断腸亭日常日記 2020年 1月 京都旅行

--バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

por 斎藤祐司


 2020年1月1日(水) 晴 11173

 大晦日は、年越しそばを食べた後、酒も飲まずに紅白や孤独のグルメを観ていた。年が明けてから床に就く。寝れるのかと思ったが、ちゃんと寝れた。起きたら、『きのう何食べた?』を放送していたが、これは録画にして、録画していた、『国宝へようこそ 第1集 法隆寺』を観る。こういうのを観ていると気持ちが落ち着いてくる。法隆寺に行った時に観た、橘夫人念持仏。光明皇后の母親である。正倉院は、東大寺の大仏(奈良の大仏)を建立した聖武天皇七七忌に、遺愛の品を奉納したのが始まり。

 法隆寺は、日本の政治体制を確立させる為に、十七条憲法を中心に、天皇中心に、仏教、儒教、神道の信仰に寄与した。女人でも極楽浄土へ行けるということを信じ、橘夫人の念持仏が法隆寺にあるようだ。光明皇后の、父は藤原不比等。不比等が移転した寺に興福寺と名付けた。実は、正倉院の建立の式典は、東大寺ではなく、光明皇后の実家の菩提寺、興福寺で行われた。飛鳥・奈良時代は、天皇と豪族などが絡み合って、時代が進んで行く。

 江戸時代光格天皇が天明三年に即位して、徳川幕府を中心とする武士階級と対立が始まり、それが、倒幕に繋がっていくというのを、BSの『偉人たちの選択』でやっていた。光格天皇って幕末の人だとばかり思っていたが、天明から天保の人。天明の大飢饉が起きた時に、御所に人々が集まり千度参りをしたという。前年には田沼意次が失脚。多い時は、日に3万人が御所に集まったという。光格天皇と関白が幕府に、民衆救済を要求。これは禁中並公家諸法度では、違反行為であったが、幕府は1500俵の米を京都市民へ放出し、深刻な事態であったために不問にしたという。翌年には、京都で天明の大火が起こる。御所再建でも、すったもんだが起こった。そういう事で、天皇と幕府の力関係の逆転現象が起こって行くようだ。つまりこれは、若冲の時代でもある。明和八年から安永三年までの三年間、錦市場が閉鎖され、再開の為に若冲が奔走する。この間の絵は残っていない。それは、錦市場再開の為に労力を注いだためか、天明の大火で焼けたためか?それは、定かではない。

 ニュースによると、ロカ・レイのアポデラードが変わるようだ。ホセ・アントニオ・カンプサーノから、トーニョ・マティージャへ。タラバンテが別れたマティージャである。闘牛の世界は、金が絡むから、闘牛士の取り合いになるのだろう。


 1月2日(木) 晴 10497

 昨日、元朝参りいった。いつも行くお寺でお参り。誰もいない。隣の神社へ行ったら、鳥居の外まで人が並んでいて、200mくらいの列が出来ていた。それで、違う処へ行こうと、歩いて行くと、そこには、宮司のような人がいて、お参りのあと、お祓いをしますと、お祓い棒を振って貰った。お神酒も飲んで、その後、喫茶店に入ろうと歩いていたら、上からボタッと落ちてきた。鳩の糞が肩に落ちた。平和の象徴である鳩からのもらい物である。これは、春から縁起が良いなぁと、思うことにした。

 大晦日の『孤独のグルメ』は、マドリードから戻った井之頭五郎が、博多に行って、釜山に行って、博多に戻る忙しい年末。博多の海鮮料理が上手そうだった。出雲より西に行ったことがないので、九州は遠い。それにしても、食い過ぎだ。釜山で食べた、タコの鍋料理よりそそられる。博多に戻って年越しは、屋台で博多豚骨ラーメン。替え玉におでん。細麺は良いとして、あの匂いとコッテリが今はつらいな。牛すじと玉子、大根と厚揚げ。豚バラと砂ずり。がんもどき、餃子天。どう考えても食い過ぎだろう。それだけ元気ってこと。来年の健康を祈っていた。

