−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
6月15日(土) 晴 10025
昨日大谷翔平が、サイクルヒットを達成した。第1打席左中間ホームラン。第2打席左中間へ二塁打。第3打席ライト線へ三塁打。第4打席センター前ヒット。イチローや、松井秀喜でも記録できなかったことをメジャーリーグ2年目で達成する快挙。やっぱりスター性を感じるし、物凄くキャラが立っている。日本球界やメジャー関係者が賞賛の言葉を並べている。打たれたヤーブロー左投手は、「アウトを取れる気配もない。彼には脱帽だよ。大きなダメージを与えられてしまった。」 ホームラン、二塁打、三塁打と3安打打たれたら、それはそうかもしれない。日本から大谷を送り出した、日本ハムの栗山監督一人だけ辛口のコメント。「もっと能力は全然、高い。野球のすごさを伝える使命がある。野球が好きじゃない人が、野球が面白いんだなと思ってもらえたらありがたい」と語った。栗山監督は、自分の役目をしっかり理解している。みんなが賞賛することは重々承知の上で、ただ一人いつも、辛口のコメントを出し続けている。これは、大谷に対する愛情以外の何物でもない!また、日本代表の久保建英の、レアル・マドリード移籍が発表された。バルセロナのカンテラに所属して、バルセロナへの移籍が合意にならず、逆転でレアル・マドリード移籍が決まった。ザワザワする感じだ。
昨日のサン・イシドロ32日目のソルテオの見立は、フエンテ・インブロ牧場の牛で、モレニート・デ・アランダ、ペペ・モラル、ホセ・ガリド。どれも良い牛には見えなかった。ただ、あとから考える、初めに出てきた3頭のうちの2頭のどちらかが、他の牛と作りがちょっと違っていたと思った。それが、1頭目の100番の牛だったのか、4頭目の104番の牛だったか覚えていない。どちらの牛にしろ、モレニート・デ・アランダがやる牛である。ちょっと期待薄だと思う。
サン・イシドロ32日目の結果。思った通りだった。闘牛士たちはやる気をみせたが、口笛などによって否定された。モレニート・デ・アランダは、1頭目の牛で、ポルタガジョーラをやりやる気をみせたが口笛を吹かれた。ペペ・モラルは、2頭目の牛で、アレナ中央で牛を呼び、背中を通すパセをしてデレチャッソのパセを繋いだが、口笛を吹かれた。それでも、パセを続けたが、クルサード不足を観客から指摘され、三拍子の手拍子が鳴り響いた。ホセ・ガリドもパセを繋いでいるが、やはりクルサード不足。距離の取り方もイマイチ。牛もそんなに良い牛ではなかった。そして、三人とも、トレアールの仕方が悪いと、観客に指摘された。
6月21日アリカンテのカルテルは、ロマンに代わり、ダビ・デ・ミランダの出場が決まった。つまりまとめると、エル・パラレホ牧場の牛で、ロペス・シモン、ダビ・デ・ミランダ、パブロ・アグアドということになった。アリカンテに行きてぇ〜。
6月16日(日) 晴 9983
昨日は、JRAでの薬物トラブルで、発走除外が多く出て、調教師も騎手も、ファンも混乱したようだ。それでもレースは行われる。13頭立てのレースが7頭立てになると、面白よなぁと思った。餌になる飼料に禁止されている薬物の混流が疑われたために、検査時間がないということで、発走除外の措置が取られた。JRAの対応は早かったようだ。
昼過ぎに、メルカドなどへ行って買い物をした。そこで、海老を買って来て、スパゲッティにして食べた。スペインだと海老が安いので、麺が食べたくなると、スパゲッティを食べる。その時は、出来れば海老が良い。満足な昼食だった。お腹いっぱいで、シエスタして闘牛場へ向かった。
闘牛に着くと、ノー・アイ・ビジェテと書かれた貼り紙が出ていた、サン・イシドロ33日目は、感動した。泣けた!片目の闘牛士パコ・ウレニャが、彼の傷だらけの人生を語り、耳2枚切った。闘牛場へ来た観客みんなの思いが、結晶になったプエルタ・グランデだった。耳2枚切った最後の牛のビデオを撮りながら、初めのタンダで涙が出てきた。涙を拭いていたら、映像が揺れるので、流すに任せていた。だって、涙を観られても、全然恥ずかしいことではないのだから。最後の方は、鼻からも鼻水が出るもんだから、すすりながらビデオを撮っていた。何と美しい日だったのだろう。1頭目の牛で、コヒーダされ、ピンチャッソの後のカイーダ気味の剣が決まって、耳要求。プレシデンテは耳を許可せず、場内一周した。その後、医務室に入って出てこない。この日は、セバスティアン・カステージャ、パコ・ウレニャ、ロカ・レイの順番なので、5頭目はパコなのにロカ・レイがやった。でも、バンデリージャの場で、中央にいたのはパコのバンデリジェーロだったので、最後の牛で出てくるんだと思っていた。牛が倒れてから医務室の入口から出てきた。
