断腸亭日常日記 2012年 その11

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
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 7月2日(月) 晴 33059/2

 昨日は色々あってあまり寝れなかった。疲れてぐったりしている状態だったが、思い出してヨーロッパ選手権決勝の結果を携帯で観たら4−0とイタリアに圧勝していた。それで気分も一気に明るくなった。経済危機にあえぐスペイン。4人に1人の失業率。そんな中で圧勝である。さぞ喜んでいるだろうと思って、YouTube でスペインのファンの喜び様を観ようと検索して探した。

 テレマドリードの中継テレビでも観れた。凄い喜び様だ。こういう時期に、スペイン人に、自国に生まれて良かったという誇りを持てることは、自信にも繋がる。スペイン語でのYouTube で観たハイライトは、ゴール・シーンの後、何処かの広場に集まっている大勢のファンが喜んでいるところが左画面に小さく映るようになっていた。得点の度に飛び跳ねる赤い群衆。それから、2点目のセルヒオ・ラモスのバック・パスを受けたカシージャスがロング・キックを蹴り、それをセンター・ライン付近で、セスク・ファブレガスが頭で落としジョルディ・アルバにバック・パス。それをシャビにパス。パスを出したジョルディ・アルバが全力で走ってペナルティーエリア手前受けてコールキーパーと一対一になり左足でゴールすると、テレビアナウンサーの興奮の絶叫し始まる。

 ジョルディ・アルバは、パス出してシュートするまで40メートル以上走ってのシュート。シャビのパスも絶妙だった。アナウンサーの絶叫が響き主賓席で、プラティニの横で観戦していた、皇位継承権を持つ(プリンシペ・アストリアス)フィリッペ皇太子が何度も声を上げながらガッツポーズをしているのが印象的だった。1点目と同じでイタリアディフェンスを完全に崩して奪った得点だった。

 「1日に行われたEURO2012決勝、スペイン対イタリアの一戦は、4−0でスペインが勝利を収めた。3度目の優勝となるスペインは、史上初の連覇。2010年ワールドカップと合わせ、主要大会3連覇という前人未到の偉業も達成した。」 ーーサンスポよりーー

 ビセンテ・デル・ボスケ監督は、決勝でも0トップという今回初めて採用した革命的とも言えるシステムが機能したようだ。デル・ボスケは、銀河系軍団といわれたときのレアル・マドリードの監督で、ジダン、フィーゴ、ロベルト・カルロス、ラウルなどスター集団をまとめ上げて、マケレレを核として、クラブ世界一に2度なっている。我が儘や、個性が強くても、操縦できる器量を持っている。これと言った自分のサッカースタイルを選手に押しつけるような事はしない。モウリーニョやトルシエの様な監督ではない。俺に付いてこい的なカマチョの様なタイプでもない。

 あくまでも集まっている選手主体でサッカーを組み立てようとする監督だ。だから、今回のスペインの様にビジャがいない状態で、フェルナンド・トーレスがあまり良い状態でないと、FWを置かず中盤が選手層が厚いスペインでは、パスを繋いでいればチャンスが出来るだろう的な0トップという戦略を思いついたのだと思う。選手の力を最大限に引き出す手腕は、前任のアラゴネスは足元にも及ばないだろう。だから、スペインサッカー協会は、前回優勝したアラゴネスに辞めて貰い、待ってましたと監督にしたのが、デル・ボスケなのだと、ISOさんが解説してくれた。

 「デルボスケ監督は「サッカーの形は一つではない。チームのスタイルに合う選手を起用しただけ」 」 ーー共同通信よりーー

 とにかく、今日は良い日だ。スペイン代表チームに乾杯しよう。そして、今大会で初めのグループ・リーグ第1試合イタリア戦で先制点を取られた以降4試合無失点を続けたプジョルのいないディフェンスとGKカシージャスに喝采を送りたい。おめでとう。ありがとう。


 7月3日(火) 曇のち雨 7373

 朝の5時くらいまでテレマドリードのマドリー・ディレクトで、凱旋パレードを観て、シベレス広場で行われた代表チームの紹介やコメントを観ていた。物凄い数の赤い群衆だった。選手たちは嬉しそうだったし、マドリードの沿道のファンも凄かった。気づいたのは、ビセンテ・デル・ボスケ監督の息子が凱旋パレードのオープンバスに同乗していたが、どうやら彼は、ダウン症かなんかの精神障害者だ。その息子にパレードのバスに乗せたデル・ボスケをスペイン人らしいなぁと思って観ていた。そういう子どもがいることを隠さない。人前に出す。そうやって社会に溶け込ませる努力をする。そういうところは日本人は見習った方が良いと思う。

