−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
2月29日(土) 曇 10449
東証一部時価総額は、5営業日で、62兆円のお金が新型コロナウイルスの影響で消えてしまったことになるという。知り合いの株を買っている人は、200万値が下がったといっていた。はたからみていると、ワクワクするような下げっぷりで気持ち良いものだが、知り合いのことや、経済的なことを考えると、リーマンショック、いや、東日本大震災以上の衝撃になるかもしれないと思う。アメリカでは、すでに、リーマンショック以上の衝撃とメディアが伝えているようだ。つまり、大変なことなのだ。しかも時期が、来年度の設備投資などの計画が縮小することは間違いないだろう。新型コロナウイルスの感染がどこで止まるか、底値がいつになるのか、不確定要素が大きいので、この状況がいつまで続くか判らない。昨日のニューヨーク市場は、一時1000ドル下落したが、終値は、357ドルの続落だった。7営業日続落だった。
オリンピックで、景気が良くなるのか、そのオリンピックさえ開催できるのかも判らないわけだし、倒産する企業が爆発的に増えるかもしれない。北海道の鈴木直道知事は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を発表した。北海道が1番多き感染者を出しているが、北見市で行われた展示会の会場で集団感染が確認され、そこには、参加者が700人いたという。参加者が、北見市から北海道各地に、あるいは、道外からもいた場合は、さらに、感染が確認されるだろうという。また、十勝の保育園に通う男児の感染が確認された。そこには、120人が通っているという。そういう事を含めて、法的な根拠なしに緊急事態宣言を発表したようだ。
日本の感染者数が少ないのは、検査体制が整ってないため、検査数自体が少ないからではないかと思う。下手すれば、今の倍以上の感染者があってもおかしくないだろう。夕方、安倍首相がテレビで、突然の休校について会見を行う。本来なら、これがあっての、休校だと思うのだが…。
3月1日(日) 雨のち晴 10045
夜中降った雨は、朝には上がった。昨日は、4年に1度の2月29日だった。この日生まれた人は、4年に1度しか年を取らないわけではない。オリンピック開催の年だけ、2月29日があるだけだ。競馬の世界では、2月が卒業式で、3月から新人騎手が騎乗を始める。ダービー連覇などした、四位洋文騎手が引退した。最終日に1勝したし、斜向で騎乗停止処分を受けたが、もう調教師になるので、レースで騎乗することはない。調教師は、今日まで引退が伸びた。法令でやっているので、それに則っているのだろう。作田・山内調教師が引退。作田は岡部幸雄と競馬学校で同期だった。昨日の阪神のメインレースを弟子が乗って優勝し、山内調教師は、今日の阪神最終レースで、優勝した。阪神で新人騎手が、初騎乗初優勝を同着という珍しい記録で達成した。阪神メインで、10カ所骨折から復帰した浜中騎手が優勝した。昨日サウジアラビアで行われた競馬で、ダービーで武豊騎乗のフルフラットが優勝した。東京マラソンで、4位入賞した大迫は、日本新記録を出した。1億円と東京オリンピックほぼ出場を手に入れたようだ。
ところで、昨日の安倍首相の会見。休んだ分の補償をするとか、いろいろいっていた。責任を持つともいっていたが・・・。いまだに、検査体制を整えられないのに、何を信用すれば良いのかと思ってしまう。学校を休校すれば、その母親たちの多くが、職場から離れざるを得なくなる。女性が多い職場は、看護婦などや病院の事務をやる人たち。その人たちが職場を離れると、病院が機能しずらくなる。実際、外来診療を辞めた処もあるという。
安倍首相は、政府は一生懸命やってますよと、いいたいのだろうが、大丈夫なのと思ってしまう。変な例えかもしれないが、麻雀で、役がなくて、リーチか、つもでしか上がれないのに、焦ってポンやチーをして、後から役を作ろうにも出来ずに、神頼みをしているような感じだ。後付けしようにも、本当に、給与補償してくれるの?子供どうするの?生活苦るしいのに、これからどうするの?
いろいろなことを、いろいろな人たちが、いろいろな感情で、いろいろ考えざるを得ない。現実的な問題として、切実に嫌だと思っている人が多いだろう。責任取るって、どうやって取るのだろう?唐突過ぎる。助言する人が、近くにいないんだろうなぁと思う。冷静さがないようだ。発表だけして、全て後から何とかするからいっているようなもの。習近平来日も延期になりそうだし、オリンピックの為の政策とか、勘繰られている。どうやら、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議って、医者が3人いるようだが、臨床医が1人も入っていないという。医療現場の実態を知らずに、首相の独断で、思いつきで、決定したようだ。可哀想といえば、可哀想だけど、それで、現実生活が圧迫されるのが、納得できない人、あたふたする人が多いだろうなぁ。落ち着かない気持ちで、生活だけが続くだろう。
3月2日(月) 雨 8372
起きて、炭酸水を飲む。昨日作ったカレーで朝食。ディランの『コーヒーもう一杯』や『北国の少女』を聴きながらコーヒーを飲み、読書。昼食は、長芋をおろしたものに、納豆を入れ海苔で食し、本の中に遊ぶ。今日の東京市場の株価は、乱高下したが、終値は、201高でひけた。ドルは一時、107円台になり、ユーロは118円台になったが、108円台と、120円台になっている。こちらも乱高下した。
