断腸亭日常日記 2008年 その6

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年1月1日〜1月28日
1月29日〜2月25日 2月26日〜3月30日 3月31日〜4月24日 4月25日〜5月22日
5月23日〜6月16日 6月19日〜7月28日 7月29〜8月13日 8月14日〜9月7日
9月8日〜10月7日 10月9日〜11月10日 11月11日〜12月31日 2006年1月2日〜2月9日
2月10日〜3月17日 3月18日〜4月12日 4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日
5月30日〜6月19日 6月22日〜7月22日 7月23日〜8月17日 8月20日〜9月12日
9月13日から10月9日 10月10日〜11月18日 11月19日〜12月30日 2007年1月1日〜2月25日
2月26日〜4月19日 4月20日〜5月19日 5月20日〜6月16日 6月20日〜7月31日
8月1日〜9月1日 9月3日〜9月18日 9月19日〜10月21日 10月23日〜11月16日
11月17日〜12月31日 2008年1月1日〜2月3日 2月4日〜3月21日 3月23日〜5月12日
5月13日〜6月16日 6月17日〜7月18日 7月19日〜8月11日 8月12日〜8月19日

 8月21日(木) 晴 55150/2?

 昨日は、上野由岐子にしびれた。1日で2試合に登板。両方とも延長戦になり合計で、21イニング、318球の完投だった。日本TVはCMを流さずにTV中継をした。それには敬意を表したい。

 「 世界最高のピッチャーが日本の夢をつないだ――北京五輪のソフトボール競技は20日、セミファイナル2試合とファイナル1試合が行われ、日本は第2セミファイナル(準決勝)で米国に敗れたものの、ファイナル(3位決定戦)でオーストラリアを下し、翌日のグランドファイナル(決勝)進出を決めた。

 1次リーグを2位で終えた日本はまず、午前中に同1位の米国と対戦。勝てばグランドファイナル進出が決まる一戦だったが、延長タイブレークの9回で1−4と敗れた。午後には、同4位のカナダを下した同3位のオーストラリアと対戦し、延長タイブレークの末に12回サヨナラ勝ち。2大会連続の銀メダル以上を確定させるとともに、悲願の金メダルへ望みをつないだ。タイブレーク突入の2試合、合計21回を、エースの上野由岐子が一人で投げ抜いた。

■勝負に出た米国との準決勝
「ページシステム」と呼ばれる、敗者復活戦を含む変則的なトーナメントに方式により、日本は決勝戦へ進むまでに最多で3度、絶対的なライバルである米国と戦う可能性があった(そして現実にそうなった)。

 グループリーグの対戦では上野を温存して敗れたが、この日は先発にエースを起用して勝負に出た。上野は期待に応える働きで、規定の7回を無失点と好投。ところが、不安視されていた打線がブレーキとなった。グループリーグでも対戦した左腕アボットをまったく打ち崩せない。「ピンチの次にチャンス……」がなかった。
 タイブレークに突入した8回表、後攻の日本が無死一三塁の場面を切り抜ける。しかし、直後に無死二塁から始まった8回裏は、あっさりと三者凡退。守備で作り出したリズムをみすみすと手放してしまった。そして米国は、この悪い流れから勝利を譲ってくれるほど甘い相手ではなかった。米国は9回表、無死二塁から単打で1点を獲得して自慢のクリーンアップへつなぐと、3番のメンドーサが四球を選んで出塁。無死一、二塁から4番のブストフが、豪快な一振りでレフトスタンドへ3ランをたたき込んだ。

 9回裏に日本も1点を返したが、そこまで。エースを起用しての接戦に敗れ、この時点で日本が優勝するためには、同日にもう1試合を勝った上、翌日に「3度目の正直」で米国を破らなければならなくなった。外野席で見守った男性ファンは「決勝には行ってくれると思うけど、ピッチャーをこの後どうするのか」と気をもんでいた。

■涙を抑えきれない感動の死闘
 そして迎えたオーストラリアとのファイナル、マウンドには再び上野が立っていた。延長9回を投げ抜いた試合から、わずか5時間ほどしか経っていない。「上野ならこの厳しい1日を乗り越えてくれる」という期待が強く伝わる連投だった。

 さすがに疲労感はぬぐえず、米国戦に比べると安打を許すシーンが少なくなかったが、それでも要所を締めた。1回表に1点を失うも、4回裏に広瀬芽が2ランを放って逆転。最終7回表を2死走者なしの状況まで進め、決勝進出まで残るはあと一人と迫った。しかし、ここでまさかのソロホームランを浴び、米国戦に続き再びタイブレークへ突入。早く上野を助けたい日本だが、チャンスを生かしきれない。10回裏には、開始時の二塁走者である峰幸代が捕手からの送球で刺されるというミスを犯し、嫌な流れとなる。それでも延長11回に1点を先行されるも追いつくという執念を見せると、最後は延長12回裏、1死満塁から西山麗がサヨナラ打を放った。

 この試合だけで約3時間半。大激戦を制した日本の応援団は、沸き上がる中で目に涙を浮かべる者が少なくなかった。内野席は日の丸に埋め尽くされていたが、多くの観客がセミファイナルで上野が力投していたことを知っていた。死闘を見守った女性観客は「感動した」と誰に言うでもなく、つぶやいて目頭を押さえた。
 内野席で応援の音頭を取っていた畠山秀明さん(ルネサス高崎応援団・主将)も「まだ(明日が最大の勝負なんだから)泣いちゃいけないんだけど」と言いながら、目を潤ませていた。2試合で合計21回を投げ抜いたエースには、「世界最速」だけでなく、「世界最高」の形容詞がふさわしい。
「上野の首に、いや右腕に金メダルを」――すべてを出し尽くして苦戦必至の決勝戦だが、考え得るラストシーンはそれしかない。」 ーースポーツナビよりーー

 「 【上野トーク】気持ちだけで投げてました
 「−−3試合分投げた
 「そうですね。でも、思ったよりも最後までボールが抜けずに投げられた」
 −−1日300球を投げたことは
 「延長2試合はないですね。勝ったうれしさで興奮してますけど、体の疲労感は出てきている」
 −−最後、決まった瞬間は
 「本当にみんなに頼むというか、願うしかなかったんで。本当にうれしかったです。こんなに点を取られても、取り返してくれるみんなに感謝したいなと思います」
 −−タイブレークに入った
 「とにかく1点を与えないこと。何とかしのげば、また次があるっていう気持ちだけで投げてました」
 −−連投は志願した
 「いや、監督の指示で」
 −−2試合目の最後は、握力など大丈夫だった
 「もう負けたくないという気持ちだけでした」
 −−(豪州戦)七回の本塁打は失投
 「その前のドロップが外れてしまったんで安易に入れにいったのを持っていかれた。もっと際どいボールを投げるようにしないと」
 −−決勝もいくか
 「そのつもりでいます」 」 ーーサンスポよりーー

 それにしても、もっと早く上野を楽にしてやれたのにそれが出来ない打線には失望した。野球は投手が全て。それは、子どもの頃から野球を観てきた実感だ。ソフトも同じだ。上野が我慢強く投げ抜いたから決勝までいけた。決勝でも投げるのだろうけど、可哀想な気もする。しかし、彼女は強い意志を持っている。「メダルのためじゃなく、世界一になるために来ました」と、1次リーグ最終戦後に言った言葉だという。何とか優勝させてあげたいと思う。仮に負けたとしても、彼女の首にだけは、「金」メダルを掛けてあげたいと思う。静かに試合を観たい。ありのままの姿を目をそむけず見続けたい。見守りたい。