 プロ野球で、ドラフト6位で入団して、11年間1軍でヒットを1本も打っていない選手が、12年目で初ヒット。初ヒット打つまでの最長記録。シーズン後引退。全然活躍しないのに、何故12年間プロで飯が食えたのか?ポジションは、捕手。1軍には、レギュラーがいて控えもいる。捕球してから2塁への送球が早く、守備で期待されていた。上にはレギュラー、下からは新入団の期待の選手。挟まれる感じで、2軍生活が続く。新人投手の教育。1軍に上がって活躍していく姿に、いつしか嬉しさを覚えたという。新人が勝ち星をあげて、「自分を一番判っているのは、中田さん」という言葉をきいて、嬉しかったという。お金じゃなくて、そうやってほめて貰えるのは、嬉しかっただろうと思う。1番喜びを感じたのかも知れない。どれだけやっても、批判されれば、やる気もなくなる。そんな選手たちの声が、ヒットを1本も打っていなくても、存在価値を示していたという。ところが、目が悪くなり球が二重に見える。キャッチングで恐怖を感じたという。それでも、努力して、19年1軍に呼ばれ、初ヒットを記録する。

 ドラフト1位で入団しても、3,4年で引退して行く選手もいる。12年間プロで野球が出来たことを感謝していた。こういう選手もいるんだなぁと思った。スターの影で、名も知られずプロの世界から去っていく。12年間プロでそうやって、選手生活を送るなんて想像できない。腐ることなく、いつも真摯に野球に取り組む。そういう報われない努力は、今後の人生にも役立つだろう。自分の事を考えると、気が遠くなるような努力だと思ってしまう。

 何もプロ野球選手だけではなく、他のスポーツでもこういう事は起こっていることだろう。闘牛の世界でも、これはある。観客の目。牛との厳しい戦い。


 1月3日(金) 晴 10919

 いつも行く神社は相変わらず、人が並んでいる。流石に、鳥居の外まではもう並んでいないが、それでも2、30mは並んでいて、直ぐにお参りは出来ない。正月だけ来る人が多いのだ。だから、昨日も今日もお寺さんでお参りして、神社は素通りしている。誰もいない、小さな社がある神社なら直ぐにお参りできる。そういう処で、お参りする方が良い。明治神宮とか、人がうようよいる処は行きたくない。美術館なら、我慢するけど・・・。

 去年のテレビの人気番組ランキングを、NHKでやっていた。その中で、視聴率が良い番組が上位に来ている。当然だと思うが、視聴率が悪くても、良い番組というのがある。観たい番組も、そういう風にみんなが観ないものの方がが好きだ。番組の中で、SNSとコラボして、盛り上げているものもあるという。今風だ。ディレクターや、脚本家も出演していたが、作る側の意図で視聴率が取れないことの方が多いという。

 ディレクターの1人が、「 『いだてん』の後半がめちゃくちゃ面白かったけど、視聴率が悪かった」と、いっていた。そう思う番組もある。観ていて面白いと思っても、全然視聴率が上がらない番組もある。今若者は、テレビを観ずに、YouTubeを観ている方が多いともいわれているようだ。SNSで話題になっているから観るというのも多いようだ。昔のように、ネットがない時代のテレビの視聴率に比べると、今のテレビはメディアとして弱くなっている。

 本だって、ネットやSNSに押されて、売れないし、Amazonの影響で、本屋もドンドンつぶれている。面白い本が売れるとは限らない。つまらなくても話題性があれば、売れたりもする。難しい処だ。書きたい題材を書いて、面白くするしかないと思う。


 1月4日(土) 曇 9742

 肌寒い感じがする。夜になると、雨とも初雪が降るともいわれている天気予報。三が日が過ぎて、ようやく、スーパーなども普通の営業に戻った。人でも多く、レジも混みだしている。土曜日だからか、三が日開けだからか、いつも空いている時間も混んでいる。通常値段になっている物、まだ高くなっている物もある。

 昨日夜NHKでやっていたアニメ『夜は短し歩けよ乙女』を観る。ドタバタのアングラ芝居のようなアニメだった。とはいえ、原作は恋愛小説だという。せわしなさと、ハチャメチャなところと、スピード感はワクワクする。舞台は、現代京都。それも面白い。おそらく、小説だと全然違う感じになるんだと思う。今度京都へ行ったら、読んでみようかな。

