断腸亭日常日記 2008年 その4

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
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 7月19日(土) 晴 6785

 ホセ・トマスの闘牛のビデオを闘牛の会で流そうと思ったときに、ふと頭の中に、ある言葉が、浮かんだ。

 「わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です 
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ) 」 ーー『春と修羅』序 宮沢賢治よりーー

 粉末消火器が、どういう消火に対応できるかは、消化器に書いてある。白色は、普通火災。黄色は、油火災。青色は、電気火災。何故、青が電気火災を表すかといえば、静電気の青白い色からとっているのだ。ホセ・トマスの闘牛は、牛との間で起こる静電気の青白い火花の色のイメージに似ている。「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と、いう宮沢賢治の『春と修羅』の序の言葉が突然思い浮かんだのだ。

 小学校か中学校の時に、地元の詩人、宮沢賢治のこの詩も国語の時間に解説付きで習ったと思う。が、その意味は、もう忘れてしまった。当時、古くさい言葉だと思ったくらいで、あまり関心がなかった。何か知らないけど、賢治って年を取ってくると、突然言葉が浮かんでくるのだ。

 僕は、闘牛に関しては、「列外」である。実際に闘牛をするわけではないし、牛を育てているわけでもない。スペイン人として闘牛場で闘牛を観ているわけでもない。そういう意味での「列外」なのだ。その「列外」から観た時にも、ホセ・トマスは、「ひとつの青い照明」というイメージは、今回スペインに行って闘牛を観てきた感覚なのだ。それがHPのトップ・ページの色になった。そして、これから日記もこの色にして書いていくことにする。

 14日マルベージャでバレラ・クルホ牧場の“ガルボソ”という名の牛(No116)を、インドゥルトした。

 13日の結果。 バルセロナ。エル・シド、カステージャ、耳なし。ペレラ、耳1枚、耳2枚。 マルベージャ。フィニート、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。コルドベス、耳2枚が2回。ファンディ、耳1枚、耳2枚。 モンティジャ。モレノ、耳1枚。コルドベス・イホ、耳1枚が2回。クーロ・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。 フエンテ・エル・フレスノ。フェスティバル闘牛。闘牛士、トマス・カンプサーノ、ミウラ、耳2枚。カナレス・リベラ、耳1枚。セサル・ヒメネス、ペレス・モタ、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、ロサナ・トレド、耳2枚。

 16日の結果。 ナバス・デル・マルケス。ウセダ・レアル、耳2枚。アベジャン、パウリタ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 サン・フェルナンド。フィニート、耳なし。ファンディ、耳2枚と尻尾1つが2回。ベンハミン・ゴメス、耳1枚が2回。

 17日の結果。 ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン。エル・シド、耳1枚。ファンディ、耳2枚。マンサナレス、耳なし。

 18日の結果。 ロケタス・デ・マル。ポンセ、耳2枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。マンサナレス、耳1枚が2回。 ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン。コルドベス、オルドニェス、耳1枚。ペレラ、耳2枚が2回。


 7月20日(日) 曇 17220

 女子中学生が、就寝中の父親を刺し殺す事件があった。また、男子中学生がバス・ジャックをした事件。思春期の内面の爆発がこういう事件を引き起こしているのだろうが、親と子のコミュニケーションが、表面的な関係性でしか成立していないからではないかと思う。そうすればいいかは、それまで過ごしてきた親の人生にかかっているので、そう簡単には変わらないだろう。

 昨日の猛暑なのに屋内でクーラーの寒さに耐えながらの研修。これもあと2週で試験を受けることになった。それに受かればもう研修に出なくてもいい。勉強しないと受からないよなぁ。仕方がないので、時間を見つけて勉強をしよう。

 マドリードの8月のカルテルが発表された。

 19日の結果。 サンタンデール。ウセダ・レアル、耳要求。バルベルデ、耳1枚。ホセリージョ、耳なし。 マンサナレス。ファンディ、耳1枚、耳2枚。ペレラ、タラバンテ、耳1枚。 ロケタス・デ・マル。ルイス・マヌエル、耳1枚。サルバドール・ベガ、耳なし。コヒーダされて左太腿内部の筋肉繊維断裂


 7月22日(火) 曇 39947/2

 暑いからか妙に眠い。こういう季節の変わり目で、体調を崩す人がいる。この前、職場の女性が気持ちが悪くて座っていられない。と、いって、休んでいた。それから少し経って、訊いたら、今日も朝からお腹の調子が悪いです。あたし、弱いんですよね。と、いっていた。食べるのも仕事。ちゃんと食べていないと体力が落ちるし、気分も悪くなる。以前は、暑いのは嫌いだったが、今は冷房の方が嫌いだ。あれが体調不良の元凶。暑いときは、汗を流して新陳代謝を活発にした方が良い。

 とはいえ、眠い。だるい。そして、DVDの調子が悪い。多分、タバコのせいでダビング機能が低下しているようだ。DVD-RAMにダビングできない状態になっている。メーカーに連絡して部品交換をして貰わないとダメだろう。

 20日の結果。 バルセロナ。コルドベス、オルドニェス、ファンディ、耳なし。 バレンシア。ビクトル・マヌエル・ブラスケス、耳なし。アンヘル・デ・ラ・ロサ、耳1枚、耳要求で場内2周。ホセ・カルボ、耳なし。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ポンセ、耳なし。エル・シド、耳1枚。カステージャ、耳なし。 モン・ド・マルサン(フランス)。フンディ、パディージャ、耳なし。ラファエリジョ、耳2枚。 ロケタス・デ・マル。セサル・ヒメネス、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳1枚ともう1枚要求。サルバドール・コルテス、耳1枚。 エステポナ。ハビエル・コンデ、耳2枚。サルバドール・ベガ、耳なし。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。 ロルキ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、ペピン・リリア、耳2枚が2回。コルドベス・イホ、耳2枚。

 21日の結果。 バレンシア。バレラ、耳なし。セサル・ヒメネス、タラバンテ、耳1枚。 サンタンデール。エル・シド、ファンディ、耳なし。マンサナレス、耳1枚。 モン・ド・マルサン(フランス)。ポンセ、耳なし。ファン・バウティスタ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳2枚。


 7月23日(水) 曇 46422

 暑い。アイスクリームが欲しくなるが、食べ過ぎると腹をくだす。アイスよりも最近は、きみ(とうもろこし)を食べ過ぎているくらいだ。それで、くだる寸前の状態。それでもこの時期だからこそ食べれる物を食べれる贅沢を味わいたい。そして、夏になったので、豚肉ばかりを食べている。油を使わずに、お湯を通して野菜やキノコはレンジでチン。それにカクテキなどを添えると美味しい。油を使わないせいか、体重を量ったら、1キロから1.5キロほど痩せていることに気づいた。食べて痩せる。夏は、それに最適の時期だ。

 そして、今日ホセ・トマスがサンタンデールで復帰する。

 22日の結果。 バレンシア。フリ、弱い口笛。マンサナレス、耳なし。ペレラ、耳1枚と強いもう1枚要求。 サンタンデール。ポンセ、耳2枚、耳1枚ともう1枚要求で場内2周。カステージャ、耳なし。ペレス・モタ、耳1枚。 モン・ド・マルサン(フランス)。フンディ、耳1枚が2回。フリエン・レスカレット、耳1枚。アントニオ・ジョアオ・フェレイラ、耳1枚、場内1周。


