断腸亭日常日記 2008年 その5

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年のスペイン滞在日記です。

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 8月12日(火) 曇 6750

 内柴が、金メダル後の会見で、「1番物語を持ている人間が、金メダルを取る」、と、言った。良い言葉だなぁと、思った。そういう考え方で、試合に挑んでいたというのは、素晴らしいことだと思う。

 「会場の外には、入場できないファンが切符を譲ってくれる人を待ち列を作って並ぶ。場内が地元一色で染まる完全アウェー。その中で、アテネ五輪の金メダリストで現在も世界ランキング1位の中国ペアを下した末綱聡子(27)前田美順(22)=NEC・SKY=組。この「大金星」は、世界に通用する女子ダブルスが小椋久美子(25)潮田玲子(24)=三洋電機=組だけでないことを証明した。

 同学年ペアのオグシオとは違って、5つの年齢差がある。年上の末綱は前田と出会うまで何人もの選手とペアを組んだが、うまくいかなかった。前田が入社した2004年から今のペアに。二人とも短気な性格。衝突はたびたびあったという。

 しかし、年下の前田が「悔しくても我慢」を覚えてから直接ぶつかり合うことは減った。「自分がキレる。でも、前田の方がしっかりしているから」と末綱は言う。

 この日の試合。第1ゲームで弱気になった前田に、末綱が「とにかく入れていこう」と声を掛けて引っ張った。「以前だったらギクシャクしていた」(末綱)状況でも息がぴったり合った。第2ゲーム以後は失点後もうなずき、励まし合って世界1位に逆転勝ちした。

 「オグシオさんらには彼女らの良さがある。わたしたちは自分たちのことをやるだけ」。人気ペアの陰に隠れていた2人が、日本のバドミントン界悲願のメダルをもたらすか。」 ーー(北京時事)よりーー

 「■世界最強ペアを下す大金星

 シャトルがネットにかかって相手側のコートに落ちた瞬間、2人は喜びのあまり、その場に崩れ落ちた。北京五輪のバドミントン女子ダブルス準々決勝で“スエマエ”こと、末綱聡子、前田美順組(共にNEC・SKY)が、世界ランキング1位でアテネ五輪金メダルのヤン・ウェイ、チャン・ジーウェン組(中国)を下す大金星を挙げた。最強ペアを下しての準決勝進出。メダル獲得へ大きく前進する勝利だった。

 会場には多くの中国人観客と中国メディアが詰め掛け、相手ペアがスマッシュを打つたびに大きな掛け声がかけられる完全アウエー。「雰囲気にのまれた」(末綱)という第1ゲームは、8−21と一方的なスコアで落としたが、第2ゲームで16−19から一気に4連続ポイントを奪って流れが変わった。セッティングの末に23−21で第2ゲームを奪うと、第3ゲームは完全にスエマエのペース。スタンドから「どこかのタイミングで前に出ろ」というNEC SKY・今井彰宏監督のげきが飛ぶ中、積極的に打って出て21−14と相手を引き離し、ゲームカウント2−1で勝利をものにした。

■2人の信頼関係が呼び込んだ逆転勝利
 27歳の末綱と22歳の前田。5歳の年の差がある2人がペアを組んだのは、前田が入社した2004年。いきなり日本ランキングサーキットで優勝し、その年に代表入りを果たしたが、常にオグシオ(小椋久美子、潮田玲子=共に三洋電機)らの影に隠れる存在だった。だが、07年から着実にステップアップし、08年には五輪出場権を獲得。6月のインドネシア・オープンでは、日本人として初めてスーパーシリーズの決勝に進出して準優勝を果たし、徐々に注目を集め出した。そして、7月13日の全日本実業団の決勝で、2年続けて敗れていたオグシオをストレートで破り、実力的には日本トップに肩を並べる存在になった。

 以前はお互いの調子が悪いときに精神的に切れてしまって敗れることがあった。この試合でも1ゲーム目は前田のミスが多く相手に狙われた。しかし、「この1年で人間的に一回り大きくなった」(今井監督)という末綱は、「自分が切れた試合で、いい結果が出せていないし、試合終わったあとも2人がギクシャクして、気分が悪かった。今日は我慢したというか、こういう場に立っていますので、気持ち悪いまま終わりたくなかった」と、辛抱強く前田の復調を待った。
 この先輩の姿に、前田も「昔だったら、今日の第1ゲームはお互いがギクシャクしていたかもしれないです。でも、先輩も私のダメさに我慢して自分のことをやってくれているし、私も切れないように我慢して、とりあえず(いつものプレーに)戻ろうと思っていました。それまでは絶対に待っててくれてると思ってやりました」と奮起。日本勢初となる準決勝進出を呼び込んだ。

