断腸亭日常日記 2012年 その7

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
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 5月15日(火) 雨のち曇 5432

 「祭のような歓喜に包まれた検量室に、横山典とホエールキャプチャが帰ってきた。がっちりと握手を交わす人々。沸き上がる拍手。待ち望んだ光景を目の当たりにした鞍上は「ハーイ!」と叫ぶフライングディスマウントで喜びの輪に加わった。

 10年サンテミリオンで勝ったオークス以来、23カ月半ぶりに味わうJRA・G1の味。同年9月の落馬事故で頸髄(けいずい)損傷と頭蓋骨骨折の大けがを負い、一時は失意の底にいた。「あの時はもう駄目かと思った。仕方ない、と覚悟して本気で次の人生を考えた」とこぼしたこともある。決して平たんな道のりではなかった。「やっぱり、うれしいよね」。短い言葉にすべてが集約されていた。

 「ほぼ完璧だった」と振り返るように、好スタートを切ったホエールキャプチャは好位の内からロスなく進んだ。直線はすぐにでもはじけそうな手応え。だが鞍上は追い出しをずっと耐えた。「先に抜け出すとフワフワするから」。狙い通りだった。最後まで気を抜かず走りきった結果が、3番手からの上がり33秒8。後続はなすすべがなかった。

 ホエールキャプチャはG1・6戦目でついに念願のタイトルを獲得した。歓喜に沸く検量室前。そこには、昨年10月の秋華賞を最後に定年退職した蛯名元厩務員の姿があった。自身が担当した70年の桜花賞馬タマミに姿を重ね合わせ、入厩時からほれ込んでいたが、クラシックではあと1歩が届かなかった。それだけに、優勝レイをかけられた愛馬を見ると胸が震えた。「最後は本当に膝がガクガクして…。けど、いつか勝ってくれると信じてたよ。なにせ、俺がこれだけやってきて一番ほれた女なんだからさ!」。頬は紅潮して真っ赤になっていた。

 鞍上は「勝利は馬の出来があってのこと」と言う。中山牝馬Sから担当した長谷川調教厩務員は、自己主張の強いホエールにかみつかれたりしながら、悩みながらも仕上げに尽力した。田中清師は「前走とは中身が違って動きが良くなっていたので、ある程度やれる自信があった」と明かす。鞍上、調教師、担当者、前担当者。すべての人々の思いを一身に受け、芦毛の馬体は自らの走りで最高の結果を出した。

 ◆フライングディスマウント 馬の背から飛び降りるジャンプ。イタリアの名手ランフランコ・デットーリ騎手(41)が得意としており「デットーリジャンプ」とも言う。デットーリとの親交が深い横山典は、大レースに勝った際にたびたび行う。」 ーー日刊スポーツよりーー

 1つの馬の勝利には、いくつもの人が関わり合っている。生産した千代田牧場は名門牧場だったが、社台に押されて今や落ち目だ。それでも、メジロやオンワードなどが牧場閉めているがここは誇りをもって頑張っている。厩務員や調教助士、調教師、馬主と騎手だけではなく1勝の重みをみんなで共有し喜ぶ。競馬の良いところはこういうところだ。勿論馬券を当てたファンも喜ぶ。はずれたファンも1頭の馬の物語を読むのだ。

 一方、全日本柔道選手権はオリンピック選考も兼ねている大会。注目の女子48キロ級は、福見友子に決まった。「 この階級は女子柔道が五輪の正式競技になった1992年以来、谷亮子が5大会連続で出場し、すべてメダルを獲得(金2、銀2、銅1)。ロンドンでは開会式の翌日(7月28日)に行われ、日本選手団に勢いをつける役目も担う。その谷を初めて倒してから10年。26歳の「ポストYAWARA」は「金メダルしか考えていない。死ぬ気で頑張りたい」と自覚十分だった。」 ーーサンスポよりーー