 7月24日(木) 曇 6487

 八王子の書店で、アルバイトの女子大生が文化包丁で刺され死亡した事件で、殺人を犯した、菅野昭一は、「誰でもよかった」と供述しているという。秋葉原の事件で17人殺傷した、加藤智大も、「(高校時代に成績が下がるなどして)両親に捨てられたと感じた」「彼女がいなくて寂しかった」「誰でもいいから構ってほしかった」などと様々な不満を口にしている。 その一方で、「現実の世界では嫌なことがあっても人に言えず、ネットの社会にのめり込むようになった」と供述、挫折や孤独感を埋めるために携帯サイトの掲示板に頻繁に書き込むようになったことも認めている。 しかし、加藤容疑者の書き込みにはほとんど反応はなく、「ネットでも無視された」と感じるようになったといい、注目を集めるため事件を起こそうと考えるようになったとみられる。「どうせやるなら大きな事件をやろうと考えた」「ネットに(犯行予告を)書き込んだので、もう引き下がれないと思った」とも話しており、警視庁は、加藤容疑者が、サイトに書き込むことによって自らを犯行に駆り立てたとみている(讀賣新聞より)そうだが、甘えるんじゃないよ!!!と思う。

 そういう状況に、自分自身が、もっていった事を考えずに、全て他人のせいにしている。こういうことが、最近多い。そして、こういう事件を起こした犯人が、「死刑になりたい」という。犯行を起こすより、自殺した方が他人の迷惑にならない。しかし、ビルからの飛び降りだと、下にいる人が巻き添えになる可能性があるし、電車への飛び込みだと、残された家族が莫大な金額が請求されたり、多くの人が電車に乗れなくなって迷惑になる。最近は、1人で自殺できずに、ネットで知り合った赤の他人と一緒に、心中のような死に方をする自殺者が多いようだ。これ自体が、情けないことだ。

 夜中に、緊急地震速報が流れ岩手県を中心に青森、宮城で震度6強以下の地震が発生した。盛岡は震度5弱。これくらいなら大丈夫だろうとTELはしなかった。被害状況は、未だ判らない。新幹線は始発から運休になっている。

 ホセ・トマスの復帰戦の闘牛は、牛が悪かったらしく、「Jose Tomas,sin toros,oreja en su reaparicion」というタイトルだった。ネットに持っているビデオを観るとやっぱりホセ・トマスだった。

 23日の結果。 バレンシア。ポンセ、耳なし。カステージャ、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。 サンタンデール。マノロ・サンチェス、耳なし。ホセ・トマス、フランシスコ・マルコ、耳1枚。 モン・ド・マルサン(フランス)。フリ、耳2枚。マンサナレス、耳1枚。ペレラ、耳なし。


 7月25日(金) 晴 45278

 Yさんから23日ホセ・トマスの闘牛の様子のメールが届いた。何年も一緒にサン・イシドロを観ている人からのそういうメールは、読んでいて非常に分かり易い。ちゃんと闘牛をやっているのは、ネットのビデオを観て判っていたが、Yさんのコメントでもそのことが確認された。牛も悪かったし、風も強かった中で、しっかりした闘牛。コヒーダも服に牛の返り血が付かない闘牛でも、ホセ・トマスは、闘牛と真摯に向き合って闘牛をやっている。面白いと思った。

 終わった後の地元放送局のコロキオがあって、そこでその日のホセ・トマスの闘牛に賛否両論あったと言う。あれだけの闘牛をラス・ベンタス闘牛場でやった後の復帰戦が、人々の期待が大きいので、賛否が出たのだろう。Yさんが言っているように、耳4枚や尻尾の闘牛(「狂喜」)から、罵声や、アビソ3回の闘牛(「絶望」)まで観ているから、そんな細かな事をこちょこちょ何言っているんだという気がする。

 ホセ・トマスのサンタンデールの出場料は、21万ユーロ(約3486万円)。ラス・ベンタス闘牛場の1回の出場料が、45万ユーロ(約7500万円)。半分以下だが、それでもサンタンデールクラスの闘牛場でそれだけのお金を稼げるというのは驚異的だ。91年セサル・リンコンがラス・ベンタス闘牛場のベネフィセンシアのマノ・ア・マノで受け取った金額が、2000万ペセタ(当時の為替レートでいえば約3500万円。ユーロの換算すると、約12万ユーロ)だった。

 ホセ・トマスの切符は、発売5時間で完売したそうだが、当日5%発売するという告知が出て、513枚発売されたという。もしそうなら、レグラメント通りである。Yさんはラス・ベンタス闘牛場も見習って欲しいと書いていた。その通りである。

 24日の結果。 バレンシア。ポンセ、罵声。エル・シド、耳1枚ともう1枚要求。ファンディ、耳1枚ともう1枚要求が2回。 サンタンデール。フンディ、フリ、耳なし。ペレラ、耳2枚が2回。 モン・ド・マルサン(フランス)。ペピン・リリア、耳1枚が2回。フェレーラ、ルイス・ボリバル、耳1枚。 マジョルカ。フィニート、耳1枚。マンサナレス、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。


 7月27日(日) 晴 22447/2

 暑い中で、冷房に震えながら研修。このままじゃ落ちそうだ。もっと勉強しないと、と、せっぱ詰まってきた。食べているが体がだるい。眠い。DVDの整理が進まない。昨日は帰ってきて飯を食ったら、ばたんで寝た。

 25日の結果。 サンタンデール。ペピン・リリア、口笛。ロペス・チャベス、耳なし。コヒーダされ左太腿裏に15〜20cmの角傷を受ける。ルイス・ボリバル、耳なし。 ビトリア。コルドベス、オルドニェス、耳1枚。ファンディ、耳要求、耳1枚。 コジャド・ビジャルバ(マドリード)。フンディ、耳なし。フェレーラ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。イバン・ガルシア、耳1枚が2回。 トゥデラ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。闘牛士、フリ、耳2枚。ガジョ、耳なし。

 26日の結果。 サンタンデール。パディージャ、耳要求で場内1周。フェレーラ、ディエゴ・ウルディアレス、耳なし。 コジャド・ビジャルバ(マドリード)。ペピン・リリア、耳1枚が2回。オルドニェス、アベジャン、耳2枚。 トゥデラ。エル・シド、パウリタ、ペレラ、耳1枚。 カラスパラ。フンディ、耳2枚。サンチェス・バラ、場内1周。パコ・ウレナ、耳なし。


 7月28日(月) 晴/曇 48402

 西の方で、集中豪雨などで死者行方不明者が出た。増水した河川で事故が起き、氾濫して床上床下浸水した所もある。冷たい空気と、暖かい空気がぶつかって、積乱雲が出来、そこから降った雨が、また、冷たい空気を作り、その周りにある暖かい空気とぶつかってまた、積乱雲を作り雨が降るということが続いて集中豪雨が降ったようだ。

 愛車の電球が切れたので、自転車屋へ行って交換して貰った。小さい頃、自転車屋になりたかった。油にまみれて自転車に一生向かっていれたらどんなに幸せだろうと思った。修理しているのを観ながら、そのことを思い出していた。