観客は拍手で迎えた。牛が出てきてカポーテを振ると、角度のあるテンプラールなベロニカが続くと、オーレがこだました。牛は観客に捧げられた。テンディド7付近の白線の辺りで、アジュダードに構えエスタトゥアリオを繋ぐ。静かに始まったが、溜めのあるナトゥラルが決まると観客から声が出始め、トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョが続くオーレが鳴り響いた。レマテが終わると、観客は立ち上がって喝采を送った。俺の前の人は、立ち上がって両手を上げて、ガッツポーズをしていた。この1回のタンダで、右目から涙の雫が落ちていった。
観客の気持ちが凄く伝わってきた。去年だっただろうか?パコ・ウレニャがまだ両目があった時に、テンディド7のアフィショナードたちは、ちゃんとトレアールをしていると、パコ・ウレニャを高く評価していると、THさんが教えてくれた。それは間違いのない事だ。去年最後に、アルバセーテの闘牛場で、ベロニカのパセをやった時に、左目に牛の角が突き刺さった。眼から血を流しながら、ファエナを終え、剣刺しまでやってから、医務室へ向かった。あの後、何度か手術が行われたが、左目の視力を失った。そのパコ・ウレニャが、バレンシア、セビージャと闘牛のフェリアで復帰して、サン・イシドロでは、2回出場してどちらの日も耳1枚を切っていた。そして、この日が3回目の出場だった。それでコヒーダ。熱が入るのは当たり前だ。
デレチャッソのパセでは、牛が膝を着いたりしたが、観客は冷めることはなかった。時に牛が変な動きをすることがあったが、パコの体はピクリとも動かず、ムレタ捌きで牛を交わした。ナトゥラルを通す時、左足のすぐ横を牛の角が通って行ったが、手の低い長いパセが続いた。熱狂度はドンドン凝縮する。トゥリンチェラやパセ・デ・ペチョが繋がると、オーレの熱が闘牛場にこだました。
パコは、彼の傷だらけの人生を、牛と対話することによって語りつくした。そのことを感じ観客は、凱旋将軍を迎える民衆のように、熱狂を続ける。あとは、剣だけだ。最後のタンダも、オーレが続いた。闘牛場が静寂に包まれた瞬間、パコの体は牛に向かって動き出し完全に一つになった。闘牛場の観客は歓喜の声を張り上げた。牛が倒れる前に、トレロコールが鳴りひびいた。牛が倒れると、闘牛場の観客は、白いハンカチを振り、口笛が鳴り響いた。それは、耳1枚出ても鳴り止むことはなく、むしろ大きくなったように思えた。
最後まで冷静な頭で、トレアールを続けたパコ・ウレニャがアルグシルから耳2枚を受け取った。そして、アレナの土を手にしてマドリードの観客に挨拶した。申し訳ないが今日は、セバスティアン・カステージャやロカ・レイの日ではなかった。パコ・ウレニャが最も輝いた日だった。これを俺は3年間待っていた。まさか片目になってから、夢のプエルタ・グランデが出来るなんて。本当に素晴らしいファエナに立ち会うことが出来て幸せだ。闘牛場のプエルタ・グランデから外を見たら、空に丸い月が浮かんでいた。それがなんとも良い気分を、なごませ、協調しているような気がした。あー月までパコ・ウレニャを祝福しているようだと思った。
いやー、闘牛って恋に似て、酒よりも酔わせてくれる。
6月17日(月) 晴 8836
昨日はサン・イシドロ34日目最終日。ノー・アイ・ビジェテ。前日のパコ・ウレニャが感動が、再びなのか、それとも期待は失望に変わるのか?サンティアゴ・ドメク牧場の牛で、エル・ファンディ、ロペス・シモン、パブロ・アグアド。ロペス・シモンは、彼なりに工夫してファエナをやっていた。それでも、熱狂を作り出せなかった。この日観客が1番注目していたのはパブロ・アグアド。1頭目の牛では耳になるようなファエナにはならなかった。剣刺しの時、事故が起きた。剣はピンチャッソで、牛の右角が彼の右足の付け根に刺さったようになって牛の上に乗った。
けっこう痛がっていたので、闘牛士やバンデリジェーロたち彼の周りに集まった。それからまた剣刺しをした。それからデスカベジョ5回。口笛が鳴る。牛が退場時に拍手が鳴る。挨拶。それから医務室へ行った。マキシモ・ガルシア医師の診断は、右太腿上部に15cmその外側10cmの角傷。闘牛場で全身麻酔で手術を受けた。重症の可能性。彼のサン・イシドロは、このコヒーダによって終わった。セビージャのフェリア・デ・アブリルで耳4枚切ってトゥリウンファドールになって、意気揚々サン・イシドロにやってきたが、5月18日ラス・ベンタス闘牛場を沸かすことは出来ても、1枚の耳も取ることが出来なかった。それは彼にとっても失望だっただろうし、アフィショナードたちにとっても失望だった。だが、セビージャのファエナがフロックだったとは思えない内容なので、今年の活躍に期待したい。ただ、20日のグラナダ21日アリカンテ23日レオンなど出場は難しい状態なのではないかと思う。まだ正式な発表はないけど。
この日1番闘牛場が沸いたのは、最後のパブロ・アグアドがやるはずの6頭目の牛の時だった。ピカの場で、パブロ・アグアドのピカドール、マリオ・ベニテスがみせた3回のクイダッソは素晴らしいものだった。牛を呼び、突進してくる牛を受け止め、馬が上に上がりマリオ・ベニテスも馬から投げ出され落下。起き上がって、馬を抑え、またすぐ馬に乗って、2回目のクイダッソ。また7・8mの処から牛を呼び、受け止める。闘牛場に歓声が上がり、喝采が鳴った。ファンディはキーテの後、モンテラを取ってピカの場終了の合図を送ると、テンディド7のアフィショナードたちが起ち上って抗議して、3回目が行われた。これも見事だった。総立ち状態の観客の喝采を浴びてマリオ・ベニテスが退場した。
