断腸亭日常日記 2019年 8月9月

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


 8月23日(金) 曇/雨 11073

 今日も遅く起き、朝食はそうめん。それから、細雪。始めからチェックしなおし、進めている。テルシオが終わり、もう直ぐ4割というとことまで来た。しかし、予定の対してそれくらいの進捗状況だが、もうすでに、ほとんどネタが尽きたような状況になっているような気がする。こういう気分を晴らしてくれるのものないだろうか?少なくても今日のような天気ではない。

 資料読んだり、何かをして発想を変える必要もあるかもしれない。月鉾には、応挙の絵と左甚五郎が彫った兎、鯉山にも、左甚五郎が彫った鯉があるという。面白いなと思った。


 8月24日(土) 曇/晴 11889

 遅めに起きて朝食は、カツカレー。朝からである。胃にもたれなければ良いけど。細雪。また迷いが出た。どうしたものか。難しいもんだなと、散歩に出かける。神社では出店が出ていたので、お祭りのようだ。子供たちは、何故出店に集まるのだろう。自分の子供の頃を思い出すと、何かに夢中になっていたことを思い出す。本来祭りは神聖なものだが、俗世の煩悩の方が、直接的に表に出てきやすい装置が、祭りでもある。京都の最後の方もそうだったが、東京でも蝉しぐれがまだ続いているが、道端にはだいぶ蝉が落ちている。1週間という短い地上の命が燃え尽きている。その前にやることをやっているはずだ。

 録画していた、『チコちゃんに𠮟られる』『美の壺』「未知への扉 図鑑」の2つを観る。応挙の幽霊が、チコちゃんで出てきた。美の壺は図鑑。牧野富太郎が作った、日本初めて植物図鑑が紹介されていた。良いヒントを貰ったと思った。ところで、いつも思うが、『美の壺』ってなんてセンスの良い音楽をかけるんだろう。セロニアス・モンクに、ベニー・グッドマン。そして、トム・ウェイツ。音楽聴いているだけで、心地よいのに、映像と一緒だとさらに、心地よい。


 8月25日(日) 曇 12077

 雨が降って秋の兆しを感じるようになってきた。蝉の声が、虫の音にかわることには、どうなっているのか?マドリードのオトーニョのカルテルが発表され、アントニオ・フェレーラがウニコをやり、パコ・ウレニャがペレラとのマノ・ア・マノが決まった。パコ・ウレニャがビルバオで耳4枚。THさん良いの観たよな。

 東京オリンピックを目指す、スケートボード堀米雄斗の番組をやっていた。大会の度に、新しい技を考えて作り出し出場していた。いつもそこに留まるのではなく、先に進もうと、攻める気持ちで練習をしている。ああいう世界でも、守るという気持ちではやってられないのだろうと思った。失敗しても、練習を繰り返す。当たり前のことだが、それが重要だ。若冲も紅葉の一枚一枚に色の濃淡を変えて、600枚近い葉っぱを描いたという。根気も必要だし・・・。などと考えながら、落ち着け、落ち着けと、自分自身に言い聞かせながら、作業をしている。


 8月26日(月) 曇/雨 11439

 朝起きてそうめん。納豆とメカブ、大根おろしなどで食す。作業しようと机に向かうが寝不足で、眠かったので横になる。それから、作業を始めた。いろいろ引っ掛かる処があり、順調に進んでいるわけではないが、予定の4割が終わり、5割に向けて作業中。

 週明け銀行に行くのを忘れたが、まだ金があったのでそれでしのぎ、昼食は作るのが面倒なのと他で、ファミレスまで歩いて行き取った。炭酸水やコーヒーなど飲みながら、狩野博幸の文章を読んでいた。いわゆる石摺とも拓版画ともいわれる物を明和の頃に作品にしている。どうやら、一緒に暮らして妹が石摺絵を作って売っていて、それを面白いと思って若冲も始めたようだ。それが、墨一色から色摺版画にかわって行ったという。この妹は、実妹なのか義妹なのかは書いていない。文脈から考えると、義妹のような気がするのだが・・・。彩色の部分は型紙による合羽摺をつかっていて、霧吹きも併用しているという。友禅の技法をつかったようだ。

