断腸亭日常日記 2012年 その15

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
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6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 9月24日〜10月2日 2010年5月29日〜6月7日 6月8日〜6月26日
11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
 11月21日〜11月27日 2012年1月2日〜1月11日 1月12日〜2月8日 2月9日〜2月22日 2月23日〜3月12日
 3月13日〜3月31日  4月2日〜4月22日  4月23日〜5月14日  5月15日〜5月23日  5月24日〜6月2日
 6月4日〜15日  6月16日〜6月30日  7月2日〜15日  7月16日〜7月29日  8月1日〜9日
 8月10日〜8月20日        

 8月21日(火) 晴 12254

 昨日、日記を書き終えアップしようとしていたら電話が鳴った。Nさんからだった。闘牛についての質問だった。その質問に答え、それから、小説の話をした。彼女が書こうとしている小説の話をするので、それを訊いていた。一つだけ注文を付けたら、その点についてもクリアーされていた。物語を書くというのは、色々な要素を入れて、キャラクターをたたせないと、キャラクターも物語も面白くならない。そのことを彼女は充分解って創作している。

 それから、話は色々変わるが、短歌の話などをした。「二項同体」という相反する価値というか、考え方が同時に存在する事や、梶原一騎のマンガの話をした。僕らの世代は、梶原のマンガの影響を強く受けたから、そういう感覚が染みこんでいるのだろう。『巨人の星』 『あしたのジョー』 『タイガー・マスク』 『柔道一直線』 『空手バカ一代』 などのスポ根ものは、ライバルが主人公の成長をうながす様な物語になっていた。変わったところでは、『愛と誠』 も面白かった。

 主に『あしたのジョー』 の話をした。Nさんの世代では、後からマンガを読んだ世代だろうから、ちゃんと勉強している感じだった。こっちは、その時代に読んでいるから、抜けている部分があったりするのが、恥ずかしいかったりする。

 Nさんの知人の歌人の話もしていたが、歌を詠むということは、非常に難しい。1時間以上の長話をしたが、もっと感覚を研ぎ澄ますようにしないといけないと思った。


 8月23日(木) 晴 54282/2

 残暑が続く東京。むしろ最近の方が、朝方蒸し暑い。帰宅時、本屋によりNHKテキスト2冊を買う。『100分de名著 紫式部 源氏物語』 『詩歌を楽しむ 芭蕉はいつから芭蕉になったか』。夕方、日が暮れてから練馬に行く。手続きをして夕食を取り戻ってきた。

 誰そ我に ピストルにても 撃てよかし 伊藤のごとく 死にて見せなむ 石川啄木

 松岡正剛の『連塾V』はいよいよ明治・大正・昭和の時代に入ってきた。瓦解後、武家政治である徳川から、王政復古して薩長土肥の明治新政府に移行し、矛盾をはらみながら時代が進む。ひずみは、廃藩置県、廃刀令など、旧武士階級を解体する政策をとることによって徐々に現れ始める。政権内での権力闘争も征韓論の西郷が敗れて都落ちする。旧武士階級の不満は、反乱という形で各地にくすぶる。そして、西南戦争。その後の自由民権運動へと続いていく。

 何故、徳川を倒すために、天皇を担ぎ出したのか?軍を創るときに、徴兵制を始めるが、これは西南戦争の為に出来た。その後の日清・日露戦争の時とは趣旨が違っていた。西郷はあの時期、日本の「負」を引き受けて、一切の言い訳もせずに死んでいった。西郷は、「髪を切られても心は切れない」と言って死んでから、富国強兵で、朝鮮併合。伊藤博文が初代韓国総督府総監になる。そして、明治42年10月26日、ハルピンで安重根に銃で狙撃され3発の銃弾を受けて暗殺された。

 翌明治43年幸徳秋水の大逆事件。天皇暗殺を企てたとして、24名に対して死刑判決、のちに12名へ減刑。異例の早さで裁判が進み判決が下る。公判記録読んだ、石川啄木は、冤罪であることに気づく。他の多くの人も、冤罪である事を確信して、徳富蘆花は兄の徳富蘇峰に頼んで桂太郎首相への減刑嘆願を出すがすでに死刑が執行された後だった。

