−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
2月7日(金) 晴 10388 京都のホテルにて
東京から昼過ぎ、京都へ着いた。ホテルへ向かい、ランチを取り一服して歴彩館へ向かった。そこで資料などを読む。予定していた時間を過ぎたので、ホテルには戻らず、国立近代美術館へ。18時からギャラリートークがあったので、早めに着いて19時まで1時間それを訊いた。それですっかり疲れ果てた。四条まで戻って、それから夕食。餃子が食べたくなって、それを食べた。そしてようやく、21時過ぎにホテルにチェックイン。今日は、酒を飲まなくても寝れそうだ。
バレンシアのファジャスのカルテルが発表になったが、こんな状態なので直ぐには、アップできない。
2月8日(土) 曇 17510
やはり京都は、東京より寒い。そして、心なしか人が少ない気がする。季節的な事よりも、新型コロナウイルスの関係なのだろう。メトロの中は、東京よりマスクが少ない。正徳六年の今日、伊藤若冲が生まれた。裏寺町通の宝蔵寺へ行く。そこで、若冲とその弟子たちの絵が観れた。弟子の絵にも、賛が僧侶によって書かれているものがあって、ビックリした。
昼前に、歴史資料館へ行く。ここで調べ物。腹が減って来て、時計を見たら14時近かった。それで、丸太町通のびっくりドンキーの1階にあるトンカツ屋で、つゆに入った大根おろしのトンカツを食べる。四条の橋は、人が多かった。四条通も人が多い。それでも、外国人が少なくなった気がする。土曜日なので、歴彩館は早く閉まるので、今日は夕食後部屋で本でも読もう。
バレンシアのファジャスのカルテルはアップした。THさんは、バルデモリージョでファン・オルテガを観るようだ。今年初めて闘牛か。スペインも2月の下旬や3月になれば、本格的な闘牛シーズンになる。
2月9日(日) 雪のち曇 13093
朝、ホテルで朝食。外は大粒の雪が降っている。あらためて思うが、雪が降る姿は美しい。外は寒いが、それを温かい室内で眺めるのは、優雅なことだ。贅沢な朝の風情。用意して歴彩館へ向かった。駅までの道も、歴彩館へ向かう道も、白いものがチラついている。寒い京都。生け垣などの木や草に、雪が積もっている。それでも、アスファルト上には積もっていない。
歴彩館では、調べ物。本などを読んで、必要なものをコピーした。昼過ぎになって、近くのトンカツ屋へ行く。1人なのに空いている席が4人掛けのテーブルだけ。贅沢にそこに案内される。頼んだのが、ロースカツの大根おろしぽん酢たれ定食。味噌汁と、刻んだお新香が付いている。添えられていた、千切りキャベツから始めたが、これがみずみずしい。みずみずしいが、水っぽくない。まずトンカツを90度返してみる。薄っすらと肉汁が出ている。赤くはない。食べると甘い。こういう揚げ方が出来るのは、素晴らしい。今度は、トンカツの上にポン酢に入っている、大根おろしを乗せて一口。やっぱり甘い。次に、肉の方に、からしの塗ってぽん酢が染みた大根おろしを乗せて、口の中に入れる。噛みしめて、ご飯がそれを追う。この肉の甘さは何なんだろう。こんなに美味しいトンカツは、なかなか出会えない。
今日で3回目の来店だが、また来たくなる店だ。添えられている薄切りのキュウリと、トマトも、箸休めのようにつまむと美味しい。ドレッシングは、テーブルの上に用意されているが、そんなものをかけなくても美味しいのだ。味噌汁が、赤味噌を使ている処だけが、ちょっとあれだが、あとは素晴らしい。大満足の昼食だった。
歴史資料館では、江戸時代の店にかかげているような、看板のように、戸田東三郎の時計店の資料があった。四条烏丸東入ル長刀鉾町の文字。今の、三井のビルの辺りか、それとも、長刀鉾の会所がある辺りなのか?錦高倉からは、5分もない。間重富との関係や、カラクリ儀右衛門が大坂で、天文学、暦などに興味持ち、京の戸田東三郎の技術を知り、大塩平八郎の乱で焼け出された後に、京にやってきたことが判った。目的をもって、京へ来たことが判ったのは、収穫だ。それと、古義堂の人脈なども整理されつつある。
2月10日(月) 曇/雨 10106
昼食後、『ブラタモリ』に良く出演する京都高低差崖会の梅林秀行風に、「奥東山」の慈照寺(銀閣寺)を遊ぶ。雨中、義政の美の残心を歩き戯れる。中国語よりスペイン語が多く聞こえた。雨に濡れ、形が崩れかかる銀沙灘や石段や石畳の石が、全て銀閣と東求堂という世界を、引き立てているような気になる。東山に登ると、遠景に吉田山が見え、京都御所を隠している。眼下には、寂びた銀閣と東求堂。松に囲まれた錦鏡池が見える。途中に、義政が茶の湯に使ったお茶の井がある。応仁の乱の俗世とは、全く違う世界だ。
隣にある浄土院を観る。大文字焼の寺だ。義政の弟・義視が出家していた寺で、わざわざ還俗させその地に慈照寺を造った。応仁の乱の基になる出来事だ。寂びれた寺だが、8月16日の大文字焼の時は、大勢の人が集まって山に登り、火を灯す。五山送り火で、唯一、一般の人が山に登れる。登って焼けて炭になった赤松を家の入口などに飾って厄除けにするためのようだ。
朝食後は、喫茶店で本を読んでいた。昼食は、インディアンオムライスを食べた。カレー風味のオムライス。玉ねぎの甘さと、鶏肉が良い加減で混ざり、デミグラスソースと福神漬けも丁度良かった。こんな洋食が安く食べれるのも、嬉しい。夕食後は、本を読むか、歴彩館へ行くか、どっちにしようか。
