−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。
9月1日(土) 曇一時雨 25598
朝、郵便局へ行きポストに往復はがきを投函する。今日最大の仕事はこれ。これを忘れたら大変な事になる。
9月3日(月) 晴一時雨 26936/2
昨日の雨の影響で、朝方は涼しかった。日中に一雨降って、それでも涼しくなったが、雲がなくなったら、暑くなった。1日は、上野で飲み会があり、そこで酔っぱらって、家に帰れなくなり、タクシーで泊まれるところに移動して、そこでバタンキューした。そして、家に帰ってきたのが、今日。だから1日の日記のアップが今日になった。競馬は負けた。やはり、夏競馬はやらない方が良いかもしれない。来週からは中山に帰ってくる。いよいよ、競馬の中央場所。本番が始まる。
短歌が身近にあった時期が、2回ある。高校の時と、20代の頃。高校の頃は、日記にその日あったことを、詠んでいた。20代の頃は、寺山修司をよく読んでいたからだ。エッセイや、芝居の脚本、詩と短歌。映画、『書を捨てよ 旅に出よう』 『田園に死す』には、思うところがあった。競馬を始めた頃は、テレビ東京で、解説として出演していた頃で、競馬のエッセイを読んでロマンを感じた。『馬敗れて草原あり』あれは、大きな影響だった。未だに、競馬をやっているのは、寺山修司の影響だと思う。テレビで、訛って喋り続ける寺山修司を観るのが好きだった。その東北弁がたまらなく好きだった。
「寺山さん、初めて便りを書くのに、もうあの津軽訛りを聞くことはできません。いや津軽訛りではなく、青森訛りでした。
寺山さんは警察官のお父さんの転勤のたびに弘前、五所川原、青森、八戸、三沢というふうに転々としていましたからね。その青森の恐ろしさについて、寺山さんは「下北半島は、斧のかたちをしている。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」と、『わが故郷』の冒頭に書いていた。
だから青森転々訛りとでもいうべきなのでしょうが、あの寺山さんの喋り方に、当時のぼくたちは参っていたのです。寺山さんも、その訛りを放棄しようとはしなかった。
ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや わが拇印むらさき色に濁る日を断崖にゆく涜るるために 燭の火に葉書かく手をみられつつさみしからずや「父」の近代 |
あの訛りには、寺山さんの「祖国」や「拇印」や「父の近代」が呻いているんですね。
そういえばあのころ、「やっぱり日本の芸術は土方巽の秋田弁と寺山修司の津軽弁で変わってしまったよね」と、そんなふうに、ぼくの周辺の連中たちはひそひそ話をしていたものでした。
しかしぼくならば、そこに美輪明宏の長崎訛りを加えたい。そのことは寺山さんも先刻承知だったようで、あの熱気溢るる阿鼻叫喚のファーストシーンで始まった天井桟敷旗揚げ公演の『青森県のせむし男』では、桃中軒花月が「これはこの世の事ならず、死出の山路の裾野なる、賽の川原の物語」と口上を言うと、その恐山伝説の向こう側から、すかさず美輪(丸山)明宏の長崎訛りの地霊のような言葉が加わったものでした。
あのときも寺山さんの「方舟」ならぬ「方言」の脈絡というものが、これから始まる前代未聞の寺山演劇実験の総体をくるむのだということが、痛いように伝わってきました。けれども、その独得の早口な訛りを、もう聞けなくなってしまいました。惜しい人はとかく疾迅なものですが、それにしても47歳は早すぎた。」 ーー松岡正剛HP『千夜千冊』よりーー
『田園に死す』を観た後、仲間うちで流行ったのが、映画の中で読み上げる短歌をまねる事だった。おそらく、文章、詩、短歌という物を、訛りながら読む行為は、それまでの日本にはなかったと思う。それを、青森などから家出してきた少年たちを、天井桟敷という劇団へ入れ、映画に出演させて、読ませる。その音の響きが、こっちの胸にザクッと突き刺さって来たのだと思う。