バンデリージャの場は、ファンディが打った。2回角のほぼ間でバンデリージャを打って喝采を受ける。3回目も牛とタブラの間で打つ、ポル・デントロの技で歓声が沸き、喝采を受けた。挨拶をしたが、もう1度バンデリージャを打った。ビオリンが決まるとまた、歓声が鳴り、喝采を浴びた。しかし、ここまでだった。牛は自分の持っている力をすでに使い果たしたかのように、ファエナでは思うように動けなかった。
1番きたしていたパブロ・アグアドが、コヒーダによって医務室に行った後は、集中力が半減した。その中で、観客を楽しませた、ピカドールのマイオ・ベニテスとファンディのバンデリージャ打ちだけが、唯一の救いだった。闘牛は時に、こんなことが起こるものだ。長いこと闘牛を見続けてきて、夜行列車で、早朝について、闘牛が始めるまで時間つぶしの観光などをして、いざという時に雨で中止なんてことだって、1回や2回じゃない。コヒーダの怪我によって、闘牛士が代わることはしょっちゅうだった。
だから思うのは、21日のアリカンテの予定も最終日が終わってからと考えていたが、電車やバスの切符を買っていなくて良かった思った。このぶんだと20日から23日は、グラナダで過ごすことになるだろうと思う。パブロ・アグアドの回復を祈る。ところで、THさんがFacebook
に書いていたサン・イシドロの表彰には、メホール・ファエナが、パコ・ウレニャになっていた。だから、肩入れして、アントニオ・フェレーラと書いた。彼女は、観ていないからと書いていたが、ラス・ベンタス闘牛場のホームページの表彰には、トゥリウンファドールが、パコ・ウレニャ。メホール・ファエナがアントニオ・フェレーラになっていた。こういう風に甲乙つけがたい場合は分けて表彰すると無難と考えたようだ。それで良いのだと思う。少なくてもアフィショナードたちは、そのことを話し合う材料になるのだから。
終わった後、飲みに行って遅く帰ってきた。グラナダに行く間に、やることもあるので、それをコツコツやって行こうと思う。
6月18日(火) 晴 7855
Twitter で、パブロ・アグアドが、20日のグラナダに出場することを呟いた。16日ラス・ベンタス闘牛場で負った15cmと10cmの傷で、休むことはないという。医者が許可したのか、医者のいうことをきかずに出場を決めたのかは判らないが、自分の意志でそう決めたようだ。ネットなどがなかった頃は、新聞にそういう情報が載っていたが、今は、SNSなどで、闘牛士自身が情報を発信し、それを闘牛専門サイトなどが、それをニュースとして流す時代になった。はっきり分かることが、時代が変わってきていることが判る事象だ。
昨日は、昼食の買い出しにって昼食を作り、夕方は、同居人と構想についての話をしてキャラ立ちのの話などを、かなり具体的な物が見えてきた。何年か前に頭に浮かんでことが、具体的な舞台設定と、キャラとが揃ったことになる。夜、人が来て、食事しながら飲んだ。そこでも、イメージが膨らんだ。今日明日はそれをやろう。
6月19日(水) 晴 8051
昨日はほぼ終日、細雪。散歩と飯以外はそうだった。ただ、夜になりKさんから電話があって、夕食を共にする。子供達も来た。97年に初めて会った時に、3歳だった子は、今は25歳。真ん中の子が、二つ上。1番上の子は30になって大学院に行っていて、今は彼女と同棲しているのだという。だから1番上の子は来なかったが、Kさん一家と久々の再会をした。
Kさんの家に住んだり、カジャオに持っているピソに住んだり、長いことお世話になった。子供達二人は、スポーツマンなので、酒もタバコもやらないのだという。真ん中の子は、消防士になるための学校に通っていて、次の試験で合格すると消防士になるのという。9倍くらいの難関らしいが、実技も学科試験も成績が良いという。消防士になると1日24時間勤務すると5日休みが貰えるのだという。だから、なりたい人が多く難関になっているのだという。1日働くと8時間、掛ける3で、3日分でしかも深夜にもなるので、5日の休みになるらしい。すでにこれで、若者にして、日本の老後のような生活が出来るわけだ。いいなぁと思った。
今日も終日、細雪の予定だ。ただ、グラナダに行く荷造りをしないといけない。
6月20日(木) 晴 12174
昨日もほぼ終日、細雪。散歩と買い物、準備をする。昼食は夢中なっていたので、食べるのを忘れる処で、それでもやっぱり腹は減る。サラダを作って食べ、作業を続ける。それから買い物へ行く。帰ってきて豚肉を焼いて味噌汁と食べる。同居人の一人が、これ良かったらと、サバの味噌煮の余りを出すので、ありがたく頂いた。昼食後も作業をしていたが、調子が悪いので居間で作業。もう一人の同居人が部屋から出てきて話しながら、作業。夕方また買い物。そしてまた、作業。夕食は、頂いたサバの味噌煮とオクラのおひたし。
