断腸亭日常日記 2019年 10月―11月 奈良・京都旅行

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


 10月22日(火) 雨のち曇 10608

 今日は、即位の礼正殿の儀で、休日。都内は、交通規制などで、警官が増員され警備に当たっているが、台風被害が大きく、被災地には警官が残っているところが多いようだ。昼過ぎ、気分転換で新宿に出た。本屋や買い物などして、喫茶店へ行ったが、改装していて今までと違っていたのでやめた。他に行こうとしたが、馬場に場所を変えて喫茶店に入った。

 買ってきたNHKのテキスト『善の研究』や、『花鳥・山水画を読み解く』などを読んだ。ほったらかしにしている、『花鳥風月の科学』も読みたい。落ち着かない気分でもあるが、『江戸あばんぎゃるど』や若冲の録画を観ると、落ち着いて来る。部屋に戻ったのが遅いので、喫茶店に行く前に、中華そばを食べたが、また、腹が空いてきた。やっぱり、書きかけのものを進めるべきか、それとも、闘牛のことを書こうかなど、考えている。


 10月23日(水) 曇 12841

 昨日は、ニュースなどテレビはほとんど見なかった。各国の要人がいっぱい来日して、テレビも中継していたようだが、外に出たので知らない。今日は、美術館へ行こうと思っていたが、起きるのが遅くなって昼過ぎに食事して、銀行へ行くしかなかった。用事を済ませたが、もう一つの方は、あたらめて行かなければならないという事が判った。明日は、夜に雨が降る予報で、明後日は、大雨の予報になっている。

 ラグビーワールドカップは、残すところ準決勝と3位決定戦と、決勝の4試合。元日本代表監督で、現イングランド代表監督のエディー・ジョーンズは、ラグビー選手は、サッカーのスパースターであるクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシに比べて、謙虚で品位があるといった。それはそうだろうと思う。サッカーの試合では、過剰に痛がったり、反則ではないのに、わざと倒れたりしてファールを貰おうとするのが日常茶飯事行われるが、ラグビーの試合では、そういう事は、起こらない。日本代表のチームは、「ラグビー選手である前に、1人の人間なのだ」というエディーの教えを解って実践している。

 自己犠牲。自分体を投げだして、チームの為に飛び込んでいく。あのFWの献身的な自己犠牲がなければ、ラグビーは成立しない。だから、クリスティアーノ・ロナウドのように、勝手な事を口にしないのが、ラグビー選手だ。それは、日本だけじゃなく、日本に負けて帰国していった、スコットランドやアイルランドの選手にも言えることだ。ノーサイドの精神は、相手チーム、選手にも尊重尊敬することでもある。

「誰も勝てると思っていない。No one thinks we can win
誰も接戦になとさえ思っていない。No one thinks we can even come close
でも誰もどれだけハードワークしてきたか。No one knows how hard you've workd
どれくらいの犠牲を払ってきたか知らない。No one knows how many sacrifices you've made
やるべきことは判っている。You know you're ready」 −−アイルランド戦前、ジェミー・ジョセフ日本代表ヘッドコーチが選手たちにいった言葉−−

 SOの田村は、この言葉を訊いて、覚悟を決めたといった。「一人は、みんなの為に。みんなは、一人の為に。」ラグビーで良く言われる言葉だが、美しい。映画の三銃士の中でも、この言葉が出ていた。


 10月24日(木) 曇 11076

 昨日、『歴史秘話ヒストリア』で、「幻の絵画 流転のドラマ 至高の美 佐竹本三十六歌仙絵」をやっていた。京都へ行った時に、国立博物館へ行ったので、「佐竹本三十六歌仙絵」をやることは知っていたが、全く興味がなかった。でも、番組を観たら観てみたいと思った。秋田藩佐竹家は、代々藩主が狩野派の絵師から、絵を学んでいたという。秋田蘭画が出たのも、平賀源内が藩主に遠近法などを教え、小田野直武が出た。彼は、源内を通して『解体新書』の人体解剖図などの挿絵を描いた。

 大正時代に、佐竹家から売り出された鎌倉時代に描かれた三十六歌仙絵巻、今の金額で35億円の値で売却されたという。第一次世界大戦で、運送業で大儲けした山本唯三郎が買ったのだという。その後、大正の不況で売りに出されたが、あまりに高額で買い手がない。泣きついた相手が、旧三井物産初代社長、益田孝(鈍翁)。アイディアマンの鈍翁は、絵巻は元々は、三十六歌仙は、それぞれ一枚の紙に絵を描いているので、それをバラバラにして売り出せば、買い手が付くだろうと、絵巻から職人が1枚ずつはがして、財界の茶人などを集めくじ引きで売却をすることを提案して採用される。

 それで、バラバラになった。そういう事などがあり、財界の茶人たちが、美術館を作り、展示して作品を後世に伝えようとしたという。売却が行われたのは、円山応挙が障壁画を描いた通称応挙館。今、東京国立博物館の庭園にある、あれである。この掛軸を飾った、大茶会を開いて軸と絵のバランスなどを、競ったようだ。それが、今回京都国立博物館で、展示されるという。全く興味がなかった、『佐竹本三十六歌仙絵展』に、俄然興味が沸いた。それらが、海外へ渡ることなく、日本に残り、掛軸になって残った。今回展示される31作品。鎌倉時代の絵は、花鳥画ではなく、肖像画が主流の時代。そういう物を観に行くのも、面白いと思った。


 10月25日(金) 雨 8236

 夜中から降り続いている雨は、台風と梅雨前線との影響で、大雨になっている。この前の台風のように冠水やダムの緊急放流なども起こっている。川の水位も上がっている。氾濫危険水位を超えている処もあり、氾濫するところが出るだろう。神奈川や特に千葉は、今年3度目の被害が進行中だ。千葉駅は、冠水したようだ。

