−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、滞在日記です。
2月6日(水) 雨のち曇 13332
朝雨が降って、寒くなった。闘牛のカルテルが発表されている。今年はカステジョンの方がバレンシアより遅いのに、何故かカステジョンの方が早く発表された。それと面白いと思ったのは、フランスのVic-Fezansac
のカルテルが早々に発表されているが、そこに記載しているのが、出場する牧場だけで、闘牛士の名前が書かれていない。そういう状態で発表するのは、異様だ。が、ここは、闘牛を牛で魅せる努力をしてきたと、THさんがいっていた。見せ場を、牛の特性が誰でも分かり易いピカの場に特化した見せ方をしている。知っている観客はそれを観に行く。だから、ここは、牧場だけを先に発表したのだろうと思う。
梅原猛の『日本の深層』を読んでいて子供の頃の変な思い出がよみがえった。太宰の故郷、金木町にある川倉地蔵。「何百という地蔵が並んでいるが、その地蔵は全て赤や青の原色の美しい着物を着て、顔に白粉や口紅をつけているのである。それはまったく生きている人間のようであるが、その真っ赤な肌と唇は、ひどく不気味な感じをわれわれに与えるのである。」
幼稚園の頃だったと思う。一つ年上の隣の子の家に遊びに行っていた時、何故か、その子が、母親の化粧道具を出して来て、白粉や口紅を取り出して、これをぬっりだした。おでこやほっぺに白粉をぬり、唇に紅い口紅をぬって遊んでいた。口紅の形が崩れ手に着いた。それがなかなか取れない。おばちゃんに、怒られるよ。曲がった口紅を手で直すその子。そうしているうちに、お腹が空いたといって、電気釜のご飯をおにぎりにした。手を洗ったが、口紅は取れなかった。白いご飯についた口紅の紅。いちおう塩もついていたと思うが、口紅のついたご飯を食べると、まるでクレヨンを食べているようで、変な臭いしかしなくて、吐きそうになって気持ちが悪かった。一口食べただけでとても食べれるものではなかった。それから、その子の母親が帰ってきて、これどうしたのと問い詰められて怒られていた。おにぎり作ったことも怒っていた。こっちは隣の子だし小さいからそんなに言われなかったが、とにかく早く家に帰って、この口の中の気持ち悪さを、何とかしたいという思いのほうが強かった。
こんなことがあったからか、子供の頃、口紅が嫌いだった。口紅とクレヨンが同じような感じになって、物凄く嫌な臭いがするものというように、刷り込みがおこったのだと思う。昔、「ニュースステーション」で、久米宏が小宮悦子に、食事をするときは、ちゃんと口紅取りなさいと、いっているのを訊いて、笑ったものだ。今思うと、おにぎりについた口紅は、安物の香料がいっぱい入ったものだったんだと思う。触ると棒状の口紅がすぐ曲がったり、柔らかかった記憶がある。
地蔵に白粉と口紅。原色の着物を着ているそれを想像したら、口紅つきのおにぎりを思い出してしまった。そういえは、隣の子の母親も、去年の11月頃逝ったという話を訊いた。女の一人称が、化粧もせずにそこにいるような人だった。
2月7日(木) 曇 8467
今日も遅く起きた。カレーを食べ、準備をして散歩へ出かけた。今日は暖かい。途中で子どもたちが、ジャンケンをしながら、チヨコレイト、グリコ、といいながら飛ぶようにして進んでいた。パーは何だっけ?と、思ってしまった。パイナツプルだったと思う。
「山のあなたの空遠く 幸い住むとひとのいう」(カール・ブッセ)
これを落語にしたのが、三遊亭歌奴。授業中にこの詩の朗読させるのだが、これを読む生徒が、ドモリで、「山のあな、あな、あな・・・」となる。これで、爆笑した。テレビやラジオで放送され歌奴(現圓歌)が有名になり、町を歩くと子供たちから、「山の、あな、あな」といわれたと、当時言っていた。しかし、こういう落語は今は、演じられない。ドモリ(吃音者)を馬鹿にしているとみなされるのが理由のようだ。
例えば、『巨人の星』の中で、星飛雄馬が、友達に父親の職業が土方だと馬鹿にされた時、「俺の父ちゃんは、日本一の土方だ」と、言い返すが、これも、今放送されると、「土方」という音が消された状態で放送される。「俺の父ちゃんは、日本一の○○だ」となる。かえってワイセツである。土方という言い方や、百姓という言い方は、職業を差別的にいう言い方として、放送禁止用語になっているようだ。『座頭市』でも、「めくら」という言葉も、消されて放送される。ちっとも面白くなくなる、伏字。ちなみに歌奴は、新潟出身でドモリと訛りをかかえて落語家なる。そういう苦労がこの落語に入っているようだ。
