断腸亭日常日記 2019年 5月 スペイン旅行

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


 5月22日(火) 晴 11031

 無事マドリード到着。昨日の夕方バラッハスに到着。空港でくまさんに会う。カートを押して行こうとしたら目の前に、Yさんがいた。こっちもお客さんを迎えに来ていた。最近は仕事でしか闘牛を観ていないという。グラナダのホセ・トマスを観て帰ることを伝える。くまさんと立ち話。お客さんを待つ間タバコを一服。それで、ホテルまで乗せて行ってもらい、そこから宿へタクシーでいった。

 着いて早々、粗大ごみ運びを手伝って夕食は、おごってもらう。それから飲みに行き遅く帰宅。それからまた飲んで寝た。9時過ぎに起きて闘牛場でアパルタードを観て、いったん帰宅し、THさんと昼食を取り、コーヒーを飲んで戻ってきた。これから一休みして、闘牛場へ行く。今日も切符はもうすでに売り切れ。アパルタードの牛を観て、今日は5頭目が1番良く見えた。3頭目と2頭目が微妙。どうなるか。


 5月23日(水) 曇 17851

 朝食後、闘牛場へ行った。ソルテオを待っている間に、『奇想の系譜』の解説を読み終わった。そうしたら、THさんがやってきた。昨日のロカ・レイどうでした?と訊くから、コヒーダされて、余計な事考えずに集中できたからああなったんじゃない。凄く良い!というとなるほどと、言っていた。闘牛の話をしていて、誕生日のおめでとうを言い忘れた。

 くまさんと会った時、アントニオ・フェレーラが川に落ちた記事について、どういう経緯かは書かれていなかったので、何故なんだろうという話になり、3年前から精神科に通って治療していたということを訊く。その時点で嫌な予感がした。昨日THさんと同じ話をしていたら、アフィショナードの中でささやかれているのは、自殺未遂だという。3年の怪我のブランクから復帰して、一時凄く調子が良い時があって、それから上がって行かず、落ちたような感じになって、それが彼の精神を不安定にしたようだ。多分迷っているんだと思う。そのままの自分で良いのにと思う。ラス・ベンタス闘牛場の観客は、時に厳しく非常だが、良いファエナのことはいつまでも覚えている。何を悩み、何を迷っているのだろう?昔やっていた闘牛はチャラチャラした闘牛だった。大怪我を乗り越えて戻ってきたときには、別人のような輝きがあった。人に良く思われたいとか、余計な事を考えず、自分が今出来ることをやれば良いのにと思う。

 昨日のサン・イシドロは、パルラデ牧場の牛でエル・シド、ロペス・シモン、ロカ・レイ。エル・シドが今年引退するため、最後のサン・イシドロになった。入場行進後に喝采が鳴りエル・シドが挨拶した。2頭目の牛で頑張っていた。そんなに良くは感じなかったが、その頑張りに観客は褒美として喝采を送った。これも闘牛の美しい処だ。ロペス・シモンは、1頭目の牛で耳1枚切った。牛の見立とは一致した。それでも耳までのファエナには思えなかったが、剣を代えたあとの、ベルナディーナが、物凄く緊張感があるファエナになって、一気に耳の雰囲気が出来上がった。そこで剣を決めて耳を切った。2頭目は見立では良い牛だったが、精神面でダメだった。パセの後逃げていく牛。それを工夫してタブラの近くでパセをすると逃げなくなった。そういう処が良かった。

 ロカ・レイは、1頭目の牛でひどいコヒーダ。角が体に完全に刺さったと思った。右足の太腿から尻にかけて服が破け、青っぽい生地が見えた。想像だが、あれは釘などが刺さらないような素材の防護服仕様になっているものを着ていたんじゃないかと思う。足を引きずりながらファエナを終え医務室に向かった。最後の牛が出来ないんじゃないか心配したが、出てきて、圧倒的なファエナをしてプエルタ・グランデしたのは立派。アレナ中央でブルラデロにいる牛を呼び背中を通すパセ。あとはロカ・レイワールド。かえって手負いで、足を引きずっているから、余計な雑念が消えて集中していたと思う。手の低い長いパセがテンプラールに決まった。剣を代える前に耳2枚の価値のファエナを強く印象付けた。最後はベルナディーナ。これも良かった。パセ・デ・ペチョ、トゥリンチェラなどで、観客は確信を持った。剣はレシビエンドで決め、文句のつけようのない耳2枚。ほとんど、ヤジらしい声も出ず、抗議の手拍子もならない。圧倒的な存在感を示した。「トレロ」コールが鳴った。当然だと思う。凄く距離の取り方が良かったし、距離感が抜群な感じがした。

 THさんが面白い写真を見せてくれた。昨日闘牛場への到着が遅れて、アルカラ通りで車を降りてプエルタ・グランデ前を走ってパテオ・デ・クアドリージャまで行ったという。道路が混んでいたんだろう。ウエリントンホテルからだと、やっぱりアルカラ通りを通るのだろう。それでプエルタ・グランデするんだから、話が面白くなる。

 今日のソルテオは、ハンディージャ牧場。1番良かったのは、4頭目の86番の牛。次が6頭目の100番。3頭目の49番、5頭目の9番(ベガエルマノス))は、微妙。1頭目と2頭目は良く見えなかった。


 5月24日(金) 晴 12494

 朝でも、闘牛場から帰ってきてからでも、小さなグラスに冷蔵庫で冷やしたガスパチョを入れ飲むと美味い。スペインにいる時は、これが良い。旅に出ればそれは出来ないが、自分に合ったガスパチョは、体に入って細胞を活性化させるような気がする。日本だとスムージーとか流行っているようだが、ガスパチョ最高。ジュース飲まずにガスパチョの方が良い。それに合わせて、パン・コン・レチェの柔らかいパンに、カモンベールを薄く切りその上にラコンを乗せ挟んで食べると、これが美味いんだなぁ。

