断腸亭日常日記 2011年 その22

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。太字で書いたモノは2011年3月奈良旅行と東日本大震災、11月が京都旅行の滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日 5月1日〜5月14日
5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日 2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日
5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日 6月12日〜6月22日 2002年4月16日〜4月30日 5月1日〜5月15日
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4月4日〜4月24日 4月25日〜5月9日 5月10日〜5月22日 5月23日〜6月2日 6月3日〜6月26日
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 12月23日(金) 曇 8339

 有馬記念の枠順が発表された。ブエナビスタが1枠1番。ヴィクトワールピサが2枠2番、オルフェーヴルが6枠9番、トーセンジョーダンは6枠10番になった。有馬当日引退式が正式に決まったブエナが勝つのか、三冠馬オルフェーヴルが勝つのかが焦点といって良いレース。ファンはそれを観に競馬場へ行くだろうが、馬券が売れないだろうと思う。 


 12月24日(土) 曇 28889

 ラジオNIKKEI杯を勝ったのは、1戦1勝のアダムスピーク。相当の強さ。2着に入ったゴールドシップも後方から怒濤の追い込みで鬼脚を見せた。他の期待馬はがっかりの内容だった。夕飯を済ませて茶店に行って有馬の予想。動かし難く2頭の馬しか思い浮かばない。いわずと知れた、ブエナビスタとオルフェーヴル。どっちが勝つかといえばブエナの方。清水成駿は、オルフェーヴルだというが、いずれにしても1点勝負の馬券だろうと思う。最終的には、中山競馬場でパドックを観て決めるが、そうなると思う。

 廻りの知り合いの予想を書いておく。Kは、ヴィクトワールピサ、ブエナビスタの馬単1点。Tは、オルフェーヴル、トーセンジョーダン、ブエナビスタ、アーネストリー。Yは、オルフェーヴルとブエナビスタの2頭軸で3連単か3連複と言っている。Aは、ブエナビスタ、オルフェーヴル、トーセンジョーダンのボックス。1年の総決算有馬記念。明日は、クリスマスじゃなく、有馬記念の日なのだ。

 西武新宿線で脱線事故が夕方起こったようだ。明日はJRで行くか。


 12月25日(日) 晴 7595

 中山競馬場へ行ってきた。パドックに行くも有馬の前のレースのパドックが終わったあとで、空いているスペースがない。仕方なしでTVモニターでパドックを見ることにした。でも、これじゃよく分からない。微妙なところが肉眼と、TVモニターじゃ違うのだ。デジタル化された信号のTVモニターじゃ俺のセンサーは感度が70%位に落ちてしまうようでいまいち解らないのだ。太いとか、歩様が悪とかそういうのは解るが、馬が醸し出す何とも言えない雰囲気というのが感じられないのだ。

 ブエナビスタはJCと変わらず良い雰囲気だ。オルフェーヴルも良さそうだ。この馬はパドック観たことがあるのか?皐月賞が東京競馬場だったが見に来たかどうか覚えていないのだ。ヴィクトワールピサは明らかに太い。

「スタートでは9番オルフェーヴルがモッサリ。2番ヴィクトワールピサもあまりダッシュがつかず、押っつけて出て行った。飛び出したのは12番アーネストリー。楽に先頭に立ち、1馬身ほどのリード。ヴィクトワールピサもすぐに挽回して2番手。並んで10番トーセンジョーダン。1番ブエナビスタも好位の4番手。それから7番トゥザグローリー、5番エイシンフラッシュがかたまっての追走。中団の外に13番レッドデイヴィス。中に8番ローズキングダム、内に3番ヒルノダムール。1馬身差で6番キングトップガン、11番ジャガーメイル。後方から2番手にオルフェーヴル。最後方に14番ルーラーシップという隊列となった。

一周目のホームストレッチに入り、アーネストリーのリードは1馬身。ペースが完全に落ち着き、スローの展開。単独2番手にヴィクトワールピサ。2馬身差の3番手にトーセンジョーダンとブエナビスタが並んでの追走。中団ではローズキングダムが掛かり気味で、オルフェーヴルは後方のイン。2コーナーをカーブし、淡々とした流れが続く。途中に14秒台のラップが2つ入る、異例とも言える超スロー。各馬が押さえられて向正面に入った。ペースアップはラスト1000mから。アーネストリーのリードは変わらず、2番手以降も余裕で追走。レッドデイヴィス、ジャガーメイル、そしてオルフェーヴルが外に持ち出されてペースアップ。前を追った。

