−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。
9月11日(火) 晴 5717
今週ニームに行って闘牛を観るという人がいる。羨ましい。行けば、メンドーサの騎馬闘牛も観れるし、モランテとマンサナレスのマノ・ア・マノ。ホセ・トマスのウニコ。フリとカステージャも観れる。古代ローマの闘技場で観る闘牛は格別だ。音響効果は抜群で、闘牛士がすり足している音まで聞こえてくる。それと、バンドの演奏が素晴らしい。
9日カタラジュで、セバスティアン・カステージャが、コヒーダされた。写真を観ると角が首に刺さっている様に見える。結果的には、プンタッソという表現が使われている。そして、鼻骨骨折。11日アルバセーテに出場予定だが、出れるのだろうか?無理のような気がする。右顔面は擦り傷のような跡が付いている。鼻も顔も腫れるだろう。鼻は痛いだろう。しばらく休養が必要な気がするが、どうなるのか。
サラゴサのカルテルが発表になった。そろそろ、10月のカルテルが発表になって来る頃か。闘牛士も疲れが出てきて怪我が多くなる時期だ。
貰いたる 蓮の実干す 竿日経ちて 黒ずみのように 色移るなり 風吟
9月12日(水) 夜中雨のち曇/晴
朝、夜中に雨が降った事もあり、涼しかった。こうやって徐々に秋めいて来るのだろう。京都行きの計画想定を、夕食を取りながら考えた。無理のないよう日程と行程を考える。出来るだけその周辺を廻るように考える。それでも、未だ拝観申し込みをした往復はがきが戻って来ないので、きっちり決めたわけではない。1人で行くなら綿密に詰めなくても、良いのだが、連れがいるので出来るだけ煮詰めた方が、良い旅行になるはずだ。
少なくとも、9時〜17時の予定は、しっかりしておいた方が、良いと思っている。連れがいないとき、または、ISOさんと行くときは、適当でもかまわない。少なくとも1日半は、詳細まで詰めれるところは詰めておきたいと思っている。食事場所は、思案中。行程表が出来てからでも、遅くはないと思っているので、そこはあやふやにしてある。
セバスティアン・カステージャは、何事もなかったように、11日アルバセーテに出場した。
9月13日(木) 曇/晴 4321
朝から健康診断があって出掛けた。始めに、身長体重を計ったら、直ぐに胸部と胃部の撮影をして貰った。バリウムを飲んでおいた方が良いと思ったからだ。それから、採血まで済ませて終わった。タバコを一服してさてどうしようか考えた。取り合えずデパートに行き排便をして、せっかく出掛けてきたのだから、国会図書館へ行くことにした。
乗り継いで永田町で降り、途中迷いながら到着した。入るためにはちゃんとした手続きが必要で、その申請をしようとしたら、下剤が効いて便意をもよおした。そこで、トイレを探したら、ゲートの中にしかトイレがないことに気づいて、トイレに行きたいと受付で言ったら、同じようにトイレ行きを申し込んでいる青年がいた。排便したが、未だ便が先にあってバリウムは少ししか出てこない。
それから戻り、手続きをして、出来上がったカードを受け取り、ゲートを通過して図書館の中へ入った。ネットで検索して、借りたい本を観て『情報の歴史』 『同色対談 色っぽい人々』松岡正剛著 『句歌歳時記』山本健吉編集著の3つの申請をした。それから、12時近かったので昼食を6階の食堂で取り、降りてきて本を受け取った。
『情報の歴史』『同色対談 色っぽい人々』をコピーしようと思って申請の仕方や値段を聞いたが、コピー代が高いのでやめにした。『色っぽい人々』の、山口小夜子、ワダミエ、阿木燿子との対談部分を読んだ。女たちの感性が面白いとおもった。『歳時記』もつらつらながめて目にとまった歌などを書き留めた。『俳句…』より『句歌…』の方が、面白い物が載っているような気がした。『俳句…』の方は、どちらかというと、季語が中心になっている。歌中心の『句歌…』が欲しくなった。
国会図書館で、殆どバリウムを出した思うくらいトイレに行った。18時過ぎに新宿に戻り、夕食を取って部屋に戻ってきた。HPを開設して14年目を迎えた。良くここまで続いた物だ。マドリードのオトーニョのカルテルなども発表になっているようだ。
めっきりと 空蝉多く 目立つ夕 彼岸も直ぐ先 カナカナ蝉かな 風吟
小笹枯れ 残暑も残り わずかなり 風吟
9月14日(金) 晴 12109
国会図書館では、あと2冊借りた。松岡正剛がらみで、アート・ジャパネスクシリーズから、『庭園と離宮 雪月花に遊ぶ(日本の美と文化)』 『茶と花と能 サロンの風流と芸能(日本の美と文化)』 をつらつら観た。これも言ってみれば、松岡正剛プロデュースの日本文化を扱ったシリーズ物で、対談もしている。『庭園と離宮』の写真は、十文字美信が撮っているが、良い写真だった。
