−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
por 斎藤祐司
過去の、断腸亭日常日記。 −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−
太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年のスペイン滞在日記です。
6月17日(火) 曇 15587
日本に無事帰国。今成田のホテルでくつろいでいる。16日は、昼食をカエルさんの作ったスパゲッティーを食べて、荷造りと掃除をして裕一君を待った。荷物を預ける為だった。そうしたら、雨が降ってきた。ゴミ捨てに外に出たらTEL。雨宿りをして、バルで、僕はコーヒーを飲み彼はビールを飲んだ。それから、部屋に行き預ける荷物を見せていたら、冷蔵庫に入っていた缶ビールやプリン、ヨーグルトも持って帰るというので、荷物の中へ入れて、帰国用の荷物を持ってグラン・ビアへ出た。そこで、タクシーを捕まえて乗って、彼は帰っていった。グラン・ビアまで送ってくれたことが、有り難かった。9月に一時帰国するというので、その時に会えれば嬉しい。
部屋を出る前に、3本TELがあった。Kさんからは、部屋を出るのでその挨拶と手順を教えてくれた。Yさんからは、前日のホセ・トマスの闘牛の事についての話をするために、TELがあった。M夫妻と食事に出かけたので、ゆっくり話が出来なかったのだ。Yさんは、20日のアリカンテにおそらくホセ・トマスは出ないだろうけど、休みもホテルも取っているので、出掛けるといっていた。タラバンテを観に行くといっていた。勿論、カステージャも見るのだ。それから、寿美さんからの伝言を受け取った。
それは、15日の闘牛は普通の闘牛と違い、重要な闘牛なので、マドリードで仕事をしている日本の旅行会社にFAXを送り、レストランの予約を遅くして、6頭まで全部観るように、お願いする文章を送ったという。それでも、阪神航空は、3頭で帰っていって、5頭目のホセ・トマスの闘牛を観なかったという。これは、闘牛士(ホセ・トマス)を馬鹿にしているので、抗議するという。具体的には、彼女は、日本の新聞社3社に抗議文を送るという。僕は、ネットでHPを通じて抗議して欲しいというお願いだった。
TVの放送などでは、15日のホセ・トマスの闘牛を観るために、2日前から地方からやって来て並んでいたのだという。地方からその日の闘牛を観に、わざわざやってきた人でさえ切符を手に入れれなかった人が多いのだという。それは、14日と15日に変わる0時頃ラス・ベンタス闘牛場に並ぼうとして行っていたので、そのことは充分想像が着く。あの時点で並んでも買えなかったはずだ。何故なら200枚しか発売しなかったから。その時点で並んでいる人の数が目測で200人はいたからだ。
それで、カエルさんは切符を諦めらのだ。そうやって諦めた人は物凄く多いのだ。それを、3頭観て帰るとは、闘牛士にも失礼だし、旅行に来ている日本人にも失礼だ。だって、一生に一回観れる重要な、そして、涙が出る闘牛を見損なったのだから。だから、近々コンテンツを作ってこのHPでも抗議したいと思っている。
それから、TさんからもTELがった。『EL PAIS』の記事についてだった。ラス・ベンタス闘牛場の二万4千人の、魂を鷲掴みにした闘牛と絶賛しているという。それは、そうだと思う。あの日、ラス・ベンタス闘牛場にいた、ほぼ全ての人が魂を鷲掴みにされたのは事実だと思う。初めの牛では、顔から血をしたたらせ、次の牛では、右太腿をぐっさり刺されて血が流れていても、ファエナを最後まで続けたのだ。あんな闘牛やられたら、泣ける!
ホセ・トマスの闘牛を見ながら声も上げずビデオを撮り終わってから、隣で観ていたSさんが、良くそうやってビデオを撮って入れますね。感心します。と、いわれた。ビデオを撮っていなかったら、声を上げて、「オーレ」の合唱に加わるか、何かを叫んでいただろう。でも、ビデオを撮っていると、それに集中しているので、そういうことには加わらないのだ。コヒーダ・シーンでもほとんどカメラはブレていないはずだ。それは、長い間、闘牛場に通って写真を取り続けて来た経験が物をいっているのだ。
去年、バルセロナで撮った2本のDVDを観た下山さんが、引いて撮っていると、いっていた。それは、TV中継のように冷静に撮っているという意味だ。でも、セサル・リンコンだけは、そういう風には撮れないのだ。どうしても思い入れが強すぎて、下手な撮り方しか出来ないのだ。でも、ホセ・トマスに関しては、これは、冷静に撮れる。冷めた目で、冷静に観察者としての目で、ビデオを撮ることが出来るのだ。
タクシーで、バラッハス空港に着いた。Tさんが、ターミナル1から出るのを調べてくれたから、楽だった。直ぐに、チェック・インして中で、16日の新聞の切り抜きを読んだりしていた。それから、最後に下山さんにTELを入れたが繋がらなかった。しばらくしてから掛けようと思っていたら、掛かってきた。それで、また、15日のホセ・トマスや、5日、28日のコルドバの話をした。来年またスペインに来たら、DVDを持ってこようと思う。
飛行機の中で充分寝てきたのであまり眠くなかったが、ビールを飲んでいたら少し眠くなってきた。
6月19日(木) 曇 16461/2
一昨日成田のホテルでは、やはり時差で4時の目が覚めた。ちょっとだけと思ってPCに向かったら、今度は寝れなくなった。カルテルやら何やら書いて、ネットをしたり。勿論、YouTubeでホセ・トマスを観た。僕が撮ってきたビデオは、画面が小さいので家に帰ってTVに接続しないと大きい画面で見れないからだ。それから、迷ったが、2000円以上出して朝食を食べにいった。そこではハムやソーセージスクランブル・エッグなどには目もくれず、しらすおろし、たくあん、大根と豆腐の煮付け、オクラの炒め物、明太子、岩海苔、海苔、そして、納豆、ご飯、みそ汁を食べた。しらすが美味しかった。納豆でご飯2杯食べた。それから、瓜のような白いメロンを食べた。こういう瓜のようなメロンが好きだ。小さい頃食べた、緑色の瓜を思い出す。あんな物今じゃ食べる人いないだろうけど、ガキの頃を思い出すのだ。それから、コーヒーを飲んで部屋でウンコをして風呂に入った。
ホテルを出て空港へ。タバコを一服して成田エクスプレスで新宿へ行き部屋に戻ったのが12時過ぎ。それから留守中に録画予約していたDVDのHDDを整理して、撮ってきたホセ・トマスなどの闘牛のビデオをDVDにダビングした。今回のスペインは、非常に充実した3週間だった。いつもは約2ヶ月の旅だが、期間は短くても内容の濃い闘牛が観れて大満足。3回と1番多く観たホセ・トマスの闘牛が何といっても、どれも素晴らしかった。史上最高の闘牛士とホセ・トマスを僕は呼んでいるが、スペインでは、未だ誰もそういう風にはいっていない。が、そのうち、スペインでもそう呼ばれるだろう。
今日は、朝から仕事場に顔を出して、お土産を渡した。それから病院に行って健康診断をして戻ってきた。今日できることはした。夜、飯を食ってから、15日と、5日のビデオを観る。それから風呂に入って、PCに向かっている。
6月20日(金) 曇 13003