2月11日(火) 晴 12216
9日の満月は、曇っていて観れなかったが、十四夜と十六夜の月は観れた。昨日は眠くなって、酒も飲まずに早く寝た。朝食前に腹が空き、1番で飯を食う。部屋でのんびりし、昼食後、船岡山へ向かう。バス停から歩いて船岡山の入口を入る。建勲神社の参道ではない処から坂道を登る。取りあえず山頂を目指す。京都の街が一望出来るとというが、木や草でそこまでは観れなかった。山頂も途中の処にも、チャートの岩盤が見える。うねるようになっているチャートもある。それから、石仏がある処を探す。
昔、この辺は墓地にもなっていたという。歩き回って見つけた。石仏群の右横に、チャートの岩盤があり、そこには、菩薩なのか、そういう物が彫ってある物を見つけた。『プラタモリ』で観たものだ。山に対する信仰か、仏に対するものなのか?西陣側の方には下に下りる階段がいくつもある。そこを登ってくる親子がいた。母親と、3歳と5歳くらいの子供。道は、チャートの石が出ていたりして、デコボコだ。転んだらしく、幼子の泣き声が聞こえた。近所の人が、散歩に来るところのようだ。窪んだ広場のような処では、子供たちの遊び声が聞こえる。
建勲神社は、明治天皇が造ったが、本能寺の変のあと、秀吉が信長の御霊を祀ったのだという。それが、明治になって神社という形になったようだ。神社でお参り。北大路側の方に下りて、西陣側の方へ歩く。すると、THさんのお父さんがいっていた、船岡温泉があった。思わず入って、風呂を浴びた。湯はそれほど熱くない。ジェット風呂、電気風呂、茶色い薬風呂も露天風呂もサウナもある。ジェットを足の裏に当ててマッサージ。露天は木の風呂で、底がすべる。
欄間が凄いといっていたので、それを観た。男女の更衣室の仕切りにあるものは、ヘルメットかぶって、大砲を操作したりして感心しないが、風呂上がりに牛乳など飲むスペース廊下には素晴らしい彫が施されていた。特に凄いと思ったのは、菊の花。見事だ。梁の角にある彫り物も素晴らしい。見た目では、硬い木に彫っているんじゃないかと思った。番台の婆さんに彫り物が凄いというと、大正十二年のものといっていた。関東大震災の年だ。
靴を入れる下駄箱の木の番号札が、ほとんどない状態で、中も更衣室も混んでいる。老人、子供連れの親子も外人もいる。良いもの観たなぁと思った。喫茶店で一服してメトロまで歩き、夕食のラーメンを食べて帰ってきた。
2月12日(水) 曇 16045
朝食後、嵐山へ向かう。美術館へ行ったら、昨日が祭日で今日は休みだという。ガッカリした。明日なら観れるが、そんな時間がないだろう。仕方がないので、法輪寺へいう。十三参りの処。渡月橋は、元々は法輪寺が造った橋。橋の向こう詰めで、橋の渡賃を取ってお参りさせていた。京都人なら13歳になると、大人の仲間入りをここに来て、祝う風習があるようだ。お参りで、知恵を授かり、渡月橋は渡って帰る時に、後ろを振り向いてはいけないことになっている。後ろを振り向くと、授かった知恵がなくなるのだという。
それから、桂川沿いのそば屋で、そばとミニ天丼を食べた。午後は、歴史資料館へ行った。眠気が強かったので、映像を何本か観た。丸太町の駅を降りて御所と反対側を歩いていたら、タバコを吸える喫茶店があったので、帰りに入った。コーヒーを頼んで、流れている曲を聴いていたら、あれっと思った。曲が終わる頃には、誰が歌っているのか確信した。2曲目は、『欲望』の中に入っている、『コーヒーもう1杯』だった。イントロが流れた瞬間に判った。喫茶店の人に、ボブ・ディランだけかけるのか訊いたら、そうですと、いう。メッチャ嬉しかった。京都だよなと思った。
スカーレット・リベラのバイオリン。エミルー・ハリスの声とディランの声の絡み。そして、ゴスペルや、ジョーン・バエズのデュエットが2曲くらい流れた。かかる曲が全てボブ・ディラン。俺の人生には、こういう喫茶店が必要だ。おかげて、本がドンドン読みすすめる。気分が良い。自分が用意しなくても、ディランだけがかかる。素晴らしい。そろそろ時間で、腹も空いてきたので帰ろうと思ったら、『ナッシュビル・スカイライン』のジョニー・キャッシュのデュエットの『北国の少女』が流れた。もう最高の気分だ。これを聴いたら帰ろうと思った。
店は、蝶々の古い言い方の日本語の名前がついていた。京都来たら、ここに来なきゃと思った。外に出ると、どんよりとした雲だった。夜になると雨が降るらしい。それまでに、夕飯を食べに行こう。
2月13日(木) 曇 16167 東京にて
朝まで降っていた雨が上がり、朝食を取りに出掛けた。朝なのに、暖かい。朝ドラを観て、歴彩館へ向かった。池大雅の事を、調べたかった。しかし、天明の大火などで、資料がないようだ。それは、若冲にしても、戸田旭山にしても、おそらく、応挙にしても無村にしても、同じようなものだと思う。源内のことについても、詳細な資料は残っていないのだから。
しかし、面白いのは池大雅の妻の玉蘭は、祇園社内で茶屋をやっていた処の娘で、冷泉院家に仕えて、歌道をやっていたという。雅なことだ。大雅の絵にも、文章がある絵が多いし、無村と共作しているが、絵だけでなく、そういう部分でも、共鳴している処があったんだと思う。また、古義堂を造った、伊藤仁斎の初めの妻・貞淑は、尾形光琳・乾山の従兄弟だという。やっぱり、何らかの繋がりという物がいろいろありそうだ。