アーネストリーが1馬身のリードを保ち、4コーナーをカーブして最後の直線へ。2番手はヴィクトワールピサ、内を狙ってブエナビスタ。馬場の中ほどからトーセンジョーダンとエイシンフラッシュ。その外にオルフェーヴルが迫り、凄い勢いで加速を増した。先団で5頭ほどがかたまっての叩き合い。ブエナビスタは早々に内で脱落してしまう。坂での勢いは完全に外のオルフェーヴル。アーネストリー、トーセンジョーダン、ヴィクトワールピサを難なく飲み込み、食い下がるエイシンフラッシュも振り切り、単独先頭。最後はさらに外からトゥザグローリーが追い上げるが、オルフェーヴルが堂々と先頭でゴールを駆け抜けた。

少頭数の上、逃げ馬が不在。勝ち時計の2分36秒0は過去10年で最も遅く、異例の超スローペースとなった。レースのラスト4ハロンが11秒9-11秒4-11秒3-11秒3という完全な瞬発力勝負。普通はペースが遅くなると前の馬が止まらないものだが、今回は前々につけていた馬が全滅。後方に馬に飲み込まれた。序盤の位置取りが悪くなったオルフェーヴルだが、向正面の途中で外に出し、4コーナーをマクリ気味にスパートし、射程圏内に捕らえることができた。こうなると瞬発力に勝る同馬の独壇場。歴戦の古馬をねじ伏せるように坂を駆け上がり、勝利を飾った。3歳最強から現役最強馬へ。高らかに世代交代を示し、「世界の舞台へ」と夢は託された。

ブエナビスタも瞬発力勝負ならば当然負けていないが、最後の直線途中から馬群に沈んだ。国内では最低着順となる7着。長らくトップパフォーマンスを続けていたことによる疲労が、最後の最後で出てしまったのかもしれない。」 ーーJRA・VANよりーー

 ブエナとオルフェーヴルの1点勝負は儚くも夢と消えた。スタート直後に押して出て、いつもと違う感じで、直線前に岩田の追い出しのタイミングが悪かったのと、追い出されてからの反応が悪かった。レースは超スローペースで、前にいた馬が全滅状態。これじゃブエナじゃない。それにしても、池添は落ち着いていたし、オルフェーヴルの強さだけが目立ったレースだ。1年の総決算有馬記念が終わった。やっぱり今年は最悪の年だった。大震災で、気持ちも、気分も最悪で懐まで・・・。これで1年が終わろうとしている。


 12月26日(月) 曇 9979

 有馬の総括。アーネストリーが作り出した超スローペース。道中かかっている馬も多かっただろう。オルフェーヴルは後方でかかっていたと池添が証言している。流れとしては非常にきつい。前に行っている馬が有利に作用する。それでも最後の直線でねじ伏せるような勝ち方をしたは、本当に強い証拠。

「出走馬全頭のGIタイトルを合わせると史上最多の「19」。そんな空前絶後の“有馬劇場”で主役を射止めたのは、3冠馬オルフェーヴルだった。

 主導権を握ったアーネストリーが1000メートル63秒8の超スローペースを作り出すなか、オルフェーヴルはなんと後方を追走。展開を考えると絶体絶命ともいえるポジションだったが、そのことがオルフェの強さをさらに引き立たせた。

 一気にペースアップした3コーナー過ぎ。オルフェは外めを駆け上がって徐々にポジションを押し上げると、直線では馬場の外めを一気に伸びた。上がり3ハロンはメンバー2位タイの33秒3。最後は内で伸びるエイシンフラッシュを3/4馬身退け、栄光のゴール板を駆け抜けた。3冠馬が3歳時に有馬記念を制覇したのは、84年シンボリルドルフ、94年ナリタブライアンに続く3頭目。ディープインパクトでさえ成し遂げられなかった偉業達成だ。