「 デル・ボスケ監督「全員の勝利」

スペイン代表は1日、EURO2012決勝でイタリアと対戦し、4−0と大差で勝利を収めた。連覇を果たしたビセンテ・デル・ボスケ監督は、全員の勝利だと喜びを表している。また、DFジョルディ・アルバの2点目が勝負の分かれ目になったと分析した。

「魅力的ではない」「退屈」といった批判も浴びせられたスペイン。だが、この日のファイナルでは、MFダビド・シルバのゴールで先制すると、前半のうちにJ・アルバがリードを広げる。後半にイタリアが負傷者を出して10人になったこともあって、スペインはFWフェルナンド・トーレスとMFフアン・マタがダメ押しの追加点。大量4ゴールを奪い、主要大会3連覇という偉業を達成した。

デル・ボスケ監督はスペイン『テレシンコ』で、次のように話している。

「彼らは大変な努力をした。先制点が相手にダメージを与え、2点目が決定的となった。我々はイタリアに大きな敬意を払っていたよ。彼らはタフなライバルだった。だが、我々は前進したんだ。試合の中で成長してね」

MFセスク・ファブレガスの「偽9番」起用には批判もあったが、デル・ボスケ監督は動じなかった。

「ベストだと思ったことをやっただけだよ。この勝利はスペインサッカー界と、何より家族にささげたい。これは全員の勝利だ」

負傷でFWダビド・ビジャとDFカルレス・プジョールが不在だったスペインだが、デル・ボスケ監督は優勝祝いに両選手も加わると話している。

「プジョールやビジャと会って、彼らには来いと伝えた。彼らはこのチームの一員なんだ。とても重要な存在だった」 」 ーーGoal.comよりーー

 どこまでもスペイン人らしく振る舞っている。選手たちもそうだが、そういうところが素晴らしい処だ。

 スペイン国内の決勝の視聴率は、平均視聴率が83.4%を記録。「また最大瞬間視聴率は、スペイン代表が3点目を決めた直後の85分に記録され、90.0%という破格の数字となった。とはいえ、オランダ代表とのW杯決勝の91.0%にはわずかに及ばなかった。

 なお、スペイン代表の決勝までの各試合の視聴率は、グループリーグではイタリア代表との第1戦が60.2%、アイルランド代表との第2戦が70.2%、クロアチア代表との第3戦が70.4%をそれぞれ記録し、土曜日のゴールデンタイムと重なったフランス代表との準々決勝では76.7%まで上がった。一方、ポルトガル代表との準決勝では、試合全体では75.6%と準々決勝をわずかに下回ったものの、延長戦では77.1%、PK戦では83.3%という高い数字を計測した。

 また地域別の視聴率は、代表への関心が伝統的に低いバスク州とカタルーニャ州がそれぞれ72.1%、74.3%と、過去最高を記録しながらも全体平均を大きく下回ったが、それ以外の12州はすべて80%を大きく超えた。中でもマドリー州、アンダルシア州、カスティージャ・ラ・マンチャ州の3州はいずれも88%台を記録した。」 ーースポーツ・ナビよりーー

 新聞も巻頭から10ページに渡って特集する処もあったという。物凄いことだ。


 7月4日(水) 晴 13613

 昨日は、昼前に起きた。理由はテレマドリードで、スペイン代表の凱旋パレードを観たからだ。それから遅い朝食を取って鎌倉に出掛けた。Dさんが紫陽花が咲いているというので、出掛ける気になったのだ。傘を持たずに出たが、電車の中で雨が降り出して北鎌倉の駅を降りて傘を買って、明月院に向かった。いわゆる紫陽花寺である。小雨と時々強い雨が交互に繰り返す天気。今年の春に龍安寺に行ったがその時も雨だった。ISOさんが、雨の龍安寺に行けて羨ましいと、言っていたが、雨が降ると花が栄えるのだ。それは経験で解っていたが、明月院も良かった。