涼しくなったので、散歩に出かけ半分くらい行ったら、左足のふくらはぎが吊りそうになったので、上り坂をやめて平坦な道を歩き坂道を降りた。そして帰り道の上り坂で再び吊りそうになる。広場のベンチで一休みして、戻ってきた。ネットを見ると、一昨日とは一転、パブロ・アグアドがグラナダに出場出来なくなって、代わりに、ダビ・デ・ミランダの出場が決まっていた。THさんからも同様の連絡があった。怪我人より生きの良いダビ・デ・ミランダの方が良いと思った。サン・イシドロで、新時代到来の予感を感じさせた闘牛士、ダビ・デ・ミランダ。こいつの方が危険な香りがするところが、闘牛士として魅力を感じる。パブロ・アグアドは、上手い。テンプラールなパセも素晴らしい。そういう旋風を起こせる可能性は充分ある。しかし俺は、ダビ・デ・ミランダの方に魅力を感じる。グラナダがより、楽しみになってきた。これからグラナダへ行く。アリカンテは行かないだろう。それより、グラナダでも出来れば細雪。
6月21日(金) 晴 17349 グラナダの宿にて
昨日の昼前に、グラナダ到着。直ぐに宿に行きチェックイン。そして、カテドラルへ向かう。日中は30度なかったが、歩いていると暑い。カテドラルの周りはパレードをしていて、人が大勢いた。91年だったと思う。何も知らずに着いたその日に、カテドラルに聖体みたいなのが担いで入っていったが、通りの家の2階3階から、大量の花びらが降ってきた。紙吹雪だと思っていたら色とりどりの花びらだったのでビックリした。
あれから28年ぶりにコルプスの日にグラナダに来た。カテドラルの前は、草がいっぱい落ちていた。行進する人たちの進む道に敷き詰めたようになっている。表通りの大通りには、観覧席があって、そこはもう行進が終わったいた。ゴミ収集車が来て、清掃員がはいて集めた草を回収していた。
昨日のグラナダの闘牛は、ヌニェス・デ・ラリファ牧場の牛で、ホセ・ガリド、ホアキン・ガルドス、パブロ・アグアに代わって、ダビ・デ・ミランダ。22日ホセ・トマスが出場でアボノが全部売り切れているので、満席に近い状態。ホセ・ガリドは、1頭目がまあまあで剣も決まり耳要求。それで勝手に場内一周した。2頭目で、コヒーダされた。空中3・4m飛ばされて落下。胸の辺りを角で、落下した時に腰を打ったようだ。角傷はない。それから一気に闘牛場は盛り上がり、手の低いパセを繋いで、剣も決まり耳2枚。ホアキン・ガルドスは、1頭目がさっぱりで、2頭目は剣が決まれば耳1枚出ていたかもしれないがピンチャッソが続いた。ただ、ちょっと驚いたのは、パセのやり方のタイミングというか変わっている。特にパセ・デ・ペチョがしっかり体の近くを通すことが意識されてやられているのが判った。そういう細部を持っている闘牛士は、他のパセにも波及すれば化ける可能性を感じる。パブロ・アグアドの怪我で、代わりに出場したダビ・デ・ミランダは1頭目でしっかり耳1枚切った。ファエナも丁寧にやっていたし、サン・イシドロでプエルタ・グランデしたおごりを感じない。初めてのグラナダで、良い闘牛を見せようとしているのが判った。1頭目の牛はブスカンドする危険な牛。観客はコンプリカドということで牛の交換を要求した。それで代わった牛での耳だった。観客が誰を観に来ているかが良く判った。最後の牛は、これはやりようがない牛で、良いファエナにはならなかった。
予定を変更して月曜日までの予定を、日曜日にマドリードへ帰ることにした。今日のアリカンテは、パブロ・アグアドに代わって、ヒネス・マリンが出場が決まった。コパ・アメリカで、日本はウルグアイに2−2で引き分けた。疑惑の判定でPKがウルグアイに与えられた。南米メディアは、これを厳しく批判しているという。それなら中島が倒された方が、PKだったという。アメリカのNBA(米プロバスケットボール)のドラフトが行われて全体の9番目で八村塁がウィザーズが指名した。日本バスケットボール史上初の快挙。日本からNBAドラフトで、1巡目で指名される選手が出るなんて信じられない事だ。
6月22日(土) 晴 11205 グラナダにて
昨日の朝食は、前日のあまりのボカディージョで済ませ、部屋でゴロゴロして、昼になってRENFEへ行き、日曜日切符のキャンセルと、土曜日切符を受け取った。宿に戻る途中に昼食を取った。安くて清潔な店でちょっとおしゃれなところだった。おまけにトイレが凄く綺麗だった。それからグラナダに来て、細雪。シエスタを取って闘牛場へ向かった。
昨日の闘牛は、ガルシア・ヒメネス牧場牛で、モランテ・デ・ラ・プエブラ、エル・フリ、エル・ファンディ。モランテは、カポーテを振るとオーレが鳴る。1頭目は真面目にムレタを振っていたが、2頭目の牛では、途中で止めた。そのやる気のなさに罵声や口笛が鳴る。あれだけ口笛や罵声を浴びても下を向くことがない。カジェホンに戻ってもアレナの方を見ている。その右下アングルからカメラマンが、シャッターを切っていた。