今日から仕事。今日は少しだけ早めに出て、用意して仕事。未だ、時差ボケ状態。いつも、そんな状態だから大丈夫だと思う。東京は今、梅雨だという。天気予報では、これから1週間、雨が続くようだ。東京もマドリードと同じで未だそんなに暑くない。こんな天気が続きそうだ。
6月22日(日) 雨 42326/2
20日にHPのトップを変えた。変えたのは、背景の色と、写真。色は黒から青っぽい色に、写真は、セサル・リンコンからホセ・トマスに替えた。写真の下のコメントもホセ・トマスの言葉に替えた。評判がどうなのかは判らない。ISOさんだけが、それに早速しているくらいだ。これからは、これでやろうと思っている。
久々の仕事で、色々と問題点があることに気づいた。そういうことを、改善することと、新たな問題点を洗い出すことが必要だと思った。
18日の結果。 アリカンテ。ペピン・リリア、耳なし。ファン・バウティスタ、耳要求で場内1周。マティアス・テヘラ、耳なし。
19日の結果。 アリカンテ。フィニート、耳1枚。ファンディ、耳要求で場内1周、耳1枚ともう1枚要求。タラバンテ、耳なし。
20日の結果。 アリカンテ。エスプラ、カステージャ、耳なし。ペレラ、耳2枚、耳1枚。コヒーダされ左太腿に角傷を受け伏在の静脈が破けた模様で重傷。
21日の結果。 アリカンテ。ポンセ、耳1枚、耳要求で場内1周。ハビエル・コンデ、口笛、罵声。マンサナレス、耳1枚が2回。 トレホン・デ・アルドス。オルドニェス、耳2枚。ラファエル・デ・フリア、耳2枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。
6月23日(月) 雨のち曇 29402
未だ、時差ボケがあるようで突然眠気が襲ってきて、横になると寝ている状態だ。そんな状態だから、土日の競馬は負けた。どうも、勝負レースを間違えている。レースが終わってから、冷静になると、何でこんなレースを買ったんだろうと反省を繰り返していた。それと、土曜日は福島を中心に買ったら、はずれ、日曜日は雨で重馬場の函館を買ったらはずれた。本当に馬鹿なことをした。
それでも予感があって、阪神の重賞は買わなかった。そしたら、最低人気馬が優勝して単勝万馬券、3連単が193万円の馬券だった。怖いよな、こんな競馬。でも、そこにもドラマがある。
「第13回マーメイドS(22日、阪神10R、GIII、3歳上牝馬オープン国際、ハンデ、芝・内2000メートル、1着本賞金3900万円=出走12頭)牝馬限定重賞は大波乱!! 1000万下から2段階の格上挑戦だった最低人気のトーホウシャインが、直線で最内から力強く抜け出して重賞初Vを飾った。タイム2分3秒5(重)。単勝万馬券、3連単193万円を演出した殊勲の高野(こうの)容輔騎手(24)=栗・沖=は、これが今年の初勝利だった。一瞬の静寂のあと、1頭だけ明らかに違う勢いで直線を駆け抜けてきた。大波乱の立役者は最低12番人気の条件馬トーホウシャインだった。
「ホント、やりましたのひと言です。直前に雨が降ってくれて、他馬の脚を止めてくれたのもありますが、うまく展開がハマってくれましたね」 7年目の24歳。高野容騎手が振り返る会心の一撃は、平地では03年10月のシリウスS(ミスイロンデル11着)以来、4年9カ月ぶり3回目となる重賞挑戦での初V。しかも自身は今年初勝利、平地では05年10月15日(京都8Rクロスファイア)以来、実に2年8カ月ぶりの勝利が重賞なのだから喜びはひとしおだ。
それでも、騎乗ぶりは冷静そのもの。後方のラチ沿いを淡々と進み、4コーナーで他馬が外に出す中、「ここしかない」タイミングで内に進路を取った。直線に入ると、前にはピースオブラヴしかいない。懸命に追い続けると、パートナーもそれに応えてメンバー最速の上がり3ハロン36秒5の脚を駆使。人馬とも“伏兵”とは思えない鮮やかな差し切りだった。
「重賞に乗れるチャンスですからね。(騎乗を)頼まれてから、必死に体重を落としました」ハンデ48キロの馬の騎乗依頼を受けた17日から、口にしたのは野菜と果物だけ。前日も阪神でのレースが終わると、栗東に帰り、カッパを着込んでランニングをした。48キロの馬に騎乗するために必要だったのが、6日間で50キロから46.2キロへの3.8キロもの減量。それを克服した努力を、神様は見放さなかった。
私生活でも責任感が生まれた。昨年11月に所帯を持ち、8月には第一子(男児)が誕生する。新たな生活の励みとなる大きな1勝を手にした。 「入着ぐらいはあると思ったけど、競馬はやってみないと分からんな」。管理する崎山調教師も驚きを隠さない。トーホウシャインは、連闘後での中1週の競馬だったため少し休養を取る様子。重賞ウイナーとして迎える今後の活躍を楽しみに待ちたい。」 ーーサンスポよりーー
売れない騎手。初めて名前を知った騎手だ。そういう騎手でも、こういうドラマがあるのだ。寺山修司は、こういう競馬のドラマを書いていた。それが競馬の魅力なのだ。馬券だけじゃない。そのドラマを読み解くことが競馬の楽しみに繋がるのだ。
ディエゴ・ベントゥラが、トレホン・デ・アルドスで、コヒーダされて右足首に10cmと4cmの角傷を受けた。
22日の結果。 マドリード。フランシスコ・ハビエル・コルパス、場内1周。レアンドロ、ガブリエル・ピカソ、耳なし。 バルセロナ。パディージャ、サンチェス・バラ、バルベルデ、耳なし。 アリカンテ。ミックス闘牛。闘牛士、オルドニェス、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。見習い闘牛士、アレハンドロエスプラ、耳1枚。 バダホス。フェレーラ、耳2枚、耳1枚。フリ、耳2枚。ペレラ、耳1枚。
イストレス(フランス)。フンディ、耳2枚。ラファエリジョ、耳なし。フリエン・レスカレット、耳1枚。 ムロ。エル・シド、耳1枚、場内2周。ファンディ、耳2枚、耳1枚。マンサナレス、耳1枚。 トロサ。ハビエル・コンデ、耳1枚と場内2周。バウティスタ、耳1枚、場内1周。イバン・ファンディーニョ、耳1枚ともう1枚要求。 ビナロス。カナレス・リベラ、場内1周。セサル・ヒメネス、耳なし。コルドベス・イホ、耳1枚。 サントベニア・デ・ピスエルガ。マリオ・コエロ、耳1枚。ミゲル・アンヘル、耳なし。ロペス・ディアス、耳2枚。 アベノハル。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、クーロ・ベドジャ、耳1観阿。フェルナンド・カマラ、耳1枚が2回。ビクトル・ハネイロ、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。見習い闘牛士、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。
6月24日(火) 曇 4806
ビデオを編集していて、28日コルドバ、5日と15日のラス・ベンタスのホセ・トマスの闘牛の合計時間が、約2時間半あることが判った。仮に全部やるとすれば、他のが流せなくなる。30日のタラバンテ、31日のエル・シド、1日アランフェスのカステージャ、6日のタラバンテとペレラ。これをどういう風に2時間で収めるか、それが問題だ。