 『日曜美術館』で、原三渓をやっていた。横浜美術館でやっている、原三渓展にちなんでいるのだろう。莫大なコレクションを所有し、明治の頃、新しく日本画志す大観などの若者に、そのコレクションを見せてお互いに意見交換をし作画の参考にしていたという。一度三渓園に行ってみたいと思っているが、そこに移築した建物にコレクションを収納する蔵があった。その名前が、国華という。それを訊いて、わぁーと思った。国華は、明治初期から続く美術雑誌。今でも刊行されている世界で一番長い雑誌のようだ。美術関連で、出てくるのが、この国華。何年の何号に、こういう記事があった。というように出てくる。今どこにあるか所在不明の絵も、そうやって写真入りで掲載された記録としてあるようだ。その雑誌と同じ名前をコレクションした蔵の名前にする。凄いもんだと思った。


 8月27日(火) 曇 11071

 雨も降った事もあって、昨日は日中も涼しく、夜もぐっと気温が下がって、今日も涼しさが続いている。

 あと1枚、あと1枚と、少しずつしか進まない状態になっている。それでも進んでいることに、喜びを感じるしかない。

 録画していた『なつぞら』を観ていたら面白いことをいっていた。「 一久 それは、あり得ないことを、本当のように描くこと。別な言い方をすれば、あり得ないことのように見せて、本当を描くこと、ですね。 なつ あり得ないことのように見せて、本当を描くこと。 一久 そう思います。 なつ うーん。そうか、あり得ないことも、本当のように描くこと。有り得ないように見せて、本当を描くこと。どんなにあり得ないことも、ホントらしく見せる動きが、大きなウソから真実を描きだす。それを出来のは、アニメーションしかない。 一久 腑に落ちましたか? なつ はい。落ちました。」

 風太郎と同じだ。「あり得ないことを、本当のように描くこと。別な言い方をすれば、あり得ないことのように見せて、本当を描くこと」


 8月28日(水) 雨/曇 11144

 遅めに起きてそうめんをガスパチョをつゆにして食す。美味なり。残ったガスパチョを飲み干す。夏にそうめんを食べる時、いつも同じだと飽きるので、薬味を変えたりするが、ガスパチョをつゆにして食べるのは、清涼感があっていい。醤油ベースのつゆも勿論旨いが、変わったもので食べたいと思ったら、ガスパチョはインパクトがある。こんなことして食べる人間は、あまりいないだろうが、細雪しながら考えた食べ方。

 弟が録画したBLで、若冲と応挙のものを見た。ちょっとしたショックを受けた。枡源の四条寄りの処に隠居してして住んでいた若冲。おそらく、帯屋町の町年寄をしていた家をiいっているのだろうと思う場所から応挙が絵師として居を構えたところまでは、歩いて2分半。富小路よりも近い場所。京都は、伝手(つて)のあるなしで、物事が上手く進むか、進まないかが決まってくる。

 相国寺にある若冲の墓は、51歳の時に建てたという。生前のもの。左から定家、義政、若冲と3つ横に並んでいた。これ若冲が墓を建てた時に、こういう処にあったのだろうか?のちに、こういう並びに変えたのではないかと思う。定家は、百人一首の編者。しかし、相国寺が出来る前に没している。冷泉家が、相国寺のすぐ近くにある関係で、のちに、墓が建てられたと考えるのが普通だろう。義政は相国寺塔頭・銀閣寺を造った将軍。若冲は、明治時代、廃仏毀釈で傾きかけた相国寺を、『動植綵絵』を明治天皇が買い上げることによって、救った。

 応挙の『牡丹孔雀図』(相国寺蔵)には、若冲のように裏彩色が施されているという。芸大の応挙展の図録には、そんなこと書いていなかった。こういう情報は、グッと来る。背中を押されているような気がする。ようやく、予定の半分になった。見直ししながら進めよう。