 勝利の瞬間には海外メディアからも拍手が巻き起こったスエマエ。2人の信頼関係が引き寄せた快挙で、日本のバドミントンがオグシオだけではないことを内外に証明して見せた。」

 「 北京五輪のバドミントン女子ダブルス準々決勝が11日に行われ、末綱聡子、前田美順組(共にNEC・SKY)が、世界ランキング1位でアテネ五輪金メダルのヤン・ウェイ、チャン・ジーウェン組(中国)を下す大金星を挙げた。第1ゲームは8−21と一方的なスコアで落としたが、セッティングにもつれ込んだ第2ゲームを奪い返し、第3ゲームも21−14と相手を引き離して、ゲームカウント2−1で勝利した。
 13日の準決勝では、韓国ペアとシンガポールペアの勝者と対戦する。

 以下は、試合後の末綱と前田のコメント。

■末綱「自分らしく表彰台を目指したい」
 信じられない気持ちと、うれしい気持ちでいっぱいです。勝った瞬間はあまり覚えていないんですけど、本当にうれしかったです。1ゲーム目は雰囲気にのまれた部分があって、リズムがつかめないままでした。2ゲーム目は(会場の影響か)シャトルが飛ばないので、とりあえず振っていって、自分たちのリズムがつかめてきたと思います。(相手は)競ったらどちらかが必ず引くので、そちらを狙うか、スマッシュでプレッシャーをかけて向かっていって、打って打って打ちまくるしかないと思ってました。このペアに勝ったのは初めてです。(勝因は)最後まで我慢してついていったことと、最後は自分たちのプレーで押し切っていけたことが良かったです。最後はこちらの方が上から打っている数が多かった。

 2人では、技術や戦術ではなくて、リラックスして楽しんでいこうと話していました。せっかくこういう舞台に立っているので、後悔だけはしたくない。2人で最後まで楽しくあきらめずにやれたらいいと思っていたので、そういう声掛けをお互いにしていました。 気持ちが切れなかったのは、後ろにいるコーチや、上で見てくれていたチームのみんな、家族がすごく応援してくれていたおかげ。その人たちのためにも、簡単に負けたらダメだなと思っていました。

(監督が、末綱選手はこの1年間で切れなくなったと言っていましたが?)特にこれというきっかけはないですけど、自分が切れた試合ではいい結果が出せていないし、試合が終わったあとも2人がギクシャクして、気分が悪かったので。今日は我慢したというか、こういう場に立っていますので、気持ち悪いまま終わりたくなかった。
(あと1点が取れずに敗れたマレーシアオープンの経験が生きたか?)21点取るまで、しっかり攻めるということです。今日も先にマッチポイントを取ったんですけど、この前の逆転負けが頭をよぎったので、21点を取るまで集中しようと。
(会場の中国への応援は)そんなに嫌でもなく、気にもならなかったです。ただ最初の方は雰囲気にのまれた部分はありました。まさかここまでくるとは思わなかった。でも自分らしく表彰台を目指したいです。

■前田「言葉にするのがもったいないくらいうれしい」
 言葉にするのがもったいないくらいうれしいです。1ゲーム目は(動きが)硬くて、自分のプレーができていませんでした。レシーブが合わせられなかった。2ゲーム目は、このまま終わったら、引っ張ってくれた末綱先輩に申し訳ないと思っていました。(ミスが多かった)1ゲーム目は謝るしかなかった。狙われているのが分かっていて、取れると思っても、ちょっと引いていた部分がありました。
 でも気持ちは切れなかったので、開き直って2ゲーム目はとりあえず入れていこうと。リズムを作ろうと思いました。昔だったら、今日の第1ゲームのような感じだったら、お互いがギクシャクしていたかもしれないです。でもお互い我慢して、先輩も私のダメさに我慢して、自分は自分のことをやってくれているし、私も切れないように我慢して、とりあえず(いつものプレーに)戻ろうと思っていました。それまでは絶対に待っててくれてると思ってやりました。

(マレーシアオープンの)あの試合があったから21点、2ゲーム取るまで気を抜かないようにやってこれた。今回(のマッチポイント)も点差が離れていたけど、あのときのことがあるから油断できないと思いました。あの試合の経験を生かせたと思います。
(精神的に切れなくなった理由は?)自分は気持ちでプレーするタイプで、場面や点数を考えて試合をできていなかったんですけど、それを監督やコーチにしつこく言われて、言われるのが悔しいからやってやろうと、我慢できるようになりました。

 勝つか負けるかというドキドキよりも、練習したことができるかなという方にドキドキしました。練習したからできると思ってやっていても、どこかで不安な部分があってそっちの方に緊張しました。」 ーー以上スポーツナビよりーー

