−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
9月9日(月) 雨のち晴 13508 京都のホテルにて
台風のため、強風が吹いていた。JR、私鉄は計画運休のような状態で、8時まで運行しないことを発表していた。千葉では風速57.5メートルを記録したという。京都行きの新幹線も暴風の為、運転を見合わせた。山手線は、品川と大崎の間で、倒木があり、運転が遅れた。月曜日の朝のラッシュ時に、電車が動いてなくて大混乱の東京。山手線の動き出して、落ち着いてから部屋を出て、新幹線の切符を買って京都へ来た。
夕方前に京都到着。ホテルも道中で予約を入れて、チャックイン。東京も台風一過で、暑かったが、京都も暑い。これじゃ8月に来た時と同じだ。もうちょっと涼しくなっているかと思ったが・・・。それでも、細雪の目途がついたので、明日の若冲忌に行ける。
9月10日(火) 曇り時々晴 9101
朝、『なつぞら』を観る。ロケハンで、十勝に行く。それは、テレビのアニメーションを作るための取材で、なつたちは爺ちゃんがいる牧場を訪ねる。先日の『日曜美術館』で、高畑勲が、『アルプスの少女ハイジ』を作る時に、ロケハンでスイスを訪ねたのに、似ていると思って観ていた。今京都にいるのも、同じようなものだけど・・・。そこで、爺さんは、両親が早く死んで、親戚に預けられて、育ったことを知る。だから、なつが、戦災孤児で牧場に来た時に、自分の幼い頃の境遇を重ねていたんだということが判る。だから、自分の孫のように可愛がったのだ。
昨日の夜、祇園祭の御旅所の前を通った。そこに、冠者殿社というのがあった。秀吉の時代に、御旅所と共に、この地に移転したのだという。祇園社(八坂神社)と同じ御祭神だが、ここに、荒魂を祀っている。荒魂とは、和魂(にぎみたま)と対を成す。神霊のおだやかな働きを和魂、猛々しいはたらきを荒魂という。本社に和魂を、荒魂は別に社殿を設け祭るという例が多いのだという。
日本では、こういう風に、荒魂と和魂の2つでバランスを取って祭る風習がある。祇園社のご神体は、牛頭天王。本地が素戔男尊(スサノオノミコト)。本来、スサノオノミコトは、代表的な荒魂である。それをご神体にしたことによって、和魂にして、別社に荒魂を祭ったという事なのだろう。日本ってこういう形が好きだ。そういう風にしてでも、バランスを取りたがるのだ。
朝食後、深草の石峯寺へ向かった。今日は、若冲忌。若冲の縁者の人たちなのか、中には研究者もいたようだ。そして、一般の人も。30人くらいの集まりで、しめやかに行われた。焼香をしてきた。墓の前でも、焼香。それから、寺の一室に、若冲の墨絵が飾られていて、それを観てきた。筋目描きの素晴らしいものが10点くらいあった。それから、深草の駅近くの婆さんがやっている食堂で昼食を食べ、国立博物館で、宗達の『風神雷神図』や『伝、頼朝像』などを観た。東京の国立博物館のパスポートを持っているので、タダで入れるのが良い。
ホテルを代わって、チェックイン。そこで昨日から添削している、書いたものを読んだ。これから、最後までちゃんと書けそうな気がしてきた。これまでで、150枚ほどの分量になっていることに気づく。若冲にお力添えをして貰い、細雪。
9月11日(水) 曇/雨 11559
朝、外の喫茶店で朝食を取り、京都駅へ向かう。帰りの新幹線の切符を買い、近くで一服。北山へ行き、昼食を取り、歴彩館へ行くも、休日だった。ネットで調べてから行けばよかった。北山に着いたことから、ゴロゴロ雷さんが鳴っていた。鞍馬口で降りて、上御霊神社へ行く。応仁の乱発祥の地。古い社でビックリした。歩いて相国寺の承天閣美術館で、若冲の絵が観れるか訊いたら鹿苑寺の障壁画2点しか観れないことを知り、若冲の墓の場所を訊く。
禁門の変で死んだ、長州藩士の墓の横にあった。右から伊藤若冲、足利義政、藤原定家。文化人の墓が3つ並んでいるのは、気分が良い。もうその頃には、雨が強くなってきて、地下鉄の駅までは土砂降りの状態になった。非常に蒸す。雨で気温が下がり少しは良いが、変な天気だ。四条で降りてホテルにチェックイン。昨日行き詰っていたが、ネット上に載っている論文を発見した。佐藤守弘の書いた泥絵のもの。非常に参考になった。この人、写真家のアーネスト佐藤の息子。つまり、俵屋の女将の息子だ。
9月12日(木) 雨のち曇 17605
夜中目覚めて、細雪。そして、寝てあさが来た。朝食は、近所の定食屋へ行った。昔は何処にでもあった、好きなものを取って会計をする店。1000円越さないように頼んだつもりだったが、消費税分オーバーした。それから、北山の歴彩館へ向かった。本を持ってきて調べていたが、どうも納得できず、眼鏡絵と、泥絵の本を出して貰うよう頼んだ。係りの人の反応から期待していなかった。しかし、渡辺伸一郎コレクションが出てきた。
応挙の眼鏡絵の版画だ。凄いもんがあるんだと感激。版画を観た瞬間に、行き詰っていたことが、一気に解けていった。これが俺が探していた物だと、直観的に理解した。その他に、『江戸の泥絵展』『眼鏡絵と東海道五拾三次展』もあった。ほとんど直球ど真ん中という感じだ。あー、京都に来て良かった。これで資料を読んで、終わりが見えてきた。たぶん、近日中に終わる。そう確信させる資料だ。
9月13日(金) 雨のち曇 13223
朝から雨が降って、京都は涼しくなった。8月に来た時は、蝉しぐれでうるさかったが、今は虫の音が聞こえ始めている。昼前に雨が上がり、風が肌寒いくらいだ。朝は、蒸していたのに、湿気は何処かへ行ったようだ。昨日は曇っていて、月が観れなかったが、今日は中秋の名月。お月さんが観れるだろうか?
