−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年のスペイン滞在日記です。
12月13日(火) 晴 10049
本人に非がなくて、悪口を言われることは、ままある。これは交通事故だと思った方が良いと言うときもある。しかし、明らかに非がある方が、間違っていないと、廻りに思われ、非がない方が、悪者にされるときがある。これは悲劇だ。でも、そういうことがあるのが人生だ。それはそれとして素直に受け入れるしかない場合がある。それでも、ちゃんと判っている人はいるモノで、精神的に支えてくれる。本当にありがたいことだ。
俺は俺にしかできない人生を歩いているつもりでいる。それを批判されても、会話は成立しない。拒否があるのみ。説明もなければ、話し合いも出来ない人たちとは、関わり合いたくない。これまでやってきたことを、一つも認めない人には、背中を見せて関わらない方がいい。時間を無駄にしなくて済む。話が出来る人なのかどうか見極める必要もあるが、存在を否定してくる人には、その必要を感じない。感覚的に全て拒否してしまう。そういう激情が沸き起こった時は、全てに関わりを持たない方が身のためだ。
人間関係は非常に難しいが、ドラッカーの『マネジメント』の様な世界は、前向きに人生を歩もうと言う人にとって、非常に参考になるが、そういう人たちだけが、世の中にいるとは限らないのだ。前向きじゃない人には関わらない方が良い。暗い話だが本当だ。
ドラッカーの生徒で、後にある会社のCEO(最高経営責任者)に就任した人が、授業で印象に残っていることがあるますかと、問われて、古びたメモを出して、そこには、授業中にドラッカーが黒板に書いた事が記されていたという。
「あなたは会社で敬意を払われていますか?」
「あなたが仕事上の能力をつけようと思って、勉強しようと考えたり、自己啓発に励もうとした際に、会社は応援してくれますか?」
「あなたが会社に貢献していることを、会社は知っていますか?」
ドラッカーはこれを黒板に書きながら「この三つの質問を社員に問いかけてみて、何割の社員が「イエス」と答えるかによって、その会社がいかほどのものかが分かる」と話したそうです。 ーー『100分
de 名著 マネジメント ドラッカー』上田惇生よりーー
会社を自分が所属する組織に置き換えて考えてみれば分かるだろう。ドラッカーは、本質的な事をこういう言葉で学生たちに問いかけていたのだと思う。少なくても15年間所属した組織は、俺に「ノー」を突きつけた訳だ。不愉快極まりない事だが、もうこれ以上関わらない方が良いと思った強烈な理由だ。それでも、俺は悪者になっているようで、それはどうしようもないことで、もう勝手にしてくれとしか言いようがない。散々根拠のない悪口を流したようだ。結局そういう人たちを相手にやっていたと言うことで、うんざりしたし、馬鹿馬鹿しくなった。そして、『四月十日の唄』が、頭の中に流れたのだ。
くだらないことは辞めたら、気分がスッキリし出した。京都に行き、奈良に行き、今まで制約を解き放ち、好きなことが出来るようになった。自分だけが集団を背負っている幻想に囚われていただけだった事に気付いた。嫌だと言うことを、無理矢理ごり押しされたから、俺も切れた!あそこまで強引にするなら、それなりの覚悟があるのだろうと思ったし、こっちの覚悟を語ったが、そういうことすら解らない人たちだったようだ。でも、それももう終わったことで、吹っ切って今は前に進んでいる。あれから2年が過ぎた。
もう邪魔はさせないし、邪魔できないはずだ。もう関わり合いがなくなったわけだから。支えてくれる少人数の人たちを相手にしてやっていきたいし、自分の好きなように、好きなときに、やっていくつもりだ。自分の「強み」を生かしてやっていこうと思う。
「ドラッカーは、マネジメントには以下の三つの役割があると定義しています。
「自らの組織に特有の使命を果たす」
「仕事を通じて働く人たちを生かす」
「社会の問題について貢献する」 」 ーー『100分 de 名著 マネジメント ドラッカー』上田惇生よりーー
ワクワクドキドキ出来なくなったモノにはおさらば。ワクワクドキドキ出来るモノをこれからもやっていきたい。
処で、ラス・ベンタス闘牛場の興行権の入札は2つのグループのに絞られたようだ。新しいタウロデルタとUTE。タウロデルタには、シモン・カサス、トーニョ・マティジャが入っているのには驚いた。タウロデルタが有利だろう。そしてシモン・カサスとマティジャがいれば、当然ホセ・トマスは出場するだろう。
12月15日(木) 曇 24348/2
