断腸亭日常日記 2012年 その20

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
太字で書いたモノは2010年11月京都旅行。2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行、2012年4月京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
5月16〜5月31日 6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日 5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日
5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日 2009年5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日 6月13日〜6月22日
6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 9月24日〜10月2日 2010年5月29日〜6月7日 6月8日〜6月26日
11月14日〜11月26日 2011年3月5日〜3月17日 7月20日〜7月31日 8月1日〜8月22日 9月14日〜10月3日
 11月21日〜11月27日 2012年1月2日〜1月11日 1月12日〜2月8日 2月9日〜2月22日 2月23日〜3月12日
 3月13日〜3月31日  4月2日〜4月22日  4月23日〜5月14日  5月15日〜5月23日  5月24日〜6月2日
 6月4日〜15日  6月16日〜6月30日  7月2日〜15日  7月16日〜7月29日  8月1日〜9日
 8月10日〜8月20日  8月22日〜8月31日  9月1日〜9月10日  9月11日〜9月24日  9月25日〜10月10日
 10月11日〜10月25日        

 10月26日(金) 曇 29685

 横浜に行ってきたが、粘ったって感じだ。天皇賞の枠順が発表された。カレンブラックヒルは外枠の8枠16番。来そうだと思った。鉄砲で来るとすれば、3枠6番のルーラーシップしかないような気がする。後は、内から1枠1番のナカヤマナイト。2枠4番のフェノーメノ。6枠11番のジャスタウェイ。7枠14番ダークシャドウ。位じゃないかと思う。そう、1枠2番のシルポートが引っ張る高速の展開なら毎日王冠の様にカレンブラックヒルが勝てるような気がするのだ。

 パッと観の見解だから当てにはならない。これから予想をする。それにしても一青窈の『うんと幸せ』は、何度聴いても良いなぁと思う。


 10月28日(日) 37272/2

 土曜日は寝坊してしまって日記が書けなかった。今日は昼過ぎから東京競馬場へ行ってきた。天皇皇后が来るという、天覧競馬、天皇賞・秋。朝から小雨が降っていたが、降ったり止んだりの曇り空。レースの後、涙が頬をつたった。

「第146回天皇賞・秋(28日、東京11R、GI、3歳以上オープン、国際、指定、定量、芝2000メートル、1着本賞金1億3200万円=出走18頭)ミルコ・デムーロ騎手騎乗で5番人気エイシンフラッシュ(栗東・藤原英昭、牡5)が直線で最内から鋭く抜け出し、一昨年の日本ダービーに次ぐGI2勝目を挙げた。タイムは1分57秒3(良)。

 シルポートが大逃げを打つ形になり、離れた2番手をカレンブラックヒルとダイワファルコンが追走。その後の馬群は密集していたが、デムーロと初めてのコンビを組んだダービー馬は中団の内ラチ沿いで息を潜めて機をうかがっていた。直線でも狙いすましたように最内をつき、前が開くとぐいぐいと伸びリードを広げ、外から追いすがる2着フェノーメノと3着ルーラーシップの追撃を封じ込めて先頭でゴールに飛び込んだ。

 デムーロ騎手は感激の表情を浮かべて勝利の余韻を確かめた後、スタンド前に戻ってくると下馬してひざまずき、ご来場なさった天皇皇后両陛下に礼儀を尽くした。

 エイシンフラッシュは父King’s Best、母ムーンレディ、母の父Platiniという血統。この勝利で通算成績は20戦5勝となった。重賞は10年の京成杯(GIII)、日本ダービー(GI)に続き3勝目。ミルコ・デムーロ騎手、藤原英昭調教師ともに初の天皇賞制覇。天皇賞・秋は一昨年(ブエナビスタ=スミヨン)、昨年(トーセンジョーダン=ピンナ)に続き、3年連続で外国人騎手の勝利となった。

 デムーロ騎手は「とてもエキサイティングだ。すべて勝つように運が向いた。内ラチ沿いを走れて、行きたいところでスペースも空いた。馬の状態も良かったし、内ラチ沿いを行こうと思っていた。今年は自分も調子が良くなかったけれど、天皇皇后両陛下がいらした特別な日に、勝つことができてとてもうれしい。この馬の前回の勝利から2年半、僕が勝つために待っていてくれたのかという思いだ」と感激に浸っていた。
 ◆藤原英昭調教師の話 「ダービーを勝ってから長かったね。休み明けを1度使ってピークの状態だったし、レースも完璧だった。天覧競馬で勝てて夢のようだ。ゴールの瞬間は感謝の気持ちでいっぱいになった」  ーーサンスポよりーー