 「 「知りたい」という気持ち

 この数年、ヨーロッパでのコンサートというものに行っていない。ミュンヘンやウィーンのシュターツオパーの入り口を、またくぐりたい。日常レベルで音楽が根づき息づく地で、生きてきた音楽を聴きたい。
 そんな憧憬と焦燥にかられる時、同時にいつも思い出すのは、小林秀雄の『モオツァルト』である。
 この有名なモーツアルト評論には、天才作曲家の姿のみならず、言葉を並べる行為においての芸術家であった小林自身の姿も如実に浮き彫りにされている。
 執筆にあたって小林秀雄が参考にした音源は、手元のSPレコードだけだったといわれている。彼はウィーン・フィルの演奏を聴いたことのもなければ、そもそもオーケストラの生演奏による生演奏によるモーツアルトを聴いた経験もなかった。クラシック鑑賞が容易でなかった当時の日本で、父親が海外から持ち帰った蓄音機に親しんでいた。第二次世界大戦の最中から戦後にかけて、小林は文芸批評の類をいっさい書かず、ひたすらレコードを聴いていたという。
 このことについて小林自身は、「芸術家というのは与えられた環境のなかで、最善の表現を追求するべき」という趣旨のことを語っている。これは、物事の本質をつかむ上で重要な示唆だと私は考える。
 この言葉は、人間の想像力に依拠した考え方である。簡単にいってしまえば、「知りたい」という積極的な気持ちさえあれば、拙い情報の中でも本質に迫ることは可能だ、ということだ。「これはもう、わかった」 という思い----往々にしてそれは思い込みにすぎない----は、理解への思考を妨げ、大勝の本質から自分を遠ざけてしまう危険をはらんでいる。
 私は既に、「ライブ演奏の重要性」や、本場の音楽から得られる感動について述べた。だが同時に、クラシック音楽の神髄を知る上では、本場の音楽に絶えず触れていることよりも、余計な前置きや情報なしでその物の姿に迫ろうとする態度こそが前提だとも思っている。
 ここにも、「耳をすます」ことの本質がある。 …中略…
 思うに、聴くこと、聴こうとすることを妨げる情報が多すぎるのだ。だから意識していないと、雑音にまみれた私たちは、大切なことをずいぶんと聞き逃してしまっているような気がしてならない。


 耳をすます

 私にとって、「耳をすます」ことと、新しいことを「発想する」ことは、同義である。
 つまり、外界からの音を聴きながら、同時に自分の内面に耳をすまし、なにがしかの意見や考えを発しているのだ。
 「聴くこと」とは、自分の内面にある、いまだ形になっていないものを表現しようとする行為に等しい。余計な爽雑物なしに、「いかに内面に耳をすませるられるか」という問題と日々闘っているといっていい。
 このような考えを明確に意識するきっかけとなったのは、作曲家、江村哲二さんとの対談だった。
 「音楽鑑賞とは非常にクリエイティブな仕事」だと語っていた江村さんは、二〇〇七年六月に急逝されてしまった。死という絶対的な不在にもかかわらず、彼の存在は、いまだ私の中に鳴り響いている。共著である『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)においての江村さんとの対談は、それ自体があまりにも新鮮な音楽体験であったのだ。
 本の上梓から半年が経った今、改めて私が感じていることがある。それは、「耳をすます」とは、「私は○○を感じる」という主観性をさらに奥底まで掘り下げていく手段なのだ、ということである。
 その深度は、脳の喜びの深さと比例する。そして深く掘り下げれば掘り下げるほど、普遍に至る道も開かれるのだと気づいた。
 入り口は、日に情勢勝野中にいくらでもある。たとえば、雨の日のもの思い。雨音を聴いていると、不思議に心が安らぎ、自分が大海とひとつながりになっているような気がしてくる。あるいは、公園の中のお気に入りコースの散歩。木々の合間を歩きながら風のざわめきや鳥の鳴き声を聴いていると、心の中に、喜びの回路が広がり始める。
 さらに、耳をすます。
 すると、えもいわれぬ開放感が生まれてくる。これこそ、心が脳という空間的限定から解放される過程であり、<私>という個が、「今、ここ」という限定を超え、普遍への道に舞い降りた瞬間だといえる。
 新しい発想が生まれるのは、こんな時だ。
 新しい感動が生まれるのも、こんな時だ。
 いかに耳をすませられるか。聴くことは、自分を主体とする能動的な行為なのだから、感動の強度は自分次第で自由自在だともいえる。なんてすばらしいことだろう。
 「聴く」という能動的な行為が、クオレアをさらに鮮明なものにし、「今、ここ」という現実から<私>を解放し、大きな感動をもたらしてくれる。そしてその感動は、<私>の脳の中で育ちながら、下界の音に耳をすますことは、創造的に生きる上での大いなる糧である。全ては、自分の内側の世界の実践であり、開拓だ。
 いかに、どれだけ、耳をすませられるか。人生は、その勝負にかかっている、といってもかまわないだろう。」 ーー『すべては音楽から生まれる』 茂木健一郎(脳科学者) 著よりーー


 20日ホセ・トマスはマラガで復帰した。ネットでファエナを観たが驚くほどの出来ではなかったが、ホセ・トマスらしさが出ていた。耳2枚切った牛は、ソブレロで出来てたエル・トレオン(セサル・リンコン)牧場の牛だった。初めは良かったが、後半はバテていた。

 19日の結果。 ビルバオ。ポンセ、耳2枚。フリ、マンサナレス、耳なし。 マラガ。エル・シド、カステージャ、耳なし。ペレラ、強い耳要求、耳1枚。

 20日の結果。 ビルバオ。パディージャ、フリ、耳1枚。ペレラ、耳なし。入場行進の後、マドリード、バラッハス空港で起きた事故の犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。 マラガ。ペピン・リリア、耳1枚。ホセ・トマス、耳1枚、耳2枚。ダニエル・ルケ、耳なし。入場行進の後、マドリード、バラッハス空港で起きた事故の犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。 シウダ・レアル。フィニート、耳1枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。ルイス・ミゲル・バスケス、耳1枚が2回。


「マドリードの空港で起きたスパンエア機の離陸失敗事故は、153人の犠牲者を出す大惨事となった。同社は燃料価格高騰のあおりを受けてリストラの真っ最中。政府の事故原因究明への全面的な協力を表明した。

 地元テレビによると、同機は離陸後間もなく、墜落。滑走路脇の木々が生えた一角に突っ込み、炎上した。現場では機体と焦げた木や岩が入り交じり、遺体の身元の確認も難しいほど。救急隊員はエルムンド紙に「生存者がいるのが不思議なほどだ」と語った。あまりに悲惨な光景で、原因捜査を担当する予審判事は現場写真の公表を禁じる措置をとった。

