−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月、12月の京都旅行、2013年4月京都旅行5月出雲遷宮旅行10月伊勢神宮の遷宮旅行11月京都旅行、2014年5月6月、7月の京都旅行、2015年6月京都旅行、9月奈良・京都旅行、11月京都・滋賀旅行、2016年11月京都旅行、2017年9月京都旅行、11月の奈良・滋賀・京都旅行、高野山・京都旅行、2019年2月京都旅行、滞在日記です。
3月2日(土) 晴 12405
暖かい日差しが降りそそいでいる。Jリーグは神戸対鳥栖で、スペイン人監督同士の戦いで、ビジャ、イニエスタ対フェルナンド・トーレスとこちらもワールドカップ優勝のチームメイト対決になった。こんな日が来るなんて、想像もしなかった。後半ビジャがJリーグ初得点で先制した。メンバー的に圧倒的に神戸が有利。
3月第1週の土曜日に行われる桜花賞トライアル、チューリップ賞は、2歳女王のダノンファンタジーが、直線前が壁になってどうかと、思ったが、きっちりしっかり、勝ち切った。スタートも決まったし、こういうレースが出来るなら本番は1番人気になるだろう。季節は、春本番に向かっている。
気は長く 心は広く 色薄く 勤めはかたく 身を持つべし 勝小吉
3月3日(日) 雨 12893
ひな祭りに雨が降っている。京都錦市場。四条烏丸から歩いて行くと入口が見えてくる。その右側に伊藤若冲の生家跡がある。この前、京都へ行った時に見つけた。何年か前、錦市場は、シャッターに若冲の絵を描いて、閉店後展示をアピールしていた。それがまだ残っている。確か東京都美術館で、『動植綵絵』30幅を展示して大行列が出来た時だったような気がする。
昨日、テレビ東京で、『美の巨人たち』は、伊藤若冲スペシャル。NHKBSプレミアムでは、『若冲vs北斎〜夢の天才対決〜』が放送された。『美の巨人たち』の拡大1時間番組を観たが、やっぱり面白かった。出演は若冲の時に出てくる四人だ。辻惟雄、小林忠、狩野博幸、山下裕二。画風や技法など解説していた。こういう番組が出来ることは、素晴らしいことだ。『美の巨人たち』は、30分番組。それを1時間にのばして放送する。『奇想の系譜展』の最中に、こういう番組が放送されるのは、良い事だと思う。
3月4日(月) 雨 16843
昨日から、ずーと雨が降っていて寒い。電車から降りて、改札を通って家に向かって歩きだしたら、iPhone がない。ポケットに手を入れたが、ズボンにも、ダウンジャケットにもない。どうしよう。家に帰って電話しようと考えた。家に戻り、トイレに行って落ち着いて、さあこれからと、思っていたら、電車を降り杖に、バッグの前でいじっていたことを、思い出した。バッグを観ていたら、横のネットの中に、iPhone
が入っていた。いつもと同じところに、あるべきものがないと、人は慌てるのだ。探している時は、iPhone なくすことなんてあり得ないと、思っていたのに、なんていう事をと、自分にガッカリしていた。こうやって、見つかってみると、ホッとすると同時に、気のゆるみって気が付かない時に、やってくるものだと感じて反省した。
東京都美術館で行われている『奇想の系譜展』と、森美術館で行われている『新・北斎展』はタイアップしている。今でもコンビニなどでこの二つの美術展は、割引で買うことが出来る。NHKでは、しょっちゅう『新・北斎展』の宣伝を流している。実は、『奇想の系譜』を書いた辻惟雄は、著書の中で、6人の画家を紹介しているが、ここに北斎も加えようとしていたという。しかし、北斎だけがあまりにも有名なので、それをやめたという。それが、今回タイアップという形で、同時に開催されたようだ。
3月5日(火) 晴 10570
東京地裁は、カルロス・ゴーンの保釈を認める決定をした。保釈保証金は、10億円。検察側は、準抗告する方針。これが認められなければ、今日中に保釈される模様。
昨日スーパーへ行ったら、小粒のイチゴ約1キロが安く売っていたので、思わず買ってきた。コンデンスミルクを、買おうかと思ったがやめた。糖分をあまり取りたくないと思ったのと、他の物を代わりに入れようと考えたのだ。先日『カンブリア宮殿』でやっていた、マルコメが出している麹甘酒。酒粕ではなく、米麹を使っているので、アルコールが入っていない発酵食品。それをつぶしたイチゴに入れて食べたらと、思ったのだ。試してみた。甘さ控えめで、悪くない。が、ちょっと米の香りがする。蜂蜜を入れた方が、良いのかもしれないと思った。あとは、麹甘酒と蜂蜜の相性が良いかどうかだろう。