 27日の結果。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。パンセ、フリ、耳なし。マンサナレス、場内1周、耳2枚。 トゥデラ。アントニオ・バレラ、耳なし。ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚、耳2枚。バウティスタ、耳1枚。 Beaucaire(フランス)。ロブレニョ、ルイス・ボリバル、耳1枚。アルベルト・アギラール、耳1枚が2回。 Orthez(フランス)。イバン・ビセンテ、耳2枚。セラニト、耳なし。ホセリート・アダメ、耳1枚。コヒーダされて怪我。 アルマデン。フィニート、口笛。コルドベス、ルイス・ミゲル・バスケス、耳2枚。 アタルフェ。ペピン・リリア、耳2枚。エル・シド、耳1枚が2回。ファンディ、耳2枚が2回。 コジャド・ビジャルバ。アパリシオ、モレニート・デ・アランダ、耳1枚。イスラエル・ランチョ、耳2枚。 マルベージャ。オルドニェス、耳1枚。タラバンテ、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳2枚。 ピノソ。セサル・ヒメネス、耳2枚。フランシスコ・ホセ・パラソン、耳1枚、耳2枚。コルドベス・イホ、耳2枚。 SAINT VINCENT DE TYROSSE(フランス)。フンディ、耳1枚。ラファエリジョ、フリエン・レスカレット、耳なし。


 7月29日(火) 曇 6959

 「死にたいと思った」 「他人も道連れにしようと思った」 また起きた通り魔事件を起こし、取り押さえられた女が語った言葉だという。家族へ対する不満も口にしているという。社会や会社に対して不満を持つのは、当然である。しかし、家族への不満を持つのは、ソクラテスのように哲学者にならなければならない。あまりにも、他人ともコミュニケーションがスムーズでない人間関係が多すぎるのではないか、と、思う。

 『あんどーなつ』を観ていて、「言葉にしなければ分からないこともある」という言葉がキーワードだった。仕事の基本に立ち返れば、今の状況も冷静に対応できる。そして、心穏やかに毎日同じ物を、良い物を当たり前に提供できる。そんなことを教えてくれた。

 ホセ・トマスは、自分の出来ることしかやらない。出来ないのだ。でも、自分の出来ることを、徹底的にやることが、感動を呼ぶ。感動以上の物を提供している。7月の闘牛の会で、ホセ・トマスの特集をやったが、ラス・ベンタス闘牛場では、彼の足跡が分かりづらい。久々に今年は、コルドバの闘牛場へ行った。しかもグラダで観た。そうしたら、今まで思いもしなかった事に気づいた。それを9月の闘牛の会でやろうと思っているのだが、コルドバの闘牛場で観たときに感じた物は、ホセ・トマスの足跡を観ていると、どう闘牛をすればいいかが分かるのではないか、ということだ。タンダ・デ・ムレタソの後、牛から離れて背を向けて、また牛を誘う時まで、ホセ・トマスがどういう風に歩いているかという事を観ていれば、そこにトレアールのヒントがあるような気がしたのだ。

 コルドバの闘牛場は、闘牛が歩いた足跡が分かり易い。それを辿れば、こういうタイプの牛に対してはこういう風にして、このタイプの牛にはこうという風に分かるのではないかと、おぼろげに感じたのだ。昔、ラグビーで7連覇した新日鐵釜石チームは、先輩のステップを盗もうとしても、真似が出来ずに悩んでいるときに、グランドに付いていた足跡を観て、参考にしてそのステップを真似できるようになって、相手を抜けるようになったバックスの選手の話を訊いたことがあるが、それと同じ事がホセ・トマスの足跡に秘められている様な気がする。

 28日の結果。 サンタンデール。アパリシオ、口笛が2回。アントニオ・バレラ、耳1枚、耳2枚。ガジョ、耳1枚と強いもう1枚要求。 トゥデラ。フンディ、口笛。パディージャ、耳2枚。フェレーラ、耳1枚。


 7月30日(水) 曇 43642

 イチローが、日米通算3000本安打を達成した。凄い記録だ。

 「 「1992年に初めて(プロで)ヒットを打ってからここまでを別に長いとは感じなかったが、この1週間はやけに長かった。(3000安打と聞いて)張本さんの顔が浮かぶ。95年の春に『次に3000を打つのはおまえ、首位打者7回も、最終的にヒットの記録もおまえに抜いてもらいたい』と言われた。今日到達して一番そのことを思い出す。日本で積み上げてきたヒットと凡打それぞれが僕の技術を磨いてくれた。僕は日本で養われた技術を使ってこちら(米国)でヒットを打っている」と喜びを語った。(共同)」

 「日米のメディアへの会見は軽く1時間を超えた。イチローの口からはさまざまな思いがこぼれ出た。
 −−敵地での祝福には。
 「何もないと思っていたのですごく戸惑った。ここの球場は一番のんびりした雰囲気。どんな(反応がくるか)一番想像できなかったので」
 −−米国にもっと早く来ていたら、と惜しむ声がある。
 「そもそも(日本での最初のころは)技術がなかった。その時にこちらに来ていたら、今の自分は多分いない可能性が高い」
 −−日米通算の参考記録について。
 「アメリカ人の中には“日本での記録なんて”という声が絶対あると思う。でも僕は申し訳ないけど、アメリカでのヒットのペースの方が速い。“日本の方がレベル高いんじゃないの”と言い返したい」
 −−3000安打の先駆者、張本氏が祝福している。
 「そこはあえて喝と言ってほしい。張本さんにはどこまでも喝と言い続けてほしい。1995年の春、張本さんには“次に3000を打つのはおまえだ”と言われた。もしその時点で張本さんが今日のことを想像して言われていたとすれば、それはすごいことだと思います」
 −−次の目標は。
 「来年のシーズンが終わる時までに大リーグの2000本を達成したい」(共同)」

 「長嶋茂雄元巨人監督の話 「日米通算3000本安打達成おめでとうございます。イチロー君らしいアグレッシブなヒットでしたね。この記録はイチロー君が持つ天性のスピードと日々の技術の研さんによって生まれたものだと思います。また、日本で活躍しているころから大きなけがや故障をしていないところにも、行き届いた準備のよさを感じます。テレビでプレーを拝見するたび、達成された記録を知るたび“さすが”と感じさせる数少ない選手です。ヒットの数を積み重ねていってください。」
張本勲氏(3085安打のプロ野球最多安打記録保持者)の話 「おめでとう。ヒットを打つことに関しては川上哲治さんも、わたしもかなわない技術。あっぱれ! だ。彼にとって3000本は単なる通過点。あくまで参考記録だが、日米合算するならピート・ローズの4256安打、さらに大リーグ単独の通算3000本安打を目指してほしい。」
加藤良三プロ野球コミッショナーの話 「明らかに通過点。4000本を目指すだろうし米国だけでも2000本、3000本というスケールで考えているのではないか。安打だけでなく肩、守備、走塁すべてに優れている。まれに見る天才ということでしょう。今後一層の活躍を静かに期待しています。」
イチロー選手のバット製作を担当するミズノテクニクス・久保田五十一(いそかず)さんの話 「1992年に出合ってから1300本ほどのバットを渡したと記憶しているが、ゲームで使った本数はその半分にも満たないでしょう。少ない本数で、これだけ多くのヒットを打つイチロー選手の技術の高さ、バットを大切に扱っていただいている姿勢に思いをはせた。私にとっても仕事をする上で大きな励みになっている。」
王貞治ソフトバンク監督の話 「われわれにとっては大記録でも彼にとってはゴールではなく、通過点にすぎないでしょう。彼がどこまで記録を伸ばせるか楽しみ。1日も早く4000本に到達できるよう頑張ってほしい。」
岩村の話 「(イチローの3000安打に)時間の問題だったと思う。励みにしなきゃいけないと思うし、1番打者として学ばせてもらうところはある。これからも突っ走ってもらいたい。あと4年もやれば4000本いくんじゃないですか。」
松井稼の話 「(イチローの3000安打に)けがをしない体の強さはもちろん、毎年コンスタントに結果を残しているのがすごい。自分で打つとなると、3000という数字は想像できない。」
福留の話 「(イチローの3000安打に)僕らと次元の違うところでプレーされていますし、3000本も本人の中では少し時間がかかったのかなという感じでしょうけど、まだまだもっともっと積み重ねていく人ですから。本人の中では通過点だと思うが、僕たちからすればすごい記録。」
井口の話 「何も不思議ではない。あくまで通過点だし、さらに上を目指してほしい。僕らの誇りだし、みんなが目標にする選手。未知の世界でチャレンジできるのはイチローさんだけ。次は4000本を目指してほしい。」 」 ーーサンスポよりーー