『6TOROS6』の今週号で、15日のホセ・トマスの闘牛の特集が組まれている。早速メールをして頼んだ。上手くいけばカエルさんが持ってきてくれるだろう。なお、ホセ・トマスは、20日のアリカンテ、23日バダホス、に続いて28日アルヘシラスの出場も取りやめた。
23日の結果。 アリカンテ。ペピン・リリア、耳1枚ともU2会要求で場内2周。エル・シド、耳なし。コヒーダされ強打して左足首を捻挫。ペレラ、耳なし。 バダホス。フィニート、罵声。マンサナレス、耳なし。カジェタノ・オルドニェス、耳要求、耳1枚ともう1枚要求。
6月26日(木) 雨 53681/2
時差ボケか、眠くなって横になると、夜中に起きたりする事を繰り返している。やっぱり、年には勝てない。ホセ・トマスのビデオを観て、何処を使うか考えているところ。カエルさんが言うには、ラス・ベンタス闘牛場のホセ・トマスは、ノー・カットで全部使うべきだと、いっていたけど、時間の関係もあるのでその辺が、問題なのだ。出来れば、全部流したい気持ちだけど・・・。そうか、他の闘牛の方から編集すればいいのかも知れない。それをやってみようかな。それでもダメなら、闘牛の会当日、2つのビデオを持っていって、選んで貰うということも、考えよう。
24日の結果。 アリカンテ。フリ、マンサナレス、エウヘニオ・ペレス、耳2枚。 バダホス。ポンセ、耳なし。フェレーラ、耳1枚が2回。タラバンテ、口笛。 レオン。フィニート、罵声。モランテ、耳1枚。ペレラ、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。
25日の結果。 バダホス。ハビエル・ソリス、耳1枚が2回。アンベル・ポサダ、耳2枚、場内1周。イスマエル・ランチョ、耳要求。
6月28日(土) 曇 57228/2
先日、スーパーのレジで会計をしていたら、あのイントロが流れ出した。会計を終わる頃には、1番の歌が始まっていた。そう沢田研二の、『おまえがパラダイス』。そうなると気分は、この歌を聴いてから店を出ようと思ってしまう。
♪抱きしめたならば 離さないさ二度と おまえがパラダイス♪ ーー歌詞:三浦徳子ーー それでも、♪見知らぬ町で 雨に打たれて おまえの素肌が 矢のように恋しくて 千里を飛んだ♪までは聴かずに出てしまった。
何故なんだろう?寺山修司の文章を思い出した。それは、ある映画のラスト・シーン。主人公の犯罪者が、国境を越えると自由の身になる。しかし、国境手前の店に立ち寄り、1杯のコーヒーを飲みながら、ジューク・ボックスから思い出の曲を探し出して、1曲かけるのである。それを聴き終わったら国境を越えよう。しかし、曲が終わるまでにパトカーが来て警官に逮捕される。
店の主人にお金を払いながら、今の曲、何分だったと、訊く。3分半です。彼は、3分半前に国境へ向かえば自由になれたのにそうしなかった。そこで、寺山は、3分半の物語、天皇賞の話をするのだった。当時の天皇賞の勝ちタイムは、今と違ってそれくらいあったのだ。考えてみれば昔は、自由か、逮捕かというギリギリの状況においても、そういう余裕があった時代なのだろう。今は、スーパーのレジの帰りですら、その3分半が待てない時代になってしまったのだと思った。家に帰ればCDを聴けるとか、YouTubeで観れるとか・・・。
同じ日だったろうか?床屋にいった。入ったら音楽が流れていた。エミルー・ハリスである。珍しいこともあるもんだ。多分、ラジオからかかっているんだろうと思っていたら、2曲3曲と続くので店主に訊いたら、エミルー・ハリス知ってるのと、ビックリされた。それは昔っからしっているし、LPやCDも何枚も持っている。初期のアコースティックのカントリーだった。店主曰く、3ヶ月に1回くらい無性に聴きたくなる。ドリー・パートンとエミルーはPCに入れて暇なときに1人で店で聴いているのだという。普段は、ジャズばっかりだけど、たまにこういうのが聴きたくなると言うのだ。
ドリー・パートンの名前が出て来たので、エミルーとリンダ・ロンシュタットの3人でアルバムが出ている話をしたら、のってきて、確か『トリオ』というタイトルだったと、言い出した。そういえば、マドリードのFNACで、『トリオ』と『トリオ2』を観たことがある。そんな感じで音楽の話で盛り上がった。エミルーならクリスマスソング・アルバムを聴いたときの、声の透明感にビックリした話をしたら、興味を覚えたようだった。
MIXIに、書き込みをした。TTT定例会報告についてどうしたらいいかという物だ。ホセ・トマスの闘牛だけにするか、それとも、他の闘牛も入れて報告した方が良いかという物。ホセ・トマスだけにすれば、僕が撮ってきたビデオを、ノーカットで全部見れるのだけど・・・。
26日の結果。 アルヘシラス。ペピン・リリア、フェレーラ、耳なし。エル・シド、耳1枚。
27日の結果。 アルヘシラス。ポンセ、場内1周。モランテ、耳なし。エル・シド、耳1枚ともう1枚要求が2回。 レオン。カスターニョ、バルベルデ、耳1枚。ホセリージョ、耳1枚、場内1周。 サモラ。フリ、耳なし。ファンディ、耳要求、耳2枚。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。
6月29日(日) 雨 10806
ヨーロッパ選手権で、スペインが久しぶりに決勝進出を決めた。ドイツとの決勝だがどうなることか。昨日は研修だった。これから土曜日はしばらく研修に行くことになる。おかげで競馬はしなかった。今日の宝塚記念は、当初は、カンパニーとアルナスラインの1点と思っていたが、色々考えてサムソンか?とも思ったが、この雨じゃ武豊は来ない。何を買うかはこれから新聞を観て決めるが、上記2頭と、ロックドゥカンブ、アサクサキングスと気になる、ドリームパスポート辺りになりそうだ。
28日の結果。 サラゴサ。アパリシオ、耳要求で場内1周。モランテ、耳なし。サルバドール・ベガ、耳1枚。 アルヘシラス。コルドベス、耳1枚、場内2周。カステージャ、耳2枚が2回。コヒーダされ右太腿に20cmの角傷を受ける。重傷ではない。マンサナレス、耳2枚。 レオン。ポンセ、耳2枚、耳1枚。ファンディ、耳1枚、耳2枚。タラバンテ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚、耳2枚。
6月30日(月) 雨のち曇 38833
今日まず初めに書かなければならないのは、サッカースペイン代表チーム(セレクション・エスパニョーラ)が、ヨーロッパ選手権で44年ぶり2回目の優勝を遂げたことだ。この大会で決勝に残ったドイツは、試合内容で劣っていたので、スペインが優勝しそうな気がしていた。その通りの結果になったことは非常に喜ばしいことだ。あれだけマスコミに叩かれ続けたルイス・アラゴネスが、大会前に代表監督を辞任することを表明して挑んだ大会。アトレティコ時代に、トーレスを使い続けたアラゴネス。それに決勝で応えたニーニョ・トーレス。アラゴネスは、ラウルのカリスマ性やそのチームへの影響力を嫌い、今回チームから外した。そういうことに不満を持つ、ディレクターのフェルナンド・イエロは、アラゴネスとはソリがが合わない。そういうこともあってアラゴネスは、辞任する。