朝ホテルを代えて、歴彩館へ行った。そこで資料読み。西陣織の富商、金田忠兵衛という名前に引っ掛かりが出来た。この人を調べると、面白いことが判るだろうが、そういう資料がないようだ。西陣に行けばあるのかどうかも、定かではない。ところで、版画といえば、棟方志功を思い浮かべるが、彼は版木に反転した字をすらすらと書く。俺はピカソになるといったそうだが、プラドの版画を見ると、ピカソは反転した字などは書いていないことが判る。棟方志功のような特殊な能力は何処から来るのだろう。そんなことをしたのは、ダビンチくらいしか知らない。そして、彩色も版木を摺った後に行われる。それが、裏彩色だったりするのだという。
応挙の眼鏡絵は、黒い部分を版木で摺って、たぶん後から泥絵具で彩色したと思うのだが、資料からそれは出てこない。多色の版画は、まだ出来ていなかったはずで、そういう風に想像する。
9月14日(土) 曇 11735 東京にて
昨日に続き、京都の朝は涼しかった。今日はからっとしていて、秋を感じさせる。そんな京都から東京へ戻ってきた。京都は明日からまた、夏のような暑さになるようだ。それもあって、予定を変更して早めに戻った。あのまま京都へいても、進まないと思ったからだ。時間との関係もあるが、これ以上調べる必要もないだろうと思う。あとは、仕上げること。集中してやりたい。
昨日の京都の中秋の名月は、朝方の雨の影響が残り雲が多く、おぼろ月。かえってこの方が良い。全部見える月は、色っぽくない気もする。チラッとしか見えないからこそ、思うように行かないその心残りが、また見たくなるのだろう。何か、松岡正剛のようになってきた。
9月15日(日) 晴/曇 5472
東京に戻ってきたら疲れが出たのか眠い。録画していた、『カンブリア宮殿』を観る。金沢の能作という地元企業が、世界でも誇れる錫(すず)100%の商品を作っている。熱伝導率が非常に高い錫を、器にしている。ハイボールがずっと冷たい。和食でも、冷たいものを錫の器で出す。冷たいまま。錫100%だと形状が変わるという難点を逆手に取って、自由に形状を変えられるKAGO
という商品もアメリカやフランスなどでも使われている。面白いと思った。
『達人達』は、国文の研究者ロバート・キャンベルと、造形と彩色が派手で、海外にも名の知られている桑田卓郎の対談。こういう物の中に、日本文化の大切なものがあるような気がした。濃い濃度で研究とか、先人たちが作ってきた技術を使って今の陶芸をしている。というそれは、なかなか沁みてくる世界があった。
9月16日(月) 雨/曇 10179
夜明け前に起きて、細雪。昼前、晴れ間を見計らって買い物に行った。肌寒い天気で、すっかり秋になった感じだ。余裕が出来たので競馬をやった。今週が最後の直線だ。坂を登って1番苦しい勝負どころ。これで、セントライト記念の横山典弘騎手のように、ズバッと決めたいところだ。いよいよ最後になっている。大文字焼きだ。あとは江戸に出る処と、コルバチョの話を書けば終わる。
今日は雨模様でも、ジトッとしていない感じで、それでも服装は夏仕様が多い。満月の月を東京で観たが、雲がなく真ん丸だった。昨日の十六夜の月は、見なかったが、それはそれで良いだろう。下弦の月までに完成させたい。今出来る最高に近いものを出したい。今はただそれだけを考えてやりたい。レマテのないフラメンコは、フラメンコじゃない。レマテのないファエナも、ファエナじゃない。どうやってレマテを決めるか。
9月17日(火) 晴/曇 10422
朝食を取り、朝ドラを観た後、散歩に出かける。まだ蝉の声を聞こえるが、虫の音もなっている。朝顔が咲き、秋の花々も咲きだしたようで、百日紅の花はだいぶ散りかけている。道や生け垣の上に落ちた百日紅の花を見ると、茎が6つに別れて花が咲いているのが判る。6つが1組になっている。赤紫色の花に黄色の蕊がある。朝顔は淡い青紫色。色はこういう青紫色の方が好きだ。
銀行行った後、思い出したようにカレーを作った。昨日見た、『逆転人生』で、バーミキュラのホウロウ鍋をやっていて、久々にそれを出して、無水料理をしようと思ったのだ。倒産寸前の下請けの町工場からメーカーになるまで、3年半をかけて開発したバーミキュラホウロウ鍋。0.5ミリの隙間の誤差を無くすためにどうするか?営業でいった大手企業で、バーミキュラ鋳鉄というのに出会う。それを分析すると、耐久性と耐熱性に優れてバランスが良い事が判る。そして、バーミキュラ鋳鉄をメインにして他の金属を配合し鍋の土台を作った。それにホウロウをかけた後、800度の窯で焼き上げ出来たものが、鍋と蓋の密封性が完璧に近いものが出来た。それで作った無水料理のカレー。ルーは市販の物。人参が嫌いな兄が、人参が美味いといい、人参を探して食べた。
弟の方は、やったと喜んだが、問題は、これを量産できるかどうかと兄が考えたという。バーミキュラのホウロウ鍋がバーミキュラ鋳鉄から出来ているからそういう名前になった事を初めて知った。『カンブリア宮殿』でやっていたので、この鍋を買って使っていたが、改めて彼ら2人の兄妹の思いも噛みしめながらカレーを食べることが出来た。以前は、何か月待ちという状態だったが、今はそうでもないようだ。
さて、細雪。もう直ぐ先に、終わりが見えている。闘牛士がまた眼をやられた。プンタッソと書かれているが、ファエナで右目をしたから角で突き上げられた。グレゴリオ・マラニョン病院の眼科に搬送された。日曜日のラス・ベンタス闘牛場で起きた事故だ。
9月18日(水) 雨/曇 11573