学校で、カール・ブッセの詩を読んだ時、歌奴の落語を思い出したが、自分が感じていた詩のイメージとは全然違っていたことに驚いた。北上山地と奥羽山脈の間にある盛岡盆地。山の向こうに幸いがあるというこの詩に、共鳴したのだ。今、「山のあなたの空遠く」に暮らして、幸いがあるかどうか、わからないが、物語の主人公がそうであるように、自分の人生を受け入れるしかないのだと思う。
2月8日(金) 曇 11366
昨日東京は16.5度あって、暖かかった。今日は寒い。札幌は最高気温がマイナス9度、最低気温がマイナス13度だという。北海道は観測史上最高級の寒波が来襲しているようだ。もう外には、蝋梅、紅梅、白梅などが咲いている。しかし、土曜日、月曜日は東京は雪の予報。朝食はラーメン。
朝ドラ『まんぷく』。麺をゆでるとα化する。そうすると水分量が30%〜50%増える。ゆでる方法から、蒸す方法に替えてみるが、乾燥させた後に、お湯を入れたときに麺が固い。なかなか上手く行かない。そこに克子の夫忠彦が絵をもってやってくる。画風を替えた絵を見てもらう。
「忠彦 何でも新しい物を作り出すのは大変なことや。僕の最新作や。 萬平 えっ、忠彦さんがこれを。 忠彦 画風が変わったんや。 萬平 一体何の絵ですかこれは。 忠彦 自分が感じたままに描いたとしか、言いようがない。家族には不評や。今まで通りの絵を描いてたら売れたのにって。そやけど、僕は嬉しいんや。まだ、新しいことに挑戦する自分がいたことに。 萬平 そうですか。でも、これ、よくよく見ると、面白い絵ですね。 忠彦 ほんまに、そう思う。 萬平 はい。好きです僕は。 忠彦 そしたら、萬平君にあげるよ。 萬平 えっ、これを。 忠彦 君は、挑戦する人間やから。 萬平 いやー、あ、そんな。ありがとうございます。」 そこに真一がやってくる。
「真一 あーこれが。 忠彦 ええ、そうなんですよ。 (中略) 忠彦 予想もしないことが起こる。それが人生ですよ。 真一 萬平君はどうなんや。ラーメン作りは上手く行っているのか。 萬平 失敗ばかりです。なかなか思い通りにはいきません。 忠彦 そうか。 真一 かのトーマス・エジソンはこうゆうた。私は失敗したことがない。ただ、1万通りの上手く行かない方法を見つけただけだ。萬平君ならできるさ。」(朝ドラ『まんぷく』)
即席ラーメン作りは、もう少しだ。今週は色々連絡したり、連絡があったりした。
2月9日(土) 雪 14686
8時前に起きて、『まんぷく』を観ながらカレー。もう外は雪が降っている。東京競馬場は、降雪予報の為に中止になり、代替は11日、月曜日になる。それから、電車に乗って上野へ。東京都美術館で初日をむかえた『奇想の系譜展』に行った。伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠彗鶴、鈴木其一、歌川国芳の順で展示されていた。
若冲の彩色画はもちろん素晴らしいが、墨絵のぼかしも凄い。関連の番組を観ているので、そうやって描くのかを知っているが、それでも、こういう風に描けるのは、紙、筆、墨などを熟知していないと描けない。筋目描き。それと、葉っぱにある虫食いや枯れたりした部分。いわゆる、病葉(わくらば)。これを観ると何か響くのだ。キューンとするというか、ここまで、描くのかと思って、嬉しくなる。自然をちゃんと観ていないと描けないし、それを寺に寄進する作品に描くのは、当時はあり得ないことだったという。つまり、醜いものを描かないというような事になっていたようだ。それを描く若冲が好きだ。今回もプライス・コレクションから5点出品されている。プライスはこうやって、何とか日本に若冲の絵を保管してもらいたいと思っているのだろう。
「 しはがよるほくろが出来る背がかゞむ
頭ははげる毛はしろくなる
手はふるふ足はひよろつく歯はぬける
耳は聞えず目はうとくなる
身にあふは頭巾ゑりまき杖めがね
たんぽ温石しびんまごの手
くどくなる気みじかになるぐちになる
思い付事みなふるくなる