 古本市の神のセリフが、「本というのは全て繋がっているんだ。例えば、あの子が持っているシャーロックホームズ全集。あの作者はコナン・ドイル。彼は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌの影響を受けて、『失われた世界』というSF小説を書いた。ほら、あそこに置いてある本だ。そのベルヌもまた、アレクサンドル・デュマを尊敬していて、それで書いたのが、『アドリア海の復讐』。デュマの小説『モンテクリスト伯』は『巌窟王』という名前で、日本に親しまれている。これを最初に翻案したのが、万朝報の主催、黒岩涙香。彼は『明治バベルの塔』という小説に、作中人物として登場する。その小説の作者が山田風太郎。彼は、『戦中派闇市日記』の中で、『鬼火』という小説を愚作という一言で切り捨てた。それを書いたのが横溝正史。彼は若い頃、『新青年』という雑誌の編集長で、彼と一緒に編集してたのが、アンドロギュノスの血筋の渡辺温。渡辺の交通事故死を、春雨という文章で追悼したのが、谷崎潤一郎。その谷崎と雑誌で文学論争を展開したのが、芥川龍之介。芥川は論争の数か月後に自殺を遂げた。その自殺前後の様子を踏まえて書かれたのが、内田百閒の『山高帽子』。で、その百閒の文章を賞賛したのが三島由紀夫。三島が22歳の時に、「僕はあなたが嫌いだ」と、面と向かっていったのが、太宰治。太宰は、結核で死んだ友人に、「君は良くやった」という追悼文を書いた。それがあそこの女性が読んでいる、織田作之助。全ての本は繋がっていて、この古本の海は一冊の大きな本なんだ。」

 「僕は古本市の神だ。いたずらに高値を付けて、流れを阻害する者たちに天誅を下し、囲われた本たちをこの海に返す義務がある。」 「しかるべき場所に、しかるべき値段であると思うよ。」 なかなか訊きごたえのあるセリフだ。古本は正当な値段で、あるべきという事なのだろう。

 作家や作品の関連性を、上記のようなセリフで登場人物に語らせるのは、面白いと思った。


 1月5日(日) 晴 10431

 夜中に、みぞれが降っていたようだ。朝は寒かった。近くの神社は、ようやく、落ち着いて並んでいる人はいなかった。茅の輪が残っていてるから、左右に3回まわってお参りをした。朝途中から観た『日曜美術館』ビックリした。何だこの人!皆川明。生地作りから始めて、人生100年時代の服を作っている。東京現代美術館で、彼の作品などを展示しているという。ちょっと覗きに行きたくなる。あとで、録画したものをちゃんと観よう。

 Eテレの『達人達』デザイナーの山本寛斎と、旭山動物園長、坂東元の対談を訊いていた。71年ロンドンで開いたファッションショーのテーマが婆沙羅。つまり歌舞いてる姿をデザインした。模倣の国日本から、新しく斬新なファッションが生まれたと絶賛されて大ウケした。73年デビット・ボウイのツアー衣装デザインを担当。あのグラムロックの頃だ。レコード・ジャケットの衣装もそうらしい。こうなると、服も売れるのは、当然のこと。寛斎がいうには、向こうの文化の土壌で、勝負するなら同じことやってもダメだから、日本的な事をやって行くしかなかった。という。その奇天烈さが、ロンドンでウケた。

 これ今風にいうと、ロカ・レイだなと思った。そう感じた。それまで何十年も闘牛を観てきた人たちが、ハッと驚く瞬間をファエナやランセの中に取り入れて、スペイン人を驚かせた。エル・フリが取り入れた、メキシコ風の闘牛と違う、闘牛の核を感じさせる闘牛だったのは大きい。クルサードという闘牛理論に則った闘牛術に、古くからの闘牛ファンも、また、新しい若い闘牛ファンも、ロカ・レイの闘牛を受け入れた。

 同じ土壌でやっても勝負にならないと、ロカ・レイが考えたのかどうかは判らない。おそらく、感覚的なことで、ロカ・レイはやっているのだと思う。そういう処は、山本寛斎と同じじゃないかと思う。でも、と思う。モレニート・デ・マラカイは別にして、セサル・ヒロンやエロイ・カバソス、そして、セサル・リンコンは、スペイン人以外の、南米人であるがスペインで成功した。彼らは、エロイ・カバソスにしろ、セサル・リンコンにしろ同じ土壌で、正統的な闘牛で勝負した闘牛士で、しかも、成功した闘牛士だ。セサル・リンコンの成功の瞬間も、最高の瞬間も、この目で、目撃した。