フリは耳1枚が2回だった。フリはフリ。変わらない。2頭目のファエナの時に、一部のファンからヤジや口笛が吹かれていた。耳を受け取ると、その一部のファンがいる処に向けてわざと耳をかざしていた。ああいう闘牛を批判するのは、悪いことではない。でも、フリにはその真意が届いていないような気がする。エル・ファンディはグラナダが地元。彼がデビューしてからコルプスのフェリアに毎年出場している。多い時は2回か3回出場したことがあるはずだ。最近は、フェリアの闘牛が1週間くらいから今年は4日しかなくなったので、1回しか出場しないが、グラナダでファンディを観るのが、1番ファンディらしい闘牛が観れると思う。今年は、サン・イシドロでも、ある程度ちゃんとバンデリージャを打っていたが、グラナダでは、ほとんど角の間で打っていた。昔のファンディだ。1頭目でバンデリージャから良い流れで剣も決まり耳2枚。最後の牛のバンデリージャ打ちで膝を着いてキエブロをやろうとして、コヒーダされた。角傷を受けていないのが不思議なくらいだ。4回目のバンデリージャをビオリンで打って、牛の前を後ろに下がりながら、牛に追わせて闘牛場半周して喝采を受ける。そして、トレロ・コールが沸き起こった。これぞグラナダって感じだ。ムレタでパセを繋いで剣が決まり耳1枚。観客は2枚目を要求したが、プレシデンタが出さなかった。
鳥栖のフェルナンド・トーレスが、今季で引退すると発表したようだ。それに対して、シメオネやアトレティコ・デ・マドリードがFacebook などでコメントを発表している。
今日は日程をわざわざ伸ばした最大の目的である、ホセ・トマスを観る。下山さんTHさんと合流してホセ・トマスの闘牛に立ち会う。今年新しい闘牛の潮流(生きのいい若手の、パブロ・アグアドにダビ・デ・ミランダ。印象的なファエナをした、アントニオ・フェレーラと最も興奮したパコ・ウレニャ)を感じている中で、一体どんな闘牛を見せるのか?それを証人として闘牛場で目撃する。
6月23日(日) 晴 11998 マドリードにて
早朝グラナダからマドリードへ戻ってきた。昨日のホセ・トマスは凄かった。騎馬闘牛士のセルヒオ・ガランが、1頭目と4頭目。ホセ・トマスは、2頭目、3頭目、5頭目、6頭目の牛を相手にした。ホセ・トマスが相手にした牧場は、2頭目と6頭目がヌニェス・デル・クビジョ牧場、3頭目がガルシグランデ牧場。5頭目がエル・ピラール牧場だった。セルヒオ・ガランには申し訳ないが、ホセ・トマスが4頭の牛を相手に闘牛をするための闘牛士ではないく、騎馬闘牛士を選んで行われた感じだ。
ホセ・トマスは、この日初めの2頭目の牛が出てきて、ブルラデロを牛が通過して次のブルラデロに行くと、直ぐにアレナに出て牛を迎えた。ベロニカからオーレが叫ばれた。初めから1年間闘牛場に立っていなかった闘牛士とは思えない技術を見せる。美しく優雅で、人を引き付けずにおけない魅力に満ちている。ファエナの初めは、アレナ中央付近に立ってアジュダードに構え、エスタドアリオを左右に6回繋ぐと、オーレの声に観客の感情のこもり出し、7回目のパセもそれまでの6回のパセを同じ立ち位置で一歩も動かず、お決まりのナトゥラルで角度をつけて牛をパセすると、熱狂が絶叫に変わった。そして、パセ・デ・ペチョ。立ち上がる観客が大勢いる。強烈な形でホセ・トマス復帰を印象付けた。ムレタは牛の角に絡んで持って行かれたが、ホセ・トマスは、そのまま後ろを向いてタブラの方にゆっくり歩いて行く。バンデリージャがムレタを渡した。こういう風に、ホセ・トマスは、カッコ良さと、みっともなさが同居する。98年のサン・イシドロを思い出させる、一歩も動かないエスタドアリオ。こんなパセ出来る闘牛士は他にはいない。またナトゥラルが印象的だった。デレチャッソもテンプラール凄い。牛の動きをギリギリまで見てパセをする、ホセ・トマスの真骨頂。剣も決まり耳2枚。
この日3頭目で、1番印象に残っているは、デレチャッソ角度のあるパセをして牛が左から右側へ行った後に、ムレタを左手に持ち替えてナトゥラルを繋ぐ。牛の角がホセ・トマスの右足の後外側にあるのに、ムレタをコントールしてコヒーダされないようにパセを繋いだ。それがどんなに危険なパセか闘牛を分かっている人には理解できているはずだ。それを2回繰り返す。2回目のナトゥラルは牛を1回転半廻すとオーレの声は大きく感情のこもったものになった。ナトゥラルで1回転半廻した時も、牛に体は触れていてもムレタと牛の動きに集中してパセをしている。闘牛場の熱狂度はさらに上がっていった。剣はバホナッソだったが、耳2枚が出た。