 啄木は、こういう「時代の閉塞状況」を憂いて上の歌を詠んだ。

 啄木は、明治45年4月13日桜の散る頃に、結核で死亡する。看取ったのは、若山牧水。金田一京助は、容態急変をしり駆けつけたが、大学の講義に出れば2円貰えた事を知っている、啄木と牧水に則されて大学へ行った為いなかった。26歳で貧乏の中の死だった。そして、7月30日明治天皇崩御。後を追って、乃木大将殉死。

 「夏目漱石の『こころ』の中に、主人公のこんな一節があります。「夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。そのとき私は明治の精神が天皇によって始まり天皇に終わったような気がしました」
 漱石だけではないんですね。森鴎外も乃木大将の「殉死」を機に、自分の文学的態度を大きく変更します。それまで『ヰタ・セクスアリス』など、センセーショナルなものを書いていた鴎外は、その方向を大きく変じます。
 その第一作。『興津弥五右衛門の遺書』。これは細川忠興の家来が明日切腹をするという前に残した遺書を物語してものです。「殉死」の物語でした。このあと鴎外は歴史小説ばかり書きます。『阿部一族』は次々に殉死していく一族の物語でした。
 いったい明治を代表する二人の文豪が、大帝と乃木の死をもって深い深い思案の耽ったというのは何でしょうか。明治の歴史にはたくさん目に見えるものもありますが、目に見えない、心の大きな変更というものも、一人ひとりの中に沈殿していったわけですね。」 ーー『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』松岡正剛著よりーー

 山田風太郎は、「日本は、大逆事件からおかしくなった」と言っていたが、風太郎も解っていて言っていると思うが、そんな事はない。明治という時代が始まりから矛盾を抱えていたという事は明白だろう。松岡正剛は、伊藤博文暗殺、大逆事件、啄木の死、天皇崩御、乃木大将殉死と並べて明治という時代を締めた。

 それから、第1次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争へと向かうのだ。

 僕は、圧倒的に石川啄木より宮沢賢治の方が良いと思ってきた。しかし、大逆事件や伊藤博文暗殺の頃の歌を詠むと、良いなぁと、思う。啄木を見直した。時代感覚が優れている。そして、これはちゃんと読まなきゃと思った。

 蓮葉の 濁りに染まぬ 心もて 何かは露を 玉とあざむく  僧正遍昭


 8月24日(金) 晴 9804

 昨日高校野球が終わった。光星は、大阪桐蔭に敗れ、東北勢初の優勝旗を持って帰ることが出来なかった。「第94回全国高校野球選手権・最終日(23日、大阪桐蔭3−0光星学院、甲子園)2試合連続完封で春夏連覇だ!! 史上初の春夏同カードとなった決勝は大阪桐蔭(大阪)が3−0で光星学院(青森)に勝利し、4年ぶり3度目の優勝。史上7校目の春夏連覇を達成した。エース藤浪晋太郎投手(3年)は準決勝に続く2安打完封の快投。プロ野球8球団が今秋のドラフト1位候補に挙げる右腕が、圧巻の投球で最後の夏を終えた。

 最後の1球にもこん身の力を込めた。藤浪は152キロの直球で空振り三振を奪い、フィナーレを飾った。春夏連覇の偉業を達成。普段クールな男が両こぶしを握りしめ、喜びを爆発させた。

 「3年間でいちばんいい投球ができた。甲子園の長い歴史で、偉大な記録を達成できてよかった」

 圧巻の投球。強力打線の光星学院を力でねじ伏せた。二回に今大会4本塁打のプロ注目スラッガー・北條を迎えると、初球から150キロ連発で追い込み、最後はフォークで3球三振に斬った。許した安打はたったの2本。九回には自己最速タイの153キロもマークした。しかも自己最多タイの14奪三振。夏の甲子園決勝での14Kは、9イニングでは1922年の浜崎真二(神戸商→阪急)、34年の藤村富美男(呉港中→阪神)のともに野球殿堂入りの名選手に並ぶ最多記録だ。

 準決勝、決勝の連続完封は、1992年の西日本短大付(福岡)の森尾和貴以来、20年ぶり8人目の快挙となった。1メートル97の体格から「浪速のダルビッシュ」と呼ばれる右腕だが、さらなる高みを目指してきた。優勝したセンバツ後、西谷監督との交換ノートでは「真のエース」になるための計画が進められた。「勝てる投球をしたい」と磨いたのは150キロを超える直球よりも変化球のキレだった。