 陸の孤島といわれる千葉は、台風などで、職場がある東京からの帰宅が出来なくなることが、今までにも何度もあった。しかし、今年の被害の多さと大きさには、千葉の人だけでなく、他の処の人も驚いているだろう。

 「ぶん殴ってやる」というタイトル記事を読んだ時、ビックリした。明治、新日鉄釜石で、活躍した森重隆日本ラグビーフットボール協会会長が、次期代表監督の人選を、部署に依頼した時、部署から、ジェイミー・ジョセフ以外の名前があがったら、「ぶん殴ってやる」と笑いながら発言したという。森さんは明治の頃から知っている。釜石のときは、スター選手だった。昔の運動部の体質はあるが、陽気で明るい性格。こんなこというような人じゃないのに。釜石は7連覇をしたが、3連覇目に突然引退して、家業を継いだ。福岡では有名な森ガラス。一時高校ラグビーの監督をやって全国大会へも導いた。その時、選手でいたのが、今大会4トライした福岡堅樹。松尾雄二のように、スター気取りでテレビなどにしゃしゃり出るような人ではなかった。平尾誠二ように、大スターでもなかった。

 そして昨日正式に、ラグビー協会から、ジェイミー・ジョセフに監督の続投要請をすることを発表した。また、選手コーチなどへ一人、予定より多い200万が支給されることも発表した。落ち着く処に、落ち着いた印象だ。「ぶん殴ってやる」って、笑ってしまう。誰もが望んだ監督の続投。海外からのオファーが入ることを予想してか、一説には、年俸1億という記事もある。次のワールドカップまでの4年間の延長を要請することになった。これから具体的な交渉に入るという。


 10月26日(土) 曇 10102

 『失敗学』をいうのがある。畑村洋太郎が提唱した物で、1件の重大な事故や災害には、29件の軽微な事故や災害があり、300件のヒヤリハットがあるというものだ。失敗学の命名は、立花隆。東日本大震災のときに起きた原発事故の事故調査委員会で、失敗学を提唱した畑村が参加した。思うように出来なかったようだ。東京電力の会長や社長が裁判で無罪なったことを、自身が参加した事故調査委員会の失敗を悔やんでいることが、新聞に載っている。

 もう10年以上前に、『失敗学のすすめ』という本に出会って、熟読した。実に面白い考え方だと思った。米ちゃんから相談された時に、その基本になる理論的なことを話したことがある。米ちゃんのその時の感想が、映画学校の先生が話したことと同じだと感心していた。そういうもんかと思った。こういうのは、物語になると思っていた。先週から始まったNHKのドラマ、『ミス・ジコチョー 天才・天ノ教授の調査ファイル』は、まさに、失敗学をドラマにしたものだ。これがやっぱり面白い。主人公が、天ノ真奈子という女性教授で、研究室には女性2人と助手の男という組み合わせ。女が調べるという処も、柔らかさがあり、事故原因を調べ上げた後に、事件や事故を起こした人だけではなく、それが起こった根本原因を指摘しする処も面白いドラマになっている。これ、脚本が良いなと思う。

 ワールドカップラグビー準決勝、イングランド対ニュージーランドが始まった。いきなり、イングランドがトライした。メッチャ面白い展開になっている。


 10月27日(日) 曇 9156

 この2日、初めの食事は、肉そばを食べている。それというのも、『孤独のグルメ』で、美味しそうな肉うどんを食べていたからだ。今日は、普段食べないばら肉の脂身が入った豚肉を、わざわざ用意して食べた。こういう食べ方も良いもんだと思った。令和最初の天皇賞秋は、圧倒的1番人気のアーモンドアイが、圧勝した。菊花賞を回避して、距離適性でこっちに回ったサートゥルナーリアは、直線の坂を登ったところで後退して、ダノンプレミアムが2着、逃げたアエロリットが3着に残った。内から伸びたアーモンドアイは、3馬身差の圧勝。強い!騎乗したルメールは天皇賞3連覇。つまり、平成最後の天皇賞と、令和初めの天皇賞を勝ったことになる。

 圧倒するのではないかと思われた、ワールドカップラグビー準決勝イングランド対ニュージーランドは、ほとんど、何も出来ないニュージーランド。開始早々、イングランドがボールを細かく動かしトライをあげる。明らかにイングランドペース。ニュージーランドは、勢いに押される感じで、ミスの連続。ここまで何も出来ないのかと思うくらい、良さが全くでない。それをさせなかったイングランド。力が少しくらい劣っていても、明確で正しい戦略があれば、それを打ち破ることが出来ることを、エディー・ジョーンズヘッドコーチが証明した。

 前日本代表のヘッドコーチであるエディー・ジョーンズが、素晴らしいチームを作り上げた。ニュージーランドに何もさせなかった守備は、本当に素晴らしかった。試合を観ていて、勝ち目がないと思った。この結果は、日本代表の時に、南アフリカを破った戦略を持っていたのだから不思議ではない。どうすれば、相手の得意とすることを潰せるのか、どうすれば自分たちの特徴をフルに出せるのか。そういう事を良く判っている。また、株を上げた。彼の経歴は、彼の頭の中で作り出された練習方法と、戦略によって生み出された。本当に凄いことだ。

 準決勝のもう1試合、ウエールズ対南アフリカがこれから行われる。どうなるのか?