もう時間もないので、後ろ髪を引かれる思いで歴彩館を後にした。昼食は、トンカツ屋。昨日の夜、うどん屋に行ったら休みだった。振られた感じで、ガッカリした。うどん食べた後、青三味を買いたかったが、今日行くには時間がなさすぎる。トンカツは、美味しゅうございました。新幹線で、品川に着き山手線に乗ったら、田端かどこかで、線路内に人がいるので安全確認をするという、アナウンスで電車が動かない。それから、動き出して大崎で始発の電車に乗り換えて座って帰れたのは、ラッキーだった。ラッシュ直前だった。
東京で、タクシー運転手が新型コロナウイルスに感染したニュースが入る。中国人を乗せたことがあると言っているというが、感染ルートは明確ではないようだ。
2月14日(金) 曇/雨 12801
遅く起きてしまい、用意して国会図書館へ行った。直ぐに昼食を食べた。舌平目のチーズ焼き定食。ご飯は、五穀米。それから、源内と戸田旭山、木村蒹葭堂などの関連性を調べる。この辺は、古義堂人脈である。京都では、歴彩館や歴史資料館では、コピーが1枚10円だが、国会図書館では、職員がするので3倍くらいする。つまり、高い。大体の造形が見えてきた。あとは整理して、書き直そうと思う。
新型コロナウイルス関連のニュースは、封じ込め対策から、感染ルートが拡大したので、今後展開が変わって行くことだろう。何処で感染したのか不明なものが、昨日から今日にかけて複数発見されて状況は変わっている。
帰りに、京都でも探していた、いしりがあったので買ってきた。イカの内臓で作った魚醤である。早速、鶏肉に付けて焼いて食べた。ネットとかで買うと非常に高いが、送料もないのでわりかし安かった。それでも、普通の醤油に比べると、かなり高いのだが・・・。
2月15日(土) 曇 8515
朝食はそば。買い物に出掛け、昼食は切り昆布、あまり物のレバニラと鶏肉など。今日は出掛けず、部屋で過ごす。
大河ドラマ『麒麟がくる』で、斎藤道三と明智光秀の処に僧が来て、京の本能寺の種子島の末寺で鉄砲を作っているという話を訊く。僧の名は、日なんとかいったが、当然法華宗の坊主だろう。その僧がいうには、鉄砲を作らせているのは、弓に変わる次の戦道具になると、足利将軍家が動いているという。こういうのが本当に歴史的な事実なら、政権と法華宗が、鉄砲を通じて接近し力を得て行ったのだろうと思う。僧兵を持たない法華宗が、京で力を得ていくのは、こういう背景があるのかと思う。そして、鉄砲の流通ルートは、大坂・堺の港になる。
その後、信長が桶狭間の戦いで、鉄砲の威力を戦国の世に知らしめる。そうすれば、益々堺は栄え、法華宗も栄えるはずだった。本能寺の変がなければ・・・。美術の方で観れば、三代将軍義満が、同朋衆にいろいろな物の目利きをさせ、元・宗からの貿易品を高値を付けて売って財力をつける。八代将軍義政は、そういう物をベースにして、大和絵の土佐派や狩野派の絵師を抱える。雪舟は戦乱の京から今の山口へ移り水墨画を極める。
安土桃山時代、狩野派も長谷川等伯も法華宗だった。琳派始祖、本阿弥光悦も俵屋宗達も法華宗徒だった。歴史を、幕府の臨済宗だけで観る歴史観と、全く違う景色が見えて来る気がする。宗派って、面白いと思う。戦前も法華宗の国柱会などが、日中戦争を始めたりするわけだ・・・。
2月16日(日) 雨/曇 12048
京都でもそうだったが、だいぶ東京でも梅の花が咲き出している。水溜まりを避けて散歩をするのだが、公園などの土の部分は柔らかく、踏み込んだ足が、フニャと少しずれてる滑るような感覚になりよろけそうになる。池の処には、鴨などの鳥が30羽くらい浮いたり泳いだりしている。雨上がりなので、公園には人が少ない。毎年そうだが、共同通信杯の日って、雨か雪が降る。雪が降ると芝のレースがダートに変わったり、馬場が重くなって本命馬が来なくて、荒れたりする。3戦3勝の大本命の武豊のマイラプソディは、後方から進んで、東京の長い最後の直線で外に出したが、先を行く馬には追い付かない。3着争いになるが、デムーロの馬にも追いつけず馬券圏外の4着。1・2着がルメールとミナリクの叩き合いでルメールが勝った。結局1着から3着までの馬券は、3人の外国人騎手だった。共同通信杯は、雨で馬場が悪くなり、難しいレースになることが多いが、それでも2、3、4番人気での決着だった。
野村克也が死んで、いろいろな人がコメントを出している。選手としても監督としても名を成した人。大リーグで活躍する田中将大投手は、野村がいなかったら、大リーグへ行っていなかっただろうし、古田を始め元ヤクルトの選手たちも今はなかったのかもしれない。それでも、あれだけ好きだった阪神タイガースファンを辞めた後だったので、ID野球もあまり記憶にない。それでも、テレビ解説者の頃の野村スコープというホームベース上のストライクゾーンを、9分割して配球の話は面白かった。それが、ヤクルト時代のID野球として開花していくのだろう。
野球を観るのはやめたのは、91年だった。理由は、闘牛を観たら、野球がつまらなく感じたからだ。野球より断然、闘牛の方が燃えるものを感じたからだ。それでも、監督していろんな選手たちに目配りをして、新人を育てたり、再生工場といわれたように、他のチームで解雇された選手を、活躍させた手腕は凄いと思った。京都の田舎の極貧の母子家庭から、テスト生で入団して、工夫に工夫を重ねて戦後初の三冠王なった苦労人が、そういう処に出ているのだと思う。テレビ観ていると涙が出る。高津のように号泣はしないけど・・・。
2月17日(月) 曇 10679
