−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。
7月16日(月) 曇 6217
昨日、新宿でれいのワンタン麺を食べた。2回目だ。始めに比べると印象は落ちるが、美味しかった。夜は夜で近くのラーメン屋で食べようと出掛けたが、とんこつじゃ足踏みして帰ってきた。そういうラーメンならどこに出もあるし、昔食べた、「福ちゃん」の印象が強いので他のとんこつはあまり食べたくない。カレーラーメンが食べたかったのに・・・。帰りは川沿いを自転車で通ったが、風が心地よかった。
夜、ネット検索などをした。冬の京都行きのホテルなど代えた。良い紅葉が観たい。六本木の俳優座で、山田太一脚本の「日本の面影」を上映しているという。昔、NHKで放送したモノを舞台用に代えたモノらしいが、観てみたい気がする。
7月17日 晴のち曇 16450
薬が切れて病院へ行ってきた。大分これで血圧を低く抑えている状態だ。先日測ったら110−69だった。薬局での支払いで、お金がないことに気づく。正直に言ったら、今度で良いですよと、云うので持ち合わせのお金を全部置いてきた。次回は1ヶ月後になるので、忘れないように書いて貰った。
Yさんにメール。スペインは夜中だったが、直ぐに返信が来た。ヴァン・ヘイレンの来日コンサート情報を教えたのだ。大ファンなのでどういう反応を示すのかと思っていた。そうしたら、今回は涙をのんで、行かないとのと。今年は、ホセ・トマスが3回しかやらないので、フランスのニームへ行ってホセ・トマスのウニコを観ると書いてあった。凄いなぁ!
ホセ・トマスは、今回のウニコで生涯2回目のウニコだ。バルセロナでやったウニコを観て、今回のウニコを観る人はそう多くないと思う。日本人ならなおさらだ。その数少ない人の中に入る羨ましさを感じた。
7月18日(水) 晴 12735
ある男の話。仕事を終わっても、遊びに行って家に戻らないモノだから、嫁さんに、夜の仕事から昼の仕事に代えてくれと云われて、今の仕事に代わった。それまでは、時給3000円で、1番上だから、「あ、それやっとけよ」とか言ってタバコ吸ってれば良かった。でも、家に帰って来て欲しいもんだから、嫁さんが、こういう仕事でも良いんじゃないと云うから代わったけど、それでも家に帰らない。
「本当に仕事やっているの?」とか信用して貰えない。何故家に帰らないのか、訊いたら、だってレースやってるんですよ。今日の勝負レースはこれだからとか、目付けて買うんです。みんなから競馬とか3年で飽きるとか非難が上がったら、俺はギャンブルしに行っているじゃないから。稼ぎに行ってるから。じゃー月にいくらくらい儲かっているのと、云われ、この15年の平均で月に40万から70万かな。
みんな驚いてから、黙ってしまった。それだけ、稼いでいれば、家にも帰らないのも、ある意味で納得する。曰く、競馬でもそうだけど、何故こういうレース結果になるかというのを説明できなければ、勝負はしない。そういう風にしてやれば、的中率7割以上。よくディープインパクトが強いから馬券を買うとか云うけど、そういうことしているから負けるだ。俺はよく言うのは、あんたらが負けてる金を、集めて持って帰ってるだけだ。
恐れ入った。凄い!物凄い!!!感心した。そして、信念をもってやっているところに、琴線が触れた。昔、親父から、近所の人から、息子さんは、毎日競馬新聞もってどこに行っている。何やってるのと、云われた。俺はそういう世間体とか気にしないから。言外に、嫁さんはそういうこと気にしていると言っているようにも聞こえた。何かを極めようとして、謎を解く鍵を彼は持っている。そのことは非常に素晴らしいことだと思う。尊敬に値する。
7月19日(木) 晴のち曇 16321