 8月29日(木) 曇時々晴 10169

 遅めに起きて、スーパーで買い物。ガスパチョでそうめんを食す。青ネギを入れ、鴨肉をつまむ。来年スペインに行ったら、ガスパチョそうめんの美味しいだべ方を工夫しよう。京都へ行った時は、ほとんど、西は室町通、東は木屋町通、南は四条通、北は御池通くらいまでを歩いた。錦小路通を中心に、どうなっているのかを、感じたかったからだ。だから、出来るだけ、同じところで食事をせずに、昼夜は、歩いて探した。今時、食ナビとかみずに、歩き回るのもおかしいのかもしれないが、出来るだけ歩くことにしたのは、街並みなどを覚えることと、歩くことで感じれることがあると思ったからだった。

 資料館や歴彩館へ行く時は、バスや電車を使った。なにせ物凄く暑かったので、出来るだけ昼間は歩きたくなかった。昼食時は仕方ないので歩いたが、夕食は涼しくなってから動くようにした。東京の国会図書館では、本をコピーするときは凄く高いが、京都は1枚10円と安かったのは、嬉しかった。来ている人は、寝ている人もいたが、神道のなんとかいう宗派?の物を調べている人がいたり、結構レアな人がいた。

 錦小路通室町上がるにある、京都芸術センター。これが明倫小学校がほぼそのまま保存されている建物で、明治2年開校。石門心学の明倫館から名前を取った、日本初めて学区制小学校(京都では番組小学校)で、64あったうちの1つ。建物は昭和6年の物。江戸から明治になって、天皇が東京へ移り、同時に公家も移った為、京都の人口が激減した。京都復興の町おこしプロジェクトとして、全ての子供が通え学べる小学校教育システムが作られたという。京都歴史博物館も番組小学校の旧開智小学校だったという。

 その廊下の奥にあった喫茶店。字体があれで、前日珈琲だと思っていたら、日ではなく真ん中の星が上下左右に尖っていて、前田珈琲という名前だった。そこで、赤味噌オムハヤシライスを食べた。歴史博物館では、何かイベントをやっていたが、多くの人が来ていた。京都は文化という物を大切にするんだと思った。6割に向かって進んでいる。


 8月30日(金) 曇 8120

 曇っていて涼しい。水曜日は34度くらいあったが、昨日今日と涼しさを感じる。遅めに起きて、ファミレスでランチの朝食。食べて直ぐに部屋に戻り細雪。昨日は、あまり進まなかったが、祇園祭の寄町を調べたり、国会図書館のウエッブサイトで、本を読んでいた。それで、辻つまが合うように、出来ることを発見して、それを形にしている。

 何やら、面白いものになりそうだ。9月10日前に出来れば、京都へまた行こうと思っているが、どうなるか?片山先生に、読んでもらいたいと思っているが、それもそうなるか判らない。コツコツというのは、なかなかしんどいが、楽しんでやっている。


 8月31日(土) 曇 11358

 暑い日になった。時々無性に食べたくなるものがある。カップ麺の塩焼きそばだ。高くて美味しいものはいっぱいあるだろうが、そういうものではなく、そんなものが食べたくなる。100円ちょっとで買えるような、それが恋しくなって昨日食べた。何かホッとした。自分では、なかなか進まないような気になっている。それでも、もう直ぐ6割のところまで来た。宵山から始まっているのに、まだ宵山の夜。ようやく、山鉾巡行が見えてきた。

 パコ・ウレニャがパレンシアで、大怪我をした。右太腿に25cmの角傷を負う重傷。この時期は、怪我をする。確か、ロカ・レイも怪我でテンポラーダを切った。


 9月1日(日) 曇 10183

 起きて、朝食を取って、近くの図書館へ行った。調べたら、調べたいものがあったからだ。昼過ぎに着いて、登録して本を観た。そして、コピー。あってよかった!