夜中から降り続いている雨はだいぶ小雨になって、上がりそうだ。明日からは、細雪の続きが出来れば嬉しい。
「煩わしい世の中のしがらみから抜け出ることは、生涯最高の喜びなのに、世間では「あいつますますイカれてきたな」などと笑われる」 売茶翁
「世の中の役に立たないままに、老いぼれてしまったのが、恥ずかしい。しかし、一輪の梅花は時を超越して咲く。」 売茶翁
3月3日(火) 晴 10302
今日は、梅ではなく、桃の節句。雛祭りの雛壇を飾っている処にも、人が集まるイベントをしないように、中止になっているところばかりのようだ。近所には、桃の木がないようで見当たらない、大きな蕾がある紅梅ならいくつもある。天気が良い日だ。しかし、散歩していても、そうだし、駅に人が少ない。心なしか、図書館でも人が少ないような気がする。スーパーには人がいる。食べては出すことは、変わらない。今日も朝食は、カレー。
すっかり、新型コロナウイルスの関連で、公共交通機関も、店の売り上げも、物の売り上げも、減っているようだ。人の心も、すさんでいるような気がする。山手線の電車の中で、咳をしただけで、口喧嘩になっている動画がテレビで流れたりしている。安倍首相及び、政府が打ち出す対策に、不満が溜まっている。電車もすいている。店にも人が来ない。売り上げも少ない。出張もするな。あれもダメ、これもダメ。どうすれば良いのか、この先が見えないような状況に、みんなが嫌気がさしているような雰囲気だ。
株価は、アメリカが上がったようだ。ニューヨーク市場は、1293ドル値上がり、それを受けた東京市場は逆に、261円下がった。
「知っての通り、大井川の流れは速くて深い。そこを歩いて渡る人足は、肩まで沈むほどだ。皆、東海道一の難所だと言うが、でもこの難所も人の心の難しさには必ずしも及ばないのではないか。「心と境とを取り除けば豊かな方便のはたらきが生まれる」と、そういうことが言える境地に達した人を私は心から敬う。」 大典顕常
3月4日(水) 雨/曇 9039
いつの間にか、曇から午前中のうちに小雨になった。早く寝たら早く起きて、暗い内からパソコンを打っていた。もう朝には、肩が痛くなった。朝食はカレー。アメリカでは、FRBが0.5%利上げした直後に株価が値上がりしたが、それでも、打つ手がもうこれから限られるとの、市場心理から値下がり26000ドルを切って、785ドルの値下がりになった。日経平均は、17円値上がりした。ドルは107円台になっている。
小雨の中を散歩に出掛けたが、途中で雨が上がった。買い物をして、帰ってきた。テレビでは、スーパーチューズデーの速報などをやっているようだが、見ないで、本を読んでいた。本を読んでいても、肩が痛い。散歩中、頭に浮かんだのは、花鳥画や若冲の事ではなく、何故か、闘牛のことを考えていた。あっ、知らないうちに闘牛のことを考えていると、気付いた。なんとなく嬉しいような、それでいて、もっと、『細雪』のことを考えろよと、思う気持ちも同時にあった。
楽天モバイルが、携帯月3000円を切る値段で参入するという。これで、価格競争が始まり、他の3社の値段が安くなるのか?しかし、自社以外の他社の通信を使っていると、2GBまでしか使用できない。自社の通信が使えるところでは、無制限になるという。いずれにしろ、7000円台でかなりの容量の通信が使える3社が、どう動くか?また、消費者がどういう反応をするのか?それによって、価格競争が激しくなって行くか、行かないかが、決まるのだろう。
3月5日(木) 晴。風強し。 11499
夜の明けない頃に、目覚めて、アドラー心理学の『100分 de 名著』を観る。塩焼きそばのカップ麺を食べ、『花鳥・山水画を読み解く』読んだ。眠気がして、休む。昼飯は、カレー。それから、図書館へ向かった。連絡が来て、予約していた物が届いたという。非常に風が強い。信号待ちで立っていると、飛ばされそうな強風が吹く。本を借りて、喫茶店に入った。『もっと知りたい伊藤若冲』佐藤康宏著を読む。
これを読んで確信した。というか、解っていたことだが、その通りだと思った。「若冲が好きだった。青物問屋の長男というところも気に入っている。私は酒屋の長男。しかし絵に傾倒したのは同じだが、商売もちゃんと二十年ほどやった若冲は、それだけでもずっと偉い。イタリア美術を勉強しかけていた私は迷ったあげくやめて、若冲を主題に卒業論文を書いた。たぶん、若冲について卒論を書き、美術史の専門家になるために大学院に進学した、日本で最初の学生だったと思われる。一九七八年のことである。」(『もっと知りたい伊藤若冲』佐藤康宏著)
『若冲伝』の著者でもある佐藤康宏が書くこの本は、分かり易い全体像も提示している。江戸の文化といえば、元禄文化や化政文化という編集者に、そうではないといっている。それは、そうだろうと強く思う。田中優子が著書で書いているように、京や大坂の俳諧や連歌の集まりから、笑いの文化が発達し、幕臣で上方に出張していた人たちがそれを吸収して、江戸に持ち込む。それが落語の基になった事が書かれている。絵でいっても、十八世紀京都画壇の影響を受けるようにして、錦絵などが発達し、遠近法などが浮世絵に取り入れられていく。
