断腸亭日常日記 2012年 その18

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日 5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日
5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日 2009年5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日 6月13日〜6月22日
6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 9月24日〜10月2日 2010年5月29日〜6月7日 6月8日〜6月26日
11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
 11月21日〜11月27日 2012年1月2日〜1月11日 1月12日〜2月8日 2月9日〜2月22日 2月23日〜3月12日
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 8月10日〜8月20日  8月22日〜8月31日  9月1日〜9月10日  9月11日〜9月24日  

 9月25日(火) 雨のち曇 4036

 往復はがきの到着が、遅いなぁと思って、宮内庁京都事務所に電話した。そうしたら、その時期に沢山申し込みが来ているので、抽選をして10月初めに返信すると言うことだった。遅くても、10月10日くらいには着くという。と、いうことは、希望日に観れないという可能性が高いのかも知れない。どうなるのか、それが決まらないと、日程が決まらない。

 今日は、曼珠沙華を観に日高に行こうと思っていたら、未だ開花前だと言うことをHPで知って、予定を変更して国会図書館へ行ってきた。国会議事堂前で降りて、歩いていくといちょうの並木があって、葉は色づいてはいないのだが、銀杏の実が落ちていた。それが踏まれて匂いそうだったが、数が少ないからか、臭くなかった。しかし、銀杏の実は、踏まれて割れていた。こんなに簡単に割れる物かと思った。今日は、京都の庭園を調べてきた。やっぱり、京都の庭園というと、夢窓疎石、小堀遠州、小川治兵衛、重森三玲の物が多い。他には、天皇が作った物や、職人が作った物、石山丈山といった文化人もいる。もっと、遠州は、大名だが茶人で、作庭も手がけた。

 写真が載った本を観た。小川治兵衛、遠州の物は、今回の京都旅行の目玉になる物だ。電子図書で、重森三玲の京都の庭園100選という本を観たら、江戸初期に作庭された庭が1番多かった。また、織田信長が作庭した庭があることを知る。真如院という、本圀寺の塔頭がそうだった。非常に変わった庭だと、重森三玲が言っている。写真を観たが、石をウロコのように列べて川を表現しているようだった。


 9月26日(水) 曇 11120

 夜中、ホセ・トマスのなどのファエナを観る。編集作業は始まったが、未だ、これからの状態である。メールなので連絡を取った。あとは土曜日まで時間があるので、少しずつ作業を進めていけばいい。それと、闘牛を観てきた人たちの話をして貰う様にお願いしてある。面白い話を引き出したい。

 今年は、スペインに闘牛を観に行かなかったが、ニームのホセ・トマスのウニコが観たかった。それについては悔やむ気持ちがあるが、スペインじゃなくてフランスに闘牛を観に行くというのも、なんか変な気持ちになる。だから、これはこれでしかたないと思うことにしている。


 9月27日(木) 曇 26732

 待ちに待っていた、返信はがきが届いた。どうしても観たいと思っていた修学院離宮の日時が決まった。希望日通りだった。もう一つの方は、未だ届いていないが、それも近日中に届くことだろう。ひとまず安心した。

 大分、秋の気配が強くなってきた。夜は寒いくらいで、朝方も寒くなった。いよいよ競馬も秋競馬本番である。


 9月28日(金) 曇 10600

 銭湯へ行って風呂上がりに、テレビで、画家、草間弥生の事をやっていた。自殺を抑制するために、絵を描き初めという人生に惹かれた。そして、しばらく見入ってしまった。絵自体は、抽象画なので理解できないが、絵を学びに若いときに、京都画壇で勉強したという絵は、素晴らしかった。彼女の屈折した内面が絵に出ているようで、良いなぁと思ったのだ。

 銭湯の帰り、7/11でおでんを買って帰ってきた。焼酎を飲み、つまみにしようと思っている。これから、明日のビデオ編集をする。


 9月30日(日) 晴 7710/2

 昨日、スペイン闘牛ビデオ上映会があった。サン・イシドロで、セバスティアン・カステージャを観てきた人の話。ニームに行ってホセ・トマスのウニコや、マンサナレス、モランテ、セバスティアン・カステージャ、フリ、メンドーサ、などを観てきた人の話をして貰った。二人の話だけで、1時間半があっという間に過ぎた。特に、ニームは観た直後で、笑顔が絶えない話だった。