 山本寛斎の対談を訊いていて、闘牛のことを思い出した。旭山動物園長の坂東元の言葉も心に残ったものがある。スズメと同じ餌を食べている鳥は、足で餌を挟んで食べたりするけど、それを見ているスズメは、真似をしないんですね。それはそれでいいという感じで。それぞれが、分相応に生きている。それが、自然の営みだと思うんですね。なんか、考えさせられるものがある。


 1月6日(月) 晴 9280

 朝の散歩で、財布を忘れ、小銭入れしかなかったので、スーパーへ行ったら、レジ前で気付いて、籠の中に入っているものを棚に戻して買い物した。なんか後ろ髪を引かれる思いになった。

 BSプレミアムで、『みをつくし料理帖』再放送をやっている。8話物の方である。大坂から江戸へ天満一兆庵の主人たちは、息子を頼って出てきたが、澪は、江戸のつる屋という料理屋の親爺に見込まれて、料理を作る。江戸では、カツオは初鰹と決まっていた時代。安いから買って来て、時雨煮を作る。しかし、店の客は、「猫またぎ」かと、いって銭を置いて出ていく。秋の戻り鰹は猫さえ食わない、猫もまたいで通る。それくらい野暮な食べ物と思われていた。大坂では、脂ののったこの時期のカツオは好まれる。江戸では、初鰹以外は、意地でも食わない。大坂と江戸の違いは大きい。澪は、恥をかく。店主の種市に何も言われていなかった。小松原という侍が来て、つまみをくれといわれ、それを出すようにいう。種市は、あれをというが、澪はあれだけはというが、侍は、あれを出せという。この料理は、顔立ちと同じ味わいがする、という。見事な下がり眉だと笑う。そして最後に、親爺としては、盛大に恥をかかせたかったんだろうよ。という。

 その話を、ご寮さんにいうと、「その方は、よう判ってる。つる屋の旦那はんは、わざと恥をかかせたんやろな。家の人もいっとたわ。才のない者には、盛大に面倒を見る。才のある者には、盛大に恥をかかせる」

 ご寮さんの治療に来た医者が、腹を空かせていて、そのにぎりめしにして出すと、「美味しい」といって食べる。医者が帰った後、澪は、それで、店の前で、はてなの飯。ふるまいめしを配る。食べた女が、「あー美味い。けれど、何の魚だろう?」はてなの飯?なるほど、そういう事かと、俺も俺もと食べ始める。気に入ったら店で食べれるようになっている。それで、店に人が入るようになる。そして、大繁盛する。

 澪が、子供の頃、ご寮さんから、腹を空かせていた時に食べたのが、おかゆ。水と米だけで、これだけ美味しいやでぇと、教えられる。それが、澪の料理の原点。当たり前の事を丁寧に作る。安いものでも、工夫して美味しくする。澪の料理には、そういう真心がある。客に好まれるだろうなと思う。


 1月7日(火) 晴のち雨 10135

 朝から風が強い気がする。最新情報にも書いたが、アレハンドロ・タラバンテが、4月11日アルル(フランス)で、復帰する。闘牛場から正式な発表ではないが、『エル・ムンド』に載っていた記事だ。ファン・バウティスタが闘牛士を辞め、興行主としてスタートするアルル。始めの祭りであるパスクアで、タラバンテを出そうという事のようだ。シモン・カサスへの対抗心もあるだろうし、新しいスタートを目玉にする闘牛士の一人として、タラバンテを選んだということだろう。去年1年間を休んだタラバンテを、その復帰戦にと持ち掛けたのだろう。

 朝、そのニュースを万希ちゃんに連絡した。そしたら、やり取りの間に、アルルのホテル予約と闘牛の切符を買ったようだ。しかも、アボノで。やることが早い。これは性格なんだろう。観たい、行きたいと思ったら、直ぐに実行に移す。その行動力に、ビックリした。万希ちゃんの漫画を原作にして、4月にNHKでドラマを作るという話もついでに訊いた。千葉雄大が主演の実写だという。ネットでは早速話題になっているという。映画でやるより、テレビの方が、SNSでは、反応が良いという。