朝眼が覚めたので、そのまま起きた。それから散歩に出掛けた。6時半からラジオ体操をやっているところがあり、散歩の途中でそれに参加した。準備運動から初めて第一、第二が終わって、その後も体操をやった。全部で25分くらい。今日は本当に涼しかったので、ほとんど散歩では汗をかかなかったが、ラジオ体操では汗が出た。それから帰宅して、そうめんで朝食。昨日の散歩で買ってきた、ミョウガを薬味にして食べた。
それから、録画している『ガッテン』を、観たりダビングしたりして整理しながら、細雪。体操していた時も思ったが、左肩がこる。パソコンに向かっているからだろうと思う。『ガッテン』を観ていて首がこっているんだろうと思った。後頭下筋群が原因だ。姿勢と眼が原因だという。それを改善させる運動をやった。少し楽になった気がした。続けよう。そして、細雪。
9月19日(木) 晴 10733
ブルーノートは、アフリカから奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人たちが、西洋音階と違う音楽を口ずさんだりしていた。物悲しいことからブルースの語源にもなる。メジャー・スケールに、第3音、第5音、第7音を半音下げ物を加える。これを昔タモリのデビューアルバムで説明していた。それじゃ、といって、半音上げるとどうなるかと、音を出すと、これが、沖縄民謡になった。あの時は、かなりビックリした。
昼、夏川りみが出ていて、沖縄音階のことをやっていて思い出したのだ。それにしても、この声の良さ、ただ美味いだけではない歌心は素晴らしい。『涙そうそう』は、いつ聴いても名曲だ。最近は、東南アジアなどでコンサートを開いているという。
朝の散歩を終わらせて、朝食を取り。作業をした。出来上がった細雪。これから見直して、それから完成になる。
9月20日(金) 晴 10025
昨日は本当に涼しかった。日が暮れて部屋を出た時は、半ズボンでは寒いくらいだった。秋を真っ只中という感じだったが、今日はちょっと暑い。昼MEGUさんと会って、ランチした。落ち着いたので、人にも会えるようになった。京都の話や、細雪の話もした。THさんのお父さんに、あらすじなどの概要を話したが、ほぼその通りの話になった。あとは細かい点を直して、仕上げ、送る準備をして、週明けに出そうと思う。
それまでにやらなければならないことを、こなさなければならない。それから、いろいろ考えようと思う。今日からラグビーのワールドカップが始まる。初戦が、日本対ロシア。何としても勝たなければならない。しかし、そうなるか結果は判らない。四年間準備をしても、結果が出る時もあれば、そうでない時もある。日本が勝てば、盛り上がるだろう。テレビでは、NHKと日本テレビが、中継する。
9月21日(土) 曇 8655
昨日から、チェックしているが、結構細かい直しが出てくるもんだ。そんな作業をしていたら、競馬が始まったので散歩にはまだ、出掛けていない。昨日の日本対ロシアのラグビー、ワールドカップ開幕戦は、序盤ミスが多くハラハラしたが、結果的には圧勝。30−10だった。今日のオーストリア対フィジーも前半フィジーが頑張って面白かったが、後半になって反則を重ね、自滅気味に39−21で、フィジーが負けた。今、フランス対アルゼンチンをやっている。先制はアルゼンチンだったが、2トライをあげたフランスが、リードしている。
競馬の終わり頃に、『孤独のグルメ』をやっている。上尾駅近くのキセキ食堂。肉屋がやっているトンカツ屋。注文するのは、キセキの定食。「この肉肉しさが、ご飯を誘う」「今俺が食っているのは、肉の形をした幸せだ」何だ、トンカツが食いたくなる。隣の人が、キセキ定食で、トンカツとステーキ100グラムを頼んでいるのを観て、追加でステーキ100グラムを頼む。「おー衣を脱いで、なお美味し。お次は、オニオンソース。これは行ける。やっぱりこれは、ワサビだ。醤油を忘れちゃいけません。これは、ワサビがベストアンサー。次は、ワサビ多めで、うーんこれは美味い。あと300グラムくらい行ける」この番組を観ると、食事しているものを食いたくなる。
9月22日(日) 晴のち曇 9021
朝目覚めて、高円寺まで行き、そこから歩いて阿佐ヶ谷まで行き、喫茶店でモーニング。何でも7月1日から全席禁煙になっていた。こういう店が増えた。ピザトーストを食べる。帰りは日差しが暑かった。昼食は、絶対トンカツと思って、食べに出かけた。台風が来ているので、夜には雨の予報。テニスで大阪で行われたの東レ・パシフィック・オープンで、コーチを解任して父親が付いた、大坂なおみが優勝。そして、最終日8打差でスタートした渋野日向子が、大逆転で優勝した。スゲーとしか言いようがない。これで賞金1億円を突破。次の目標は、賞金女王だという。去年の今頃は、プロテストを受けていたのに、デビューの年に、国内3勝と、海外メジャーの全英オープン優勝。驚異的な活躍で、人気も爆発。最後はやっぱり笑顔全開。このまま、勢いに乗って行くのだろうかと思ってしまう。
競馬は、神戸新聞杯は、サートゥルナーリアが圧勝。これで本番の菊花賞は、先週勝った横山典弘のリオンリオンと、人気を二分するだろう。来週から秋のGTが始まる。喫茶店などで、最終チェックが続いている。それが終われば、手直しをする。地道にやるしかない。
9月23日(月) 雨のち晴 11247
台風が日本海を通過中で、強風が吹いている。昼過ぎに上野に行く。最終日を迎えた、『奈良大和四寺のみほとけ展』を観る。国宝や重文など。いったついでに、売店で本を観ていた。そうしたら欲しくなって、『若冲』著者多数、河出文庫、『花鳥・山水画を読み解く』宮崎法子著を買った。帰りの電車で、『若冲』を読んだ。「若冲小録」森銑三、には、広島の浅野家の平賀白山の『蕉斎筆記』の、若冲の記述が全部載ってあった。「相国寺と伊藤若冲」辻惟雄には、若中の「草木国土悉皆成仏」という言葉が載っていて、忘れるところだったと思った。