今度の京都旅行は、御所や離宮の庭園と、石山丈山、小堀遠州、といった江戸時代の作庭と、明治・大正時代の小川治兵衛の作庭を比べてみようという物だ。勿論、紅葉の中での比較である。そして、歌を詠む。つまりそうやって、京都で遊ぼうというつもりでいるのだ。
鈴虫の 音(ね)をきく夜は 穏やかに 涼む心に 秋の風吹く 風吟
9月15日(土) 晴 25168
新しい競馬攻略法は、試行段階で明確に答えが出ない状態だ。明日また話し合いをして、調整していかなければならない。今日は、頭が混乱して、迷いが生じている。落ち着かない気分のままで予想をしていたら、埒が行かないので一時中断することにした。
ホセ・トマスも今年最後の闘牛を、ニームでしかもウニコで行う。最後の賭だろうが、こっちの方も、賭に出ようというしているのだ。今日は未だ、おぼろげにしか見えてない物が、明日は見えるようになるかも知れない。
まるでかげろう(陽炎・蜻蛉)のようだ。しかし、何故、地面から湯気のように出てくるものを、陽炎といい、トンボのことを蜻蛉というのだろう?トンボの羽が透明で自在に動きキラキラ光るからだろうか?山本健吉の『いのちとかたち』の中に、そのことが書かれていたと記憶するが、どういう風に書かれていたか、今手元にないので解らない。
染あへぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉 与謝蕪村
いつ見ても蜻蛉一つ竹の先 正岡子規
蜻蛉(とんぼう)の夢や幾度杭の先 夏目漱石
9月16日(日) 曇 14458
昨日は、昼に講習へ行ってきた。日陰だと少しずつ過ごしやすくなってきた。今日ホセ・トマスはニームでウニコをやる。今年最後の闘牛である。そして、正闘牛士になって2回目のウニコである。ネットや本で、和歌や俳句を読んでいると、それだけで、単語や言葉に興味を持ち、その使い方に感心したりする。また、国会図書館へ行って、ゆっくりとした時間を過ごしたいと思う。
人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は 後鳥羽院
逢うことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠
9月17日(月) 雨/曇/晴 15413
16日ニームで行われたホセ・トマスのウニコは、耳2枚、耳2枚、耳2枚、シンボルしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)、耳2枚、耳1枚の合計、耳11枚と、尻尾1つ、内、インドゥルト1頭という物凄い結果になった。殆どのスペインの新聞には、この結果を1面トップで報道した。
9月18日(火) 曇 8489
ホセ・トマスのニームでのウニコをメディアはどう伝えたか。取り合えず、タイトルだけを記録しておく。
ネット闘牛情報のブルラデロ・コムは、El hombre supera al mito(神話を超えた男)。ムンドトロ・コムは、EL AMO DEL
TIEMPO(今シーズンの所有者)。一般新聞では、エル・ムンドは、Jose Tomas hace Historia(歴史を作ったホセ・トマス)。ABCは、Crece
la leyenda de Jose Tmas(ホセ・トマスの伝説が成長した)。ラ・ラソンは、La obra maestra de Jose
Tomas(ホセ・トマスの巨匠の仕事)。エル・パイスは、!Ave, Jose Tomas!(アベ・ホセ・トマス)勿論アベは、アベ・マリアのアベである。スポーツ紙マルカは、Jose
Tomas, como un emperador en el Coliseo(コロシアムの皇帝としてのホセ・トマス)。
9月19日(水) 雨のち曇 17654
まず、頭の中で思い浮かんだことを書くために、引用から始める。
「 「人の絵姿を『影(えい)』または『御影(みえい)』というのは、そこに身体から遊離した『たましい』の所在を認めたからであろう。画像それ自身が『影(えい)』なのだから、日本の画像は、『影(かげ)』を描くことがない。言わば『影』に『影』を重ねることは考えなかった。影を描き添えることは、対象から生命が抜けることだったろう。」
一口に言えば、「影」とは「たましい」を意味した。日本の肖像画は、その「かたち」、外観を越えて、「たましい」、あるいは内面におけるあるものを捉えようとする。「影(えい)」とはそのことの意味で使われているのだろう。だが、そのような意味では、草木虫魚、地水火風、存在するすべてのもの、すべての現象に、「たましい」あるいは精霊を感じ取っている日本人のアニミズム思想から考えれば、人間の肖像だけでなく、あらゆるものに影をつける必要がないはずである。いや、影をつけることはタブーですらあったろう。