 それから、飲みに行ったが、それにしても、Hさんは、ホセ・トマスにはとことんついている。始めて観た闘牛が、バルセロナのセサル・リンコン引退の闘牛で、一緒に出ていたホセ・トマスを観て、闘牛に目覚め、ネットでこのHPを観て、ホセ・トマスのビデオを観に来るようになった。2008年のバルセロナのインドゥルトを観て、今回ニームのウニコのインドゥルトも観たのだ。凄い!しかも、カルテルの確認など、このHPを観て、予約を入れて観に行ったと言うから、余計嬉しい。

 それから、ビデオでサン・イシドロのセバスティアン・カステージャ、ニームのホセ・トマスのウニコなどを観た。とても楽しい話だった。

残暑過ぎ 仲秋に おでん食い カラシにむせぶ 望月の頃  風吟
竹箸で おでんをつまむ 秋の夜に カラシにむせぶ 望月かな  風吟
名月に 心おどった 一時を 笑顔に刻み 語る闘牛  風吟


 10月1日(月) 雨のち快晴 24999

 台風が通過したが、東京はそれほどでもない状況だ。台風の後は快晴で気持ちの良い空が目立った。台風の影響で、阪神競馬場は中止になり、今日代替開催された。新しく始めた今のやり方だと、負けない様に調整できるようだ。

曇り空 野分け前の 静けさや  風吟
快晴や 台風一過の 爽やかさ  風吟


 10月3日(水) 雨 29953/2

 天気予報では、夜中から雨が降るはずじゃなかったのに、雨が降り。午後には上がるはずだったのに、夜まで断続的に降り続いた。小笠原の方には台風が来ているようだ。こうやって一雨ごとに秋が深くなっていくんだろう。

 今度の日曜日、パリのロンシャン競馬場で、ヨーロッパ最大のレース凱旋門賞が行われる。日本から参戦するオルフェーヴルと、ブックメーカーが付けたオッズで1番人気を分け合っていた、去年の凱旋門賞優勝馬で、ドイツのデインドリームは、伝貧のため出走できずに、このまま引退しそうだという。伝貧(馬伝染性貧血)は、昔日本では、屠殺処分されていた病気で、これが広がれば大変な事になるので、3ヶ月の移動禁止処分が科せられた。

 日本では昔、伝貧を隠して、クモワカに子供を産ませ、桜花賞を勝った、ワカクモ出た。この物語を、寺山修司が書いているが、そしてワカクモから名馬テンポイントが出た。関西テレビの名物アナウンサー杉本清の、「見てくれこの脚!見てくれこの脚!これが関西期待テンポイントだ!」「それ行けテンポイント鞭などいらぬ」の語りが有名だが、トウショウボーイ、グリーングラスと三強の一角をなした。なお、クモワカ、ワカクモ、テンポイントを三代続いて、11勝あげた。素晴らしい事でこれも因縁なのかも知れない。

 話をオルフェーヴルに戻そう。おそらく1番人気で凱旋門賞に出走する。勝ち負けになるだろう。それが優勝なのか2着なのか。競馬ファン期待の一戦になる。明らかに風は、オルフェーヴルに吹いてきた。そのことに間違いはないだろう。


 10月5日(金) 雨のち晴 15937/2

 ちょっとの間を空けて台風が2つ通り過ぎた。おかげて首都圏の水瓶のダムにも水が溜まり断水制限が緩和された。そんな中でニューヨーク・ヤンキースが、黒田・イチローの活躍で地区優勝した。シャンパン・ファイトを楽しんだ。

「球場内で行われた優勝を祝うシャンパンファイト。ひとしきり新天地ニューヨークでの酔いに浸ったイチローは、「ちょっともう冷めちゃったけど…一番盛り上がったのは終わったから。次のことを考えたい。(シャンパンの量は)そんなすごくはなかった。思ったほどという感じ。プレーオフは2001年以来になる(中略)。こういう戦いで自分たちが知らないうちに、おそらく自分たちの知らない力が蓄えられたのかも。(7月の移籍以降チームに)とけ込めたのか分からない、今でも。僕がここに来たのは少しでも強くしてもらい、結果として出すこと。結果として東地区のトップに立った。ホッとしてます。ジーターが言ってたんだけど、『今日で練習試合は終わり』だと。このチームはあくまでここがファーストステージで、この瞬間は明日からは過去のものになる。足を地にしっかり踏ん張ってやっていきたい」と話した。」  ーーデイリー・スポーツよりーー