冬なのに、暖かい日が続いている。昨日、競馬の後、カーリング日本選手権女子決勝を観ていた。キリキリするような緊迫した状態が最後まで続いた。ロコ・ソラーレ対中部電力。世界選手権の切符をかけての戦い。オリンピック以降力をつけた中部電力は、スキップを変えて結果が出ている。一方、微妙なミスで中部電力に負け続けていたが、今大会は、予選リーグで負け、決勝トーナメント初戦では勝っている。しかし、どちらも最後まで判らない大接戦だった。どっちに転んでもおかしくない。この試合もそういう展開になった。8エンドまで、4−5で、9エンド最終ショットで、絶体絶命の危機をロコ・ソラーレのスキップの藤沢五月が、ミラクルショットで2点を取って逆転。10エンドで6−6の同点になり、延長。11エンドの最終ショットで藤沢がしっかり決めて、7−6で勝った。
延長の最終ショット前の一投で、中心に置きに行った。チームメイトに、最終ショットで置きに行くのは嫌だといって、その前に置きに行った。そういう状況で、自分の気持ちを仲間にいえるという、チームメイトの仲が上手くいっている証拠だろう。優勝インタビューで、藤沢は、昨日は寝れなくて。自分ひとりじゃ出来なくて、メンバーやコーチや関係者と一つのチームで出来て、本当に感謝します。といって、泣いていた。しびれるような試合を勝ち切ったチームワークを強調していた。それにしても、中部電力も強い。3位の北海道銀行もレベルが上がった。上位4チームが力をつけている。日本のカーリングのレベルは、相当高くなっている。世界選手権も良い成績が残せそうな感じだ。
『麒麟がくる』では、鉄砲を求めて本能寺へ行く。そこで近江の鉄砲鍛冶を探す。つまり、大友が出てくる。将軍家と、三好長慶、松永久秀も、鉄砲を求めている。伊平次という腕利きの鉄砲鍛冶を探し出す。すると、伊平次は子供の頃井戸に落ちた時、明智十兵衛に助けられたという因縁があった。
それにしても、このドラマでは、鉄砲と本能寺が結びついている。京の町は、応仁の乱からの街の荒廃はまだ、戻っていないように描かれている。戦国の世を治め、戦のない平和な国になるためには、群雄割拠でまだまだ時間がかかる。
2月18日(火) 曇 13333
遅めの朝食はパンを食べた。チーズたっぷりのフワフワパンが食べたかったが、なくて仕方がなく、フワフワじゃないチーズパンとカレーパンを食べ、図書館へ行った。そこで、売茶翁の漢詩の訳を読む。タバコが吸いたくなって、喫茶店で読書。
昨日の夕方、何処に行くか目的もなく散歩に出掛け、図書館へ辿り着いた。何気なしに検索をして、本を探した。そして、借りてきたのが、『若冲ワンダフルワールド』『もっと知りたい円山応挙』『いちからわかる円山応挙』の3冊。その中に、応挙が京へ出て来てからのいた場所と年が書かれているものがあった。こういう、単純な物って非常に重要だ。それと、応挙の伝記研究を知る基本情報は、門人で応挙十哲の一人、奥文鳴が応挙没六年後1801年に書いた,『仙斎円山先生伝』と、同じく応挙に学んだ岡村鳳水の『円山応挙伝』1822年だという。
しかし、そこには名を成す前の詳細な年表のような物は、ないようだ。実は、こういう空白があるというのは悪いことではない。その空白を、勝手に創作できるからだ。これは、若冲、大雅、蕪村、蕭白、源内に共通する。その空白が逆に想像力を掻き立てる。妄想が羽ばたく。そして、物語がある。本当の物語がある。が、それは、本当でなくとも、面白い物語があってもいいはずだ。それが、小説になるのだと思う。
日曜日コロンビアのボゴタで行われた闘牛で、アントニオ・フェレーラが耳1枚切ったが、コヒーダされた。ファエナ途中で、右角で右太腿に3カ所の角傷を受けた。20cm15cm4cm。筋肉などの損傷はあるようだが、血管の損傷はないようだ。医務室から出て来て2頭目の牛も相手にした後、病院へ搬送され全身麻酔で、手術を受け入院したようだ。次の2月24日のアンバト(エクアドル)の闘牛に出場出来るかは不明。マドリードの開幕は3月22日からで、サン・イシドロは5月12日からという。終わるのは6月14日になるのではないかと思う。月曜日休みにするのであれば、その1週間後ということもあり得るが・・・。
2月19日(水) 晴 11161
暖かい日差しの中、散歩した。汗が滲む。上着の薄いダウンを脱いで手に持って歩く。池にはやはり、鴨などの鳥が30羽くらいいた。今日は天気が良いので、子供たちや母親たちが多くいた。
美濃の隣の守護、六角家の古文書『六角承禎条書』には、斎藤道三の父親は、京の妙覚寺の僧侶だったと記録されている。それから還俗して、油売りなどして美濃の流れて来て、子の道三の時、土岐家を追い出して美濃を乗っ取った。と記されている。大河『国盗り物語』の原作は司馬遼太郎。この頃の道三像は、油売りから美濃を乗っ取り戦国大名になる。でも、どうやらこれは事実とは違っていた。道三の父と道三が一つになった、物語として語られてきたようだ。道三は油売りなどはしていないのである。
道三は自分の才覚で、美濃一国を手に入れるが、子の義龍の破れ戦死する。娘濃姫を織田信長に嫁がせ、信長に援軍要請したが、負け戦には加担しなかった。道三が信長に最後に送った書状がある。そこには、美濃を信長に譲ると書かれてあった。その書状は、京都の妙覚寺で保管されている。妙覚寺は、道三の父が僧侶をやっていた寺であり、本能寺の変の時、信長の長男信忠が宿にしていた。そこから出兵して自害する。信長は20数回京に来ているが、18回妙覚寺の泊まり、本能寺は3回であるという。道三の菩提寺、常在寺の住職になった日饒は、のちに妙覚寺の住職にもなる。日饒は道三の子だという。本能寺も妙覚寺も、そして常在寺も法華宗の寺である。面白いよなぁこういうの。