 つまずいている。今まで義妹としてやってきたことが、それが違うということが判った。資料などを読んで、ネットでも資料になるものを読んでいた。そうしたら、問題点があることに気づいた。若冲が晩年、石峯寺門前で暮らしていた。一緒にいたのは、義妹だと何かに書いていたと、記憶する。それに合わせて作業していたが、どうやらこれは、義妹ではなく、1番下の妹のようなのだ。そこに書いていた名前が、真寂。あれっと、思った。京都で、兄弟の名前を観た。4人兄弟で、1番下が妹だった。メモを取っていなかっただろうか?と、メモを観たら、真寂と書いてあった。3つ下の家督を譲った弟が、宗厳。その下が、宗寂。その下が妹。いくつ離れているのか判らない。史実というか、事実というか、そういう物を全く無視して物語ると、いうことも出来るだろうが、それでは、面白くない。知ってしまった以上は、辻つまを合わせなければ、「あり得ないことを、本当のように描くこと。別な言い方をすれば、あり得ないことのように見せて、本当を描くこと」ことは、出来ないのではと、思うのだ。

 何と調べたら、1番下の弟、宗寂の妻の名前が、寂真禅尼で、どうやら、義妹である寂真が、晩年の若冲の世話をしていていたという確証が得られた。伊藤家過去帳にそう書かれているという。つまり、兄妹4人のことを書いていた物に、義妹ではなく、妹と書いていた名前と、石峯寺で同居していた妹の名前が、ほぼ同じ(字が逆になっている)だったために混乱したようだ。ただ若冲の2年前に死んでいるので、看取った訳ではない。しかし、問題がある。年が若すぎるのだ。少なくてもあと5歳年を取ってなければ・・・。これは、重要な問題になった。どうするか、頭を柔らかくして考えよう。

 ただ図書館で調べ確認したいことがある。それをしないと落ち着かない。競馬が終わったので、取りあえずコピーしたものを今読んでいる。


 9月2日(月) 曇/晴 9802

 早く寝たので、早く目覚めた。カツサンドが食べたくなって、コンビニに行って買ってきた。サラダを作り、スペインで買って来ておいた、ビネガーにえごま油をかけ、チーズとカニカマを入れ食べる。そして、カツサンド。午前中は、義妹の年齢問題を書き換える。睡魔が襲い、昼寝する。それから、ファミレスへ行き、ラム肉を食べる。

 そこで、若冲の、『動植綵絵』の解説を読む。所蔵している三の丸尚蔵館の『動植綵絵』の責任者、太田彩のもの。2012年までに、『動植綵絵』の修復と調査をやった時の責任者でもある。それと、『応挙の力、芦雪の奇』金子信久を読んだ。昨日読んだ、『伊藤若冲 生涯と画業』岡田秀之のものは、伊藤家菩提寺の宝蔵寺の過去帳を調べて書かれてあるので、非常に参考になった。これに基づいて手直しをした。これから、続きをしようと思う。


 9月3日(火) 曇/雨 10810

 朝早めに起きて、朝食は、野菜ジュースにカツサンド。作業したいが出来ない。それというのも、夜読んでいた本に、問題点を発見した。頭が回らない。昼寝をして、その辺の物をつまんた。やっぱり、机に向かっていても、煮詰まるばかり。それで、傘を持って散歩に出掛ける。歩きながら考えた。たぶん、このスピードが良いのだと思う。自分の肉体で歩き、その頭で考える。これが、自転車や自動車、電車では上手く行かないような気がする。

 物語の流れは良い。話の筋も動きがあって良いと思う。問題は、そこに登場する人が、そういう行いをするはずがないというのが、本を読んできて感じた問題点だ。登場させたその人間の師匠が、体が弱いのに、夏は日陰を人に譲り日向を歩き、冬は、日向を人に譲り日陰を歩くような人物で、トイレに行けば、小便をしてから大便の便所に行くという。何故なら、百姓が取りに来た時に、混ざっていると汲み取り難いだろうといったという。江戸時代、汲み取り式の便所が、小便用と大便用に別れていたという事のようだが、そうしたら、女は小便用の便器と大便用の便が2つあったという事か?などと別のことを考えてしまうが、要は、人に気を使う。そういうディテールの処から考えないと、商売は上手くいかないという事なのだろう。そして、その弟子がまた、鼻紙を1度使うと、それを乾かし、何度も使う倹約家となっている。そういう人間が、ぱっと会った人間に奢ったりするはずがないというのが、問題点だ。