 10月28日(月) 曇/晴 10399

 今日も、肉そば。図書館へ行って本を読もうと出掛けたが、休みだった。近くの公園を散歩して、喫茶店でスポーツ新聞や本を読んだ。いわゆる山水画のスタイルが宋の時代の中国で、出来た過程の部分を読んでいる。これが、日本に来て、特に室町時代に、定着する。狩野派が出たのもその影響だ。どうやって出来たかとというのもあれだが、どうやって発展して、日本でどのような形で、影響が及んだかも重要だと思う。

 昨日のラグビー準決勝は、緊張感があったが、つまらない試合だった。キック合戦で、展開ラグビーではなかった。スクラムも南アフリカが圧倒していたが、接戦になった。準決勝2試合を観て、決勝では、イングランドが有利だろうと思うのは、普通だ。あのFWを止める方法を練ってくるだろう。エディー・ジョーンズと、コーチ陣は、最良の方法を考えてくるだろう。

 パコ・ウレニャがどうやらダマソ・ゴンサレスの娘と結婚したようだ。闘牛士なども大勢参加した。記憶が確かならハビエル・バスケスと結婚したのも、ダマソの娘だったはず。下山さんなら知っているはず。テレビでもやっていたはずだし、番長もいっていたと記憶する。アルバセーテの大闘牛士ダマソ・ゴンサレス。その娘2人が片目の闘牛士と結婚したことになる。面白いと思った。マリアノ・デ・ラビーニャが、松葉杖を使って歩き始めたようだ。


 10月29日(火) 雨 10922

 今日も肉そば。昼過ぎに出掛けた。競馬もないのに府中へ行った。府中市美術館で、『おかえり美しき明治展』(「明治の微笑み」をあなたに)を観に行った。閉館までいて府中で夕食を食べ、新宿の喫茶店で本を読んでいたら、遅くなって22時頃部屋に戻った。

 昨日は、ネットで松岡正剛の『千夜千冊』で、『円朝』小島政二郎著の書評を読んで、NHKBSプレミアムでやっていた『怪談 牡丹灯籠』の録画を観た。怖い話だ。悪女、お国が生々しい。四話の内、一話を観たら、脚本が源孝志だった。やられたなと思った。『京都人の密かな愉しみ』のシリーズから以降、ずっと注目している人。

 新宿で読んだ本は、『日本人と日本文化』<対談>司馬遼太郎・ドナルド・キーン。第3章 金の世界・銀の世界、まで読む。義政と東山文化がやっぱり面白いと思った。応仁の乱があり、一休宗純がいて、戦乱で文化人が地方へ流出する時代。雪舟も京から出ていく。この混乱の時代に、妙心寺の塔頭・龍安寺が出来、戦乱の後、西陣が出来、銀閣寺出来る。義政と阿弥衆が作り出した四畳半や庭園、絵画、花、茶の文化。司馬遼太郎は、あまり好きな作家ではないが、ドナルド・キーンとの対談は、非常に面白いものである。


 10月30日(水) 晴 12100

 今日は豚肉丼。スパに行って散髪。休憩所にあった、『Number』のワールドカップラグビーの記事を読んだ。ウトウトしながら『Number』を読んでいたので、図書館へは行けなかった。それから喫茶店で、『日本人と日本文化』の続きを読んだ。司馬遼太郎って、いろんな事を知っていることに驚く。でもそれは、小説に反映されていないような気がする。遊びがないよな。

 昨日観た、『おかえり美しき明治展』(「明治の微笑み」をあなたに)。明治の微笑みとある。ラフカディオ・ハーンも書いている微笑み。ハーンは、自分が雇った車夫がどんな時も笑顔だったと書いている。ある時、誰もいない時に、とてもつらそうな顔をしていたが、ハーンの顔を観ると笑顔になったという事を書いている。この展覧会の始めに処に、その当時日本を旅して歩いた外国人の本の記述が書かれてあった。

「日本の家族は情愛が深い。
日本人の親子の愛、子供どうしが見せる愛情はいつ見ても気持ちの良いものだ。
小さな子供たちが、叩かれたり、揺さぶられたり、
乱暴に引きずり回されたりしているところはついぞ見たことがない。
街を歩いていても子供の泣き声を聞くことはめったにないし、
遊んでいる子供たちが喧嘩をしているところもあまり見かけない。」(アルフレッド・パーソンズ『ノーツ・イン・ジャパン(日本スケッチ紀行)』より)

「この国ほどまったく安全に旅行できる国はない。 ・・・
私はこれほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていてたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。」(イザベル・バード『日本奥地紀行』より)

「日本人の微笑みは無償で与えられるものなのだ。それは全ての礼儀の基本となっていて、どんなに耐え難く悲しい状況であってもほほ笑みを浮かべるのである。」(レガメ『日本素描旅行』より)

 やはり、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が書いている通り、当時日本を旅行した外国人は同じような事を感じているようだ。バジル・ホール・チャンバレンは、ハーンを、日本を美しく語り過ぎると批判したというが、そんなことはないような気がする。それは、漱石にしても、荷風にしても、渡航して外国を観て帰って来ても、日本のことを書き続けたことからも判る。疑問を感じながら、違和感を抱えながら、その時代を生き、悩み、文章を書いた。それは、大事な事だと思う。


 10月31日(木) 晴 10593

 今日は牛丼。これからカレーを作ろうと思っている。『日本人と日本文化』の中で、第4章で日本人の戦争観の冒頭で、ドナルド・キーンが、面白いことをいう。それは、日本史を読むと、源平から戦国時代まで、勝負の結果が何で決まったかというと、裏切りだった。壇ノ浦の戦いで、緒方党などの寝返って源氏勝ち、関が原では、小早川が裏切って家康が勝つ。どういう意味か?司馬遼太郎に訊く。