昼は暑かったが、日が暮れたら涼しくなった。この前、医者に行ったときに、薬が切れると心臓がドクドクするような感じになると、いったら、医者が、結構強い薬だからそういう風になるんでしょうと、いわれた。そういうもんかと思った。こういう薬は、副作用が少ないといっていたが、長い間使用するとやっぱりそれでも何か、弊害が出てくるような気がする。
ちょっと中断して、歴史の本を読んでいる。その中に、島原の乱が、最近の教科書では、島原・天草一揆と記述されているという。江戸時代の人々は、一味同心して蜂起することを意味する「一揆」と理解していたからだという。「乱」には、「由井正雪の乱」「大塩平八郎の乱」などのように、支配者にとってしかるべき秩序を暴力的に乱したもの、という意味がこめられている。
こういう考え方が、最近の研究などで解ってきて、学会の解釈の変化で、教科書にも反映されてきているのだという。「島原の乱」といえば、かっこういいイメージがあったが、一味同心しての蜂起だから、「島原・天草一揆」に代えたというのは、納得する。こういう側面から、モノの考え方も変化してくる。名前が変わるということは、中身も変化した印象をぬぐえない。
7月20日(金) 曇のち雨 4007
目覚ましを掛けたのに起きれなくて、鎌倉には12時過ぎに到着した。それからバスに乗って光明寺へ行った。鎌倉でも大伽藍ということだったが、こんなもんかと思った。お目当ての蓮の花は少しだけ咲いていた。鳥たちが沢山飛んで亀と鯉がいた。小堀遠州作の記主庭園と大聖閣と池。三尊五祖の石庭。三門。やっぱり印象に残ったのは、記主庭園。蓮の花が風に揺れてフラフラしているのが、何だか印象に残った。
それから、海岸にある築港遺跡を観て、バスで鎌倉駅まで戻って、昼食を取った。それから、小町通りを歩いて行ったら、ピロシキが食べたくなって脇まで行ったが閉まっているようで(本当は勘違いで開いていたようだ)、タバコを吸いに喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。そうこうしていたら、雨が強くなってきた。
蓮の花を観るなら丁度良いと思って、鶴岡八幡宮に行った。平家池も源氏池も蓮の葉が生い茂っていた。ここの蓮の花は、花びらが大きい。大きいから、形が崩れる。小さい花びらだと、左右上下対称の花びらが観賞でき、穏やかな気持ちになる。如来とか仏像が乗っているのが、蓮の花の上。蓮の花は、夏に咲く。おそらく、その生命力を感じる蓮の花の上に、信仰の対象を置くという、演出をしているのだろうと思う。
源氏池の廻りを散策して庭園も観た。今回初めて本宮にも上った。そして、雨だったので普段は入らない、鎌倉国宝館に入った。鎌倉時代の仏像があったが、中に、十二神があり、その内の8体が運慶作というモノを観た。あんなに間近で、運慶を観るのは初めてだったので、30分以上グルグル回って観ていたら閉館時間になって追い出された。
帰りに小町通りでソーセージを挟んだパンを食べて店から出てきて目玉の親父の目玉みたいなのが水圧でクルクル回っているので指でつついていたら店の人が横に立っていた。看板を観たら駅前にある店と同じだった。そのことをいったら、そうですという返事が返ってきた。2軒並んで同じような店がある。と、ソーセージ屋のことをいったら笑っていた。
7月21日(土) 雨のち曇 16400
オギュスタン・ベルグの本が2冊届く。『空間の日本文化』 『風土の日本』。松岡正剛お勧めの本であるが、この2冊が、どういう風に小泉八雲と三島由紀夫と絡んでくるか、読み進めていけば解るだろう。
京都へ行ったら、何とか大徳寺の塔頭を、出来るだけ観たいと思っているが、なかなか特別公開とかがないと観れないモノがあって思うようにいかない。宮内庁管轄の離宮巡りも考える。紅葉なら、瑠璃光院という手もある。こういうガイドブックにも載っていない処が穴場かも知れない。
7月23日(月) 晴/曇 19721/2