聞たがる死ともながる淋しがる
出しやばりたがる世話やきたがる
又しても同じ話に孫ほめる
達者じまんに人をあなどる」 『咏老狂歌』 横井也有70歳の時の作
ハハハ。笑える狂歌だ。まるで、江戸時代の綾小路きみまろだ。
2月10日(日) 曇 11036
朝起きたら、足の裏が腱が伸びているような感覚で、伸ばしたりした。体を動かしたくなったので、運動をして、買い物に出かけた。今週来週と楽しみにしていた日曜美術館。2週続けて北斎である。六本木の森アーツセンターギャラリーで行われている『新・北斎展』は、北斎研究に生涯をささげた故・永田生慈。小学3年の頃に、古本屋で観た北斎の絵手本。絵の手本になるもので、絵の百科事典のようなもの。いろは順に書かれている。「を」のページには、乙女、落ちる、驚くなど、おから始まる絵が描かれている。そして、中学生の時に富嶽三十六景、『山下白雨』(いわゆる赤富士)に出会って変わったという。高校生になるとお小遣いをためて『北斎漫画』を買い集め、これがのちの、永田コレクションに繋がる。大学は、北斎の研究者がいる大学へ進み、浮世絵専門の美術館へ就職した。
そんな永田が注目を集めたのは、32歳の時。西新井薬師大師で、北斎の肉筆画『弘法大師修法図』を発見する。さらに20年後、歴史に残る発見をする。パリのギメ美術館で調査している時に北斎晩年の『雲龍図』。勤めていた太田美術館にあった絵と、表具が同じであることに気づく。『雨中の虎図』。のちにこれが対になっている作品であることが判る。
『新・北斎展』は、永田コレクションを中心に、20歳の頃の錦絵や唯一現存する北斎の若い頃の『鍾馗図』(始めの画名、春朗の肉筆画)、日本初公開の『向日葵図』、絵を切り抜き組み立てる組み上げ絵など展示されている。色々が絵を描いているが、遠近法を取り入れたり、顧客の注文で描く、摺物といわれる、もの。これは、錦絵草創期、鈴木春信の暦などと同じだ。当時は暦の販売は禁止されていたので、絵に謎解きのように、毎年変わる大の月と小の月が、絵にちりばめられている発注品、注文のもの。これも、狂歌の集まりから出てくる江戸の遊び。田中優子などの本に書かれてある。北斎の多面的な画業を、紹介するので、この展覧会には、「新」の字がつく。この展覧会後に、永田コレクションは、地元島根の美術館へ寄贈されるので、東京公開は今回が最後といわれている。やぱい。こんな放送をしたら、どっと人が押し寄せそうだ。これを観てから、行こうと思っていたが、大変な人出になりそうだ。でも、ワクワクするなぁ。ちなみに、昨日行った東京都美術館で行われている、『奇想の系譜展』と『新・北斎展』のチケットが対になって割引になっている。これもBSプレミアムで放送された、『江戸あばんぎゃるど』との関連がある絵画展のようだ。
生前永田は、2000点あるコレクションを島根の美術館へ寄贈した。この展覧会を少しでも多くの人に観てもらいたいと願った。「おー凄いぞ、こんなこともやってたのか、知らなかったぞといって、10万人入った北斎展のたった一人がね、俺は北斎大好きだと、俺はこれで一生この人を調べますといえば、我々は文化の種まきをしてる訳じゃないですか。北斎という人から我々が何を吸い取れるか、何を学べるか。その学べる一つのチャンスを作ってあげることができる、そういうをことを繋げることをできる。そういうことができるのは、我々がいるからこそできることなんですよ」
2月11日(日) 雪のち曇 14116
朝から雪がチラつく寒い日だ。それでも、積もる感じがしない降り方で、良かったと思った。四大陸選手権で、女子フィギュアで、5位から逆転した紀平梨花。指を亜脱臼してSPで、出遅れても、FPでほぼ完璧にまとめて大差で優勝。男子は、SP4位と出遅れた宇野昌磨が、3回の右足首の捻挫を克服してこちらもFPで逆転で優勝を飾った。FPの得点が、羽生結弦の最高点を上回ったのも話題になっている。二人とも怪我お克服しての逆転優勝。日本人好みの勝ち方だ。羽生結弦のオリンピックもそうだったように、こういうドラマチックな勝ち方が、より歓喜をもたらす。願って願って、成就するようなギリギリ感が、好きだ。
メンドーサは、息子のギジェルモと一緒にメキシコ興行の旅。3月は凄く一杯カルテルが入っている。バレンシアもカステジョンも、名前がないのはその為だ。競走馬と同じで、飛行機でついてスペイン戻って、また、メキシコでというわけにはいかない。おそらく、4月か、5月にスペインに戻ってくるのだろう。