 裏切った方は、のちのちまで非難攻撃されない。もともと同族社会で、親類縁者で繋がっているので、時世時節の何らかの理由で敵味方に分かれているが、分かれ方も明快な理由がない。この話の主題は、一般にこっち側の親戚縁者グループと、あっち側の親戚縁者グループが戦争する場合に、だんだん状況が白熱して来てどっち側かの内部的に切り崩したほうが得だという時が来る。すると、「それじゃおまえ裏切るか」という事で裏切る。

 明治中期にプロシア来た軍事顧問が関が原古戦場で、東軍と西軍の配置を聞いて、西軍が勝つといったという。結果を聞いて、ビックリしたという。が、裏切りがあったことを聞いて納得したという。すると、キーンは、忠義について聞く。徳川と島津を例にして、形式的に主従関係は成立するが、時世時節で徳川幕府を倒す。薩摩の侍にとっては、島津の殿様に対して忠義です、と。戦国時代には忠義という思想がないと、いっている。

 それと捕虜については、「生きて虜囚の辱めを受けず」といわれ、捕虜になる前に自ら死んでいった。キーンは太平洋戦争に従軍して、日本人の玉砕を何度も観ている。その司馬の答えが面白い。明治の日露戦争は、「なるべく」捕虜になるなと、いっているが、乃木希典は、捕虜になった人に対して、敵の場合も味方の場合も寛大だったという。キーンは、泉鏡花の捕虜が出てくる、『海城発電』という短編が当時公に発表されたが、昭和15年泉鏡花全集に、収録は許可されなかったという。司馬は、昭和初期から20年までの間のほんのわずかな期間で、それを伝統だなんて奇妙だといっている。

 キーン 逆に言えば、十年ぐらいかけると伝統を創りだすことができる、ということになるかもしれない。
 司馬 政治のおそろしさですね。太平洋戦争のころに謳いあげられたナショナリズムはたぶんドイツ的なもので、ヤマトの国の伝統とはずいぶん関係の薄いものですからね。

 この本のはしがきの冒頭には、ドナルド・キーン氏と私との間を強いて関係づけるとすれば、太平洋という水溜まりをへだて、あの戦争を共同体験したという意味において互いに戦友であったという以外にない。と、書いている。何だか気分がすっとした処がある。

 パコ・ウレニャの新しいアポデラードが決まった。ホセ・マリア・ガルソンになった。


 11月1日(金) 晴/曇 11357

 11月になった。あと今年も2か月。今日は肉そば。国立博物館でやっている『正倉院展』を観に行こうと、思っていたが、非常に混んでいる状況なので止めて、図書館へ行った。岡田秀之の長沢芦雪と、円山応挙の本を読みたかったが、応挙の本はなかった。府中へ行った時に、本屋で9月下旬に出版されたものだ。岡田秀之は、若冲の過去帳を、図録に書いた人で、滋賀の美術館で学芸員をやっている人。

 芦雪が生まれたのは、宝暦4年なので、書いたものには登場しないが、応挙の弟子になる。世界最高の若冲コレクターのジョー・プライスは、芦雪が長生きしていれば、若冲のようになっただろうといった。それだけ、画力を買っていた。芦雪が応挙の弟子になった頃の無村や呉春、曽我蕭白などは、面白いと思う。他に若冲や池大雅もいた訳で、京都画壇が絶頂期の頃だろう。

 あの冷泉家に養子に入って、現在当主になっている冷泉為人は、実は美術史家で大学の教授もやっているようだ。兵庫出身で、曽我蕭白の事を書いているという。だぶん、蕭白を調べる時には、必要になってくると思う。

 ラグビーワールドカップ3位決定戦は、前半を終わって28−10とニュージーランドがウエールズをリードしている。


 11月2日(土) 晴 9938

 朝、新幹線の切符を買って、喫茶店でモーニング。『日本人と日本文化』読了。最後のところで、奇人について話していた。旧制高校の奇人をキーンが話すと、そんなことを良く知っていると感心する司馬。源内も、司馬江漢も奇人。江戸の男が書く文学より、平安の女性が書いた文学の方が普遍的なことを書いているというキーン。最後の最後に、本居宣長は、「あまりにも日本的なものとしてがんばりすぎると、いやらしいかどうかは別として、あれは不自然なんです。 ・・・ これは小林秀雄さんにも申し上げてみたんですけど、どうしようもない、あの文章を読むと、生理的な不快感があるのです。 キーン まったく同感です。 ・・・ 司馬 たとえば『玉勝間』というのは、なにか細工物を見ているみたいな感じで、心が生き生きとおどってこない。文章だって、なんらかの心をおどらせるものでしょう。それが『玉勝間』だけはどうしようもない」

 続けて、山田風太郎の『警視庁草紙』の冒頭、「明治牡丹燈籠」を読む。西郷の都落ち。それを警護を命じる川路利良。警護とはいうが、見張っている。柳島での殺人事件と、人力車の車夫と若い女。内側から血染めの封印された家の中にある死体。その家の隣に住む円朝。疑われる円朝が、元岡っ引きに相談して、元同心と元南町奉行のところに話が行き知恵を授ける。それが、牡丹燈籠の噺。そして、新政府要人が揃った司法省のパーティーで円朝が牡丹燈籠を演じるという筋立て。都落ちする西郷に、一緒に薩摩に連れて行って欲しいと、涙で嘆願する川路。先生あっての川路でごわす。

 風太郎って、牡丹燈籠の出し方も、西郷と川路の関係とかも実に上手いと改めて思う。ちなみに、スペインで書いた愚老斎は、元南町奉行隅の御隠居、別名、隅老(ぐろう)斎または愚弄(ぐろう)斎が名前のモデル。ラグビーワールドカップは、南アフリカが圧勝した。イングランドは、試合をさせて貰えなかった。策士エディー・ジョーンズも、南アフリカのフィジカルには叶わなかった。日本も優勝するチームに敵わないわけだ。