たばこ屋に行ってたばこを買おうとした、あらと言って女将と話になった。また、外国行かないの?と言うので、この間、京都に行ってきた話をした。そうしたら、6月の新緑の時期に京都に友人と行ってきた話を始めた。大原の三千院に始めていった事など言う。子供の地蔵があってとかいうので、こっちも行ってきたばかりだから、京都の話に乗った。永六輔の歌聴いただけで行きたくなる三千院の話。南禅寺の水道閣や、修学旅行で行った清水や奈良の話まで出てきた。
紙っていう字に似た字を書くお寺に行ったのよ、それが素晴らしかったと言うので、祇王寺じゃないかなと言った。確かに今年、そこに行こうか迷った寺だ。新緑の時期でも素晴らしいなら、紅葉の時期は物凄いだろうと思った。京都は行けば行くほど、時期を変えて行きたくなるところだ。そんな長話をして、洗濯が出来たので取りに行き、それからスパに行った。
スパに行く前に、味噌ラーメンを食べた。スパ行って風呂に入り、蒸し風呂、体を洗って岩盤浴。どうも腹の調子が悪い。腹が張る。ガスが溜まる。トイレに行くが、おならばかりが出る。14日もつけ麺を食べたら、腹の調子が悪かった。あの麺が腹の調子を悪くするのかも知れない。でも、たまに食いたくなるのが、ラーメン。こういう風に腹の調子が悪くなるなら、やめた方が良いのかも知れないと思った。
12月16日(金) 曇 13009
奈良には、おそらく枯山水の石庭はないだろう。枯山水は禅寺が増えてくる鎌倉時代以降のモノだから。方丈という言葉も、禅と共に入ってきたモノ。ただ、運慶が奈良で活躍した時代は、鎌倉。奈良にも武家の影響で禅寺が入るだろうが、京都のようなモノはないだろう。方丈記に書かれた、「物の哀れ」は禅の考え方と一致しているのだろう。平家滅亡、建礼門院、鴨長明。武士の政治が京都と日本にもたらした日本仏教の革命だ。
同時代に、法然、親鸞、一遍、栄西、道元、日蓮、日親、連如が出てきて、まさに仏教界に革命が起こった時代だ。京都に住みたいなぁ。
12月17日(土) 曇 14240
有馬記念までに、お金を貯めないといけないのに貯まらない。今日の中山10R1着入選のヒラボクマジック横山典弘が、落馬したオリエンタルジェイ田辺の進路を妨害したとして、失格処分になった。パトロールビデオを観たが、あれで進路妨害を取られるというのはおかしいと思う。田辺の進路取りの方がプロとして甘いと思う。自分でつまずいて転んだ感じだ。長い審議だったが失格処分になり横山典弘は有馬記念に乗れなくなった。がっかり!
典ちゃん後を振り向きもしていないので、接触していないと思う。ビデオでもそう見える。それなのに落馬したことで失格処分。確かに外に出しているが、レースの流れで出しているだけで、急な斜行ではない。納得いかない審議結果だ。あれで失格になったら、どうやって馬を追うのかと言う、感じになると思う。典ちゃん腐るなよ!
12月19日(月) 曇 26789/2
金正日が死亡した。「北朝鮮の報道によると、金正日(キム・ジョンイル)総書記(69)が17日午前8時半に死去してから19日正午の発表までに51時間半かかった。94年7月に死去した父、金日成(キム・イルソン)主席のときの約1.5倍の時間だ。今回の発表で、北朝鮮はこれまで金主席と金総書記にしか使わなかった「領導者(指導者)」という言葉を後継者の三男、正恩氏に初めて使用。「死去から発表までの間にも最後の権力固めが続き、時間も必要だった」との見方も出ている。
ラヂオプレスによると、金主席は94年7月8日午前2時に82歳で死去し、翌9日正午に「訃告」の特別放送で発表された。発表まで34時間だった。 当時は「国家葬儀委員会」の名簿や「心筋梗塞(こうそく)」だとする病理解剖検査に基づく「医学的結論書」などが発表された。「発表内容の構成は今回とほぼ同じ」(ラヂオプレス)
しかし、17時間半の差がついた。金主席は北朝鮮中部の景勝地、妙香山で死去したとされるが、金総書記は「現地指導の途上」とだけ明かされ場所は不明だ。 このため、遺体の搬送に時間を要したことも考えられるが、ソウルのある外交筋は「死後の権力闘争や、指導階層の動揺を鎮める作業に時間がかかった可能性もある」と指摘する。 後継者に指名されてから20年の歳月をかけてトップに就いた金総書記と違い、正恩氏は若く対外デビューも昨年で、権力基盤はまだ弱いとみられる。 また、ラヂオプレスによると今回初めて「わが党と軍隊と人民の卓越した領導者」と正恩氏を紹介。領導者は最高首脳を表し、この外交筋は「こうした用語の使用をめぐっても議論が続いたかもしれない」と言う。
死去の報道があったこの日のうちに、朝鮮中央通信は「金正恩同志の領導に従う」という平壌市民らの言葉も伝えており「正恩氏をもり立てる準備にも時間が必要だった可能性がある」(ラヂオプレス)。」 ーー毎日新聞よりーー
突然の死。これで何が変わるのか?