2月12日(火) 曇/晴 16120
穏やかな気温を感じる朝だった。しかし、ビックリするようなニュースがスポーツ界に2つあった。池江璃花子が自身のTwitter で、体調不良で入院中に、白血病であることが判ったと公表した。「私自身、未だに信じられず、混乱している状況です。ですが、しっかり治療すれば完治する病気でもあります」「今は少し休養を取り、治療に専念し、1日でも早く、また、さらに強くなった池江璃花子の姿を見せられるよう頑張っていきたいと思います」と、前向きなコメントを載せているという。
かなりの驚きというよりも、ショックといった方が自分の気持ちに近い。今年に入ってタイムが伸びず、疲れが抜けない状態が続き、遠征中のオーストラリアで、検査したら医師に、早く帰国した方が良いといわれ、緊急帰国して病院で再検査したら、白血病であることが判ったという。水連が緊急会見を開いて、状況を説明したようだ。白血病を告知されて1時間後には、笑顔になっていたという。
彼女は去年までは、飛ぶ鳥を落とす勢いで、記録を伸ばし、国内だけではなく、アジア大会では、6つの金メダルを取って大会MVPを取っていた。記録も世界記録に近づいていた。当然のように、来年の東京オリンピックでもメダルの期待が高かった。1番ショックなのは本人だろう。あまりにも、残酷である。それでも、早期発見できたことなど、希望を見い出しているのかもしれないが・・・。
もう一つは大坂なおみが、サーシャ・バインコーチとの契約を解除した。全米・全豪で優勝した陰の立役者だったサーシャコーチ。すでにこの前、優勝した全豪での練習などで、サーシャが大坂に声を掛けても、反応しない姿があったので、合わなくなっている感じがしていたが、別々の道を歩むことになった。4大大会で優勝した選手は、その直後に、コーチを替えているというデータもあるのだという。大坂は、サーシャコーチによって、メンタルコントロールが出来るようになって、次のステップを踏もうとしているようだ。
『JIN−仁』のセリフを思い出した。「神様は、その人が乗り越えられる試練しか与えない」。確かこんなセリフだったと思う。オリンピックに、希望をもって練習していた池江選手。神様は、彼女の人間力を、試したかったのだろうか?みんなが死ぬわけではないし、完治するようにもなってきているようだ。
リーガ・エスパニョーラで、移籍即デビューした乾貴士は、アラベスで躍動した。監督は、調子が良かったから交代が遅れた。攻撃にアクセントをつける活躍を賞賛した。ウイング同士が、左右を自由に交代して、相手守備を攪乱した。交代時には、アラベス・ファンから喝采を受けた。
2月13日(水) 曇 10487
朝起きて、ネットやテレビで、池江璃花子の白血病について、桜井五輪相が「がっかり」と発言したことについて、「病気で苦しんでる人にがっかりとかよく言える」「人格を疑う」とか、炎上状態。野党が辞職を要求している。こういう世相には、うんざりする。家族なら、本人なら、そっとしておいて欲しいと思うだろう。自分のことで、そういう状態になること自体が、余計なこと。
『達人たち』は、糸井重里X芦田愛菜だった。70歳X14歳。年齢差56。この対談は、糸井からの熱望だった。始めは、糸井のオフィス、ほぼ日刊イトイ新聞に芦田が訪ねる。オフィス前に、電話が置かれている。これが、ダイヤルを回す電話ではなく、明治とか大正時代に使われていた、耳に受信器を当て、箱についている発信器がある電話。それで、芦田愛菜と申しますというと、糸井が出てくる。扉は木目が浮き出ているようなものだった。ほぼ日のオフィスを廻ってから対談が始まる。「言葉にならないことば」「「違うわたしを探して」