 昨日のサン・イシドロは、ハンディージャ牧場の牛で、セバスティアン・カステージャ、エミリオ・デ・フスト、アンヘル・テジェスのコンフィルマシオン。セビージャでは、パブロ・アグアドが耳4枚。モランテ、ロカ・レイが耳1枚切ったが、サン・イシドロでは、ダメだった。アンヘル・テジェスの1頭目はパセの後逃げていく牛。ムレタで少し矯正されたが、クルサード不足。2頭目の動かない牛の近くに立って見栄を切ったり、田舎闘牛場のスタイルが抜けていない。コンフィルマシオンは、早かった感じがする。

 セバスティアン・カステージャは、2頭目の牛で耳が切れるかと思って観ていたがダメだった。この牛が見立通りだった。タンダ2回か3回オーレが鳴り盛り上がったが、クルサードが途中から甘くなって口笛を吹かれた。何でああなるんだろうと思って観ていた。剣はカイーダ。当然耳にならない。記事などでは、やれることは限られているし、出来ることをやったつもりというような事をいっていた。観ている方の感覚と、実際牛に向かっている闘牛士の感覚にはずれがあることに、あたらめて気付かされた気がする。

 エミリオ・デ・フストは、どうなんだろう。1頭目はブスカンドする牛で危なかった。強風も吹いてやり難い条件だったが、ブスカンドする牛でクルサード不足。あれじゃただパセしているだけにしか見えない。牛を誘う立ち位置も感心しない。アンヘル・テジェスもそう。まともに距離を保ち、牛を誘うべき距離に立っていたのは、セバスティアン・カステージャだけだったと思う。フィグラの距離。それを判らないと二人は良い闘牛が出来ずらいだろうと思う。

 今日のソルテオは、ファン・ペドロ・ドメク牧場。やっぱり牛が小ぶりで、腰つきが弱い感じ。3頭目の126番と6頭目の58番の牛が微妙で、あとは良く見えなかった。今日も期待できない。


 5月25日(土) 晴 13184

 朝散歩がてらアトーチャへ行った。AVEの切符を取ってきた。昨日の夕方、メトロで闘牛場へ向かったが、物凄い混みようで、山手線ラッシュの時のような状態になっていた。スペイン人がこの状態で口喧嘩していた。日本人だって嫌なのに、スペイン人ならもっと嫌だろう。これには理由がある。ラス・ベンタス闘牛場へ行くには、2番線と5番線がある。セントロから行こうとするとソルから2番線に乗っていく方法と、カジャオかグラン・ビアから5番線に乗っていく方法があるが、2番線がソルからレティーロまでの区間が工事の為、運行停止になっていて、5番線を利用するしかない状態なのだ。それで、帰宅ラッシュと闘牛場へ行く人が重なって物凄く混んだのだ。グラン・ビアの駅も工事の為の閉鎖されている。ちょっと時間を考えて闘牛場へ行った方が良いようだ。

 サン・イシドロは、ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛で、エル・フリ、パコ・ウレニャ、ダビ・デ・ミランダのコンフィルマシオン。ノー・アイ・ビジェテ。フリは風の強い中で、やる気がない。こんな風で出来るかっていうへストでムレタを剣でたたいたり、もうすっかりダメ印が入った感じ。前日、牛が近くに寄ってきてもピクリとも動かないセバスティアン・カステージャとアンヘル・テジェス。牛は素通りて違う方に行った。すると観客から拍手が起こった。これはセバスティアンとエンヘルのへストに対して拍手をしたもの。フリには、フィグラの心があっても、闘牛始めた頃の気持ちが欠如している。2頭目の牛は、プレシデンテが悪いが、右前脚が悪いのに、それでファエナをしようとしていた。観客から抗議されて気付いていた。そのあと、ムレタの場になっているに牛を代えるプレシデンテってどういうこと?口笛と手拍子と、フエラ・デル・パルコのコールが鳴っていた。ムレタの場にになって牛を交換したのは、長い間サン・イシドロに通っているが始めて見た。

 パコ・ウレニャは、1頭目の牛で良いファエナをした。ソルテオの見立通り牛は良かった。カポーテもムレタも片目になっても問題なく振れている。牛の扱いも良い。剣がピンチャッソでそれから決まり、耳要求があったが、耳は出ず場内一周した。闘牛が始まる前、入場行進後にパコ・ウレニャに喝采が鳴った。片目になっても闘牛を続けていることへのコメナッヘだ。2頭目は、牛も良くなかったが真面目にパセを繋いで、剣を代えたあと盛り上がって耳が出た。といっても、ファエナはそんなではなかった。1頭目のファエナの方がずっと良い。剣もカイーダだったし、これは1頭目との合わせ技的なご褒美の耳だし、おまけの耳だ。牛の名前が「ミラグロ」だったからそういう奇跡が起こったのか?ラス・ベンタス闘牛場の観客の暖かさを感じた。と同時に耳に抗議する観客がいたことを嬉しくも思った。

 ダビ・デ・ミランダは、この日コンフィルマシオン。1頭目からやる気満々。2頭目の牛は、この日1番良い牛だった。ソルテオの見立とも合致する。牛との距離の取り方、牛を誘う立ち位置が凄く良い。これがいつも出来るならフィグラになるだろう。フリはこれが出来ない。牛に近くで誘うやり方を10代の頃からやってきて、未だにそれが出来ていない。タンダの後の牛から必ず7m以上離れて距離を取って牛に息を入れる。それから近すぎない距離でクルサードして牛を誘う。この距離の取り方には文句のつけようがない。パセは、手も低いし長い。落ち着いている。剣もちゃんと決まった。耳2枚のファエナだ。観客が喜びと興奮を味わったファエナだった。やっているダビ・デ・ミランダは冷静そうに見えた。剣刺しも落ち着いてやっていた。

 彼もパブロ・アグアドと同じで22・23歳で闘牛を始めたようだ。パブロ・アグアドは、大学を出て闘牛士を目指したという。ミランダも同じかもしれない。ウエルバの闘牛士。これもまたアンダルシア出身。これトレンドになりつつあるのかも?ともあれ、コンフィルマシオンでプエルタ・グランデって初めての体験だ。過去にあったのだろうか?