「円山応挙を当時の京都画壇の中心のように位置づける向きもあるが、それは違う。応挙は若冲、大雅、無村、蕭白といった画家たちとは異質な、より新しい表現意識の持ち主なのである。同じく淀川を描いても、応挙の「淀川両岸図巻」(アルカンシュール美術財団蔵)は、若冲や大雅や蕪村らが淀川に託したイメージとはおよそ異なる絵図の如き風景を作る。彼は、鶏の二重性だとか中国のような日本の風景だとか雅俗の融和と転換だとかいった表現を切り捨て、現実を現実らしく見せることをより重要な問題と考えた。応挙は日本の絵画をほんとうにつまらなくしてしまったと思うが、一面では実に革新的な画家である、少なくとも歴史的な意義は重要といえる。」(『もっと知りたい伊藤若冲』佐藤康宏著)
京都の大半を焼き尽くした天明の大火。おそらく、そのようなことで、資料がほとんど残っていないのが、若冲が生きていた時代だ。だから、面白いのでもある。物語を紡ぐにはもってこいのところである。それでも、売茶翁と大典顕常と若冲と大雅が一緒に茶を飲んだ記録が残っている。蕪村と呉春は師弟で、応挙は一派をなしていたが、蕪村の死後、呉春は、応挙と親しくなる。若冲も、無村も、呉春も、応挙も、皆四条通やその付近に住んでいた。こういうのをまとめると面白いものになるだろうという確信が、深くなる。佐藤康宏の文章を読みながら、力が沸いてくる気がした。
3月6日(金) 晴 10932
朝食は、長芋のおろした物と納豆、海苔。今日は、朝方少し風が吹ていたが、それもおさまり暖かさを感じる。今日から新型コロナウイルス検査の保険適用が実施されたようだ。これで、ちゃんとした検査が行われるのか?政府主催の東日本大震災の追悼式は、中止になった。岩手、宮城、福島の3県も追悼式の縮小を決めた。新型コロナウイルス拡散防止のための措置のようだ。残念だ。未だに、行方不明が2529人いるという。死者は、15899人。あれから9年目になろうとしている。
江戸時代狩野派が、絵などの鑑定をしていたという。1日まで出光美術館でやっていた『狩野派展』でそれをやっていたようだ。残念ながら観に行けなったが・・・。室町時代将軍のおつきの同朋衆は、中国からの輸入品などの絵画などの鑑定をやっていた。狩野派の初代か二代目は、同朋衆の相阿弥から絵の描き方を教えてもらうようにいわれたと、文書に書いてあった。熊本細川家の美術館にあたる、永青文庫で観た記憶がある。
江戸時代初期、京都の鷹峯の所領を家康からもらい、文化村の様なものを造った、本阿弥光悦もまた、刀剣や美術品の鑑定をやっていたという。そういう目利きが多くの美術品を生み出す素養になっていたのは、間違いないだろう。俵屋宗達との幸運な出会いなどもあり、今に残る琳派の作品が多く残っている。本阿弥光悦の阿弥は、同朋衆から来ているのかどうかは知らない。
出光美術館で行われた美術展では、狩野派の見立が、現代から観るといい加減だったことが判るらしい。鑑定に来た作品の多くを、模写して、それを弟子に教える時の、教本にしていたようだ。京都へ行った時、国立博物館で観た、狩野探幽の牧谿を模写した、布袋図か何か、並んで展示されているものを観たが、探幽でさえ牧谿に比べて下手だと感じだのを覚えている。若冲の視点は、ここになるのだと思う。模写では、元の絵を越えることが出来ないのだ。違う方法で絵を描かなければ、新しいものが描けない。それが判って、写生を始めたのだと思う。
アルバセーテのアスプローナのカルテルが発表された。ニームの4月の見習い闘牛も発表された。サン・イシドロはまだかと思うが、もうすぐ発表されるだろうと思う。
3月7日(土) 曇 11307
今日は曇っていて寒い。風がないのでまだいい。東京もニューヨーク市場も値下がり、円は、ドルで105台、ユーロで118円台と値上がりしている。世界的に、新型コロナウイルスの感染者が増えている。経済ボロボロ状態になっている。人が町に出ないので、店に入る人が激減。外食する人も減っているのだろう。飲み屋やホテルの予約キャンセルが続いているので、ホテルは値下げをしたり、休業したりしている処がある。
今日のJRAの競馬も無観客での開催。重要なトライアルチューリップ賞が行われた。大本命の2歳牝馬チャンピオン、レシステンシア。先行して鼻を切り、直線で内からクラヴァシュドール、外からマルターズディオサに並びかけられ、ようやく、鞭を入れたが、抜かれてしまって3着になった。勝ち馬は、2歳牝馬チャンピオン決定戦、阪神ジュベナイルフィリーズ2着のマルターズディオサ。2着がそのレース3着のクラヴァシュドール。ジュベナイルフィリーズで、圧勝したレシステンシアが完敗した。本番じゃないので、仕上げ途上だったのだろうか?本番の桜花賞では、きっちりレシステンシアが勝てるのか?
シモン・カサスが、ニーム(フランス)に、ホセ・トマスが2回出場することを発表した。THさんから連絡があって知った。ニームのホテルの予約をしたが、これからどうなるのかは、全く判らない。切符だって、おそらく、アボノでなければ手に入れれないだろう。ニームまでどうやって行くかも決めていないし、判らない。以前は、マルセイユまで飛行機で行って、TGVでニームまで行ったが…。そしてサン・イシドロもあるし…。でも、5月30日は、パブロ・エルモーソ・デ・メンドーサ2頭と、ホセ・トマス4頭だという。去年のグラナダと同じやり方だ。9月20日もレア・ビセンス2頭と、ホセ・トマス4頭。騎馬闘牛士としか一緒にやらないと、4頭の牛を相手に出来ないからだと思う。変則のマノ・ア・マノの2回しか今年は出ないのだろうか?