 11月3日(日) 晴 11247

 肉そばを食べて、上野に向かった。西洋美術館は、長蛇の列。300mくらい並んでいて開館した。博物館も並んでいたが、入口より中の平成館の前には、400mくらい並んでいた。9時半開館予定を繰り上げて、9時開館になっていた。そんなの聞いてない!入館まで10分か20分くらい待ったと思う。出たのは、13時頃。中も凄い人で、若い女の子が、展示の仕方が下手とボソッといっていた。

 正倉院に保管されている宝物は、今までシルクロードを通って、日本に伝来されたといわれて来たが、この前のNHKの番組で、9割が日本で製作されたものであることが判ったという。今回1番観たかったのは、有名な香木の黄熟香。東大寺の漢字が入っている、「蘭奢待(らんじゃたい)」。足利義政と織田信長が一部を切り取ったという香木である。明治になり、明治天皇も切り取った。切り取り部分に3人の名前が書いてある。

 正倉院は、宮内庁が管理しているが、昔から天皇の勅使が封印を解き、正倉院の蔵の扉を開ける。閉じる時は、勅使が持ってきた天皇の文書で封印する。信長は、東大寺に行き、開けるようにいったが、断られる。4日後に、天皇の許可を得て正倉院に入り、蘭奢待から香木を切り取った。義政はどうやって切り取ったか?それが知りたいと思った。室町時代には、東大寺は衰退していたようだが、東大寺といえば、蘭奢待がイコールと思われていた時代のようだ。このことを調べている人が、おそらくいるだろうと思う。ちょっと探してみたい。

 切り取られた香木の幅は、義政、明治天皇、信長の順で小さくなって行く。体積は、香木の元々の大きさがどれほどなのか判らないが、義政、信長、明治天皇の順に小さくなっているのだと思う。初めて蘭奢待を切り取ったのは義政?ちょっと調べたら、義満の名前が初めにあるものもある。義教や家康などの名前もある。

 それから、人が一杯いた琵琶がある。現代の職人によって複製されたものと、本物。両方が展示されているが、圧倒的に本物の輝きと美しさは、比べるまでもない。観終わったあとに、庭園を散歩した。応挙館前を通る。益田鈍翁(孝)が使っていた物を移築したもの。何も知らないと、古い建物としか思えない。中の応挙の絵が観たいなぁ。そんなことを思って帰って来た。


 11月4日(月) 晴 12751 奈良のホテルにて

 昼過ぎ、新幹線などに乗って、奈良にやってきた。駅前のホテルに荷物を預け、昼食を取り、興福寺へ向かう。まずは近場から、南円堂、北円堂で、国宝の仏像を見た。康慶一門の仏像。法相六祖座像の両手の指を組んで玄ムの表情がなんとも素晴らしい。眉毛を八の字にして悲しいような困っているような、複雑な感情を秘めている。快慶の優しさなども感じる。運慶の四天王立像は、運慶らしい動きを感じる。無箸菩薩立像、世親菩薩立像も、東京国立博物館で観たときはぞっとしたが、明るい日の光の中で観ると、感じがだいぶ違う。それから、阿修羅像を観ようかと思ったが、疲れたので喫茶店で休んだ。

 体力が戻れば、奈良国立博物館へ行って、『第71回正倉院展』を観ようと思う。今日は20時までやっている。ダメでも、明日でも観れる。今日は祭日なのに、山手線が混んでいた。もう少しすいているかと思ってたのに。京都から奈良への電車は、伏見稲荷までは人が凄かった。やっぱり、外人が多い。千本鳥居が観たいんだろうなぁ。そして、奈良も混んでいる。旅行案内所では、『正倉院展』の切符も売っている。そして、30分待ちの情報も出ていた。夕方になれば少しはすくだろうと思う。


 11月5日(火) 晴 16747 奈良のホテルにて

 今日は、朝食後に法隆寺へ向かった。駅前で自転車を借りて、南大門横に置いて中に入った。参道の松並木も綺麗だ。西院伽藍を左に曲がり西円堂を目指すが途中で止めた。12時になったらまた来ようと思った。時の鐘を聴くために。五重塔、金堂、大講堂を観て、大宝蔵院で玉虫厨子などを観る。時間が来て西円堂で、時の鐘を聴く。約1分間に1回つかれ12回目の鐘は、12時12分くらいに終わった。それでも鐘の余韻が残っている状態で、次の鐘がつかれていた。

 昨日行った興福寺で観た仏像は鎌倉時代の物。その様式は、法隆寺などの奈良時代の物を、参考にしているのだと思う。正倉院にしろ国家が、形になって行く処で、律令体制や仏教などの文化戦略がある。博物館でやっていた『第71回正倉院展』にも行った。18時過ぎに、200mくらいの列が出来ていた。それは、割引時間になる18時半からの列。普通の料金を払って直ぐに入った。聖武天皇が着たという袈裟。いろいろな布切れを紡いで作ってある。着物に執着しないという気持ちを表しているのだという。

 もう一つ是非書いておかなければならないのは、仮山残欠という今風にいえばオブジェ。流木のような木を組み合わせて、州浜などに見立て、その上に山に見立てた木などを置き、銀などで小さな木に見立てた物に、裂(きれ)を用いて花や葉に見立てる。盆栽のようなものを儀式に使っていたという。700年代にこういうものがあったことを知って驚いた。