(中略)
日本の画家たちーーーー肖像画家だけには限らないがーーーーが、画像に影をつけなかったのは、かえって影というものに不思議な威力、奇異な畏敬を感じていたからではないか。それは、影に対する認識不足からでなくて、むしろ影についての感応過多からである。過多とはむろん、不感症な現代の私たちの立場から見て言うのである。
日本では絵に書かれなかった影が、詩歌や散文において頻繁に現れてくる。では、「かげ」とはもともと何だろう。多義に分岐した「かげ」の語源まで遡るのは容易ではない。「かがよひ」「かぎろひ」「かがみ」「かぐつち」「かぐや姫」など、同根と思われる言葉が多い。ただし「かかやく」は清音で、別だという。
「かが」「かぎ」「かぐ」「かげ」と語根 kag は屈折する。ちらちら、きらきらと、揺れて光りかがやくものを指すようだ。たとえば、かぎろひ=かげろふは、一、炎、二、陽炎、三、曙光、四、とんぼ、かげろうなど薄い脈翅を持った昆虫、五、空中を飛ぶ蜘蛛の糸、遊糸、ゴサマーなど、ちらちら揺れる光るものをあれもこれもと呼んでいる。それと同根の「かげ」だから、それは明にも暗にも使われる。すなわち「日のかげ」「月かげ」と言ったら光で、同時に光がものに当たって反対がわに生じる暗い像の意味である。
だが、語源的にちらちらするものの意味であることから言えば、水面や鏡に映る姿を「影」と言ったのが先かも知れない。」 ーー『いのちとかたち ーー日本美の源を探るーー』 山本健吉
著よりーー
日本に写真が入ってきた初期の江戸時代や明治時代は、写真を撮られると、魂も一緒に抜き取られると考えられて、写真が嫌われた。江戸川乱歩の『押し絵と旅する男』には、そういうことが書かれている代表的な作品だ。写真を撮ることを、日本語で「撮影」という。つまり、影を撮っているのである。山本健吉が言うように、 「影」とは「たましい」を意味した のだ。だからこそ、「日本の肖像画は、その「かたち」、外観を越えて、「たましい」、あるいは内面におけるあるものを捉えようと」したのだろうと思う。
さて、ここからが本題のホセ・トマスである。
世界一素晴らしい闘牛をするホセ・トマス。おそらく、闘牛史上最高の闘牛士であろうホセ・トマスである。この輝きは、眩(まばゆ)いほどに観ている観客の心を揺さぶり、鷲掴みして離さない。他の闘牛士とは比較にならないほど眩(まぶ)しさだ。何も飾るものがない砂の上で、金色の衣装を着た闘牛士。いつ血が流れ、死ぬかも知れない運命に身をゆだねながら、牛と砂の上に立つ。すり鉢型の闘牛場で、まさに中心点であるホセ・トマスに観客の目が釘付けになる。
牛を操る様。技量と度量と、それを支える強い意志と肉体。心臓から送られる血液のように、それが、観客の目と心で感じられたとき、肉体に感動と恍惚をもたらす。いつ果てるとも知れない、危ない状況の中で、儚くも美しい、高貴にしてあやうい、影がそこにある。「影」とは「たましい」である。それはやがて、終われば、激情となって体の中を駆けめぐる。
ホセ・トマスは、たましいを、誠を、運命を、人生を、その闘牛で表現する。そのことに、観客は気づき、驚き、愕然として、我を忘れ、やがてその闘牛の前にひれ伏す。この一回性の美学は、生死を懸けているという「あやうさ」と、一回しかないという「儚さ」の上に成り立っている。だから、「影」がきらきら揺れて光り輝く。つまり、光りであり、光りがものに当たって反対がわに生じる暗い像でもある。
その光りは、時にちらちら光り、ギラギラ光り、きらきら光り、ギンギンに光ったりして、見詰めていた眼差しが、光線の光りによって目を細めても見づらくなるときもあるくらい眩く光る。唖然として、感情が揺れ動いて、やがて、ホセ・トマスの闘牛を観て、「魂」を感じているが、いつの間にか逆転して、観ている自分の「魂」を抜き取られた状態になって仕舞っているときがある。こういう状態の闘牛が、最上級最高級な闘牛なのだと思う。私は、セサル・リンコンとホセ・トマスに「魂」を抜かれたような状態になった事がある。それがあったからこそ、今まで闘牛を見続けてきているのだと思う。
これが日本人の私がスペインで観てきた闘牛。そこには、人間美の源が見つかった思いがした。侍に日本美の源を観た人がいるように…。それが、セサル・リンコンや、とりわけホセ・トマスの闘牛だったのだと、感じるのだ。
9月20日(木) 曇 5701