 先日、だぶん日記を読んだのだろう、下山さんから、セサル・リンコンの子どもの頃のドキュメンタリー動画があると教えてくれた。下手くそな闘牛技。でも、目がキラキラ輝いていた。部屋で、姉妹と話しているシーンがあった。あれが、火事で死んだ姉なんだと思った。子供の頃の夢が、大人になって実現できて、しかもスペインでフィグラになった。こんな幸せなことはない。それで、お金と名声を手に入れた。成功者の稀有な存在だ。そして、俺のイドロになった。


 1月8日(水) 雨のち晴 10826

 昨日の夜から降っていた雨が、午後になって上がった。夜から、明日の朝にかけて強風が吹くという。低気圧の影響でそうなるようだ。2日続けて酒を飲まずに、作業をした。そういうのも、良いものだと思った。午後になり、再度プリントアウトした。もう一度読み直して、次にどうするか考えていきたい。

 昨日の夜NHKでやっていた、『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、カリスマ数学教師だった。登校拒否になったりしたこともある。全国から視察に来るという。彼のやり方は、教えないというスタイル。1枚の紙に問題を書いて、さあどうする?と、生徒に問題を解かせる。答えが分かった生徒は、解と思われるものを説明する。すると、他の生徒が、それには疑問があるという事を反証する。教室のそこら中で、生徒たちがそれぞれに、ああでもない、こうでもないと、解を求めて考える。そうやって、考えることが、生徒たちは楽しいのだという。受験に役に立つとかは、考えない授業。

 教師は、生徒がいう答えを黒板に書いていく。その反証も書いて行く。次の答えも書き、その反証も書いていく。それが続いて行く。教師が想定した答えまで、反証される。では本当の解は何だろう。みんなが考え続ける。教師はいう。こういう授業をしたからといって、成績が上がるとは限らない。そういう事は考えていないのだという。成績が良い生徒も、落ちこぼれに近い生徒も、一緒になって、同じ問題を解こうと考える。それが楽しいのだ。

 こういう問題を思い浮かぶのは、生徒たちのテストの採点時の、間違いから発想が浮かぶのだという。色々な個性が問題を解くために、頭をひねる。邪道でもいいし、王道でも良い。こういう授業は異色である。彼の兄は、足が悪く、子供の頃から歩けなかった。それでもいつも、楽しそうに笑っていた。母は、長男が身体障害者であることを隠さず、外に出ていても家でいる時と同じように育てていたという。彼もそれを見ていて、恥ずかしいとも思ったことがなかったという。むしろ、兄が1m歩くと、よくやったねといって、ペンを貰っているのを観て、羨ましい。僕も欲しいと思ったという。

 勉強できない子も、彼の授業だと、面白いと楽しんで出席する。今は、週3日だけ学校で授業をして、あとは、養護施設や他の塾で教えている。学校だけじゃない、他の処の生徒と一緒に、授業で考えたい時間が欲しいからそうやっているという。間違っていても、良い処をホメ、けなさない。そういう姿勢が、生徒たちに、近い教師という風に感じさせるようだ。こんな先生が、学校にいたら楽しいだろうなぁと思う。


 1月9日(木) 晴 11031

 昨日今日と上野へ行った。国立博物館で、「博物館で、初詣」。今日は、上野の森美術館で、『ゴッホ展』を観た。ハーグ美術館館長が監修した美術展だ。ハーグ時代に絵を描き始めたゴッホ。「作業中の農民の姿を描くこと、それこそ人物像の何たるかだよ。」ミレーの描く農夫のような絵や、椅子に座り眼を拳で押さえている『永遠の入口にて』や『疲れ果てて』など、生活に絶望しているような姿を描いている。画面は全体的に暗い色彩を使っている。

 パリに出てからそれが変わる。印象派の画家たちと出会ったからだろう。『花瓶の花』は不思議な感じがする。『パリの屋根』も面白い。アルルに行ってからの『タンギー爺さんの肖像』。これは3回描いているというが、1番この絵が、素直に書いていると思う。絵具の厚みがない絵で、これがゴッホの本質のような気がした。『麦畑』は有名な絵なのだろうが、『麦畑とポピー』の方が印象に残る。『男の肖像』って多分自画像だと思う。水色のシャツは、絵具を薄く塗ってあって、完成された絵には見えない。でも、『タンギー・・・』のようにゴッホの本質が出ているような気がした。