鉄砲とも堺とも、結びつく。そして、道三と信長の共通の趣味が茶の湯で、師匠も同じ不住庵梅雪。京で茶の湯の名人といわれていた人だという。道三の真似をして茶の湯を始めたようだ。茶とまで結びつく。石垣の上に天守閣を作る城の作り方は、道三が稲葉山城で初めてやったという。それが、安土城に結びつくのだと、『歴史秘話ヒストリア』でやっていた。また、美江寺を稲葉山城近くへ移動させ、参拝客でにぎわう町にして市場が出来て、城下町が経済的に栄える。この手法を信長が真似をして楽市楽座を城下町に造ったという。勿論、番組では、法華宗の事はやっていないのだが。道三の正室、小見の方は、信長の正室の濃姫の母であり、明智光秀の叔母である。
『麒麟がくる』は、そういう目で見ていると余計に面白く観れる。マムシの道三と、うつけの信長が出会って、戦国の世が動いて行ったようだ。すでに、この大河ドラマには、竹千代で幼い家康も登場している。十兵衛と竹千代が出会っているのも面白いと思う。信長は、道三の死から11年後、美濃、稲葉山城を落とす。城の名を岐阜城と改めて、天下布武を掲げた。
2月20日(木) 曇/晴 13289
朝食はサバの味噌煮と納豆、焼きのりに味噌汁。それから図書館へ行った。売茶翁の漢詩には、迷う心が書かれてある。鴨川近くに茶屋を開き、茶を売る。その日の飯代を稼ぐためにやっている。そして、世間の目も気にしてもいる。が、「今自分が桃源郷にいることに気付いた」とか「一口に飲めば俗世の迷いも永遠に醒めるだろう」などとも書いている。
「生来の逸脱した生き方は世間と相いれず茶を売って生計を立てるのが、私の性分に合っている」とも書き、「世俗の外に気ままに遊んで、是非善悪に囚われない境地にいる」などとも書く。「日常の家業がそのまま禅の体現だと、きわめて明快に説く」とか、「利益や名声を求めたり、文字を弄ぶるような禅風を横目で見て、かの延寿禅師の禅風を慕う。・・・禅と念仏とを共に修行するのは、梅に南北があるようなもの、その一枝の清らかな香りは永遠の未来で漂っている」
売茶翁は、梅が好きなようで、「一輪の梅花は時を超越して咲く」と書いている。弟弟子の大潮元晧は、売茶翁を羨ましいと思っている漢詩を書いている。寺で禅の修行をする自分の身と、京の町で茶を売る売茶翁。そちらの方が、良い暮らしに見えるというような事を書いている。人の生き方は様々だ。絵の画題では、梅も桜も大きな画題である。しかし、若冲が好んだのは、桜ではなく、梅である。そんなことなども考えながら、年老いていく売茶翁は、宝暦五年、茶を売ることを辞める。長年天秤棒を担いて市中を歩き回ったからだろう、腰痛が悪化したからだという。
昨日『ガッテン』で靴下のことをやっていた。洗濯するときは、靴下を裏返して洗濯する。メリットは、生地がいたまず色落ちしない。匂わなくなる。表側が天然素材を使っていて洗濯すると傷みやすい。裏側は、ナイロンなどの人口素材を使っているため傷みにくい。また、裏側に付く汗や角質が、洗濯で落ちやすくなる。靴下の匂いの原因は、この角質などが生地に貼りついて、匂いを出していることが原因だという。裏側にして洗濯をして、干す時も裏側で干すと効果が大きいという。早速、実行しようと思った。
2月21日(金) 晴/曇 12669
食事をして、買い物に出掛けた。歩いていったが、暖かい。これが2月なのかという感じだ。温暖化ってこういう冬になるんだ。夏は、たぶん、メッチャ暑くなるのだろうと、思っている。スーパーで安売りの札を観ると、ついそちらに目が行ってしまう。すると、あれもこれもとなるので、取りあえず今必要な物を買うようにしないと、無駄に買ってしまう。
「絵は応挙が世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵が皆一手になった事じや。これは狩野家の衆がみな下手故のことじや」(上田秋成『胆大小心録』)
江戸中期、上田秋成はこう書いた。狩野派の型が古くなり、応挙が写生する型が流行ったが、これは、狩野派の絵が下手だからと秋成は書いた。狩野派の本流は、江戸に移り、残った京狩野も山楽山雪が亡くなり、これといった画筆の画家が出ていない頃の話だ。尾形光琳以降、京の画壇に、何か新し核が必要だったのだろうと思う。その中心になったのが、教本があり、多くの弟子を持つ円山応挙になった。池大雅でもなく、与謝蕪村でもない。そして、伊藤若冲でもなかったわけだ。
アメリカの景気の良さと、日本の新型コロナウイルス肺炎の問題などで、円安になっている。何処まで、円安になるのか注視しよう。頃合いの良い時に、ユーロを両替しに行かなければならないだろう。フェレーラがサン・イシドロに4回出場という記事が一時出たようだが、それは削除された様だ。パブロ・アグアドは、ベネフィセンシアともう1回サン・イシドロに出場するようだ。フリとポンセは、出場しない可能性が高くなったようだ。いずれにしろ1週間か、10日くらいの間には、サン・イシドロのカルテルが決まりそうだからだ、決まれば、予定を立てる。が、その前に、やることもある。今、図書館へ行って調べていることが、形になれば、準備完了ということになるのだが、はたしていつ出来るのだろう?