チェックは終わったが、1か所手直ししなければならない箇所がある。もっと簡単で分かり易くしないとと、思っている。それと、書類も作らないいけない。たぶん、今夜中にはなんとかなりそうだ。
9月24日(火) 曇 9144
朝起きて、『なつぞら』を観る。それから、準備していたが、馬鹿みたいな問題点を発見する。それを修正して、郵便局へ行って送る。ネットで送ることも出来たが、それはやめた。取りあえず、7月末か8月から続けていた、作業は終わった。やるだけのことはやったという気持ちになっている。それから、昨日の続き、『若冲』を読んだ。午後に弟からメールがあり、郵送した。今日明日は、ラグビーワールドカップの、生中継はないようだ。
これからどうするか、部屋など片付けしながら考えよう。そして、やらなければならないこともある。それも、継続してやりながら、考えよう。
9月25日(水) 曇 11897
♪新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ♪ラジオ体操の歌詞のような気分でもある。
『なつぞら』を観て納豆おろしとやっこで朝食。それから、区役所へ行って書類取りに行った。電車を乗り継ぎ、国会図書館へ行く。書き終わったが、調べ物。源内の年表など見直す。間違いないことを確認する。も、大坂の戸田旭山が、後世派であることを知って、間違いに気づく。腑分けをした、古方派とは反対の古い医学であるという。特に、香川修庵とは、対立している。何故なのかは、判らない。香川修庵は、古義堂で学んだわけだから、その辺の辻褄が合わないのだ。この辺になると、難しい。
まあ、これはしょうがない。出してしまったわけだし、小さいことといえば、そうかもしれない。完璧なものは、なかなか難しい。それでも、全体の方向としては、いけていると思う。そのあと、『若冲になったアメリカ人』ジョー・プライスと山下裕二の対談本を読む。世界一の若冲コレクターのプライスは、ある時、若冲を知り、いつも絵を買っている、元山中商会の従業員が開いた店に行き、若冲が欲しいというと、あなたはすでに作品を持っています。といわれる。1番初めに買った掛軸が、若冲の作品だった。そして、70年に『動植綵絵』を初めて見た時、感激のあまり号泣したという。
この人の絵に対する思いや、絵の見方は素晴らしい。読んでいて嬉しくなる本だ。昼食は、国会図書館の食堂で取った。学食ぽいところがおかしい。
9月26日(木) 曇 10824
『なつぞら』を観て、朝食はそば。そうめんよりそばの季節になった感じだ。それから録画したものを整理し昼食は、ファミレスへ出掛けてランチを取り、そのまま気分を変えるために、昭和の香りがする喫茶店へ行った。『若冲』の続きを読んだ。今日は起きてからずっと、右の鼻の中が痛い。たぶん部屋の空気が、乾燥しているからだと思う。タバコがあまりおいしくない。
部屋に戻ってきたら、MEGUさんから電話があった。まだ1/6くらいらしいが、面白いといっていた。まあ京都弁の処で、引っ掛かる点は指摘された。それ以外は、そういっていた。そう感じて貰えるのは、ありがたい。自分以外の人が、どう感じるかというのは、重要なこと。
『若冲』の中の、渋沢龍彦の文章はまあ良いとして、種村季弘の文章の難解さには、あの時代を感じる。全然判らないわけではない。判るんだけど、そういう表現をするのかと、ちょっと呆れるのだ。いっていることは、間違っていないと思う。読んだ感じでいえば、渋沢より若冲を深く判っていると思う。その表現方法が判り難いのだ。しかし、渋沢の文章は、59年で、種村の文章は73年。こんな時代に、若冲のことを書いているのが、それだけでも凄いと思う。
9月27日(金) 曇 11302
もうすっかり秋だ。日中外に出ても、肌寒い感じになってきた。スーパーでは焼き芋も売っている。栗も売っている。栗が食いたい。でも、焼き栗が良いなぁ。昨日の夜、無水ではないがカレーを作った。炒めた豚肉と玉ねぎに、トマトジュースと水を入れてから、ブロッコリーとカリフラワーを入れてそれからカレールーで仕上げた。玉ねぎや豚肉を炒めた時に、塩は振っていない。ルーは、バーモンドカレーの甘口と中辛。ルーに書いている一皿の塩分量は、2.1グラム。結構入っているのだ。
アフリカの牧畜などをしている彼らには、塩という調味料がない。牛乳などに入っている塩分などで、塩分を取っている。血圧は、100〜60と低い。日本人は、味噌、醤油、塩と調味料を使う。WHOが推奨する世界基準は、1日5グラム。でも日本では、10グラムくらい摂取しているという。『ガッテン』でやっていた減塩法は、今減塩で使用されている納豆の粉。これを使うと味が変わらす減塩できるという。それと、醤油をスプレーでかけると減塩になるという。そして、醤油が出来る前に、使っていた塩を水に溶かして使っていた水塩。これをスプレーでかけると、減塩になるという。水塩というのが京料理にはある。おつくりなどに、水塩をスプレーで一かけすると、振り塩よりも減塩になるという。
アフリカでは、暑いのに塩という調味料はない。それなのに、健康で血圧も低い。見習うべきだ。俺も血圧が高いので、減塩しなくてはならない。自分では、やっているつもりになっているが、スプレーとか使って減塩しないといけないと思った。