 日が暮れたので、これから東大寺へ行こうと思う。


 11月6日(水) 晴 15092 京都のホテルにて

 昨日の夜、バスを氷室神社で降りて、東大寺の参道に入ると獣臭がする。鹿の啼き声が響く。南大門の運慶、快慶が作った阿吽の像は、暗くて見えない。糞を踏まないように注意深く歩く。近くに鹿の気配がある。座っていたり、歩いていたり、啼いていたり。奈良博物館や、興福寺で感じなかった、獣臭。ここには、鹿以外に猪に注意の看板もある。この夜道、猪が突然出てきたら、牛のように怖い。二月堂のお水取りに来ているから、東大寺は夜中でも境内に入れることが判っているが、鹿よりも猪が怖いのだ。大仏殿の左横に谷みたいなものがあるがるが、以前来た時の日中に猪を何匹か見た。谷底だったので、あっいるくらいの感じだが、夜の暗闇の中では、音に敏感になりながら歩くしかない。ほぼ、上弦の月の明かりが頼りといっていい状態。こういうのって、夜だけに感じる感覚なのだと思う。それを味わえたことが良かった。

 今日は、奈良町へ出掛けた。ブラブラして世界遺産、元興寺へ行く。古いお寺で初めて行った。5mくらいの模型の五重塔(国宝)があった。極楽堂、禅堂も国宝。その横には、石仏群が並んでいる。天平の頃、今の10倍以上の敷地だったようだ。一時は、興福寺と対になるような言い方をしていたようだ。飛鳥時代のお寺の瓦を研究していた人の特別展をやっていて、軒下の瓦の模様が、蓮の花になっている寺が多い。真ん中にある円に蓮の実になるめしべが描かれていた。仏教が伝来した当時は、そういう模様を使っていたようだ。

 昼食も奈良町で和食を取り、喫茶店で一服して、県立図書館へ向かった。蘭奢待を調べるため。コピーを取ってきた。夜になり、京都のホテルにチャックイン。


 11月7日(木) 晴 16823 京都のホテルにて

 ホテルで朝食を取り、博物館へ向かう。切符売り場は混んでいない。入口の3階に入ったら混んでいた。東京もそうだが、京都も展示物の説明書きなどは、立った人の高さにあり、読みにくい。3階には、三十六歌仙絵が展示されていて、紀貫之などの三十六歌仙の名前と歌が書いてある。説明書きも、頭の高さより少し上に貼ってあるので格段に見やすい。奈良の博物館の展示方法が1番素晴らしかった。四方から観れる展示には、頭より高い処に表裏で両方から読めるタイトルと説明書き貼られているので、四方から読めるのだ。東京と京都は、奈良の博物館を見習うべきだろう。

 絵は、鎌倉時代の物なので、劣化している。画面が小さいので良く見えない。これは想像していた通りだ。大正に益田鈍翁が36に切断した。その時に買った人たちは、財界の数寄者たち。ほとんどが茶会のときに、床の間に掛軸として飾るために買った。切断され歌仙ごとに分かれた絵を掛軸にするときに、表具を歌などに合わせて豪華に飾ることを競ったようだ。鈍翁は勿論、その弟や子供もそうだし、他の数寄者も、室町時代の絵を切り取って表具にしたり、中国の貴重な裂を使ったり、鈍翁だったかは、徳川将軍が使った着物を使ったりしたという。

 つまり、この三十六歌仙絵の掛軸は、絵もさることながら、表具を観比べるという楽しみもあるのだ。結構長い間いたので昼を過ぎていた。隣にある豊国神社で、方広寺の鐘を観る。今は神社になっているが、この神社も昔風の神社のような感じだ。それから祇園四条へ戻り、牛カツ重のランチを食べる。疲れたので、ホテルへ戻り昼寝した。夜、歴彩館へ行こうと思っている。日が暮れると、だいぶ寒くなってきた。札幌では、初雪が降ったという。平年より10日遅いという。


 11月8日(金) 晴 20390 京都のホテルにて

 予定より遅く起きてしまい出掛けるのが遅れた。朝食後、嵐山へ向かった。阪急、嵐電と乗り継いで、嵐山。商店街には人が溢れ、外人が多い。昨日行った博物館にも外人はいるが、街中ほど多くない。福田美術館は、10月にオープンしたばかりの新しい美術館。日本画中心に1500点のコレクションがあるという。宗達、光琳、若冲、応挙、蕪村、呉春、芦雪、蕭白、北斎、広重、大観、松園、夢二などを観る。夢二を観ると、寺山修司を思い出す。昔、角川文庫から出ていた、寺山修司の表紙を飾っていたのが、夢二だったからだ。

 この美術館は、展示されている絵の写真を撮っても良い処で、写真ダメな絵も何点があるが、ほとんどの絵が写真を撮れる。だから、若冲も応挙も蕪村も、蕭白も北斎も広重も取ってきた。なかなか珍しい美術館だ。カフェから観える渡月橋などの風景も楽しめる。水の流れる風景。川を観ていると、気持ちが落ち着く。それから四条へ戻って、遅めのランチを取った。

 船岡山などへ行こうと思っていたが、どうも時間がなさそうだ。行きたい処は、いろいろあるが、行けない処が多い。これはしょうがない。それでも、行かなければならない処には行けた。夜になったらまた、歴彩館へ行こうと思う。明日の夜には、東京へ戻っているだろう。


 11月9日(土) 晴 11189 東京にて

 京都から東京へ戻ってきた。喫茶店のモーニングを食べたかったが、目的の店では取れなかった。残念。土曜日だからか、閉まっていた。9月の時は、改装工事なのかずっと閉まっていて、今回はランチをやっていたので、今日のモーニングを楽しみしていたが、しょうがない。そのまま、錦天神へお参り。帰りは四条通を歩いてきた。途中、御旅所に寄り、横の冠者殿社にもお参りする。駅で、駅弁を買って、新幹線の中で食べた。食べたら眠くなって寝た。