2月22日(土) 曇 9141
暖かいが風が強い。低気圧の関係で、強風が吹いている。京都は雨が降って、重馬場になっている。相変わらずルメールは調子が良い。武豊も今日は良い。しかし、今日も落馬事故が起きた。藤田菜七子もそうだが、若い騎手が多い。馬が骨折して落馬して、後続の馬がそれにつまずき落馬して怪我を負う。経験が少ないので、突発的な事象に対応出来ないのだろう。
韓国では、新興宗教団体の信者が新型コロナウイルスに感染して、入院していたが、抜け出して、信者の集まりに無断で出席して、感染が広まったようだ。日本も、感染ルートがハッキリしない感染者が多くいる。北海道から沖縄まで、多くの感染者が確認されている。まだ、感染が確認されていない人が、大勢いるだろうと、いう話もある。大きな会社では、テレワークにして出社させず、自宅で働いたりしている処もあるが、客商売をするサービス業では、そうもいかない。
通勤ラッシュの満員電車で、感染することだってあり得るだろう。受験だってある。就職説明会も中止になって、集団で閉鎖空間に集まることを控える傾向に傾いている。それでも、Jリーグは開幕して、プロ野球のオープン戦も行われている。韓国もそうらしいが、日本も政府の対応への批判の声が大きくなっているようだ。これからどうなるか?
ヒネス・マリンが新しいアポデラードに、オリベンサの興行主のハシントとヘスス・オルティスの兄弟と契約した。また、マヌエル・ディアス、エル・コルドベスが、18年を最後に闘牛士を辞めていたが、復帰するという。あの有名な、エル・コルドベスの息子で、父親の出身地、パルマ・デル・リオで最後の闘牛をしたが、また復帰する。お金が無くなったのだろうかと思ってしまう。
2月23日(日) 晴 11239
朝食後、喫茶店へ行った。そこで、読書をして、帰りにスーパーへ寄って買い物。今日は天気が良い。昨日吹いた風は、気象庁によると春一番だという。あまり冬の寒さを感じないまま、春を迎えようとしている。令和になって初めての天皇誕生日。新型コロナウイルスの関係で、皇居へ人を入れた一般参賀は中止になったが、茶会や、国会議員などが、還暦を祝う宴会の儀が皇居で行われるという。
今年の初めてGTフェブラリーステークスが行われ、1番人気のモズアスコットがルメールを鞍上にして快勝した。2着が最低人気の馬が来て、3着が3番人気の馬だった。2着馬に乗った長岡騎手は、GT初騎乗で、馬連で、3万6千円、ワイドでも万馬券だった。モズアスコットは、芝とダート両方でのGT制覇。矢作調教師は、GT実施機会3連勝。そして、ルメールは今日6勝を上げた。神がかってきた。川田とルメールリーディング争いは続くだろう。
「床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、既に逸品と認めた。若冲の図は大抵精緻(せいち)な色彩ものが多いが、この鶴は世間に気兼(きがね)なしの一筆がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗(のつ)かかっている様子は、甚だ吾意を得て、飄逸(ひょういつ)の趣は、長い嘴(はし)のさきまで籠(こも)っている。」――『草枕』夏目漱石より――
漱石が『草枕』でこう書いた若冲の鶴図は、墨絵のものだろう。そして、精緻な色彩のものが多いと書いてる処が、良く若冲を解っている記述になっているのだと思う。漱石は、新聞記者時代に、絵の評論などを新聞に書いているので、絵に詳しいことが、こういう形で現れているのだと思う。
チャマコが死んだ。チャマコといっても去年、アルルかニームで復帰したチャマコではない。その父親である。同じウエルバの闘牛士リトリも闘牛士の家系で、画家のサルバドール・ダリと一緒に写っている写真などがある。74歳だった。最新情報にも書いたが、去年の9月15日ラス・ベンタス闘牛場で、牛の角に目を突かれたハビエル・コルテスが、5月2日のゴヤ闘牛で復帰するという。2回手術を受けて、眼球は守られたが、シーズン後に3度目の手術をして、視力回復に望みを繋ぐようだ。
2月24日(月) 晴 10141
昼食後、喫茶店に行く。読書して、スーパーへ行き、図書館へ。そこで、コピーを取ってきた。今日は祭日なので、喫茶店は、満席だったし、スーパーも混んでいる気がした。図書館は、午後だったので混んでいるが、学生が多かった。受験勉強なのだろうか?