5頭目の牛はソソで普通のファエナにしかならなかったが、最後の6頭目で印象に残ったのは、ベロニカ繋ぎアレナ中央部付近でラルガをやった後、そのままの立ち位置で片手に持ったカポーテで、3回牛をパセをすると、観客は総立ち状態になって喝采を送った。カポーテは牛に持って行かれたが、これもカッコ良さとみっともなさが同居するホセ・トマスならではもの。牛の角がカポーテに触っているが、体の近くを通すパセをする闘牛士のカポーテには、カポーテの下1/3くらいの処に角がこすっていった白い跡がついているものだ。セサル・リンコンのカポーテにはそういうものがついていた。例えば、コリーダ・ドゥーラの牛を相手に闘牛士が膝を折ってカポーテ振って牛を外に動くようにする。カポーテを振る時は、その牛の動きを知ること。左右どちらの角が良いのか観ることと、牛に動きを教えること。そして、牛に闘牛に必要なパセが出来るように調教するように、カポーテを振る3つの段階がを手順を踏んでやる作業があると思う。牛の本来持っている力や特性を最大限に引き出す為の作業手順が行われる。ホセ・トマスのような闘牛士は、そういうことが理解したうえで、カポーテを振る確認、特製の把握、より良い牛の力の引き出し方を見極めているのだと思う。カポーテに角が触っていることは、重要な問題ではない。触ったことによって、闘牛にとって重大な欠陥は生じないし、むしろ、牛の動いをコントロールするための手助けにさえなっていると思う。カポーテに角が触ることによって牛の動きが変わるのではなく、闘牛士が牛の動きを変えるのだと思う。
このファエナで印象的だったのは、初めのナトゥラル。このままずっとナトゥラルだけのファエナが観たいと思っていたが、剣を左手に持ち替えて、右手のナトゥラルをした。通常の左手のナトゥラルでもそうだが、ムレタを10cmくらい動かして牛が動かない時は、また10cm前にムレタを戻し、牛を誘う。この10cmをほぼ手首の動きだけで行っている。こういうことを出来る闘牛士もまたなかなかいない。牛の動きがどうなのかをいつも確認しながら、パセをしようとしている。最後のレマテは、右手のナトゥラルの後、ムレタを左手に持ち替えて、グラナダというパセをした。この時左手には剣も持っていたのがさらに印象的だった。剣が決まり、耳2枚と尻尾1つが出た。ホセ・トマスは、耳2枚、耳2枚、挨拶、耳2枚取と尻尾1つ。合計耳6枚と尻尾1つという結果だった。
終わった後に、下山さんに別格だっとといった。ホセ・トマスがやったファエナは、一見簡単そうに見えるが、誰もがマネの出来ないものだった。サン・イシドロが霞んでしまう。アントニオ・フェレーラの右手のナトゥラルも良かったが、それを思い出させる右手のナトゥラルと、インスピレーションを感じるデレチャッソから持ち替えてのナトゥラル。パブロ・アグアドのテンプラールよりもゆっくりなテンプラールのパセ。ダビ・デ・ミランダの体の近くを通すパセを上回るギリギリのパセの連続。パコ・ウレニャの角が体の方を向いても身動きせずムレタ捌き交わす技術。そして感動を上回る闘牛の技術。ロカ・レイの熱狂を上回る激情に近い感情の揺さぶり。サン・イシドロでプエルタ・グランデしたファエナを超えたホセ・トマスの闘牛。これを目的に滞在を伸ばした甲斐がある闘牛を見せつけられた。圧倒的に凄い!サン・イシドロでプエルタ・グランデした4人の要素全てが入っているなんて、想像の彼方の話だ。今年の新しい闘牛の潮流にもビクともしない圧倒的な技量の蓄積がそこにある。
終わった後、下山さんとTHさんと三人でホテルでつまみながら話したが、俺はホセ・トマスの1頭目が1番良いといい。下山さんは2頭目が良いといい、THさんは、最後の6頭目が良いという。三者三葉の見方があった。それぞれの感じ方は闘牛場に来た人の数だけあっていい。だからこそ、闘牛を観終わた後に、話が出来るのだと思う。ホセ・トマスは、格の違いを見せつけた。闘牛場には現役の闘牛士も多く観に来ていたようだ。その違いは何なのかは、それぞれの闘牛士が答えを見つけ、糧にしていく部分だと思う。闘牛士の頂点に立つ、絶対君主。それが今でも変わらないホセ・トマスの実態だ。
6月24日(月) 曇 13837
昨日はグラナダから帰ってきて、メルカドも日曜日で閉まっていたので、昼食、夕食と同居人に作って貰って食べた。昼食が残り物のご飯があったので、チャーハンにして、夕食は闘牛場から戻ってから、ひやむぎを食べた。つゆには、納豆とキムチが入っていた。つけ合わせに、ラコンと焼ネギ。部屋の中は、風が通らなくて暑かったが、食べ終わって酒を飲んでいるうちに、風が通るようになった。そこで、あるアイデアになるヒントをもらった。1年12か月の花や、それに関連する動物。そういう物が面白いと思った。八月の、芒(ぼう)は、米や麦などイネ科の小穂の鱗片(穎)の先端にある棘状の突起のことだという。二十四節気の芒種は、そういう物の種まきの時期を表しているようだ。それは夏至の前で、今年でいえば6月6日になる。
明治生まれのお祖母ちゃんは、毎年二十四節気や九星、新月や満月、先勝大安など六曜などが載っている暦を観ていた。『京都人の密かな愉しみ』の中でも出ている暦である。日本には中国から伝わった二十四節気ある。12の節気と12の中気に分けられて、重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分は併せて二至二分。重要な節気は立春・立夏・立秋、立冬の四立を併せて八節という。ちなみに『京都人・・・』の主人公、三八子(みやこ)は、さんぱ(3×8)、24で、二十四節気を表し、しかも京都を意味する「都」という音になる。