 エイシンフラッシュのミルコ・デ・ムーロ騎手は、ゴール板通過後に右手に持った鞭を振ってガッツポーズをして喜びを表した。本命じゃない馬の優勝を観るスタンドの観客は、唖然の結果に歓声が少ない。しかし、キャンターにおろし馬のスピードが落ちた向正面で、涙を拭った。両手で顔を覆って泣いていた。それを観たら、グッと来た。伝統ある天皇賞初騎乗で初優勝。しかも、天皇皇后が来賓観戦の中での優勝は、物凄い名誉なこと。

 それからゆっくりとスタンド前に戻ってきた。ゴーグルをヘルメットに付け直し、下馬すると右手に手綱を持ち左手にヘルメットも抱え、右膝を付き腰を折って天皇皇后へ挨拶をした。それを観ていたら、こっちまでもらい泣きした。その後騎乗して顔を真っ赤にして両手でハート型を作りJの字を書いていたようだ。恐れ入りました。おめでとうと心から言いたい。

「デムーロ騎手は正面スタンド前で下馬して、天皇・皇后両陛下にヘルメットを脱いでひざまずき敬礼をした。勝利が確定すると、「エイシンフラッシュに乗るのも、秋の天皇賞に騎乗するのも初めてだったので、勝つことができて非常にうれしい。馬の調子も良かったし、内ラチ沿いが空いていたのでラッキーだった。とてもうれしくて、その気持ちを表現したかったので、何かをしようと思い、下馬して最敬礼をさせていただきました。(両手でハートマークをつくって)I LOVE JAPAN!アリガトウゴザイマシタ」と喜びを表した。」  ーーデーリースポーツよりーー

「レース後のコメント
1着 エイシンフラッシュ M.デムーロ騎手
「すべてがいい形になりました。馬はリラックスしていて、行きたいときに前のスペースが空きました。直線はいい脚で先頭に立って、一瞬馬がやめそうになったのでムチを使いました。賢くて、いいハートと切れる脚を持っている馬です」

2着 フェノーメノ 蛯名正義騎手
「完全にうまくレースはできたのですが……残念です。併せ馬になっていたらとも思いますが、あれほど内が開いて、そこを勝ち馬に走られては……。向こうはラチを頼りにできて、こっちは一頭ですからね」

3着 ルーラーシップ I.メンディザバル騎手
「ジャンプするようなスタートで遅れてしまいました。もう一度、同じメンバーでやらせてもらえば、また違う結果になると思います。ただ、以前でしたら今日のようなスタートをすると引っかかってしまったのが、今日は折り合っていけたところに成長を感じます」

4着 ダークシャドウ 福永祐一騎手
「ペースに惑わされず、自分の競馬をさせました。うまく外に出せましたが、これからというときに差を詰められませんでした。勝ち馬と同じような位置でしたが、内外の差もあったかもしれません。ただ、内が開く保証もありませんからね……。それでもGIを獲れる力のある馬だと思っています」

5着 カレンブラックヒル 秋山真一郎騎手
「自分の競馬はできたと思います。結果的に距離が長かったのかもしれません」

平田修調教師のコメント
「外枠の分でしょうか。距離かもしれません。でも、やはり古馬の一線級は強いですね」

6着 ジャスタウェイ 内田博幸騎手
「いい感じでレースはできました。距離云々じゃなく、今日のところは仕方ないと思います」

7着 ジャガーメイル 石橋脩騎手
「スタートで寄られた分、少し位置取りが後ろになりました。ダークシャドウの後ろの位置になりましたが、結果的に最後は内に行った方がもう少し上の着順をとれたと思います」  」  ーーラジオNIKKEIよりーー

「 「近代競馬150周年」を記念し、天皇皇后両陛下が東京競馬場で天皇賞・秋を観戦された。両陛下の来場はヘヴンリーロマンスが優勝した05年以来7年ぶり2度目。天皇陛下は、説明役のJRA土川理事長に馬がゲート入りするタイミングなどを質問。双眼鏡を手に熱心にレースを観戦された。レース後、優勝したミルコ・デムーロ騎手が貴賓席へ、ひざまずいて最敬礼をすると、両陛下ともに大きな拍手を送られた。
 また、この日は東日本大震災からの復興を祈念し、日本の伝統馬事芸能である福島の相馬野馬追(福島)とチャグチャグ馬コ(岩手)の行進が本馬場入場後に行われた。東京競馬場を後にする際、天皇陛下はそれぞれの代表者に「今日はありがとう」と声をかけ、震災時の様子などを尋ねていた。」  ーースポニチよりーー