 事故機は出発前に異常が見つかり、点検に手間取っていた。空港に駆けつけた乗客の家族の一人は「携帯から『出発が遅れる。機体を変更するそうだ』と連絡してきた。しばらくして『やはり同じ機体で飛ぶことになった』との連絡があり、間もなく事故に遭った」とテレビで話した。

 エルムンド紙(電子版)に寄せられた読者の複数の投稿は、同社で同様の機体のトラブルや運航の遅れが最近相次いでいた、と証言した。

 スパンエアは86年に設立され、スペイン第2の航空会社として順調に業績を伸ばした。現地報道によると、65機を保有して主にスペイン国内や欧州各国の路線を運航させていた。しかし、格安航空会社も加わった欧州の過当な競争に巻き込まれたうえ、最近の燃料価格高騰の影響を受け、今年に入って業績の悪化が表面化。親会社のスカンジナビア航空は売却を狙ったが実現しなかった。

 今月8日、従業員3千人余りのうち1100人を解雇するリストラ案を公表。秋以降に不採算路線を廃止し、燃料高騰に対応するため15機前後の運航を凍結するなど再建に乗り出したが、従業員らの反発を招いていたという。 」 ーー朝日新聞よりーー

 「スペインでは1977年に、ボーイングのジャンボ機2機がカナリア諸島の滑走路上で激突し、583人が死亡した事故があるが、今回はこれに次ぐ惨事となった。」 ーー讀賣新聞よりーー

 「空港当局や目撃者によると、同機は滑走を開始したが、計器の故障のため、いったんターミナルに引き返した。20日午後2時45分(日本時間同9時45分)ごろ再度離陸した際、事故を起こした。離陸直後、左側のエンジンから火が出たとの目撃証言が多数あり、発火直後に右前方の茂みに墜落、炎上したという。発火の原因は不明。

 事故機は15年前に製造され、スパンエアでは9年前に大韓航空から購入して使用しており、これまで問題はなかった。ただ同型機は過去数年、数件の事故を起こしている。 現場の事故機は原形をとどめておらず、犠牲者の多くは即死状態だったとみられる。

 スペインのサパテロ首相は事故を受け、休暇先から現場に急行し、「政府はすべての国民と共にこの事故に強い衝撃を受けている」と表明。スパンエアの社長は「最悪の事態が起きてしまった」とした上で犠牲者や遺族に深く哀悼の意を示した。」 ーー毎日新聞よりーー

 非道いことになった。何年か前に共同運航便を利用したことがある。当時はバラッハス空港がターミナル4が出来る前だったこともあってか、共同運航便に何処から乗るのか非常に判りにくく慌てた帰国がある。こんなのじゃ嫌だなぁと思った。TVのニュースでは、遺族が、「殺されたんだ。イホ・デ・プータ」と怒っていた。整備不良のまま離陸したのだろうか?


 8月22日(金) 曇 6584

 昨日女子ソフトボールはアメリカを3-1で破って金メダルを獲得した。勝ったときTV中継の解説をやっていた宇津木前監督が嗚咽していた。悲願の金メダル!上野は初回からピンチをむかえたが、辛抱強く投球してしのいだ。6回も満塁のピンチを、スピードボールでフライを打たせ押さえた。良い当たりをサードが俊敏な反応でキャッチして押さえた。アメリカの反撃をソロ・ホームラン1本に抑えた。本当に嬉しい金メダル!!!

 まず決勝進出の時の記事から。

 「ソフトボールの上野「この緊張感を味わえるのは今しかない」 3位決定戦後、選手・監督コメント

8月20日、北京五輪ソフトボール日本代表は決勝進出を懸けてオーストラリアと対戦し、4─3で勝利した。 北京五輪のソフトボールは20日、3位決定戦が行われた。日本は延長12回タイブレークの末、大逆転で4−3でオーストラリアに勝利し、翌日の米国との決勝戦に駒を進めた。

 <以下は、試合後の選手・監督のコメント>

■上野由岐子(ルネサス高崎)「最後は負けたくないっていう気持ち」
 思ったよりも最後までボールが抜けずに投げられたので、本当にコンディション的にはいい感じできているんじゃないかと思います。(最後決まった瞬間は?)本当にうれしかったですね。こんなに点を取られても取り返してくれて、感謝したいなと思います。(タイブレークで延長に入った時は)とにかく1点を与えないこと、何とかしのげば次があるという気持ちだけでした。

(2試合目も投げることは志願した?)監督の指示です。最後は負けたくないっていう気持ちだけですね。(ホームランを打たれたシーンは)その前のブロックが崩れてしまって、安易に入れてしまって上にいってしまったのをやられてしまいました。もう一つうまく修正できるように、同じボール球でももっと際どいボールが入るように。アメリカ戦で打たれて4失点してしまったので、1点取られて次1点で食い止めれば、みんなが何とかしてくれるというふうに信じていました。本当にそれだけですよね、とにかく1点しかやらないという。

(明日の決勝も投げろと言われれば投げるか?)そのつもりでいます。(今日はいつもタイミングで連投を言われた?)(1試合目が)終わったタイミングです。本当に(オーストラリア戦は)負けられないと思ったし、それは監督の判断ですけど、行けって言われたらいつでも行けるように。スタミナだったり、コンディションだったりでいける自信はありました。連投は日本でも慣れているので、そういった意味では大丈夫です。

(決勝は)初めての舞台なので、とにかく悔いのないように思い切ってやりたいと思います。(1日300球以上投げた経験は?)延長2試合はないですね(笑)。勝ったうれしさで興奮していますけど、体の疲労感は出てきているので、しっかりケアして明日につなげたいと思います。この緊張感を味わえるのは今しかないし、この場に立てる喜びをしっかり表現したいと思います。

■廣瀬芽(太陽誘電)「次につなげたいという気持ちがホームランになった」
(逆転ホームランについて)打てたことは、自分の体がいい感じに反応ができて、スムーズに出て長打という結果になりました。自分も気持ちもあったし、みんながつないで点を取ろうとしていたことに自分も思い切った気持ちで打てました。上野もすごい投げていたし、どうにか次につなげようという気持ちがホームランになったと思います。
(ホームランの後、敬遠されていたことについて)避けられたことは意識していませんでした。自分はチームを信頼しているので、自分が出て、絶対に次が打ってくれるという気持ちで塁に出ていました。自分は塁に出てつなげるという気持ちだけでした。

■山田恵里(日立ソフトウェア)「西山が決めてくれると思っていた」
 本当にピッチャーがずっと頑張って投げていて、打線の一打が出なかったので、あの回は絶対に西山(麗)が決めてくれると思っていました。(2試合連続で延長戦となったが)やっぱりもっと早い段階で点が取れれば、簡単に勝てた試合だったので。本当にピッチャーが頑張っていたので、それを助けようという気持ちだけでした。次につなぐという、それだけでした。