3月8日(日) 雨 10581
朝から雨が降って、冷たい日だ。雨は小雨。梅の花や水仙、小さな花を咲かせる花びらや葉についている雨水の球が、キラキラして花の美しさをたてている。変な夢を観て、目覚まし前に起きてしまった。子供の頃の夢。小さな従兄弟たちと電車に乗っているて、一人がいなくなるのだ。なんなんだろう?今日の弥生賞。今年から弥生賞ディープインパクト記念という名称になった。初代三冠馬セントライトやシンザンもそれぞれの馬名の記念レースを持つ。シンボリルドルフや、ミスターシービーは、三冠馬なのに、馬名を持つレース名がないのは残念だ。ルドルフの場合は、シンボリという冠名が邪魔しているのかもしれない。ルドルフがダメなら、シーピーはそれより弱かったのでなくて当然という事か…。
レースは、人気馬3頭で決まった。重馬場だったが、しっかり人気馬での決着。唯一ディープインパクト産駒のサトノフラッグが、ディープと同じ武豊を鞍上に据えてレース名、弥生賞ディープインパクト記念を勝った。2着はルメールのワーケア、3着はヒューイットソンのオーソリティだった。
コロンビアで怪我したアントニオ・フェレーラが、スペインに戻りオリベンサでの復帰戦でインドゥルトした。自身初めの牛だった。カポーテ時から良く反応する良い牛だった。闘牛場の観客は大騒ぎで、プレシデンテにインドゥルトを要求し、ようやく許可が出た。一緒に出たポンセのファエナは、自身の焼き増し、コピーのようなもの。フリのファエナも同じようなものだ。フェレーラの2頭目の牛は、それなりの牛だった。剣刺しは、10mくらいの処で構えて、ゆっくり歩きながら近寄って、最後はレシビエンド気味に剣を決めた。おそらく、今年のフェレーラは、バレンシア、セビージャ、そして、マドリードで、こういう闘牛をするんだろうと思う。今年こそサン・イシドロのトゥリウンファドールを取りに行くだろう意欲を感じる。
3月9日(月) 晴 9326
朝から急激な円高になって、円はドルで一時101円台になり、ユーロは116円台で推移している。東京市場の株価は、一時1276円大幅下落し、終値は、、2万円を切り、19698円で、1050円の下落で、1日に5.07%下落したことになる。恐ろしいような下げ幅で、円はドルで、約3円値上がりした。ユーロでは、約2円値上がりした。底が見えない。そして、原油が30%の値下がりも記録した。一体何処まで株価は、値下がりするのだろう?円は何処まで値上がりするのだろう?
散歩していると、そろそろ桜の花びらも咲いている処がある。でも今は、白い木蓮の花が満開の状態になっている。人間世界に何が起きようと、自然界は、季節の移り変わりを、花たちの咲き方などで表現する。これは、変わることのない営みだ。儲かっているとか、損しているとか、仕事があるとか、ないとかは、全く関係がない自然がそこにある。プロ野球の開幕延期と、ラグビーのトップリーグの延期が発表された。Jリーグも追随するだろう。
昨日NHKで、東日本大震災関連の番組をやっていた。フジテレビとヤフーと共同で災害時の、情報をどうやって共有し、住民に伝えたら良いか。9年前の反省などもして、これからどうすれば良いのかを、岩手、宮城、福島のローカル局も入れて議論していた。また、40mの津波で、岩手県大槌町の役場が、壊滅した時、生き残った人たちの証言をドキュメンタリーでやっていた。早く、避難するように、あの時いえば良かったと、悔やんでいる人。大槌出身の友人と同じ苗字だった。でもあの時、いえなかった。また、助けてやれなかった、職員たちに、無念を語ったり、職員の大半が津波に飲み込まれた後、役場機能が空回りして、住民からの要望に応えられず、過度のストレスで、辞めていった人もいるという。それでも、辞めずに仕事した人たち。ある職員がいっていた。これから忙しくなる。町の復興のため、頑張らないと。
「三月九日。天気快晴。夜半空襲あり。翌曉四時わが偏奇館焼亡す。火は初(はじめ)長垂坂中ほどより起り西北の風にあふられ忽(たちまち)市兵衛町二丁目表通りに延焼す。余は枕元の窓火光(かこう)を受けてあかるくなり鄰人の叫ぶ声のただならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革鞄(てかばん)を提げて庭に出でたり。谷町辺にも火の手の上るを見る。また遠く北方の空にも火光の反映するあり。火星(ひのこ)は烈風に舞ひ粉々として庭上に落つ。余は四方を願望し到底禍(わざわい)を免るること能(あた)はざるべきを思ひ、早くも立ち迷ふ烟の中を表通に走出で、木戸氏が三田聖坂の邸に行かむと角の交番にて我善坊より飯倉へ出る道の通行し得べきや否や問ふに、仙石山神谷町辺焼けつつあれば行くこと難(かた)かるべしと言ふ。道を転じて永坂に到らむとするも途中火ありて行きがたき様子なり。時に七、八歳なる女の子老人の手を引いて道に迷へるを見、余はその人々を導き住友邸の傍より道源寺坂を下りて谷町電車通に出で溜池の方へと逃しやりぬ。余は山谷町の横町より霊南坂上に出で西班牙(スペイン)公使館側の空地に憩ふ。下弦の繊月(せんげつ)凄然として愛宕山の方に昇るを見る。荷物を背負ひて逃来る人々の中に平生顔を見知りたる近鄰の人も多く打まぢりたり。余は風の方向と火の手とを見計り逃ぐべき路の方角をもやや知ることを得たれば麻布の地を去るに臨み、二十六年住馴れし偏奇館の焼倒るるさまを心の行くかぎり眺め飽かさむものと、再び遮り止むる故、余は電信柱または立木の幹に身をかくし、小径のはづれに立ちわが家の方を眺る時、鄰家のフロイドルスペルゲル氏褞袍(どてら)にスリッパをはき帽子もかぶらず逃げ来るに逢ふ。