「糸井 知ってましたか。僕の存在を。 芦田 すいません、申し訳なんですけど。 糸井 ですよね。 芦田 でも、母に『トトロ』のお父さんの声をやられていると。 糸井 草壁です。56歳はなれていて、孫の年齢ですね。だけど、対談が成り立つと思ったことが、僕はすごく愉快で。芦田愛菜さんと、何の話をしましょうかと、いうのは、きっと普通の番組だったら、いっぱい考えたりするんでしょうけど、それぁ会えばそれでいいんじゃないの。画面がおかしいんだから。女優さんと、僕ですけど、きっと、好きな花は何ですかと、いってても成り立つよって。好きな花何ですか? 芦田 きかれないないです。でも、あたしはけっこう、ひまわりとかよりも、雑草の方が好きです。 糸井 どこにも咲いているような。 芦田 どこにも咲いているような普通の花とか、ましてや草とかの方が。 糸井 花とかも咲いてないような。 芦田 好きかもしれないです。 糸井 その答えが出るまでに、14年かかてるんだよね。 芦田 今までの経験。 糸井 小さい時から大人の世界で仕事されてますよね。大人って子どものことを、何も考えてないやつとして扱うじゃないですか。で、難しい話してもあいつには判んないやと思ってますよね。子どもは、結構知ってますよね? 芦田 はい。 糸井 だから芸能の世界にいても、たぶん芦田愛菜という人は、無邪気に見えてても、いっぱい大人のないしょ話やら、本当に話していることを、スパイとして聞いていた気がする。 芦田 うふふ。はい。」
「糸井 あーそう、負けず嫌いな部分がもともとあったんだね。 芦田 オーディションの時に不合格の時は、やっぱり、泣いたりしてましたね。」
「糸井 『マザー』やった時は何歳です? 芦田 5歳の時です。 糸井 全部の世界を見上げて生きているわけじゃない、みんな大人の世界は下向いている訳じゃないですか。その時の世界が大きく自分がちっちゃくて、でも期待されて。その時の感触とか感覚とか。 芦田 自分が周りからどう見られるとか、そこまでは考えられてはいなくて、本当に純粋に自分が今やらなきゃいけいないことを、やり遂げているだけ、みたいな感じだと思うんですけど。 糸井 やーだってさ、大人がお客さんとして見ていても、難しいことやってるなぁ、みたいなことを、こんな小さな子が、やってる訳じゃないですか。何があったんだろうと、全く判らないで芝居をするなんて、なかなか難しいですよね。 芦田 そうですね。ちゃんとは理解は出来てなかったと思うんです。でもやっぱり、同い年くらいの子の役を演じることが多かったので、理解できてないのも、その役の一部としてというか。いいのかなと思ったりします。」
「芦田 何か新しいをするとかは、嫌いじゃなくて、だから、学校の授業が好きかって言われたら、好きとはいいにくいですけど。でも、本を読むのとも似てて、新しいことを吸収したり、雑学とかでも、新しい話を聞いたりするのは好きですね。 糸井 まだまだ覚えたいこと山ほどあるでしょうから、毎日面白いですね。 芦田 はい。そうですね、知らないことまだまだいっぱいあるので、はい。 糸井 知らないこと知るんだったら、大体のこと好きなんだ。 芦田 そうですね、好きですね。 糸井 同じように、本読む。そういうことですね。 芦田 そうですね、やっぱり、自分が生きている世界で体験できないことだったりは、本の主人公を通じて疑似体験できたりとかするので、そういうところが本の好きなところかもしれないですね。 糸井 好きな本は、やっぱり物語が多いんですか。 芦田 そうですね、物語が多いですね。映画を見ているような気持ちで、本を読んでる感じですね。なんかこうちょっとした時間でも、本読んだりしますね。」
「糸井 今まで本でも映画でも何でもいいんだけど、これは面白かったなぁって思うのは何かありますか。1番とは言わなくても。 芦田 中学生になって、すごく考えて、“死”って何だろうとか。考える本に最近、読み応えを感じるようになりました。 糸井 良いとか悪いとか、ホントとウソ、どっちだかわからい読む人によって、読むときによって、違って感じられる。みたいなところにいっているんだ、今。 芦田 そうですね。そういう本が今、面白いなって思うようになりました。 糸井 あの、余計なお世話ですけど、あなたの出てたドラマそうでしたよ。 ハハハ。 だから二度目見たら違って見えるかもしれない。 芦田 最近になって見返したことがあって、自分で涙が出てくることがちょっと。 糸井 はぁ。 芦田 全然忘れてたわけじゃなくて、でも、小学校入る私と、今の私が見るのでは、全然違うって思いました。 糸井 そうでしょうね。自分で書きたいとか思うんですか? 芦田 自分で書きたいと思ったことは、何度かあって、試してはみるんですけど、設定を考えている時に、設定考えていることが楽しくなってしまって、なかなか文章が書けなくて。 糸井 それでいいじゃないのかな。それはあとで、いくらでも書けるから。その設定のところは、楽しみとしていくらでもメモしておいたらいいんじゃない。 芦田 あー確かに。」
