているところが描かれている。尾形光琳の国宝『燕子花(かきつばた)図屏風』になると、八橋すら描かれていない。燕子花だけの金屛風である。ちなみにお菓子の八つ橋は、八橋検校の弾く琴をもした焼き菓子が始まりで、今は生八つ橋などの方が売れているようだ。

 いろんなことを感じながら京都をまわれた。智積院で、長谷川等伯・久蔵の国宝を観る。狩野山雪の梅の構図の凄さを思い出す久蔵の『桜図』。等伯の構図は、狩野永徳や狩野派に比べて、構図が面白い。斬新さがあるが、久蔵はさらに上を行っている。今回観てそう感じた。絵を描いたのは25歳の時。もし、生きて絵をもっと残していていたら、凄い絵を描いていたと思う。それは、山雪の絵の構図を観て、久蔵の絵を観ると解るような気がする。たとえば、松の枝は二条城に描かれている狩野派の絵では、大胆さがない。これは、徳川政権の権威などに縛られている感じがする。絵本来から考えるなら、松の枝ぶりは、グニャグニャ曲げて面白く描く事が出来るはずだ。梅も山雪の大胆さが存分に発揮でていて素晴らしい。

 しかし久蔵は、本来おとなしく描かれるはずの桜の木を、梅のような曲線の枝ぶりを構図している。それに違和感を感じないのが画の力だろうと思う。その才能は、不慮の死で存分に生かすことが出来なかった。等伯は失望し無常観をもって『楓図』を描く。これもまた、楓とは思えないような太い幹と曲線の枝ぶりが大胆である。山雪の梅を観なかったら、こんなことは感じなかっただろう。これもまた、『江戸あばんぎゃるど』を感じた。


 2月23日(土) 晴 9874

 20日トギちゃんの車に乗って色々行った。志明院、今宮神社門前のあぶり餅は休みで入れず、上賀茂神社、昼食は、今宮北にある、らぁ麺とうひち。ここの鶏醤油つけそばが、つけ麺に革命的な昆布出汁の中に麺を入れているスタイルで、麺がとても美味しかった。パウダー状のヌチマース(沖縄の塩)で一口食べたとき、二人で顔見合わせて、「うめぇー」を笑った。それから妙心寺の塔頭、天球院で狩野山雪の梅の絵を観た。これも素晴らしかった。まだ時間があるというので、大徳寺へ行った。

 実はトギちゃんは、幼稚園から小学低学年の頃、近くにお祖母ちゃんが住んでいて、大徳寺や今宮神社で遊んでいたという。大徳寺の境内を歩き始めたら、「いやー懐かしい」といって頭を押さえていた。久しぶりに来たようで、幼稚園の頃の記憶が蘇って来ているようだ。山門の処では、この中に入って遊んだなぁ。といっていた。利休が秀吉に切腹をいわれる原因になった山門も、トギちゃんにとっては、子供の頃の遊び場。高桐院を覗こうとしたが、16時過ぎで閉まっていた。門には、工事中とも書いてあった。弧篷庵に行ってみようと歩いて行くと右手にグランドがあった。するとトギちゃんが、ここだ。という。今宮神社の鳥居も見える。この坂、幼稚園だから疲れて駄々をこねたといっていた。高校がある。上っていった上に、弧篷庵がある。するとトギちゃんがわき道を覗きながら、こっちだったかな、こっちだったかなと、お祖母ちゃんの住んでいたアパートを思い出そうとしていた。

 人は幼い頃の記憶を、呼び戻そうとするとき、記憶がある海馬との神経細胞の回路を活発に活動させる。そういう時って、顔が変わって行く。話しかけながらも、思い出そうとしている。家の前に、大きな木があって、そこに穴が開いていて、蜂が巣を作っていたという記憶を話した。そういう処が、近くに来ると、手繰り寄せた記憶として鮮明に思い出すのだろうと思った。

 弧篷庵は、小堀遠州終の棲家。これが火災で焼失したあと、再建されたものが今ある。再建は、松江藩の松平不昧が、この絵図面を詳細に残していたため出来たもの。不昧は、集めた茶道具などのリストを作り、貴重品からそうじゃないものまできっちり作っていたようだ。その中には、利休の作った茶室や他の茶人が作った茶室の絵図も多く残っていたようで、その中に、弧篷庵もあった。素晴らしい処だ。その記憶と、トギちゃんのお祖母ちゃんの記憶も今回重なることになった。非常に印象に残る京都になった。