■斎藤春香ヘッドコーチ「上野と心中というつもりでいた」
 まずは決勝にいけたことが非常に良かったと思います。その中で、選手が長いイニングを頑張ってくれました。ここまで来たら気力を集中させて、気持ちの勝負だと思いますので、明日に向けてしっかり休んで切り替えて頑張っていきたいと思います。よく廣瀬、西山がタイムリーとホームランを打ってくれました。そして、上野が長いイニングを守ってしっかり投球をしてくれました。明日は一戦必勝の思いで、チーム一丸となって頑張っていきたいと思います。
――ソフトボールは北京五輪を最後に最低でも8年は五輪から姿を消すが、明日はどのような気持ちで臨むか
 明日はとにかく、チーム一丸となってアメリカを倒して優勝することを目標にしています。そして多くのソフトボールを見て応援してくれるファンの方に夢と感動を与えられるように、全力プレーで頑張っていきます。
――上野投手は今日は2試合連投したが、明日は投球できるか?
 本当に上野は今日よく投げてくれました。一球入魂の思いで勝負魂を持ってよく投げてくれたと思います。彼女はこのために、これまで厳しい練習を自ら課して頑張ってきました。そういった意味では、明日も投げる可能性はあります。スタミナもありますし、尻上がりによくなっている選手ですから、もちろんほかの3人のピッチャーも考えられますし、コンディションを考えていきたいと思います。
――今日、上野投手を2試合使おうと思った理由は?
 決勝トーナメントは負けられない試合だと思いますし、一戦必勝の思いでいくには、勝負の鉄則として、エースを送り込むのは私の思いにあります。本当に上野はよく投げてくれたんですが、その陰には坂井(寛子)投手も準備をしてくれていました。そういった意味では全員でいく気持ちでいますし、上野は本当によく投げてくれました。
――上野投手は今日21イニング投げたことになるが、途中で変えようとは思わなかったのか?
 アメリカ戦であれだけ投げ抜いていたこともありますし、上野も人間ですから、オーストラリア戦では1イニング、1イニング、彼女の体調、コンディションを確認しながらやりました。彼女は心も体も集中して頑張ってあそこまでいきましたので、そこは上野と心中というつもりでいました。」 ーースポーツナビよりーー


 「上野と心中というつもりでいました」と斎藤監督が言っていたが、まさにこれまでは上野におんぶにだっこだった。決勝は、打線がチャンスを生かした。これが優勝できた勝因だ。それも、上野の粘り強い投球があったからこそ。

 「日本が米国倒した!悲願の金!上野完投!…ソフトボール
 ◆北京五輪 ソフトボール決勝 米国1?3日本(21日・豊台ソフトボール場) 日本が米国に3?1で勝ち初の金メダルを獲得した。球技の日本勢では1976年モントリオール五輪のバレーボール女子以来で32年ぶり4度目の快挙。日本の金メダルは今大会9個目。ソフトボールは次回ロンドン五輪で実施競技からの除外が決まっており、日本が最後のチャンスをものにした。前日2試合21イニングを投げたエースの上野由岐子(26)=ルネサス高崎=は決勝戦も1失点で完投し、2日間3試合で413球を投げぬいた。4連覇を狙った米国は大会初めて優勝を逃し銀メダル、オーストラリアが銅メダル。

 米国は、今大会自責点0の投手3本柱のうち、前日の準決勝で先発を外れ、1イニングのみの“調整登板”で温存された長身のエース左腕、キャット・オスターマンが先発。

 日本は1回表の攻撃ではオスターマンの前に3者三振。その裏の守備では不運な当たりや守備の乱れなどで1死満塁のピンチを迎えたが、上野は二ゴロと捕邪飛を打たせ乗り切った。

 日本は3回表、ここまで打者6人で5三振のオスターマンに対し先頭打者の三科が自身今大会初ヒットとなる左翼越え二塁打。峰のバントで1死三塁とし、藤本の三振のあと、狩野がショート方向へ弾いて内野安打とし、日本が先制した。

 4回表、先頭の山田が速球をセンター方向へ弾き飛ばしソロ本塁打とし、日本に2点目が入った。その後馬渕が三振、佐藤が左邪飛の4回表2死走者なしの時点で、雨のため試合が15分ほど中断した。

 試合再開後の4回裏、準決勝で上野から3ランを放ったバストスがこの回先頭で登場し、バットの先で合わせ右中間スタンドへ飛ばしてソロ本塁打。米国が1点を返した。

 6回裏、上野は再び1死満塁の大ピンチを迎えたが、遊飛と二飛で切り抜けた。

 7回表、日本は先頭の広瀬が6回から登板した米国2番手の左腕アボットから左前打で出塁。続く三科のバントが二塁に入ったショートの失策で無死一、二塁のチャンス。峰の投ゴロで1死二、三塁とした後、藤本が投手前にころがし追加点が入った。

 そして7回裏、上野は先頭打者に中前安打を許したが、続く打者は遊邪飛とし、続く左翼線の当たりは三塁の広瀬が好捕しアウト、最後の打者は難しい打球を好守で三ゴロに打ち取った。」 ーースポーツ報知よりーー

 「勝利の瞬間、何度も両腕で天を突いた。「最後の五輪」で、チームのエース、上野由岐子が米国の連覇を止めた。「投げさせてもらって満足。まだまだ投げられる」。26歳右腕は常識破りの2日間で3完投の力投で、日本の悲願をかなえた。

 前日の準決勝、3位決定戦の延長戦2試合を投げ抜き、計21イニングで318球を投げた。その夜「握力が落ちている」と周囲に漏らした。だが、斎藤春香監督(38)から「行けるか」と問われると、うなずいた。

 世界最速119キロの豪速球を持つ。だが今大会は調子が上がらなかった。1次リーグ初戦のオーストラリア戦では「記憶にない」という1イニング2本塁打を浴びた。

 球速も伸びず、上野を育ててきた元代表監督の宇津木妙子・ルネサス高崎総監督(55)には「心も体もぼろぼろ」と伝えた。最後の五輪でエースを務める重圧のせいか、投げ急いでフォームを崩していた。

 だが準決勝の米国戦で表情が一変した。上野は語ったことがある。「自分より強い相手と戦うときが一番楽しい」。1次リーグの米国戦で、日本は五輪で初めてコールド負けを喫していた。その強敵を前にしたとき、上野の表情が挑戦者のそれに戻った。「100%の力じゃなくても、自分らしく」。言葉から力みが抜けた。

 決勝も苦難続きだった。不運な内野安打に走者を背負い、雨による中断で肩も冷えた。上野の精神力を示す言葉がある。「どんな状況に立たされるか考えて悩むより、何かが起きたときにどう対応できるかを大切にしている」。この日の95球を含め、2日間で413球を投げ抜いた。

 日本の戦力が最も充実していたとされる00年シドニー五輪でも、全勝で臨んだ決勝で米国にサヨナラ負けした。今回のチームは、それほど前評判は高くなかった。だが頂きに立った。不調にも不運にも負けない精神力を持つ大黒柱がいてこそ、である。」 ーー毎日新聞よりーー

 「斎藤春香監督
「エースと心中するつもりだった。自分は銀が最高だったけど、この子たちには金を取らせたかった。上野は苦しい練習を乗り越え、最後は素晴らしかった」

山田恵里
「今までで一番うれしいホームラン。打った感触もどんなボールかも分からなかったけど、応援が乗せてくれて打てた。主将として自分自身を出し切れた」

上野由岐子
「マウンドで鳥肌が立った。このために4年間やってきた。肩、ひじの調整がうまくできた。点をやらないことだけを心掛けた」

狩野亜由美
「苦しい展開だったが、ピッチャーが頑張って打線もつながった。金メダルがやっと取れて、本当にうれしい。絶対に負けないという気持ちが強かった。(次回五輪は除外で)子どもたちの夢がなくなるので、メダルを取って復活させようとの気持ちでやっていた。よかった」