 そのオルフェーヴルには来年、凱旋門賞挑戦が待っている。「まだまだ強くなる」とはレース後の池添騎手。国内にもはや敵はいない。2012年の競馬界は、いよいよオルフェ時代に突入する。

 オルフェーヴルは父ステイゴールド、母オリエンタルアート、母の父メジロマックイーンという血統。全兄ドリームジャーニーは09年の同レースを制しており、兄弟での有馬制覇は史上初。通算成績11戦7勝。重賞は11年のスプリングS(GII)、皐月賞(GI)、日本ダービー(GI)、神戸新聞杯(GII)、菊花賞(GI)に続く6勝目。GI4勝目。池添謙一騎手、池江泰寿調教師はともに09年ドリームジャーニー以来2度目の有馬記念制覇。」

「現役最強、いや史上最強だ。雲がかかり、薄暗さを増した師走の中山で、黄金色の馬体がひときわ輝いた。女傑ブエナビスタを抑えて、1番人気に支持されたオルフェーヴルが、大外から12頭を豪快に差し切って3歳4冠目を獲得。11万を超える大観衆に、3冠馬の強さを見せつけた。

 「内の馬も来ていることは見えたが、ねじ伏せるように伸びてくれた。もう“強かった”という言葉しか出てこない」

 池添謙一騎手(32)=栗東・フリー=が、興奮冷めやらぬ表情で振り返った。

 秋2戦にはなかった、まさかの出遅れで序盤から厳しい展開をしいられた。前半1000メートルは1分3秒8の超スローペース。最後方まで下がり、行きたがる面も見せるなど、一時は絶望的と思われた。

 しかし、それらは3冠馬にとっては些細なことだった。向こう正面で外に出されると、2周目3コーナーから進撃を開始。「沈みこむ感じで抜群のスピードの乗り」というコーナリングで5番手に取り付き、直線入り口で早くも前を射程圏に入れた。さすがに相手は歴戦の古馬。内から伸びた昨年のダービー馬エイシンフラッシュに抵抗されたが、直線半ばで先頭に立ってからは一度も前を譲らなかった。

 検量室前に引き揚げてきた池添は「よっしゃあ!」と、馬上で力強く両腕を突き上げ、喜びに浸った。「3歳世代が弱かったから3冠が獲れたと言われたりもしたが、この馬が一番強いと自信を持って乗った。日本最強を証明できてよかった」。女傑ブエナビスタとの最初で最後の対決を制し、オルフェーヴルは正真正銘の日本一に輝いた。ジョッキー自身も05&06年の武豊騎手、07年の安藤勝己騎手と並ぶ年間最多記録のGI6勝目となった。

 池江泰寿調教師(42)=栗東=は、装鞍所で体つきを見て勝利を確信していた。レース後には「力が抜けているのがわかっていた。2キロの斤量差があったから3馬身くらい差をつけると思っていたけど、さすが古馬だね」と本音をポロリ。09年の全兄ドリームジャーニーとの兄弟制覇は有馬史上初となった。

 この勝利で来年のプランが上方修正されるかもしれない。「揚がってきても息がすぐに整った。これならドバイもなきにしもあらず」とトレーナーは来年3月31日に行われるドバイ国際競走のドバイワールドCか、シーマクラシックの参戦をほのめかす。最大目標である秋の凱旋門賞の前に世界で雄姿が見られるかもしれない。

 「遅生まれ(5月14日)なので、乗るたびに乗り味や走り方が全然違う。来年はもっと良くなるし、夢が広がります。きょうは日本一を証明できたし、来年は世界一をとりたい」

 主戦の池添が胸を張る。国内最強から世界最強へ。オルフェーヴルの新たな伝説が、ここから始まる。」 ーーサンスポよりーー

 有馬が終わって帰ろうと外へ出たら、雪が降り出した。引き返して地下道を歩いて船橋法典駅に向かった。あの雪は、ブエナの涙雪だったのか・・・。ブエナファンの心象風景が涙雪になったのか・・・。電車に乗って移動したら雪は降っていなかった。不思議な雪だった。