京都へ、行ってない月は、1月3月8月。5月も花が咲き始める時期には行っていない。8月は暑い。3月は今年は行けないので、いつか行こうと思うが、5月の咲き誇る時期に、行ってみたい。今年がチャンスではある。サン・イシドロが遅く始まるからだ。
3月6日(水) 曇/雨 12015
朝銀行へ行ったが、不備があったので、六本木へ向かう。森美術館へ到着。『新・北斎展』は、1時間待ちで、直ぐに諦めて、麻布十番の洋食屋へ行った。誰もいない処で、ハンバーグセットを頼む。添え物の野菜が美味しい。そして、味噌汁も。シジミの味が美味い。それから喫茶店でコーヒーを飲んで、森美術館に戻ったが、今度は80分待ち。図録を買って帰ってきた。それからまた、銀行へ行って手続き。時間がかかる。そんなので昼がつぶれた。
『新・北斎展』は、テレビなどで色々放送したので、人が一杯来だしたようだ。最近は、こんな感じですと、美術館の人がいっていた。やっぱり、朝1番に行かないとダメなようだ。カルロス・ゴーンは、逮捕から108日目に保釈金10億円を払って釈放された。彼は仏教徒のように、108の煩悩を持っているのかもしれない。1日1つの煩悩を数えていたのかも・・・。
3月7日(木) 雨 13516
雨が降っているが、そんなに寒いわけではない。この雨は、春を呼ぶ雨だ。晩冬から初春へ、うつろう季節を、目でも、体でも感じることが出来る。池江璃花子は闘病生活をSNSに、「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍、しんどいです。三日以上ご飯も食べられない日が続いています。でも負けたくない」と綴った。想像と現実の中でもがいている。こちらは、ただがんばれとエールを送ることしかできない。
風太郎は多分気づいていたと思う。『八犬伝』やいわゆる明治物を書いていたのだから。北斎が生きていた時代、葛飾には、勝海舟、山岡鉄舟がいて、三遊亭円朝がいたことを。明和前後から浮世絵の基になる錦絵を、鈴木春信が始めた。これには、狂歌や源内が関わった。京都では、若冲の他に、応挙、蕪村、池大雅などがいた。それから江戸では、蔦屋重三郎が版元になって浮世絵が花開く。『解体新書』で蘭学が注目を集め始め、ペリー来航から一気に幕末、瓦解をむかえ明治になる。子供の頃、海舟が、あるいは、鉄舟が晩年の北斎に会っていたかもしれない。幼少の円朝が北斎に会っていたかもしれない。円朝は、一時浮世絵師、歌川国芳の内弟子になっていることを考えると、余計面白い。回向院で開催されていた大相撲を観に来ていたのかもしれない。そんな空想が、物語をつぐむのかもしれないと思う。風太郎が小説でやったのは、そういうことだ。そういう想像力が風太郎の物語の原動力になっている気がする。それとやっぱり、戦争体験だ。3月10日の東京大空襲。冬なのに、この日の平均気温が47度あったという東京。これが気象庁観測史上最高気温を記録している。そういう物を体験した風太郎が、戦後は「全て余禄」といっていた。
友を探し東京も街を彷徨った風太郎。焼夷弾が降る中、灯火管制の中で、布団をかぶって裸電球で本を読んでいたという風太郎。そういう体験と、どうしようもない現実生活。想像力がなければ、空想がなければ、前が見えなかったのかもしれない。「全て余禄」とは風太郎の言い回しだが、現実ではない何かを、考えないとやっていけない気分だったのは、それを体験した人たちの雰囲気だったのではないかと思う。
あれから8年。NHKで、『黒い津波"知られざる実像』を観ていると、凄いことになっていたんだと、改めて思った。あの日、3月11日に東大寺のお水取りを観に行っていた。奈良のホテルで、泣きながらテレビ中継を観ていた。胸が苦しくて、どうしようもない感情を沸き起こった。「こうまでするか、あいつら」と風太郎は書いた。アメリカのメディアは、史上最大の火災と、書いたというが、それをやったのはB29で焼夷弾を投下したアメリカだ。そして、東日本大震災。人は、強い悲しみや絶望からも、立ち直り、明日への希望を見つけ出そうとする。
♪真っ白な 雪道に 春風香る 私は懐かしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
いまはただなつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう
夜空の向こうの 朝の気配に
私は懐かしい あの日々を思い出す
傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして
今はただ 愛(いと)おしい あの人を思い出す
誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために♪ 『花は咲く』 歌詞:岩井俊二 より
3月8日(金) 曇のち晴 14969
去年の今頃は、サン・イシドロのカルテルが発表になっていた。今年は、動きが遅い。それというのも、去年よりも初日が1週間くらい遅いからだろうと思う。来週か、それとも再来週の月曜日頃が発表の目安になってくるんだろう。ネットにも今までなら、どの牧場で、どの闘牛士がという情報が溢れてくる時期なのに、シモン・カサスから発信されているのもは、10の牧場と、10の闘牛士が発表され、闘牛士がどの牧場でやるかも発表された。
一部では、今年のラス・ベンタス闘牛場に出場する牧場の名前が出た。それだけだ。どうなるのか、5月6月にフェリアを行う他の闘牛場も、動けない状況になっているのだと思う。これが決まらないと、スペイン行きの予定もたたない。
3月9日(土) 晴 10836
夜中、先日死んだドナルド・キーンの追悼番組をやっていた。NHKの渡邊あゆみアナウンサーが聞き手で、銀閣寺の書院で収録されている。日本人の美意識は、足利義政がこの東山で作った文化から始まっている。四畳半が出来たのも、慈照寺(銀閣寺)の東求堂から始まったし、狩野派が始まったのも、雪舟も、茶の体系が出来たのも生け花も、一休がいたのも義政の時代だ。世界遺産になっている龍安寺も、この時代応仁の乱のもう一人の主人公の細川勝元が作っている。
そういうものは、彼の著書、『足利義政と銀閣寺』の中でも書かれている。山田風太郎は、初期推理小説を書いていた。これは、現代もの。そのあと、奇伝小説を書き、忍法帖シリーズを書き、『戦中派不戦日記』を発表。明治物、室町物で終わる。忍法帖は、戦国から江戸時代。こうやってみると、何かが変わる時代を書いているような気だする。ドナルド・キーンが感じた日本人の美意識の裏側を、風太郎は書いているような気がする。ポジの司馬遼太郎、ネガの山田風太郎とよく言われたが、戦争体験が、人間の裏側を書こうとしたのだろう。反対に、ドナルド・キーンは、太平洋の島々で日本人の玉砕を観ている。そういう現実と、東日本大震災で日本人がみせた被災地で、略奪をしない、暴動が起きない事などに、日本人の本質を観たようだ。
ドナルド・キーンはいう。人間が1番困った時、うそを言わないでしょう。他の国では、暴動起こるのは当たり前です。外国生まれの人は、日本びいきの小泉八雲がそうであるように、日本を美化しすぎる傾向にあるが、彼らは、本質的な部分が見えている気がする。それは比較する対象が見えているからだと思う。
サン・イシドロのカルテルは22日に決まるらしい。ベネフィセンシアには、ウルディアレスとベントゥラが出るという。
3月10日(日) 曇 15176
曇っている。阪神も中京も競馬場は雨が降っている。東京も夜になると、雨の予報になっている。東西で桜花賞トライアルが行われて、阪神は、雨の影響か、大荒れで、中山は、雨は降っていないので、上位人気で決まったが、1番人気はこけた。乙女たちの戦いは、やっぱり難しい。中京メインの金鯱賞は、硬くおさまった。こっちは古馬の戦い。大阪杯トライアル。予想が当たると嬉しい。
今日の日曜美術館は、『奇想の系譜展』。辻惟雄と山下裕二が出演していた。『奇想の系譜』が出版された1970年当時、これらの画家は忘れ去られていた画家たちだった。今や若冲は、日本画家では、1番人気といって良いような凄い人気になっている。室町から江戸の時代になって、将軍家御用達の狩野派の本流は、江戸に行くが、残った京都の狩野派の中に、山雪がいた。そういう背景もあって、あの梅の枝ぶりの大胆さや面白さが出てきているようだ。それから、若冲のような絵も登場するし、信長を裏切った荒木村重の一族は皆殺しになるが、唯一残った子の岩佐又兵衛が画家になる。村重は生き残って茶人になり、秀吉の前で茶をたてた。奇想の系譜とは、こういう風に、本家本流から外れた処にある。応挙の弟子だった、芦雪の墨絵など、凄く良い絵だ。だから、戦後進駐してきたアメリカ人の目利きに買われて行った。それでは、奇想の画家たちは、外連(けれん)かといえば、決してそうとは言えないと思う。色々な技法を使った若冲。絵巻で、人間の本質を描いたような又兵衛。何というか穏やかな気持ちになる芦雪。面白い構図の浮世絵を描いた幕末の歌川国芳。
1月『江戸あばんぎゃるど』からNHKなどで、放送された関連の美術番組は、非常に面白かった。今月の下旬で、美術展は終わる。関連の本を読みたくなった。そんな時間があるか?