 サン=レミ精神療養所以降の絵もある。『糸杉』のうねるような絵は、糸杉も草も、雲も山並みの甍も、空も月もそういう感じだ。画家ゴッホになりたいという野心を感じる。「そうだ、僕は絵に命を懸けた。そのために、半ば正気でなくなっている。それも、良いだろう」

 療養所からテオへの手紙で、「庭で描いた僕の絵を受け取ったら、僕がここでさほど塞ぎこんでいるわけではないと、いうことがきみにも伝わるだろう」という『サン=レミ療養院の庭』は、自分の気持ちを抑えて、テオに見せるために描いたのだろうと想像する。画家として認められたい気持ちが、画面に出ている『糸杉』や『麦畑』より客観的に描いているのだと思う。最後に飾られていた、『オリーヴを摘む人々』は、うねっているが色がしつこくない。「僕の野心は、大地の端くれだ。芽吹く麦だ。オリーヴの園に糸杉だ。例えば最後のやつなんかは、そう易々と描けない」

 『中央駅からのアムステルダム風景』という時間がない中で、素早く描いた小さな絵がある。そういう画風は、ゴッホの素直さが出ているのだと思う。『タンギー・・・』のような素直な絵と、野心を感じる『麦畑』『糸杉』などとの間には、違う何かある。テオだけではなく、他の誰かと触れ合いたいというより、共感して欲しかったのだと思う。『オリーヴ』の絵にはそういう物も感じるのだ。今まで観たゴッホ展で、1番いろんなものを感じることが出来た。

 観終わって出てきたら、美術館の前には人が一杯。入場待ちの列が500mくらい出来ていた。一服して国立博物館へ向かうことにした。歩いて行くと、音楽が聴こえ、人が集まっていた。大道芸人が水晶の球を持って、話している。手から離れて浮くという。思わず観てしまった。コマ回しのようなものや、ナイフでジャグリング。筒の上に板を乗せて、輪くぐりと、縄跳びなど。結局最後まで観てしまった。東京都へ大道芸をする許可を出したり、北海道の札幌から来たこと。大道芸で全国を回って食べていることなど。そして、この芸のここが危ないとか、ここで拍手してくださいとか。話も面白い。

 日本人だけでなく、外人も観ている。最後で、笑うかもしれませんが、芸が終わったら帽子を出しますので、そこに、お金を入れて下さい。紙幣を入れて欲しいと思っています。これは、真面目に言ってます。みんな笑っている。が、もう財布から千円札を出している人も何人もいる。名前は、札幌のハチといっていた。朝4時に起きて、東京に来たのだという。芸と話術で、ああやって金を稼ぐというのは、凄いものだと思った。紙幣ではないが、終わった後、お金を帽子に入れた。驚いたことに、多くの人が千円札を帽子の中に入れていた。

 それを観ていて時間が経ったので、芸大の学食へ向かった。定食を食べたが、今日はご飯がこわかった。こわいというより、最後の火入れに失敗したような出来上がりだった。よく噛んで、食べた。食べ終わって、博物館で、一服。それから庭園を散歩して、喫茶店で読書して帰ってきた。


 1月10日(金) 曇一時雨 11238 京都のホテルにて

 東京から昼過ぎに京都へ着いた。真っ直ぐホテルへ行き、荷物を預けランチを取った。それから、嵐山の福田美術館へ。その頃には、雨が降り出していて、傘をさして向かった。応挙、蕪村、夢二と入れ替えられて展示されていた。松園の絵が二点最初に展示されていた。応挙の絵の一枚には、藤応挙寫と書かれてあった。2階には、蕭白、芦雪、北斎、そして、若冲がある。絹地の掛軸の墨絵は、紙に描くのと違って、筋目描きにはなっていない。それでも、若冲は若冲だ。蕭白の絵もなかなか良いが、芦雪の赤い海老の絵は、構図なども素晴らしい。正月にふさわしい絵として、展示しているのだろう。

 探幽の龍、山楽の屏風絵もある。龍は、山雪の絵の方がピンとくる。屏風絵は、大和絵風の彩色で描かれてあるが、あまり、入ってこない。桂川沿いの歩道を工事していて、反対側の方は狭い。そして、歩道沿いは建物の工事中。紅葉目当ての観光客はいないので、人通りは少ない。雨の降って静かな嵐山だ。