スペインの攻撃は、面白いサッカーを体現していたのかも知れない。と、いっても実は、1試合もTVで観ていないから判らない。ただダイジェストとかで観ているぶんには、そう思った。マドリードは凄い騒ぎになっているようだ。バルセロナや他の所でも喜びが爆発しているみたいだ。国王とカシージャスの長い抱擁は感動的である。スタジアムには、ファン・カルロス国王、とソフィア王妃、エレナ王女、サパテロ首相、フェルナンド・アロンソなどが観戦に来ていた。14時からのテレマドリードのニュースを観ているが、1時間の内に約45分ヨーロッパ選手権のニュースを流していた。15時からは25分間の特集番組がある。チームがマドリードに帰ってくるのは、19時半だという。凄い騒ぎは続きそうだ。
宝塚記念は、惨敗。知り合いは1点勝負で当てた。重馬場で逃げると思われていたエイシンデプュティ本命、腐っても鯛のメイショウサムソンを対抗で、馬単、馬連、ワイドの3種類の馬券を予想した。その時、ハイアーゲームに負けた馬がGT勝てるか?と、疑問を投げかけた。そうしたら、あの頃とは馬が変わったことと、雨によって展開が有利になることをいっていた。サムソンについては、調教など絶好調であること、格が違うことをいい、しかし、武豊だから優勝はない気がするということだった。
レース後に話した。宝塚のデータは4歳有利。しかし、考えてみれば、ダービー馬のいない4歳馬。そのダービーは牝馬ウォッカに勝たれ、ウォッカよりも強いダイワスカーレットがいる世代が、4歳。菊花賞馬のアサクサキングスは、そのウォッカに完敗した馬。そういう4歳馬が持てはやされた事が今回の人気に大きな影響を与えた。
7月1日(火) 曇 8982
マドリードで、ISOさんに盛岡冷麺について批判された。ゴムみたいない麺だとか、何でスイカが乗っているのか、というものだ。麺については、あれで良いと思う。帰ってきて他の冷麺を食べたが、僕の感覚は、盛岡冷麺の麺が1番麺らしいし、美味しいと思った。スイカについては、子どもの頃から違和感を感じていた。おそらく、昔はスイカが高級品で、それを冷麺に添えることが意味を持ったのだと思う。味的には冷麺に合わないともうからだ。
昨日の夜中、TVで中坊公平が、「何故だろうと思うことが、知ることである。」といっていた。知識を得ようとか、考えるよりは、その方が大事だと。中坊さんの話は、感動的な話だった。
29日の結果。 マドリード。アニバル・ルイス、セルヒオ・マルティネス、耳なし。エミリオ・デ・フスト、耳なし。コヒーダされひ腹筋に角傷を受ける。 ブルゴス。ポンセ、ペピン・リリア、耳なし。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。 セゴビア。マンサナレス、耳1枚、耳2枚。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚が2回。チェチュ、耳1枚。 ソリア。ハビエル・コンデ、口笛。マティアス・テヘラ、耳1枚。ペレラ、耳1枚が2回。
30日の結果。 ブルゴス。フィニート、耳なし。コルドベス、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。エル・シド、耳1枚が2回。
7月2日(水) 晴 55910
スペインに行く前に郵送して申し込みをしていたtaspoのカードが、いないうちに送られてきて、取れないから、日本たばこ協会に送り返されていた。帰国後にTELでそのことをいって、また送って貰った物が、再送されて今日届いた。未だ、使っていないが、観ると有効期限があることに気づいた。パスポートと同じで10年。この間に、こんな物が必要ないようになって貰いたいと思う。
盛岡出身者と冷麺とじゃじゃ麺の話をした。やはり、初め食べたときに冷麺は、ゴムみたいない麺と感じたという。でも、それがやみつきになる。他の所の冷麺を食べると物足りないし、美味しいと思わないのだ。じゃじゃ麺は、僕が高校を卒業してから10年後くらいに、流行始めたらしい。出来たのは、昭和28年らしい。昭和29年創業の、「食堂園」の冷麺と変わらないが、じゃじゃ麺なんて知らなかった。5月に盛岡に帰ったときに食べた、県庁近く、桜山神社前の店が、「白龍(パイロン)」が発祥店で、高校生たちが通って流行、それが盛岡中に広がっていったらしい。
今や、わんこそばは影が薄い。値段が高いのや、商品提供に人手がかかるのが原因だろう。
7月1日の結果。 ブルゴス。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚。闘牛士、マンサナレス、耳1枚。カジェタノ・オルドニェス、耳なし。
7月3日(木) 曇 5352
6月5日ホセ・トマスの闘牛を見終わったあとに、M婦人と話したときにもいったことだが、以前の姿勢と、今のファエナの時の姿勢が違うことを指摘した。未だちゃんと分析したわけではないが、やはり腰が曲がっている。傾いているというか・・・。それがどうのように違うのかはこれから分析するとして、ファエナ中の表情は、明らかに復帰前の方が穏やかだ。穏やかといっても、時折男らしいキリリとした真剣というか、厳しい表情をしている。今の表情は、非常に厳しいし、必死な感じと、自分の感情が露出している姿が見える。
少なくても、復帰前のファエナの時は、あれほど感情をむき出しにしてはいなかった。闘牛場でオペラグラスや双眼鏡で観ればそれが分かるだろう。この違いは、何なのか?そういうところも観ながら、復帰前のDVD4枚分のホセ・トマスの闘牛を観れば何かが判るような気がするのだ。
2日の結果。 ブルゴス。エル・シド、タラバンテ、耳なし。
7月4日(金) 雨のち晴のち雨 53022
今日は、東京に戻ってきて、初めて暑いと感じた。32度あったそうだ。東京は未だ梅雨なのだろうか?夜になって雨が降ってきた。昼はあれだけ太陽が出て暑かったのに、天気の変わり具合は、「男心と秋の空」ならぬ梅雨の空。
ホセ・トマスの闘牛の違いについて、97年5月27日サン・イシドロの初めてのプエルタ・グランデの時のと、違いは、ファエナ中、牛を誘うとき声を出している。右手のタキージャドールを持つ右手の位置が、ムレタの中央に近い位置を持っている。左手のタキージャドールを持つ位置は、少しだけムレタ中央よりの所を握っている。以前は声を出していたというのは、牛を誘う時にムレタの動きだけで誘う自信がないからなのかも知れない。まっ若いから声を出して誘っているというのがあるのかも知れないが・・・。
ムレタを持つ位置については、他のファエナを観ないと判らないが、今の位置で腰を反らしてというか、倒して手を低くしてパセをしている。そうすると、どういう事になるのか?それが良く判らない。
3日の結果。 ブルゴス。ラモス、耳1枚が2回。フリ、耳1枚。ペレラ、耳なし。
7月5日(土) 曇 8198
今日も東京は暑かった。でも、冷房の利いた部屋に閉じこもっていると寒くて、冷房病になってしまう。暑いときは、汗を流していないと体に悪いのだ。エコロジーとか何とか言っている人が、クーラーをかけずに、自宅で一夏過ごせるのなら、それはエコロジストだろうが、そうじゃないのであれば、本当にエコロジストと言えるのだろうかというと、いう疑問を持ってしまうのは、間違った考えだろうか?地球温暖化の一因は、夏にクーラーばかり付けてばかりいる人たちのがいるというのもあるからだ。