オギュスタン・ベルグの『空間の日本文化』は、驚くべき本だ。これは、日本を外から観た文化論で、日本人にはなかなかこういう発想が出てこないと思う。小泉八雲が、感じ記述した日本とは、時代の違いがあるにせよ、日本人が当たり前の感覚と思っていることを、八雲の場合は、物語やエッセイのような形で、驚きと高揚感をもって書いているが、オギュスタン・ベルグの場合は、おそらく、フランスの現代哲学を勉強して来た人なのだろうと思うような、分析の積み重ねで、自分の感覚や理論を証明していく。
とりわけ日本語と印欧語の違いからの分析は、面白い。第1章環境に置かれた主体 空間の精神的組織化 T主体は適応可能である は、音の知覚から始まり擬態語、主語、人称=人格表明、自然との関わりというか感じ方、自我の他社への共感と進んでいった。この
T主体は適応可能である を読んでいると、何故、東日本大震災の時に、東北各地の被災地で暴動が起きなかったという理由までが、書かれているような気さえした。
また、小泉八雲の本の中で、『明治日本の面影』の中にある、「横浜にて」や『日本の心』の中にある「赤い婚礼」「停車場にて」は、非常に印象深いし感動的だ。「赤い婚礼」は、近松門左衛門が良く扱うの心中についての悲しくも美しい物語だし、「停車場にて」は、殺人犯と、殺された巡査の4歳の忘れ形見の対面を書いているが、こういう事を本として残しておこうと考えた八雲を心から尊敬する。「横浜にて」は、老僧との思い出が綴られているが、これがまた、心温まる物語で、八雲の日本への愛を感じる。
7月24日(火) 晴/曇 10206
朝から電撃的なニュースが飛び込んできた。イチローのヤンキースへのトレードが発表されたのだ。スーツにネクタイ姿で記者会見にのぞみ、「 「まずはファンの皆さんに感謝の思いをお伝えしたいと思います。11年半ありがとうございました」
「2001年から、チームが勝ったときも負けたときも、僕が良かったときも悪かったときも、同じ時間や思いを共有してきたことを思うと、たいへん感慨深いです。そして、どんなときもファンの方の存在が、大きな支えでした」
「このあまりにも長い時間を思うと、今の思いを簡潔に表現することは難しいですが…、11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐという想像をしたときに、たいへん寂しい思いになりましたし、今回のこの決断はたいへん難しいものでした」
「オールスターブレークの間に自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降、僕がいるべきではないのではないか、ということでした。
「そして僕自身も環境を変えて、刺激を求めたいという強い思いが芽生えてました。そうであるならば、出来るだけ早くチームを去ることが、チームにとっても僕にとっても良いことではないか、という決断でした」
「今回の決断を受け入れてくださったマリナーズ球団にたいへん感謝しています。そして11年半、マリナーズでプレーする機会を与えてくださった、任天堂CEOを引退された山内(溥)氏、任天堂CEO岩田(聡)氏、任天堂アメリカCEO君島(達己)氏に感謝の思いをお伝えしたいです」
「そして、これまで支えてくださったマリナーズ球団関係者の方々すべてに、感謝を申し上げます」
「僕は11年半のマリナーズでの経験を誇りに思い、胸に秘めて、この先前進していきたいと思います。ありがとうございました」 」 ーーサンスポよりーー
途中胸を詰まらせ涙ぐむ場面もあったという。この記者会見の3時間後には、31番のニューヨーク・ヤンキースのユニホームを着て8番ライトで、古巣シアトル・マリナーズ戦の先発出場した。第1打席は3回表。イチローが打席に着くと、11年半過ごしたシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドの観客からスタンディング・オベーションが起こった。打席を外しヘルメットを取って深々と頭を下げた。非常に感動的なシーンだった。ファンからは、敵になったイチローに対して、「イチロー」コールが沸き起こった。その中で、2球目を叩きセンター前ヒットを打った。