崖下より飛来りし火にあふられてその家今まさに焼けつつあり、君の家も類焼を免れまじと言ふ中、わが門前の田島氏そのとなりの植木屋もつづいて来り先生のところへ火がうつりし故もう駄目だと思ひ各(おのおの)その住家を捨てて逃来りし由を告ぐ。余は五、六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の大木炎々として燃上がり黒烟風に渦巻き吹きつけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定ること能わず。唯火焔の更に一段烈しく空に見たるのみ。これ偏奇館楼上少なからぬ蔵書の一時に燃るがためと知れたり。火は次第にこの勢に乗じ表通へ焼抜け、住友田中両氏の邸宅も危く見えしが兵卒出勤し宮様門内の家屋を守り防火につとめたり。蒸気ポンプ二、三台来りしは漸くこの時にて発火の時より三時間ほど経たり消防夫路傍の防火用水道口を開きしが水切にて水出でず、火は表通曲角まで燃えひろがり人家なきためここにて鎮まりし時は空既に明く夜は明け放たれたり。」 ――永井荷風『断腸亭日乗』 昭和二十年三月九日 東京大空襲より ――
3月10日(火) 雨 12067
昨日開いたニューヨーク市場は、いきなり大幅下落して一時的に売買自動停止になり、それから2000ドルの史上最高の下落を記録した。終値は、2013ドル下落。原油は約30ドルに下落し、市場の資金が円買いにシフトしているようだ。どこまで下がるのか、先が見えない状態はますます強くなってきた。全面安状態で、市場の気分は、真っ青になっている。投資家は絶望的に、頭を抱えている。それだけでなく、あらゆる人がこの状況にあたふた状態になっている。新型コロナウイルスは、全世界に広まり、経済だけでなく生活自体もかき回している。トランプ大統領がアメリカ時間10日午後に、劇的な経済刺激策の一部を発表するといい、給与税減税を目指すことからドルが上がり、日経平均は乱高下したが、168円高の終値をつけた。
朝ドラが終わった後に、NHKにあまちゃんが出た。そう今は名前を「のん」に変えた能年玲奈。あまちゃんの頃の透明感は薄れつつあるが、それでもやっぱりあの笑顔は健在だ。筍料理を3人のシェフが作り、それを食べる。最新映画『星屑の街』のロケ地が、あまちゃんと同じ久慈市。映画の事も少しやった。久慈の人たちは、いまだにあまちゃんのファン。じぇじぇじぇ。料理を食べて、口の周りに料理が付いた料理人から隣の料理人が手で取っていた。その後、能年玲奈の口の周りにも付いて、それを華丸が指摘。カメラは出来るだけそれを撮らないようにする。さすがに僕から取れないと、華丸。隣の料理人と絡んでポーズを取っている間に、口の周りに付いたものを取っていた。女性料理人が1人いたが、のんさんの前で緊張してますと、いっていた。あくまで自然に、そして、さわやかだ。久慈の食べ物を紹介していた。タマゴサンドとひっつみ。新型コロナウイルス関連のモヤモヤした気分が、彼女の笑顔を観ているだけで、言葉を訊いているだけで、晴れやかな気分になる。久慈の人たちの話を訊いていて、改めて、能年玲奈は、久慈の、岩手の希望なのだと思った。
雨の中を散歩した。お寺にあった、色とりどりの花。白や、紫、赤や薄ピンクの花が、雨に濡れ水滴を付けている。花の自然な健気さを感じる。今起きている事には、全く関係なく、咲く花たち。あまちゃんのイメージがそこにダブった。そういうさわやかな健気さって、世の中の出来事の嫌なことを忘れさせてくれるのだと思った。
「三月十日。町会の男来り罹災のお方は炊出しがありますから仲の町の国民学校にお集まり下さいと呼歩む。行きて見るに、向側なる歯科医師岩本氏及その家人のあるに逢ふ。握飯一個を食ひ茶を喫するほどに旭日輝きそめしが寒風は昨夜に劣らず今日もまた肌を切るが如し。余は一まづ代々木なる杵屋五叟の家に到り身の処置を謀らんと三河台電車停車場に至りしが、電車の運転する様子もなし。六本木のこうばんにてきくに青山一丁目より渋谷駅までは電車ありとの事にその言ふ如く渋谷に行きしが、省線の札売場は雑沓して近寄ること能わず。寒風に吹きさらされ路上に立ってバスの来るを待つこと半時間あまり、午前十時過漸くにして五叟の家に辿りつきぬ。一同と共に昼食す。飯後五叟は二児をつれ偏奇館焼跡を見に行き余は炬燵にて一睡す。昨夜路上に立ちつづけし後革包(かばん)を提げて青山一丁目まで歩みしなれば筋骨痛み困憊甚し。ああ余は着のみ着のまま家も蔵書もなき身とはなれるなり。余は偏奇館に隠棲し文筆に親しみこと数れば二十六年の久しきに及べるなり。されどこの二、三年老の迫るにつれて日々掃塵掃庭の労苦に堪えやらぬ心地するに到しが、戦争のため下女下男の雇はるる者なく、園丁は来らず過日雪のふり積りし朝などこれを掃く人なきに困り果てし次第なれば、むしろ一思に蔵書を売払ひ身軽になりアパートの一室に死を待つにしかずと思ふ事もあるやうになりゐたりしなり。昨夜火に遭ひて無一物となりしはかへつて老後安心の基なるやまた知るべからず。されど三十余年欧米にて贖(あがな)ひし詩集小説座右の書巻今や再びこれを手にすること能はざるを思へば愛惜の情如何ともなしがたし。昏暮五叟及びその二子帰り、市中の見聞を語る。大畧次の如し。
昨夜の猛火は殆東京全市を灰になしたり。北は千住より南は芝、田町に及べり。浅草観音堂、五重塔、公園六区見世物町、吉原遊郭焼亡、芝増上寺及霊廟も烏有(うゆう)に帰す。明治座に避難せしもの悉く焼死す。本所深川の町々、亀戸天神、向嶋一帯、玉の井の色里凡て烏有となれりといふ。午前二時に至り寝(しん)に就く。灯り消し眼を閉じるに火星(ひのこ)粉々として暗中に飛び、風声啾々(しゅうしゅう)として鳴りひびくを聞きしが、やがてこの幻影も次第に消え失せいつか眠におちぬ。」 ――永井荷風『断腸亭日乗』 昭和二十年三月十日より――