 下山さんと電話で話したが、ロカ・レイの服の中に防護服はないといわれた。そんなの着てたら動けない、と。コヒーダシーンをスローモーションで観たが、肉眼の時は、角が腹に入っているように見えたが、角は足の間に入っていた。色が通常は白のタイツなのに、ロカ・レイは青だったからそんな勘違いをしたのだろう。パブロ・アグアドの4枚のファエナをセビージャで観ていた下山さんは、観客の興奮状態が凄かったといっていた。普段静かな若者が走り回ったりしていたという。ペペ・ルイス・バスケスを思い出したといっていた。また、マノレーテに唯一対抗できた、ペピン・マルティン・バスケスという人もいてそれに比べられているという。インタビューでパブロ・アグアドは、誰かの真似をしたり、そういうことはしていない。と、いっていた。自分流が、ああいう形になるのは素晴らしい事だ。

 パブロ・アグアドのテンプラール。ダビ・デ・ミランダは距離の取り方と、パセするとき体の近くを角が通る。どっちも良い。そして、違いがあるのがまた良い。ライバルとして張り合えるようなフィグラの闘牛士になって貰いた。たぶんなるだろうと思う。


 5月26日(日) 晴 11311

 今日はこれからセビージャ。ダービーは大波乱。1番人気がコケて、同厩舎のロジャーバローズが1着。2着がダノンキングリー、3着ヴェロックス、4着に1番人気のサートゥルナーリアだった。逃げ宣言をしていたリオンリオンが、横山典弘から息子の横山武史に乗り替り、超ハイペースを作り出した。2番手につけていたロジャーバローズが楽な手ごたえで直線へ。坂を上がって猛追するダノンキングリーを首差押さえて優勝した。たぶん、ダービーレコードの2分22秒6で駆け抜けた。単勝9310円の12番人気。浜中騎手は、「ビックリしてます。・・・頭が真っ白になった。」と驚きを隠さなかった。悲願のダービー制覇。最後は、「まだワクワクしてます。余韻に浸りたい」といった。おめでとう。

 24日プエルタ・グランデしたダビ・デ・ミランダは急遽6月8日ニームに出場することになった。ハンディージャ牧場で、アントニオ・フェレーラ、エミリオ・デ・フスト、トニェーテだったが、それに加えて出場する。フランスの商売人シモン・カサスは、とても早い対応だ。こういう裏技的な1日3人の闘牛士の興行を、4人に替えてニームでのコンフィルマシオンにつなげた。

 サン・イシドロは、ペドロサ・デ・イエルテス牧場の牛で、オクタビオ・チャコン、ハビエル・コルテス、ファン・レアル。オクタビオ・チャコンは、良い処で出てきて、拍手を受ける。ファン・レアルがコヒーダされて、何故かバンデリジェーロたちがファン・レアルの周りに集まって牛には誰も行っていない。すると、そこにカポーテを持って牛の注意をひいて、無防備な彼らから安全を確保する。そういう気の利いたことが出来るが、トレアールにはなかなか結び付かない。ファン・レアルが1頭で怪我の為に終わった後、モンテラをかぶってファエナをした。まるでエスプラの様な感じだが、なかなか牛の力を引き出せず終わった。

 ハビエル・コルテスは、1頭目が膝を着く牛。タンダの後の距離も取っているが退屈なファエナだった。剣はバホナッソ。2頭目は風が吹いたり、パセの後、後ろ脚がつぶれかかったり風が吹いたり。剣がやっぱりバホナッソ。

 ファン・レアルは、牛を観客に捧げてファエナを始めた。アレナ中央に膝を着いてブルラデロにいる牛を誘いパセを繋ぐと、オーレが鳴った。パセ・デ・ペチョで拍手。それからが、牛の近くに立ち過ぎ。フリの様な感じだ。距離感って感覚がないようだ。危ないなぁと思っていたら、案の定コヒーダされた。お尻を刺され2度ほど角に突き上げられた。それでみんなに囲まれている時、無防備になりオクタビオ・チャコンが拍手を受ける。それからデレチャッソのシルクラールを2度ほどして剣刺しが決まって何と耳1枚が出た。角傷の代償として耳を受け取った。ホント、ファエナ自体良くなかった。ペレラの耳2枚の次にひどい耳だ。田舎闘牛の様な耳だ。ただ闘牛士には、一応おめでとうといった方が良いのかも。フィグラじゃないからだ。


 5月27日(月) 晴 10304 セビージャにて

 セビージャに到着して早々、泥棒に会う。待っている間に、壁際に置いていた荷物を、持って行かれた。気付いた時には、5mも離れていた。それで叫び声をあげて、追いかえると、何と店の入口前で、荷物を置いて店に入って行った。荷物を取り店に入った男に向かって、「彼は泥棒だ!」と叫んだ。お客がこっちを見た。男はもう一方の出入口から何もなかったように店を出ていった。危ない危ない。iPhone 操作して字を打っているからこういうことになる。それと、股の下に荷物を置いていないからこういう目に合う。マドリードよりセビージャの方が危ない感じだ。

 迎えが来ていたので、駅の中に消えていったので追わなかったが、下山さんが、この暑い中、走っている人がいたのでビックリした。戻ってきたときの表情が怖かったので、そういうことだったんだと判ったいっていた。宿に行きチェックインして、公園へ行ってジャカランダの花を見たりした。そこでゲラゲラ笑いながら本当に楽しそうに遊んでいる十数人の小さな女の子たちがいた。観ていたら、無邪気に遊ぶってただただ楽しいだろうし、それを見ているこっちも楽しくなってくる。親がいて幸せどうだし、そういうのが出るのが子供。しかも女の子にはそれが反映しやすい。風船に水を詰めたり、水の出口を手で押さえて周りの子たちにかけたりしているだけなのに、ニコニコだし、笑い声をあげている。年下の子たちは水をかけられると、手を振ったり体を回したりして声をあげて逃げるが、それも楽しそうだ。日本じゃあまり見かけない。そんな笑い声を聞いていたら、駅で会った泥棒に荷物を持って行かれなくて本当に良かったと思った。