 それから鎌倉へ行き、駅前でフランクフルトをビールで飲んだ。それというのも、デジカメの充電池が切れて、もう撮影が出来なくなったからだ。京都行くときと比べてテンションが落ちるからだろう。ここは美味しいものが食べれるということが判った。それから江ノ電で長谷へ行き、大仏を観た。もうこの頃になると雨は土砂降りに近くなった。それから高則寺で紫陽花を観た。境内に、宮沢賢治の『雨にも負けず』の詩の石碑があった。ここは日蓮関連のお寺だから、そういう風な成り行きがあったのだろうと思う。昨日は、色んな紫陽花が観れた。原種に近いようなものから青や紫、赤紫、白、白と赤紫が混ざったものなど。雨に濡れた花びらは色っぽい。

 雨が降ったので良い花が見れたが、土砂降りになったので長谷寺には行けなかったので、また、近いうちに行こうと思う。


 7月5日(木) 曇 20356

 今日は蒸している。そろそろ梅雨の季節になって来た感じだ。これから、蒸し暑い日が続くのだろう。未だ風邪気味で、鼻声が治らず、タバコも完全に元のタバコに戻っていない。ちょっと外食が続くと体重が直ぐ増える。そのくせ家で作ったものを食べても直ぐには減らない。

 この間、新宿で美味しいワンタン麺を見つけた。餃子ほど肉が入っている。暑くなっての熱い麺というのは、なかなか体に優しい。それから家の近くに出来た面白そうなラーメン屋にも行ってみたい。期待できそうな処だ。ラーメンは塩分が多いのであまり食べない方が良いが、こういう汗をかく時期には、少しは食べた方が良いと思う。


 7月6日(金) 曇のち雨 16499

 家に帰って来て出掛けようと自転車を観たら空気が抜けている。どうなっているのかと観ていたら、手に負えないことが判って、自転車屋へ行った。チューブが駄目になっていて、タイヤごと代えた方が良いという。それで代えて貰った。そんなことがあって予定がすっかり変わってしまった。

 昼にテレビ制作会社の人から電話があった。貸していたDVDを返したいということだった。それからメールなど来て再度連絡するも出ず。折り返してメールで会議中とのこと。それから連絡が取れた。放送があったのは17日だという。その時の放送したものも持ってきてくれるという。次回のスペイン闘牛ビデオ上映会で、見せることが出来るだろうと思う。ビデオは非常に評判が良かったそうだ。

 「       一八九五年四月十六日 京都にて
 宿の私の部屋の雨戸は繰られ、さっと差し込む朝日が、金色に光る四角に区切られた障子の上に、小さな桃の木の影をくっきりと完璧に描き出す。人間の芸術家には、たとえ日本人といえども、この影絵を凌ぐことはできまい。黄色に輝く地に浮かび上がる紺の素晴らしい画像は、ここからは見えない外の枝の遠近によって色の濃淡さえ変えてみせている。私は、家の採光に紙を用いたことが日本の芸術に与えた影響について考えさせられる。
 夜、障子を閉めただけの日本の家は、紙を張った大きな行灯のように見える。外にではなく内側に動きまわる影をうつす幻灯機だ。日中、障子の影は外からだけだが、日が出たばかりの時、ちょうど今のように、趣のある庭越しに光線が真横からさしていれば、影は大変見事なものとなるだろう。
 芸術の起源は、壁にうつった恋人の影の輪郭を写しとろうとする自然な試みにある、とするギリシアの昔話は、決して荒唐無稽ではない。すべて芸術の観念は、超自然の意識と並んで、影の考察を素朴な出発点としているようである。しかし、障子にうつる影は非常に素晴らしいもので、絵画における日本人の才能----これは素朴どころか、他に並ぶ者もないほどに発達していて、それ以外に説明のしようもないのだが、その才能の一端を解き明かすヒントになりそうだ。もちろん、どんなすりガラスよりも良く影のうつる日本の紙の質を考慮しなければならないし、影そのものの性質も考えなければならない。例えば、自然の許す限り最も美しく見せるために何世紀にもわたる丹精こめた手入れを受けてきた、日本の庭木のような優雅な影は、西洋の植物にはとうてい生みだすことができないのである。
 私の部屋の障子の紙が、写真の感光板のように、水平な太陽光線によるあの最初の素晴らしい形を焼付けておいてくれたら良いのに、と思う。見事だった影絵はもうのび始めて、形が歪んでしまった。惜しいことである。」  ーー『日本の心』小泉八雲 著 講談社学術文庫よりーー