「芦田 挫折するとか、くじけるって嫌いじゃなくて。 糸井 その話してよ。 芦田 うふふふ。 糸井 そうじゃないと、上手く行き過ぎちゃうから。 芦田 全然そうじゃなくて、あの、うまくいかないことばっかりなんですけど。 糸井 おー、聞こうじゃないか。 芦田 うふふ。そんな思う通りになるわけじゃないですよね。だからそれで、ぶつかったりすることで、違う目標が見つかったりとか、「もっとこうしてみればいいんだ」って発見になったりとか、挫折するのは嫌いじゃないですね。 糸井 挫折するは嫌いじゃない。 芦田 何かしないと前に進めないような気がして。 糸井 何かもう、本のタイトルにしたいくらだ。 芦田 うふふ。 糸井 外からみている限りでは、この人は挫折したなんてことが思いもよらない。 芦田 いやいや、全然。 糸井 やっぱりそれは仕事に絡むことが多いんですけ? 芦田 そうですし、沢山練習したのにうまくいかなかったとか。でも、それがないときっと上に行けないし、もっと前に進むこともできないと思うので。 糸井 じゃ、順調に行ったら心配になりますね。 芦田 なりますね。なんか、きっとそろそろやらかしてしまうんじゃないかと思うたりもします。 糸井 バカ明るい人ではないんですね。 芦田 そうですね。どっちかっていうと、心配性だったりとか、きっと見栄張りだったりすると思うんで、見せたくないのかもしれない。自分の弱いところを。 糸井 心配性だとかは人にいえるけど、見栄を張るということについて、なかなか若い人は、人にいえないですよ。それをいえるだけでも、ずいぶんと何かを経験してきた。見栄っ張りですよね人って。 芦田 負けず嫌いなのはあると思います。やるからにはきちんとやりたいという気持ちもあって。 糸井 負けず嫌いの子が、ちょっと負けかけたときにさ、すごくショックを受けることはないの。 芦田 ありますけど、泣いて忘れるっていう時もありますし。 糸井 そうか、泣いちゃうんだ。あーそう。 芦田 なんか、我慢しててもどうせ、泣いちゃうんで、いつかきっと。心に限界がきて。でも、泣いたらすっきりします。 糸井 それは芝居で泣くのは全然違うよね。 芦田 そうですね。 糸井 でも芝居で泣くのもあるから、そこのところの回路を持っているのかもしれないね。 芦田 でも泣こうと思って泣けたことはないです。泣いちゃうんです。」
「糸井 大人になって行くプロセスに今います。14歳っていうのはたぶん、あの、むかしのむかしだったら大人扱いをされてたかもしれない。そこに思うことは、何かございますか? 芦田 うふ。早く大人になりたいって思ったりしますし、でも大人になりたくないなって思ったりもします。 糸井 そうです、僕もそうでした。 芦田 なんかこう友達と一緒にみんなで何かしたりとか、一緒にただ話している時間っていうのがすごく楽しくて、こういう経験もできなくなってしまうのかなって、寂しさというか、やだなという気持ちもあるんですけど。 糸井 あれが1番の人がやりたいことのような気がするなぁ。どんな立派なことよりも、友達が集まってぺちゃぺちゃやってることが人間のやりたいことなんじゃないかなぁって気がする。 芦田 たわいもない時間って、実は1番好きな時間、大切にしたい時間ですね。 糸井 名前のつかないもののほうが貴重ですよね。目的がさだかであったり、あなたの特徴なんですかとか、言葉ですっといえるものってもうそれだけで、ねぇ。 芦田 そうですね。形にならないものって大切かもしれない。」
女の子って、男の子に比べて早熟だなと思う。こんなこと14歳の時には感じなかった。ほぼ毎日、『まんぷく』のナレーションで芦田愛菜の声を聞いている。14歳で朝ドラのナレーションなんて、想像の他の話だった。しかし、ドラマを観ているとそれに違和感を感じない。抜擢した人は、見る目があると思う。鈴木福君と♪マルマルモリモリ♪と歌いながら踊っていた子が、女優として成長し、思春期になってきた。これから、さらにどういう風に変化していくのか。体の変化に、心の変化を伴うような成長が、出来て行くのではないかと思う。