 セビージャのカルテルが発表になった。その中で、ラモン・バレンシアがバルセロナで、ホセ・トマスのアボデラードと話したことを、2020年まで待つように言われたということが書かれてあった。それをそのまま受け取ると、来年のフェリアに出場するという事になるが・・・。どうなるのか?また、不昧のように、闘牛の写真やビデオのリストを作るとなると、大変だ。膨大な時間がかかることになるだろう。毎日コツコツとやっても(そんなことはできないだろうけど)、何年もかかるだろう。大変だ。


 2月24日(日) 晴 13759

 ドナルド・キーンが死亡した。96歳だった。彼を日本文学へ誘ったのは、『源氏物語』で、戦後進駐軍として来日し、イギリス留学中に、持っていた日本語で書かれた本を、イギリス人に投げ捨てられる屈辱を味わう。日本文学で食べて行けるのか、色々悩んでいた時、松尾芭蕉の紀行文を読んで、やはり日本文学でなければならないと決意したという。長い間、翻訳や、日本文学について書き続けた。東日本大震災の後、日本国籍を取得した。日本人が書く日記に、日本文学の特徴を見い出した。それは世界的にみて非常に特異な文学であると考えたようだ。芭蕉の『奥の細道』から取った『百代の過客』で日本文学の日記のことを書いている。

 金曜日の朝に東京へ戻って、午後に歯医者に行って、作って貰ったマウスピース(ナイトガード)を合わせて貰う。京都のお土産を先生にあげた。阿闍梨餅(あじゃりもち)。阿闍梨が美味しいという話を先生がしていたことがあって、食べたことがあり、いつもお土産に買っていたので、せっかくだからと持って行った。先生はまだ、食べたことがないといっていた。個人病院なので、こういうのも受け取ってくれる。今は、大きなところだと、いろいろ変わって、受け取らないことが多い。歯科衛生士の人たちとお茶菓子で楽しんで欲しいと思った。


 2月25日(月) 晴 18118

 春のように暖かい日だった。いつの間にか、日の入りが17時半くらいになってきた。闘牛もメキシコ、南米からスペインでも始まった。マドリードのビスタレグレでも始まった。バレンシアのファジャスのアボノが売り出され、セビージャのカルテルも発表になった。去年の終わり頃、エル・シドが今年は闘牛をしないというような記事があったが、ビスタレグレに出場し、セビージャのカルテルにも入っている。よく見ると、サン・ミゲル出場の処に、引退と書いてある。

 サン・イシドロで、ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、プエルタ・グランデをして名を上げた左利きの闘牛士。ビクトリーノ・マルティン牧場なので、コリーダ・ドゥーラかと思いきや、フィグラのやるファン・ペドロ・ドメク系とかカルロス・ヌニェス系の血統の牛でこなす闘牛士。今テレビ解説をやっているアルバセーテのマヌエル・カバジェーロのような存在だった。マヌエル・カバジェーロは、色々と闘牛のやり方が、素晴らしかった。牛に近づいて誘うやり方、アルバセーテの大闘牛士ダマソ・ゴンサレスのクルサードのやり方を参考にしているのだと思う。ダマソは、地味な闘牛士だったが、そのやり方は、目の肥えた闘牛ファンに、大きなインパクトを残した。今まで見たカポーテのチクエリナで、最も素晴らしいものは、サン・イシドロでマヌエル・カバジェーロがホセ・トマスの前でみせたものだった。ムレタでも、体の前を牛をパセするのに、牛を誘う時は、背中の方にムレタをやって、クルサードして、牛の動きをちゃんと観ていた。近づく時も、体の前でムレタを左右にゆっくり振って牛の反応を確認して距離を掴んでいた。こういう闘牛のやり方が、基本的に身についている闘牛士は、観ていて濃い時間を感じて面白かった。サン・イシドロはどうなるのだろう?


 2月26日(火) 晴 12605

 朝はラーメン。録画の朝ドラを観て、床屋に行く。テレビで、ジャズピアニストの小曾根真が出て話をしていた。その中で、美保純が昔、ジャズピアノを訊いていた時、話しばかりしていて、会場を出されたことをいっていた。良い演奏や気を入れた演奏をしている時は、シーンとなってみんな聴き入っているという話が出ていた。闘牛でも同じことがいえる。スペインでも、静かにするように、「しー」というが、そんなこといわなくても、自然に静寂になる時がある。沈黙ではない、静寂だ。そういう時の闘牛は、何度も思い出すような闘牛になることが多い。そういう静寂の中に、身を置きたいと思う。 