 1月11日(土) 晴 17641

 朝方寒い京都。朝食後、準備して高島屋へ行く。『京都の若冲とゆかりの寺 —いのちの輝き-』を観る為だ。細見美術館が持っている、若冲作品が多く出展されていた。思っていたよりも、出展作品が多かった。実は、ギャラリートークというのがあって、今日は、相国寺承天閣美術館参事、平塚景山が、作品の解説をやった。それが訊きたかったのだ。相国寺にある寿蔵(生前作った墓)の解説から始まった。大典顕常の跋文が書かれてある。その説明から始まった。若冲の事が書かれている多くは、これが基になっている。

 明治の廃仏毀釈で、傾いた相国寺が立ち直ったのは、『動植綵絵』を明治天皇が大金で買い取った為。だからだろう、相国寺参事は、「若冲に感謝し続けている」と、いっていた。天明の大火以降、深草の石峯寺へ行くが、その頃に描いた伏見人形などの彩色の絵は、安い泥絵具を使っているという。墨絵や泥絵具を使った後期の若冲が、好きだといっていた。下手くそな墨絵の鳳凰図は、中国画の模写だという。なるほどと思った。これには、納得した。

 30分くらいのギャラリートークだったが、立っていたら足がしびれてきた。これにはショックだった。歩く分にはまだ大丈夫だが、立っていると辛くなる。年だなぁと思った。明日は、福田美術館の学芸課長、岡田秀之が登場する。若冲の論文を多く書いている人で、これが一番訊きたい。


 1月12日(日) 曇 11002

 朝も寒いが日中も寒い京都。今日も高島屋の『京都の若冲とゆかりの寺 —いのちの輝き-』に行く。岡田秀之のギャラリートークは、入口の石刷りから始まったようで、そこは訊けなかった。鶏の六曲一双の屏風絵二つの説明から。一つは、40代に描いた物で、もう一つは80代に描いたもの。80代に描いた尻尾は、勢いを感じる。50年くらい鶏を描いてなお、この筆さばきは凄い!200年経って墨の色も紙の色も鮮やかなのは、良いものを使っていたからだという。いわれればそうなのだが、そんなことはあまり考えずに見るものだ。

 もっと長く訊きたかった。講演とかやらないのかな。ホテルを出る時、エレベーターに乗っていた人のバッグに競馬新聞があった。競馬場へ行くんだと思った。そういう遊びもしてみたい。羨ましくなった。今日は、女子駅伝が行われたが、何処を走ったのか知らない。


 1月13日(月) 晴/曇 13145

 今日は成人の日なので、振り袖姿が目に付く。でも、座ると振り袖が地面についてしまう。そうやってスマホいじっていると、知らぬ間に・・・。

 京阪に乗って淀まで行った。京都競馬場へ行った。久々の競馬場。東京へいると、競馬場へ行かないので、関西に来た時だけになっている。太陽の光が当たってまぶしかったが、午後になる日陰になってからは、大丈夫だった。今日は、東西で荒れた。5レース1着馬を当てるWIN5は、的中が1票で、配当が、4億弱という高配当。100円が4億になるって・・・。今日は1回も当たらないと近くの客が嘆いていた。「競馬で儲けようなんてさ・・・」という話声もきこえる。ハハハ。

 ランチは競馬場でエビ丼。夜は、トンカツ定食。揚げ物ばかりで、腹がへっこまない。競馬が終わった後、近くにある淀城跡を観に行く。瓦解のとき、鳥羽伏見の戦いのときに、幕府軍が敗走して、淀城に入れて貰えなった。譜代大名の稲葉が、連絡をよこさなかったと門を開けなかったのだ。ここは、秀吉が淀姫の為に作った城ではない。ここから北に500m行ったところにある、妙教寺が淀姫の城跡だという。石垣と堀の一部が残っていて堀には水もある。もし稲葉が幕府軍に入場を許していたら、歴史が変わったのだろうか?そんなことを考えるのも、面白い。