時代と寝続ける糸井重里との対談は、ドラマなどでは見えてこない部分を引き出していると思った。
蝋梅の あわい黄色に 黄泉を読み 狼狽おぼえる 年になるかな 風吟斎
近代と 現代の間の ずれかたに 矛盾かかえ うつろう漱石 風吟斎
梅が香を 谷ふところに 吹きためて 入り来ん人に 沁めよ春風 西行
2月14日(木) 曇 10051
風の強い寒い日だった。新宿で米ちゃんと会って、去年スペインに行った話などを訊いた。バルセロナの中華で、ぼられた話など色々した。2000年にアランフェスで観たホセ・トマスの話なども。それと、死んだFさんの話も。
日記読んでるみたいで、母が死んだことも知っていたので、若冲と源内が、木村蒹葭堂(けんかどう)を通して知り合い、それがもとで、金比羅に行ったのでないかなど、空想の話をした。河治和香が書いた、『遊戯神通 伊藤若冲』を読んだ時の梅原猛風直感だけど・・・。
2月15日(金) 曇 12427
今日も寒い日だった。昼過ぎに歯医者に行った。余裕で着くように出たつもりが、ギリギリだった。診察台に座って、茶色の口を消毒する液体を含んで、グジュグジュして始まった。左右の臼歯の上の部分を、甘い麻酔薬がついた脱脂綿で拭き、先生が注射で麻酔した。それから型を取っていた詰め物を歯にはめ、噛み合うように調整するのは歯科衛生士。左右の奥歯が調整が終わった処で、先生が来て、あと2本の歯を調整した。微妙な噛み合わせをするのは時間がかかる。ましてや、歯ぎしりをするので、余計そう。台に座って、台が横になり、ずっとその姿勢でいたら左の肩というか首の付け根部分がこってきた。調整が終わり、歯の型を取って終わった。これは、マウスピースになる。
帰りの電車と、喫茶によって、『ユリイカ』の平成21年11月号の辻惟雄と山下裕二の対談を読んだ。昨日、米ちゃんが山下裕二は呉の出身だといっていた。二人は今、若冲ブームの中で、発言を続けているが、元は、大学教授と生徒。つまり師弟である。辻は退職したが、名誉教授で、山下も今は、大学教授をやっている。彼を始めに知ったのは、『日本美術応援団』という本である。学ラン着た二人の男が、表紙だった。この本は、山下と赤瀬川源平の共著で、二人が学ランを着た。当時、圧倒的に知名度があったのは、赤瀬川源平だ。芸術関係の仕事をするときは、赤瀬川を名乗り。小説家の時は、尾辻克彦を名乗って、芥川賞を受賞した。前衛芸術や、『超芸術トマソン』から始まった、路上観察学会などは、若者や学者を巻き込んだ運動になった。それと、宮武外骨を再発見した。二人の共著、『日本美術応援団』『日本美術観光団』『雪舟応援団』『実業美術館』などをひも解くのも、また、良いかもしれない。取りあえず、『奇想の系譜展』図録の辻惟雄と山下裕二の対談を読もうと思う。
2月16日(土) 曇/晴 10211
昨日に比べて暖かい日だ。池江璃花子は、白血病を発表した翌日、「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分は乗り越えられない壁はないと思っています」と、力強く自信をもっていっていた。『JIN−仁』の言葉は、「神は乗り越えられる試練しか与えない」だった。いずれにしろ、公表当日、俺が感じた『JIN−仁』の言葉を感じたように、彼女も同じことを感じたことが、意味もなく嬉しかった。
カーリング日本選手権が始まって、予選最終戦の北海道銀行対中部電力。しびれるような点の取り合い。船山、小野寺などオリンピック選手を揃える北海道といつも決勝で、ロコ・ソラーレに負けて世界に行けないでいる中部電力。スキップを松村に替えて北澤にしたが、ここまで全勝で1位通過を決めている。四強の中で、他の2つに負けている北海道は、是非とも勝ちたいところ。しかし、8エンドでミスでスイープ。ここで力尽きた感じだ。このあと、夕方から、予選1位と2位が決勝進出をかけて戦う。3位と4位が、準決勝進出をかけて戦う。明日は準決勝、決勝になる。やっぱり、中部とロコ・ソラーレの決勝になりそうだが、富士急がどこまで食い込むかというところだろう。