まっそういう人に限って、自分のことを棚に上げて、他人のことばかり責め立てる、ヒステリックな女のように手の付けられない人なんだろうけど・・・。夏に、厚い掛け布団かけてガンガン冷房かけて寝ていたりするんだろう。信じられないことだけど、そういう人っているんだよなぁ。
4日の結果。 ブルゴス。コルドベス、耳1枚。オルドニェス、耳1枚が2回。ファンディ、耳1枚ともう1枚要求、耳1枚。
7月7日(月) 雨のち曇 41234/2
朝、カエルさんと待ち合わせをして、貸していたメモリーを返して貰った。その他に、『6TOROS6』などを受け取る。弁当も作ってきてくれて、昼食はそれを食べた。色んな物が入っていた。煮物、和え物、玉子焼き、などどれも美味しかった。苦手のにんじんもちゃんと食べれた。味付けがシンプルだから、体が受け入れられるんだろう。豚肉も多分片栗粉をまぶして焼くか揚げるかした物で薄味でも、噛めば味が出る感じがした。普段食べないレンコンの辛子炒めもいけていた。手間がかかてっいるのが判る弁当で有り難かった。
『6TOROS6』は、6月15日のホセ・トマスの闘牛が載っている。その日の記事は、ホセ・トマスの事がほとんどで、フンディとバウティスタの記事はほんの6行ほど。こんな闘牛の記事の書き方は観たことがない。それだけの衝撃が、こういう書き方になって表れているのだろう。
今日からサミットが始まった。どういう風に話し合いが進められどういう結論が導き出されるのか興味があるが、福田首相にリーダーシップを期待するのは無理な気がする。『あんどーなつ』を観る。主演は、『ちりとてちん』の貫地谷しほり。彼女の演技の間が見慣れているので心地よい。このドラマはなかなか泣ける。
スペインではパンプローナのサン・フェルミンが始まって、そして、昨日、ウインブルドンでは、ラファエル・ナダルが初めて優勝した。ナダルがコートに横たわって喜びを表した。いつものスタイルだが、なかなか良い。今年スペインは、ホセ・トマスから始まって、サッカーの優勝、テニスでは、ナダルの優勝と記念すべき年になっている。
5日の結果。 ブルゴス。ラモス、耳要求、耳1枚。パディージャ、耳1枚が2回。アントニオ・フェレーラ、耳1枚。 アビラ。フリ、耳2枚。マンサナレス、カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。 グアダラハラ。エスプラ、耳1枚。サンチェス・バラ、場内1周、耳1枚ともう1枚要求。ルイス・ボリバル、耳1枚。 アルゴルファ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ノエリア・モタ、耳1枚。闘牛士、ルイス・ホセ・アマドール、耳1枚が2回。ペピン・リリア、耳2枚が2回。
6日の結果。 バルセロナ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ジョアオ・モウラ、耳なし。闘牛士、マンサナレス、耳要求。カジェタノ・オルドニェス、耳要求、耳2枚。 アルバセーテ。エスプラ、耳1枚。ペピン・リリア、耳1枚が2回。セラニト、耳1枚、耳2枚。 テルエル。ヘスス・ミジャン、ロブレニョ、サンチェス・バラ、耳なし。 Eauze(フランス)。ファン・バウティスタ、耳1枚。フリエン・レスカレット、ダニエル・ルケ、耳なし。 シウダ・レアル。エル・シド、ファンディ、耳1枚。ペレラ、耳1枚、耳1枚ともう1枚要求。
7月8日(火) 曇 5369
残心という言葉がある。「日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。」 ーーウィキペディア(Wikipedia)よりーー
HPのトップにあるホセ・トマス顔の写真は、心惹かれる。それは、残心というのとは違うのだが、死闘を終えた武士が自分の受けた傷の事も考えずに、その死闘をかえりみている姿である。手前のモソ・デ・エスパーダが傷口を心配して、ホセ・トマスの右足を覗き込んでいる。それでも、ただ、そこにたたずんでいる。傷口を観るわけでも、押さえるわけでもなく・・・。
7日の結果。 パンプローナ。アベジャン、フランシスコ・マルコ、セラフィン、耳なし。
7月9日(水) 曇 42715
別にカテキンを取っていないからではないが、今日は馬券を買わなかった。大井競馬場であった、ジャパンダートダービー。勝つのは、サクセスブロッケンと判っていたが、2着が判らない。だから、買いに行くのをやめた。結果は予想通りサクセスブロッケンが2着のスマートファルコンに3馬身1/2差を付けてムチも使わずに圧勝。やっぱり物が違う。さらに8馬身差の3着は、船橋のコラボスフィーダ。人気のユキチャンは、じんましんで発走除外。
サクセスブロッケンは、今後は、JCダートと目指すという。外国馬と、アメリカ遠征した藤沢和雄厩舎のカジノドライブという、強豪が待っている。今から楽しみなレースだ。
ニームのカルテルが、シモン・カサスから発表された。カステージャがウニコ・エスパーダをする。
7月10日(木) 曇 11866
ここのところ闘牛士は怪我が多い。昨日もセバスティアン・カステージャが、パンプローナで怪我をした。2週間くらいは闘牛が出来ないだろうし、復帰しても、担がれないだろう。
9日の結果。 パンプローナ。エル・シド、耳1枚。カステージャ、耳なし。コヒーダされ睾丸に角傷を受けた模様。ペレラ、耳1枚ともう1枚要求。
7月11日(金) 曇 44672
マドリード、ラス・ベンタス闘牛場の興行権は、現在タウロデルタが持っているが、来年もタウロデルタが保有することになった。コムニダがそれを決めたようだ。2年に1回の入札になっているはずであるが、入札をせずに、今の時期にそれを決めたのは異例のことである。何故そうなったのかは不明。
10日の結果。 パンプローナ。フェレーラ、場内1周。バウティスタ、耳なし。サルバドール・コルテス、耳1枚。 テルエル。ペピン・リリア、口笛が2回。セサル・ヒメネス、耳1枚。セラニト、耳なし。
7月14日(月) 曇 79433/3
昨日の闘牛の会で、ホセ・トマスの闘牛を流した。始まる前に、ホセ・トマスに乾杯してビデオを観る。まず初めに流したのが、97年6月2日のファエナ。ホセ・トマスが初めてラス・ベンタス闘牛場でプエルタ・グランデした直後のファエナだ。強風の中でコヒーダされてエンフェルメリアに担がれていった。今年の6月5日の闘牛も強風の中でのファエナだったが、その対比が判りやすいだろうと思って流したが、その意図がちゃんと伝わったようだった。
そして、今年の6月5日のファエナ2つ。闘牛のロヒコをファエナに反映した闘牛。パセが近い。牛も良いが、ホセ・トマスの闘牛のやり方が凄いのだ。そこに、観客が喜びを感じている。特にこの日の5頭目(ホセ・トマスの2頭目)は、強風が吹いてもピクリともしないでファエナを続ける。