3月11日(月) 雨のち曇 16475
8年が経った。NHKでは、東日本大震災関連の番組を一杯流している。フィットするものもあれば、つらくなってくるものもある。録画しているものを、見続けると、それはさらに、そう思うことになるだろう。今日政府主催の追悼式が行われた。
バレンシアのファジャス(火祭り)の闘牛が始まった。9日は、闘牛学校の生徒たちの仔牛を使った闘牛。10日、ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、ラファエリジョ、オクタビオ・チャコン、フォルテスが怪我で、代わってバレアが出場した。観客は、7割弱の入り。オクタビオ・チャコンが、初めの牛で耳1枚取った。この時、左角でパセをしたとき、股間を角で刺された。股間左側に角が入ったように見えたが、体が持ち上げられて体が下へ行った時に、また角が振り上げられ、角先は左太ももの方へ行った。それから持ちがあげられてアレナに落下した。
オクタビオ・チャコンは、そのままファエナを続け、良い剣も決まり耳1枚が出た。治療のため医務室に歩いて入った。本来闘牛士の順番では、5頭目牛を相手にするところ、最後の牛を相手に闘牛をするためにアレナに戻り、闘牛後観客の喝采に挨拶をした。闘牛場付きのサラゴサ医師の診断は、精巣を角が突き刺したものではなく、右腸骨窩に角が入ったが、腸への損傷もないようだが腹膜を痛めているようだ。4cmの角傷で局部麻酔で手術された。
動画を見ると、一瞬角が左股間部に行っているように見えるが、その後、体が角に持ち上げられて微妙に角が触れている部分が動く。そのまま、左股間だと、多くの闘牛士がそうであるように、玉を左太腿に寄せているので、そこを直撃した可能性があった。角と体が空中で動いたので、右側にずれたので、精巣及びペニスの損傷が防がれたようだ。THさんは、バレンシアまで出かけてこの闘牛を観たようだ。闘牛場の雰囲気などを、会った時に訊いてみたい。
3月12日(火) 晴 9607
レアル・マドリードは、3月に入ってチャンピオンズリーグ、国王杯で敗退し、リーグ戦でもバルセロナに勝ち点10以上つけられて、ほぼ無冠に終わることが決定的になった。11日ソラーリ監督解任は突然発表して、後任に、ジタン監督就任を発表した。バルセロナに2連敗した時は、結果にガッカリしたが、この壊滅的な状況を非常に喜んだ。今のレアルには何の思い入れも持てなかったからだ。しかし、監督がジタンになると、話は全然違ってくる。ジタンには頑張ってもらいたいと思うからだ。アトレティコもバルセロナに勝ち点7差つけられて、優勝は難しい状況だ。ジタンに課せられたものは、おそらく、チャンピオンズリーグ出場の4位以内と、チームの立て直しで、次シーズン優勝を狙えるチーム作りだと思う。ファンはそれを望んでいるだろう。こんなことが起こるのかと思うのが、大金が動くスペインのサッカーってことか。これで、シーズン後、ワールドカップで活躍したエムバペ移籍に動くのではないだろうか。アザールも来るかもしれないが、ネイマールはいらないだろう。
池江璃花子は11日Twitter に、「8年前の今日3月11日、罪のない人たちが大勢なくなりました。違う形ではあるけれどわたしは全力で生きます」と綴った。高木美帆は、10日ソルトレークシティーで行われたワールドスポーツ最終戦1500mで、従来の記録を、1秒02更新する1分49秒83の世界新記録で優勝した。10日小林陵侑は、スキージャンプのワールドカップで、5位に入り、あと5戦を残して、今シーズンの個人総合優勝を決めた。14歳で東日本大震災にあった岩手県八幡平市出身。「うれしいニュースと、悲しい(記憶)が重なってしまうと思うんですけど、これから岩手県勢が頑張っていくぞ、という日になれば」と語ったという。日本人初めての総合優勝。快挙だ。岩手の星は、大谷翔平や菊池雄星だけじゃない。
NHKで、「あの日の星空」を放送していた。被災直後に被災地の夜空に現れた、満天の星空。それを観た、生き延びた人たちの思いが語られている番組だ。物言わぬ美しい星たちを観て、何を感じたか?それぞれの思いがそこに出ている。仙台市天文台には、東日本大震災直後から、星が綺麗だという問い合わせが相次いだという。停電で真っ暗になった夜空に、満天の星が浮かんだという。