送ったものが、届いたとハガキ来た。書いたものを何回読んだだろう。今年に初めに、思った一つは、出来た。これからも、これは続けないといけいない。その他に、下山さんとTHさんと3人で闘牛のことでやろうと思っていることがある。下山さんには今年の5月頃にそれをいっているが、全然進んでいない。それは、書いていたからだ。一段落したので、連絡しようかと思っている。
9月28日(土) 晴 10900
朝の涼しさの中、ラジオ体操に行った。肩が凝って、体操でもした方が良いと思ったのだ。これから、日本対アイルランド戦が行われる。勝のは、難しいと思うが、日本人は、4年前の南アフリカ戦の奇跡を願っている。1トライされ、1PGを返して、3−5になった。
競馬の続きを書こうと思いながら、競馬をやった。いまいち集中できない感じだ。今週初めに書いたものを何回読み返しただろう。欠点なども見えてくる。そういう部分がないとダメでもある。バランスの問題だ。闘牛用語のことも考えなければならない。
ラス・ベンタス闘牛場で、フェリア・デ・オトーニョが始まった。初日はノビジェーロで、トマス・ルフォが、耳1枚と耳1枚取場内2周で、プエルタ・グランデした。ダイジェスト動画を観たが、フエンテ・インブロ牧場の牛が非常に良かった。扱いやすい牛で、ムレタに向かってくる牛。剣も良かった。しかし、トマス・ルフォの闘牛士としての個性はあまり感じられなかった。オトーニョが始まったので、ネットで中継が観れることを願う。
なんと、またも日本がアイルランドを、19−12で逆転で勝った。スタジアムで万歳のコールが沸き起こった。
9月29日(日) 曇 9314
今、オーストリア対ウエールズの中継が行われている。前半を終わって、8−23とウエールズが大きくリードしている。ラグビーワールドカップは、もう名前では勝てない状況になっている。どれだけ、ひたむきにプレーできるかが、メンタルで上回る。フィジカルだけで、やっても、チーム戦略がちゃんとした処には、勝てない。
「ラグビーのW杯で28日、日本が世界ランキング2位で優勝候補のアイルランドを19−12で破る番狂わせを演じた。その衝撃ニュースは世界を駆け巡り、海外メディアは、次々と速報で報じた。
アイルランドの地元、アイリッシュ・タイムズ紙は、「日本の成長を続ける若者たちがアイルランドの面目を失わせた」との見出しを取り「ホスト国(の日本)が静岡で驚きの勝利を引き出し、ジョー・シュミット(ヘッドコーチ)の選手たちをよろめかせた」と報じた。
「日本のラグビーにとって意義のある日となり、広く見れば2019年ラグビーW杯にとっても意義のあるの日となった。一方アイルランドにとっては深く落胆しダメージを受ける敗戦となった」と伝えた。
記事は、同組を1位で抜けなければ、ベスト8でニュージーランドと対戦する可能性が高くなることについて触れ、「現状でブレイブ・ブロッサムズ(日本代表の愛称)はA組を広くこじ開け、アイルランドは(日本戦で)価値のあるボーナスポイント(7点差以内敗戦の1ポイント)を獲得したが、このグループを勝ち抜き準々決勝でオールブラックス(ニュージーランド代表の愛称)との対戦を避けるには、スコットランドが日本に勝利し、さらに日本が残り試合でボーナスポイントを取り損なうことが必要となった。現在、このグループは3つ巴となっている。アイルランドはロシア、サモア相手の残り試合でうまく10ポイントを得る必要がある」と混戦模様のA組の様相を記した。
その上で「日本を評価しよう。4万7813人の観客の大半からの大歓声を受け、彼らは、試合が経過するごとに力強さ、野心、技術を成長させている。(アイルランドとの戦いぶりは)勝者に値するものだった」と、日本の勝利を讃えた。
英国の高級紙のガーディアン紙は「日本が、また1つラグビー・ワールドカップでの素晴らしい番狂わせを引き出しアイルランドを仰天させた」との見出しで日本の金星を伝えた。
「日本が、またやってのけた。今回は2週間前には世界ナンバー1にランクされたチーム(アイルランド)に対してだった。ワールドカップのホスト国(の日本)がペースをつかみ、技術と、時間が過ぎてもかすむことのない熱気あるプレーを見せて9点差をひっくり返して勝利を収めた」と絶賛した。
さらに「試合終了の笛が鳴ると、近くにそびえる富士山が揺らぐことになるそうな轟音がとどろいた。オフロードパスをつなぎ、タックルをかいくぐり、必死さを強めて陣地深くから世界のラグビーで最も強固な守備の1つを破り、彼らはまるで赤と白のジャージを着こんだオールブラックスのようだった」と称賛の嵐。
「日本は4年前のワールドカップにおいてブライトンで南アフリカを破ってラグビー界を驚かせた。彼らは、このままいくとベスト8で、またスプリングボクス(南アフリカ代表の愛称)と対戦する可能性が高いが、今回(の勝利)は(4年前とは)違うものだった。1995年、2007年の優勝チーム(の南アフリカ)は、当時、下り坂にあり、慢心ある独りよがりのチームだった。対してアイルランドは、この試合をむだに費やすことはしなかった。彼らは、キックオフから2つのトライを決め、最初の20分で試合をコントロールした。だが、ホスト国の大会でキャプテンを務めるマイケル・リーチがベンチから投入されるや否や状況は変わった」と、前半30分に投入されたリーチ・マイケルの活躍がポイントだったと指摘した。
記事は、「リーチがフィールドに立ち、まるで地震のような瞬間をもたらした数分間、日本はアイルランドに対し彼らのボールをスクラムで押し込み、ペナルティーを勝ち取り、観衆の勝利の願いを確信へと変えた」とし、「問題は、日本が最後までこのペースと技術を維持できるかだった。しかし、その答えは大きな声でイエスと言えるものだった。限界まで戦い、死にものぐるいの守備となったときでもくじけなかったアイルランドは立派だった。地元チーム(日本)のプレーのいくつかは鳥肌が立つほどとても独創的で技術的に素晴らしく、この2チーム(の実力)を分けるものはなかった」と日本の戦いぶりを称えた。