「三月十日(土) 晴
〇午前零時ごろより三時ごろにかけ、B29約百五十機、夜間爆撃。東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。
爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり。
朝来る。目黒駅にゆくに、一般の乗客はのせず、パス所持者のみ乗せる。浜松町より上野にかけ不通、田端と田町にて夫々折り返し運転。
八時半に目黒を出て、十時新宿に着く。
まさかきょうの「胎生学」「組織学」「生物学」の試験はあるまじと思いしに。教室に入れば行われつつあり。ただし生徒は三分の二に満たず。
(中略)
自分と松葉は本郷にいた。
茫然とした。――何という凄さであろう!まさしく、満目荒涼である。焼けた石、舗道、柱、木材、扉、その他あらゆる人間の生活の背景をなす「物」の姿が、ことごとく灰になり、煙となり、なおまだチロチロと燃えつつ、横たわり、投げ出され、ひっくり返って、眼路の限りつづいている。色といえば大部分灰の色、ところどころ黒い煙、また赤い余炎となって、ついこのあいだまで丘とも知らなかった丘が、坂とも気づかなかった坂が、道灌以前の地形をありありと描いて、この広茫たる廃墟の凄惨さを浮き上がらせている。電柱はなお赤き炎となり、木々は黒い杭になり、崩れ落ち黒い柱のあいだからガス管がポッポッと青い火を飛ばし、水道管は水を吹きあげ、そして、形容し難い茫漠感をひろげている風景を、縦に、横に、斜めに、上に、下に、曲がりくねり、うねり去り、ぶら下がり、乱れ伏している黒い電線の曲線。
(中略)
風はまだ冷たい季節のはずなのに、むっとするような熱風が吹いて来る。黄色い硫黄のような毒煙のたちゆらめく空に――碧い深い空に、ひょうひょうと風がうなって、まだ火のついた布や紙片がひらひらと飛んでいる。自分は歯ぎしりするような怒りを感じた。
「……こうまでしたか、奴ら!」
と思ったのである。
(中略)
神保町に出ると、靖国神社の周囲の蒼い空に、薄い黒煙が立ち昇っているのが見えた。偕行社が焼けているのだという。新宿行きの電車は不通だった。水道橋まで通じていたので、水道橋までいった。
(中略)
爆弾なら、地上に立っていれば吹き飛ばされてしまうだろう。低空で銃撃でもされれば、広場では盆の上の昆虫の運命を免れまい。
彼らもそのことをいった。そして、――
「――つまり、何でも、運ですなあ。……」
と、一人がいった。みな肯いて、何ともいえないさびしい微笑を浮かべた。
運、この漠然とした言葉が、今ほど民衆にとって、深い、凄い、恐ろしい、虚無的な――そして変な明るさをさえ持って浮かび上がった時代はないであろう。東京に住む人間たちの生死は、ただ「運」という柱をめぐって動いているのだ。
水道橋駅では、大群衆が並んで切符を求めていた。みな罹災者だそうだ。罹災者だけしか切符を売らないそうだ。
「おい、新宿に帰れないじゃないか」
二人は苦笑いしてそこに佇んだ。
焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで
「ねぇ、……また、きっといいこともあるよ。……」
と、呟いたのが聞こえた。
自分の心にその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。
数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供さえ炎に落として来た女ではあるまいか。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。
それでも彼女は生きている。また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。……この細ぼそとした女の声は、人間なるものの「人間の賛歌」であった。」 ――山田風太郎『戦中派不戦日記』昭和二十年三月十日東京大空襲より――
3月11日(水) 晴 11275
みやこといえば、多くの人が思うのは、花の都、京都か、東京である。でも、みやこは、能年玲奈がいうように、岩手県宮古市の事である。あれから9年経った。東日本大震災の時は、東大寺のお水取りへ出かけていた。だからホテルで、津波の様子をテレビで観ることが出来た。まるで映画のような映像に、信じられない思いと、大変なことになったという、絶望感を持った。それから3か月後に、宮古にいた。どうなっているんだろうと、宮古駅から魚市場へ歩いて行った。だんだん家屋の倒壊具合が激しくなり、魚市場横に積み上げられた瓦礫の多さに茫然とした。
そして魚市場の壁は、津波が突き抜けた跡が生々しかった。3か月たってもほとんど水揚げがないといっていた。宮古駅に戻らなければとバス停を聞いていたら市場の人が車に乗せて行ってくれた。車中で恐る恐る話を訊いたら、震災後に一杯人が来て助けてくれた。あの時は、涙が出るほど嬉しかったといっていた。こっちは何にもしていないのに、申し訳ないような気持ちになった。駅に行ってどうするの?と訊かれたので、田老町に行って観たいというと、あー行って観て来てと、いわれた。どれだけ凄い津波だったかが、田老町の三陸鉄道のホームに立った時、一瞬で判った。ホームは土手になっている処に線路が通っている。7、8mくらい高い。そこから1キロ以上離れた高さ10mある堤防まで、家が一軒もなかった。もう瓦礫はかたずけられていたが、堤防近くは、瓦礫置き場になっていて、堤防と同じ高さまで積まれていた。ホームを降りて行くと、バス停近くのガードレールがグンニャリひん曲がっていた。家は、土台部分しか残っていない。そして、その基礎部分のあちこちに花束があった。唖然とした。あの堤防があれば津波が防げると、人間は思ったのだろうが、巨大津波は防げなかった。一瞬で、家も生活も奪われた。多くの命も奪われた。