 小泉八雲が、約120年前に観た日本が、ここに記録されている。日本に対する驚きを、深い愛情で受け止め記述している。殆ど感動的といって良い、影の考察である。こういう記述を読むと、今の日本人は、日本の良さというものを忘れているし、捨ててきた様な気がする。三島由紀夫と小泉八雲の考える日本に、どれだけの違いや開きがあるのか、今は解らないが、三島を読むなら八雲を読まなければ話にならないような気がする。それと松岡正剛も重要だ。

 考えた結果、昨日、本を4冊注文した。それが届けば、三島の本を読むスピードも上がるだろう。と、いうより理解する速度が上がるといった方が良いかもしれない。


 7月7日(土) 曇 7970

 夜中に、高橋竹山のDVDを観る。どくどくの話し方で、あの当時訊いていた最後の頃は、個人的にはテンポが遅く感じていたが、今訊くとそういう違和感はなかった。むしろ、竹山の朴訥さがストレートに伝わってきた。竹山の弾く津軽三味線の高音が心に残る。もし、竹山がいなければ、今のように津軽三味線から多くの若い三味線弾きが出てこなかっただろうし、津軽というものを超えた日本、世界への扉も開かれていなかっただろう。

 めくらのボサマが角付けをして命を繋いでいた時代から、レコードを出して渋谷のジャンジャンを足がかりに世界に出ていった、いわゆる竹山ブームは、熱狂的なファンを日本だけでなく、世界中に生みだした。明治や大正時代の古い津軽三味線の派手さが余りないスローテンポの曲でも、心に沁みたし、アップテンポの曲は、体に直接響くような音色だった。

 「ハーンは日本を愛惜した。村の家の障子が黄色いランプで仄かに輝いているのが好きだった。小さな中庭の桃の木が屋根の甍にまで影を落としているのが何にともくらべられるものがないほど、美しかった。日本の夏は簾と虫籠のゆれぐあいに見とれ、晩秋の石段にはいつも「無」というものの言葉が秘められているのを感じた。
 美しさに注目しただけではなかった。「日本の内面生活の暗示と影響」のサブタイトルをもつ『心』では、おおかたの日本人には思いがけないだろう数々の指摘をした日本論を綴っている。
 たとえばそのひとつ、ハーンは、ギリシアに発する西欧の美術が「永遠」をめざしてルネサンスから近代までを駆けたのに対して、日本は「一時しのぎ」のために西欧に匹敵する技量をもって家屋や調度を彫琢してきたと指摘した。批判したのではない。その逆にハーンはいわば「一時しのぎ」という「かりそめ」に日本の本来があるとみなしたのだ。そしてそのことが、世界の諸文化のなかでは比類のない成果だという見方を披露したのだった。
 いったいなぜ、ハーンはここまで日本を書けたのか。たんなるエキゾティシズムではここまでは書けない。」 ーー『連塾 方法日本T 神仏たちの秘密』松岡正剛著  及び HP『千夜千冊』 第七夜 ベンチョン・ユー『神々の猿』よりーー

 日本を解く鍵は、ここにもあるのだ。それを感じられることが大事なのだ。今日は七夕。短冊に何を書く。「面影」を感じられるようになりたい。


 7月8日(日) 雨のち曇 14660

 雨上がりの朝、銭湯へ行った。さっぱりした気分で日曜日の朝をむかえた。

 頼んでいた本が2冊届いたので、読み始める。テレビ制作会社の人と会ってDVDを返して貰い、放送された映像を観る。こういう番組で、こういう風に使っているのかと言うことが解った。


 7月9日(月) 晴 13376

 疲れた体を癒してくれるのは、スパの岩盤浴か、良いこと。今日は、うつらうつらしながら岩盤浴の待機場所にいた。汗をかきながら何度も額の汗を拭い、横になっていた。起きて水分補給したり、本を読んでいた。『柴練立川文庫 猿飛佐助 真田十勇士』 柴田練三郎著。面白くてもう直ぐ読み終わる。