 昼食はクスクス。前食べた物より美味しかった。サラダは、火を通してあるものが多かったが、食べやすく美味い。入っている野菜の種類も豊富で味付けも万人向きだ。クスクスは、鶏肉のもの。火加減も丁度いいので、肉が柔らかいし、裂け目の処に味が染みている。皿に取ってその上からスープのようなものをかけると、これが良い感じの味付けになり、クスクスと一緒に食べて良い感じ口の中で混ざり合っていく。全然パサパサ感のないクスクスだ。だから、こっちも、サラダ同様食べやすし美味い。

 それからセビージャの周りの村に行ったりした。夕食は、グアダルキビール側の岸辺で夜景を見ながらバカラオを食べた。ヒラルダとトーレ・デ・オロがライトアップされてきれいだ。暑くないのにミストが出ている。かえって冷たい。この店のガスパチョはアンダルシア風なのか、ニンニクが強い感じ。これで夏の暑さを乗り切れといっている感じだ。バカラオは、ちょっと塩味が強すぎてしょっぱい。隣のバルの方が美味しいと下山さん。外はパリパリで中は魚の味を感じるふんわりした食感とうまみを感じる。ビールにもあう。日中の日差しの強さが嘘のように、涼しくなる。特にグアダルキビール側の風に吹かれると、心地よい。まだ夏の入口で、これからが本番。それでも町中にある温度計は44度を示していた。


 5月28日(火) 晴 8261 セビージャにて

 セビージャは今日も天気だ。

 昨日は、セビージャを出て朝食を取り、へレス、カディス素通りしてヌエボ・アンダルシアで昼食。サーモンのカルパッチョと、魚介類ペンネ。日本みたいに海老の背ワタを取っていないし、貝類は砂抜きしていないスペイン風。それでも美味しい。海老の火加減など丁度いい具合に入ってる。海岸線というか、水平線と青い空が見えるレストランで、食後はタバコを吸いながらコーヒーとデザートと会話を楽しんだ。

 それからエステポナの港から船に乗って、ジブラルタル海峡とアフリカ大陸を見たりした。帰路イルカの家族が泳いでいて、それを追ってイルカを観た。たぶん、母親と子供が並走して泳いでいる。一緒に上がって、一緒に潜る。その周りで大きくなった兄弟や父親が泳いでいる。4・5m飛び上がったりするときもある。餌を取ったりしながら、泳ぎの練習もしているようだ。

 船の上から観る太陽。水面に太陽が光って揺れる。映画『太陽がいっぱい』のような感じ。暮れてくると、オレンジ色に光ってきて、空も海も染まっていく。その反対側には、水平線と境目がより青く見えると海と、空は下が青で上がうす赤紫色になっている。船から見ると左が夕日で、右がオレンジ色が反射して紫や赤紫色に見える空とその反射で海の同じ色に染まっている。まるで、左の夕日が現実世界で、右の空と海の青紫いろと赤紫色は、幻想世界のように妖しい魅力を感じる。

 その中をイルカの家族が泳いでいた。


 5月29日(水) 晴 12496 マドリードにて

 昨日の昼過ぎ、闘牛に間に合うようにマドリードへ戻ってきた。これからソルテオへ行ってくる。それから昼食の予定が入ったので、それに行く。

 ダビ・デ・ミランダは、ウエルバの貧乏な家庭に育ったようだ。24日ラス・ベンタス闘牛場でプエルタ・グランデしたが、その時の写真は、両腕を広げて肩車されているもの。顔をよく見ると、大きな口を開けて笑っている。この写真を見たとき、口が大きいのと、あごの骨格がしっかりしているので、子供の頃、硬いものを多く食べてきた貧乏人なんだと直感した。どうやらその通りだったようだ。ダビ・デ・ミランダにしろ、セビージャで耳4枚取ってプエルタ・デル・プリンシペをしたパブロ・アグアドにしろ、まさに、現代のスパニッシュ・ドリームだ。一夜にして、起爆剤がない爆弾が突然大爆発したように、闘牛界に衝撃を与えた。パブロ・アグアドのモソ・デ・エスパーダは、セビージャのトゥリアナに住む貧民だったが、一夜にして人生が一変したという。闘牛士が一変すれば、こうやって、闘牛士のチームは生活が一変する。だからこそ闘牛士はそのチームのリーダーだし絶対的な王様なのだ。彼らの活躍を心から願う。フェルテスは怪我の為、テンポラーダを切った。つまり今年は治療に専念して闘牛場への出場をやめた。その結果6月23日アルヘシラスには、彼に替わって、ダビ・デ・ミランダの出場が決まった。

 それと、バダホスの橋から転落したアントニオ・フェレーラは、30日コルドバの闘牛に出場することを、管理会社によって確認されたという。ということは、サン・イシドロには、予定通り3回出場する。ダビ・デ・ミランダや、パブロ・アグアドの代替出場を夢見たが、フェレーラが出るならやっぱり観たい。

 サン・イシドロは、28日から3日間は、アルバセラーダ系の血統の牛が続く。その初日は、ホセ・エスコラル牧場の牛で、フェルナンド・ロブレニョ、ゴメス・デル・ピラール、アンヘル・サンチェスのマドリード出身の3人の闘牛士だった。フェルナンドは、2頭目の牛で場内一周した。カポーテで大きく牛を外に振って動きを教えたような感じだ。こうなるとムレタでも期待できる。デレチャッソの長いパセが繋がりオーレが鳴る。ナトゥラルでも。しかし、もっと出来たと思う。3人の中では、1番距離の取り方が良かったと思う。若い時の鼻っ柱の強さが、剣が決まった後、耳要求で、プレシデンテが耳を出さなかったが、直ぐに場内一周した。たぶん、フェルナンドからこの生意気さを取ったら、闘牛士が終わってしまうのかもしれない。