3月11日14時47分に黙祷をささげた。闘牛場でやるように、テレビが観れるように目を開けてやった。忘れることが出来ない思いがある。関連番組を観ていると涙がこぼれてくる。親を亡くした子供たち。9年経って二十歳になった世代もいる。自分が大人になって、やろうと思っていることや、震災を語り継ぐ活動をしている人たちも被災地にいるようだ。それぞれのやり方で、あの時の思いを忘れずに、やって行けばいいと思う。
新型コロナウイルスの関係で、春の選抜高校野球の中止を、高野連が決めた。
イタリアのサッカーは中止になり、ドイツ、フランスのサッカーは無観客での開催することになり、ついにスペインでも2週間無観客での開催をすることを発表した。闘牛も危ない。というか、サッカーは、テレビ放映があるからまだ良いが、闘牛の場合、観客が入らなければ成立しない。アルルもニームも開催が危ないようだ。アルルの興行主のファン・バウティスタが危惧している。フランスもスペインも、1000人以上の集会の禁止を発表し、国会議員に感染者が出たため、スペインの国会は1週間閉鎖を決めた。バレンシアのファジャス、カステジョンのマグダレナの開催中止を発表した。セビージャも危い。セマナ・サンタだって、中止になるかもしれない。スペインは、10日現在で感染者が1622人になり、1週間で10倍に増えたという。マドリードは、学校幼稚園大学が閉鎖され、153万人の児童生徒に影響するという。こんな状況じゃ、ラス・ベンタスの開幕も難しい。そして、サン・イシドロのカルテル発表は、無理筋だと思う。8日世界女性デーで、スペイン各地のデモに大勢の人が参加したという。サッカーも多くの観客を入れて開催された。これらの感染要因が、2週間の間に爆発的な感染者を発生するのかもしれない。どうなるんだろう今年の闘牛。ヨーロッパの感染状態は、これから爆発的になるのかもしれないと思う。まだ静かなアフリカだって、これからどうなるか判らない。日本だってこれからどうなるのか・・・。
「三月十一日(日) 晴
〇午前四時よりB29少数機相ついで来る。
午前十時一機来。午後一時敵数編隊、房総半島に近接中なりと空襲警報発令、一時十五分ごろには本土に到達する見込みなりという。しかし、この敵は途中より反転して南方に去る。気味悪きことおびただし。セトモノなどを土中に埋む。
〇下谷の加藤さんも焼け出され、きょう来る。その話。
加藤さんたちは火と戦っていた。炎に照らされて、発狂したような声をあげて日本刀をふりまわして、空のB29を斬ろうとしていた青年があるという。消防隊の人々は、炎の方へホースをむけたまま、全員生不動のように燃えていたという。
血の色に染まった往来を、背から炎をあげながら老人が駆けてきた。髪も燃えていた。加藤さんたちの見ている前で、彼はひっくり返って火鼠みたいに燃えてしまった。
それで加藤さん達も逃げ出した。
疎開の空き地には、何万人という避難民がのたうち回って、火の海の熱気に泣き叫んでいた。水はどこにもなかった。運び出して来た荷物に火がついて、そばの人に移った。人々はその人つかまえて、炎の中へつきとばした。そうせずにはいられなかった。雹みたいな火の粉が、顔にも背にも吹きつけた。加藤さんたちは溝の水をくり返しくり返し頭から浴びていたが、たまらなくなって逃げ出した。そして炎の中をつっ切って、上野の山へ逃げ上がった。
黒焦げになった屍体が、いたるところに夏の日のトカゲみたいに転がっていた。真っ黒に焼けた母親のからだの下で、赤ん坊も真っ黒に焼けていた。加藤さんたちは、なんどもそれらの屍体につまずいたり、踏んだり、転んだりした。
火の潮に追われて、人々は隅田川へ飛び込んだ。しかし隅田川も燃えていた。吹きつける火の雨に船は焼け、水は煮えていた。無数の人々がそこでも死んだ。屍体は今なおマグロのように無数に浮かんでいるという。」 ――山田風太郎『戦中派不戦日記』 昭和二十年三月十一日より――
3月12日(木) 晴 10596
夜中、WHOは、新型コロナウイルスのパンデミックとみなせると、ほぼパンデミック宣言と受け取れる発言をした。ニューヨーク市場は、1464ドル下落し、東京市場もトランプ大統領の会見で新しい材料が出なかったため856円下落した。円は一時ドル高になったが、トランプ発言で、円高に反転した。
アトレティコ・デ・マドリードのディエゴ・シメオネ監督は、チャンピンズ・リーグ決勝トーナメント第2戦リバプール戦を前に、敵地での無観客での開催に対して、リバプールに不利になると、正論のいった。第1戦は、地元メトロポリアーノの満員の熱狂的なファンに助けられて1−0の辛勝した。当然リバプールも熱狂的なファンの応援で、堅守アトレティコ・デ・マドリードの牙城を崩そうとしている。その出鼻を、くじかれる形になるクロップとリバプールに対して、公平に欠けると、敵に塩を送るような言葉を発したのだ。
試合は、攻めに攻めるリバプールに、GKオブラクがビッグセーブを連発して、0−1でしのいだ。トータル1−1になり規定により、延長線。リバプールが勝ち越し。しかし、リバプールGKのキックミスから同点に追いつき、さらに1点を勝ち越した。そして、終了間際に加点してアトレティコが3−2、トータル4−2で勝った。イングランド、プレミアリーグで、首位独走するリバプール相手に、堂々と勝ち上がった。