 当然ながら猿飛佐助を中心に書かれてある。Amazon の読者のレビューに20代女子が書いているが面白かった。「他の方のレビューもしっかり読んでから購入すればよかったのですが…… 内容にびっくりしました。丁寧な言葉で淡々と話が進められていますが、内容はただの官能小説です。しかも女性に対しての扱いが酷い。この小説を評価なさっている方は、きっと男性ばかりなのだと思います。女性から側からすると不愉快極まりないです。完全に犯罪行為ですからね。創作物とはわかっていますが、出てくる人物に対してのイメージもガクッと下がってしまいました。ただ一つ、佐助が信玄の孫という設定は面白かったです。「真田幸村」も購入しましたが、テンションが下がってしまいあまり読む気になれません。」

 この本が、「官能小説」と断定しているが、どっからそういう風になるのかさっぱり解らない。むしろ、このレビューを読んで、期待していたが、全然「官能小説」ではない。これが、「官能小説」なら山田風太郎の「忍法帖」は、「大官能小説」って事になる。風太郎の方がもっともっとエロいし、笑える。風太郎の場合、忍法は、ほぼ性技である。性に関わる技を忍者同士で戦わせ、繰り広げる。例えば、女を限りなく行かせる忍法を習得した男の忍者と、男の種を搾り取り限りなく行かせる忍法を習得した女忍者(くの一)の忍法合戦という、いわば、性技争いであったりする訳である。さて、ではこの闘いは、どっちが勝つのか?それは風太郎を読んで貰いたい。この目茶苦茶さが実に面白いのだ。柴練のモノはまだまだおとなしい。それと笑えない。そういう意味では物足りなさすらを感じる。

 なのに、20代女子は、「官能小説」という。このギャップは凄いことだ。世代が違うと言えばそれまでだが、男女の違いがあると言ってもそれまでだが、風太郎ファンの女性は実は結構いるのだ。俺は実に面白いと思って読んでいるが、女性は、「忍法帖」を読んで何が面白いのか訊いたことがないのだ。勿論、風太郎は、「忍法帖」だけの人ではない。「明治物」や、「江戸時代の奇伝小説」も素晴らしい。『八犬伝』も傑作中の傑作である。戦争を描いた小説も深い。短編でも泣ける作品がある。『戦中派不戦日記』『人間臨終図巻』の小説以外の物も傑作を出し続けた大天才作家だ。

 それに比べれば、柴練は落ちるが、面白い。風太郎が真田幸村を正面から書いた物があれば当然読んでいたが、そういう書き方をしないのが、また、風太郎の風太郎たる所以だ。


 7月10日(火) 晴 8692

 暑くなってきた。いよいよ扇風機の季節になった。MEGUさんから貰った扇風機を出してセットして使い始めた。スイッチの接触が悪いと言うことだったが、取りあえずは問題なく使用できた。洗濯をして干していたら、汗がどっと噴き出してきたのでセットした。

 昼寝をして、夕方図書館へ行き、それから自転車に乗って近くを通っていたら、今まで気づかなかったスーパーがあることに気づく。そこに入って欲しかった塩麹を買ってきた。こんな近くにこのスーパーのチェーン店があるとは知らなかった。夜遅くまでやっているので、これから利用できそうだ。

 『柴練立川文庫 猿飛佐助 真田十勇士』 柴田練三郎著 読了。続いて、『柴練立川文庫 真田幸村 真田十勇士』 柴田練三郎著を、読み始める。三島由紀夫の、『憂国』を読もうと考えていたが、時間を作れなくて読めなかった。


 7月11日(水) 晴のち曇 5306

 最近、よく使う食材がセロリ。以前は、ゴボウをよく使っていた。ゴボウは、単純に歯ごたえが良いことと、食物繊維が多いので使っていた。セロリは、これは香りが強いので、減塩するときは、こういう食材が必要だ。つぶれたスーパー跡に、ローソンが出来た。そこで1株105円のセロリを売っている。アメリカ産で、安くて量があるので重宝している。

 これは、余れば、キュウリと一緒に塩麹で漬け物にする。そうすると香りを楽しめる漬け物が出来るのだ。多分、鷹の爪を入れると、もっとおいしんだろうなぁ。コンビニには、東日本大震災後、女性客が増えたという。それまでスーパーに行っていた女性が、大震災で物不足の中でコンビニに注目したのがきっかけだという。タバコだけで、売り上げが上がったのでない。商品の品揃えが、やはり変わってきた様な気がする。