二三日前から時々咳が出てくる。風邪かもしれないが、人がいる処で、咳をするのもはばかられるような感じだ。新型コロナウイルスの関係で、マスクしている人も多いし、喫茶店でも、図書館でも、咳をしている人が皆無に近いが、そんな処で何回も咳をしていたら顰蹙をかいそうだ。テレビでも連日新型コロナウイルス関連のニュースが初めに来る。スペインへ行こうとしている人が、入国拒否されるのじゃないかと、不安になっているようだ。イタリアでは、感染者が増えて大変そうだが、スペインはそういうものはないと、THさんが言っていた。中国は、全人代の開催を延期した。
これから図書館でコピーしてきたものを読もうと思っている。何やら、気になるようなことが出てくれば面白いと思う。
2月25日(火) 晴 11087
朝食を食べて、テレビを観ていたら、9時にニューヨーク市場で株価が1000ドル下落し、東京は400円下落したとニュースでやっていた。9時7分にテロップに、東京市場1000円下落のニュースが流れた。連休明けに世界的な同時株安状態に突入した。そして、対ドル、対ユーロで、為替も円高に振れている。世界市場が、新型コロナウイルスを懸念している。中国や日本、韓国だけでなく、イタリアやイランでも感染者が増えていて、中東でも多くの国で感染者が発見されている。ヨーロッパ市場は、株価が4%前後下落している。製造業では、自動車だけでなく、他の処でも、中国からの部品などが入らなくなって、生産数が急激に減っているようだ。身近なところでは、100円ショップの一部商品も品薄になっているようだ。
昼食後、コピーの続きを読み、歩いて喫茶店へ向かった。そこで続きを読んだ。確か、歴彩館で読んだ、池大雅夫婦のことで、結婚後何もしていないことを訊いた友人が、結婚とはこういうものだと大雅に話したら、結婚とはそういうものかと大雅がいったという事が書かれてあった。マリー・アントワネットも結婚後に子供が出来ないことを心配した王の父親や叔父が、王に具体的に行為を教え、それで、子供が出来たという話をきいたことがある。昔は、東西でそういう物だったのかもしれないと思う。明和五年に出版された、『平安人物志』には、書家の部に大雅の名があり、妻の玉瀾は画家の部に名前がある。そして、夫婦であるのことが記載されているが、住所が、違うのである。一緒に住んでいなかったのか、それとも、大雅の住所が、生家が書かれてあるようなので、一緒に住んでいても、そっちを記載したものかもしれない。
20代の大雅が、指絵を描いて江戸で評判になった事が書いてあったが、のちにそれは京でも評判になる。元々黄檗宗、萬福寺で、書を披露して神童と絶賛されているので、書家として、『平安人物志』に載っている。明和五年の京では、画家としての評価よりも、書家としての評価が高かったということなのだろうと思う。
夜、新型コロナウイルス関連のニュースをやっているが、株価だけではなく、世界的にパンデミックに向かっているような気になってきた。Jリーグも公式戦は3月15日まで中止を発表し、プロ野球のオープン戦も大相撲も今後どうなるかは、判らない状況になってきた。
2月26日(水) 晴 10607
夜降った雨は、朝には上がっていた。朝ドラを観ながら昨日作ったカレーで朝食。ニューヨーク市場は、879ドル続落した。
ヨーロッパでは、新たに3か国で初の感染者が発見された。イタリア関連である。イタリア北部はすでに封鎖されている。ホテルの受付で働く2人で、イタリア人女性とそのパートナーだという。イタリアもスペインと同じで、挨拶で抱き合って頬にキスをするのだろうから、アジアより感染リスクが高くなるような気もする。東南アジアのどこかの国で、恒例の集団結婚式が行われたが、カップルはマスクをしてキスをしていた。そんなもん、風邪だって簡単にうつってしまうのに、普通の夫婦生活じゃ無理な話だ。
スペインでは、テネリフェのホテルが閉鎖された。イタリア人医師夫婦が感染し、約600人がホテルは封鎖された。イタリアに旅行で行っていた人たちが、続々帰国して病院で検査をしているという。日本は、検査すら出来ていない。国会で野党が政府に、検査体制と強化するようにいっているが、対応できていないのが現状だし、強化できないといっている。検査出来ないってどういうこと?それで、対策出来るのかと思ってしまう。あの3000人以上いたクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスで、14日間閉じ込められた人たちは、1回の検査で陰性が確認されると解放された。その中で、検査していない人が28人いた。ほんとかよ、と思った。それから45人が発熱しているというが、1人しか検査していないという。どういうこと?こういう人の検査もしないで、どうやって対策するのか?初期の頃、中国武漢への渡航歴とか条件を満たしていないと、検査できなかったが、要は検査体制が出来ていなかっただけだろうと思う。世界最高水準の医療体制とかいっているけど、検査すらできないで、そんなこといっているのが、そもそもおかしい。
曖昧さがそこかしこに存在する。「そこは、いわなくてもわかるでしょう」と、いう事のようだ。とはいえ、スペインでもバラッハス空港を降りても、イタリアからの帰国便の乗客への体温検査とかしていないみたい。日本と同じなんだろうと思う。たぶんこうやって、新型コロナウイルスの感染は広がって行くのだろう。それでも、スペインでは検査を受けれるようなのだが・・・。そろそろ薬が少なくなってきたので、病院へ行かなければならない。処方箋をいつもの倍くらいにしてもらおうと思う。何故なら、病院での感染の確率がだんだん高くなっているような気がするからだ。