 涙でオリンピック初出場を決めた。ライバルの、「世界選手権2連覇の浅見八瑠奈(24)が初戦で敗れた。 浅見は、ただぼうぜんと立ち尽くした。高校生の岡本理帆(18=静岡・藤枝順心高)相手に組み手争いで押され、何度も技を受けた。延長残り46秒では岡本の内股に体も回った。場外で助かり、辛くも計8分間を終えたが、旗は無情にも1−2。世界女王がまさかの初戦で敗れ「旗は願うしかなかった。世界選手権の2連覇も、何も意味がなくなってしまった」とうなだれた。

 五輪の重圧は想像以上だった。「1週間前から寝られなくなった。寝付けないし、何度も起きる」。技にキレがなく、反対に掛けられるため前にも出られなかった。世界選手権2連覇で、五輪選考ではライバルの福見を上回っていた。だが1日で立場は逆転。「こんなに情けないと思った日はない」。最後の最後で、五輪の夢がこぼれ落ちた。」 ーー日刊スポーツよりーー

 浅見は悔しいだろうと思う。1月に怪我をしてこの大会は4ヶ月ぶりの実戦。そして、1回戦で負けた。「世界選手権2連覇も、何の意味がなくなってしまった。」と言う言葉に無念の思いが込められている。そして、五輪では戦う準備が出来ていなかったと、敗北を認めた。しかし、スポーツマンというのは爽やかだ。谷亮子に勝って10年、その谷がいたためにオリンピック出場を果たせなかった福見が、ようやく切符を手に入れ、ライバルの浅見を逆転。浅見は不運な怪我によって切符を手に入れれなかった。それでも、自分の敗北を認める。この潔さが、スポーツマンの美しさなのだ。この2人に喝采を送りたい。時間が経てば、ライバルがいたことに感謝する人生を送っているだろうと思うからだ。

 何かを犠牲にしなければ、その道を極めることは出来ない。福見は谷に勝って10年の歳月を要してオリンピック出場を手に入れた。向上心がなければ出来ないことだ。浅見も多くの犠牲をして世界選手権2連覇を成し遂げた。犠牲を強いられたという意味では、俺も闘牛の会をやっていてそうだった。しかし、そういう犠牲を払っていたのに、何の報いもない。それどころか、俺の嫌がることを平気でごり押しし、嫌だと言っているにも関わらず実行した。まるで彼らの決定に従わない俺の方が悪者扱いだ。どうなっているんだ。どういう神経をしているのか理解不能だ。それだけじゃない。

 報いがないどころか、最後は、いくつもの嫌がらせを4ヶ月もされ、怒鳴り声を上げられ、一緒にやりたくないという意思表示をされた。影で悪口も一杯言われていた様だ。悪口を言うということは、俺を悪者にして仲間はずれにし、阻害しようという考え方で、共に協力して会をやっていこうという事とは真逆の事である。初めは一緒にやっていこうという事で幹事に推薦して幹事に就任した彼らだ。それなのに、くだらない。一切反論も言い訳もしなかったが、一体俺が何をしたというのか?15年という年月は一体何だったんだろうか?殆ど虚しい、悲しい、アホらしい、馬鹿らしい、どうしようもない出来事になった。会のために出来ることを一生懸命やってきたことは全て泡のように消え去った。俺を理解しようとする人たちを相手にしていなかったということだ。

 友達だと思っていたが、対立を求めているいる人たちだった。何を根拠に、何処を立脚点に、これだけ俺を苦しめるのか判らない。彼らを幹事に指名したのは、俺なのに。それは間違いだった。彼らは今までどれだけ会に貢献したというのか?話し合いをしようと思っていたが、質問してもはぐらかされ、まともに応えない。こちらの気持ちを逆撫でるだけ。これじゃ電話で話も出来ない状態。悪いという自覚すらないからだろう。自分たちが正しいとさえ思っているようだった。決まっていることを勝手に変更しても、そのことについて何の説明もしない。そのことを指摘しても、知らなかったという。しかし、その決定したときに立ち会っていたにも関わらず、平気で嘘をつく。そのことを悪いとも思わない。およそまともな人間を相手にしているとは思えない状況だった。嘘つきとは一緒に出来ない。当たり前だ。