盛岡出身の女優、長岡輝子(NHK朝の連続ドラマ『おしん』などで知られている)が、盛岡弁で宮沢賢治の朗読を始めたのが71年。カセット・テープを吹き込んで発売したのは何年なんだろう?寺山の『田園に死す』は、74年である。ほぼ同時期であるが、訛りでテレビに出続けていたのは、圧倒的に寺山の方が多いし有名だった。と言うより、誰でも知っていた。競馬ファンなら、毎週寺山の競馬予想欄を読みながら、今日はトルコのももちゃんや、寿司屋の政に何と言わすのだろうと、ワクワクしながら読んでいたはずだ。
ふるさとの訛りなつかし 停車場のひとごみの中に そを聴きにゆく 啄木
そんな気分をテレビの寺山の語りに耳を傾けるだけで落ち着いた気分にもなった。でも、寺山は変わった人だ。そして、変わった人が好きだった。人と違うことをやる。全く違う意見を言うというのが、面白かった。当時、ラジオの深夜放送で、タモリと三上寛が、野坂昭如と寺山の物まねをして、架空の対談をするというのがあって、面白がって訊いていた。三島はもう死んでいなかった。三島との対極になる短歌がある。
マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや 寺山修司
確かにあの頃の雰囲気は、「見捨つるほどの祖国はありや」という物だった。日本人という物を、三島のように大上段に掲げて言うというのは、照れくさいし、そういう物を全面に出さずにやるというのが、その頃の風潮だったと思う。そこで、出てくるのが、故郷とか、訛りなのだと思う。特に、訛りというのは、東京に出れば恥ずかしい思いをする物という感覚が強かった。そういう時代に、寺山修司のようにテレビで堂々と訛って喋るというのは、感動的だった。
下北半島は、斧のかたちをしている
大間村から北海岬かけての稜線がその刃の部分である
斧は、津軽一帯に向けてふりあげられており
今、まさに「頭を叩き割ろうとしている」ように見えるのが
青森県の地図である
もしかしたら私は憎むほど故郷を愛しているのかも知れない ーー『わが故郷』寺山修司よりーー
寺山は、母や故郷という物を抜きにして語ることは出来ない。いわゆる母型というものだ。母という物は、受け止めてくれるという事についての象徴なのである。これも、松岡正剛がいう「方法日本」の一つの形なのだと思う。
不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心 啄木
9月4日(火) 雨のち晴 3883
時間があったら、国会図書館へ行って調べ物をしたいと思っている。昨日夜中、ネットで本を注文した。山本健吉である。『いのちとかたち』 『最新俳句歳時記』(夏)(秋)(冬)の4冊。歳時記の方は、新年、春、と全部で5冊の物だが取り合えず今必要な物を注文した。あと迷っている物が、『基本季語五〇〇選』をどうするか考えているが、歳時記を読んでからでも良いのではないかと思っている。
こういう本を注文するは、松岡正剛と、オギュスタン・ベルグの影響を強く受けた結果であるのは明白である。そして、三島由紀夫も当然意識している。しかし、今読みたいのだ。今読んでいるオギュスタン・ベルグの『風土の日本』は難解な本だが、非常に視点が面白い。日本人では書けない本だ。それだけに、そそられる。
涼風の 曲がりくねって 来たりけり 小林一茶
たたかれて 昼の蚊をはく 木魚かな 夏目漱石
9月5日(水) 晴 16421
帰りに古本市をやっていたので、覗いてみた。そこで、『万葉の旅 上・中・下』犬養孝 著(教養文庫)を買ってきた。初版が昭和39年で、この本は46年版だった。昔は、万葉集の歌を読んで、その地を旅して、歌心というか、大和心に触れようとしていた人が、いたのだと感心した。この様な本は、もう出ないだろうと思って買ってきたのだ。