 ゴメス・デル・ピラールはちょっとは期待していたが・・・。距離の取り方も今日の3人の中で1番ダメだった。レマテの後に牛から全然離れない。そのままパセを繋いだりしていた。あれじゃ牛も悪が、やり方がまずい。少しは経験があるんだから、もっと良い処を見せないとなぁ。ビビリが入って腰が引けている。確かに危ない牛だったが、もう少しやりようがあったはずだ。ガッカリした。アンヘル・サンチェスは、若い。それでも、教えたら伸びしろがあるだろう。所々ぎこちなさがあるのが、また良い。デレチャッソの長いパセが繋がり、オーレが鳴った。時々ブスカンドする牛で危ない。強風も吹く悪いコンディション。それでもぎこちなくても、何とかしようという気持ちが見えてくる。そういう処が好感がもてる。剣はピンチャッソあと、決まった。弱い耳要求があったが、当然耳は出ず挨拶。

 アンヘル・サンチェスのバンデリジェーロたちは、喝采を浴びた。イバン・ガルシア、ラウル・ルイス、フェルナンド・サンチェスである。


 5月30日(木) 晴 12436

 朝早く起きれなったのは、夜中まで飲んでいたから。闘牛場へ11時15分到着でアパルタードの切符は売り切れていた。すっぱり諦めて、部屋に戻ってきた。今日は闘牛の切符は売り切れで、アパルタードも売り切れ。やっぱり切符の売れ行き状況と、関連していると考えた方が良いようだ。途中でスーパーで買い物した。メルカドに行って肉を買って来なければならない。

 昨日のランチは、三木田さん夫婦と一緒にカジャオ付近のレストランで食べた。パエジャが思いの外美味しかった。二皿目が、すずきの焼いたもの。これも美味しかった。部屋で食事を作るとどうしても肉が多くなるので、魚が食べたくなる。だから逆もいえる。家で魚など魚介類を少しは食べないとなぁと思う。メルカドやスーパーのぞいて考えよう。三木田さんは、元気だった。マドリードに住む知人とは、最近はあまり会っていない。それというのも、闘牛を観なくなって、話しても面白くなくなったのと、何を話して良いか話のネタが乏しくなったことが原因のようだ。三木田さんと話していると、闘牛の話を出来るし、マドリードの状況や近況もきける。5月は北へずっと行っていたという。テレビで、石原さとみがサン・セバスティアンのバル巡りをした、番組があって、行った同じところで同じものが食べたいという客がいたという。そういうのを案内していたという。三木田さんの得意分野だから面白かったと思う。

 昨日のサン・イシドロは、ビクトリーノ・マルティン牧場の牛で、オクタビオ・チャコン、ダニエル・ルケ、エミリオ・デ・フスト。ファン・カルロス元国王が今日も来て1頭目から3頭目までの牛が捧げられた。オクタビオ・チャコンの1頭目は左右の角がブスカンドする危ない牛。やりようがないといえば、その通り。剣刺しは、バホナッソ。口笛が鳴る。牛は口を閉じたまま、アレナ中央に向かって歩いてくる。その姿は観客に、勇敢な牛の姿に映る。拍手が送られた。ダニエル・ルケの1頭目は、強風が吹く中で行われ、カポーテが風に吹かれて、パセをしても危険を感じるものだった。こういう風の強い日は、モソ・デ・エスパーダなどが、アレナに新聞紙を切って入れる。風でその新聞紙が集まる処でファエナをすると風の影響が少ないといわれている。テンディド5付近に集まっているので、そこでファエナを始めた。耳が切れそうなファエナだった。手の低いパセが繋がっていたし、ナトゥラルも悪くなかった。ただもう少し出来たような気がする。剣刺しはバホナッソ。口笛が鳴り、耳ではないと7などが中心にアピールした。2頭目はブスカンドする牛で、パセがメディア・アルトゥーラになっていた。2頭目の牛になると、距離の取り方が良くなかった。観客からは、口笛が吹かれファエナに注文がついた。

 エミリオ・デ・フストは、2頭目の牛で耳1枚切った。初めのナトゥラルの3回のタンダで、手の低い長いパセが繋がりオーレが合唱された。ほぼそれで、観客の心を掴んだ感じだった。ずっとナトゥラルのパセが見たかった。これも、直前のバンデリジェーロが転倒してコヒーダされ、それをキーテで助けて、喝采を浴びるという出来事があった副産物の様な、盛り上がり方だった。剣が決まり耳1枚が出た。

 ソルテオの見立では、2頭目78番、3頭目の13番が良く見え、1頭目92番が微妙な感じだった。今年のサン・イシドロは、良く耳が出る。ロカ・レイやダビ・デ・ミランダのプエルタ・グランデは素晴らしかったが、甘い耳もいくつかあった気がする。今日は、ロカ・レイがアドルフォ・マルティン牧場の牛を相手にする。どうなるかこの目で見よう。


 5月31日(金) 晴 11938

 これからくまさんと、ランチ。いろいろ話もして来ようと思う。

 今日のアパルタードは、しっかり買えた。アルクルセン牧場。見立は、4頭目91番、5頭目188番が微妙。3頭目146番?ひょっとしたらこの牛が1番良いかもしれない。1頭目、2頭目、6頭目はダメだと思う。

 昨日のサン・イシドロは、流血とグラン・ファエナを味わった。アドルフォ・マルティン牧場の牛で、マヌエル・エスクリバノ、ロマン、ロカ・レイ。マヌエル・エスクリバノの1頭目は、扱いやすい牛だったが、出来なかった。クルサード不足で、口笛を吹かれていた。もっと出来るだろうと思う。2頭目は、良い感じでファエナをしていた。アレナ中央に立ちブルラデロにいる牛を誘い、背中を通すパセ、体の前を通すパセを繋ぎオーレが鳴り出し、パセ・デ・ペチョで拍手。距離を取りデレチャッソの長いパセが繋がり、オーレが続きさらに盛り上がっていった。雰囲気は耳だったが、ちょっと足りないような気がした。ファエナ終盤に事故が起きた。牛の左角がぶっすり左太ももを突き刺した。一人では立ち上がれずバンデリジェーロたちに、担がれて医務室に向かった。角傷は25cm。大腿部1/3の処に入った角は、大腿静脈に達していたようで、大量出血した。可能性として、重傷。剣刺しは、ロマンが代わって行ったがピンチャッソを繰り返した。