 7月12日(木) 曇のち雨 34653

 朝は、ぽつりぽつりという雨が降っていたが、直ぐに止んで曇りが続いていた。いつでも降りそうな天気で、近所のラーメン屋に行くも、木曜日が定休日で食べれず、向かいのスーパーで酒を買ってきた。それから隣の駅にある肉屋と八百屋で買い物をした。家に戻ってローソンで頼んでいた本を受け取り、つらつら観ていた。『明治日本の面影』小泉八雲著。

 何というか、圧倒されるというか、清らかな気持ちになるというか、凄い物だ。来年は、伊勢神宮に行こうと思っていて、次の年は高野山へ行こうとおもっているが、そのついでにでもいいから出雲神社に行ってみたいと思う。八雲とせつがそこにいるかも知れない。例えば、『日本の心』の中の「夏の日の夢」の中には、浦島太郎の話を収録しているが、この話と八雲が体験している、その時の現実が絡まって面白い話に出来上がっている。こういうのを読んでいても、八雲を感じれる出雲や京都へ行きたいと思う。

 高野山へ行くなら、ついでに寄りたいのが、九度山である。ここは真田昌幸・幸村父子が幽閉されていた処だ。どういうところなのか、目にしてみたいと思っている。それまでに、準備として、阿字観に行ったり、写仏したりもしておきたい。高野山の事も知っておきたい。それと同時に、真田親子の事も調べて起きたいと思っている。同じように、出雲や京都や他の土地のことも調べて、八雲の旅もしてみたいと思っている。

 その初めが、来年の伊勢神宮である。20年に一度行われる建て替えが行われる。それを観に行きたいと思っている。その為には、やはり準備が必要だから、それも進めていかなければと思う。


 7月13日(金) 曇 4352

 『明治日本の面影』の中に、「勇子」というタイトルの物があり、それは大津事件後に、決意の自殺をした畠山勇子の事であった。次の章「京都旅行記」七にて、畠山勇子の墓を訪ねている事を記述している。「勇子」を読んでいると落涙する。こういう記述が出来ることに、驚きを感じる。事件があったのは、1891年5月11日。前年の4月に来日し、せつと出会い、未だ、ラフカディオ・ハーンが帰化して小泉八雲と名乗り始める前だと思う。

 この事件は、山田風太郎の『明治かげろう俥』で、人力車夫を主人公に書かれた物語で記憶するが、日本法曹界においては、三権独立の最も正しい形として語り継がれる教科書的な逸話として残っている。風太郎の『明治かげろう俥』は、まさに『運命の車』に乗った人々を書いている。こういう書き方は、戦争体験者の人生観が反映されているのだろうと思う。

 「烈女、畠山勇子」は、三島由紀夫的にいえばまさに憂国の士である。天子様のために一身を捧げた人だ。その不思議を、八雲は、西洋人には理解できない物であるがと、前置きして、深い洞察で讃えている。少なくとも、三島の割腹よりも、勇子の自決の方に美しさを感じる。それは、意味においても、危機的状況においてそうだし、その後の政治的、世間的反響においてもそうなのだと思う。そしてそれは、シナリオがない死だからだ。三島のように、シナリオが用意されていたわけではない。そして、それが女性だった事によって、より象徴的なの事となったのだと思う。

 松岡正剛の「いったいなぜ、ハーンはここまで日本を書けたのか。たんなるエキゾティシズムではここまでは書けない。」という言葉が、ここにも当てはまる。


 7月15日(日) 晴 28478/2

 朝、讀賣新聞を読んでいたら、別紙に歌舞伎の『東海道四谷怪談』の話が書いてあった。

「江戸中村座。文政8年(1825)の初演だった。『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』が2日間にわたって入れ子に上演された。
 二つの狂言は「実」と「虚」が互いに犯しあい、ひっくりかえりながら姦通しあう。いわば「鋳型」と「逆鋳型」の関係になっている。これはヨーロッパの演劇史や近代演劇の観点からいえば、とんでもないリバースモールドな上演趣向だった。
 初日に『忠臣蔵』の初段から六段目までをやり、次に『四谷怪談』の序幕・中幕を見せて「隠亡堀の場」へ。後日(2日目)はその隠亡堀から始めて、『忠臣蔵』七段目から十段目のあと、『四谷怪談』の四幕・大詰(「夢の場」「蛇山庵室」)を入れ、最後は赤穂浪士討入りの十一段目大切で終わる。
 初日と後日をつなぐ隠亡堀の場は、戸板の裏表に釘付けされた小仏小平とお岩の死骸が見せ場の「戸板返し」のリバース・クライマックスで、そこが生と死、男と女、霊と魂、善と悪の折り返しとなって、2作を裏表に蝶番したという工夫だった。