 付き合う人は選んだ方が良いという見本のような出来事だ。「辞めたい人は辞めればいい」という。そういう風に言うこと自体一緒にやる意志がないと言うこと。みんなで闘牛の会を良くしていこうと意志がない以上終わりである。まともではない、一部の人の独断で運営されるのなら良くはならない。今までやって来た人間をないがしろにするのであれば、それは容認できない。こういう風に俺の中で、闘牛の会が終わりを告げた。福見や浅見のように、割り切れる気分にはなれない出来事だった。

 しかし、それでも人は人生を送る。支持してくれる人もいるので、何とかやってこれている。人生は捨てたもんじゃない。自分で会を立ち上げればということは複数の人に言われた。斎藤の会にした方が良いと言っていた人もいた。しかし、そういう会の名前にはしなかったが、スペイン闘牛ビデオ上映会という名前に前にわざわざ自分の名前を入れたのは、他の人にもう邪魔をされたくないからだ。今でも彼らの顔を見たら腹が立つだろう。平気で嘘をつく人間はもうこりごりだ。素晴らしスポーツマンの様な気持ちを持てるときが、来ればいいが・・・、今はそういう気分にはなれない。

 香川真司は、ドイツで2冠達成に大きく貢献して、自身の向上心に火を付けて、ビッククラブ移籍を実現しようとしている。クラブ関係者、市長、ファンに惜しまれながら、新たな世界に旅立とうとしている。これは、交流した人たちと別れるが、爽やかさが残る別れだ。

 ホセ・トマスは、6月25日バダホスで復帰することになった。フリとパディージャが一緒に出る。牛は、ガルシグランデ牧場。


 5月16日(水) 晴 27695

♪あなたの姿 バカみたい
 私の家の前に立ち
 泣きながら 許しを求めてる
 もういい加減にして
 悪いと思ってないでしょ
 ただ見つかって気まずいだけ

 芝居を打って 私をだましてきた
 でも もう幕を下ろす時よ
 なかなかのショーで 楽しめたわ
 でも もう終わり
 最後にお辞儀しなさいよ

 あなたに賞をあげる
 “最優秀ウソつき賞”
 私を信じさせたから
 あなたは 私を裏切らないと
 受賞スピーチを聞くわよ 

 なかなかの茶番だったわ
 でも もう幕を下ろす時よ
 なかなかのショーで 楽しめたわ
 でも もう終わり
 最後に挨拶を これでおしまいよ♪              ーー『GLEE』から『Take A Bow』よりーー

 レイチェルの声が響く。沁みる。良い歌だ。こういう歌が人の心を癒す。レイチェルは、人の痛みを歌うのが上手い。テレビでは、ああいうキャラだからかも知れないが、非常に素晴らしい声と表現力を持っている。『Take A Bow』は、マドンナの曲ではなく、リアーナの曲の方である。結局、悪口を言うというのは、好かれていないのだ。積極的に言えば、嫌われているのである。嫌われる理由は分からない。ああいう人たちだから理由などないと思う。それか、体質的に合わなかったかの、どちらかである。

 『神話の力』第5の「愛の神話」の冒頭で、ジョーゼフ・キャンベルのこんな言葉が引用されている。

「瞳を通して愛は心に届く。瞳は心の使いなのだから。
心が望み、心が喜ぶモノを、瞳は探そうとする。
瞳と心が調和して1つの決意に至るとき、その時こそ瞳は心の為に迎えたモノから完璧な愛が生まれる。
誠の恋人たちなら誰もが知っているように、愛とは完全な優しさなのだから。それは疑いなく、心と瞳から生まれる。」

 いがみ合っていては、お互いを気遣うこともない。拒否を始めたのは向こうであるにせよ、俺の対応も良くなかったのかも知れない。しかし、あまりにも理不尽である。感情的にさせたのはむこうだ。だから、もう向こうを見ようとは思わなくなった。ああいう状況では、自分の中にある闘牛に対する純粋性が失われてしまう。どうしようもない事だが、嫌われるなら、こっちも嫌いになることにしただけだ。あの時点では、こちらから妥協点は、提出したが、それも拒否したのだから、もうそれは、向こうによって振られた目が出ただけだった。『Take A Bow』の様に But it's over now これでおしまい、でも、もう終わり、である。