 ロマンは、コリーダ・ドゥーラ系の牛の扱い方の基本を分かっているようだ。2頭ともベロニカと、ファエナの始めは、膝を折ったパセを繋ぎ、牛を外に振って動きを教えているような始め方をした。教えられたことを、きちんとやっているのか、それとも、アレナで経験したことから学んだのかそれは知らない。しかし、教えられたことをきっちりやって出来るなら、素晴らしいし、自分の経験から学んだとすれば、才能を感じる。こういうやり方をすれば、牛は動きを覚え、扱いやすくなる。1頭目ではコヒーダされた。2頭目では、レマテの後の距離の取り方も良かった。牛が動かなくなると、クルサードし直して、真面目にパセを繋いでいた。そういう誠実な態度が、観客にも伝わっていることが判る。剣も決まり、闘牛場が白いハンカチで埋まった。耳1枚。

 ロカ・レイは今日も魅せた。最後の牛でグラン・ファエナ!ロカ・レイ的なトリッキーなファエナではなく、外連のないファエナだった。手の低い長いパセを繋いで、オーレを叫ばせだ。ナトゥラルの方はちょっとブスカンド気味だったが、それでも続けて良いパセを引き出していた。この日、最高潮に盛り上がった。剣を代え、最後のタンダが終わると、観客が、ビバ・レイなのか、ビバ・エスパーニャなのか叫んだ。剣刺しの時に、叫ぶというのは最低の行為だ。他の観客から静かにするようにたしなめられた。それで、間が悪くなったのか、ピンチャッソ。その後、剣が決まった。牛が倒れ観客は耳を強く要求したが、プレシデンテは耳を出さなかった。しかし、ロカ・レイが、コリーダ・ドゥーラ系のアルバセラーダ血統の牛を相手に、グラン・ファエナをやったメリットは大きい。


 6月1日(土) 晴 12062

 昨日メトロのカジャオのホームに立っていたら、目の前に顔を寄せてくる人がいて、誰だろうと思って観たら、番長だった。ホセ・トマスの最後のバルセロナ以来。あらー久し振り、というと、来てるってことは、Yさんから訊いていたけど。という。去年は番長を確認してましが、今年は確認できなくて。俺は7の12列。32年間変わらず。と切符を出すので、えっ、切符持ってるんですか?そうだよ。俺なんかこれですよと、iPhoneをみせた。昔からのアボナードは、デジタルに対応できない人がいるので、昔ながらの切符を出しているようだ。闘牛場まで、ずっと話していた。

 スペインにずっといるのか訊いたら、番長は71で、あと2年くらいしたら仕事辞めて日本に帰るという。スペインの年金も出るし、伊豆で暮らすといっていた。昔から闘牛場に通い、アボナードになっていた知り合いは、番長以外全部アボノを手放した。最後のアボナードの番長が、あと2年で日本に帰るという。つまり、アボナードではなくなるということ。くまさんとランチをしたが、スペインにずっといるか、日本に帰るかは、いっていなかった。いっていたのは、あと5年とかすると、日本人のガイドがいなくなるということ。そのことを番長にいうと、ガイドなんてもういらないという。パックツアーで来る人はいなくなるという。個人旅行で来る人はいるだろうけど、ガイドが必要ない。今の若い奴は、人の話を聞かない。ずっとスマホをいじってるからといっていた。

 くまさんたちの話だと、スペイン人と結婚した人が、バイトみたいなのでガイドやっている人がいるけど、これを極めるとか、そういう名物ガイドになろうという意欲がある人はいないという。アナログからデジタルの時代になって、何でもインターネットで調べられるようになったので、人も変わったようだ。

 昨日のサン・イシドロは、アルクルセン牧場の牛で、ダビ・モラ、パコ・ウレニャ、アルバロ・ロレンソ。ダビ・モラは不思議な闘牛士で、あっという間に、牛を動かしてパセを繋げたりする。1頭目がそうだった。途中から牛が動かくなって、クルサードも甘くなっていた。剣刺しでコヒーダ。ぶっつり刺されたと思ったら、プンタッソだった。初めのタンダ2回が素晴らしかった。あとは良くなかった。

 パコ・ウレニャは、剣刺しの時だけ、片目になった影響を感じる。あとは、去年までの様な正しいファエナをしようとしている。そして、何より観客は彼の味方だ。2頭目の牛はこの日1番良い牛だった。手の低い長いデレチャッソの長いパセが繋がり、オーレが鳴った。だんだんクルサードが甘くなって口笛も吹かれたが形にした。ナトゥラルはやり難い牛だったが無難にこなし、剣刺しは、ピンチャッソの後決まったが、カイーダというかバホナッソ。観客は耳を強く要求し、プレシデンテは耳1枚を許可した。それに対して、7を中心に抗議する手拍子が鳴った。それは正しいと思う。これに抗議しない7は7ではない。パコ・ウレニャは、2回連続サン・イシドロで耳1枚を切った。

 アルバロ・ロレンソは、たぶん全てにおいて基準以上のことをやっている。いわば闘牛士としての優等生。パセをドンドン繋ぐ。田舎闘牛なら耳を一杯切りそうだ。でも、ラス・ベンタス闘牛場ではそうはいかない。クルサード不足でパセを繋いでも、口笛を吹かれるだけだ。昔のエスパルタコを思い出す。サン・イシドロで耳を切っても、7の前で頭を下げて、ごめんなさい、ってポーズを取っていた。口笛をよく吹かれる闘牛士だった。しかし、エスパルタコは、10年くらい闘牛界に君臨した当時最高の闘牛士といわれていた。全てが80%の闘牛士でそつがなかったが、際立った特徴がない優等生的な闘牛士だった。アルバロ・ロレンソは、これから自分という特徴をどう出していくか、真剣に考えた方が良い時期に来ているのかもしれない。それでも変わらない、いや変われないのかもしれないが…。