 2月27日(水) 曇 15613

 今日は昨日に比べて、少しだけ寒い。予報では夜に雨になるという。その前に買い物に行ってきた。カレーの材料は揃ったので、夜になったら作ろうと思う。歯も治ったので、まずは鶏肉で作ってみよう。以前放送した朝ドラ『あさが来た』を観ていると楽しくなる。江戸から明治大正にかけて逞しく生きた、京都生まれの女大阪商人。日本女子大の創設者でもある。爽やかで、元気で、いつも前向きだ。これが放送されていた時は、朝から元気な気分になったが、今観てもワクワクして来る。

 段々春が近づいて来ている感じがする。蝋梅もだいぶしおれかかってきて、香りも薄くなってきた気がする。その代わり、梅の花があちこちで咲いてきた。そして、ネコヤナギのぼんぼりもフワフワして、少しずつ大きくなってきた気がする。


 2月28日(木) 雨 9052

 朝はカレー。鶏肉、玉ねぎの他に、グリーンアスパラ、ホワイトアスパラ、赤ピーマン、黄色ピーマン、オクラなどが入っている。昼食はMEGUさんと塩ラーメン。そのあとはお茶をしながら話をした。京都ラーメン紀行や、白味噌の雑煮、志明院など京都の話。親が死んだ話などをした。トイレに3回行ったので、結構長話になった。MEGUさんって、色々なことを考えて、準備もしているいるんだなぁと、思った。俺の周りには、変わった女が多い。長い目で観て、人生設計をしていることが、初めて分かった。こういう人生も、楽しいだろうなと思う。

 闘牛の話もしたが、セビージャのラモン・バレンシアは、カルテル発表時に、ホセ・トマスのことをいっていた。このぶんだと、ホセ・トマスはサン・イシドロは出ないだろうし、今年スペインで闘牛をするにしても回数は少ないだろうし、出るにしてもシーズン後半が多くなるという印象だ。そうなると、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサと、ギジェルモ・エルモーソ・デ・メンドーサのコンフィルマシオンがあるかどうかという事に興味が移る。闘牛士でいえば、ヒネス・マリンやアントニオ・フェレーラがいつ出るか。セバスティアンも見たいが、ファン・デル・アラモも観てみたい。どうなるか、カルテル発表を待って、切符や飛行機のことを決めようかと、考えている。

 雨が降って寒い日だ。夜にならないと雨は上がらない様で、冬の寒さを感じる。アメリカと北朝鮮の首脳会談は、決裂した。帰りに、よつ葉のバターを買ってきた。MEGUさんに貰った、食パンにつけるもの。夕食はこの食パンとカレーを食べようと思う。


 3月1日(金) 曇 11977

 朝はトーストでカレー。昼はカレーライス。近くで塗装したのか、部屋の中まで臭くなった。それででもないが、散歩へ出かけた。ちょっと厚目のダウンを着て出たら、直ぐに薄っすらと汗が出てきた。そこら中に、紅梅白梅が咲いてきた。外は、春の気配が漂っている。

 サンティアゴ・ロペスがアルテルナディーバ50年を迎えて、インタビューにこたえている。その中で、アポデラードとして、ホセ・トマスをやっていた時に、ドンドン良い闘牛をやって、凄い存在になって行ったのに、立ち会った。ほとんど不可能な存在になった事を、私の最大の満足だといっていた。下山さんから訊いた話だと、この当時、サンティアゴ・ロペスは、ホセ・トマスを育てたアントニオ・コルバチョを、ホセ・トマスから遠ざけて会わせないようにしていたという。それでも、コンフィルマシオンの時、ホセ・トマスは、コルバチョへブリンディースしてモンテラを投げていた。その後、ホセリートと同じエンリケ・マルティン・アランスがアポデラードになり、2000年に、絶対的な存在の闘牛士になった。

 サンティアゴ・ロペスに、ケチをつける気はない。ラフィ・デ・ラ・ビーニャ、エスプラ、ダマソ・ゴンサレス、ルベン・ピナル、ファン・バウティスタ、ディエゴ・ウルディアレス、アンディー・カルタヘナ、ロマン、バレア、ファンディなどのアポデラードをやってきた。印象に残る闘牛士が多い。ラフィは、初めて観た闘牛で、印象的な闘牛をして、僕を闘牛へ導いた闘牛士だ。独立系のアポデラードが、いなくなって、興行主だけがアポデラードになったら、これは闘牛がつまらなくなるだろう。元闘牛士の、アポデラードが増えることは良い事だと思う。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る