断腸亭日常日記 2012年 その23

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月、11月の京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日 5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日
5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日 2009年5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日 6月13日〜6月22日
6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 9月24日〜10月2日 2010年5月29日〜6月7日 6月8日〜6月26日
11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
 11月21日〜11月27日 2012年1月2日〜1月11日 1月12日〜2月8日 2月9日〜2月22日 2月23日〜3月12日
 3月13日〜3月31日  4月2日〜4月22日  4月23日〜5月14日  5月15日〜5月23日  5月24日〜6月2日
 6月4日〜15日  6月16日〜6月30日  7月2日〜15日  7月16日〜7月29日  8月1日〜9日
 8月10日〜8月20日  8月22日〜8月31日  9月1日〜9月10日  9月11日〜9月24日  9月25日〜10月10日
 10月11日〜10月25日  10月26日〜10月31日  11月1日〜11月13日  11月14日〜11月25日  

 11月26日(月) 曇のち曇 10714

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂  吉田松陰

 留魂録の冒頭に書かれた、吉田松陰の辞世の句である。留魂録が世に出たのは、松蔭が死して17年目である。松蔭は、獄死前(斬首前)に何とか、松下村塾門下生に最後の言葉を残そうと、遺書を2通書いた。「1通は、松陰の処刑後、門弟の飯田正伯の手に伝わり、萩の高杉晋作らの主だった塾生に宛てて送られた。こちらの本は、門弟たちの手によって書写され、今日に伝わるものもあるが、正本自体は行方不明となっている。今日、萩の松陰神社に伝わる本書は、もう1通の方の正本である。これは松陰と牢中で起居をともにした沼崎吉五郎が持していたものである。沼崎は、小伝馬町の牢から三宅島に遠島となり褌(ふんどし)の中に隠したまま携え、そこで維新を迎える。1874年(明治7年)に沼崎は東京に戻り、その後、1876年(明治9年)に、沼崎は松陰門下ゆかりの人物で、神奈川県権令となっていた野村靖を訪れた。そこで、初めて別本の存在が明らかになったのである。」 ーーウキペディアよりーー

 どういう経緯で松蔭の遺言(留魂録)が門下生の野村靖に届けられたのか、知らないが、山田風太郎『幻灯辻馬車』に、同牢だった天才画家、河鍋暁斎を登場させ、彼の描く春画を貰い、それをネタに遠島でも生き延びて、明治になって、泥棒(風太郎の設定では)の沼崎吉五郎が神奈川県令に届けた事になっている。風太郎の筆は、全くもって冴え渡る巧みな物語を作り出している。

 と、まあここまでは良いのだが、新聞広告を見ていたら、安部晋三自民党総裁を書いた本で、三島由紀夫と吉田松陰を比較して、それに安部晋三を列べていると言う、考えられない本を書いた人がいる。覚悟がなく、途中で投げ出した人間と、三島や吉田松陰を比較するのはそもそも間違いだ。松蔭とは、同じ長州(山口)出身と言うだけである。彼の爺さんの岸伸介は昭和の妖怪と言われた、A級戦犯から首相になった人。日米安保条約の立役者だ。

 今度の選挙は、どうなるか判らない。しかし、今更自民党には政権を取らせないだろう。自民党が嫌で、民主党へ政権を取らせた選挙民が、民主党が駄目だったからと言って、再び自民には入れないはずだ。連立でしか政権が取れないように投票するはずだ。そもそも覚悟のない安部晋三に大和魂があるはずがない。

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂  吉田松陰


 11月27日(火) 曇 15321

 医者に健康診断で出た数値を持って行った。少しずつ改善されている。このままの薬を飲んで、年明けにでも再度血液検査をするようにすすめられた。スパに行って、岩盤浴してうたた寝をした。気が付くとテレビのニュースで、「日本未来の党」結党表明をやっていて、その次に速報で、「国民の生活が第一」が解党して合流するというニュースが入った。おそらく、第3極は、橋元の「維新の会」ではなく、こっちになるだろうと思った。