三科真澄
「(宇津木妙子・元監督から)開き直るように言われていた。これまで、ずっと打てなかったのが悔しかった。チームが勝てて良かった」

宇津木妙子・元日本代表監督
「おめでとうのひと言。本当によくやった。(今日の勝利は)上野に尽きる。4年間いろいろきついことを言われても、わがままを言わずによくやった。斎藤監督も甘やかさずに選手をよく育てた。上野は執念をもって投げたと思う。4年前に託した夢をかなえてくれた」

野球・星野仙一監督
「野球とともにロンドン五輪で外されたソフトボールが金メダルを取った。上野の剛腕、日本女性の強さを世界に見せつけた。野球も励みにして後に続かないといけない。選手にもハッパを掛けないといけないな」

ソフトバンク・王貞治監督
「すごいね。上野は2日で何球投げたの? うちの投手は投げ込みが足りないんじゃないか。一度呼んで話をしてもらわないといけないな」 」 ーーサンスポよりーー

「キャンドレア米国監督「日本には脱帽する。祝福したい。ベストなプレーをしたが、今夜は日本の方が上だった。細かいプレーは重要で、それを積み重ねることができなかった。負けることもある。それがスポーツだ」 」 ーースポーツ報知よりーー

 「【上野トーク】「鳥肌が立ちました」
 −−世界一です。実感は?
 「はい。もう実感というか、すごい、マウンドで鳥肌が立ちました」
 −−この日のために長い間練習してきた
 「実感というか、とにかくこの勝利を総監督と監督に本当に伝えたいなと。本当にいろんな意味で支えてもらったんで、本当にこうやって監督たちの気持ちを背負ってこれたことに、本当に感謝して、一番に今の気持ちを伝えたいですね」
 −−五輪でこれだけ投げられて満足?
 「逆に投げさせてもらったことで、今日のピッチングは満足だと思うんで、本当に。最初アメリカに負けて、そしてオーストラリアと延長を戦ったことが、逆によかったんじゃないかなと思ってます」
 −−肩やヒジに疲れはなかった?
 「本当にコンディショニングが今回、いい形で調整できたので、そういう意味では、まだまだ投げられる感覚はあります」
 −−六回の一死満塁の場面は?
 「もう本当にとにかくホームランだけを打たれないように。本当にバストスの敬遠もそうですし。とにかく点をやらないっていうピッチングだけを心がけて丁寧に投げていきました」
 −−最後の打者は?
 「とにかくもうボールを振らせるってことだけです」 」 ーーサンスポよりーー


 「上野「負けたくないという気持ちで、3試合投げ切れた」
ソフトボール日本代表優勝会見

■斎藤監督「スタッフ、選手がチーム一丸となった結果」

<出席者:斎藤春香監督、上野由岐子(ルネサス高崎)、山田恵里(日立ソフトウェア)>

斎藤監督 まずは、優勝できて良かったと思います。多くの日本のみなさんが、応援してくれました、ありがとうございます。感謝の気持ちを述べたいと思います。よく選手が頑張ってくれました。その中でもここにいます、上野投手が本当に踏ん張って連投を重ねてくれました。そして、山田選手のホームランで選手が波に乗れました。コーチングスタッフ、すべてのスタッフ、選手がチーム一丸となった結果だと思います。
――この結果がソフトボールの復活につながると思うか?
斎藤監督 オリンピックに向けて、日本チームはまず、目標としては優勝すること、そしてオリンピック復活に向けては、世界中の皆さんにソフトボールの素晴らしさを伝えたいと思ってここまできました。そういう意味では非常に有意義な大会だったと思います。
――上野投手のスタミナについては?
斎藤監督 上野投手はこれまで自分に厳しくトレーニングを重ねて、この日の目標を達成するために頑張ってきました。精神力、スタミナもありますし、それだけの努力してきた成果だと思います。さらに、勝負師として戦う気持ち。私もアテネの時に一緒にプレーしていましたが、今回のピッチングは素晴らしかったと思います。相手に向かう気持ちがありました。
■上野「今日はいけるなという感覚はあった」
――上野投手、投球の際に気をつけていたことは? 山田選手は、米国の両投手をどう攻略しようと考えていたか?
上野 3連投させてもらって、昨日の2試合では、とくにオーストラリア戦で思ったより体力を消耗したので、今日はスピードより回転、キレで勝負しようと思いました。ただスピードがない分、(コースが)甘いと打たれると思ったので、コントロールをしっかり、変化球を交えながら、いかにボール球を振らせるかというピッチングを心掛けました。
山田 オスターマン投手に関しては、1打席目に見逃し三振したんですが、その打席についてはまずどんなボールを投げるのかを見たいと思っていて、相手の出方を見たというのが第1打席です。第2打席目でホームランを打ったわけですが、1球目のドロップのボールに手を出して、次に来るボールをしっかりと狙っていこうと思っていました。オスターマン投手は、ボール球を振らせるのが持ち味のピッチャーだと思うので、打ったのはボール球だったんですけど、とにかくライズを狙っていました。
 アボット投手は、オスターマン投手よりスピードがあってキレもあるので、速い打球を打ち返そうとい気持ちでいました。打ちにいくトップを速く作っていこうという、それだけで、狙い球もライズ系で来るだろうと狙っていました。
――上野投手、こんなに投げたことがありますか?
上野 2日間で何球ですかね? こんなに投げたことはなくはないと思うんですが、3日で5試合という、日本にはそういう試合があります。そういった連投経験があるので、球数的にはそんなに意識はなかったんですが、オリンピックと世界の選手が集まる大会でこれだけ投げるのは、体力的だけでなく精神面だったり、頭が疲れました。
――上野投手、今朝起きたときの感覚は?
上野 昨日300球ちょっと投げたわりには、朝起きたときにはそれほど疲労感もあまりなくて、アップで体を動かしたときには今日はいけるなという感覚はありました。
■山田「一人一人が絶対に金メダルを取ると信じていた」
――こんなに多く投げられた理由は? 最後のチャンスで金メダルを取れた喜びは?
上野 今年は1月からオリンピックに向けて調整を考えていて、キャンプもそうですし、8月にベストにもってこられるように考えながら調整し、いい形でオリンピックを迎えることができました。たくさんの人に助けられて、こうやっていいコンディションを作れてマウンドに上がれたことで、球数よりも気持ちの方が勝っていて、全然疲労感はなかったです。あとは勝ちたい、負けたくないという気持ちで3試合投げきれたと思います。
 自分が小さいときに初めてみたオリンピック、ブラウン管を通して感動したプレーを、今度はブラウン管の中で活躍して、たくさんの人に少しでも多くの感動を与えたいという思いでマウンドに立っていました。世界一になるという目標にやってきたので、そういった意味では、今回はソフトボールが最後になるとかではなくて、自分の目標を達成できたこと、ただそれだけがすごくうれしいです。目標を達成するまでに、たくさんの人に助けられて今ここに自分がいるということを感謝したいと思います。
 今回勝ったことで、2016年にまたソフトが復活することを期待して、次につなげたいと思います。
――上野投手がアテネ後の4年間で最もつらかったことは? 山田選手はキャプテンとして日本チームの強さは何だと思うか?
上野 アテネが終わって、初めの3年間くらいは、次のオリンピックという目標が遠すぎて、自分のモチベーションを上げていくことが難しくて、何のために自分はソフトボールをやっているのかという、そういった葛藤と、オリンピックで金メダルを取りたいんだという思いとで、何度も何度も行き来しながらモチベーションを保ってきたことが一番難しかったです。
山田 自分たちがこうして金メダルを取ることができたのも、いろいろな方に支えられてきたからだと思います。その感謝の気持ちを口で言うだけでなく、行動で移していこうと、一人一人が思って戦った結果だと思います。また、一人一人が絶対に金メダルを取ると信じていましたし、(メンバーから)落ちた仲間やけがをした内藤(恵美)さんの分もやってやろうという気持ちが強くて、それが金メダルにつながったと思います。」 ーースポーツナビよりーー