「長年に渡って強豪ヤンキースを支えてきたデレク・ジーター遊撃手は「一番であり続けることが重要だった。地区優勝が俺たちにとって大事なものだったんだ。負けてもワイルドカードだという人もいるが、俺たちはそんなもの見ちゃいなかったよ」と語った。」  ーーMLB.jpよりーー

 ジーターの言葉は格好いい。勝利を義務づけられた名門ヤンキースの主将である男の価値観は、他のチームの主将とは全然違うことを伝えている。ペナントレース最後の試合で、「今日で練習試合は終わり」という言葉が出る処に、感動を覚える。リーグ最多安打の216本を打ち、打率..316。チームを牽引してきた生え抜きの主将。イチローがグッと来るのもうなずける。

宵の雨 その度ごとに 秋深む  風吟
この道を 行く人なしに 秋の暮  芭蕉


 10月6日(土) 曇 4826

 どんよりと曇った朝をむかえた。ダルビッシュは今日勝ってワールドカードでリーグ優勝のトーナメントに進めるだろうか。勝てばイチロー、黒田がいるヤンキースとの闘いになる。イチローは、来年ヤンキースにいない可能性があるので、どうしてもリーグ優勝してワールド・チャンピオンになって欲しい。最後のチャンスかも知れないからだ。

 明日は、久々に東京競馬場へ行って競馬観戦の予定。毎日王冠は、NHKマイルのカレンブラックヒルか、安田記念のストロングリターンか。カレンから行こうと思っている。


 10月7日(日) 雨のち曇 24353

 東京競馬場へ行って、毎日王冠を観てきた。予想通り3歳馬カレンブラックヒルが勝った。デビューから5連勝でNHKマイルに続いて、古馬を蹴散らし、希望に胸が脹らむ秋を迎えた。これから、マイル路線を進むのか、天皇賞・秋へ進むのか、さあどっちに行くのだろう。マイルなら間違いなく、チャンピオンになれるだろう。久々の競馬場は、やっぱり良い。闘牛場へ行けないから、競馬場へ来て雰囲気を味わうことは重要だ。

 ダルビッシュは、負けた。イチローとは対戦できなくなった。こう言うときもある。


 10月8日(月) 曇 9128

 今度こそ勝てるかも知れないと思った、凱旋門賞だったが・・・。

「オルフェ、無念−。凱旋門賞(GI、芝2400メートル)がロンシャン競馬場で行われ、日本のGI5勝馬オルフェーヴル(栗東・池江泰寿厩舎、牡4歳)はゴール直前でかわされ、惜しくもクビ差の2着に敗れた。日本競馬の悲願でもある凱旋門賞制覇はまたもかなわなかった。優勝は地元フランスのソレミアだった。

 歓声が悲鳴に変わった。多くの日本人が駆けつけたロンシャン競馬場。1番人気に推され、大声援に後押しされたオルフェーヴルだが、ゴール手前5メートルでソレミアに差されてクビ差2着に敗退。日本馬初の凱旋門賞制覇の快挙は成し遂げられなかった。

 「日本のみなさん、申し訳ございませんでした。勝つ力は十分ありましたし、日本馬が世界のトップにあるのは事実ですが、私の技術が足りなかった」。池江寿調教師は悔しさを押し殺した。

 大外(18)番枠から道中は後方2、3番手で折り合いに専念。最後の直線で外に出し、自慢の末脚が爆発した。残り300メートル過ぎで先頭に立つと一時はセーフティーリードを取ったかに思えたが、先行していたフランスの4歳牝馬ソレミアが猛然とオルフェに襲いかかる。最後は2頭のたたき合いとなり、ゴール直前でかわされた。

 「直線では普通に勝っちゃうかと思いましたが、これほど早く抜け出してしまうと目標にされてしまいますからね。切れ味がアダになった感じです。このレースを勝つために、また戻ってきたい」

 池江寿調教師にとっては、元調教師の父・泰郎氏(71)の雪辱を果たす一戦だった。6年前の2006年に父が管理した当時の最強馬ディープインパクトが凱旋門賞に挑戦したが、3位入線でのちに失格という悔しさを味わった。「敵討ちというと大げさだけど、そういう気持ちはある」。しかし、ロンシャン競馬場に駆けつけた父の前で夢は果たせなかった。

 世界の頂点には届かなかったが、胸を張れる2着。1999年エルコンドルパサー、2010年ナカヤマフェスタと並ぶ日本馬最先着を果たし、ロンシャンのターフに確かな蹄跡を残した。次走はジャパンC(11月25日、東京、GI、芝2400メートル)か、有馬記念(12月23日、中山、GI、芝2500メートル)が有力視される。日本のファンは、オルフェーヴルの雄姿を待っている。」  ーーサンスポよりーー