英国のBBCは「日本の衝撃の勝利は『ラグビー・ワールドカップの熱狂に火をつけるだろう』」との見出しを取って「ラグビー・ワールドカップを盛り上げることに火をつける効果が期待された日本は、アイルランドへの『地震のような』(衝撃的な)勝利で称賛を浴びた」と伝え、記事の中で複数のラグビー関係者の声を紹介した。
元オーストラリア代表で、現在は、日本のサントリー・サンゴリアスでプレーするマット・ギタウ氏は、「この勝利は、とても重要なもの」と語り、元アイルランド代表のウィングだったシェーン・ホーガン氏は「決してまぐれではない。この大会では、第2グループの国が第1グループを破ることが必要で、これはまぐれではない。日本の勝利は、完全な勝利でありアイルランドを上回った」とコメントした。
元アイルランド代表のデニス・ヒッキー氏は、「ラグビーがトップスポーツに及んでいなかった国にとって。とても完璧なタイミング(での勝利)だった」とコメント。7人制ラグビーで、フィジーを指揮して五輪で金メダルを獲得したベン・ライアン氏は、「『地震のような』勝利。試合に向けての日本のアプローチが素晴らしかった。これは日本からの教材だ。正確なタックルをどのようにするかを子供たちが見たければ、この日本チームを見るべき」と、日本の技術を絶賛するコメントを残している。
日本がどこまで快進撃を続けるのか。今後の戦いも海外メディアは続けてフォローしていきそうだ。」(THE PAGEより)
多くの犠牲を払って、苦しい練習をこなして来たことが、報われた日本。昔からそうだが、ラグビーは、知的なスポーツだ。大西鉄之祐が、体が小さい日本人が、体のでかい外国人に対抗するために練った、戦略から始まり、宿沢のように、銀行のディーリングトレーナーを努め、代表監督もやった。松尾や平尾の選手時代には、考えられなかった、ヨーロッパの強豪相手に勝つことが出来るような時代になったは、夢のような事だ。決勝トライを決めた福岡は、この大会が終わったらか、オリンピック後に、代表引退を表明している。彼は、大会後、医者を目指して勉強するという。
昨日のオトーニョは、耳は出なかった。ラグビーの再放送を観ながらだったので、ちゃんと観れていない。ダニエル・ルケは、灰汁が抜けたような感じになっていた。ファン・レアルは、カステージャのような見栄えの派手な闘牛。ファン・オルテガは、正しい。が、インパクトが薄いのだ。何が足りないのか、整理した方が良い。あれじゃ、フェリアに呼んでもらえなくなると思う。
9月30日(月) 曇 11342
夜中、オトーニョを観たので、起きるのが遅くなった。ファミレスへ行ってモーニング。目玉焼きとベーコン、焼海苔、納豆、味噌汁。朝食後、『若冲』を読む。
「とりわけ伊藤若冲は、リルケの謂う《物たち》(dinge)が、まこと融通無礙に、リアリズムの極致のなかで、突如、幻想に遊んでいる。
源内先生はあくまで知の世界に遊ばれた。しかし若冲は、知ではなく、<物>の物理的直写にかけ、その直写をリアリズムを突き抜けることで、ついに幻想空間の逆構築を実現した天才であったと言おう。画における日本のラフォルグであった。
源内先生の<知>のエンサイクトペディアへの志向は素晴らしいが、若冲の<物たち>への志向のすさまじさは、源内先生のさめた意識を、さらに上まわるのではなかろうか。 …
油絵のもつ迫力を知った日本人が、これに対抗しようとして作ったものに、わたしの知る三つの素材がある。一つは浮世絵でも《肉筆浮世絵》のあるものに使われている<岩絵具>、第二に、北斎がオランダ油絵に対抗して創造した信州岩松院天井絵に使った<ナタネ油>による本邦初の油絵具、そして第三に、若冲の特殊な<膠絵具>である。 …
ここに若冲の根深い日本性があるのであり、いかに若冲が<物たち>へのエンサイクロペディックな執着を示そうとも、若冲はやはり、優しい琳派の流れのなかの豪奢の人だったと思いたい。そう、若冲は<物たち>に迫り、それを油絵以上に定着させながら、彼の描く<物たち>は、永遠に<個物>であるがゆえの夢を孕む<物たち>になったのである。」 --『若冲』由良君美より--
この文章に限らず、若冲と源内が並べられた、文章がいくつもあるのは、面白いことだ。ある種、そういう感性がある人たちは、この二人が同時代の人間で、何らかの繋がりを感じている証拠でもある。
スポーツの中で、観ていて1番面白いのがラグビーだ。ノーサイドの精神も素晴らしい。サッカーや野球は、勝った負けたで、試合後もいがみ合う。そういうのが、ないのがラグビーだ。スポーツの中で、1番分かり易いのが競馬だ。ゴール板を1番早く通過した馬が1着だ。ルールを何も知らなくても、観ていて誰でも判るものだからだ。
オトーニョは、3日目。牧場は、ファン・ペドロ・ドメク、ヌニェス・デル・クビジョ、ビクトリアーノ・デル・リオが2頭ずつ。ミゲル・アンヘル・ペレラとパコ・ウレニャのマノ・ア・マノだった。この日1番の見所は、5頭目のペレラのファエナだった。20mくらいの長い距離から牛を呼んで、3回タンダをした。こういう長い距離から牛を呼んでするファエナを、ラス・ベンタス闘牛場の観客は好きだ。レマテの後に、距離を取り、牛を誘う。パセが繋がるとオーレが続く。これが闘牛のファエナだという、ファエナだ。セサル・リンコンの亡霊というか、幻影が闘牛場に漂っているようなファエナだ。右手で3回、左手で2回のタンダ。左手は、10m弱だったと思う。