 5月17日(木) 曇 6188

 先日、薬を持ってくるのを忘れて飲まなかった。それで血圧を測ったら、131〜89だった。最近は、120以下〜80前後だったので、やっぱり高くなっていた。マッシュポテトも続けている。ふと思いついたのは、カレーにジャガイモを入れると、長く保たない。何故ならジャガイモから悪くなるからだ。そこで思いついたのが、ジャガイモを入れないカレー。入れるのは、豚肉と、人参とタマネギだけ。これを作って、ご飯の代わりに、マッシュポテトで食べたらどうなるのだろうと思ったのだ。近日中にやってみようと思っている。

 「我々はもはや独力で冒険に挑む必要はない。古今の英雄が道を開いてくれている。迷宮は知り尽くされている。我々は只英雄の跡を辿ればいい。そうすれば恐るべき怪物にあるところで、神に出会う。人を殺すところで、己の自我を殺す。外界へ旅するところで、自分の内面に辿り着く。そして、孤独になるはずのところで、全世界と一体になる。」 ーーテレビ番組『神話の力』〜ジョーゼフ・キャンベルとの対話〜よりーー

 神話の中では、英雄は旅に出て、何かを成し遂げる。そして、旅から戻ってくる。何かを成し遂げるときには、おそらく、むき出しの己の自我を殺さなければ、成し遂げられないモノなのだと思う。旅は自分探しの内面の旅だった事に気づく。だから、孤独ではなく全世界と一体となれるのだろう。

 今日も朝から『GLEE』の『Take A Bow』を聴いている。レイチェルの声が響く。沁みる。マッシュポテトを作るときに、ジャガイモの皮むきで火傷をする。手でむいていたが、何かないかと、元調理人と話をしていたら良いアイデアが浮かんだ。ペーパータオルを使えと本などに書いているが、夏用のタオル生地の汗ふきを使うと指が熱くなりにくいことに気づいた。これを使うと楽に皮むきが出来るようになった。


 5月18日(金) 曇一時雷雨 28448

 遠くで雷の爆音というか炸裂音が鳴っていたら、雨が降ってきた。内面に汗をかくような日記を何日が書いたが、こういう日記は書きたくない。自分の中に秘めておきたいモノだ。しかし、時々どうしようもなく押さえが利かなくなるときがある。それがここ何日かの日記という形になって現れた。言い訳である。

 ジャガイモを入れないカレーを作って、ご飯の代わりにマッシュポテトで食べた。悪くはなかった。途中マッシュポテトとカレーが溶けるように混ざっていくが、ちゃんとカレーを食べたという風に一応はなる。が、やはり、ご飯の方が美味しいに決まっている。でも、こういう食べ方もあるのだという事を体感した。これは、新しい食習慣をもたらすかも知れない。

 オークスの枠順が発表になった。前売りでは、桜花賞2着のヴィルシーナが1番人気。次がトライアル、フローラ・ステークスの勝ち馬、ミッドサマーフェアが2番人気。桜花賞馬、ジェンティルドンナが3番人気でこの3頭が10倍を切っている。距離適正から、大魔神佐々木元投手の持ち馬が1番人気になって、人気に応えることが出来そうな感じだ。

 昨日のラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロでセバスティアン・カステージャがコヒーダされて、股から血を流しながらのファエナで耳1枚を切った。角傷は、恥骨に達していたという。10cmの角傷を受けた。全治は不明。次回22日24日に出場できるかどうかは不明だ。


 5月19日(土) 曇 3703

 セバスティアン・カステージャは、初めの牛のファエナの最初のパセでコヒーダされたようだ。右太股の付け根の股の辺りに血が染みが2,30cm付いている。そのままファエナを続け剣も決まり耳1枚取る。これで医務室に行かずに自身2頭目の牛が終わってから歩いて医務室に向かった。こういうのを見ていると、ホセ・トマスを思い浮かべる。ホセ・トマスも闘牛を2頭相手にしてから医務室に向かうことが良くある。体から血を流していても、クアドリージャが泣いて頼んでも行かなかった事もある。