 天皇賞は惨敗だった。買った馬の内、上位5頭中4頭来ているのに、馬券は外れ。予想上手の馬券下手の典型である。12レースの予想をする。その前に天皇皇后をターフビジョンで放映していたので京都の11レースの中継がなかったので、結果を確認したら取っていた。それで、京都は予想を立てていたので、その通り買い、東京は新聞を見て予想した。当初は、内から1、3、11の予想だったが、新聞をよく観ていたら、どうも12番の馬が来そうな気がしたので、買い目に入れた。というより、今日は横山典弘が全然駄目だったので、本命を12番にして、1、3、11へ流した。

 レースは、向正面で横山典弘の11番オールドパサデナが最後方。やっぱり来ないのかと思って観ていた。4角も最後方大外。そこから直線で追い込んできた。先に抜け出していた3、4頭。その外から抜け出して1着。2着が12番エステーラブ、3着3番ヴィンテージイヤー。典ちゃん余裕だ。これなら、11番から馬単で行けば良かったと思った。天皇賞で負けても、今日の負けを取り戻した。最近、負けない競馬になってきた。

 最後に、イタリア人のミルコ・デ・ムーロの事を書いておく。「2003年4月20日、皐月賞をネオユニヴァースで制し日本のGI初制覇。喜びのあまりにゴール後2着のサクラプレジデント騎乗の田中勝春の頭を叩くシーンもあった。続く6月1日の東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成、1番人気に応えて快勝したネオユニヴァースを祝福する大観衆を目にして「イタリアのダービー(デルビーイタリアーノ)を5回勝つよりも、日本のダービーを1度勝つ方が嬉しい」と感激の涙を流した。

 二冠を達成し、三冠達成の期待がかけられたネオユニヴァースであったが、当時の日本の短期免許制度では三冠目の菊花賞にはデムーロは騎乗できない状態となっていた。これは日本の短期免許では年間3ヶ月しか騎乗できず、デムーロは春だけで3ヶ月分を使い果たしていたためである。しかしこの事態を受けてJRAが新しく「同一馬で1年間にGIを2勝以上すれば、その馬が同年にGIに参戦する際に騎乗を認める」という規定を設けたため、デムーロは菊花賞に騎乗することができたが、菊花賞では3着に敗れた。

 2004年4月18日、皐月賞をダイワメジャーで勝利し、外国人騎手初の連覇を達成する。

 2007年は、11月24日に京都競馬場で、外国人騎手としての最多タイとなる1日5勝を再び記録。12月2日の中日新聞杯ではサンライズマックスに騎乗して勝利したが、決勝線手前で飛行機ポーズを披露し制裁を受ける珍事を起こした。

 2008年は11月29日より短期免許を取得したが、その翌日11月30日のジャパンカップではスクリーンヒーローに騎乗し同レース初制覇を飾る。なおこの時もゴール後のウイニングランで飛行機ポーズを披露していた。

 2009年は12月28日より翌2010年1月27日までNARで短期免許を取得した。この時は船橋の川島正行厩舎に所属した。なおデムーロはこれより以前にも2度NARの短期免許を取得していた。

 2011年3月26日、ネオユニヴァースの子のヴィクトワールピサでドバイワールドカップを優勝。ドバイワールドカップ初騎乗初勝利を果たすと共に、日本馬にとっての同レース初勝利をもたらした。日本・イタリア以外では初のビッグタイトルと言え、デムーロ自身も「ジャパンカップもイタリアダービーも勝っているけど、これがベストレース」と語った。

 2012年、3月18日の阪神競馬第10・11競走と、4月7日の阪神競馬第2競走から第11競走にかけて、JRAタイ記録となる騎乗機会9連続連対を達成した。

 上記の2003年の皐月賞で勝った時に田中勝春の頭を叩いたことについて、馬鹿にしているのではないかと言う声もあったため、その後、悪意やからかう意図はなかったと説明。田中も「ノープロブレム」と言い、2人の間にしこりはないと言う。

 騎乗にあたっては事前の展開予想などを重視するタイプで、武豊は「いつのまにか日本の競馬新聞の読み方を覚えていて、(日本での騎乗時には)レース前になると競馬新聞片手に真剣に検討している」と証言している。ちなみに競馬新聞の読み方を覚えた影響で「競馬関連であれば漢字も読める」という。

 サッカー好きとしても知られており、インタビューでも語ることがある。2010年末には、サッカー日本代表監督であるアルベルト・ザッケローニと友人になったと明かした。」  ーーウィキペディアよりーー

 ミルコ・デ・ムーロの勝利の涙は美しかった。日本と日本人が大好きなんだという事が、天皇皇后への最敬礼に現れていたのだと思う。ああいうのを見せられると、こっちまで、ミルコが好きになる。良いレースありがとう。そして、天覧天皇賞初優勝おめでとう!ミルコ・デ・ムーロも『うんと幸せ』だ。それを観ている俺も、『うんと幸せ』な気分になって帰ってきた。