 「レンジャーズ−マリナーズ(29日・アーリントン)イチローの通算3000安打達成に対し、レンジャーズの選手も祝福の言葉を惜しまなかった。
 記念すべき安打を許した先発メンドーサは「歴史に名を残せたよ。日本で有名になった? それはうれしいね」と屈託のない笑顔をみせた。
 5年連続200安打のヤングは「メジャーにとっても3000本は殿堂入りを狙える数字ですごい記録。彼ならメジャーだけの3000本も狙えるだろう」と太鼓判を押した。
 この日、空振り三振を奪った元同僚のグアダードは「打たれたのが僕じゃなくて良かった。イチローと話をしたら“50歳までやる”と言っていた」と感心しきりだった。(共同) 」

 「洋行から帰る途中で一人心に誓った。(・・・)余は余一人で行く所迄行つて、行き尽いた所で斃(たお)れるのである。それでなくては真に生活した意味が分からない。手応えない。何だか生き(て)居るのか死んでゐるのか要領を得ない。(・・・)天授の生命をある丈(だけ)利用して自己の正義と思う所に一歩でも進めねば天意を空しくする訳である。」 ーー夏目漱石の狩野亨吉宛書簡、明治39年10月23日よりーー

 イチローもそうだが、ホセ・トマスと同じように、誰も足を踏み入れたことがない世界に居る人だ。同じように大リーグで高額年俸を貰っている松井秀喜との決定的な違いは、怪我をするかしないかである。それだけ日頃から肉体のケアをしていることだ。勿論松井秀喜もやっているだろうが、現象として怪我をしないことの凄さは他に比類がないほどだ。


 7月31日(木)  4441

 この前の闘牛の会が終わった後、荻内先生に、『EL MUNDO』に載ったホセ・トマスの記事のタイトルについて質問した。「Eres un Dios」というのは、ギリギリ表現できる限界だと言っていた。人間を、神ということはスペインではあり得ないし、許されない。それは、カトリックの国だから。それなのに何故、「Eres un Dios」なのか?それは、それだけの闘牛をしたからというのが第一だ。しかし、先生が言ったギリギリ表現できる限界というのは何かといえば、Dios の前に、un という不定冠詞を付けているからと、いう。「Eres Dios」と、言うのと、「Eres un Dios」では、全然違うという。そこが、ギリギリ表現できる限界なのだという。それにしても、こういう表現をマスコミにさせてしまうホセ・トマスは、過去の歴史的な闘牛士よりも、物凄い、最大級の賛辞を贈られているが、それに値する闘牛をやっている。これは確認されていることであり、闘牛ファンはそのことを確信している。

 それから先生が言うには、「闘牛史上最高の闘牛士」という、言い方は、スペインではしないが、そういう限定した言い方でなく、例えば、「Eres un Dios」 というような言い方の方が、分かり易いと言っていた。それは、すでにそこに、他に比べるべき物がないということを、「Eres un Dios」 の言葉の中に含まれているからだと、言っていた。それには、納得した。ビデオを観た後だったので、ホセリート・ファンの先生もホセ・トマスの闘牛の物凄さを実感したようだった。闘牛の会のメンバーも、会の時は、ホセ・トマスの闘牛に乾杯をして、二次会の時はビデオを撮った僕に乾杯と言って二次会が始まった。「Eres un Dios」について、ISOさんがHPの「神様と聖人」に書いていた。これも面白い。

 30日の結果。 カラスパラ。アルフォンソ・ロメロ、耳1枚が2回。アントニオ・バレラ、耳1枚。エル・シド、耳1枚、耳2枚。


 8月1日(金) 曇 43257

 今日、内閣改造をした。改造の狙いについて、政策の着実な実行を図り、国民目線での改革をさらに加速する」と福田首相は語り、そのうえで、今回の改造について「安心実現内閣」とネーミングし、「政策を実現できるような布陣を敷いた」と語った。誰も、「安心実現内閣」とは思わないだろう。

 夜、日本TVで、『ヒットメーカー阿久悠』を途中から観る。阿久悠は、山口百恵の歌詞を1つも書かなかった。今日観たTVでは、百恵の対抗としてピンク・レディーと深く関わっていたから、百恵と関わらなかったのだと思った。百恵は、宇崎竜童、阿木燿子で大成功した。日本TVの、『スター誕生』から育った百恵とピンク・レディー。進んだ道は全く違ったが、スターになった。こういう風にライバル的に存在したから、お互いに切磋琢磨して良い物が出来ていったんだろうと思った。

 31日の結果。 アスペイティア。ディエゴ・ウルディアレス、耳なし。サンチェス・バラ、弱い耳要求で場内1周、耳1枚。バルベルデ、耳なし。


 8月2日(土) 曇 10688

 高校野球が開幕した今日も暑い。漫画家の赤塚不二夫が死んだ。
「 「人生はギャグ」を信条に生き、酒を愛した自由人でもある漫画家の赤塚不二夫さんが2日、その天真らんまんな生涯を閉じた。97年末に食道がんとわかっても、「ストレス解消の薬だから」と酒もたばこもやめなかった。がんを公表した時も、焼酎のお湯割りを飲みながら、「シェー」のポーズをするなど、ギャグに生きギャグに死んだ人生だった。

 デビュー作は少女漫画。徐々にギャグの本領を発揮し出し、62年「少年サンデー」に連載を始めた「おそ松くん」が大ヒット。イヤミというフランスかぶれの変な人物が言う「シェー」がブームに。他にも「ケムンパス」「バカボンのパパ」などユニークなキャラクターを生み、「ニャロメ」は70年前後の反体制のシンボルとなった。作品は次々とテレビアニメ化され、「ニャロメ」「レレレのレ」などの流行語を生んだ。

 65年にブレーンを務める長谷邦夫さんら仲間と「フジオ・プロ」を設立。長谷さんや編集者らとギャグを徹底的に練る「アイデア会議」で作品を作り込む作業を続けた。アシスタントから古谷三敏さん、北見けんいちさんらを輩出した。

 人気漫画家になってからの遊びっぷりは破天荒だった。東京・新宿を足場に大いに飲み歩き、ジャズの山下洋輔さん、作家の筒井康隆さん、映画監督の山本晋也さんなど幅広い交友関係を持った。そんな中からタレント、タモリさんを見いだした話は有名だ。ジャズ・フェスティバルのプロデュースやテレビ番組の司会、ミュージカル・コメディーの演出など多方面に才能を見せ、前夫人公認のもとで再婚するなど話題にも事欠かなかった。