家に帰ってきたら、『いのちとかたち』 『最新俳句歳時記』(冬)が届いていた。それを持って、コーヒーを飲みながらつらつら読んだ。松岡正剛が言っている「稜威」(いつ)というものを、感じ始めている。
「そこで本書は、このような感染可能な「やまとだましひ」をさぐりながら、その背景に「イツ」という観念が動いていたのではないかと推理が進む。
イツとは「稜威」と綴る言葉で、この言葉がわかる日本人は専門家をのぞけばほとんどいないのではないかとおもう。あえて民族学用語をあてはめればマナにあたるかもしれないが、マナとはだいぶんちがう。
稜威は折口信夫なら外来魂ともいうことになる。古代文学史では天皇霊に稜威をつかうこともある。折口か柳田かは忘れたが、琉球語では稜威は「すでる」にあたると読んだことがある。山本健吉自身は「よみがえる能力を身にとりこむこと」とか「別種の生を得ること」とか「生きる力の根源になる威霊を身につけること」というふうに稜威を説明しているが、ちょっとピンとこない。
いずれにせよ本書は、こうした稜威をめぐる重要な一節を挟んでおきながら、そこに深まらないで、ふわりと枕詞や歌枕の話に移行するためにあれこれの引用をしはじめるのだが、ぼくにはそれもまた次の理由でおもしろかった。
それは、枕詞や歌枕が歌という様式をつかって稜威に入るためのものではなかったかと思えたからである。本書はそこまで踏みこんで言わずに、枕詞や歌枕を「生命の指標」と言うにとどめているのだが、ぼくは日本語と和歌の本来の関係にひそむ「言葉としての稜威」という力からみて、そういうこともあっていいと考えた。本書からの収穫である。
どうみても「たらちねの」「ひさかたの」「たまきはる」といった言葉の呪力は歌のためにつかう言葉の蘇生というよりも、それらの言葉に託された意味の再生を願った「冒頭の稜威」にほかならないからである。
触れるなかれ、なお近寄れ。これが日本である。これはまた、ぼくの信条である。
また、これが稜威の意味である。
限りなく近くに寄って、そこに限りの余程を残していくこと、これが和歌から能芸におよび、造仏から作庭におよぶ日本の技芸というものである。
そこには稜威が仕込まれている。その稜威からなんらかの生活の再生が連打されるのだ。たとえば刀の研師(とぎし)たちはその刀が再生しうることを知っている。その再生への確信を、日本刀ばかりではなくて、どこまで日本文化のさまざまな現象に広げられるのか。屏風絵や俳句や内露地の飛石に認めることができるのか。本書はそのようなことを、最後は世阿弥の能にまで広げて語ろうとしたのであるが、志は途中で終わっている。何が稜威であるかを指摘そこなった。
本書にも引かれている例でいえば、アンドレ・マルローは根津の『那智瀧図』と本物の那智の滝を竹本忠雄に誘われて見たときに、
さすがにこのことに気がついたのだが、うっかり「ルサクレ」(神秘)、「ルトレ」(後退)というフランス語でこの稜威の感動を説明しようとした。
さあ、問題はここからなのである。
マルローがまちがっているというのではない、「とうとさ」「あとずさり」はたしかに日本のどこかの大切になっている。稜威とはまさにそのことである。しかし、それを誰がどのように説明しきれるか。どこに稜威があると指摘できるのか。天皇霊に稜威があるなどというのは、まことに中心に因りすぎた稜威である。もっとたくさんのところに稜威は遊んでいる。本書もそのことを、そうとは指摘しないで能や茶や花に言及し、芭蕉の旅にも探ろうとはしたが、さきほども書いたように、志は拡散していった。」 ーー松岡正剛HP『千夜千冊』 『いのちとかたち』山本健吉よりーー
千利休が、わび・さびの心を茶の湯に取り入れた時、この歌こそ手本になると言った歌が新古今和歌集の定家の歌だという。
見渡せば 花ももみぢも なかりけり 浦のとまやの 秋の夕暮 藤原定家
9月6日(木) 曇 4446