1塁ベースに立ったイチローは感動している様に映った。それから2塁への盗塁に成功した。何だか観ていてジワジワ涙が出てきた。ネット中継された映像を観ながらそう思った。シアトルということもありTVカメラは、イチローを盛んに写した。51番のマリナーズのユニホームを着たファンや、イチローへの感謝のメッセージを掲げるファンなど。イチローの外野の守備位置での仕草など。何か落ち着かないように外野の守備位置にいた。
先発の黒田は好投してヤンキースが4−1で勝った。日本中が驚き、大リーグも驚いたこの日。イチローは新たなスタートを切った。
7月25日(水) 4814
イチローのヤンキース移籍会見の時、記者に、マリナーズの思い出は、と問われて、「あまりにも長い時間を過ごしてきんたので、一つ挙げることはできないですね。(熟考して)この間で察してください。只、この先、ヤンキースでプレーヤーとして勝ちを重ねていって…。やめます、これは。危ない。中止」 ーースポニチよりーー
と、云って笑いながら言葉を切った。この間で察してください。と云うイチローの言葉を非常に素直な気持ちで僕は訊いた。この感覚が実は、日本人の感覚なのだという事も、知っているつもりだ。言葉にしようとしても、一言では言葉に出来ない時、言葉に詰まってしまう感覚。それが、つまり間によって表現された、と。
「 三味線による声楽伴奏はこの典型的で、三味線が歌に対してやや先んじる、もしくは遅れるといったある種のくい違いから、曲全体の味わいが生まれる。それを裏付けるように竹内氏も次のように書いている。
「……三味線の方は、唄とは別に変化をつけて、唄のあとからついていったり、先に行ったりする。極端にいえば、はじめと終わりが合っていさえすれば、途中はどうなってもいいのである。」
ここに「間」の本質があるような気がする。つまり、「間」は、空っぽ(空白部分、沈黙、停止、休止)とくい違い(これが空っぽの中に意味をつめるのだが、そこにつめられるのは厳密な規則性によって期待される内容だけでなく、無数の可能な内容である。何故なら、空っぽは何もおしつけないから)の結合から生まれる。言語学者もしくは暗号解読家なら、それは、統辞連鎖と範列階列の関係と比較できると言うに違いない。例えばもし、連鎖の一点が空白によって、つまり無数の範列によって置き換えられたらどうなるか。しかもそれがでたらめではなく、ある種のリズムのよって、第一の連鎖に重なる補足的連鎖、空白の連鎖を形づくるとしたら?答えはおそらくつぎのようになろう。
「意味の倍加(一連鎖が二連鎖になる)と、手段の節約(それぞれの空白が連鎖の環を一つ節約する)となる……。」 」 ーーオギュスタン・ベルグの『空間の日本文化』よりーー
オギュスタン・ベルグは、「間」を、「意味の倍加と手段の節約」と要約した。日本人は、イチローの移籍会見を訊きながら、イチローの云う「間」を感覚として理解しているが、フランス人のベルグは、この様な解釈をするのだろうと思って、本を読んでいた。イチローは今日もヒットを打った。二塁打だった。それと、死球も受けた。
7月26日(木) 曇 6415
いつも部屋で聴くDVDに元ちとせのライブ『冬のハイヌミカゼ』がある。この中にシングル第5弾として発売された『いつか風になる日』が好きで良く聴くのだ。その歌詞がよく解らないのだ。死者の話なのか、何なのか。しかし、この歌を聴いていると不思議に心が落ち着くのだ。彼女の声が心地よいというのもあるが、それだけではないような気がする。
♪何故に陽炎はゆらめいて
黄泉(よみ)へと誘(いざな)う澪標(みおつくし)か