 二つをまたぐのは「義」の解釈である。『忠臣蔵』は御存知47人の義士討入りの芝居になっている。
 その忠臣に入らなかった、あるいは入れなかった者が何人もいた。これを当時は義士に対して不義士といった。芝居の『忠臣蔵』では五段目「山崎街道」の斧定九郎と早野勘平が不義士にあたる。
 その不義士の一人であった民谷伊右衛門という男を、『忠臣蔵』の“外”に引っ張り出してフィクショナルにフィーチャーし、これを名うての色悪に仕立てあげ、筋書きは四谷左門町につたわるお岩伝説を下敷きに、鶴屋南北は生世話の最高傑作『四谷怪談』を書いたのである。71歳のときだった。」 ーー松岡正剛 HP千夜千冊 九百四十九鶴屋南北『東海道四谷怪談』よりーー

 忠臣蔵に付随する話は、沢山ある。堀部安兵衛の高田馬場の決闘も外史としてある。そして、『東海道四谷怪談』も上記のように関連づけられて南北によって上演された。そして、同時期に生類哀れみの令もあった。

「伊右衛門  その極悪に誰がした
直助  そう云われちゃ面目ねぇ、もとより曲がった鰻かきどうでしめえは身を割かれ
伊右衛門  首が飛んでも動いてみせるわ 」 ーー讀賣新聞からの『東海道四谷怪談』の科白ーー

 この有名な科白は、南北が初演した当時はなかったという。歌舞伎は役者のアドリブが加わって科白が良く代わるという。アングラ演劇の様だ。関西で上演されてから、この科白が付けられるようになったという。虚実入り混ぜた見せ物として好評を博したが、山田風太郎『八犬伝』の中にも、この虚実入り混ぜた手法を書いている。風太郎の『八犬伝』もまた、『八犬伝』を虚として書き、その作者滝沢馬琴を実として、虚実入り混ぜて書かれている。風太郎が南北した作品が、『八犬伝』なのだ。

 多分、庶民の中で、1番の芸能が講談だった時代に、忠臣蔵だけでなく、それに付随した物語が沢山語られていた頃は、忠臣蔵だけでなく、他の物語も、庶民の中に浸透して、名前を云えば、こういう物語と直ぐに解る人が大勢いたのだろうと思う。そういう名残は、おそらく1960年代で消えていくのだと思う。物語の全体像も、細部も頭の中に思い描ける人。そういう人たちが、市川雷蔵や中村錦之介のチャンバラ時代劇を、色々と解釈して面白がっていんだと思う。

 小泉八雲を読んでいると、おそらく昔の日本人なら解っていた事を、呼び起こす作用を持っていると思う。お寺へ行って通訳を介して仏教についてや、人生について、考えを巡らせているが、そのどれもが、知識も凄いが、教えを請うような態度と、眼差しで老僧と接している。こういう記述は、おそらく日本人は残してこなかったと思う。それだけに、当時の日本を感じることが出来るのだ。八雲の眼差しは、いつも庶民に向けられている。貧乏な幼子を亡くした若い母親が、お経を上げて欲しいと、頼みに来ている姿、もう1人の若い女は、亭主の病気治るように仏様に慈悲をという姿、娘を連れた父親は、遠国に行った者の無事であるように仏様に加護を祈願したいというように、貧乏人が平安な気持ちになるように老僧が1人1人に優しい言葉をかけ、心の支えになるような、ちょっとした物を与える姿なども描写する。

 上記が、歌舞伎や芸能や本などを通じて、知ることが出来る時代を感じることがモノで、八雲が書いているモノは、記述や語りとして残らないモノ。それをわざわざ書いて残しているところが非常に重要だと思う。ただただ凄いと思って読んでいる。


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