 さて、歩きながら考えた。この章を一旦止めておいて、次を書いて行こうか。それとも、全面的に書き換えて進めるか。それとも、寄町の金で奢ることにしようか。それでもどうしても、それ以上に、はみ出る部分がある。それは、どうしたもんか?と、歩きながら考えた。一旦止めて次に進むのも、何やら落ち着かない気がする。書き換えて、今以上に面白くなるのかということもある。はみ出る部分はどう考えれば良いのか?

 弟が録画していた、京都の番組があってそれを観ていた。客の来ない老舗が身売りして、悪い立地に店を出店して、繁盛店をドンドン出している処が、買い取った。社長は、京都の生まれ。再生の夢を一緒に観るように従業員に語る。そして、調理長を三ツ星の日本料理へ、修行に出す。修行中、三ツ星の板長の、テストを受けるが途中で止める。部屋へカメラが付いて行って、訳を訊く。あんなこといいたくなかった。でも、あいつには、お客さんの顔が見えてないようだ。お客さんに喜んで貰おうとか、どうしたら、喜んでくれるだろうか。お客さんの顔が見えてない。と、残念がっていた。

 お客の顔が、たぶん、風太郎には見えたと思う。俺にはそれが見えない。見えないながらも、それを感じてやって行かないければと思った。おそらく、書いた筋で、はみ出る処は、祭りという装置で純化させるしかないような気がした。そこを、深くしようとすると、墓穴を掘る。それが、今出来る最良の方法のような気がした。


 9月4日(水) 曇/雨 9866

 遅く起きトマトジュースを飲み、ファミレスでランチ。今日は曇っていて涼しい。食後、資料など読んで過ごす。若冲が色彩感覚に優れていたことは、『動植綵絵』を観れば判るが、その調査では、顔料の岩絵具の調査で、目に見えないレベルの、0.1ミリの顔料を筆先に着けて点描していることが判った。印象派に先立つこと、約100年。色を混ぜる方法ではなく、点描することによって、色がどう見えるかを考えていた。

 そして、同時期京都には、いろいろな人間がいたが、絵とは全く関係のないような本居宣長が、医学修行でいたことも分かっている。彼は京都の祭事を良く観て歩いたようで、大文字焼きの記述も日記に残しているという。それによると、大文字の点火18時56分頃ではないかと推察されるという。三条大橋で観ていて、19時16分頃まばらに消えていったという。そこから割り出せば、20分前に大文字の点火時間が推定されるのだという。当時の日の入りが18時46分。当時の月が20時6分頃に、東山からのぞいたことが、京都市の標高や国立天文台の公開数値から計算できるという。日の入り後、薄暮の状態で大文字が浮き出ていたようだ。今のように、暗闇の中ではなかったと、いうことのようだ。

 ファミレスからの帰りは、肌寒いくらいで、小雨も降っていた。章で6割が過ぎ、枚数で予定の7割近くまで進んだ。いよいよ山鉾巡行だ。


 9月5日(木) 曇 10995

 早く寝たら、夜も明けないうちに目が覚めた。それで朝食を取って、録画していた『落語ディーパ―!』「怪談 牡丹灯籠」を観た。カランコロンという下駄の音は、三遊亭円朝が創作した、『牡丹灯籠』から来ていることを初めて知る。どちらかというと、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌のイメージが強いのだが、実は違っていた。岩波の文庫で約300ページある噺を、15日に分けて高座にかけていたという。つまり、15回に噺を分けて演じたという。それを、演じる方も凄いが、聞く客の方も凄い。などと思いながら、良い話をきいたと思った。