 歴彩館で、冷泉為人の『円山応挙論』を読んでいた。第1章のところで、応挙までの日本画史のようなものが書かれていたが、これが面白かった。それと、洛中洛外図関連の本に、秀吉前に柵という盛り土のようなものが、京の中にあったことを知る。錦高倉の処にもあったというのは、面白いと思った。秀吉が造った土塁の前に、そういうものがあったのが面白い。おそらく、応仁の乱前後の混乱で、そういうものが出来たのだろう。

 帰って来て、競馬をやって、録画していた、『孤独のグルメ』を観ていたら、焼き肉が食いたくなった。夕食は、豚肉を焼いて食べよう。


 11月10日(日) 晴 10395

 『日曜美術館』で、三十六歌仙絵をやっていた。先週が、正倉院展。その後に、熊本地震で崩れた熊本城修復をやっていた。地元出身の大手建設会社の社員、地元の石垣職人、大工などが携わって復旧されていく過程をやっていた。熊本人の思いを、それぞれの担当部署を通して最良のものにしようとする姿がそこにある。いつまでも続くと思われた風景が、地震に因って豹変した。元のような姿の城になって欲しいという市民の思いと、それに応えようとするプレッシャーを感じながら修復する人々の思いの間にある、微妙なずれ。そのずれを埋めるのは、何とかしようとしている思いだ。それは、地元の誇りに対するものでもあり、自分の職人としての誇りでもある。文化財の修復は地味で、経験の必要な作業。それは、絵画でも同じだし、他のものでも同じだ。東日本大震災で、津波などで被災した文化財の修復も非常に地味で困難な作業だ。こういう処にお金を使わないでどうするのかと思う。熊本では、修復のために市民から一口1万円で、一口城主の資金を集めた。10万人の人から資金が集まったという。こういう風に、多くの人を巻き込んで、修復をするのは、大きな力になると思う。出来上がった天守閣を公開して、市民は涙を流したという。

 奈良で、『正倉院展』を観たとき、鏡の図案を書いた物があった。飛鳥時代か奈良時代、円の中に図案が描かれていた。その横にはその円を8つに分けているものもある。中心点から8つに薄い線が引かれ、鏡を8つに分けていることが判る。円はどうやって描いたのか?質問したら、のけぞって調べてくれた。ぶん廻しで描いたという。ぶん廻しとは、コンパスの事。この時代にもあったという事だ。北斎の時代にあったのは知っている。北斎は、円と三角があれば、全てを描けるといっている。どういうぶん廻しなのかは知らない。が、たとえば中心点に針を刺し、糸を結んで一回りさせれば円は描けるわけだから、意外と簡単に円を描けたのかも知れない。若冲が花丸図など描いていたが、そんな感じだったのかも知れないと思った。石峯寺の天井に描いた花丸図は、正方形の板なので中心点は簡単に出せただろう。金比羅さんの障壁画の花丸図は、升目書きなどしているわけだから、ちゃんと計算して構図と円を出したのだと想像する。してみれば、若冲意外と理系的な頭脳の持ち主だったのかも知れない。

 昨日は立冬。そして、天皇の即位を祝う国民の祭典が皇居前広場で行われた。今日はパレードがある。パレード見ずに競馬で、ドカンと万馬券。3着に武豊。おそらく、武豊が絡んだ万馬券を取ったのは初めてだ。腸内細菌が、大腸菌しかないと思われていた時代に、他の菌もあることを発見した日本人研究者が、そのネーミングを考えた時、社会も腸内もバランスが大事と考える。世の中、善人だけでもないし、悪人だけでもない。そのバランスが大事なので、善の魂をもった菌と悪の魂をもった菌という意味で、善玉菌、悪玉菌を命名したという。馬券もバランスが良くないとダメだ。今日は、そのバランスが良かったので、ガツンと来た。しかし、エリザベス女王杯は、2着の馬を買っていなかった。まあそれはしょうがない。


 11月11日(月) 雨/曇 14226

 十四夜の月は、雲に隠れておぼろげに浮かんでいた。医者に行った帰りに空を見上げたら、雨雲が通過してクッキリと浮かんでいた。今日は寒くて初めて暖房を入れた。入れると入れないでは、大違い。風邪をひきそうになった。医者の待ち時間に、図書館で借りてきた、河治和香の『国芳一門浮世絵草紙 狭風(きゃんふう)むすめ』の続きを読んだ。歌川国芳の弟子からは、月岡芳年や河鍋暁斎が出ている。

 河治和香は、『遊戯神通 伊藤若冲』を読んで気に入った。浮世絵が専門で、そういう本が読みたいと思っていたら、こんなものがあった。しかも歌川国芳。三遊亭円朝は、一時、国芳の弟子になっている。冒頭の、「生首」は、河鍋暁斎と思われる弟子が、生首を拾ってきて写生したりする話。これは実際あった話らしい。

 風太郎は、『警視庁草紙』の中で、河鍋暁斎を登場させている。吉田松陰が書いた遺書、留魂録。弟子に渡す分と、万が一のために同牢にいた沼田吉五郎に託す。託された吉五郎が、やはり同牢だった河鍋暁斎が描いた春画を2枚を貰受け、八丈島へ流される。食い物も少ない中、生き延びたのは、暁斎が描いた春画を見せて食べ物にありついてたからだ。1枚は、16に別けて16人に渡す。初めに殺されるのが、女陰を描いた絵を持っている男だった。あと1枚の春画と、留魂録をふんどしの中にしまい込み、明治まで生き延び、恩赦で横浜に戻る。そこで、松下村塾にいた神奈川県令の野村靖に、留魂録を渡すという筋立てだった。人まで殺すほどの春画を描いたのが、河鍋暁斎という風に出てくるのだ。