 セバスティアン・カステージャは、闘牛のやり方が、ホセ・トマスに似ているが、そういうところまで似てきた。それでも、22日24日とラス・ベンタス闘牛場に出場すれば良いのだが、出れなければファンはガッカリするだろう。そこまでしなくても、次出れるようにした方が嬉しいし、怪我しているのに直ぐに医務室に行かないこと自体、無謀だ。その無謀さがまた彼の魅力でもあるのだが、冷や冷やさせすぎだと思う。

 こういう闘牛士は、人間の限界に挑戦している様な印象を持つ。2000年8月のリナレスでホセ・トマスが睾丸を牛の角で破かれて、玉が1つ出ているのにそのまま闘牛を続け剣まで刺して耳2枚切った闘牛だって、神々しくさえある。大体男は金チャックに挟んだだけで、恐怖を感じおとなしくなって何も出来なくなるのに、こういうところまで行くと、神に近くなる。物凄いことだ。

 ホセ・トマスは、こういうところだけではなく、闘牛で神と新聞に書かれた。セバスティアン・カステージャもそこまで行く可能性を感じる。大の闘牛ファンでセバスティアン・カステージャのファンを自認するサルコジが大統領を辞めたが、フランス人はセバスティアンを支持し続けるだろう。でも、ここまで来るとスペイン人も熱狂的なファンが付いて来るだろうと思う。

 万希ちゃんは、マドリードでこれを観た。タラバンテファンだからどう思ったか知らないが。Eさんの電話では、林さんもサン・イシドロに行っていてこれを観たという。ギッシリメールに書いてきたという。やっぱり感じるモノが大きいのだと思う。


 5月20日(日) 晴 24007

 朝、TAMAさんと電話。サン・イシドロでもセバスティアン・カステージャの話をして、スペインに行ってからの話も訊いた。昼過ぎにMEGUさんがワタルさんと車でやって来て色々持ってきてくれた。電話で話していたときに、いらないモノだけど使うというので、貰うことにしていたモノを持ってきてくれた。それと肉ジャガを作ってきてくれた。どうやら、冷蔵庫が昨日壊れて、肉が悪くなるからと料理をしたモノらしい。帰り際に、ワタルさんに、今日のオークスはと、訊くと、桜花賞1,2,3着のボックス。ミッドサマーフェアは無視。と言う見解を笑顔で残していった。

 オークスは、圧倒的な強さを見せつけて、桜花賞馬ジェンティルドンナがぶっちぎった。2着はヴィルシーナで、3着が鼻差で、アイスフォーリスが入り、4着がアイムユアーズだった。もし、アイムユアーズが3着に来ていれば・・・。そうすれば2週連続で儲けが出ていたが、当たって損した馬券だった。これも競馬。

 肉ジャガは、夕食に食べたが美味しかった。これから酒を飲みながらまた食べようと思う。


 5月21日(月) 晴のち雨 4463

 今日は金環日食が観れる日だ。スペインに行っていなくて良かった思うのか、それとも、行っていれば良かった思う日なのか?お天気次第だ。幸い天気が良い。あと10分ちょっで観れそうだ。大分暗くなってきた。肉眼では見にくいが、金環日食が始まった。ラス・ベンタス闘牛場でセサル・リンコンのプエルタ・グランデを観た日から21年目の記念日に金環日食。凄いことだ。


 5月23日(水) 晴 37780/2

 2日家を空けて帰ってきた。駅からいつもと違う道を歩いていたら、床屋のおばさんがいたのでビックリしたら声を掛けてきて、また始めたので来てください。というので、もう辞めたと思っていましたと、言うと、そのつもりでいたら、3ヶ月もしたら痛かった手が治って、息子も、俺もやろうかなって言うから始めました、という。職業病だと言っていたので、腱鞘炎か何かだろう。いずれにしろ良いことだ。行こうと思っていたので近いうちに行くだろう。

 HPを観ての問い合わせがあったが返事はしていない。どうすればいいか思案中。


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