上の下か、中くらいの上質のファエナだった。上の上のファエナは、セサルの50mくらいの距離から牛を呼んで繋いだファエナだ。あれには及ばない。しかも、ペレラは、ムレタを体の前で、左右に振って牛を呼んでいた。セサルはそんなことをしない。体の後から体の前に出したムレタをほぼそのままにして、声も出さずに牛を誘った。それでも、牛がムレタに吸い寄せられる。あれこそマジックだ。魔法である。
ラス・ベンタス闘牛場でも、何度もやったし、ニームの楕円形のアレナの長い方で、端から端までの距離で、牛を誘いファエナを繋いだという話を訊いたことがある。あの魔力は、牛が動き出すと、闘牛場を精神病院に変える威力を持つ。ペレラのファエナを観ながら、セサルの幻影を観ていた。これが闘牛である。アレナ中央での剣刺しはピンチャッソ2回。耳2枚がフイになった。しかし、グラン・ファエナ。場内一周をした。そこは、92年のセサルと同じだ。そして、ペレラのバンデリジェーロたちは、素晴らしい仕事をする。パコ・ウレニャのバンデリジェーロを比べると、パコ・ウレニャがかわいそうになるくらいだ。
パコ・ウレニャは、2頭目の牛で耳1枚を切った。パコは変わらず、パコだった。最後の6頭目は牛が交換。出てきた牛は、左角がブスカンドする牛。ファエナの初めは、右膝を折った右手のパセを繋いで、牛に動きを教えて丁寧にパセを繋いだ。耳とか関係なく、こういう風にファエナを構成するパコ・ウレニャを見とれていた。闘牛の素晴らしさを感じた3日目のオトーニョだった。
10月1日(火) 曇 12479
朝から鼻が痛い。昨日辺りから喉の奥が醤油をつけたようにヒリヒリする。咳が出たして風邪模様。タバコを1本だけ吸って、あとは我慢している。痛みが消えるまでの間の他のもので紛らわせよう。今日から消費税が8%から10%に上がった。昨日のスーパーなど、いつもよりも早く閉店して、準備をしているようだった。ファミレスも、10月1日0時から対応できるように、30分以上レジを止める時間を作って、対応するようだった。
昨日は、小売店が忙しそうだった。俺もいくつか買った。お金がない人は、少しでもと思ってあがくのだ。ラグビーワールドカップは、今日は試合はない。昨日のスコットランド対サモアは、汗でボールが滑ってサモアだけでなく、スコットランドも、ハンドリングエラーが多かった。それでも、スコットランドが圧勝した。闘牛用語も、いろいろ頭に浮かぶが、まとまり切っていない。
10月2日(水) 晴 10615
鼻の痛さがなくなったので、タバコを吸っている。喉の具合も改善がみられる。書いたものを、ちょっと読み返したら、間違いを発見したので、再度読み返してみた。今日の朝食後だ。あれだけやったつもりでも、こうやってまた、間違いを発見する。もう出した後だが、手直ししないといけない。それと、ノートをつけていたが、メモで書いたものを、そのノートに転写するか、貼り付けて、もう1度作り直そうと思った。こういう面倒くさいことも、ちゃんと整理しておかないと、ダメだと思う。地味な作業をしよう。そうしないと、次のものをやる時の糧にならない。
今は、何かと何かの狭間だと思う。ここはちゃんと考えたり、行動したりしないいけないだろう。上記のことをやったり、本読んだり、部屋片づけたりしながら、やって行こうと思う。そうすれば、見えて来ることがあるだろう。
10月3日(木) 曇 10794
『果蔬涅槃図』という伊藤若冲が描いた墨絵がある。晩年の作品だ。涅槃図というのは、釈迦が死んだ時に、弟子が集まり、動物たちも集まってその死を、悼んでいるところを描いている。9月10日の京都・石峯寺で行われた、伊藤若冲忌では、ザルに入れられた大根の周りに果蔬(果物や野菜)が並べられていた。若冲が描いた『果蔬涅槃図』を模しているわけである。
『若冲』を読み、佐藤康弘の『若冲伝』の続きを読んでいる。今日はラグビー中継はないが、日本女子オープンは、4日間中継される。NHKも張り切っている。渋野日向子は、畑岡奈紗と並んで、−5で、7位タイで初日を終えた。オペラ歌手の佐藤しのぶが死亡した。61歳だった。早すぎる死だ。
10月4日(金) 雨のち曇 11573
人には、いろいろな思いがある。『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、大阪に開店1年で三ツ星を獲得した、「HAJIME」の米田肇。肉の焼き方自体がまた凄い。根っからの理系でメカは何でも好き。1日の仕事は従業員との握手から始まる。ディナーのコース料理のみ。1回のディナーで出されるコースの食材の数は400種類。肉を切っても肉汁が外に出ない。旨味が閉じ込められている。肉の細胞を壊さないように焼く。焼く温度、パンにかける霧吹きの量まで、細心の注意を払う。
25歳でシステムエンジニアから料理人に転身した。現場では、そのスピードについていけない。失敗の連続。自分は器用ではない。そう思って腹をくくった。寝る間を惜しんで、努力を重ね、次第に厨房を任せられるようになる。30歳でフランスへ渡り、有名店で修業を積んだ。35歳で大阪に店を開いた。1年後、ミシュランガイドで三ツ星を貰う。客が殺到し、天才シェフともてはやされる。ところが、心の内は、「苦しかったです。三ツ星とったのに、全然幸せになってないなというか。改善をして、品質はすごく高く上がった。でも、自分の料理を作っている感じがなかったんです。何か人のものを借りてきて、コピーしているようなイメージがあったんです」自分には個性的な料理を生み出す才能がない。いったいどうすれば良いのか?