今野初美(娘と孫が津波で流され亡くなった)「お父さんたちと飲んでたんだよね。そしたらね、ケンカになったの、この人(夫)と。そして、私が、うーといって帰るって言って、坂を下がってきて、初めて見た空だったの。なにしろね、すごかったの」 夫「真っ暗だったね」 初美「星のきれいだったこと。もうあれはねぇ、一生のうちで一回」 「何か月とか、一か月も何週間も、見てなかったの。と、思うのよ、上をね。こう泣きながらこう、ぱーと行ったら、すごかったの、星が。え!なんで、こんな時に。だから、もしかして、あの子たちが見つからなくて、イライラしていたのか」 夫「(娘と孫)10日間、見つからなかった。」 初美「もしかして見つかった後だ」 仙台市天文台、高橋博子「ここで星を見たという風景を写真に撮っているんです。(カメラを)上に向けているのは、上に丸いレンズがあって、普通こうやって、写真を撮るんだけど、あのレンズで撮ると、360度写るんですよ。」
3月11日の夜の空は、星がキラキラきれいに輝いていたそうです。 今野初美(新聞に投稿した文章)「春奈。あなたも杏も星空を見ましたか?道しるべになりましたか?迷わなかったかな?二人バラバラじゃなかったよね。会いたいよ。もう一度、声がききたいよ。一度でいいから、夢に出てきて欲しい。春奈。30年間私たちの娘でいてくれて、ありがとう。杏。5年間私たちの孫でいてくれて、ありがとう。次の世もまた、私たちのところに生まれてきてください。」
木村信子「だから、あの日のことって言われて、思い出すのはまず一つ目はそれ。それしかない。星のこと。あの時の星って、きれいだったよね。最初その言葉から、震災の話に繋がる。」
おじいさんの証言「ようやく火災もおさまってきて、これからどうするんだというときに、星を見たときに、ほぼみんなが、こんなきれいな星、見たことないっていう。逆に怖いくらいの星が見えたっていうのを、記憶してますね」
おばあさんの証言「先のことがわからなかったときだったので。なんとなくこう見上げた時に、これからどうなるのかなぁ、どんな世の中にって、ふと上を見て思った時に、星がわーと目に入ってきた」
青年の証言「ギャップっていうのが、ありましたけどね。下見れば家がない。上見れば、そういう被災してたところ見ないで、見れるきれいな星空っていう、ギャップがものすごく、印象に残っているんだと思います。」
仙台市天文台、高橋博子「あの日、星がきれいだったんですけど、どうしてですか?とか、なんであんなに星が見えたんですかというような、質問を沢山受けたです。でもそれが、あまりにも続いて。そうかあの日、星を観ていた人が多かったんだとな、いう事に気が付きました。」仙台市天文台、大江宏典「その夜はホントに、シーンと静まり返って、町灯りが全くなくて。道路はただ大渋滞で、テールランプだけが、こうずらっと並んでるっていう、ホント異様な光景で、空を観たら、星空だけが物凄く綺麗に見えていたんですね。普段はたぶん街中だと、一等星という、明るい星、一等星というですけど、それぐらいしか見えないんですけど。あの夜は、四等星、五等星、ひょっとしたら六等星ぐらいまで見えたのかもしれないですね。その時に、自分の仕事で何かできることはないかと、ずっと考えていたということがあったので」
仙台市天文台で、あの日の夜空を再現し上映した。「星空とともに」2011年3月11日2時46分。この時刻を境に、私たちの生活が一変しました。そして、いつもならネオンで溢れるはずの仙台街に灯りはなく、そのかわりに、私たちの頭上には、満天の星が現れたのです。あの日、あの時、みんなはどんな気持ちで眺めていたのでしょうか。」
宮城県石巻市、須藤扶実子「このきれいな星はなんなんだろうと思って。今までの怖いのと、寒いので、もう震えているしかなかったんですけど、その時、そのあまりにも、天と地の差が、こんなに残酷な状況になっているのに、こんなにきれいな星って、なんなんだろうと思って。その時初めて、涙溢れて、止まらなくなったんです」
岩手県大槌町、黒澤克行「地獄の星空って、こうかなって思ったりね。光りっぱなしというか、星がいっぱいあって、見ている範囲がぜんぶ星なんですよね。「なになっても、ムダだぞ」星にそう言われているようでね。自然の強さを見せつけられた星空」
佐々木圭子(当時 小学生)「ラジオで、ドンドン亡くなった人の数が増えてくのをきいてて、子供心にやっぱり、あー大変なことになっているだというのを、強く実感して。そのあとに星を観たら、なんかその中に、亡くなった人たちがいるような、感じがちょっとしたというか。きれいなんだけど、なんか、素直に喜ぶには、残酷だというか」
阿部任(24歳。津波で流された自宅に9日間閉じ込められた)「昼間はある程度、暖かい、日の光が暖かいので寝ることもできて。ただ、日が暮れると、とにかく寒いですね。部屋の中につららができる。雪も吹き込んできて、昼間にとけて、つららになって。本当に、ひとことで言ってしまえば、見るものが星しかなかっただけだと思んですけど。でも何かを見て、きれいに感じるものがあったのは良かったと、今でも思いますよね」 大江「今、改めて(星を)見て何か?」 阿部「それが、嫌な思い出という感じは特にしなくて、僕だけかもしれないですけど。星を見たときに、あの日のことを思い出せるのは、結構、また前向きになれるというか。もう一度、前向きになれるような、そういう瞬間は感じることはありますね。」