 基軸になるのは、「卒原発」「脱増税」など6つになると言う。将来的に原発廃止をうたうことが出来なかった橋元「維新の会」は石原慎太郎に改革のメイン看板を下ろされた形で、これでは、自民でも、民主でもない所に投票しようという浮動票を掴めない状況になったと思う。安部自民総裁は、この結党と合流を批判している。

 しかし、去年の3月11日に起こった、未曾有の大震災に際して、国会で、与野党を超えて、復興に団結して全力を尽くすと言った、決議は、その後、自民他の非協力と、批判だけをして協力しなかった事実で、復興は進んでいない。復興が進まない事、全て、民主党のせいにする自民と公明のやり方こそ、民意という物を根本的に愚弄している。結局、国会審議の進捗状況は、自民党の政局に利用されただけである。谷垣から安部に顔を代えても、選挙に弱い安部を再度確認することになるだけだろう。


 11月29日(木) 曇。夜になり小雨 33885/2

 歯医者に行く。この10日あまり抜歯後に、痛みも腫れもなかったことを報告した。抜歯後の経過は良好とのこと。インプラントのと事など話したが、3月に観て貰いそこで結果を出すこととのなる。お金の方は、長期の分割でも構わないという。帰りに新宿のチケット・ショップに寄り京都への新幹線往復切符を買った。そして、高円寺で、行きの京都行きの指定席を確定した。

 MEGUさんからのメールと電話でのやり取りで、帰りは当日決めることにした。その方が、体調に合わせて行動出来るからだ。Nさんからは、京都の紅葉の写メが送られてきた。京都の紅葉は、今、真っ盛りだ。たばこ屋のおばちゃんは、今日日帰りで京都へ行った。帰ってきたら、楽しい話しが訊けそうだ。京都行きへの準備も進めていかないといけない。

 ジャパン・カップ・ダート(JCD)の枠順が発表された。1番人気が予想される、ワンダーアキュートは、6枠12番。ローマンレジェンドが5枠10番。イジゲンが4枠8番。エスポワールシチーが2枠4番と、いずれも偶数番。3連覇を狙うトランセンドは4枠7番になった。

 訂正がある。留魂録を野村靖に届けた沼崎吉五郎が出ているのは、『幻灯辻馬車』(本のタイトルが正しくは、幻燈辻馬車)ではなく、『警視庁草紙 下』の「吉五郎流恨録」に載っている。


 11月30日(金) 8085

 帰ってきてたばこ屋に寄った。おばちゃんが昨日、京都へ紅葉を観に行ったはずだから。顔を出したら奥から出てきた。どうでした昨日?と、訊くと、もう、凄かったわよ!嵐山、嵯峨野を観てきたという。6月に祇王寺を観て、まあ凄いと思っていたけど、昨日のは、紅葉の落ち葉が苔の上に綺麗の敷き詰められたようになって、それはもう綺麗なんてもんじゃなかったもの。

 隣の滝口寺、二尊院、落柿舎、常寂光寺とか名前忘れたけど7つくらい行ったのよ。化野念仏寺とか宝筺院とかにも行ったのだと思う。東福寺にも行ったといっていた。通天橋からの眺めも、臥雲橋からの眺めも素晴らしかったと言う。夕方に清水寺のライトアップを観て帰ってきたという。おばちゃん曰く、あたしが1番好きなのは、祇王寺。もう素晴らしなんてもんじゃなかった。という。6月に行った人たちに自慢するの、と言っていた。

 京都の今年の紅葉は当たり年と言われている。しかし、東福寺では、今年は色が出ていないと坊主が言っていたという。やはり、場所によるのだろうと思う。本当に紅葉・落葉の祇王寺を観れて羨ましい。今度一緒に行きましょうと誘われた。日帰りの紅葉の旅も良いかもしれないと思った。


 12月1日(土) 曇 17793

 朝、洗濯をする。中山競馬場へ行こうと思っていたが、一緒に競馬しようと言われ、ウインズへ行くことにした。現地集合で連絡して一緒にやる予定。今日は、どうなるか?楽しみである。