 98年10月、紫綬褒章が決まった時の会見では、電話で連絡がきた際に「何でオレみたいなバカにくれるの?」と聞いたという。「だって酔っぱらって警察のお世話になったこともあるしさあ」などと説明した後、「これでいいのだ!」とバカボンのパパのセリフを言って笑わせた。ギャグ談議はとぎれることなく続き、「とにかくみんなを笑わせたいということから始まって、チャプリンやキートン、ダニー・ケイなどから学んだものを消化して作品に取り入れただけ」と自作を語っていた。【内藤麻里子】

 ◇死なない男だと… 作家の筒井康隆さんの話 ギャグのセンスはハリウッド的で日本人離れしていた。実験的な小説を理解できる文学性もあり、僕の小説「家族八景」を漫画化してくれた。医者に酒を止められてもがぶがぶ飲み、病気を治していたので、死なない男だと思っていた。

 ◇喪失感ひしひし 「社長 島耕作」を連載中の漫画家、弘兼憲史さんの話 (がんを公表後)イベント会場でお会いした時、医者にお酒を止められているのに「ビールぐらい大丈夫だよ」と飲んでいた。「らしいな」と思った。漫画家にとってストーリー漫画の手塚治虫先生と、ギャグ漫画の赤塚不二夫先生は別格。喪失感をひしひしと感じている。

 ◇明るい酔っぱらい 「丸出だめ夫」などの漫画家、森田拳次さんの話 覚悟はしていたがショックだ。出身が同じ奉天(現・瀋陽)で、ちばてつやさんらと一緒に「中国引き揚げ漫画家の会」をつくって、子供時代の思い出を絵にしたり年に一回集合していた。いつも明るい酔っぱらいで仕事の話は全然しなかったけど、一度だけ「残り少ない人生をどうする」という話を酒の席でした時、二人とも「目が見えない人のための漫画を描きたい」と同じことを考えていた。赤塚さんは1冊出した。元気だったらもっと出せたのにと思う。
◇面白いこと大好き  トキワ荘時代から40年以上のつきあいがあり、一緒にアニメ「おそ松くん」を作った杉並アニメーションミュージアム館長で漫画家の鈴木伸一さんの話 トキワ荘時代はおとなしかったが、ある時期から吹っ切れたようにギャグ漫画を描き、大ブレークした。漫画も行動もユニークで、面白いことが大好きな人。最近、病院へ行かなくてはと思い娘さんに手紙を書いた。彼を越すギャグ漫画家は今後なかなか出ないだろう。「お疲れさま」そして「安らかに」。

 ◇まぶしい存在  同世代の漫画家、松本零士さんの話 デビューがだいたい同じ時期の仲間です。具合が悪いことは聞いていましたが、さびしいですね。心優しい男でいつも励ましてくれました。明るい漫画でしょう。本人もそういう男ですよ。自分の体験を話して、「漫画に描いていいぞ」と言ってくれたこともあったなあ。ドライブで江の島に行ったり、互いの家を行き来した仲です。こんな切ない話はないけど、また互いに生まれ変わった時にきっと会えるでしょう。まぶしい存在でした。」 ーー毎日新聞よりーー

 『おそ松くん』も『天才バカボン』も『もーれつア太郎』も、そして、『ひみつのアッコちゃん』もみんな子どもの頃に読んだり、TVで観たりした漫画だ。敗戦で引き上げてきた闇市時代に飢えを経験して、自分の食べるものは自分で、という事が体に染みついていたのだろう、彼の漫画の根本には、そういうものがあった。ピストルをバンバン撃つ交番のお巡りさんや、イヤミ、デコッ八、ニャロメ、ハタ坊などの脇役が面白かった。映画『ゴジラ』の中で、ゴジラがシェーをして凄く嬉しかったことを覚えている。ジョン・レノンもシェーをした。「テクマクマヤコン テクマクマヤコン・・・」

 1日マラガの切符が発売され、ホセ・トマスの日(8月20日)の切符は、6時間で売り切れになった。ホセ・トマスは今日、ポンテベドラで闘牛をする。牛は、エル・トレオン牧場。セサル・リンコンの牧場だ。観たい!

 1日の結果。 アスペイティア。ペピン・リリア、エル・シド、耳1枚。マンサナレス、弱い耳要求、耳1枚。


 8月3日(日) 曇 11100

 赤塚不二夫は、それにしても凄い漫画を書いた物だ。

 「赤塚さんは長らく闘病生活を送っていた入院先の順天堂医院(東京都文京区)で2日朝、容体が急変。長女のりえ子さん(43)ら家族が見守る中、眠るように静かに息をひきとった。 関係者は「とても穏やかな表情でした」。漫画家仲間の藤子不二雄(A)さん(74)、北見けんいちさん(67)も連絡を受けて病室に駆け付けたが、臨終に間に合わなかったという。」

 「 「人間、死ぬときは死ぬんだよ。それまでは一生懸命仕事をしようと思ってね」。食道がんの手術から2年後の平成12年、赤塚不二夫さんは「目の見えない人にも楽しむ権利がある」と、点字の漫画絵本「よーいどん!」を発表し話題になった。第2弾の「ニャロメをさがせ!」も平成14年に発売された。 弥次さん喜多さんがアイヌ民族を訪ねるという珍道中の漫画の構想も温めていた。 食道がんが見つかって以降も好きな酒を手放さなかった。「がんとの闘い」といった生き方とは対極を行き、がん闘病について取材が殺到すると「うちはね、今ちょっとした『がん景気』なんだ」と周囲を笑わせた。 アルコール依存症治療のため毎月のように入院し酒を抜く「ウオッシュアウト」を繰り返した。退院してはまた飲み、「ノーメル(飲める)賞だな」とギャグを飛ばした。 14年に最後の闘病生活に入る直前はほとんど食事を受け付けず、酒ばかりの生活。栄養失調気味で車いす生活を余儀なくされた。それでも視覚障害や引きこもりをテーマにしたテレビ番組に出演するなど、タレントとしての顔は健在だった。」

 「赤塚語録
 ◆漫画を見るな 「トキワ荘の連中も僕も皆、手塚(治虫)さんの影響で漫画家になった。手塚さんはよく『いい漫画を描きたいなら漫画を見るな。一流の映画、音楽、小説で勉強しろ』と言っていた。これは漫画家を志す人にとって永遠の真理だと思うよ」
 ◆映画大好き 「僕は映画がとても好きで、映画からアイデアが浮かんだことが多いね。『ひみつのアッコちゃん』は『奥さまは魔女』の映画版がきっかけだし、『おそ松くん』は11人兄弟を主人公にしたハリウッド映画がヒントになったんだ」
 ◆おふくろの影響 「父親は旧満州(現中国東北部)の憲兵で、堅い人間だった。母親は元芸者で、腕に入れ墨があったような人。僕はどっちかというと、柔軟な考えの持ち主だったおふくろの影響が強いかな」
 ◆もらっていいのかな 「(紫綬褒章受章で)なぜ僕みたいなバカばっかりしてきた者がもらえるの? どんな顔して伝達式に出たらいいか焦るよ」
 ◆まだ少年 「敬老の日だからって周りから敬ってもらって悦に入っているようじゃ駄目! 冗談じゃない。『おれは少年だ』『まだ少女よ』って言わなきゃ」 」