昨日、本屋で『定家明月記私抄』『定家明月記私抄 続篇』堀田善衛を買ってきた。堀田善衛が、何故、定家の『明月記』という日記が気になったかを、初めの処で書いてある。
「いつあの召集令状なるものが来て戦場へ引っ張り出されるかわからぬ日々に、歌人藤原定家の日記である『明月記』中に、
世上乱逆追討耳ニ満ツト雖(いえど)モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎(コウキセイジュウ)吾ガ事非ズ。
という一文があることを知り、愕然としたことに端を発していた。 ーー(中略)ーー 私は知り合いの古本屋を、いつ招集されるかわからぬのに、この定家の日記を一目でも見ないで死んだのでは死んでも死にきれぬ、といっておどし、やっとのことで手に入れたものである。」
と、書いている。何故かと言えば、文学をやりたいと思っているいるのに、自分が始めた訳でない戦争にとられて死ぬかも知れない状況で、定家は、朝廷や武士集団の軍事行動は、「之ヲ注セズ」であり「吾ガ事非ズ」。つまり、自分には関係のない事だと言い切って、俊成の息子として歌詠みの世界に身を投じる覚悟を読み取ったからだという。しかも19歳で。
堀田善衛は、昔『方丈記私記』を読んだことがある。もう忘れてしまっているが、つまり、乱世の時代の生き方を考えて来た人の様に思う。ご存じアニメの宮崎駿監督の愛読書でもある。今は、中国や韓国で反日運動が暴動化している。日本国内では、政権交代しても、いっこうに良くならず、東日本大震災でにっちもさっちもいかない状況になっている。テレビを観ないので、嫌なニュースを観なくて済む。こういう荒れた世の中で読む、堀田善衛の書く、『定家明月記私抄』は、どう考えても、面白いと思っている。
たまゆらの 露もなみだも とどまらず なき人こふる 宿の秋風
散らば散れ 露分けゆかん 萩原や ぬれての後の 花の形見に
秋をへて 昔は遠き 大空に 我が身ひとつの もとの月影 藤原定家
9月21日(金) 雨/曇 9944
床屋に行ってサッパリしてきた。スパに行き、疲れた体を、ゆるめてきた。堀田善衛の『定家明月記私抄』を、読んでいると、後鳥羽院が遊び狂っている様が書かれている。相当に凄いことだが、定家は、天皇に使える役人で歌人だから、それに従って、色々な遊びに付き合わされるのだが、途中で家に帰ったり、ずる休みしたりして息抜きもする。そうしないととてもじゃないが、後鳥羽院にはついていけない。
それと分かったのは、鴨長明とも親交があったということ。堀田善衛は、『方丈記私記』を書いているが、その関連も、ここに出てくるのだろうと思う。こうなると、『方丈記私記』を読み直したくなってくる。これから、競馬の予想である。明日の中山のメインは荒れそうな予感がする。
9月23日(日) 雨 30214/2
夜中からの雨は一気に気温を下げた。昨日から、長袖を着ている人が目立つようになり、今日は肌寒い。しかし、イチローは熱い!3日前のダブルヘッターで8打数7安打してからここ5試合で20打数14安打、2本塁打、5打点、7得点と驚異的な数字で、今日は、延長13回に3本のホームランを打たれ、5対9になった時点で、普通なら負けが確定するが、その裏、イチローのヒットをきっかけに同点に追い付き、14回裏に決勝のホームを踏んだ。
ヤンキースに移籍してから打率326と復活した。そして、優勝争い。自然にモチベーションが上がる。このまま優勝しそうな雰囲気になってきた。
野分けして 蝉の少ない あしたかな 正岡子規
爺と婆 淋しき秋の 彼岸かな 夏目漱石
9月24日(月) 曇/雨 21668
土日と一気に気温が下がって、秋めいていたが、今日は日中は快晴になり暑かったが、夕方に雨が降り出して涼しくなった。街には、長袖を着る人が増えて、半袖の人を観ると寒くないのかと思ってしまう。もう蝉は啼いていない。虫たちが沢山啼いている。緑が多い道を夜中に歩いていると、煩いくらいに耳に入ってくる。これも秋の風情を感じさせる。
歳時記は、季語を引くのにも良いし、季節を感じる気持ちも育む。良い歌ばかりとは感じないが、俳人たちの俳句に思うところは多々ある。今日も、路地の軒先で観た、柘榴の花と実が印象に残ったので写真を撮って歌を詠んだ。クレオパトラが好きだった柘榴。叶姉妹が飲んでいるというジュース。ダリが描いた柘榴。そして、スペイン語でグラナダ。柘榴の実を手に持ち、その艶と重さを感じた。
雨音に 虫の音重ね 吹く風に カレー漂い 鳴るお腹かな 風吟
風にある カレーの匂いで 思い出す 祖母の作った 懐かしの味 風吟
橙の 花咲く横に 薄紅の 柘榴美し 軒の生け花 風吟
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