ネットで調べていたら、近松門左衛門の心中物はいろいろ読んだことがあるが、他の物を読んだ記憶がない。『国姓爺合戦』 『出世景清』などその代表で、読んでみたいと思っている。「景清」と来れば、当然、阿古屋である。すると、歌舞伎を観たくなり、玉三郎の物が観たいと思う。世阿弥の『景清』も読みたいし、観たいと思ってしまう。
欲望とは、かくも貪欲である。松岡正剛は、罪な人である。東大寺のお水取りを観て、京都へ行きたくなり、京都へ行けば、秋は紅葉、春は桜。そして、新緑の時には、苔と花を観たいと思う。限りがない。今年は、初冬に京都へ行き歌を詠み、来年は、スペインと伊勢神宮へ行こうと思っている。そういう準備もかねて、いろいろと本を読みたいと思っている。その中に、伊勢神宮関連の物は勿論だが、熊野古道というのもそそられる。
堀田善衛の『定家明月記私抄』をひもときそういう物を感じたい。堀田善衛は、この本をバルセロナで成熟させて書いたのだという。そうご存じ『ゴヤ』の作者でもあるのだ。日本にいて、スペインを思い、スペインにいて、日本を思うことも可能だという例が、堀田善衛だ。
言葉ではなかなか説明できない闘牛という物を、どうやって言葉で書くか。そのことに、20年悩んでいる。結論は未だに出ていない。それをどうやって書けばいいのかを見つけるのも課題だが、こうやって日本の事、面影、うつろい、わび・さび、もののあわれ、を感じる生活をしていると、平家と鎌倉、室町、桃山、江戸という武士が政権を取っていた時代の文化がヒントになるような気がしている。
闘牛も、儚く、壊れやすく、もののあわれ、無常というものを含んで存在していると、思うようになった。元武士で、出家して旅を続け、歌を詠んだ西行の歌は、面白いと思う。
願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃 西行
9月7日(金) 晴のち曇 18353
『いのちとかたち』 を読んできて気づいた事がある。アンドレ・マルローが京都博物館で、神護寺の国宝三像で1番有名な、源頼朝と平重盛の絵を比べ、当時日本では、頼朝の絵の方が評価が高かったのにも関わらず、重盛の絵の方が良いと、熱弁をふるった事が書かれてあった。はっと思ったのが、今これは、教科書に頼朝の絵として採用されていないというのを思い出したのだ。その根拠も書いてあった。だから、言い伝えで、言われていた、頼朝の絵は頼朝でなかったのだ。マルローは、当時そういうことは全く解らない状態で絵の評価を下している。これは、白眉である。それ以降、重盛の方が良い絵だという風に言う人が増えたそうだが、恐るべきフランス人。
『最新俳句歳時記』(夏)(秋)が、届いた。準備が出来た。あとは、読んで歌を詠む準備を始めたい。
9月8日(土) 曇時々雨 26843
歌が上手いとか、下手だとか、よくいうが、そんなのどうでも良いと思う。土方歳三は歌が下手。それでも良いのだ。土方の生き方がそこに出ていれば、充分ではないか。
しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道
しれば迷いしらねば迷ふ法の道 土方歳三
阪神タイガース時代の江夏豊が、1番好きだったのが土方歳三。江夏はよく人生を、太く短くと言っていた。土方歳三もそう生きた。生き急いだと言っても良いかもしれない。「男の一生は、美しさをつくるためのものだ。俺はそう信じている。」と歳三は言った。色々な土方歳三を観たが、やっぱり、『新撰組血風録』 『燃えよ剣』の栗塚旭が1番土方歳三ぽかったような気がする。そして、その頃に江夏が土方歳三が1番好きと言っていた。土方歳三=栗塚旭なのだと思う。あのニヒルさが良かったなぁ。
函館の五稜郭で最後の突撃に出るときに、「世に生き飽きた者だけ、ついて来い。」という言葉をいって敵に向かって行ったという。歳三も覚悟の人だ。だから、歌が下手だと言われても、それは、どうでも良いじゃないかと思ってしまう。多摩の百姓から武士になった新撰組。その中心にいて、最後まで薩長と戦って死んだ歳三。生き延びた榎本武揚とは違う伝説になった男だ。新撰組の旗印も法被にも「誠」が書かれてあった。誠を捧げた人だと思う。