 上野由岐子には、下の記事にあるような物語があった。

「上野由岐子 99年7月13日
 悲願の金メダルを狙う日本女子ソフトボールの大黒柱、上野由岐子投手(25=ルネサス高崎)には、忘れられない記憶がある。その夏がなかったら“世界最速”の称号は得られても“世界最高”には近づけなかったと、今は素直に思えるという。99年7月13日の一瞬の不運と、88日間に及ぶ苦闘が教えてくれた、ソフトボールの神髄とは。

代表監督の視察直前…
1999年の腰の怪我が人間的に成長させてくれた、と笑顔で語る上野
 空が澄み切った火曜日の2時間目の授業だった。福岡市中央区。九州女子高2年の体育クラスの生徒は、屋外で走り高跳びの練習をしていた。2週間前、世界ジュニア選手権優勝に貢献し、ソフトボール界で有名になりつつあった少女は、この日の朝、職員室に呼び出されて平島広昭監督(故人)に言われたことが気になっていた。「今週末、宇津木(妙子)代表監督がオマエを見に来る。ケガだけはするなよ」

 「まだ2年生の私に、進路の話かなあ」。漠然と想像したが、何のことだか分からない。ぼんやり考えながら、授業は終わろうとしていた。しかし、ケガを恐れて一度も跳ばなかった運動神経抜群の少女を、周囲がはやしたてた。「上野なら跳べる。跳んでみせてよ」

 右肩を痛めないように、左肩から落ちる背面跳びは、美しい弧を描いた。だが、クラスメートは右肩から落ちる背面跳びを繰り返していたため、マットがずれていたことには気が付かなかった。地面に叩きつけられた瞬間、左の腰に激痛が走る。「大丈夫、大丈夫」と言いながら立とうとすると、血の気が引いてまた倒れた。

あわや下半身不随
 保健室で寝込んでいた上野は「授業がさぼれて良かった」程度の認識だった。しかし、病院に行く段階になり、事態の大きさを思い知る。平島監督のワゴン車の後部座席を倒したシートに横たわると、身動きがとれなくなった。急きょ、救急車が呼ばれる。しかし、車から降りることができず、ついには救急隊員に担架で運び出された。

 「ありえないような痛みでビックリした。でも、大きなケガをしたことがなかったし楽観的で、いつも診てもらっている病院に連れて行ってほしいと頼んだんです」

 市内から車で30分以上かかる糟屋郡の久恒病院に運び込まれた上野は、すぐにエックス線検査を受けた。診断は腰椎(つい)の横突起骨折。左の肋骨も折れていた。主治医の原正文医師には「数センチずれていれば、下半身不随だった」とも言われた。ソフトボールどころか、体育すらこなせるように戻るかは分からない。周囲が騒ぎ始めても、ピンとはこなかった。

 「私からソフトボールを取り上げられるはずがないだろ〜なんて思っていました」

 事故の直前、6月25日まで台湾で行われていた世界ジュニア選手権に最年少代表として参加した上野は、フル回転で優勝に貢献していた。だが、普段ゴムボールでプレーする高校生が、革張りのボールで全力投球を繰り返した代償は大きかった。帰国直後は右ひじの痛みでピッチングどころではなかった。

 「すぐにインターハイもあったし(九州女子高は)優勝も狙えるチームだったから、痛いから休むとは言えなかった。逆にいつもより元気を出して練習していました。あのまま投げていたら、今のピッチングはなかったかもしれない」

 母・京都(みやこ)さん(53)は振り返る。「病院に行きなさいと何度も言ったのに“チームに迷惑はかけられない”と言うんです。だから、連絡で病院に駆けつけたとき“あなたが病院に行かないから、病院があなたを呼んだのよ”と言いました」。だが、母の言葉は娘の責任感を称えたものではなかった。

“88日”乗り越え生まれ変わった
 ジュニアとしては破格の107キロの速球で、台湾では“オリエンタル・エクスプレス”の異名を取った。柏原小時代は、部員8人に2人のバスケ部員を借りた編成で福岡県大会優勝。柏原中でも全国制覇した。「私が打たれなければ勝てる」。守っている選手に声なんて掛けなくても、自分さえしっかりしていればいい。そんな考えを持つのも、必然だった。京都さんは言う。「ケガだって、自分なら跳べるという慢心からだと思います」。父の正通さん(53)が娘を「神様からの預かりもの」と周囲に紹介する、たぐいまれな身体能力。その天賦の才が過信を植え付けていたことを、母は見抜いていた。

 「できることは自分で何でもやりなさいというのがわが家の方針だった。でも、入院したら身動きもとれないし、何一つできない。毎日、仕事帰りに母さんが来てくれて世話をしてくれた。1人では何もできないってしみじみ感じた」

 見舞いに来たチームメートの「早く帰っておいで。待っている」の言葉がまた染みた。上野不在のインターハイは8強止まり。でも、誰も授業中のケガを責めなかった。仲間はこんなに自分のことを思ってくれていた。自分はどうだ?「涙を見せるのは大嫌い」な16歳が、深夜の病室でしみじみと泣いた。

 ベッドを45度起こしただけで貧血を起こしたリハビリ。一度もマイナス思考になることはなかった。「私を待ってくれている仲間のために、早く戻りたい。そして、あれだけ練習が面倒くさいと思っていたソフトボールが、したくてしたくて仕方がなかった」。退院は入院から88日後の10月9日、土曜日。生まれ変わったと思った。

 「復帰して初めての試合で、ピッチャーズサークルから後ろを向いて、生まれて初めて声を掛けたことは忘れない。誰かがエラーしたら私がカバーすればいい。私が打たれても、誰かが助けてくれる。それがソフトボールなんです」。あのとき知った、あの気持ち。ソフトボールの素晴らしさをアピールする最高の舞台は、間もなくやってくる。

上野 由岐子(うえの・ゆきこ)
 1982年(昭57)7月22日、福岡県出身の25歳。小3でソフトボールを始め、柏原中3年時に全国大会優勝。九州女子高2年時に最年少でジュニア全日本代表に選出され、世界ジュニア選手権優勝に貢献。01年4月、ルネサス高崎(当時日立高崎)入社。02年世界選手権、04年アテネ五輪で2度、完全試合を達成している。1メートル74、72キロ。愛称はうえぴー。 」 ーースポニチよりーー

 上野由岐子は凄い選手だ。朝NHKでチームが出演したが、上野の口癖は、「ホントに…」 ホントにおめでとう!!!