 3番田村はカットボールとスライダーで2三振。北條もフォークとスライダーで2三振。直球と変化球のコンビネーションがさえた。今大会は計36回で自責点2。甲子園は9戦全勝。まさに「真のエース」だった。

 野球一筋ではない。英検準2級を所持し、野球部では1、2位を争う学力。その探求心で独自の投球フォームを築き上げた。自身とは異なる、身長の低い選手の投球に目をこらすという。体全体を使って投げるから、というのがその理由だ。

 2歳から15歳まで水泳教室にも通った。肩の関節や体の筋肉が軟らかいといわれるのは「水泳の効果」。他の選手が故障で苦しむ中、ここまで故障のない体ができあがった。

 そんな逸材は10月25日のドラフト会議での目玉だ。実にプロ8球団が1位指名候補として検討している。今後の進路は「西谷先生と相談話して決めたい」としたが、小学校の卒業文集で将来の夢を「プロ野球選手」とつづった男。その争奪戦は必至だ。

 「甲子園は目標の場所だったが、いい思い出もできて、最高の場所でした」

 球史に残る投球で夏を沸かせた藤浪。甲子園からニューヒーローが誕生した。」 ーーサンスポよりーー

 11月に『GLEE』シリーズ3が発売される。非常に楽しみだ。いつかボブ・ディランを歌うと思っていた。何を歌うか色々考えていたが、歌ったのは、『フォー・エバー・ヤング』だった。しかも、シュー先生が歌っている。思わず笑ってしまった。なるほどねって。


 8月25日(土) 晴 36463

 『100分de名著 紫式部 源氏物語』(三田村雅子)を、読み始めている。はじめにの「思いは届けられるか」の中に書かれているすれ違いが主題のようだ。

「 愛をめぐる物語として描かれました。しかし、稀代の色好み光源氏により手当たり次第の恋の冒険の物語だとお考えだとすれば、それは違います。『源氏物語』は愛の成果を羅列する物語ではなく、愛のすれ違いや空転、誤解、伝えることの難しさを、微に入り、細を尽くして語る物語です。どれほど愛していてもその想いが伝わらない、肝心のところで伝えきれない想いを抱えながら、孤独の中に生きる人びとの物語です。」

 自分が持っていた印象とは大分違う物語だと、三田村雅子さんは云う。なるほど、それなら読んでみようかと思ってみるのだ。想いが伝わらないというのは、現実生活では、日常的にあることである。そうじゃなくて、こういう事なのにとか、こういう意味で言っていることが、何故歪曲して伝わるのだろうという、想いはいつもある。免疫学では、自分の細胞以外はすべて他者だ。だから、白血病などで骨髄移植をするときに起こる、拒否反応は、当然のことで、いくら遺伝子の配列が似ているからと云っても、発生する。この移植によって、血液型まで代わるのである。

 何かを人(他者)に伝えることの難しさは、それぞれの人の中に実感として持っている感覚だと思う。物語は、恋や宮中での政治的な事を絡めて進んで行くようだ。人は、想いを伝えることの難しさを抱えながら、その人の覚悟も同時に持っていて、それが周りの人たちに伝えようとするのだと思う。覚悟のある人間が好きだ。三島由紀夫は間違った覚悟を示したが、覚悟があると云うところが好きだ。


 8月26日(日) 晴 8741

 気象庁の3ヶ月予報では、例年よりも暖かい気温になると発表された。9月は暑く、10月は寒く、11月は暖かいという。これで行くと、紅葉は遅くなるという事なのかと思ってしまう。国会では、自民党が法案賛成を棚上げして、問責を提出しようとしている。森元首相は、谷垣総裁を批判しているが当然だ。総選挙になっても、自民党は政権を取れないだろう。民主党へも、自民党へも入れる人は大幅に減少するだろう。予算を通さないで、総選挙がそんなに重要か。目茶苦茶にしてきたのは、民主の対応も良くないが、自民の非協力と無意味な批判が招いた結果だ。そのことの自覚のかけらもない谷垣自民。