「高田馬場で東京闘牛の会。ホセ・トマスのファエナに感動。あれはまさに鬼神が乗り移ったものだ。尋常ではない。ありえない光景の連続。ホセ・トマスはいったいどこまで行くのだろう。まさに狂気の闘牛士だ。」 ーーTAKAさんのMIXI日記よりーー
続きを書くつもりだったが、疲れていて寝てしまって時間がなくなったのであとにする。
11日の結果。 パンプローナ。ペピン・リリア、耳1枚。口を切る怪我を負う。エル・シド、耳なし。ファンディ、耳1枚。
12日の結果。 パンプローナ。ウセダ・レアル、耳なし。サルバドール・コルテス、耳要求で場内1周。ホセリージョ、耳1枚。 テルエル。ファンディ、耳1枚、耳2枚。カステージャ、マンサナレス、耳なし。 マンサナレス。モレノ、耳1枚。ルイス・ミゲル・バスケス、耳なし。ルイス・ボリバル、耳1枚、耳2枚。 CERET(フランス)。ラファエリジョ、フリエン・レスカレット、フェルナンド・クルス、耳なし。
13日の結果。 パンプローナ。フンディ、場内1周。パディージャ、ラファエリジョ、耳1枚が2回。
7月15日(月) 曇 52067
失敗や間違いがあった時に、周りがどういう反応をするかというのは、その人のそれまでの評価や価値で決まってくるのだろうと思う。そういう意味で、今日は周りの反応に救われた。帰るのが遅くなったが、けして悪い気分で帰宅したわけではない。
土曜日の闘牛の会の続き。ホセ・トマスのファエナは不思議だ。彼はラス・ベンタス闘牛場で7回プエルタ・グランデをした。そのうち6回を現場で観ている。ラス・ベンタス闘牛場で、これほど多くのプエルタ・グランデを観た闘牛は他にいない。セサル・リンコンの6回を今年抜いてしまった。しかし、不思議なのは、ファエナの時に冷静に観ていられるのだ。セサル・リンコンの時のような感動や興奮が沸き起こらないのだ。勿論、興奮もしているし感動もしているが、セサルのファエナとは違うのだ。
マノロ・バスケスは、日本に来たときに、「闘牛とは、何が起こるか判っていると事、何が起こるか判らないことを、観る物だ」といったが、ホセ・トマスの闘牛とは、あらかじめ判っているホセ・トマスの闘牛術を観に行く物なのだ。その時に、良い牛に当たればそれは非常に良い闘牛が観れる。悪い牛でも、今のホセ・トマスなら良い闘牛が観れる確率が高い。彼の闘牛術は、ロヒコを体にトコトン染み込ませた物だから、観客を興奮させ熱狂させる。6月5日のファエナは、まさにそういう物だった。勿論、ロヒコ以上の事をやっている。あの強風の中で微動だにせずにトレアールしたのは、観客の心の奥まで到達する、強烈なイメージだ。こんな闘牛士がいるか?当然他にいるわけがないと観客は思ったはずだ。
15日のファエナは、5日のそれと比べていえば、これは明らかにロヒコを超えた闘牛だった。こういう闘牛は強烈な印象を観ている観客に植え付ける。非道い牛だったという要因が大きいが、その牛を相手にして、そこまで命を賭けて闘牛をするのか、何故、体に角傷をあれだけ受けてエンフェルメリア(医務室)へ行かないのか?色々な疑問を感じるし、観ていられないくらいの命賭けで、鬼のような形相で牛に立ち向かう姿は、人間離れしている。闘牛士の中でもホセ・トマスだけが飛び抜けた存在であることが、際だっていた。
ホセ・トマスの色々な闘牛を、ビデオや闘牛場で沢山観ているから、ホセ・トマスがあれくらいのことはするだろうということが、頭で解っているが、それでも、それは現実の方が超えている凄さ。興奮は男の場合、立つという行為で表現される。15日のこの日5頭目(ホセ・トマスの2頭目)のファエナ後半で、ビデオを観ている何人かがハンカチを出して、目に涙を溜めて観ていた。ビデオで観ても、あれだけの興奮や熱狂、ファエナの凄さが伝わっているのだ。それは凄いことなのだ。興奮は女の場合、濡れると行為で表現される。そう目を濡らし涙をながず行為で・・・。
牧ちゃんが、15日のファエナの時に、凄い!鳥肌が立ってきた!といって、腕をさすっていた。
今ホセ・トマスは、自分の出来る闘牛をしている。出来ないことはしない。ただ、自分の闘牛を極めようとしている。勝ち負けではない。耳何枚かというのではない、自分の闘牛のスタイルを極めたい。そういう事にこだわって闘牛をやっているような気がする。それがどんなに困難な状況でも。牛にコヒーダされて、流血して、傷ついていても・・・。今そこに観客は、神を感じる。
なかなか上手くまとまらないものだ。また、この事について書かなければならないような気がする。
14日の結果。 パンプローナ。ポンセ、耳なし。フリ、耳要求、耳1枚。マンサナレス、耳なし。 Ceret(フランス)。エスプラ、耳なし。セルヒオ・アギラール、場内1周。ダビ・モラ、耳1枚。
7月16日(水) 曇 15951
昼は蒸し暑いが、日が暮れると涼しくなる。昨日、燃料の高騰で、それに抗議と補助を求める休業をした。スペインでも同じようなことをやっていたが、日本でもこういうことが行われた。運送業とか他の業種にも広がっていくのかも知れない。
闘牛の会の会員の日記を引用しておく。
「土曜に、闘牛の会でホセ・トマスの闘牛を見た。客席のざわめきや熱気は、ビデオを通してでも伝わるほどすごいものだった。見ていて鳥肌がたつ。パセが通る度にわき起こるものすごい歓声。でも、周囲の熱狂とはうらはらに、アレナの中だけは音がないようだった。少なくとも、牛と、ホセ・トマスの間には存在してなかった。空気の密度が、きっとあそこだけ周りとは違うのだ。と思わずにいられなかった。」 ーーととろさんのMIXIの日記よりーー
「何でも、ホセ・トマスという闘牛士がマドリッドの第一級闘牛場、ラスペンダス闘牛場で36年ぶりという「快挙」を成し遂げ、そのビデオを映すというのです。現地のテレビでも放送されなかったこの闘牛を見る唯一のチャンスです。う〜ん、やはり大したものでした。あの猛々しい牡牛を相手に、微動だにしないホセ・トマス闘牛士、その姿からは勇気とか勇敢などという言葉以前に、自らを「死地」に駆り立てるような「戦士」としての悲壮感さえ感じてしまいました。そして実際に何度かコヒーダ(牛の角にかけられること)されてしまうのですが、その度に立ち上がって、痛みに耐えて再び牡牛に立ち向かっていくのです。何が彼をしてそこまで「闘牛」に駆り立てるのか・・・。 」 ーーshell-freakさんのMIXI日記よりーー
パンプローナのサン・フェルミンが終わった。8月の各地のカルテルが発表になっているが、時間がないので直ぐ書けない。
7月17日(木) 曇 38374
東京は曇っているのに、猛暑だ。眠くなるのは、体が疲れているからなのだろう。ジットリと汗をかいて、シャワーを浴びれば気持ちがいい。闘牛の会の後、飲み会で、ホセ・トマスのビデオに触発されて、スペインに行ってホセ・トマスを観たいという人が、何人かいて相談された。シーラさんはヒホンに行く。細野さんはサラマンカ、バルセロナへ行くという。荻内先生にはリナレスを勧めた。マノレーテの死んだ地のホセ・トマスは、凄い闘牛を何回も見せているからだ。