 泣いても笑っても、あと少しで京都。紅葉が観れるか、落葉かはお天気次第。それを受け入れて京都を廻る。こっちも現地集合。


 12月2日(日) 曇のち雨 16783

 朝から競馬をやった。JCDは、馬連で的中。ワンダーアキュートから行ったので、しっかり勝ったニッポンピロアワーズを押さえていた。騎乗した酒井学騎手は、本当に嬉しそうだった。15年目で初めてのGT制覇。インタビューでは、関係者への感謝の気持ちを語っていた。この勝ちは、京都旅行に回せる。嬉しい!ウキウキで京都へ行ける。中山の最終も取った。

 後は、荷造りをして忘れ物がないようにしよう。


 12月3日(月) 曇のち雨 11090

「思い切り突き上げられた左拳。胸によぎったさまざまな思いのすべてが凝縮されたガッツポーズだった。
「とにかくうれしいです。オーナーはじめ応援してくれる方々、ニホンピロアワーズをここまで持ってきてくれたスタッフ、支えてくれた人が本当にたくさんいる。その気持ちに最後応えるのが僕の務めだと思っていたので、しっかりと果たせたという充実感で今はいっぱいですね」
 レース後のインタビューで酒井が答えた。1998年にデビュー。同期に池添謙一がいる中、初年度は25勝を挙げ順風満帆の騎手人生スタートと思われた。しかし、その後、年々勝ち鞍が減り、06年はわずか年間1勝。「1回、潰れかけたジョッキーでした」。
 しかし、06年のその1勝を挙げた馬がニホンピロコナユキ。これがきっかけとなって、小林オーナーは酒井を主戦として起用するようになったという。
「返しても返しきれない恩です。オーナーからは『いっしょに大きいところを取ろうな』と声をかけてくださって、そんなオーナーの馬といっしょに歩んできて、GIを勝てたんですから、思いはひとしお大きいですね」

“ニホンピロ”の主戦となり、2010年8月1日にはGIII小倉記念をニホンピロレガーロで勝利。そして、ニホンピロアワーズとの初コンビ・初勝利も、奇しくもこの小倉記念と同日、1つ前のレースだった。初めてまたがった印象を酒井が振り返る。
「最初は幸先輩が乗っていた馬なんですが、代打という形で調教から騎乗させてもらいました。コースに出る前は、トモ(後肢)が頼りなくて“これ、大丈夫か?”って思ったくらい。でも、キャンターに行ったら衝撃を受ける柔らかさでしたね。これは大きいところを取れる馬だな、って思いました」

 手応えどおり、酒井とのコンビで堅実に勝ち上がり、「1戦ごとに成長を感じていました」と、交流重賞を3勝。前走のGIIIみやこステークスはゴール前でローマンレジェンドに差されたが、これは1頭になるとソラを使ってしまう悪癖が出てしまった結果。力負けとは感じていなく、「仕掛けどころの難しい馬だけど、今回のJCダートはそこだけ」と、虎視眈眈、逆転勝利を思い描いていた。何より、前走からのわずか1カ月の間に、ニホンピロアワーズ自身が想像以上の成長を遂げていたという。
「道中は無理するところが1つもなかったですし、直線もターフビジョンを見ながら『まだ待てる、まだ待てる……どこまで待てばいいんだろう?』ってくらいの手応え。ソラを使う不安を残しながらも、最後は他馬の足音が聞こえてこなかったですから。本当、馬がたいしたものですし、前走から今回にかけての変わり様にはビックリしました」

 並みいるダートチャンピオン、4歳上がり馬、勢いある3歳馬を打ち破り、新ダート王の座に就いたニホンピロアワーズ。もちろん、ここがピークではなく、今後いっそうの活躍を見込んでいい。
「これだけの競馬ができて、馬にとっても自信になります。こんな立場の馬に今まで乗ることはなかったんですが、今後、GI馬に恥じない結果を残していけるように、スタッフと力を合わせて、もっと、もっと飛躍していきたいです。楽しみでいっぱいです」
 大橋調教師によれば、次の目標レースは馬の状態を見てからと、現時点では未定。「体質の弱い面があって、時間をかけてじっくり育ててきた」というだけあって、今からが本格化のピークを迎えるのだろう。遅咲きの新ダート王者と苦労人ジョッキーが描く夢は広がるばかりだ。」  ーースポーツナビよりーー