 8月27日(月) 晴 38901

 残暑厳しい日々。猛烈な読書願望をもって、『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』の第7講 面影と喪失 を一気に読んだ。昭和になると、2.26事件、北一輝、石原莞爾などが出てきたとても面白かった。2.26事件の青年将校に思い入れた三島由紀夫は、彼らの覚悟という物を感じて小説を書いたり、行動を起こしていったのだと思う。石原莞爾は、昭和天皇を「沈黙の天皇」と呼び、朝鮮、満州において、思うように操れるという自信を持っていた様だというのが、凄いことだ。

 愛新覚羅溥儀という清朝最後の皇帝を、満州国の皇帝につかせ傀儡政権を創るというのも石原莞爾の書いたシナリオ通り。北一輝といい日蓮信者(国柱会)から日中戦争へ突入して太平洋戦争へ向かう中で、国柱会は非常に大きな力を発揮したようだ。また、国体とアジアを結びつけてたり、不況を解決するために、朝鮮や満州、中国へと資源を求めて進出していくのは、戦争によって大国になっていこうという意思の表れだろう。

 満州事変までの陸軍の内部抗争は、2.26事件になったり目茶苦茶な状態になっていく。戦後、東京裁判で戦犯にならなかった石原莞爾は、参考人で末期癌の治療をしていた地元山形県酒田市の商工会議所の特設法廷に出廷して、「 「満州事変の中心は自分であり、軍の満州建国の立案は自分の手によるものである。その自分が戦犯として法廷に召喚されないのが不思議である」と、暗に連合国の「戦犯指名」の基準の誤りを指摘した。
 また、外国人記者との会見において、「あなたは東条とは意見が合わなかったそうですね」との質問に、「私には多少の意見もあり思想もある。東条には思想もなければ意見もない。意見も思想もない東条との間に、どうして思想・意見の対立がありえよう。それは愚問である」と答えたという。」 ーー『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』松岡正剛著よりーー

 凄いもんである。この人も覚悟の人だ。


 8月29日(水) 晴 43854/2

 『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』松岡正剛著ももう少しで読み終わる。正剛という名前を父親が付けたのは、中野正剛から取ったという。東条英機と対立して、自決して死ぬ。

「たしか父は私が生まれるちょっと前に中野正剛が自決して、それが東条英機との対決によっていたということに感激したので、それに肖(あやか)って「正剛」という名前をつけたんです。
 それだけでなく、父はそれからは「人に殺されるほどの名前がいい」と思ったらしく(笑)、次の子には原敬の「敬」をつけるつもりだったようなんですが、生まれたのが女の子だったので「敬子」になりました。さらに次の子には博文とか多喜二とかを予定していたようです。肖るにはあまりに残酷ですよね(笑)。もっとも弟は流産でした。」 ーー『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』松岡正剛著よりーー

 「人に殺されるほどの名前がいい」というのは、それほど人に影響を与えているという発想なのだろう。凄い考え方だ。

 スポーツ新聞は、香川真司を大きく取り上げている。イングランド、プレミア・リーグでの活躍が話題だからだ。ダルビッシュも今日ようやく13勝目を上げ、松坂は1年半ぶりの勝利をあげ大リーグ通算50勝目になった。参議院には、問責提出で野党が調整している。この後の政局はどうなるのか?なるようにしかならない。自民も民主もバラバラになって10年後、選挙3回くらいやらないと政権が安定しないだろう。

「25日のフルハム戦でプレミアリーグ初得点を決めたマンチェスターUの日本代表MF香川真司(23)が26日、英国各紙から絶賛された。主要4紙のうち3紙の採点で両クラブトップ、2紙でMVPに選出。デビュー2戦目のホーム開幕戦でチームを3―2の勝利に導く活躍が早くもサッカーの母国で認められた。イングランド代表FWルーニーが右足を負傷し、ますます救世主としての期待が高まってきた。

 サッカーの母国が香川の決めた初ゴールの余韻に酔いしれた。フルハム戦から一夜明けた26日、地元紙は絶賛の嵐と化した。高級紙オブザーバーには「香川はアート。ルーニーの役割を継承」の見出しが躍り、ファーガソン監督が探し求めていた逸材と報じた。厳しい目で知られる英紙のうち中2紙でMVPに選出されるなど、文字通り最大級の評価を受けた。