 21日の結果。 ビルバオ。ポンセ、場内1周。モランテ、カステージャ、耳なし。 マラガ。オルドニェス、耳なし。ファンディ、耳要求。マンサナレス、耳1枚。 アンテケラ。フリ、耳1枚。マルティン・デ・アンテケラ、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚。


 8月23日(土) 曇のち雨 44705

 オリンピックの野球は完敗。これ程までにやられるか。マイナー選抜のアメリカに2回とも負けている。予選では勝った韓国にも負けて、キューバと再戦できなかった。第1戦のキューバ戦を観たときから、これはダメだと思っていたのでこんなもんかとも思う。日本は、国内で使用しているボールにこだわり続けているし、国内の下手くそな審判しか養成できない野球機構にも大きな問題がある。こういう国際大会になると、ストライク・ゾーンが違うとか、負けると色々言い出す。そういう対応を、どうして今まで取らずに放置していて、負けたときになるとそう言うことを言うのか。星野仙一は、「金メダルしかいらない」と言った。結果からいうと、金が取れなかったから他のメダルには目もくれなかったと言うことかと思ってしまう。2回も落球した選手もプロでやっている。そんな選手を選んだ監督・コーチにやっぱり責任ある。全く盛り上がらなかった野球。

 それに比べてソフトボールは、視聴率も今大会開会式以外では最高を記録した。プロにはない、あの真剣な眼差しに多くの人たちは虜になったのだと思う。その象徴が上野由岐子だったのだ。益々プロ野球ファンが減るだろう。それで良いんだろうな。プロ野球。

 22日の結果。 ビルバオ。エル・シド、マンサナレス、耳なし。ガジョ、耳1枚。 マラガ。フィニート、罵声。フリ、耳なし。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。 アンテケラ。ポンセ、耳2枚。ファンディ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ペレラ、耳2枚。 マルトス。コルドベス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。オルドニェス、ハビエル・ゴンサレス、耳2枚。 サビオテ。ペピン・リリア、耳1枚が2回。クーロ・ディアス、耳2枚と尻尾1つ。サルバドール・ベガ、耳1枚、耳2枚。


 8月24日(日) 雨 6387

 2つの世界記録で金メダルを取ったボルト選手が、100m決勝で横走りして体を叩いていたが、それはジャマイカの喜びを表現する文化なのだという。

 コンスタンティナで、フィニート・デ・コルドバが、アルバレアル牧場の“エクスケシト”という名の牛をインドゥルトした。

 23日の結果。 ビルバオ。ペピン・リリア、バウティスタ、ファンディ、耳なし。 マラガ。ポンセ、耳2枚。ハビエル・コンデ、耳1枚。サルバドール・ベガ、耳なし。 クエンカ。セサル・ヒメネス、耳1枚が2回。タラバンテ、ダニエル・ルケ、耳なし。 アンテケラ。オルドニェス、耳なし。エル・シド、耳1枚が2回。カステージャ、耳なし。 コンスタンティナ。フィニート、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。コルドベス、耳2枚。ヒメネス・カバジェーロ、耳1枚が2回。 ペニャランダ・デ・ブラカモンテ。ロペス・チャベス、バルベルデ、耳1枚。ガジョ、耳1枚が2回。 バレンシア・デ・アルカンタラ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、フェルミン・ボオルケス、耳なし。闘牛士、フェレーラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。マティアス・テヘラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。


 8月25日(月) 雨 40322

 オリンピックが終わった。NHKで特集番組が放送された。民放でもニュースなどで名場面などを流していた。今回は、女性選手の活躍が印象に強い。柔道、レスリングの金メダルなどもあるが、メダルに届かなかったが、初めのインパクトはバドミントンのスエマエ。長いラリーの連続でとても試合が面白かった。バドミントンという競技に非常に競技を持った。それとソフト。最も感動的な試合だった。これから、NHKで特集番組がある。上野由岐子の「熱投413球〜女子ソフト・金メダルへの軌跡〜」である。非常に楽しみだ。

 ホセ・トマスは、またコヒーダされた。いつ大怪我をするか判らない闘牛を続けている。

 24日の結果。 マドリード。入場行進の後、20日マドリード、バラッハス空港で起きた事故の犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。ウンベルト・フロレス、フランシスコ・マルコ、耳なし。コヒーダされる。フランシスコ・ハビエル・コルパス、耳なし。 バルセロナ。入場行進の後、20日マドリード、バラッハス空港で起きた事故の犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。アルフォンソ・カサド、耳なし。角により鼠径部を打撲による血腫。ラウル・クアドラド、ヒメネス・カバジェーロ、耳なし。 ビルバオ。フンディ、耳1枚。左太腿に8cmの角傷2ヶ所を負傷する。フェレーラ、耳要求で場内1周。ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚と強いもう1枚要求でプレシデンテに罵声。 クエンカ。フィニート、耳1枚、耳2枚。ホセ・トマス、耳2枚、耳1枚。コヒーダされて左前腕に3cmの角傷を受ける軽傷。ペレラ、耳2枚が2回。


 8月26日(火) 雨 6908

 「熱投413球〜女子ソフト・金メダルへの軌跡〜」の中で、いくつか印象に残る事があった。ダブルヘッダーの2試合目に、中指の皮がむけ、爪が割れた。その中でコントロールを重視して、球の回転と切れのあるボールを投げるように心掛けたと言っていた。中指の怪我のことも、チームメイトには気づかれないようにしていたと言うが、守備から戻って円陣を組んでいるとき、チームメイトは上野の異変に気づいていたという。2試合目の7回には足が吊りそうになっている状態で、投げきった。そして、翌日も連投。決め球は、内角をえぐるシュート。

 前回の世界選手権で、速球で押してアメリカに打ちこまれていて、その対策として、所属チームの宇津木麗華監督に相談して、教えられた球だった。その球を決勝まで出来るだけ投げないようにして、隠していた。また、他の番組では、1回の1死満塁になった時に、上野は優勝を確信したそうだ。何故なら、クリーン・ヒットを打たれていないからと言う。この試合、2度1死満塁のピンチを2点に抑えたが、それは「自分のボールを信じる」事が出来たからだという。力対力では、アメリカには勝てないが、配球とコントロール、球の切れで勝負すれば打たれないと、言う自信があったからだという。そういう風に感じていたからか、次の相手打者に対してのボールの軌道が見えて、これなら打たれないというイメージが出来ていたという。それだけ頭が冴えていたと言っていた。肉体的疲労から、極限状態の中で、彼女は、自分の音楽を発見した。こういう人間は物凄く強い!今までも、そしてこれかも良い人生を歩んでいけるような気がした。

 25日の結果。 アルメリア。フンディ、耳1枚、耳2枚。ロペス・チャベス、耳なし。ルイス・ボリバル、耳1枚。 クエンカ。ポンセ、耳要求。エル・シド、耳1枚。カステージャ、耳2枚。 アルマグロ。ファンディ、耳1枚。ペレラ、耳1枚と強いもう1枚要求。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。