 「 映画監督の山本晋也さん  わたしを表舞台に引っ張り上げてくれた方で、足を向けて眠れない人。ただただ残念。ロマンポルノのポスターを描いてもらおうとお願いしたのが付き合いの始まりで、「おお、いいよ」と簡単に引き受けてくれた。とにかく映画が好き。一緒に飲んでいても漫画より映画の話ばかり。偉大な作品を数多く残した天才ですからね、どうあっても生きていてほしかった。赤塚先生、まだ死んじゃあいけないよ。

漫画家里中満智子さん  「おそ松くん」が発表されたときにはびっくりした。それまでの漫画の常識を変えるほどの衝撃だった。赤塚先生のセンスは半永久的に通用する。赤塚漫画はどんな哲学もぶっ飛ばしてしまうすごみがあった。そんな作品を描くために、先生がどれほどのエネルギーをつぎ込まれていたことか。ご本人は照れ屋で「酒飲んで、遊びながら描いてんだよ」なんて言っていた。確かに天才だったが、大変な努力家でもあった。長い間読者を楽しませ、日本のマンガの幅を広げてくださってありがとうございましたと言いたい。

 漫画家のちばてつやさん  赤塚不二夫さんに初めて会ったのは五十年ほど前。僕が手にけがをして漫画が描けなくなったとき、トキワ荘の人たちに代筆をしてもらったことがあり、そのお礼にうかがった。赤塚さんは静かでおとなしい人だった。以来何度も訪ねて、一緒に野球をしたり同人誌を出したり、思い出は山ほどある。僕も赤塚さんも駆け出しのころで、楽しかったな。赤塚さんも僕も同じ中国からの引き揚げ者で、一緒に中国を訪ねたことがある。行ってみたら、僕が住んでいたところと赤塚さんがいた場所は百メートルほどしか離れていないことが分かった。奉天(現在の瀋陽)という町で、小学校も同じだった。それからは、戦友のような存在になった。彼はとても優しい。でも、しらふだと人と話せないほどの照れ屋で繊細でもあったので、わざとふざけて人を笑わせた。いつも人を楽しませよう、喜ばせようとしていた。彼の作品自体が、彼のそうした思いがあふれている。ケムンパスやニャロメなど愛されるキャラクターをたくさん作った。もう一度会いに行けばよかった。大事な人を失った。とても悲しい。」 ーー以上サンスポよりーー

 2日の結果。 ポンテベドラ。フィニート、口笛。ホセ・トマス、耳1枚と強いもう1枚要求、耳2枚。カステージャ、耳1枚が2回。 ウエルバ。ポンセ、耳1枚。エル・シド、耳1枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚。 エステジャ。オルドニェス、耳なし。バウティスタ、耳2枚、耳1枚。ファンディ、耳2枚と尻尾要求。 カスティブランコ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ロベルト・アルメンダリス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、ルイス・デ・パウロバ、耳1枚。マヌエル・エスクリバノ、耳2枚と尻尾1つ。 セエヒン。ハビエル・ロドリゲス、アルフォンソ・ロメロ、耳なし。ラファエル・デ・フリア、耳1枚。 ラ・リネア・デ・ラ・コンセプシオン。アパリシオ、耳1枚。ハビエル・コンデ、耳1枚が2回。クーロ・デゥアルテ、耳2枚、耳1枚。 ナバス・デ・サン・ファン。リマ・デ・エステポナ、耳1枚、耳2枚。ビルチェス、耳1枚。ハビエル・コルパス、耳なし。 バルデペニャス。ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚。サンチェス・バラ、耳1枚が2回。サルバドール・ベガ、耳2枚と尻尾要求。


 8月4日(月) 曇のち雨 35533

 NHK『クイズでGo!』岩手三陸鉄道を観ていたら、番組で使われている音楽が60年代から70年にかけての名曲が使われていた。選曲が良いなあと感心した。番組は宮沢賢治の「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ。−(浄土ヶ浜)」で終わる。

 エレベーターやエスカレーター、自動ドアで、事故が多くなっている中で、昨日東京ビックサイトでエスカレーター事故が発生した。これは、構造上、1ステップに大人2名が全てのステップに乗ることを想定していない処に、1ステップに3,4名が乗って起こった事故だった。国の基準は1uに260キロ。これは、1ステップに、大人2名では定員オーバーになっている。それを遙かに上回る人数が乗った事による事故だった。エレベーターに定員があるのは知っていたが、エスカレーターに定員があるのは知らなかった。日常僕が、エスカレーターを通勤で使うときには、ステップを1つ空けて人が立つことが多い。その右側を昇っていく人がいる。この状態は、1ステップに、大人2名という定員オーバーの状態にはなっていないと、思う。

 2日ポンテベドラで行われた闘牛でホセ・トマスが耳3枚、セバスティアン・カステージャが耳2枚だったが、ネットのビデオを観たら、牛が凄く良かった。あんな牛はなかなか観れないだろう。最上級に近い牛だった。牛を出したのは、セサル・リンコンの牧場である。セサルは、種付け段階から血統の配合を吟味して、闘牛士がやりやすい牛を生産する事を念頭に置いている。この日の牛について、buen juegoとか、destacando el fondo bravo とか、manejablidad とか、書かれているが、その通りだろう。物凄く良い牛だった。闘牛士が非常にやりやすい牛だった。ああいう牛をホセ・トマスとセバスティアン・カステージャに提供したことは、牧場主として満足しているだろうし、誇りに思うだろう。でも、こういう牛が1番合っているのは、ホセ・トマスやセバスティアン・カステージャではなく、セサル・リンコン自身なのだ。


 3日の結果。 バルセロナ。バウティスタ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳1枚。カペア、場内1周。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。オルドニェス、耳なし。ファンディ、耳要求で場内1周。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚が2回。 ポンテベドラ。ポンセ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。エル・シド、耳1枚。カステージャ、耳1枚。 バイヨンヌ(フランス)。パディージャ、フリエン・レスカレット、耳なし。ルイス・ボリバル、耳1枚。 ウエルバ。フリ、耳2枚。ペレラ、耳1枚が2回。タラバンテ、耳2枚。 ラ・ロダ。フェレーラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。アントニオ・バレラ、耳1枚が2回。コルドベス・イホ、耳なし。 セエヒン。フンディ、耳2枚。レイ・ベラ、耳なし。ダニエル・ルケ、耳2枚、耳1枚。 ドロレス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳1枚。闘牛士、コルドベス、耳2枚、耳1枚。ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚。 エステジャ。フランシスコ・マルコ、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。サルバドール・コルテス、耳2枚。 インカ。エスプラ、耳2枚、耳1枚。バレラ、耳1枚が2回。カナレス ・リベラ、耳1枚、耳2枚。 サンタ・マルタ・デ・トルメス。イバン・ファンディニョ、耳なし。カルロス・ドジャゲ、耳2枚。 ソト・デル・レアル。セラニト、耳なし。ガブリエル・ピカソ、耳1枚。ホセリート・アダメ、耳2枚、耳1枚。 トレモリノス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、レオナルド・エルナンデス、耳2枚。闘牛士、フィニート、耳なし。サルバドール・ベガ耳1枚、耳2枚。