 10月29日(月) 雨のち晴 6515

 今日は休みだったので、目覚ましをかけずに9時前に起きた。午前中はネットをして、ISOさんへメール。溜まっていた洗濯をして、昼過ぎに病院へ行って薬を貰ってきた。病院でISOさんとメールのやり取り。京都へいる間は、仕事が忙しくて一緒に付き合えないという。でも、初日の夜に、会って飲む約束をした。12月の予定も、予定通り行くことを確認した。

 家に戻って、またネットで調べ、高円寺に向かった。自転車を降りて歩いていたら、知り合いに会った。そこで、立ち話。仕事帰りで、本屋で立ち読みをしていた。今は、俳優より声優の仕事を貰っているという。韓国ドラマやアニメの声優。仕事やっているより、良い仕事ならお金が入るといっていたが、とてもそれで食っていける状態ではないという。そういう人は、ほんの一握りで、自分は駄目たと言っていた。それでも元気そうな顔だった。同じ岩手出身である。震災は、内陸の水沢(現奥州市)だから、津波はなかったが、「お袋が死ぬかと思った」と言うくらい揺れたという。

 別れて、駅に行って自販機で定期券を指定券に換えた。駅員の女性が操作してくれたので簡単だった。これで、京都の行き帰りの切符が確定した。定期なので、何回でも時間変更を出来ると言っていた。ありがたいことだ。それから国会図書館へ行って、読みたかった本を、デジタルデータで読んだ。帰りに日が暮れた国会の上に満月が上っていた。実際は明日が満月だが。

憂国の 国会見上げ 慎太郎 曇なき夜空に 満月望む  風吟
落葉の 前に銀杏 落ちる道 踏みつぶされて 便所の匂い  風吟 


 10月30日(火) 曇 10402

 今日は講習があって受講してきた。座学というはどうして眠くなるのだろう?大事なことだけど、眠いものは眠い。昼休み、近くの公園を歩いた。もう東京でも葉っぱが色づき始めた。いつも通る処は、また、そんなに色づいていないが、今日歩いた公園は秋の気配が公園の葉っぱの色になって現れていた。こう言えば、今の時期の東京競馬場の帰りの京王線は、爺さん婆さんが高尾山帰りの登山の格好が多くいる。競馬の客と、登山の客で凄い混みようで、まるで、通勤ラッシュなみだ。最も、むこうは高尾山口から乗っているので、座っているのだが、こっちは座れなくて疲れている状態だ。

 「行けばいいじゃない」という、悪魔の声というか、心の声に従って京都へ行くことにした。これがどっちに転ぶか、サイコロを転がさないと、どういう目が出るか分からないからだ。おそらく、良い方に転ぶとは思っているのだが…。しかし、何度行っても京都は、行くところが尽きると言うことがない。ここに行ったら、次はここという具合に増えていくような気さえする。

 今回行く処で、12月に行く予定の処とダブっているところは、個人的には大徳寺塔頭群と、みんなと行く予定の処では、京都御所一角にある厳島神社と九条池くらいだと思う。ぴょっとしたら、下鴨神社もダブルかも知れない。ここでは、鴨長明が『方丈記』を書いて800年の記念行事で、河合神社には、鴨長明の復元の方丈があるという。それと、スタジオジブリが空間プロデュースした、「定家と長明」展をやっている。300点の絵コンテの手前のような物があるという。

 宮崎駿には、あまり興味がないが、彼が言うには、戦後の苦しい時期に、堀田善衛の小説を読んで救われたと言っていた。その中で、大きな位置を占めるのが、『方丈記私記』である。その後、バルセロナで構想を練った、『定家名月記私抄』と合わせての、あの混乱した世相の時期を特に描いた、堀田善衛へのオメナッヘでもあるのだと思う。そういう風に思っている男が、いい加減な物を出すはずがないと思う。出来るなら、この2つをアニメにして欲しいと思っている。だから、観に行く価値は大いにあるのだ。問題は、時間だけだ。書いている内に、何とか行く時間を作りたいという気持ちになってきた。

満月も 見えぬ夜空に 雲照らす 都心の明かり 秋の寒さか  風吟


 10月31日(水) 曇 9345

 京都での拝観予定計画を立てた。そうすると、今回は、ジブリの下鴨へは行けないような感じになった。凄いのは、終了時間が16時になっていることだ。急いでも無理そうだ。どうなるかは分からないが、12月に行ったときでも観れるというのが、日程から判ったこと。

 今回は荷物をコンパクトにして行くことにした。とはいえPCを持って行くので、それは重い。楽しみな京都旅行。紅葉前の京都も楽しみだ。


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