NHKに投稿された文章「私は津波で、夫と長男を亡くしました。当時あの日の星空が、きれいだったことを話すのは、タブーだった気がしていた。亡くなった多くの方が、星になって輝いていたんだものね。俺たち、私たちの分も頑張れって、不謹慎だったのかな。星となって被災地を、照らしてくれていたんだ。私はどこかで区切をつけなければと思い、前を見て頑張っている。76歳らしく。」
「みんな美しい星空だったというが、私は見ていない。真っ黒で無音の世界だった。星空なんて見ていないし、空を見るなんて思いつかなかった。赤黒い煙が、もくもく上がる、仙台港のコンビナートを見て、恐怖だけだった。」
仙台市、菅井静子「おっかなかったの、信じられなかったの、静まり返ってた。音がなかった。ふと夜空を見上げると、50年も前の子供の頃に見たことがある、満天の星空。近かった。つかめそうだった。一瞬、わっ!きれいだって思った。でも、すぐに打ち消したの、きれいなんて思ってはだめだと。沿岸部の故郷が流された。実家も流された。知り合いの、あの人も、その人も流された。あの星はたくさんの流された方々だ。きれいだと思う気持ちを打ち消したの。きれいだと思ってはいけない。きれいだと思ってはいけない。」
千葉輝明「テニスコートのフェンスが津波で倒され、野球場にも津波がきて、1番高いブロックがここで、この上に飛び乗りました。揺れたら飛び乗るのを、夜通し繰り返しました。ヘリコプターも飛んできていたので、その時、星に気づきました。もう灯りも全然ありませんので、満天の星空はその時に見たんです。やっぱり、励まされたんだと思うます。その、あまりにもきれいだったので。おそらく、見たことなかったくらい、きれいな星空だったので。ふと、置かれている状況忘れて、きれいだなと感心してました。」
木村信子(60)(義母が目の前で津波に飲み込まれた)「はっ、水の中で呼吸停めなきゃと、思って。ホントに天井に水がつくかつかないかの時に、ふーと息吸ったんですよ、たぶん。そのまま自分で、はっ、覚悟しなきゃと思いながら、水がすっかり1階全部おおってしまって、で、おばあちゃんが「もう私ダメよ」みたいな感じで振られて(流されて)。その時、ストレッチャーに乗せられた時に、あーこれで私は病院に運ばれて、助かるんだと思ってね。で、そん時に、町の職員だった男の子が、「木村さん、空を見上げて下さいよ。」って言って。その時見た星がすごくきれいだったんですよ。その時の星は、忘れられない。」 高橋「職員の方からそういわれて。どういう風に、声かけれれて」 木村「だから、木村さんって、周りは見ないでくださいね。いろんなことになってますから。ただこの空の星。星が木村さんを応援してますから。で、そんな風に言われて、えーって。すんごいこんなきれいな星空見たことないやーとかね。」 高橋「星は応援しているといわれた時に、どういう風に思ったんですか」 木村「嬉しかったですよね。はー、星が全部、私に応援してるんだって。がんばって、今からどんなことがあるかもしれない、がんばって今からどんなことがあるかもしれないけど、がんばっていかなきゃいけないんだ。とは、思いましたよね。何が待っているか分からない恐怖感。もう体はガタガタ震えていた思うし。私が今思うのは、ホントに震災での亡くなった方々が、死んだら星になって言うね、言い伝えっていうか、迷信がありますけど、私もあー、そうだったんだなー、あんなかの一個になってたのかもしれないな、と思ってます。自分の考え方ひとつっていうか、その思いで、星がいろんなふうに見えるし、星って、不思議ですよね。。その時は、自分が自分じゃないっていうか、普通じゃない状態だったんで、たぶん、いろんなこと思ったんでしょうね。うふふ。ね。」 夫「分身いたんじゃない?」 木村「ははは」 夫「上から見ているあなたが、いたんじゃないの?」 木村「そうかもね。ははは。そうやってねー、これから先も続けて行かないと。明日もあるし、明後日もあるし。そうやって生きていかないと、これから長いですもん。あたしあと、20年生きます。へへへ。ね。」 夫「私はそこまでもちません」 木村「まあ、こうやって楽しんでやっていかないとなぁと、最近ようやく思えるようになりました。」そして、泣き出した。黙ってティッシュを置く夫。 夫「自分でしゃべって泣くな」 木村「ごめん」 母佐藤美代子「いいんだよ。そう思えるようになったんだから。今までそういう言葉を聞けなかったんだから。やっと今日、その言葉聞いて、私もほっとしました。」 夫「今までが(感情の)波が、激しかったんでね。浮き沈みが」 木村「人それぞれの感じ方なんでしょうね。私も早く主人のようになりたいなぁって、思うんですけど」 夫「だから泣くなっていう。泣くなら一人で泣けと。」 木村「泣いてたよ」