 河治和香が書く、国芳の弟子たちは、ろくでなしばかり。本当にこんな中から、月岡芳年や、河鍋暁斎、三遊亭円朝が出てきたのか。面白い幕末の風景だ。芳年は、円朝の人情噺を聞いて涙を流していたという。


 11月12日(火) 晴 10146

 食事をして、図書館へ向かう。『正倉院の謎』由水常雄著を読んだ。もう教科書に、どう書いてあったかは忘れた。東大寺正倉院は、昔の宝物を貯蔵しているところくらいにしか思い出せない。天平の時代に、聖武天皇が東大寺大仏を建立し、聖武天皇が崩御の七七忌に、光明皇后が聖武天皇の遺愛の品を正倉院に収めたのが始まりだという。

 蘭奢待についても、多くのページをさいている。室町幕府では、義満、義教、義政が正倉院を開け蘭奢待を観たというが、東大寺正倉院の開封を記録している『東大寺三倉開封勘例』には、義政しか記述されていないという。何故なら、義満と義教の時代は、将軍としての権力が強すぎて、東大寺の方で、記入しなかったのではないかという事らしい。義政の時代になると将軍という権力が地に落ちていたので、堂々と記述されたようだ。どれだけを切り取ったかは、この本には書かれていない。

 正倉院の開封記録をいうのもは、これだけをとっても、全てが記述されていないことが判る。それでは何故、義満と義教の事が判るのかというと、義満、義持、義教の三代の将軍の側近に仕えた醍醐寺三宝院門跡の満済が書いた『満済准后日記』に書かれてあるのだという。信長の開封は、『信長公記』に書かれてある。また、明治時代には、伊藤博文が、正倉院の宝刀を借り出し、明治天皇に見せた後、宝刀7つか8つを返却していないのだという。

 正倉院宝物は、いったい誰のものなのか?今は、宮内庁が管理しているが、元々は東大寺のもののようだ。約1万点弱の宝物の内、聖武天皇と、光明皇后のものは800点くらいで、他は、東大寺の信者が寄進した物がほとんどらしいのだ。そういう謎を書いている本のようだ。

 今日は十五夜。まだ月を観ていないがこれから観ようと思っている。


 11月13日(水) 曇 11347

 飯を食い、散歩に出かけた。喫茶店に寄り、読書。買い物をして戻った。いつも行く道から外れ、違う処へ寄るのも面白い。薄紫の花を咲かせる花の名前が判った。ホトトギスという。今の時期に、咲くようだ。東京でも観れるし、京都でも咲いていた。緑とか紫とか好きな色。日本人は、不思議とこういう色をひとまとめにして青と呼ぶ。信号機の緑色を、青と呼び、大相撲の緑色の房を青房と呼ぶ。面白い呼び方である。やまと言葉では、青は、青、緑、紫を含んでいる。そういう意味では、青が好きということになる。

 西川佑信(すけのぶ)という、ほとんど知られていない浮世絵画家がいたことを知る。江戸前期から中期にかけて京都で活躍した。美人画で名をはせた。当時の浮世絵は、1枚ものではなく、本として評判になった。好色絵本も多数出したという。池大雅の師匠、柳沢欺園は、「浮世絵にては花房一てう(英一蝶)などよし。奥村政信・鳥居清信・羽川珍重・懐月堂などあれども、絵の名人といふは西川祐信より外なし。西川祐信は浮世絵の聖手なり」と書いているという。江戸で浮世絵の初めになる錦絵を描いた鈴木春信にも影響を与えたという。春信は、狂歌連や源内などの影響で、見立絵や暦絵など彩色の版画を手掛ける。多色刷り版画は、源内の知恵らしい。

 寛文11年(1671)から寛延3年(1750)というから、若冲が生きている時代に重なる。おそらく、若冲にはほとんど影響を与えていないだろう。花鳥画と美人画じゃ画題が違う。けど、応挙には、影響を与えたような気がする。ネットでしか絵を観た訳でないが、『柱時計美人図』など、応挙から松園に通じる京都画壇の美人画の系譜を感じる。


 11月14日(木) 晴 12518

 朝食後、『なつぞら』を観ていた。高円寺へ行き、ぶらついて散歩兼、買い物をして帰ってきた。『なつぞら』を最後まで観た。スタジオ・ジブリの高畑勲というプロデューサー、監督がいる。『ゲゲゲの鬼太郎』や『ひみつのアッコちゃん』『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』などに参加して、『火垂るの墓』の脚本、監督をする。遺作は、デッサンタッチのアニメ『かぐや姫の物語』だった。『なつぞら』を観ていて、高畑勲がやってきたことをなぞっているような気がした。ただし、作品至上主義の高畑は、スタッフには非常に厳しく、感謝も配慮もなかったという。その辺は、なつ達とは、全然違う。

 奈良に行ったのは、『正倉院展』があったからでもあるが、ふきんを観たかったというのもある。夏の夜に、蚊よけの蚊帳。蚊帳の麻から作っているふきんである。東大寺の大仏を拭いているという。それを触って観たかった。1枚300〜400円くらいで売っている。工房が隣にあって、懐かしい蚊帳も吊ってあった。ザラザラした蚊帳の手触りを思い出す。しかし、ふきんの手触りは柔らかい。ゴミを吸着して優しく取ってくれるような感じだ。高いものもある。大きな物もある。いろいろな色に染めた物もある。

 奈良は平城京の昔から、麻で着物を作っていたという。それが、蚊帳になり、その生地を、ふきんにして使っていた。近所に配ると評判になり、ふきんを売り始めたという。いまのふきんは、綿やレーヨンを混ぜたものを使っているのが主流のようだが麻の入ったものもある。麻を染めたのれんなども売っている。これの類似品が100円ショップでも売っている。吸水性がとてもいい。


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