池江 泰寿調教師のコメント
「日本の三冠馬が世界のトップレベルにあることは証明できたと思います。イギリスやフランスのダービー馬に大きく先着しているのですが、勝負事なので勝たなくてはなりません。後方で折り合いをつける事は、予定通りでした。早めに抜け出して目標にされた分、交わされてしまいました。携わる自分の技術がまだまだ世界レベルになかったということでしょうか。日本の調教師は、これからもどんどん技術向上に精進し、このレースを勝たなくてはならないと思います。明日から出直して、このレースに勝つために戻って来たいと思います。」

C.スミヨン騎手(オルフェーヴル号騎乗)のコメント
「今日は直線に向いてから追い出しての反応は良かったが、内にもたれてしまった。途中で右ムチに持ち替えたもののさらに内ラチに寄って行った。抜け出してから少しソラを使うような所があったかもしれない。ゴール直前でもう一度大きくよれてしまった。後から来ているのは分かっていたが残念だ。凱旋門賞でこれだけやれた日本の馬はいなかった。良くやった。先頭に立ったときは勝ったと思った。最後の50mで差し返されて、本当に残念だ。」  」  ーーJRAホームページよりーー

「●池江泰寿調教師

日本の皆さん、申し訳ありません。無念のひと言です。その言葉しか出てきません。

今日はフォワ賞の時と比べ物にならないくらい、厩舎地区にたくさんの人が往来していましたが、(オルフェーヴルは)それでも当時より落ち着いていました。やはり適応能力の高い馬だなと思いました。

レースの作戦は、ジョッキーと2人で相談して、ポジションは中団の外めかな、と話していました。直線では、一瞬幸せな気持ちで満たされたのですが、やはり競馬は勝たないとダメなので、勝った馬が一番強いと思います。またオルフェーヴルで世界に挑戦したいと思いますが、そこはオーナーサイドと相談です。

本当に日本の皆さんが期待してくれていたことは感じていたし、ありがたいと思っていました。その期待に応えられなくて、本当に申し訳ないという気持ちで一杯です。応援してくださって、本当にありがとうございました。

●C.スミヨン騎手

(頭を抱え、天を仰ぐような仕草を見せながら)オルフェーヴルは直線で右へ右へとヨレていきました。抜け出してから若干ソラを使ったかもしれません。ゴール前で右ムチに替えたら、また右へ行こうとしました。後ろから来ていたのは分かっていましたが…。最後に跳ぶような仕草を見せていたので、右回りは右へ、左回りは左へヨレる癖があるのかもしれません。今後はそれを矯正した方が良いでしょうね。

もう1頭か2頭、強い馬が出ていれば違った結果になったかもしれません。最後に簡単に抜け出してしまったことも敗因の一つです。それでも、慣れないコースでこれだけのパフォーマンスを見せてくれたのは、素晴らしいことだと思います。(オルフェーヴルは)私が今まで乗った馬の中でナンバー1だと思いました。」  ーーJRAーVANよりーー

 残念な結果だが、悲観することはない。また、来年行けばいいじゃないか。あまりにもレースが簡単に出来すぎた。もうちょっとややこしくなった方が、優勝できた気がする。3着との着差は7馬身と2頭がちぎった。日本競馬の悲願は達成できなかったが、それも良しとしよう。

赤く咲く 何思うかな 彼岸花  風吟


 10月9日(火) 曇 19284

 「如在」という言葉がある。本来は、「論語」八?(人偏に「八」したに「月」と書く)(はちいつ)の「祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在(いま)すが如くす」から》(如在)眼前に神・主君などがいるかのように、謹みかしこまること。という意味だったがこれが転じて、如在から如才になり、 気を使わないために生じた手落ちがあること。また、そのさま。手抜かり。多く、下に否定の語を伴って用いる。つまり、「如才ない」となり、気がきいて抜かりがないことと、いう意味になった。

 如才ないは、良い意味で使われるようになった。『いのちとかたち』山本健吉を読んでいたらこういう言葉が出てきたので、なるほどなぁと思った。世の中には、如才がなくない人が大勢いる。今日も朝そういう人と話していて、この人は、1から10まで言わないと解らない人なのだ思った。そういう人は疲れる。気が利かない。想像力がない。こういう事だと言うことを、言わないと解らない人。