辻惟雄が『美術手帖』に連載した『奇想の系譜 江戸アバンギャルド』の頃まで、日本美術は、外国に流出していた。明治からは、瓦解の混乱と、西洋画が良いという時代に変わったこと。廃仏毀釈の影響が大きかった。1950年代60年代は、やはり戦後の混乱だ。華族制度が廃止され、元大名などの華族が持っていた日本美術は、売却され日々の生活費に消えて行った。NHKBSプレミアムで放送された『江戸あばんぎゃるど』は、それらをアメリカ人コレクターが買いあさって、アメリカに持って行ったことや、アメリカに進出した、山中商会が、国宝級や重要文化財級の美術品を大金で売りさばいた。太平洋戦争がはじまると、それらの資産は没収され、戦後、オークションにかけられる。こういう物を収集したコレクターは、生前に美術館などへ収集した作品を、寄贈したり、売却した。その為に、アメリカに多くの日本美術が大量に存在する。勿論、明治時代の岡倉天心の師匠にあたるフェノロサの影響も大きのだと思う。結果として、日本美術は、大事に保管されることになった。山下裕二は、辻惟雄との対談の中で、伊藤若冲が最高の画家と言っている。そのことについては、異論はないのだが・・・。
2月17日(日) 晴 12432
朝は寒かったが、日が昇ってきて、少し暖かくなった。『日曜美術館』「シリーズ北斎 めくるめく読本挿絵の世界」を観ていて、驚いた。北斎の絵にも驚いたが、山田風太郎に、驚いたのだ。風太郎が北斎を書いたのは、『八犬伝』の中で、八犬伝の物語を語る馬琴の話を訊いて、3枚くらい筆をとってさらさらと、物語の印象的な場面を描くのだ。そういう風に、馬琴と北斎を登場させる。『椿説弓張月』が、二人の読本での作者と絵師のゴールデンコンビだった。この頃、読本といわれる、奇伝小説が売れる。その挿絵で、売れ行きが左右されたようだ。北斎は、そういう読本の挿絵をたくさん描いたという。1番多かったのは、馬琴と13作。
北斎の絵の解説を訊いていて、文章を上回る絵を描いていた。風太郎は奇伝小説を多く書いたが、『八犬伝』は、馬琴の書く物語の「虚」に対して、馬琴の実生活を書く「実」を交互に書いている。その「実」の世界に、北斎を登場させ、鶴屋南北が初演する『四谷怪談』を二人に観劇させ、終わった後、南北と三人で会話するところがある。初演は、『四谷怪談』を、『忠臣蔵』で挟んだ形で上演された。馬琴は、四十七士が大好きで、北斎は、血縁者が吉良を守っていたので、四十七士が嫌いな側に立つ。その会話、芸術論もまた、凄いのだが、こういう物語の進め方やその内容を考えると、風太郎は全てを知っていたかと、思ってしまうのだ。そして、最後の部分も唸るような作りになっている。恐るべき、筆の冴え方である。あらためて、名作であると思った。いや、傑作である。
北斎の読本での挿絵が、その後の、『北斎漫画』や『富嶽三十六景』など絵に活かされて行っているようだ。ここでも、辻惟雄が出てきて話をしていた。北斎関連でいったら、版元の蔦屋重三郎も、読本、浮世絵などで北斎を売り出した、編集者というか、ディレクターのような、大きな存在でもある。読本では、山東京伝、十返舎一九、浮世絵では、写楽、歌麿、広重などを送り出した。これも狂歌が絡んでいるようだ。多分田中優子は、こういうのを調べていただろうし、調べることって、とっても楽しかったんだと思う。江戸あばんぎゃるど、かー。面白過ぎる。
2月18日(月) 晴 16532
4・5年仕事で使っていた革靴の縫製部分が、突然破けて、修理屋や靴屋へ持って行ってきいた。結論をいうと、靴屋がいうように新しいものを買った方が良いということだった。所詮既製品。足のサイズを測って、作って貰った高いではないのっで、わざわざ修理しなくてもと、いうこと。それで、同じものを靴屋で買った。それをさっきはいて歩いたら、実にフィットしてはき心地が良い。これならこのまま、はいて京都へ行けると思った。今日は夜行バスで、京都へ行く。新幹線ではなく、夜行バスで行くのは初めてだが、こういうのも朝から時間が使える利点があるからだ。体の具合が、どうか、心配な点もあるが、試しにパターンを変えて、今後のことを考えようと思った。
それは良いのだが、明日明後日と京都は、雨予報。冬の京都を、雨の中歩くのかと思うと、ちょっとなぁと思うが、それも、良いだろうと思って行くことにする。本来目的は2つあった。しかし、ネットを観ていたら、3つ目の目的を発見した。どうなるか、楽しみだ。
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