試合後クロップ監督は、アトレティコを批判した。「彼らのやり方は理解できない」「ふさわしいサッカーができるのに、深く引いてカウンター攻撃をしてくる」一方、シメオネ監督は、「持っている力を使って勝つためのプレーをした」「自分たちの個性や選手の特徴を生かし、相手の欠点をついた」と、語ったという。クロップは、当然アトレティコの戦法を良く理解していたはずだ。レアル・マドリードにしろ、バルセロナにしろ、強いチームに勝つためには、アトレティコは、堅守を貫く。負けた相手は、必ずといっていいほど、クロップがいったようなことをいう。DFも凄いが、GKのオブラクがその中心にいる。スペイン紙『マルカ』は、「バルセロナには、メッシがいる。ウチには、オブラクがいる」と守護神の活躍を讃えたという。
新型コロナウイルス感染者が増大するイタリアで、ユベントスの選手の感染が発表さ隔離された。前節対戦したインテルは、当面の間、活動休止を発表した。そして、4月3日までセリエAの試合を中断を決定した。なお、首相はスポーツイベントなど無観客での開催を決定していた。
スペインはついに、緊急事態のようになってきた。日曜日まで、デモやサッカー場に人が一杯集まっていたが、感染者が2200人を超えた。バレンシア、カステジョンに続いて、マドリードのラス・ベンタス闘牛場の開幕から2週間の開催中止を発表した。アルルも中止を発表した。アルルは、ドミンゴ・デ・レスレクシオンなので、4月12日前後で、タラバンテの復帰戦も中止である。大きな祭りであるセビージャのセマナ・サンタ開催の有無はまだ発表されていない。今後の感染者次第だろうが、非常に厳しい状況だと思う。マドリードの知人は、いまや日本よりスペインの方が危ないといっていた。しばらく、スペインへ来るのは控えた方が良いという。THさんは、自宅勤務推奨になったようだ。
3月13日(金) 曇/晴 10723
ニューヨーク市場は、取引一時停止になり、終値は、21200ドル、2352ドル下落、9.99%の史上最大下落率を記録した。大暴落である。もう先物で判っていたが、日経平均は、全面安状態であけて、なかなか値が付かず、1800円近く下落して、17000円を切った。9%〜10%の下落を記録している。まるで、親を亡くして、ぐれて、手の付けられない子供のようになっている。不安心理が、市場に大きな動揺を招いている。安倍首相と日銀総裁がいくら会談しようが、トランプが何をいおうが、ヨーロッパ中央銀行が量的緩和をしようが、全く効果がない。新型コロナウイルスよる世界同時株安。不安心理を取り除くことが出来るのは、ヨーロッパ中央銀行総裁がいったように、協調・協力してこの難局に対応するという事だと思う。それぞれが、バラバラにやってもしょうがない。日本、アメリカ、欧州が協調して効果のある対応をすることでしか、わがままな市場の気分を変えることが出来ないだろう。こういう処が、資本主義のリスクだ。東京の終値は、17431円で、1128円の下落だった。
アメリカでは、プロバスケットのNBAもプロ野球のメジャーリーグも中断と、開幕延期を発表した。サン・イシドロのカルテル発表を停止した。新型コロナウイルス感染拡大で、こうなった。これが、サン・イシドロ中止の発表に、繋がることになるだろうと思う。セビージャのドミンゴ・デ・レスレクシオン及び、セマナ・サンタの中止発表の前に、公式な中止発表を、ひかえているような気がする。セマナ・サンタに続き、春祭りも中止させるだろうと思う。
レアル・マドリードの施設を利用している、レアルのプロバスケット選手の新型コロナウイルス感染が発見された。施設の関係者すべてが隔離された。これにより、13日のレアル・マドリード対エイバルのサッカーの試合は中止になった。リーガ・エスパニョーラの中断も発表された。スペインの中で、最も多くの感染者が出ているマドリード。幼稚園から大学までが閉鎖されたが、毎日日曜日って感じで、大勢が公園で遊んだり、家族でバルに出掛けて楽しんでいるという。それに気づいた政府が、あわてて、バルのテラス席は2m離れた処に座るようにといい始めたという。意識づけなしに、学校を閉鎖して、いまさらいっても誰も聞かないだろう。まっ、日本でも公園で、子供たちは元気に遊んでいるが…。スーパーでの、買いだめなども起きている。
イタリアは、医療崩壊状態になっているようだ。医師や看護師たちが、SNSなどで、「みんな外に出ないで。私たちを助けて下さい」と、動画で訴えているという。こうなるまで、無策な政府が放置したのが原因のようだ。それと、財政赤字削減で、5年間に、760の医療機関を閉鎖した影響もあるという。イタリア政府は、全土封鎖、食料品、衣料品、日用品以外の店の閉鎖を命令した。レストランやバル、床屋までが営業をやめた。なりふりかまわず、やれることは何でもやって、感染拡大を何とか抑えようとしている。後手後手の遅い対応だ。イタリアの感染者は、15113人になり、前日から1016人増えた。死者は、1016人で前日から189人増えた。スペインは、感染者が2968人なり、前日から800人増えた。死者は84人。フランスの感染者数と死者数を超えた。人口比でいっても、日本に比べて非常に高い。
マドリードの知人は、普段から肉や魚など冷凍庫に保管しているという。だから、肉や魚が品薄状態でも、しばらくはしのげるようだ。こっちも、普段から、冷凍食品は、常備しているし、魚の缶詰やトマトの缶詰も用意している。THさんは、肉魚が買いだめで、ないといっていたので、冷凍と缶詰を教えた。特に、スペインは、ガッテンでもやっていたが、缶詰大国なのだから。少なくとも魚なら一杯あるはずだ。それでしのいで、ある時に買えばいい。
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
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