 8月5日(火) 雨、曇 5452

 変な天気だ。ゴロゴロ雷がなって雨が降る。その雨がパラパラしか降らない。でも、電車が停まる。運行が出来ないのだ。もう少しアスファルトが冷えれば気温が下がるのに、そうはならない。でも、今日は30度まで行かない予定だ。少しはしのぎやすそうだ。

 最近のネットでの闘牛の写真はあまり載らない。それより、ビデオの方の数が多い。その分、闘牛の質が分かり易くなっているが、それでも写真もちゃんと載せて欲しい物だ。

 4日の結果。  ウエルバ。コルドベス、耳1枚が2回。オルドニェス、耳なし。ファンディ、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。 イスカル。マノロ・サンチェス、カステージャ、耳2枚。ペレラ、耳1枚が2回。


 8月6日(水) 曇 41525

 これから泊まりに行く。2日帰って来ない。明日から試験。全く自信がない。もう少し時間が欲しかった。しかし、強制的に試験日を決められてしまった。それで今日に至る。

 5日の結果。 ビトリア。エル・シド、耳要求。カステージャ、耳要求、耳1枚。ペレラ、耳なし。 イスカル。コルドベス、耳1枚、耳2枚。オルドニェス、耳1枚。ガジョ、耳要求で場内1周。


 8月9日(土) 曇 31830/3

 試験が終わり昨日帰って来た。2日間疲れた。出来ることをやった。今の力で最良の物が出せたと思う。結果については、どうなるかは発表を待つまで判らない。100%落ちるだろうと思って受けた試験だが、何とかなるかも知れないと思えるところまで行ったのには、驚いた。帰ってきて、風呂に入ろうと思っていたら疲れて横になったら寝ていた。起きてTVを点けたら北京オリンピックの開会式を観た。そしたら、見とれてしまって風呂には行かなかった。素晴らしい開会式だった。巻物の絵巻。終わるまでチャンネルを変えることなく最後まで観た。これは非常に珍しい事だ。

 ビールを飲んでそれから寝た。今日は、休みで部屋にいた。片付けをして洗濯をしてのんびりオリンピックと高校野球を観ていた。ネットで馬券を買ったが、はずれた。緊張感がない、馬券は当たらない。谷亮子が、3連覇を狙ったが、準決勝で負け、銅メダルになった。初戦と次の試合を観ていて、奇跡が起きなければ優勝できないのではないかと不安を感じだ。それが的中した。判定は正しかったかどうかは判らないが、谷らしくなかった事だけは確かだ。僕は彼女が好きではないが、これだけ大きな期待を背負って、オリンピックに5大会連続して出場して全てメダルを取るというのは、人間的にしっかりしていなければ、出来ない偉業だと思う。

 8日タリファで、ハビエル・コンデが、ヌニェス・デル・クビジョ牧場のランサフエゴスという名の牛(No 31)をインドゥルトした。

 6日の結果。 ビトリア。フリ、耳なし。マンサナレス、耳2枚。ペレラ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。 ベニドルム。アントニオ・バレラ、耳2枚、耳1枚。オルドニェス、耳1枚。ファンディ、耳2枚、耳1枚。 ラ・アドラダ。パディージャ、耳2枚と尻尾1つ。パウリタ、耳2枚。セルヒオ・アギラール、耳2枚と尻尾1つ。

 7日の結果。 ビトリア。ラモス、ロペス・チャベス、耳なし。セラフィン・マリン、耳1枚。右臀部に7cmの角傷を受ける。 マジョルカ。コルドベス、耳1枚が2回。オルドニェス、耳1枚。ファンディ、耳1枚が2回。

 8日の結果。 ラ・コルーニャ。コルドベス、耳1枚が2回。オルドニェス、場内1周。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 タリファ。ハビエル・コンデ、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ。ファンディ、耳2枚、耳1枚。ペレラ、耳2枚、耳1枚。 ビジャヌエバ・デ・コルドバ。ペピン・リリア、耳1枚。フェレーラ、耳2枚。コルドベス・イホ、耳1枚。


 8月10日(日) 曇 4502

 試験が終わり、オリンピックが始まりせわしなくなった。録画していた、『メジャー』第3シリーズを、観る。相変わらず茂野吾郎は、型破りで、どうしようもない野球馬鹿!こういう素敵な馬鹿野郎が好きだ。野口みずきが、疲労が抜けず検査入院した。出場すら危うい状態で、メダルを望むのは酷なことだ。

 9日の結果。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。フリ、耳1枚が2回。マンサナレス、耳2枚。ペレラ、耳1枚、耳2枚。 ビトリア。ポンセ、耳1枚。エル・シド、耳1枚。エル・ビトリアノ、耳なし。 バイヨンヌ(フランス)。フンディ、耳1枚が2回。バルベルデ、耳要求で場内1周。ホセリージョ、耳なし。 ラ・コルーニャ。ペピン・リリア、耳1枚。ルイス・ボリバル、サルバドール・コルテス、耳なし。 ウエスカ。ハビエル・コンデ、耳なし。カステージャ、耳1枚、耳要求。タラバンテ、耳なし。 サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル。フラスクエロ、耳2枚。パウリタ、耳1枚が2回。アレハンドロ・アマジャ、耳なし。 Saintes Maries de La Mer(フランス)。バウティスタ、耳2枚が2回。ホセリート・アダメ、耳1枚、耳2枚。


 8月11日(月) 晴 27351

 昨日の男子柔道・内柴の金メダルに続いて、100m水泳平泳ぎの北島康介が、58.91秒の世界新記録で優勝した。

 「◆北京五輪 男子百メートル平泳ぎ決勝(11日・国家水泳センター) 北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が58秒91の世界新をマークして圧勝。1968年メキシコ五輪から採用された同種目初の2連覇を達成した。 従来の世界記録は、ライバルのハンセン(米国)が持っていた59秒13。北島は、この種目で初めて59秒を切る快挙を演じた。北島の世界記録更新は5回目で、二百メートルと合わせ2種目の世界記録保持者に返り咲いた。 北島の金メダルは通算3個目。競泳の日本選手としては1928年アムステルダム、32年ロサンゼルスの二百メートル平泳ぎで金メダルを獲得した鶴田義行以来76年ぶりの五輪連覇、史上最多の金メダル獲得記録となった。

 北島は、50メートルのターンではダーレオーエン(ノルウェー)とハンセンにリードを許したものの、後半の追い込みで一気に抜き去り、世界最強スイマーの力を見せつけた。 レース後、北島は感激を隠せず、涙をぬぐいながらしばらく言葉が出なかった。表彰式では、日の丸掲揚とともに流れた君が代を口ずさんでいた。 ダーレオーエンがノルウェーの競泳史上初となる銀メダル。デュボス(フランス)が2大会連続の銅メダルで、ハンセンは4位に沈んでメダルを逃した。

 北島康介「(タオルで顔を覆い)うれしいです。(しばらく沈黙。声が震え)すみません、何もいえない。(はぁはぁはぁとため息)応援してくれる人がたくさんいたので金メダル取れてよかったです。アテネ五輪よりもうれしい。超、気持ちいい、最高ですね。記録も優勝も出来て、本当に満足です。超気持ちいいです」