 12月27日(火) 曇 16789

 去年までは、年末というと、テレビガイドを買って、どの番組を観るか、予約するかを考えていたが、地デジになって地デジ対応していないので、全くTVが観れない状態になっているので、どの番組を観るかというのを考えなくていい。もし観たいと思うなら、スポーツ中継か、正月の落語か、NHKのドキュメンタリーとか、教育TVの番組ぐらいだろう。

 そういうわけで、音楽聴くか、DVDを観るか、何処でも出来る読書をするかして過ごそうと思っている。

 「以上のことから私なりの言いかたでもう一度整理しますと、「スコアの元はルールとロールとツールにある」ということです。ルール(決め事)とロール(役割)とツール(道具)は三つでひとつなんです。それがスコアを生んできた。このルール・ロール・ツールのことを私は「ルル三条」(笑)と言っていますが、この三つがたいていは新しいシステムになっていくわけです。」 ーー『連塾 方法日本U 侘び・数寄・余白−−アートにひそむ負の想像力』 松岡正剛著よりーー

 風邪でもないのにルル三条。ってとこかな。


 12月28日(水) 曇 7855

 角が顔面を貫通して大怪我を負ったファン・ホセ・パディージャは、3月のオリベンサでの復帰を目指しているという。人はどういう状況になっても、希望を見いださなければならない。そういうことを、パディージャは体現しようとしているような気がする。未だに左目は閉じられたままだ。それでも闘牛がやりたいという気持ちが強いようだ。


 12月29日(木) 曇 8596

 明日から全国高校サッカー選手権が始まる。5年前の85回大会優勝以来の出場になる母校。今年は久々に良いところまで行きそうな雰囲気がある。初戦が大阪代表の近大付属。次が聖和学園と香川西の勝者。次が、西宮と山梨学院の勝者。その次がおそらく、青森山田。準決勝まで行ければ市船と出来れば嬉しい。日程的にきついが、走り込んできたはずなので、後半勝負の試合が出来れば面白いと思う。キャプテンは優勝の時と同じ藤村という名字。盛岡には、この名字が多い。これも吉兆と思えば嬉しい。まあ験担ぎだ。

 天皇杯決勝は、史上初めてJ2同士の対決になる。J2が決勝に出場するのが初めてで、しかも、J2同士というのは何ともJ1が情けないが、これもトーナメント方式の宿命のようなモノ。


 12月31日(土)17932/2

 宮沢賢治の詩に、『永訣の朝』と言うのがある。2つ違いの妹のとし子の臨終が書かれている詩だ。

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)  (中略)

蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

 妹のとし子は、死ぬ間際になって悲しむ兄の賢治に、明るい気持ちになれるようにと気を遣って外で降る雪をお椀に取ってきて欲しいと頼むのだ。それに対して賢治は、「ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから」と決意を心に刻むのだ。先に行く人、あとに残る人。

 今年は、東日本大震災で、東北3県では多くの人が亡くなった。残った人の心に刻まれた傷は、消えることはないだろう。それでも、生活をして生きていって欲しい。周りの人を支え、周りの人に支えられ、気を遣い、気を遣われ、人はその社会の中で、孤立することなく、解け合って生きていって欲しいと思う。賢治が、妹の言葉に、「わたくしもまっすぐにすすんでいくから」と決意したように・・・。

全国高校サッカー選手権の開会式で、東北3県の高校は、横断幕を掲げて入場した。「大震災で被災した岩手、宮城、福島の代表校が、開会式の入場行進で復興支援への謝意を記した横断幕を掲げた。「震災復興支援に対し感謝いたします」などと書かれていた盛岡商の藤村慶太主将は、「自分たちが(いろいろな人の)思いを背負ってやっていかなきゃと思います」と神妙な表情。選手宣誓では奈良育英の山田真史主将が、「人々は手を取り合い、助け合うことで前に進んでいきます」と訴えた。」 ーーサンスポよりーー

 母校が掲げた横断幕には、「震災復興支援に対し感謝いたします 共力 再喜 復幸 」と書かれていた。残念ながら1回戦で完敗した。それもまた現実だからしょうがない。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 ーー宮沢賢治よりーー


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