お祖母ちゃんは、飯を作るのも上手かったし、畑を借りて野菜も作っていた。そして、死んでから判ったが、日蓮宗徒だった。難しい事はいわず、口数の少ない人だったが、抜群に料理の上手い人だった。昔蕎麦屋をやっていたからだろうと思う。話を元に戻せば、12か月、二十四節気、月の満ち欠け、九星、六曜などが、重要なヒントになるような気がする。それをもっと大雑把に、遊びの中に取り入れたのは、花札のようだ。12か月を花に置き換え、それぞれが4枚の札で構成される。花見で一杯、月見で一杯、猪鹿蝶の三色、松に鶴、桜に幕、芒に月、柳に小野道風(この世とあの世を行き来した小野篁の孫で、後に藤原左理、藤原行成と合わせて三跡と称され、和様書道の基礎を築いた人物)、桐に鳳凰の五光などの役などで遊ぶ。子どもの頃の高倉健や藤純子など出たやくざ映画などで観た絵柄だ。任天堂は今はゲームメーカーになっているいるが、元々は花札を売って成長した会社だ。こういう処に、名前のヒントなどあるんだなと思った。改めて考えなおそうと思った。
昨日の闘牛は、ドロレス・アギーレ牧場の牛で、アルベルト・ラメラス、クリスティアン・エスクリバノ、ゴメス・デル・ピラール。ゴメス・デル・ピラールが1番耳に近かった。ホセ・トマスを観た後なので、彼らの闘牛を観ていて改めて感じたことがある。距離が判っていない、と。ここでいう距離は、今まで書いてきた牛と闘牛士の立ち位置という距離ではない。ムレタと牛の角の距離の事である。ホセ・トマスはムレタを振る時に、牛の角とムレタが平行になるように移動させようと振っている。というか、そういうイメージである。パセ・デ・ペチョの時は、ムレタの下半分の処に牛の角が当たっているようだが、それはムレタを跳ね上げるので、かえって美しいパセに見える。
ところが、カポーテでは、牛の角に対して平行に移動することは、物理的に不可能なこと。その物理的に不可能な状態で、牛をコントロールすることを考えるのが、カポーテ技だ。一方、ムレタの時は、闘牛士自身の体を中心点として移動させる時に、ムレタと牛の角の平行移動は物理的に可能である。ホセ・トマスはこれをいつも意識して実践しているように思う。昨日出た3人の闘牛士は、それが出来ないのだ。パセの時、体の前で牛が止まると怖い。怖いから腰が動く、引ける。その時点で、牛の角とムレタは平行ではなくなる。理屈では簡単明瞭なことだが、これを実践することは、容易ではない。当たり前のことを、当たり前にすることが、どれほど大変な事なのか。おそらく、ラス・ベンタス闘牛場のコアな観客は、そのことを痛いほど解っている。だからこそ、良いパセをする為には、クルサードしろとか、手を低くしろだとか、アグアンタールしろとか、いうのだと思う。
牛の進入角度によって、微妙にムレタの角度を調整できるからこそ、エスタドアリオが一歩も動かず6回も繋げるのだ。ムレタを牛の角に対して平行に出して牛を誘うから、牛はホセ・トマスの右足後ろ側にいても、体の前を通り体の後側まで長いパセを通せるのだ。下山さんのFacebook
に、ホセ・トマスの闘牛を称して、自殺者闘牛と書いた人がいるという。それは、失礼だと怒っていた。その気持ちは判る。しかし、ホセ・トマスの闘牛が死んでもいいと思ってやっているように見えたのなら、それは、誉め言葉にもなると思う。あの気迫、あの覚悟が、見る人にそう思わせるなら、それはそれで、凄いことだ。彼ら3人には、そういう物が、見えなかった。そして、彼ら3人だけでなく、これは多くの闘牛士にいえることのように思える。
6月25日(火) 晴 13870
昨日はほぼ終日、細雪。今日もその予定。食事と散歩以外はそうだった。嫌なことは、職場からメールが来たこと。やめて欲しい。昨日昼食は、イカとマッシュルームとあり合わせのベーコンを入れたスパゲッティを作って上に博多ネギのような刻んだネギをかけて食べた。塩分も丁度良かったし、イカの火の入り具合が甘みを引き出すことが出来たと、我ながら自画自賛していた。
夕食は、メルカドへ行って買ってきた牛肉、鶏肉などで焼肉とご飯。同居人との最後の食事になる。彼は仕事をすると、食事時間が合わないので最後になった。THさんから電話があり、急遽アトーチャに迎えに行き、駅近くの店で食事を付き合う。ビールを飲みながら話をした。3日に1度ご飯が食べたくなるといっていた。やはり日本人なんだと思った。Kさんの子供たちも、親が離婚してKさんに育てられたので、一緒に食事した時は、牛丼と寿司を食べていた。子供の頃食べている食は、何処にいても食べたくなる恋しいもの。これは理屈ではない。俺もご飯がなければ生きていけない。メルカドで肉を買ったことがないと、いっていたのには驚いた。スーパーとかで買い物をしているようだ。ホセ・トマスが今年何処でやるか、いろいろ噂がある。下山さん情報やTHさん情報。でもたぶんやらないような気もする。グラナダであれだけ成功したら、もうでなくてもホセ・トマスの価値が下がることはない。THさんは最後の晩なので、会いに来た。今頃はパリについているだろう。