 ダーレオーエン「59秒20を出せたのは大きなステップになった。勝つには北島が手ごわい相手だと分かっていた」

 竹田恒和・日本オリンピック委員会会長「本当に頑張ってくれた。このプレッシャーの中で世界新を出して勝った。言うことはない。二百メートルでも、もう一つ金を目指してほしい。これでこそ日本選手団のけん引車だ」
 古橋広之進・国際水連副会長「百メートルは二百メートルと違って混戦でどうなるか分からなかった。どこで気持ちなどを切り替えるかと思っていた。考えていた通りのレースだろう。うまく泳いだ。良かった」
 福田富昭・日本選手団団長「柔道の内柴に次いでの2連覇は立派だ。日本選手団にとっては、だるまにやっと一つの目が入ったという感じ。これで選手団にも勢いがつく」
 平井伯昌コーチ「予定通り。完ぺきなレースができた。ハンセンの泳ぎをダーレオーエンがやってくると伝えた。きのう失敗のレースをして、(決勝は)冷静なレースを心掛けられた。開き直れたと思う」 」 ーースポーツ報知よりーー

 内柴にしろ、北島にしろ、期待を背負ってのオリンピック連覇は立派だ。北島は、ハンセンではなく、ダーレオーエンというダークホースが突然現れて自分のレースが出来ていなくて、心配していたが、ちゃんと結果を出す。北島はファンが多いので喜んでいる人が多いだろう。TVでも、町の人たちの感動したコメントが流れていた。北島は勿論凄かった。しかし、今日1番驚いたのは、バドミントン女子の末綱・前田組の大金星だ。

 「バドミントン女子ダブルス準々決勝で末綱聡子、前田美順組(NEC・SKY)が、前回大会覇者で世界ランク1位の楊維、張潔●(=雨かんむりに文の旧字体)組(中国)と対戦。第1ゲームは21−8と大差で敗れたが、第2ゲームでは粘りを見せて23−21で奪い返した。 日本は第3ゲームで中国組のスマッシュを拾い、左右の揺さぶりに耐え、シーソーゲームの接戦。14点から4点を連取するなどし、21−14で勝利、大金星を挙げた。

 世界ランク1位を破る大金星。地元の中国ペアが圧倒的優位とみられていた北京五輪バドミントン女子ダブルス準々決勝を制し、4強入りを決めた末綱聡子(27)、前田美順(22)の両選手は勝利の瞬間、歓喜のあまりラケットを投げ出し、コートに倒れ込んだ。

 「言葉にするのがもったいないくらいうれしい」と前田選手。人気ペア、オグシオの陰に隠れていた2人が、力を出し尽くしてつかんだ大殊勲。涙で顔をくしゃくしゃにして、スタンドに両手を振った。 第1ゲームを先取されたがあきらめなかった。相手ペアに大声援が響くスタジアム。アウェーの逆風をはね返した2人はコーチと抱き合い、喜びを分かち合った。(共同)

 末綱聡子の話 「信じられない。まさかここまでくるとは思わなかった。せっかくの舞台なので、後悔したくなかった。倒れてもいいと思うくらい攻撃し続けた。ここまできたら、メダルを狙いたい。」
 前田美順の話 「言葉にするのがもったいないくらい、うれしい。(第1ゲームを落とした後)このまま終わるのは悔しいと思い、第2ゲームから開き直った。」 」 ーーサンスポよりーー

 「8月11日午前に行われたバドミントン女子ダブルス準々決勝の第1試合で、世界ランキング1位の楊維選手・張潔ブン選手のペアが、日本の前田美順選手・末綱聡子選手ペアに、ゲームカウント1−2で敗れたと中国網(チャイナネット)日本語版が伝えた。 試合が終わったあと、楊維選手と張潔ブン選手は気落ちした表情で、「負けるとは思わなかった。第2ゲームの19−17でリードしたとき、チャンスは自分たちの手の中にあったが、いつくかの致命的なミスをしてしまった。第3ゲームでは集中できず、体力もついていかなかったので、負けてもおかしくない結果」と話した。」 ーーこの記事は、中国で唯一対外放送を行う国家放送局の「中国網(チャイナネット)日本語版」による提供よるーー

 レシーブが上手くゲームを作る先輩の末綱と、レシーブが穴だが強打の前田の組み合わせ。点を取っては大きな声を上げて喜び、長いラリーのほとんどを得点していたのには本当に驚いた。前田の強打は魅力的だった。気持ちいい。あのためらいのなさが良い。勝った瞬間、万歳をして泣き崩れた姿を観たときに、込み上げてきた。NHKで長年に渡ってオリンピックやスポーツ中継のアナウンサーを担当した、羽佐間正雄は、4年間一生懸命練習に励んで出て来て、優勝し金メダルを取る選手を観て、「これ程までの努力を、人は運という」言った。末綱・前田組の長ーいラリーを強打で得点を重ねていく姿に、「運」だけではない何かを僕は感じた。

 素晴らしい試合だった。2人とも九州出身のB型コンビ。以前なら相手を怒って口もきかなくなってボロボロの試合になっていたと言っていた。1セットを落として、開き直って自分たちのリズムを取り戻し逆転で勝ってしまった。耐えて自分たちを信じると言うことが出来て、最後まで冷静に試合を進めることが出来た。何とかメダルを取らせてやりたいなぁと思った。

 10日エル・プエルト・デ・サンタ・マリアで、ホセ・トマスがコヒーダされて重傷を負った。しばらく休養するだろう。ホセ・トマスの闘牛を観に、ヒホンに闘牛を見に行ったシーラさんたちはおそらくホセ・トマスが観れなくなるだろう。残念だろうなぁ。最新情報では、やはり、12日のヒホンの不出場が決定した。また、14日のサン・セバスティアンも危ないようだ。それ以降は不明。

 10日の結果。 バルセロナ。ガジョ、耳なし。コヒーダされ首に5cmの角傷を受ける軽傷。モレニート・デ・アランダ、耳なし。アンヘル・テルエル、耳1枚、場内1周。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ホセ・トマス、耳なし。コヒーダされて臀部に左7cmと8cm2ヶ所、脇の下に9または10cmの角傷を受ける重傷。モランテ、耳なし。 バイヨンヌ(フランス)。ポンセ、バウティスタ、ダニエル・ルケ、耳1枚。 サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル(マドリード)。アパリシオ、場内1周。フリ、耳2枚、耳1枚。マンサナレス、耳2枚。 ポンテベドラ。フェレーラ、アベジャン、耳1枚。ルイス・ボリバル、耳2枚。 アリカンテ。クーロ・ディアス、耳1枚。サルバドール・ベガ、場内1周。エウヘニオ・ペレス、耳なし。 ラ・コルーニャ。ウセダ・レアル、耳1枚。マティアス・テヘラ、耳1枚が2回。アンベル・ポサダ、耳なし。

 フミジャ。ペピン・リリア、耳1枚、耳2枚。オルドニェス、アルフォンソ・ロメロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 トレモリノス。コルドベス、ファンディ、耳1枚、耳2枚。ペレラ、耳なし。 バルモハド。アニバル・ルイス、耳2枚が2回。マリオ・コエロ、耳2枚。ロブレニョ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。 ビジャカニャス。アントニオ・バレラ、耳なし。セサル・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。アンドレス・パラシオス、耳1枚。 ビジャヌエバ・デル・リオ・セグラ。フィニート、耳1枚、耳2枚。ハビエル・コンデ、耳2枚。ラファエリジョ、耳2枚と尻尾1つ、耳1枚。 


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