北海道は、公立の小中学校の全校休校し、私立にも休校要請をしたという。ラグビー、トップリーグも第7節、第8節の中止を発表、大相撲も中止ないし無観客での開催を検討し、プロ野球では、巨人がドームでの無観客試合を発表し、他球団に対して、無観客試合を要求している。安倍首相は、今後2週間のスポーツ、文化イベントの中止延期を要請したようだ。もう新型コロナウイルスの一色になりつつある。しかし、政府のずさんさは、新型コロナウイルス対応だけではないのだが・・・。東京都は、都立の学校での登校時間を遅くしたり、春休みの前倒しを実施する。
結衣さん、8月のベジエ(フランス)のセバスティアン・カステージャの闘牛を観に行こうとしているが、行けるだろうか心配している。もし行けないのなら、その時は、オリンピックも中止になっているだろうと思う。
2月27日(木) 晴 10552
朝食は今日もカレー。今日は天気が良いが、風が冷たい。昨日の日経平均は、昨日179円続落した。ニューヨーク市場も、123ドル続落した。開始直後は、300ドル以上値上がりしたが、終値は3日続けての続落だった。開けた東京市場の日経平均は、一時22000円を割れて、500円以上下落している。南米などでも、感染者が確認された国がある。中国の新しい感染者数より、世界の新しい感染者数が上回ったという。
昨日の国会で、政府の検査体制の批判が出て、野党が検査体制強化の立法を提出するようだ。日本医師会は、保健所などの検査体制の問題点の発見、洗い出しを行うことで動き出した。そして、来週中にも、検査に保険が適用されるよう政府が動き出したようだ。
今日明日の大井競馬は、無観客での開催をし、佐賀競馬も当面の間、無観客での開催をすることを発表した。JRAは、指定席のネット販売を停止した。29日から当面の間、無観客での開催をする。プロ野球オープン戦は、3月15日までの全72試合は全て無観客での開催をすることを発表した。今日行こうと思っていた、東京国立博物館は、今日から3月16日まで、臨時休館を決定した。3月19日からの春の選抜高校野球は4日に結論を出す模様。
『花鳥・山水画を読み解く』を読んでいたが、どうも、山水画の方は面白くない。そこで、花鳥の方を読みだしたら、もうワクワクする。やっぱり、こっちが大事だとあらためて感じた。文人画じゃなくて、花鳥画だ。吉祥の意を持つ文様が、花鳥画の画題になっている。
「装飾に用いられる文様についてみれば、古代の装飾文様の意味は考古学における重要なテーマであり、これまでも優れた考察が重ねられてきた。鳳凰、龍、虎などさまざまな動物が造形され、文様となる。その時、そこにはなんらかの好ましい意味、持ち主に幸いをもたらす意味が想定される。」
2月28日(金) 晴/曇 10067
ニューヨーク市場の株価は、1190ドル続落。下げ率は、4.4%。史上最高の値下がりになった。東京市場も一時1000円の下げ幅を記録し、終値は、805円の続落で、下げ率は、3.67%だった。為替は、ドルが、108円台で、ユーロは、119円台で、円高になっている。
昨日の夕方、安倍首相は、3月2日より、全国の小中学校高校の春休みまでの休校を要請した。北海道と千葉県市川市は、生徒や、教職員が、感染したり、感染場所に出入りしていたため、小中学校の休校を決定したが、新型コロナウイルスの感染が確認されていない処も休校の要請をした。これを、英断と、元大阪府知事の橋下徹のような人もいれば、そんなの無理という人もいる。
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、全国の学校休校の議論はなかったという。安倍首相などが政治判断したようだ。医療関係者の中でも、賛否両論分かれているようだ。児童の親たちは、大慌てのようだ。学校関係者も文部省もそうだし、知事や市長も憤りを感じていることを記者会見でいっている人もいる。共稼ぎの親たちは、休んで子供の面倒を見なければならいよう。特に、小学校低学年の子供をもつ親は調整などに頭を悩ませているようだ。教員などからは、期末テストしていないので、成績がつけられないと、嘆きもあれば、生徒たちからは、もっと学校へ行きたいという希望も出ている。
今日になって、休校は、各校、地域によって柔軟にと、安倍首相がいったようだ。いずれにしろ、ドタバタ劇は続くだろうし、混乱は続く。この慌てようは、日本中に混乱を招くだろう。いまだに、検査体制は整っていないようだし、休校の法的根拠もないようだし、仕事を休んだ時の補償などの問題もあるようだ。
明日から、東京ディズニーランド・ディズニーシー、USJも休園する。15時頃、普段はすいているスーパーは物凄く混んでいた。違うスーパーはそうでもなかったが。何か、こういう状況になったら、病院が混みそうだと思った。平日とか関係なく、人が一杯来そうで嫌だなぁ。
「杜甫が「時に感じて花にも涙を濺(そそ)ぎ、別れを恨みて鳥にも心を驚かす」(「春望」)と詠った、花と鳥は自然のなかの生きとし生けるものの代表であり、心情を託す友のような存在であった。「花」と「鳥」は、不変の山河のなかで巡り来る命の時である春の只中に、自然から遣わされた使者のように詩人の眼前に存在していた。」 ――『花鳥・山水画を読み解く』宮崎法子――
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