 帰宅途中、馬場で古本市をやっていたので覗いたら、講談社学術文庫で面白い物が3つあったので買ってきた。『短歌一生』上田三四二著。『王朝びとの四季』西村亨著。『庭園の世界史』ジャック・ブノア=メシャン著。そして、『庭園の世界史』を読み始めた。アルハンブラから始まるというのも面白いと思った。


 10月10日(水) 晴 6254

 一昨日、ノーベル賞を受賞した京都大学の中山教授。「体のあらゆる細胞になることができる人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発に成功し、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった京都大教授の山中伸弥さん(50)は一夜明けた9日午前、妻知佳さん(50)と京都市左京区の京大で記者会見した。これまでの研究生活を「途中でやめたくなることもある、大変な二十数年だった」と振り返り、「笑顔で迎えてくれる家族の支えがなければ、研究を続けられなかった」と感謝の言葉を述べた。
 山中さんの高校の同級生で、医師の知佳さんは「全く予期しておらず、和やかな秋の夕方を過ごしていた」と受賞の電話連絡を受けた瞬間を振り返った。「(山中さんが)サンキュー、サンキューと言っていて、大変なことになったのではと思った。しばらくして『良かったね』と声を掛けた」とねぎらった。
 家庭での山中さんについては「ごく普通の父であり主人。休日には家族の手伝いをしてくれる」と評価した。
 山中さんは今後の研究方針を得意のマラソンに例え、「気持ちがはやって、速く走り過ぎて失敗したり、途中で倒れたりすることがないようにしたい。これまでしてきたことを粛々と続け、どうしたら早く最後までたどり着くかを考える」と語った。
 続いて、山中さんの欠点を問われた知佳さんは「とても疲れているのに走ろうとするところ。走っているのを見掛けたら、ほどほどにと声を掛けてほしい」と気遣った。
 山中さんが9日未明、取材対応を終えて京大iPS細胞研究所に立ち寄ると、和ませようと変装した学生らが出迎えたという。米国の研究者仲間からも次々と祝いの言葉が届き、山中さんは「仲間に恵まれたことが受賞につながった」と喜びをかみしめるように話した。」  ーー時事通信よりーー

 「共同受賞したイギリス・ケンブリッジ大学のジョン・ガードン名誉教授(79)は、山中伸弥教授の功績をたたえています。 ジョン・ガードン名誉教授:「山中教授と一緒に受賞できてうれしい。彼の研究は人の健康向上に大きく貢献した」
 ケンブリッジ大学のガードン名誉教授は、成熟した細胞にもあらゆる細胞に変化する能力があることを1962年に発見しました。ちょうどこの年に生まれた山中教授に対し、ガードン名誉教授は「山中さんのおかげで受賞をすることができた。彼の研究成果がこの分野を世の中から注目される分野にまで高めた」と称賛しました。」  ーーテレビ朝日よりーー

 「 「つらいときも家族が笑顔で迎えてくれた」。今年のノーベル医学生理学賞受賞が決まった京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)は、一夜明けた9日午前、妻で皮膚科医の知佳(ちか)さん(50)とそろって京都市左京区の京都大で記者会見に臨んだ。「今後も研究を多くの人と協力してやっていく必要がある」と、改めて受賞の心境を語る一方、妻に感謝の言葉をささげる山中教授。研究に打ち込む厳しい表情とは異なり、夫としての、そして2人の娘の父親としての横顔を見せた。

 山中教授夫妻はこの日午前9時半ごろ、京都大に到着。出迎えた研究所職員から花束を受け取った。その脇で、知佳さんがそっと寄り添った。

 午前10時からの記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。

 山中教授と知佳さんは中学、高校時代の同級生。知佳さんは、受賞の知らせが届いた時の様子について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。

 知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。

 知佳さんは「忙しい時は声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあり、重圧を感じているのだと頻繁に思う。外国とは時差もあるため、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」と、医師らしく体調を気遣った。

 そして、今回のノーベル賞受賞について、「たくさんの方に喜んでもらえることがうれしい。ありがとうございました」と声を詰まらせた。

 ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだった。山中教授は「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか、変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。学生と研究仲間に対しても感謝の言葉を語った。

 「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。」  ーー毎日新聞よりーー

 テレビがないから判らないが、日本人は喜んでいるだろう。iPS細胞関連の株価は軒並み上昇したという。当然、京都も沸いているのだろう。一昨日MEGUさんシーラさんと京都行きの話を、電話でした。

稲刈りの 終わりし秋田に 香る香に こみ上げし思ひ 止むること出来ず  風吟


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