殆ど予想していなかった朝日杯は、気付いたときは発走2分前。これじゃ買えないのでやめた。こっちも順調にいけば来年のクラシックに繋がりそうな馬が勝った。こういう感じで有馬記念を迎えるのは何とも残念だ。取り合えず負けなかったということを良しとするしかない。
「サッカーのクラブ世界一を決めるクラブワールドカップ(W杯)決勝が18日、横浜国際総合競技場で行われ、欧州チャンピオンのバルセロナが南米王者のサントスを4−0で下し、2年ぶり2度目の頂点に立った。
バルセロナはメッシのゴールで先制すると、シャビ、セスクが立て続けに決め、前半のうちに3点をリード。後半に入ってもメッシがこの日2点目を奪い、サントスをまったく寄せつけずに圧勝した。試合後、バルセロナのメッシは「世界一のタイトルを獲ることができてとても幸せ」と喜びを表現。また、イニエスタは「完ぺきなゲームだったと思う」と試合内容にも満足感を示した。
■メッシ「素晴らしいファイナルとなった」
皆さんが見た通り、このチームには素晴らしい選手がそろっている。今日の試合ではサントスをかなり上回るサッカーができた。早い時間で先制点を奪うことができ、僕たちにとっては素晴らしいファイナルとなった。世界一のタイトルを獲ることができてとても幸せだ。僕たちのサッカーは相手が誰であれボールを持つこと。今のチームにいる選手たちとプレーしていればすべてがたやすくなる。個人の賞はもちろんだけれど、チームとして勝てたことがうれしい。
■イニエスタ「強さはボール保持にこだわり、実現できるところ」
完ぺきなゲームだったと思うし、今日はとても幸せ1日になった。このチームの強さというのはボール保持にこだわり、それを実現できるところにある。(歴史を作り続けているが)とにかく僕たちは目の前にある試合を全力でプレーしていくこと。このタイトルのように次にいつチャンスが来るのか分からないのだから、目の前の試合やタイトルに集中していくしかない。その姿勢が成長を促してくれると考えている。どこまでいけるかは分からないけれど、いけけるところまで自分たちのスタイルを貫いていきたい。
(簡単な試合に見えたが)結果的にはそう見えたかもしれないけれど、その背後にはしっかりとした相手の分析がある。自分たちの良さを最大限出すためにどこを突いていくかはどんな試合でも考えていること。
(ビジャにささげる優勝か?)はい。けがは彼にとっても僕たちにとっても不運なこと。だからこそ、このタイトルを獲って彼やティト(ビラノバ)にささげたいと思っていた。それを実現できて満足している。
(バルセロナの守備も素晴らしかったが)重要なのは攻守のバランス。僕たちは各ポジションでの役割を認識しながら全員で攻撃をして全員で守備をする意識を持っている。その意味では満足すべき試合だったと思う。
(先発11名のうち9名がカンテラ出身だったが)誇らしいこと。今日のサッカー界においてそういうチームに出会うことは難しいけれど、バルサはそのテーマにおいても満足することができるだけの成果を上げている。
■セスク「クラブレベルでの世界一は長年の夢だった」
クラブレベルで世界一のタイトルを獲ることは長年の夢だったし、それが実現できてとてもうれしい。ただ、ここで止まるつもりはないし、まだまだこの調子でタイトルを獲り続けていきたい。
(カンテラの選手が9名先発していたが)バルサのカンテラのレベルというのはとてもいい。監督もカンテラのことを信頼しているし、素晴らしいことだと思う。
(移籍して半年ですでに3つのタイトルがそろったが)バルサに移籍してきた時点で年内に3つのタイトルを獲れる可能性があるのは分かっていたが、まさかすべてを獲れるとは想像していなかったから、とても満足している。」 ーースポーツナビよりーー
勝つべくして勝ったバルセロナ。レアル・マドリードと違い、カンテラ出身者が多い。長年に渡る選手育成の成果がこういう試合をさせているのだろう。
12月20日(火) 晴 10813
貰った酒を飲んだ。これは冷凍庫に入れても凍らないテキーラだから、といっていたが、美味しい。勿論、ストレートで飲むのがテキーラの飲み方。減塩生活をしているので、塩は舐めなかった。それでもかなり美味し良いテキーラであることが解る。瓶に番号まで振ってあるし、凄いモノを貰ったようだ。京都で撮った写真をCDであげたら、お礼に貰ったモノだ。彼の嫁さんは南米の人で、毎年日本の風景を年賀状にして送っているというが、今回は、写真を使わせて貰いますと言うことだ。