 同リーグで日本人3人目のゴールは前半35分に挙げた決勝弾だが、香川に浮かれた様子はない。「喜んでいる暇はない。恐ろしいまでに冷静だ。まだまだ僕はここで結果を残していく必要がある。まだ物足りない」。ベンチを見ればルーニー、ウェルベック、ギグスら世界の猛者がそろう。「ブンデスよりレベルは高い。ビッグクラブでは1試合だけ(の活躍)では外されるケースも多い」。言葉に実感がこもっていた。

 香川が得点を忘れるほど悔しがったのが前半38分、ポスト直撃の左足シュートだ。「イメージ通り。あれを決めればさらにインパクトを残せる」。そんな香川にファーガソン監督は「非常にいい。(本拠地)デビュー戦であれだけのプレーができたのだから」と目を細める。マンUの中盤で公式戦年間2桁得点は04〜05年のスコールズ(12点)が最後だ。香川には8年ぶりの大台突破が期待されている。

 フルハム戦ではルーニーが右太腿を負傷し、指揮官も全治4週間の見通しを示した。ますます香川に対する期待が高まる。まだ2戦目、ゴール前での縦パスなど香川の欲しいパスはなかなか出てこない。「そういうことも要求して辛抱強くやっていきたい。試合を重ねるごと、絶対にやっていける自信がある。一戦一戦、結果を残していくことが大事」。英国中を酔わせた初ゴールも香川にすれば、通過点にすぎない。」 ーースポニチよりーー

 ドイツのドルトムントで、2年間リーグ2連覇に貢献した香川真司が、イングランドでも注目されている。ファンによるネット投票では、マン・オブ・ザ・マッチで、58%の支持を集めて1位になったという。


 8月30日(木) 晴 18877

 『連塾 方法日本V フラジャイルな闘い 日本の行方』松岡正剛著読了。

 第八講 編集的日本像 を読んできて、最後の方に印象的な話が載っていた。それは森繁久弥と勝新太郎の話である。なおこの本は、講演での話を本にしたものである。

「 ある日、勝が呆然としているので、森繁が「何かあったんか」と聞きます。勝は「おふくろが逝ちゃったんだ」と答える。森繁も……(松岡、少し絶句している)……えー、ぼくは森繁に弱いんですよ。「社長太平記」を見ても泣くほうで……(笑)。で、森繁も言葉を失っていると、勝が言うには、「おれ、兄貴と二人でおふくろのあそこを見たよ、通夜でね」と言うんですね。「おれたちが出てきたあそこを拝んでいたら、涙がむしょうに出てきたな」というふうに勝が言った。変な奴だと森繁が思うんですが、森繁も大いに泣いたという話です。
 この勝と森繁って、ぼくはどういう関係かは知りませんですけど、しかしこの以心伝心の早さというもの、これが「フラジャイルな逆襲」なんです。わかってもらえますでしょうか(拍手がおこる)。それで森繁は「勝新太郎が人生でいちばん好きだった歌がある」と書いて、この文章を締めているんです。それはこういう懐かしい歌です。いいですか。この歌です。(ちょっとくちずさんで……)「夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫泣く 思えば遠し故郷の空 ああ わが父母 いかにおわす」。 」 

 読んでいてジーンと来た。理屈ではない。感覚としてジーンと来たのだ。勝新の話も素晴らしいし、それを歌で締める森繁も良い。それを語る松岡正剛も素晴らしい。おふくろのあそこを兄弟で見て泣くというのは、物凄い。絵になる。勝新と若山富三郎ならなおのこと。おれたちが出てきたあそこを見て泣く大人というのが、良いよなぁと思った。

 帰りに本屋によって『図説「茶の湯」入門』を買ってきた。

その道に入らむと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ
稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一   利休


 8月31日(金) 晴 7277

 弁当を作っても、部屋に忘れて持って行かないことが、何回かあった。そうするとガッカリする。そういうことがないように、冷蔵庫の上に置いておくのだが、忘れる。最近は、肉を熱湯に通して、キノコ類とオクラやししとうをレンジでチンして合わせ、その上に塩麹か、醤油麹、または、キムチを乗せる簡単な物である。暑いので、火をなるべく使わないようにして作っている。それでも、美味しい。


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