仙台市天文台、高橋博子「その時、見ていた人たちにとって星空は、その星が何等星だろうが、何光年先にあろうが、何座にあって、光っている星だろうが、全然関係がなくて、その星が、その人に対して光ながら、何かこう、その人に向かって語ってくれてる何かを、感じていたんだなと知ったときに、星っていうのは、なんてすごい力を持っているんだろうと感じました。」
仙台市医療センター岡崎仲朗医師(精神科医、震災と星を題材に『星降る震災の夜に』を出版した)「あの晩の星の降る夜空の体験っていうのは、一種のインスピレーションを受けたような感じでしたね。おそらく、人間の文明って有史以来ずっと、洋の東西を問わず、降るような星空を仰ぎながら、形成されてきたに違いない。2〜3千年くらいの人間の文明史のなかで、最後の最後のほんの数十年くらいで一挙に、星空を失ってしまったんだろうなと。やっぱり、人間がいろいろ物を考えるって、日中は日の光のなかで忙しく働いたりして、夜星空を見ながら、ああだこうだと、いろいろ考えるんだと思うんですよね。それで、哲学や思想も出てきたし、そんな高尚なものでなくて、故郷を思ったりとか、亡き人をしのんだり、家族を思ったり、あとは、自分の来し方、行く末を思ったり。それは、日の光のなかと漆黒の闇で降るような星を眺めてという、それの繰り返しのリズムのなかで、やってきたのではないかと思えたんですよ。人間及び人間の文明がもっていた、健康なリズムみたいなものが、ほんのこの数十年で失われた。それが、パッとあらわに、気付かさせてくれたような感じでね。理屈ではないということなんだと思うんですよね。まあ、きれいとか美しいとかだけじゃなくて、理屈を超えて、訴えかけるものがあった。」
他にもあの日星空を見て、きれいだと思った被災地の人たちの話が一杯あった。被災地の状況や、現状。復興の遠いことも。でも、何だろうこういう話を訊くと、心に響いてくる。それは物語の力なのだと思う。その力が見ている人を引き込んでいくような気がする。美しくも悲しく、悲しいのに美しい話だ。あの日の満天の星は、死者の魂を誘ったのかもしれないし、星になった死者なのかもしれない。地上に起きた出来事に、あたふたする人々を導く星の輝きだったのかもしれない。理屈ではない、日本人の感情を刺激した。被災した人々を照らしていた。
3月13日(水) 晴 10651
朝早く目が覚め、昨日と同じ朝食は、納豆にめかぶと長いも。朝ドラを見たあと、六本木に向かった。大江戸線はどうして混むんだろう。車両が小さいから余計そう思う。『新・北斎展』は、すんなり入れて、サラッと観てきた。500点近い作品が見れる。肉筆画を中心に観たが、北斎の絵は、動きを感じる。それは、『富嶽三十六景』の中ので、唯一富士山が道の左側に見える「駿州江尻」で、風が吹いて笠をおさえたり、体が風に飛ばされないような態勢を作っている。それと、旅人の懐から紙が飛んでる。こういう動きを絵の中に入れようとするのが北斎だ。あの有名「神奈川沖波裏」にしてそうだ。あの波を見て、動きを感じない人はいないだろう。そういう特徴を、たぶん、『北斎漫画』では、表現しているのだと思う。絵を形として、捉える考え方は、根付や、煙草入れなどの日常に使われる小物のデザインにも及んでいる。若冲はと明らかに、違う描き方と考え方をしている。それは、面白いことだと思う。それが、江戸時代の町人文化が、成熟した形になったのだと思う。絶筆といわれている『富士越龍図』の墨絵。富士山からのぼる黒い雲?その中に龍が描かれている。墨のぼかし方が、凄いと思う。
「 仙台市、久我ひろ子「あの日の星空。何処までも続いているような深くて冷めた漆黒の空。星はいつもよりクッキリとして、今ここで起こったこととは、別世界なんだろう。 ・・・ 私が見た光景は、家族の誰にも言うまい。もうどうする事も出来ないだろうし、一人でしまっておこう。明日起こるかもしれない事は――――あの日の漆黒の空の中で、明るい光となっていた場所は、人生を受け入れる準備をする時間だったのかも知れない。」