 「 “恩返し”のG1勝利だ。「人に支えられたから続けられた。1回つぶれかけたジョッキーなので…。辞めなくてよかった」。デビュー15年目で味わう初のG1制覇の感触。頂点に立ったニホンピロアワーズの背中で、酒井は大きなガッツポーズを決め、あふれんばかりの思いを爆発させた。

 4番手を追走し、直線は持ったままの手応えで前に並びかけた。早めに先頭に立つと遊ぶ癖がある。「追ってからは不安を残しながらだったけど、足音が聞こえなかったから“今回はやったった”って思った」。一瞬で後続を置き去りにすると、3馬身半差の完勝を決めた。「びっくりするぐらいの勝ち方。アワーズが大したもんです」。相棒の頑張りに胸を張った。

 大橋師は4回目の挑戦でG1初制覇。「追い出しをゆっくりしているし、これなら大丈夫と確信した。意外と冷静でした」と笑う。6連勝を決めたローマンレジェンドと首差の接戦を演じた前走に手応えを感じていた。「引けは取らないと思っていた。時間をかけてじっくりとやったのが実った」。この日も主戦を笑顔で送り出した。「うまく乗った。(酒井)学を信じていた。男にしてやりたかった。男になったな」と、大仕事を成し遂げた鞍上をねぎらった。

 酒井には苦しい時期があった。06年は今回と同じオーナーのニホンピロコナユキで挙げた1勝だけ。「辞めようと思ったこともあった。返し切れない恩があるし、感謝してもし切れない感謝がある。僕なんかを大きなレースに乗せてくれて…」。どん底の時代にも騎乗させてくれたオーナー、全権を委任してくれたトレーナーの期待に見事に応えてみせた。「ガキのころからG1を勝つことが夢だった。周りに助けられてここまできたので、ちょっとでも返せたかな」。検量室で手荒い祝福を受けても、涙は出なかった。「勝ったら泣くと思っていたんですけど。テンションが上がり過ぎちゃって、涙腺がキュッと締まっちゃったのかな」と照れた。

 次走は未定だが、今後は受けて立つ立場となる。主戦は「G1馬に恥じない結果を出していける馬」と胸を張った。鞍上と馬。そして関係者。固い“絆”が導いたG1タイトルを手に、新ダート王はさらに輝きを増していく。」  ーーデイリースポーツよりーー

「想像を超える強さだった。小雨交じりの中、ダートの新王者が誕生した。ニホンピロアワーズが3馬身半の圧勝劇。手綱を握った酒井学騎手が満足げな表情を見せた。 「ビックリするくらいの勝ち方。道中も無理することがなかったですし、追い出して今回は“やった”と思いました」 道中は4番手を追走。手応え十分に進み、いつでも前の各馬をかわせる勢いで直線へ。「どこまで待てばいいのか」と振り返った鞍上の言葉通り、粘り込みを図るホッコータルマエを馬なりのままで抜き去り、悠々と先頭のまま駆け抜けた。

 殊勲の32歳は、池添らと同期で1998年に騎手デビュー。15年目でGI初勝利を飾ったが、道のりは厳しかった。デビュー年から25、13、14勝と順調だったものの、2001年に師匠の二分久男調教師が引退したことや、減量の特典がなくなったことなどが重なり成績は下降。06年は1勝しかあげられなかった。

 「(オーナーには)返しても返しきれない恩がある」としみじみ語る酒井騎手。06年の1勝はニホンピロアワーズの小林百太郎オーナーの所有馬・ニホンピロコナユキだったからだ。1勝が縁になり、成績は再び上昇。腐りかけた時期を乗り越えてのGI勝利に「思いはひとしおです」。

 小林百太郎オーナー(83)=日本ピローブロック(株)名誉会長=は、1985年マイルCSのニホンピロウイナー以来となるJRA・GIタイトルに「長いがな。もう(GI勝ち馬が)出てくれなあかんと思っていたよ」と、笑顔が弾けた。 「もまれていないし、馬なりでついていっていたから、きょうは楽に見られた。『もうええ加減、(騎手を)替えろや』と周囲から言われたが、かわいいからね」と、“孝行息子”酒井騎手の大仕事に目を細めた。