 8月28日(木) 曇 49631/2

 昔、写真展に行って泣いたことがある。戦争の写真で、あんなにジワジワ感動して、黙っていれないくらいになって体から熱が出てくるような熱さを感じた写真はなかった。それは、沢田教一がピュリツァー賞を受賞したベトナムの写真よりも感動した。その写真を撮ったのは、アメリカ軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル。原爆投下直後の長崎に行って写真を撮った、その中の1枚の写真に感動したのだ。昨日夜中、NHKスペシャル「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI〜」は、そのジョー・オダネルが撮った写真の話だった。

 彼は、長崎で原爆後の写真を数多く撮りそれを軍に提出した。その中で、仕事ではなくプライベートで撮った写真は、未使用のフィルムのラベルを貼って、アメリカに持ち帰り封印した。帰国後、長崎で観た光景で精神を病む。帰国後は大統領のカメラマンになる。50年朝鮮戦争当時にマッカーサーと会見後に1度だけ原爆投下についての意見をトルーマン大統領に訊いたという。トルーマンは、前大統領の政策を引き継いだだけで、後悔とかそういう問題ではないと言うような事を言ったという。その後も、オダネルの中には長崎の光景が離れることがなかった。ある日、教会で観た反核団体のキリスト像には被爆者の写真が貼られていた。それを観て衝撃を感じた彼は、43年間の封印を解いて長崎から持ち帰った写真を取り出して公表する。

 僕が昔写真展で観たのは、その中の写真だったのだ。日本にも何度もやってきて反核の集会に出席して原爆反対を訴えた。その中で、退役軍人などから嫌がらせを受け妻と離婚。去年原爆症によるガンで死亡する。写真を入れていたトランクには彼の思いを語ったテープが残っていた。それを聴いた息子のダイクが彼の意思を受け継ぎ反核運動を続ける。今年長崎で、ジョー・オダネル写真展が開かれた。

 夢見る勇気のない者は、闘う力はない。澤地久枝が言った言葉を思い出した。それにしても荼毘(だび)に附される弟を観る唇を噛んだ少年の写真は、ギリギリの処で生きる人間の姿を正確に捉えている感動的な写真だ。日本人は彼のような人間を忘れてはならないのだ。

 27日シエサでセバスティアン・カステージャが、ホセ・ルイス・マルカ牧場の“プリンシパル”という名の牛をインドゥルトした。

 26日の結果。 アルメリア。ポンセ、耳なし。ペレラ、耳要求でプレシデンテに罵声。ガジョ、耳なし クエンカ。コルドベス、耳2枚。オルドニェス、耳なし。ファンディ、耳1枚が2回。 トメジョソ。ペピン・リリア、耳2枚が2回。アニバル・ルイス、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。

 27日の結果。 アルメリア。ペピン・リリア、ホセ・トマス、耳1枚。トレス・ヘレス、耳なし。 クエンカ。ウセダ・レアル、耳1枚。フェレーラ、耳2枚。サンチェス・バラ、耳1枚。 シエサ。コルドベス、耳2枚と尻尾1つ。ファンディ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。カステージャ、耳1枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。


 8月29日(金) 雨/曇 47962

 積乱雲による豪雨により各地で被害が出て死傷者が出た。堤防決壊による床上床下浸水、電車の脱線など出た。愛知県岡崎市は1時間の降雨量が147ミリに達したという。夜中になった今も東京では雷がなり雨が降っている。四国は渇水で対策本部が出来たという。

 姫井由美子が、民主党を離党して新党「改革クラブ」に参加する意向だったが、新党旗揚げか引見をドタキャンして、民主党で会見を開き、、「新党は、自民党による民主党切り崩しの受け皿だとわかった。自民党に近い新党への参加は『自民党に対抗する民主党の候補として、私を支持してくれた有権者への裏切り行為だ』との指摘も受けた」を言い民主党に留まると言う。何かよく判らない、新党と姫井由美子の行動だ。

 ホセ・トマスが今日リナレスに登場する。毎年ここでは物凄い闘牛をする。どうなるか?また、怪我をしなければいいのだが…。

 28日の結果。 リナレス。入場行進の後、マノレーテの死亡から61年の記念日のため、マノレーテに1分間の沈黙が捧げられた。ポンセ、ペレラ、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚。 アルメリア。フィニート、耳1枚。エル・シド、耳なし。ファンディ、耳2枚。 サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェス。オルドニェス、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚が2回。チェチュ、耳1枚が2回。


 8月31日(日) 曇/雨 43333/2

 劇作家のバーナード・ショーが、来日して山手線の車窓から見える景色を見て、「これはスラム街か?」と尋ねたという。それは昔の話だが、たいして変わっていない。「もし、この醜くさに全く気づいていないとしたら、集団発狂しているとしか思えないから」と、波頭亮との対談、『日本人の精神と資本主義の倫理』の中で茂木健一郎が言っていた。非常に印象に残る処だ。毎日生活している東京の町並みも人もおかしいと感じているので、こういう言葉を訊くとなるほどと思ってしまう。

 29日の結果。 リナレス。フィニート、罵声。耳1枚。ホセ・トマス、耳1枚が2回。マンサナレス、耳1枚、耳2枚。 アルメリア。ルイス・マヌエル、フリ、耳2枚。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。 サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェス。カステージャ、耳1枚。ペレラ、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。 アルカラ・デ・エナレス。ウセダ・レアル、耳2枚。ディエゴ・ウルディアレス、耳なし。イバン・ファンディニョ、耳1枚。 カラオラ。セサル・ヒメネス、ガジョ、耳なし。カペア、耳1枚。 タラソナ・デ・アラゴン。オルドニェス、ファンディ、サルバドール・ベガ、耳1枚。

 30日の結果。 リナレス。クーロ・ディアス、耳2枚が2回。ファンディ、耳2枚。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳2枚。 アルメリア。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳なし。闘牛士、モランテ、耳なし。マンサナレス、耳1枚。 バイヨンヌ(フランス)。ラファエリジョ、ディエゴ・ウルディアレス、耳なし。セルヒオ・アギラール、場内1周。 サン・セバスティアン・デ・ロス・レジェス。フリ、耳2枚、耳1枚。エル・シド、耳2枚が2回。ガブリエル・ピカソ、耳1枚、耳2枚。 コルメナール・ビエホ。フンディ、セラフィン・マリン、ホセリージョ、耳なし。 アルカラ・デ・エナレス。アベジャン、耳なし。マティアス・テヘラ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 アレナス・デ・サン・ペドロ。カナレス・リベラ、ロペス・チャベス、耳1枚が2回。バルベルデ、耳1枚。 カラオラ。パウリタ、耳なし。セラニト、耳1枚、耳要求で場内2周。イバン・ファンディニョ、耳要求。 イニエスタ。エウヘニオ、耳1枚。アントニオ・バレラ、耳1枚。コヒーダされて顔の正面に7cmのプンタッソを受ける軽傷。 アンドレス・パラシオス、耳なし。 ロハ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、Antonio D'Almeida、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、ペピン・リリア、耳2枚。パディージャ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 レケナ。コルドベス、耳1枚が2回。オルドニェス、耳1枚。セサル・ヒメネス、耳2枚、耳1枚。 サセドン。ウセダ・レアル、耳1枚。サンチェス・バラ、耳2枚、耳1枚。セルヒオ・マリン、耳1枚。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る