今野初美「ここかな。「あの夜の星空。亡き人が、道に迷わず天国に行けるようにと導く明かりだったのではないかとと思った。あー、私も見たけれど、そんな気持ちはなかったけれども、こういうふうに観てくれている人がいたんだと思ったのかな。だったらあの子たちもきっと。この時はもう、お葬式終わってたのかもしれない。だからこれを見て、励まされたって人も絶対いるはずですよ。お父さんはね、すぐ泣いちゃうですよね。車運転しながら泣いているらしい。」 高橋「そっか、そういう記事も取ってあるんですね。」 初美「これはもう宝物で、たびたび見て、あー、こんな思いだったねーって。7年間ずーと。星空を見上げて、ほとんど365日見上げて。で、星がたまに光るんですよ。あら〜(娘と孫が)合図よこしてたなどか、ははは。たまに光るじゃないですか。自分の都合のいいように。「ばっぱだよ」とか言って。(娘と孫が)観ているねと思って。」 夫「その前まではあんまり、星空を見るなんて、普通、考えないもんね。こういうことあってから、「娘はあそこに行ったのかな」と思うだけで」 娘の春奈は当時病院に勤めていました。幼稚園にいた杏をむかえに行き、その帰り道で、津波にあったのです。二人は津波から19日後に海の近くの公園で見つかりました。車の中でした。
「避難所までの道」今野初美(宮城県石巻市)「ある夜、避難所までの帰り道に、生まれて初めてきれいな星空を見ました。その時、3月11日の夜空が想像できました。星空は、亡き人が道に迷わず、天国に行けるよう導く灯りだった。そう書いてある新聞の投稿欄を切り抜き、何度も何度も読み返しました。そしてきっと二人は、一緒に天国へ行ったのだと思うようになったのです。それからというもの、私は夜になると星を探すようになりました。ご飯を食べてからパジャマに着替えて、家の周りをブラブラ歩きます。光る星があれば、春奈かな、杏かなと思います。雨の夜は、雨だね。空を眺め、雪の夜には、雪が降っているよと、空を眺める。これまでずっと毎晩のように。この前初めて杏の夢を見ました。杏はプールに入っていて、ばっぱと、私を呼ぶのです。杏ちゃん、今までどこにいたのと、きくと、いいから、上手にでてたからと、水しぶきをあげ、手足をバタバタさせながら言うのです。私は恐る恐るお母さんはどうしたのと、きくと、いいから一緒にいるんだからと、楽しいそうに泳ぐ杏の姿。今思い出しても嬉しい。あの時の夢。」
初美「お父さんとは、生きるとは。なんかこう妙に説教じみた。生きるとはなんだと言ってみたり。ははは。」 夫「飲んでるとき会話だからね。へへへ」 高橋「そんな会話をしてるんですね。」 初美「しょっちゅうじゃないですよ。たまに。なんだそれは、飲めばいいのか。とかね。生きるって大変なんだぞって。言ったり、言われたりして」 夫「いやー。だから楽しく、一番はそれだべな。ふたりで仲良く、それが「生きる」ということだべな。上見たらあれだから、金がうんとあるとかさ、そういうのではダメだから」 初美「生きるとは。なんだべね。まだ答えは出ないけど、やっぱり、日々充実した生活だね。息を抜いたり、たまには羽目を外したりね。上手くやっていきたいと思うね。」
初美「雨降りそうだ」 大江「こんな日でも見上げるんですか?」 初美「見上げますよ。」 夫「おっかあ、必ず見上げるから、お空」 初美「こう外に出て、そっち側を見て、あらー今日はないねとか。でも風化しちゃうんじゃないかな、きっと。で、こっから。お月様こっちから、あれだから、こうやって見て。そうすっと、いっぱい星だ出ている時だと、すごくきれいなんですよ。だからこう、見上げて。たまにこう、光ってくれるのがあるの。あら〜光ってるよって。あんたたちかなぁーって、こう声をかけるよね。ホントにこっから見るのも、きれいですよ。お星さま。でも、震災の時のあれは、ないけど。いい女になったはずだな。」夜空を見てそういった。(NHK「あの日の星空」)
3月14日(木) 曇 18143
この前、散歩していたら緋寒桜が咲いていた。紅梅のような濃い色をして、花びらが下を向いていた。季節は、春に向かっているが、乾燥しているので、口が乾きやすい。花粉が飛んでいるようで、マスクをしている人も見かける。たまに、咳なのか、くしゃみを続けざまにしている人もいる。そういう季節になってきた。昨日隣のフロアで、続けざまにくしゃみをしている人がいた。マスクしていたので、花粉症なのだろうと思った。
サン・イシドロカルテル情報がネットに出ていた。ギジェルモがコンフィルマシオンしてパブロ・エルモーソ・デ・メンドーサがパドリーノをするようだ。これが見たいと思った。一緒にベントゥラが出る。5月29日30日31日はアルバセラーダの血統の牛が出るという。具体的には、ビクトリーノ・マルティン、アドルフォ・マルティン、ホセ・エスコラル。後は22日のオフィシャルが発表されるのを待って日程を決めようと思う。宿の都合もあるので、折り合いをつけて決めようと思う。
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