 何故なら、今やっているのが同じような事だからだ。落語家が高座に上がり、1つの話を10回に分けて、10日間話す設定にしているからだ。こんな事を考える馬鹿は、なかなかいないだろうと思ってやっていたが、同じことを円朝がやっていることを知って、背中を押された気になった。『牡丹灯籠』を円朝が作ったのが、22・23歳だという。この人、やっぱり天才だ。円朝が創作した落語は、今やいくつも古典落語になっている。約120・30年経っても、話が残り、語られている。


 9月6日(金) 晴 9322

 朝散歩に出た時は、涼しかったが、日が昇ってきたら暑さがぶり返したような感じの暑さになった。こういう天気が何日か続くようだ。良く行っていたファミレスが、9月から禁煙になったので、もうそこに行くのはやめて、ちゃんとした処に9月から行っている。いつも飲むのが、炭酸水。これが夏は良い。不味いという人が、多いのかもしれないが、スペインで胃潰瘍になって、酒もタバコもコーヒーも取れなかった時に、お茶だけ飲んでいて、それに飽きて飲み始めた。それからだから、もう20年以上飲んでいる。酒に入れて、ハイポールにする人もいるのだろうが、それはやらない。酒も、炭酸水ももったいないような気になるからだ。

 太田彩の解説にも、佐藤康弘の『若冲伝』にも書いているが、親戚の西陣の染織職人、金田忠兵衛の名前が出てくる。この人から、石摺の話などが出てくるようだ。京都行って調べていた時、資料出してくれる人たちも、何かの研究をやっているような人たちで、この分野でこれをやっている人は、2人くらいしか知りませんとか、いわれた。美術史家は、決して歴史家ではないし、歴史家は、美術史家ではないことを知った。7割を超えた。


 9月7日(土) 晴 10459

 夜も明けないうちから起きて細雪。散歩して、朝食をファミレスで取って、『十八世紀京都画壇』の、池大雅、応挙、若冲を読み返す。なるほど、読み返すと、良いアイデアが浮かんだ。それを確かめるべく、最初から読み直す。何か、行き詰まり感があったが、読み返してみると、かなり良い感触だ。今日は土曜日。しかし、競馬などやらず、細雪。明日までには何とかしたいが、そうは、問屋が卸すまい。それでも、目途が立てば、9日に京都へ行けるかもしれない。


 9月8日(日) 晴のち雨 10663

 夜も明けないうち起きて細雪。散歩して途中ラジオ体操をやっていたので、ちょっとだけ参加して戻って来て、牛乳を飲む。シャワーを浴びて、炭酸水を飲む。そして、ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』を聴く。実に良い気分だ。それから、洗濯をする。

 『ブラタモリ』は、京都御所だった。何故、御所は今の場所になったのか?平安京が出来た時の大内裏は、広すぎて住みにくかった。それで約200回以上引っ越しをしていたという。全てが左京だった。右京に住まなかった理由は、天井川があってしょっちゅう氾濫していたからだという。右京には田畑が広がり、左京には、人が住んだという。一方、左京にある鴨川。これも氾濫を繰り返したが、14世紀ごろ河岸段丘が出来て氾濫がおさまった。それで出来たのが、今の京都御所。鴨川から3キロの御所用水を引いて防火用水にした。その名残が、相国寺の中にも残っている。

 相国寺の坊さんの説明だと、昭和10年に御所用水が枯れて、今は流れていないという。御所の中にもその痕跡が残っている。いつもは、縁を観ている『ブラタモリ』。ど真ん中でも、面白いといっていた。最後に訪ねたのが、冷泉家。部屋の中に飾られていたのは、5月の節句の時のもの。日本の薬草を飾って、厄払いをするといっていたが、それは、菖蒲とヨモギだった。実に面白いと思った。もう直ぐ8割を超える。目途がたった。台風が来ているが、明日から京都へ行こうと思う。新幹線が動いていればだが・・・。


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