 6月2日(日) 晴 11253

 昨日の昼は、食前の散歩に出かけた。ユウイチ君の出勤に合わせてマイヨール広場からオペラ前を通りカジャオくらいまで一緒にありき、あとは折り返してきた。バルのテラス席は、ユニフォーム着たイングランド人に占領されている。アトレティコ・デ・マドリードのメトロポリターノで、チャンピオンズリーグ決勝当日だった。リバプールとトッテナムのユニフォームを着たイングランド人が行き交う。ケンカ騒ぎはなかったが、町のそこここに警官が4人とかの集団で立っていた。何かが起きるかもしれないからだろう。ソルでは、切符を求めて、手書きの紙のようなものをかざしている人もいた。昔、セビージャでイングランドのチームが準決勝で、セビージャに来た時、1か月のビールの消費量が1日で消費され、グアダルキビール川で死者も出したということを下山さんに聞いたことがある。マドリードもビール消費量は凄いことになっているだろう。

 昨日のサン・イシドロは、ケ・グラン・タルデ!だった。サルドゥエンド牧場の牛で、アントニオ・フェレーラ、クーロ・ディアス、ルイス・ダビ・アダメ。入場行進後に、橋から転落して復帰したばかりのアントニオ・フェレーラに喝采が鳴って挨拶した。1頭目のカポーテ捌き、馬の前への牛の置き方など随所で観客を魅了した。アレナ中央部分で片膝を着き、モンテラを空に向けてからアレナに置いた。中央でブルラデロに牛を誘う。ムレタは左肩にかけるようにし、牛が動き出すと、左手に持ったムレタを頭の上で回して、ナトゥラルのパセを繋いだ。オーレが鳴り渡る。パセ・デ・ペチョを決めると牛に背を向けて10m以上離れて、右手に持った剣をアレナに置いた。剣なしでのファエナが始まった。ナトゥラルのパセを繋ぎパセ・デ・ペチョ。背を向けて15mほど距離を取り遠く方から牛を呼びナトゥラルを繋ぐ。オーレが続く。レマテの後、また距離を15mほど取って、右手に持ったムレタを背の方にやり、飛び跳ねて牛を誘う。牛はゆっくりと動き出して、右手の剣のないナトゥラルが始まった。4回ほどパセをして、また距離を取り右手のナトゥラルのパセを繋いだ。牛が止まると、クルサードしてパセを繋ぎ、ムレタを左手に持ち替えて、ナトゥラルを繋ぐとテンプラールの長いパセが繋がった。パセ・デ・ペチョの後、充分距離を取ってナトゥラル。剣を代えて、カルトゥチョ・デ・ペスカドからナトゥラル、トゥリンチェラを決め牛を置きに行く。なかなか上手く置けないとみると、何と10m離れた処に立ち、牛呼ぶ、レシビエンドで剣を決めた。闘牛場がどよめいた。あの距離のレシビエンドは凄い!喝采が鳴り、その中でナトゥラルを何度かして牛の前で、膝を着いて見栄を切った。牛が座り、プンティージャが入り、闘牛場には、口笛と拍手とトレロ・コールが鳴り響いた。白いハンカチが闘牛場を埋め尽くしたが、プレシデンテは耳を1枚しか出さなかった。観客は不満の口笛や手拍子を鳴らして抗議した。中には、フエラ・デル・パルコのコールを叫んでる観客もいた。ほぼ観客は耳2枚のファエナの認定していたが、訳の分からないプレシデンテだ。観客の要求に応えて、場内二周した。プレシデンテには罵声や、フエラ・デル・パルコのコールが起こった。

 2頭目のアントニオ・フェレーラは、静かに始まった。観客の気持ちはプエルタ・グランデをさせようという雰囲気が漂っていた。しかし、闘牛はそう簡単ではないことをみんなが判っていた。静かに始まったファエナは、次第に熱を帯びてくる。フェレーラは、自分がやるべきことを、ちゃんと分かっている。淡々とこなしていたが、それに観客が応えだした。7の前で膝を折ったデレチャソから始めアレナ中央部に牛をパセで移動させた。丁寧にデレチャソを繋ぐ。クルサードして繋ぐ。ナトゥラルを始めると次第に盛り上がっていった。7の前の白線の内側でナトゥラルを繋ぐ。また剣を置いて右手のナトゥラルを始めた。ゆっくりクルサードして丁寧に繋ぐ。タブラ付近でトゥリンチェラ、ムレタを持ち替えてパセ・デ・ペチョでオーレが続き、牛の前に立って喝采が鳴った。距離を取り右手の膝を折ったナトゥラルを繋ぎ、ムレタを左手に持ち替えてナトゥラルからパセ・デ・ペチョ。オーレが続き喝采が鳴った。距離を取り、長いナトゥラルを繋ぎ、右手に持ち替えて手の低い長いパセが繋がりパセ・デ・ペチョ。オーレが続き牛の前で立ち止まって喝采が鳴る。剣を代え、デレチャッソのトゥリンチェラからナトゥラル、トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョ。オーレが続き、喝采が鳴った。剣はスエルテ・コントラリアでレシビエンドで決まった。牛が倒れ、闘牛場にトレロ・コールが鳴り、白いハンカチ揺れた。耳1枚を意味する白いハンカチをプレシデンテが出したが、それでも観客は2枚目の耳を要求した。そのプレッシャーに負けて2つ目の白いハンカチを出した。これは違うだろうと思った。1頭目が耳2枚で、こっちは耳1枚だろうと思った。隣のあんちゃんが、話しかけてきたので、そのことをいうと、プレシデンテは、観客のプレッシャーで2枚目の耳を出したといった。

 クーロ・ディアスは、1頭目で良い処をみせていた。デレチャッソの長いパセが繋がり、オーレも叫ばれた。しかし、途中から牛の動きが鈍ったことと、クルサード不足の感じで、口笛が吹かれだした。もっと、クーロらしいファエナが観たかった。剣は決まった。2頭目はパッとしなかった。剣もカイーダだった。