飲み会の中でカエルさんの提案で、闘牛の会は再び年会費を取って、もう一度、再出発をした方が良いという物。マドリードにいるときにMEGUさんから、カエルさんがホセ・トマスの闘牛を観て、闘牛の会をちゃんとしないとダメだと言い出したという話を訊いていたので、そのことを彼女はいったのだ。飲み会に来ていたメンバーからは賛同の意見が上がった。荻内先生がシンボリックに会費を取るのは良いことだ。東西文化センターを出たときに、これで終わりだとは思っていなかった。誰かがそういう意見を出るのを待っていたとということを言っていた。これから、みんなに色々動いて貰わないといけない。本当に闘牛の会をちゃんとやる気があるのであれば・・・。
7月18日(金) 曇一時雨 21025
野茂英雄が引退をした。ベネズエラのウインター・リーグにまで行って、大リーグ復帰に賭けていたが、ヒルマン監督に一時は一軍に上げて貰ったが、それなりの成績が出せなくて、戦力外通告を受け、それ以降どうなるんだろうと思っていたが、引退を決意した。プロ野球界に、現実的・実質的に世界を意識させた最初の選手だった。
「 「日米で一時代を築いた野茂投手は、栄光のキャリアの幕を自ら下ろした。17日、「リタイアすることにした」と現役引退を決めた胸中を語った。
−−決断に至った経緯は。
「中途半端にしていてもしょうがないし、けじめをつけないといけない。ファンにも報告しないといけない。どこも取ってくれる球団はないと思う」
−−未練はないか。
「自分の中ではやりたいが、プロ野球選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じように思っている球団も多いと思う」
−−4月に大リーグ復帰を果たしある程度納得したのか。
「そんなことは全然ない。引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る。自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った」(共同)
「ソフトバンク・王貞治監督の話 「日米交流の先鞭(せんべん)をつけた功労者。米国に渡って14年。日本野球が米国と比べて遜色(そんしょく)のないレベルにあることを示してくれたことが、後に続いた選手たちのチャレンジ意欲をかき立てたのだと思う。これからも、日本、米国の野球発展のために頑張ってほしい。」
和田尚也NOMOベースボールクラブ主将の話 「(現役を)続けるということを聞いていて、びっくりしたのが正直な感想。野茂さんがいるから(野球を)できている。感謝の気持ちは全員持っている。」
清水信英NOMOベースボールクラブ監督の話 「すごく残念。もう一度メジャーに復帰してほしい思いがあったのでショック。ここまで結果を残してきたので、頑張ったと思う。」
日本ハム・ダルビッシュ有投手の話 「まだプレーできると思う。引退撤回を期待しているし、現時点ではお疲れさまと言いたい。」
米大リーグのヤンキースやロッテなどでプレーした伊良部秀輝氏の話 「日米の野球界の懸け橋になり、貢献してくれた人。とにかくお疲れさまでしたと言いたい。また違う形で野球界のために頑張ってほしい。」
オリックス・赤堀元之投手コーチの話 「(近鉄時代の同僚として)本当にすごい投手だった。ひとつの時代が終わった感じがする。お疲れさまと言いたい。」 」 ーーサンスポよりーー
「ロサンゼルス・タイムズ(電子版)は「草分けとなる移籍で日本選手に扉を開いた」とし、史上4人目となる両リーグでの無安打無得点試合を達成するなどメジャー通算123勝の実績や「ノモマニア」と呼ばれた熱狂的なファンを生んだ功績を紹介。「ノーモア・ノモ(野茂はもう見られない)」との惜別記事を掲載した。」 ーー共同通信よりーー
「野茂英雄投手(39)の引退を受け、1995年の大リーグ挑戦時にドジャーズの監督を務めていたトミー・ラソーダ氏(80)が17日、ロサンゼルスのドジャーズ球団事務所で会見。「大リーグにおける日本人選手の先駆者として、後進に道を開いた」と功績をたたえた。「野球を愛し、努力を惜しまない選手だった。日米の文化の差を乗り越えるのは大変だったが、彼はそれをやり遂げた」。ラソーダ氏は“ノモマニア”と呼ばれる熱狂的なファンまで生まれた当時を、懐かしそうに振り返った。 「サンフランシスコでの初戦は忘れられない。無数のフラッシュがきらめき、すばらしい光景だった」 現在、ドジャーズで会長特別顧問を務めるラソーダ氏は、監督当時から野茂投手を「日本の息子」と呼び、その挑戦を支えてきた。「今はただ、ありがとうと言いたい。そして、日本はもちろんのこと、米国の野球の殿堂にも選ばれることを願っている」。ラソーダ氏は、感謝の言葉で会見を締めくくった。」 ーーサンスポよりーー
「レッドソックスの松坂大輔投手は「中学生の時、僕にメジャーリーグという明確な目標を与えてくれた。その時から同じフィールドに立つことを目標としてきた」とコメントした。」 「ヤンキースの松井秀喜外野手は左ひざ痛に苦しんでいる中で「今日、メジャーリーグで日本人選手が活躍できているのは、野茂さんの大きな力によるものだと思う。違った形でのこれからのご活躍をお祈りします」とコメントした。」 「ドジャースの斎藤隆投手は「野球人としても、ドジャースに在籍した投手としても先輩。日本人としてメジャー史に名を刻んだ。引退は残念で悲しいニュースだ」と話した。」 「マリナーズの城島健司選手は捕手として大リーグの扉を開けた。「キャッチャーがたまたま先に誰もいなかっただけ。(パイオニアとして)比べるのは野茂さんに失礼ですよ」と語った。」 「レイズの岩村明憲内野手は「パイオニアとしてすごい人だし、尊敬していた。メジャーで一度対戦してみたかった」と惜しんだ。」 「ドジャースの黒田博樹投手は「今ほど環境が整っていない中で長年プレーしたのはすごい。野茂さんが米国での日本選手の評価を上げた」。野茂が大リーグで最初に在籍した
のがドジャースで「野茂さんの着ていたユニホームでプレーしていることを誇りに思う」と胸を張った。」 ーー共同通信よりーー
「引退を決意した野茂英雄は数々の言葉を残した。近鉄時代から言葉数が多い方ではなかったが、まとめて振り返ってみた。
◆「僕は、花があるうちにやめるんじゃなく、落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと決めました」(90年10月26日、ルーキーで新人王、MVPなど8冠に輝き)
◆「今日は投げられただけでうれしい。全力投球できて満足です」(95年5月2日、ジャイアンツ戦で大リーグデビュー、5回1安打7奪三振)
◆「うれしい。そのひと言しかありません。結果は良かったけど、相手打者に助けられました」(95年6月2日、本拠地ドジャースタジアムでのメッツ戦で8回0/3を投げ、被安打2、1失点で大リーグ初勝利)
◆「金額よりやることに意義がある。チャリティーには何らかの形で貢献したい」(95年8月17日、エイズ撲滅の「K基金」を設立し)
◆「メジャーは見に来なければ分からない。選手ならば、やってみなければ分からない。日本からもっと選手が来て、大リーグでプレーすることが当たり前のようになればいい」(96年1月23日、ナ・リーグ新人王受賞会見で)
◆「(記録は)個人的にはすごくうれしいけど、今の大事な時期に勝てたことがとてもうれしい」(96年9月17日、ロッキーズ戦でノーヒットノーランを記録)