遙か紺碧(こんぺき)の空と海
すべてをのみ込むあの蒼(あお)さよ
還(か)らぬ日の想いを胸に抱(いだ)く季節(とき)
儚(はかな)き泡沫(あわ)のような運命(さだめ)のものたちも
果てしない輪廻(みち)を彷徨(さまよ)えるのなら
いつもずっとずっと傍(そば)にいてあげる
赤い花弁(はなびら)が落ちる瞬間(とき)
数多(あまた)の生命(いのち)が誕生(うま)れ逝(ゆ)くの
幾千の歳月を波が弄(もてあそ)ぶ
麗(うら)らかな陽(ひ)の中で私も風になる
大空を花が埋め尽くすように
海をもっともっと抱きしめてあげる
やがてきっとそうきっと永遠(とわ)は刹那(せつな)に去って
だけどずっとずっと此処(ここ)にいてあげる
ただ風が吹いている♪ ーー『いつか風になる日』 作詞作曲:岡本定義 歌:元ちとせ より ( )の送りがなは、日記記述者が添付すーー
黄泉とは、死者がいる処だ。いつか風になる日というのは、死ぬときの事を歌っているのか?不思議は歌だ。この歌と、小泉八雲の文章を思い出すようにまた読んでみる。
「 「西洋の者の多くの心を絶えず悩ませている大きな謎が三つあります。それは『どこから』『どこへ』『なぜ』ということ、つまり、『生命はどこから来たのか』『どこへ行くのか』『なにゆえ生まれ、かく苦しむのか』という疑問です。西洋の誇る最高の叡智でさえも、この三つの謎は解き難いと断言し、しかも解かぬかぎり、人の心の平安は訪れぬと認めております。私は長い間、こうした疑問の答えを仏典に求めてまいりましたが、仏教の説明が一番優れているように思います。と申しましても、いまだ浅学(せんがく)の身、分からぬことも多ございます。ご老師の口からぜひともお伺いしたいのは、とりわけ第一と第三の問いの答えです。証拠や論拠などは、どうでもようございます。教義そのものをお伺いしたい。そもそも物事の始まりとは、万物の心にあるのでしょうか」
こう尋ねてみたものの、私は明確な答えが得られるものとは期待していなかった。かつて読んだ「一切流攝守因経」(いっさいるしょうしゅいんきょう)という仏典では、「これらは思議すべきものにあらず」と片付けられ、またこれは六愚説と呼び、さらには「ここに生あり。いずこより来たりしや。またいずこへ到れるべきや」などと仲間うちで議論する者を難ずる言葉も見えたからである。しかし老僧は、まるで偈(げ)を詠(えい)ずるように朗々と答えられた。
「およそ物事の差別というものは、万物の遍(あまね)き心すなわち真如(しんにょ)より無尽無数の転化転生を経て生まれてまいります。従いまして万物の究極の源は真如の一心にありと申せましょう。ただ、いわゆる物と心に本来の区別はござらぬ。物とは、所詮(しょせん)はわれらの六根(ろっこん)のとらえた色法(しきほう)、心に映じた幻相(げんそう)にすぎません。物自体について私どもは何も知らない。幻相の彼方(かなた)のことは、何も分からぬのです。幻相とは、私どもの心の中に外からの働きで造られたものですが、それをとりあえずは物と呼んでおります。しかし物も心も、同じ一つの真如の二面でござる」 「あちらの学者にも」と私は答えた。「同じような考えを説く者がいます。また西洋の最も進んだ学問も、われわれのいう物質とは究極の存在ではないことを証明しているようでございます。ご老師のいわれた万物の遍き心ですが、それがいつ、どのようにして、今私どもが『物』と『心』といって区別している二相を生み出したのか、何か仏教において定まった教えのようなものがございますか」
「仏教は他の宗教と違いまして、天地創造の説は唱えません。唯一、真の実在は、万物の心、真如でありまして、これだけが、無始無終の諸法実相(しょほうじつそう)でござる。この真如が観想いたしまして、ちょうど人が幻を現実と取り違えるように、己の意識を下界の事象と錯覚いたします。これを私どもは『無明』(むみょう)と申しております」