 アワーズが生まれた、北海道新ひだか町の片岡牧場は、片岡正雄さん(64)と妻の2人で繁殖牝馬3頭をかかえる家族経営の小さな牧場。正雄さんはこの日朝、業務を終えてすぐ競馬場へ駆けつけた。そのかいあってのGI初勝利に「ラッキー以外の何物でもない。(小林オーナーとは)30年近くお付き合いさせてもらって恩返しできたのが一番うれしい。去年より今年、来年より今年の方がチャンスと思って、意を決して来た。信じられない感じ」と、感無量の表情だった。」  ーーサンスポよりーー

 JCDの記事を読んでいたら涙が出てきた。競馬はギャンブルだからやめなさいとか、人生狂わせるからやめろとか言うが、それは負け組の人の話だ。上記の記事を読めば、競馬が健全なスポーツであり、馬に関わる人々のドラマを読み取ることが出来るだろう。何故下手な騎手にこだわって乗せ続けたのか。オーナー、調教師は、酒井学をおした。

 スパルタ調教で一時代を築いた戸山為夫調教師は、騎手時代にあの騎手よりも俺の方が上手く乗れるのに、何故良い馬に乗れないのかと悩んだ。いざ、1番人気の馬に乗ると平常心でいられなくなって、簡単に負けてしまう。調教師になってからは、騎手が下手なら強い馬を作ればいいじゃないかと、坂路が出来たときに、スパルタ調教を始めて、ミホノブルボンやレガシーワールドを育て上げた。その基礎を作ったのは、オーナーの谷水信夫さんとの出会いだった。

 不遇の騎手時代を過ごしたので、弟子には乗り代わりという事をしなかった。自分が嫌な思いしたから、騎手の気持ちがよく解っていた。だから自厩舎の馬には、1流騎手を乗せなかった。パドックではいつも眼光鋭く馬を見つめていた。あの頑固親父ぶりが好きだった。小島貞広や小谷内秀夫は、安心して乗れたし、葬式の時は号泣していた。

 岡部幸雄や武豊には、何処の厩舎でも乗せる。小島や小谷内は何処の厩舎でも乗せるわけではないので、弟子を徹底して教え、馬に乗せ続けた。酒井学もそうだ。この日彼が乗った馬は、ニッポンピロアワーズだって6番人気だったし他の馬は、10番人気以下の馬ばかりだった。オーナーの小林百太郎さんが、酒井学の何処を気に入ったのか知らない。彼は、一生懸命という言葉を使っているが、観ている人はちゃんと観ているのだ。大橋勇樹調教師にしても、酒井を買って騎乗させ続けた。生産した家族経営の小牧場。そういう人との繋がりが、この優勝に繋がっている。

 ネットの書き込みにこんなのがあった。「ジャパンCダート 1着 ニホンピロアワーズ 酒井学 馬主 小林百太郎氏 片岡牧場生産 2着 ワンダーアキュート 和田竜二 馬主 山本信行氏 フクダファーム生産 3着 ホッコータルマエ 幸英明 馬主 矢部幸一氏 市川ファーム生産

3頭に共通するのは非社台、個人馬主、デビュー以降ほとんど同じ騎手。こういう結果見ると、自分が馬券外れても良い気持ちがする。まさにこれぞ本当の競馬の面白さだと思う。」

 3歳クラシックを勝つのは、近年社台グループの馬ばかり。でも、こうやって人との繋がりで、不況の時代でも競馬を続けている個人馬主は本当に重要な馬主だ。人との繋がりを大事に出来ない人とは、付き合えない。武豊は最近さえない。乗る馬も減り、成績はガタ落ち。鼻高々だった頃の面影はない。俺は元々上手い騎手だとは思っていない。

 本当に上手い騎手というは、岡部幸雄だ。凄い騎手というと横山典弘とか、田原成貴だろう。でも、殆どの騎手は、酒井学のように普通の技術を持った騎手で、それぞれの得意とするモノを持っているに過ぎない状態だ。だからこそ人との繋がりである。闘牛の会では、それを作ることが出来なかったので、自分の会では、それが出来るようにしたいと思う。とても、良い気分になった日曜日だった。そして、明日から京都へ行く。

冬寒むの 雨降り続く 見上げる 夜空に浮かぶ 朧月かな  風吟


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