◆「僕も含めて前田、伊良部と同じことの繰り返し。早くルールをつくって欲しい。僕が言ってどうこうなるものなら、インターネットに流しますよ」(97年2月16日、伊良部の移籍問題が球界を騒がせている時に)
◆「(記録は)全く考えていませんでした。完投した試合の延長です」(01年4月4日、オリオールズ戦で2度目のノーヒットノーランを記録)
◆「こんな数字はすぐに越されますよ」(03年4月20日、ジャイアンツ戦で大リーグ通算100勝を達成)
◆「才能ある選手にプレーする場を提供したい。未来のプロ野球選手、メジャーリーガーを数多く育てて野球界を発展させたい」(04年1月22日、NOMOベースボールクラブのユニホームお披露目の席で)
◆「コンディションはいいです。これからも挑戦を続けたいし、自分のベストを尽くしたい」(05年2月28日、デビルレイズの紅白戦で1回をわずか9球、3人で片付け復活の兆しを見せる)
◆「僕自身はそんなに意識してなかったんですけど、チームメートが意識させてくれた。本当なら何試合か早めにクリアしたかったけど、できて良かったです」(05年6月15日、ブルワーズ戦で日米通算200勝を達成)」 」 ーー日刊スポーツよりーー
イチローのコメントは未だ出ていない。野茂にしても、イチローにしても、仰木彬が監督時代に大リーグに旅立った偉大な選手だ。この選手が観たいから、野球場へ行こうという気持ちなる選手が、今プロ野球には少ない。
「■印象的なイチローとの対戦
ことし4月、イチロー(右手前)とメジャーで最後の対決をした野茂(奥)【写真は共同】 ユニホームとの別れを決意した野茂英雄のメジャーリーグ生活を短く総括するならば、彼はそのデビューから最後の試合まで、常に最高の対戦相手に恵まれていたのではないだろうか。日本プロ野球でのラストシーズンとなった1993年、彼からプロ入り初本塁打を放った当時19歳の鈴木一朗は、それから15年後、マリナーズのイチローとなり、メジャーでの最後の対決において、野茂のフォークボールにあの日と同じフルスイングで立ち向かっていった。
1995年4月27日、ロサンゼルス・ドジャースでのメジャー昇格をほぼ確実なものにしていた野茂は、デビュー前最後の実戦テストで傘下マイナー球団の試合に登板し、5回1/3を2失点に抑えたが、そのときの対戦相手だったパドレス傘下のマイナー球団には、現在カブスの主砲として大活躍中のデレック・リーがラインナップに名を連ねていた。
■メジャー初登板でボンズを翻弄
95年にドジャースへ入団。日米の野球に偉大な功績を残した【Getty Images/アフロ】 それから5日後、晴れてメジャーリーグの一員となった野茂にとって、その実力をアピールする「リトマス試験紙」と言うべき存在となったのは、ドジャースの宿敵サンフランシスコ・ジャイアンツの主砲バリー・ボンズだった。当時のボンズは、メジャー二人目の40本塁打40盗塁を記録し、外野守備でもゴールドグラブの常連だった、文字どおり史上最高の「ファイブ・ツール・プレーヤー」だった。
筆者はこの年の8月、当時ジャイアンツの本拠地だったスリーコムパークで、先発のマウンドに立った野茂が、90マイル台後半(約156〜159キロ)の速球と決め球のフォークボールを駆使してボンズを翻弄(ほんろう)する姿を目の当たりにしている。この試合でジャイアンツ打線をわずか1安打完封に押さえた野茂は、1年目、ボンズとの13回の対戦でシングルヒット1本、4奪三振と「完勝」したが、デビュー直後の数シーズンを除けば、ボンズが特定の相手投手にこれほど手を焼いたことは後にも先にもなかったのではないだろうか。
もちろん野茂が全力投球で立ち向かったのはボンズだけではない。95年のナショナルリーグ各球団には、トニー・グウィン(パドレス)、クレイグ・ビジオ(アストロズ)、ラリー・ウォーカー(ロッキーズ)、バリー・ラーキン(レッズ)、ゲーリー・シェフィールド(マーリンズ)など、そうそうたる顔ぶれがロースターに名を連ねていた。13勝をマークし、リーグ最多奪三振をマークした野茂と最後まで新人王のいすを争ったのは、現在もブレーブスの主砲として活躍中のチッパー・ジョーンズだった。もちろん完ぺきに抑えた相手もいれば、痛打を浴びた相手もいるが、肝心なのは野茂がこうしたビッグネームをいつも“本気”にさせたピッチャーだったということである。
■野茂を見て現役復帰を決意
さらに野茂の出現は、言葉は悪いが、「一度死んだ男」を墓場からよみがえらせてもいる。シカゴ・カブスの二塁手として通算9度のゴールドグラブに輝いたほか、84年にナ・リーグMVP、90年には本塁打王にも輝いたライン・サンドバーグは、94年のシーズン途中、極度の成績不振に加えて、球団首脳部とのあつれきなどもあり、いったん現役を退き、95年はまったくプレーしていなかった。しかし、自宅のテレビで目にした野茂の快刀乱麻のピッチングが、サンドバーグに再び野球への情熱を呼び起こす大きなきっかけとなった。
96年、1年半ぶりに現役復帰を果たしたサンドバーグは、打っては25本塁打、92打点、守っても全盛期と変わらぬグラブさばきを披露。そして復帰2シーズン目の翌年8月、野茂と対戦したサンドバーグがジャストミートした打球は、右中間スタンドの最深部に飛び込むホームランとなった。
「アウトコースへの速球で、決してやさしい球ではなかった。そして彼ほどの偉大な投手から会心の一発を打てたことで、もう現役生活で思い残すことは完全になくなったんだよ」
野茂との対決から1カ月後、今度こそ「本当の引退」を決意したサンドバーグは、取材に訪れた筆者をダッグアウトからフィールドに導くと、少年のように興奮した口調でホームランが飛び込んだ方向を何度も指差していた。
メジャーリーグでマークした123の勝ち星、両リーグでのノーヒットノーランと奪三振王……数多くの栄光は、野球の歴史に名を刻む数多くのビッグネームに対して常に真っ向勝負を挑み、彼らを本気にさせながら積み重ねられてきたもの。だからこそより輝きを増し、その結果として、日本におけるメジャーリーグは新聞記事やテレビニュースのトップ項目にまで上り詰めたのである。マニアックな興味の対象から、メジャーリーグを日常会話のテーマに変えたことこそが、まさに野茂英雄が残した最大の功績ではないだろうか。」 ーースポーツナビ、上田龍よりーー
おそらく、野茂の野球に関する物語は、沢山ある。本が何冊も出せるだろう。プロ野球に全く関心のなかった野球少年が、キューバ相手に完封して一躍ドラフトの目玉になり8球団から1位指名を受ける。あの時、キャッチャーをやっていたのは、古田敦也。ここでも一流選手との出会いがある。そこで初めてプロ野球を意識した。彼は、ただ楽しく野球をやっていただけだったのかも知れない。それからプロに入って一流選手と対戦するようになって、世界を意識するようになったのだろう。自分を磨くことが、世界に繋がっていく。野茂は、あの当時、日本人の希望だった。ワクワクさせられた。野茂は讃えられるべき偉大な選手だ。色々ありがとう!!!
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