「西洋の学者には」と私はいった。「これを『無知』と訳す者もおりますが」
「そのようですな。しかし私どものいう『無明』とは、必ずしも『無知』の意味ではございません。そうではなくて、むしろ誤った悟り、あるいは迷いということでございます」
「それではその迷いが生じるときについて」私は尋ねた。「仏教はどのように説いているのでしょうか」
「初めて迷いが生じた時を『無始』と申します。無始とは、始まりの知れぬほど遠い過去ということでございます。真如より、まず我と非我の区別が生じまして、それより物において、心において、あらゆるこの区別が現れ、愛欲や執着が生まれてくる。そしてそれが、無数の転生を経て、逃れがたき業(ごう)となります。従いまして、この世は、無量無辺(むりょうむへん)の真如より生じたものでありますが、私どもが真如により創造(つく)られたとは申せません。私ども一人一人の大本(おおもと)にある『我』というもの、これが万物に具(そな)わる心、すなわち真如でござる。して、その我には必ず『無始』に生じた迷いが付きまとうている。このように『我』が迷い囚われた有様を『如来蔵』(にょらいぞう)と申します。そして私どもが修行努力するのは、つまるところ、この遙かなる本来の『我』、真如に帰らんがためでござる。この真如こそが、仏となる本性、つまり仏性(ぶっしょう)でございます」 」 ーー『明治日本の面影』 「横浜にて」 小泉八雲著よりーー
八雲はこの後、仏典の教義について老僧に話を訊く。「愛欲より憂いを生じ、愛欲より畏(おそ)れを生ず。愛欲を離れたる人に憂いなし。何(いずく)の処にか畏れあらん。」ということについても訊く。が、大分時間経ったので帰ることにする。
「 「まだまだ尋ねたいことは、山ほどあるのですが、今日はすっかりお時間をとってしまいました。そのうちまたお邪魔してもよろしいでしょうか」
「ああ、構いませんとも」老僧は答えられた。「また、いつでもお出で下さい。今度いらっしゃる時には、分からぬことは残らずお尋ね下さい。真理を知り、迷いを打ち払うには、熱心にお聞きなさるが、一番です。いや一度といわず、何度でもお出で下さい……」 」 ーー『明治日本の面影』 「横浜にて」 小泉八雲著よりーー
と、いって別れるのだが、それから松江に行ったりして5年後に訪ねたときにはという話になる。八雲は老僧が云っていることを解るのだろうが、読んでいるこっち、実は解らないのだ。真如すらそうである。勉強不足も甚だしい限りである。元ちとせの『いつか風になる日』の意味が解らないように、八雲の「横浜にて」が解らない。しかし、聴いていて落ち着くように、読んでいて気持ちいいのだ。穏やかな気持ちになる。
7月27日(金) 曇/晴れ 6830
結果を訊いて、物凄く驚いたのが、男子サッカー初戦スペイン戦。まさかの1−0の勝利!!!優勝候補といわれたスペインに勝った。ダイジェストを何本か観たが、内容でも圧倒した状態だった。ちゃんと決めていれば、3−0とか4−0とかで勝っていた試合だ。永井のスピードにスペインのDFは着いていけずボールを何度も奪われていた。驚くべき事は、スペインに退場者が出たとはいえ、スペインより良いサッカーをしていたことだ。
女子はメダルと取るだろうと思っているから、初戦勝っても当たり前と思ったが、男子は負けて当たり前と思っていたので、違う意味でショック!あれだけ前の方からプレスを掛けると、スペインの守備はタジタジになっていた。これで、スペインが優勝するなら世の中間違っていると、思えるような試合だった。だからといって日本が優勝するとは、全くもって思ってはいない。やるじゃないか、日本!これからは、応援することにした。
メディアは、グラスゴーの奇跡と、云って報道している。スペイン人は悲しみに暮れているだろう。
7月28日(土) 晴 26367
山田風太郎の命日。スペインのメディアが、日本戦をどのように伝えたかということが、記事になっている。