夜中、Oさんが遊びに来て3人で遅くまで飲んでいたので、起きるのが遅くなった。人はそれぞれ、自分が歩くべき人生を歩く。今回のスペインは、サン・イシドロでプエルタ・グランデ5回も出るなど非常に良い闘牛が観れたし、盛り上がった。そして、グラナダのホセ・トマスがハイライト。それにもう一つ、朧げにやろうとしていたことも、始めている。非常に良いスペインだった。今日も終日、細雪の予定。
6月26日(水) 晴 10164
アントニオ・フェレーラが6月22日、24日とバダホスで、インドゥルトした。22日は、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の2014年12月生まれbW9“ヒルゲロ”という名の牛をインドゥルトした。24日は、サルドゥエンド牧場の2015年1月生まれのbP68“フゲテ”という名の牛をインドゥルトした。バダホスのフェリアには、アントニオ・フェレーラだけが3日の祭りの間2日出場して全部で、耳6枚とシンボルとしての尻尾2つを切った。4頭の牛を相手にして、その内の2頭でインドゥルトしたことになる。非常に稀有なケースだと思う。こういう結果を見ると、バダホスへ行っときゃ良かった思ってしまう。が、細雪。サン・イシドロでプエルタ・グランデして、それが自信になったのか、ダイジェスト動画で見ると特に24日のインドゥルトは凄いものだった。闘牛場であれを見たら、コロッと行ってしまいそうな闘牛だった。いやー、明らかに化けてきた気がする。今年闘牛観るならお勧めは、アントニオ・フェレーラ、パコ・ウレニャ、ダビ・デ・ミランダ、パブロ・アグアドということになるだろう。ロカ・レイが観たい人はそうすれば良いと思う。
それとこういう記事を観た。24日バダホスで行われた闘牛で、アントニオ・フェレーラが初めの牛で、22日にバダホスで重傷を負ったバンデリジェーロのハビエル・バルデオロの息子に牛を捧げた。そして、耳2枚切った後は、ハビエル・バルデオロの息子に耳2枚をあげ、場内一周をクアドリージャと一緒にした。ハビエル・バルデオロの息子は、耳2枚を持ちフェレーラの横で笑顔で歩いている写真が載っている。アントニオ・フェレーラは熱い。彼のバンデリジェーロのモントゥリュの父(バレンシアの闘牛場の前には彼の銅像がある)は、92年5月2日にセビージャの闘牛場で牛の角に心臓を一突きされて死亡した。2年か3年前セビージャの出た時(記念日近い日に)、息子のモントゥリュと、闘牛士とバンデリジェーロ二人で異例のバンデリージャ打ちをして喝采を浴びていた。25年以上過ぎても、セビージャの人はそのことを忘れずに覚えていたし、フェレーラは息子で自分のバンデリジェーロに花をもたせるためにそれをやった。そういう人柄だからか、今年プンティジェーロ(第3バンデリジェーロ)に、フェルナンド・サンチェスが入ったのかもしれない。サン・イシドロで、最優秀バンデリジェーロなったフェルナンド・サンチェスは、そういう男気に惚れたのかもしれない。あのプエルタ・グランデ決まった時、牛が倒れた瞬間にフェレーラの3人のバンデリジェーロたちは、同時に両手を上に向けてガッツポーズを作っていた。クーロ・ディアスもそうだが、太腿に角傷を受け動脈静脈が切れているような状態のロマンの為に、直後の牛で、わざわざ医務室前に行って、手術中のロマンに牛を捧げていた。クーロ・ディアスも熱い人だ。パコ・ウレニャのサン・イシドロで、プエルタ・グランデした時、重傷を負って入院していたビクトル・ウーゴに、クアドリージャと共に訪ねていた。俺は、こういう闘牛士たちの熱いへストが好きだ。
昨日から熱波がやってきた。この熱波は、スペインだけではなく、周辺でも起こっていることのようだ。予報で確認できる来週の金曜日まで35度以上が毎日続くようだ。しかし、この熱波の世界から明日、日本へ戻る。東京がどんな天気か判らない。おそらく、梅雨でジメジメした天気になっているのだろうと思う。昨日も終日、細雪。今日もその予定。
6月27日(木) 晴 19181
昨日は終日、細雪とはいかなったが、取りあえず出来た。スペインで、やりたかった1番大きなことが出来たことに満足する。サン・イシドロが観れ、しかも非常に満足できる闘牛の内容だった。観たいものも見れた。それに、ホセ・トマスの完全なる復活も目撃することが出来たので、大満足。充実した日々を過ごせた。マドリードで会った人たち、下山さんやTHさんにも感謝。そして、同居人に感謝。夜中飲みながら話したことが、俺の細雪に繋がった。
さて熱波が来たスペインから、台風が来ている日本へ戻ることにしよう。戻れば、嫌でも日本の日常が待っている。『なつぞら』はどうなったんだろう?
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