どうやら、マドリード、ラス・ベンタス闘牛場の興行権は、新しいタウロデルタが取ったような事になったようだ。こうなれば、来年のサン・イシドロのカルテルがどうなるかということ。 ユーロは、ギリシャ問題などで下落して1ユーロ=100円が目前になってきた。
12月21日(水) 晴 24204
東京も寒くなってきた。夜中に雪がちらついていたという。吐く息は白くたばこを吸っているときのようになる。年の瀬になって、街中には、クリスマス・ソングが流れているのだろうが、あまり、そういうところを通らないので、聴かない。煩わしいので聴きたくないので丁度良い。
夕食を早めにとってスパに行ってきた。腹が空いたのでこれから食事を作ることにする。
12月22日(木) 晴 10369
今日は朝食を作っていたら、包丁で指を切ってしまった。スパに行く予定でいたが、取りやめにした。
映画監督の森田芳光が死亡した。「 「家族ゲーム」「失楽園」など数多くの話題作を発表した映画監督の森田芳光(もりた・よしみつ)さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。61歳だった。東京都出身。今秋から体調を崩し、入退院を繰り返していた。来年3月24日に最新作「僕達急行 A列車で行こう」の公開を控えていたが、これが遺作となってしまった。突然の悲報に芸能界には衝撃が走った。
「A列車で行こう」の宣伝プロモーションも既に動きだし、森田監督も張り切っていた矢先の無念の死だった。交通新聞社が運営するサイト「トレたび」には「鉄道が“少し好きです。”」というエッセーを10月から月イチで連載。亡くなった20日は3回目がアップされた日だった。
関係者によれば、長年C型肝炎を患っており、日頃から摂生に努めていた。酒も口にしなかった。松山ケンイチ(26)と瑛太(29)を起用し、昨年9月から10月にかけて九州と東京近郊で行った撮影は乗り乗りで、本人もラスト作になるとは思わなかったに違いない。
体調が悪化したのは今年秋。関係者は「3カ月ほど前にも一度危険な時期があった」と明かし、この際は持ち直したものの、12月に入って容体が急変。13日に入院したが、腎臓にも異常が見つかり、ついに帰らぬ人となった。臨終はプロデューサーでもある和子夫人がみとったという。遺体は自宅ではなく都内の安置所に移された。
81年に「の・ようなもの」で商業映画にデビュー。脚光を浴びたのは松田優作さんが風変わりな家庭教師に扮した「家族ゲーム」(83年)だった。横一列に並んで座る食卓の風景で空疎な時代の空気を活写。ホームドラマの概念を壊し、ブルーリボン賞監督賞などをさらって実力派の若手監督として注目された。
役所広司(55)と黒木瞳(51)が主演した「失楽園」(97年)は社会現象にもなり、夏目漱石原作の「それから」(85年)、宮部みゆきさん原作の「模倣犯」(02年)、向田邦子さん原作の「阿修羅のごとく」(03年)など文芸作にも力量を発揮。黒澤明監督の名作「椿三十郎」のリメークに挑むなどチャレンジ精神も旺盛だった。
「黒澤監督がシンザンなら僕はシンボリルドルフになりたい」と話すほどの競馬好きで知られ、89年の日本ダービーでは一口馬主だったリアルバースデーが2着。豪快に笑った笑顔が忘れられない。」 ーースポニチよりーー
今年、スペインに行った帰りの飛行機で、森田監督の『武士の家計簿』を観た。堺雅人と仲間由紀恵の夫婦役で、堺は勿論良かったが、仲間由紀恵の控え目な女房役がやけに印象に残った。ここにもいたC型肝炎。もっと映画を作りたかっただろうなぁ。それと、今年の有馬記念観たかっただろう。ブエナか、オルフェーヴルか。
偶然だが、今日は久々に映画を観てきた。『エル・ブリの秘密 世界一予約が取れないレストラン』を観た。ドイツ人が作ったドキュメンタリー映画。ミシュランで三つ星レストランに選ばれて、1日45人だけにコース料理を振る舞い、半年間しか営業しないバルセロナ近郊のレストラン。料理界の革命児フェラン・アドリアと弟子たちの奮闘を描いている。
今年で営業をやめた。この映画は、2009年に撮影されたモノで、エル・ブリが営業しなくなったから公開されたのか?その辺はよく分からない。映画は、半年の営業を終えて、翌年出すメニュー作りをするところから始まる。泡の料理、真空パック、日本の食材を取り入れて、美味しいだけじゃなく、驚きを演出する。その為にどういう事をしなければならないかということが、この映画の中に入っている。まあ凄い!そして、このコース料理一体いくらするのだろうと思ってしまう。
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