京都旅行の予定などを考えているが、進まない。応募した往復はがきが未だ来ないからだ。観たいところはいっぱいあるが、それを編集するのが、旅行前の楽しみでもある。実際その通り行けるはずはないが、それでも、計画を立てるのが面白い。最近は、部屋にいるより、外の方が涼しくなってきた。
涼しさを 絵にうつしけり 嵯峨の竹 芭蕉
9月9日(日) 晴 5446
昨日女郎花(オミナエシ)の実物を意識的に見た。歳時記などに出てくる花で、今の時期に京都で咲く花だという事は知っていた。だから、観たかったのだが、花瓶に生けられた女郎花では、雰囲気がない。野に咲く花のはずだから、京都の野で観たいと思った。黄色というか山吹色を混ぜたような色の小さな花をつけている。匂いを嗅ごうとすると、花粉のように直ぐに落ちてしまった。
嵯峨にある落柿舎の前に女郎花が野が広がっていたら、絵になると思う。去来と芭蕉がお茶を飲みながらそれを観て、一句ひねる。それも良いだろうけど、自然に出てきたらもっと良い句が詠えると思う。上の句のように…。
9月10日(月) 晴 11963
おぼろげに説明を受けた通り、昨日の東西のメインレースを予想して、馬券を買った。1つが当たり、1つが外れた。終わってから、再度、説明を受けた。当たったレースは、もっと絞って買える事が解り、外れたレースは、もうひとひねりすれば取れたレースだったことが解った。なおかつ、当たったレースは、違う考え方をすれば、3連複を1点で取れ、3連単だってその3頭の買い目で取ることが出来ることに気づく。3連複で、9890円。3連単で、59410円。もっと凄いのは、外れたレースは、あたりを付けた処から買い目を探れば、3連複が買えた。これは、ワイドで3通り、700円、14090円、4920円。3連複で、61870円。3連単で、378500円である。
念のためとと言うことで、復習として、阪神10Rを予想した。結果は知らなかった。そして、予想したら、3頭が残り、その買い目の予想通り、3連複が、9850円。3連単が、46320円の配当がついていた。予想原理を、話してくれたのは、Mさん。言う通り来て、その配当は、3連複や3連単では万馬券連発なのだ。本来の馬券は、3着までを探す予想法で、ワイド向きの予想だ。
中山のメイン、京成杯オータムハンデは、この方法がしっかり出来ていれば、ワイドだけではなく、3連複(9890円)も取れていた。お金があれば、3連単(59410円)も取れていたことになる。そういう話を、話していたが、競馬好きのもう1人が話しに加わって、予想方法の話をしていた。信用しないので、こういった。牛に病原菌を付けて、膿んだ物を精製して人に注射したりすると病気にならない。ワクチンだけど、これは、未だに現代科学でどういう理屈で説明して良いか、解明されていない。結果だけが先行して、現実的に行われている。つまり、理論じゃなくてワクチンみたいなものだ。だから、名前を取ってMワクチンと、呼ぶと言った。
これは、競馬以外でも活用できるらしい。競艇、競輪などである。でも、俺はやらない。競馬だと、色々知っているし、フル活用出来そうだからだ。来週の中山・阪神のレースは、このMワクチンで馬券を買う。さて、いくら儲けることが出来るか。銀行には、5千円の金額から始めたい。Mさんには、一応釘を刺された。卓上で予想しているときと、実際お金を賭けようとするときとでは、精神状態が変化するから、そこを気を付けるようにと。いつもいつも同じような精神状態で予想しないと、当たらない。また、欲をかくと人生を踏み外す。そういう人間を3人くらい見ている、と。
だから、芭蕉の句のように、予想しようと思っている。
閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声
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