「日本のサッカーファンが注目した一戦、スペイン対日本は、大津のゴールで1対0と日本が勝利した。20年ぶりの金メダルを目標に掲げてきたスペインにとってまさかの黒星。現地メディアはスペインの良さを打ち消した日本の疲れを感じさせないプレッシングサッカーを高く評価している。
試合序盤こそ余裕があった。試合を放送したTVE(スペイン国営放送)は「グループリーグで1番難しい相手。スピードのあるチームでカウンターが脅威。前線から激しいプレッシャーをかけ続けることで、技術をカバーする運動量を持つフィジカルのチーム」と、『キャプテン翼』以外は日本のサッカーに関して知らないスペイン国民に日本チームを紹介していた。
スペイン紙マルカのインターネットリアルタイム速報も、「90分このサッカーが続くことはない。そのことをわかっているチームは落ち着いたパス回しを見せている」と、試合開始からフルスロットルでプレッシャーをかけ続ける日本の体力が続くはずなく、そのうち落ちるだろうと楽観視していた。
だがその余裕が、永井がチャンスを作り出すたびに薄らいでいく。TVEは「永井のスピードは危険。献身的な運動量でプレッシャーをかけチャンスを作り出し、スペインDFを悩ませ続けている」「五輪で活躍を続ければ、ドイツでプレイするチームメートに続いて、彼は欧州で新シーズンを迎える可能性が高い」と、賛辞を贈った。
大津のゴールによる失点も、まだ時間が多く残されていたことから、焦ることはなかったが、イニゴ・マルティネスが退場処分になり、解説者、コメンテーターから余裕の二文字は完全に消え失せた。
TVEのコメンテーターは、90分の戦いが終わると、「日本の決定力のなさに助けられたが、スペインを上回るプレイだった。スペインが本来やりたいサッカーをしている」と、素直に完敗を認めるコメントを残した。
スペインにとってはサプライズ以外のなにものでもない結果。だが、ピッチで戦った選手にとってはさらに驚きだったに違いない。
どんな相手でも1つのパスで崩すことができるフル代表常連のマタは「日本はとても運動量に優れたチーム。10人の選手があれだけ走り回るとスペースが全く生まれないから、攻め込むことができなかった」と語っている。またこの日、途中交代となったアドリアンは「日本は走るのをやめないだけでなく、ピッチの上で組織としてとても良いポジショニングをしていた。彼らは良いサッカーができることを我々に示した」と、FWとして何もできなかった試合であったことを認めた。
翌27日の紙面で、マルカは『TIENE
ARREGLO(処置はまだある)』のタイトルとともに「最悪のイメージで五輪デビュー、日本はスペインを凌駕していた」と伝えた。エンリケ・オルテゴ記者はコラムの中で「日本はフィジカル、テクニック、戦術で良かった。スペインはノーアイデア、先が見えない、最悪な試合だった」と記している。また、イニゴ・マルティネスの退場は「イエローが妥当だが、そのことは結果には影響しない」としている。
個人評価では永井の8.5(10点満点)を最高点に、日本の先発メンバー全員に合格点の6以上を与えた。チーム平均では日本は6.53とスペインの3.96を大きく上回った。
一方、アス紙はタイトルに『スペイン、日本の前に窒息』と打ち、フィジカルコンディションの悪さと退場が最悪のドラマを呼んだと伝えた。日本選手に関しては永井をMVPに相当するClackに選んだほか、Dandy(影の主役)に東、Duro(ハードな選手)に吉田を選ぶなど、高い評価を与えている。
さらにムンド・デポルティーボ紙のタイトルは『日本はスペインにレッスンを行なった』となっており、「永井と東はまるで『キャプテン翼』のように、いつもスペインDFがボールを触る前にプレイしていた」と報じている。特に東について「シャビが憧れの選手だが、まるでメッシのような10番だった」と評価し、「敗戦がグループリーグの初戦だったのが不幸中の幸い」だったとしている。