 1月14日(火) 曇/雨 14183

 ランチは、ロースカツ定食を食べた。期待していった処だが、カツ自体はオッと思うほどではなかった。初めに出てきた、切り干し大根煮物は凄く美味しかった。出汁が利いたのは、京都風なのか上品。それとけんちん汁のような、味噌汁というか粕汁が良かった。カツと一緒に出たキャベツは、千切りではなく7cm角くらいのものが5、6枚あった。不思議な感じがした。カウンターの後に多分座敷があるんだろうけど、襖が閉まっているので判らない。昨日行ったトンカツ屋は、庶民的な店で、カツをたれで食べさせるもので、これはこれで美味しい。ただ店は汚い。それもまた味があるのだが・・・。今日の店は、高いだけあって厨房も綺麗だ。どちらも爺さんがやっている店だが、昨日行った庶民的な店は、若い人が厨房に入っていた。爺さんに教えて貰ったんだろうと思う。もう引退が近い気がする。こういう、たれで食べさせるトンカツ屋って、東京にはない。貴重な店なので、あとを継ぐ人が出たのは嬉しい。

 飴屋に白い着物を着た女が、いつも飴を買いに来る。顔色が悪く、気味が悪いが、気になって後をつけると墓場に入って行った。次の日にやって来た女は、飴を買わずに、手招きしてついてくるようにうながした。ついて行くと墓場に入って行った。ある墓の処で、姿が消えた。すると、その墓から赤ん坊の泣き声が聞こえた。

 京都には、あの世とこの世の境がある。六道の辻にある飴屋では、子育飴が売られている。上記の話は、小泉八雲の話だが、同じような話が出雲や京都だけでなく、各地にあるのだろう。死んだ女が幽霊になって、乳が出ないので、飴を赤ん坊に与えて子育てをするという話だ。八雲は、セツから訊いた話を、物語にまとめた。素晴らしい物語は、理論とかではなく、感情や情緒に訴える。

 今日、初めて千本えんま堂へ行った。京都のもう一つのあの世とこの世の境にある処だが、六道の辻よりさびれた印象が強い。参道らしきものも見当たらない。鞍馬口から歩いて行ったので疲れた。途中、表千家・裏千家を通り、宝鏡寺の特別拝観を観る。探幽の襖絵などを観た。ここは応挙と関係が深い処で、板戸に描いた絵が展示されていた。桜と雉。反対側が、仔犬が描かれてあった。


 1月15日(水) 曇/雨 18380

 いつものようにホテルで朝食を食べ、京都博物館へ向かった。七条で、京阪を降りて歩いていたら、財布を忘れたことに気づいた。慌ててホテルに戻る。汗を流してホテルに戻った。もうランチが始まる時間。部屋で落ち着いて、ホテルでランチを食べた。今日は、鶏もものコンフィ。12時前に入ったので、ドリンクバー付きだった。先斗町近くのうどんを食べようと思っていたのに、博物館もうどんも予定が狂った。行きたい処へなかなか行けない。

 昨日行った宝鏡寺などの西陣。普通の家の扉の上に、西陣織物協会というようなものが、そこかしこに貼られていた。本法寺横には、表千家・裏千家がある。楽焼は、千利休が、初代の長次郎に造らせた黒い侘びた茶碗。当時利休は、秀吉が造った聚楽第の中に住んでいて、聚楽第の隣に、長次郎が住んでいた。今の楽家は、18代くらいになっているというが、法華宗だという。利休は、堺の商人で、西陣は堺に移住した人たちが南蛮の織物技術を堺で身に付け、西陣織を始めた処だ。利休がどうだったのかは、判らないが、長谷川等伯に、等伯という名前を与えたのが、利休。等伯は、秀吉の為に、何枚も絵を描いている。

 近くの尾形光琳の墓がある妙顕寺もまた、法華宗の寺。こういう法華宗の寺に囲まれているのが、表千家・裏千家。利休が法華宗に関係があるのか、両千家が関係あるのは知らない。西陣は法華宗が強いのかも知れない。本阿弥光悦・俵屋宗達もまた、本法寺だし、法華宗である。祇園祭などの氏子も法華宗が強いという話も小耳にはさむ。少なくても、安土桃山時代の等伯から江戸時代の琳派の光悦・宗達、光琳の京都画壇は、法華宗であるというのは、何かかがあると勘繰りたくなるのだ。そういうのって何処でどう調べれば良いのだろうと思う。

 そしてこの辺りは、応仁の乱のときの細川の屋敷が近くにあり、山名も近くにあるはずだ。宝鏡寺は、百々(どど)御所ともいわれ、応仁の乱で、東西の陣営が、百々橋をはさんで睨み合った処に近い。足利将軍から、西陣の名前が定着してから、法華宗との関係が強くなっていったのだろう。


過去の、断腸亭日常日記。  --バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で--

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