 ルイス・ダビ・アダメは、1頭目で弱い耳要求が起きたが、それはかなり甘い考えだ。それなりにパセを繋ぐが、ちょっとクルサード不足。牛の扱いが、メキシコ風?パセを繋いでいれば耳を貰えるアンダルシア風と同じ感じ。2頭目は、コヒーダされた。角傷を負って、医務室に担がれて行く途中に、戻ってきて、ファエナを続けた。お情けで耳を貰おうとしていたと思うが、ファエナも良くないし、剣も決まらなかった。

 闘牛が終わり、クーロ・ディアスとルイス・ダビ・アダメのクアドリージャが退場した後、アントニオ・フェレーラのオンブロスが始まった。もう席を立ってプエルタ・グランデに向かう人たちもいる。全く異議の出ないプエルタ・グランデだ。敬意をもって喝采が鳴り響く。笑みを浮かべたフェレーラがプエルタ・グランデへ消えていった。何と素晴らしい闘牛だったんだろう。右手のナトゥラル、タンダの後の距離の取り方、そして、10mのレシビエンド。いくつもの残像が残り、余韻にひたる夜を楽しむことが出来る。

 闘牛場の行き帰りは、メトロが混んでいた。イングランド人が多く乗っていたからだ。英語が車内で響き、ホームでは歌を歌っていた。どう考えてもリバプールが有利だし、トッテナムは勝てないだろうと思っていた。どちらかが勝ち、どちらかが負ける。勝てば勝ったで騒ぐだろうし・・・。闘牛場から帰ってきてテレビをつけたが、放送していなかった。有料テレビでしかやっていないようだ。そして、2−0でリバプールが勝った。近くで歌声をあげて騒いでいる。香川がいたドルトムントの監督をやっていた、クロップが優勝した。


 6月3日(月) 晴 11947

 昨日、闘牛の始まる前と、終わった後、下山さんから連絡があった。カセレスへ向かっているという。22時過ぎには、ようやく闘牛が終わったいうもの。田舎の闘牛場なので、牛を代えるのに、時間がかかりさっき終わったという。交換のとき去勢牛を扱う、マジョラールが元下山さんのモソ・デ・エスパーダだったという。モソの時も、これをくれといっても、いつも違う物を出す人で、あれは人間の性格で出ていると、いっていた。

 そんな感じなので、闘牛もダメだったと思って訊いたら、ファン・モラも、エミリオ・デ・フストもプエルタ・グランデしたという。ファン・モラは入場行進後に喝采が鳴り、自分に対して地元の観客が讃えているのに、エミリオに挨拶に行くようにそくしていたという。あれは良くないといっていた。前日ラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロでプエルタ・グランデしたアントニオ・フェレーラに、牛を捧げる時に、客席まで登って行ったことや、近くにフリオ・アパリシオみたいな人がいたことをいっていた。おそらくフリオ・アパリシオだろうと写真を見て思った。

 そして、マドリードのアフィショナードからメールが来て、アントニオ・フェレーラの闘牛のことが書いていたという。そこには、真実の美しさがあって、涙が流れた。と、書いてあったという。俺は、ビデオカメラを回して観ていたから、自分の感情を押し殺して撮っている。ある意味、戦場カメラマンのような心情になって、そこで行われている事実を残そうとしている。だから、感情に流されないように冷静でなければならない。それでも、あの日のアントニオ・フェレーラのファエナは胸に迫るものがあった。マドリードのアフィショナードの気持ちは良く判る気がする。

 騎馬闘牛を観ていても、観客は感情的だ。理屈ではない部分が多くを占める。ある喫水線を超えると、感情が露骨に表現され露出する。それは罵声を浴びせる時も、称賛をするときもあるものだと思う。良い時の喫水線と、悪い時の喫水線の位置は違う処にある。しかし、人間の感情の装置は、スペイン的な感情によって作られている。音楽やフラメンコ、サッカーの試合中露出する感情と同じようなものである。「オーレ」をいうか、いわないかは、その感情の喫水線の限界値を超えた時に発するものだ。その感情が断続的に続いた時、もう一つの喫水線が現れ、もう一つの違った感情が芽生える。

 俺はそれが観たいと思っているし、それを書きたいと思っている。闘牛の中にはそれがある。だから見続けているのだと思う。それは、セサル・リンコンだったし、ホセ・トマスだった。そして、今年のサン・イシドロでは、ロカ・レイも良かったし、ダビ・デ・ミランダも良かった。さらにアントニオ・フェレーラのファエナはもっとの感情を揺さぶられた。だが、それを書くとなるとなかなか難しい。でも下山さんに昨日いわれたのは、フェレーラの事を書いた日記を読んで涙したと。ありがたい事だ。そういう人が1人でもいることは嬉しい。何処かといえば、「フェレーラは、自分がやるべきことを、ちゃんと分かっている。淡々とこなしていた」という処にだという。

 マドリードのアフィショナードがいう、真実の美しさがあった。というのは、素晴らしい言葉だ。しかし、抽象的だ。もっと具体的なことを書きつつそういうものを綴りたい。そういうバランスがないと、他の人には伝わらないと思うからだ。

 昨日のサン・イシドロは、騎馬闘牛。マリア・ギオマル・コルテス・デ・モウラ牧場の牛で、ディエゴ・ベントゥラ、レオナルド・エルナンデス、ファン・マヌエル・ムネラ。騎馬闘牛は書く言葉を知らない。ディエゴ・ベントゥラは、耳1枚。2頭目で剣刺しを失敗して2枚目を取れなかった。レオナルド・エルナンデスは、耳1枚が2回でプエルタ・グランデ。ファン・マヌエル・ムネラは、若い。デスカベジョも下手だし、2頭目では、短いバンデリージャ打ちを1本しか出来ず、2本目は回避して剣刺しをした。まだ、足りないものが多いと感じた。


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

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