ホセ・ルイス●文 text by Jose Luis 」 ーースポルティーバよりーー
スペインメディアは日本チームを高く評価している。それと、個人では、永井である。
「五輪1次リーグ初戦のスペイン戦で金星を挙げた男子五輪代表のFW永井謙佑(23=名古屋)を、プレミアリーグWBA(ウェストブロミッジ)がリストアップしたことが分かった。優勝候補のスペイン相手に50メートル5秒8の俊足を生かし、何度も好機をつくったことが担当者を驚かせ、高い評価が与えられた。五輪での今後の活躍次第では、欧州各クラブ間で永井の争奪戦が巻き起こりそうだ。
永井の俊足は、欧州クラブスカウトにも衝撃を与えた。大金星を挙げた26日のスペイン戦。前半41分、スペインのバックパスに対して瞬時にプレッシャーをかけてDFマルティネスからボールを奪い、ファウルを誘ってマルティネスは1発退場。その後も何度も相手ゴールを脅かし続けた。
永井 緊張はしなかった。当たって砕けろだった。皆、走っていたので走らないといけないと思った。(相手が退場した場面は)自分で勝手に判断した。映像を見て守備のパス回しが遅かったので狙い通り。内容的にもシュート数(10対6)でも相手を上回れた。
「10人になってもしんどかった」と、走り続けた永井は大量の汗をかき、試合後のドーピング検査でなかなか尿が出なかったほどだ。
そんな永井に驚きの声をあげたのが、WBAのスカウト担当者。「日本の11番は何て速いんだ」と、スペイン守備陣を何度も置き去りにした永井の俊足に大興奮。「今すぐにでもプレミアリーグでプレーできるよ。彼はどこのクラブでプレーしているんだ? 契約は何年残っているんだ? 今日の調子はいつもと比べてどうなんだ?」と、まくし立てた。メンバー表の永井の名前の横には、大きな丸印が付けられていた。マンチェスターUで正GKを務めるスペインGKデヘアも「日本は技術があって強かった。中でも永井は本当に速かったし、いいプレーをした」と脱帽だった。
英国では、直近の2年間で行われた国際Aマッチの75%以上の試合に出場していることが移籍の条件。永井のAマッチ出場は10年1月のW杯アジア最終予選イエメン戦の1試合のみ。だが英国での五輪だけに、今後も活躍を続け、A代表に匹敵する選手と判断されれば、英国内務省が特例で移籍を認める労働許可証を発行する可能性もある。
永井は今季リーグ戦8得点でランキング2位。名古屋との契約は14年1月までとみられ、現時点の移籍には移籍金が必要。名古屋側も高く評価しており、正式オファーが届いたとしても、簡単に交渉のテーブルにつく可能性は低そうだ。
だが、21日のメキシコ戦でもマンチェスターC、チェルシー、ドルトムントなど欧州15チームのスカウトが日本の試合をチェック。スペイン戦でも欧州の10人以上のスカウトが目を光らせており、活躍次第では、獲得オファーが舞い込む可能性も十分ありそうだ。
」 ーー日刊スポーツよりーー
確か、永井がJリーグに入るのに争奪戦になり、ピクシーがいる名古屋に入るのだが、練習試合の時に、相手チームから、スピード違反と云われるくらい、早かったのを思い出す。今もそのスピードは健在なのである。
7月29日(日) 曇 4137
部屋の中は暑い。外に出た方が涼める。夜中、三島由紀夫関連の動画を何本かネットで観た。何故、猪瀬直樹が三島由紀夫に興味があるのかは知らない。しかし、あの時代に生きた人なら非常に気になるのが、三島事件だ。思想的に右であろうと左であろうと関係なく、三島由紀夫に突き当たるのが、当然だと素直に思うのだ。高橋和己のことや、盾の会のことなど色々思ったが、古今集とか万葉集とかを読もうと思った。
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