京都の日本料理店を訪れた時のこと。日本料理には、美味しさだけではない、独自の美意識がある。「今日が何月何日で何の日だから、この料理を出してます。ここにお豆が3つあって、1つは何たらの実で、1つは何たらの実で、1つは何たらの実です。全部説明してくるわけですよ。すごいなって思ったんです。本当に。本当に心からすごい料理がこの国にはあるんだって」 自分の人生の中で1番美しいと思うものは何か?すると子供の頃に遊んだ、あの裏山の風景が浮かんできた。「春夏秋冬で春になったら花が咲いて、夏になったら葉っぱが急にバーってなって、セミが鳴いて、虫が飛び交って、その時に風が吹いてて、空に鳥が飛んでて、僕がいると思ったときの記憶が、バッと思い出された瞬間に、「美しい」って思ったんですよね。これ僕の美意識なんだって、思った瞬間に、これを料理にのせようと思ったんです。」
そして忘れえぬ体験をする。ある常連客。倒産寸前の工務店。もうダメだと思うながら食べた米田肇の料理を食べ、もう1度頑張ろうと思ったという。「氷の中にフキノトウ。これだ」「あれはすごかったですね。あの器と匂いと驚きは、今も鮮明に覚えています」その時の出来事を後で聞かされた。「もう、どうしようか、という時期にここに来たと、その時に最初に出した、フキノトウの料理があったんですね。雪の中からフキノトウがちょっとだけ、芽を出しているっていうものを、それを見て、もう一回やってみようか、お母さんって言って。その料理がなかったら、たぶん私たち、今は、存在がなかったと思います。みたいな話だったんです。本当に自分が作ったもので、人を救うことができるんだと、思った衝撃がすごかったですね。」
「料理が希望を与えるものだというのが、すごく自分の意識の中で、確固たるものになったような気がしますね。大変なことがあって、悩みながら家に帰って、でも温かいご飯があってというような、少年時代だったとか、青年のときの経験と、やっぱり食は希望だなと思ったのが、全部バーッとつながっていったというか、その瞬間に」
「勝ちパターンを見つけるとそれを潰しちゃんですよね。何でなのか、判んないですけど。」 「甘酸っぱい思いだったとか、苦い思いだったりとか、甘い思いだったりとか、塩をなめるような思いだったりとか、人生にでも、そういう味に例えられることって、結構あると思うんですね。」 「一瞬で消えちゃうね。これをもうちょっと、残るかたちにしないと、苦みが。…たぶん人生と全く一緒だよね。結構甘くないんだよ。だから苦い量が多い方が、実はバランスが取れてるのかもしれない。意外と余韻引いたりとかさ、昔のいい思い出だったり、日々苦いことじゃん。」
7年前極度のスランプに陥り、秋の新メニューが全く思いつかなくなった。「何も湧いてこない。すごく期待して来るのに。もう、これはだめだ。どっかに行こうって。最終的に思って、うちの父親が二十歳のときに買ってくれた、誕生日のズボンのベルトを首に絞めて、扉のところに引っ掛けて、もう死のうと思いました、そのとき。(声を詰まらせ、涙を流しながらいう)でも死のうと思ったんですけど、やっぱり死ねなかったんですよね。何やってんだろう。料理も作れないし、死ぬこともできないし」 その日の夜、新メニューが思いつかないまま厨房に立っていた。従業員のみんなが諦めていた。「あと5分だけ考えてみる。考えて、考えた瞬間に、ふっと料理が出てきたんです。あっ、できたって。一番考えても出てこないというときが、山頂の一歩手前だったんじゃないのかなって、そのときに思ったんですよね。今はずっと考えて、出ない、出ないと思ったら、もうあと一歩だって、最近は思えるようになったから、もうちょっとだけ、ふんばってみようって、思うようになったんですね。」(プロフェッショナル 仕事の流儀より)
ボブ・ディランは、夜明け前は1番暗いといった。競馬の話を書こうと思っていた時に、高松宮記念の結果を観て、これは書けると思った。スペインから東京へ戻って、それを完成させ、連作にする構想を持っていた時、何処かに投稿しようと思って調べていたら、京都を題材にした文学賞が設立されたことを知り、2か月弱の間に、若冲の話を書けないかと考えた。京都弁に不安があるから、東京の落語家が語る形にすれば、その不安が解消ざれることを考え、発端にアントニオ・コルバチョが京都の桜が観たいといって死んだことを、命日近くになって、夢想すると、若冲と応挙と源内を結び付けて書いたら面白いのではないかと考えて書き出した。10日間に新作落語を分けて話す形にして、4日目を過ぎた辺りから、米田肇のように、物語が浮かばなくなって、苦しい時期が続いた。
それでも、最後まで書けたのは、調べたりしながら、いろいろなことが学べる喜びと、それによって、視点が広がっていったために、何かが生まれる感覚があったからだ。苦しんで、半分以上書けたことは、良い勉強になった。初めは、若冲が金比羅さんで、障壁画を描いたのは、源内との繋がりがないものかと、調べていたことから始まる。その繋がりが見つからなかったが、応挙を登場させることによって、三人が繋がる話にした。他のものも書けるような気分になったのは、嬉しかった。
これから、MEGUさん夫婦とシーラさんと晩餐を共にする。年1回の集まりのような感じになっている。
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2013年、2014年、2016年、2017年、2018年、2019年のスペイン滞在日記です。
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