 オグシオは、完敗した。メロメロの状態で、手も足も出ない試合だった。怪我以降実力が発揮できない状態なのか、それとも・・・。

 11日の結果。 サン・セバスティアン。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚。アパリシオ、罵声が2回。エル・シド、耳1枚が2回。 ヒホン。ポンセ、場内1周。カステージャ、耳なし。マンサナレス、耳1枚が2回。 ウエスカ。オルドニェス、ペレラ、耳2枚が2回。カジェタノ・オルドニェス、耳1枚。コヒーダされ、陰部あるいはその周辺に、8cmと12cmの角傷を受ける重傷


 8月13日(水) 晴 48217

 200mバタフライで銅メダルを取った松田丈志は、。「4年間頑張ってきた自分色のメダルだと思う」ためらいなく言った。優勝したのは、8冠を狙うアメリカのスーパースター、マイケル・フェルプス。世界新記録で優勝。松田も自己記録を1秒以上縮める1分53秒97の日本記録を出した。銅メダルを、子どもの頃から指導を受けている久世由美子コーチに、掛けて感謝の気持ちを表した。

 女子柔道の上野雅恵が2連覇で金メダル。フェンシングの太田雄貴が、世界ランキング1位のヨピッヒ・ペーターを準々決勝で破り、準決勝もイタリアの選手に勝ち、決勝進出を決めた。

 「「悔しいですね」。前田が開口一番、そう話した。準決勝の第1ゲーム。11-13と競った展開から相手が集中力を切らせた瞬間を見逃さず、6連続ポイントを奪い一挙に4点をリード。その後追いつかれたが、先にゲームポイントをつかんだ。
 これを物にすれば、悲願のメダル獲得へ、一気に加速する。だが、韓国ペアの粘り強さに屈し、押し切れなかった。
 「あのゲームを取っていたら、違った試合になったと思う」と前田。あと一歩で第1ゲームを落とすと、あとは韓国ペアの再三の抗議による中断などでペースを乱され、ストレート負けした。
 敗れはしたものの、世界ランキング1位の中国ぺアを倒した勢いは残っていた。見応えのある試合展開に、スタンドの地元中国ファンからも喝采(かっさい)を浴びた。
 この日は、メダルを懸けた舞台の重みも実感したようだ。末綱が「きょうはコートが一面だけになっていて。広い会場でプレーできる幸せを感じた」と言えば、前田も「(準決勝を)やれることが幸せ」と感慨深げだ。
 「あと1回、ここで試合ができることがうれしい」。日本の女子ダブルスがオグシオだけでないことを証明した「スエマエ」。15日は3位決定戦。中国ペアを相手に、再びメダルに挑む。(北京時事)」

 「北京五輪のバドミントン女子ダブルス準決勝が13日に行われ、末綱聡子、前田美順組(共にNEC・SKY)が、世界ランキング4位の李孝貞、李敬元(韓国)に敗れ、決勝進出を逃した。末綱・前田組は15日、日本初となるバドミントン競技のメダル獲得を懸けての三位決定戦に臨む。
 以下は、試合後の末綱と前田のコメント。

■末綱「感動を与えられる試合をしたい」
 今日は作戦はなく、力を出し切ることに集中していました。チャンスがあれば攻めていこうと。相手の背が大きかったので、(ショットに)角度がありました。
(監督・コーチからの指示は)中国ペアのようには打ってこないので、タイミングだけしっかり合わせようと。第1ゲームで取り切れなかったのが、まだまだです。長いラリーでは、お互いに反応して、足が止まってしまいました。。本当ならラケットがぶつかってもいいから取りにいかないといけない場面。
(先に20点取って勝ちを意識したのか)どこかで意識していたのかもしれません。相手の方が上でした。21点取るまで集中していかないといけない。
 今日は、来てみたらコートが1面になっているのを見て、1コート1面の中でやれる幸せを感じました。この雰囲気を楽しみながらやろうと思いました。お父さん、お母さんは3泊4日のツアーで来ていて、昨日帰りました。まさかここまでくるとは思ってなかったと思います。「意識せずに力を出し切って」と言われました。
(三位決定戦は)もう一回(試合が)できる幸せを感じながら、支えてくれた人に感謝して、勝っても負けても悔いのないように感動を与えられる試合をしたいです。

■前田「とことん楽しんでやろうと思う」
 悔しいです。チャンスはありました。第1ゲームを取っていたら違った展開になっていたと思います。もったいない。
(第1ゲームと第2ゲームの間は)今日試合をやれることが幸せだから、最後まで足を動かして拾っていこうと話しました。(長いラリーでは)ミスをしないようにと、我慢ですよね。でも私が最後を見送ってしまったんですけど、取っとけよ、という感じで悔しいです。
(第2ゲームは)11点で折り返して、そこでもうちょっと縮めておきたかったです。早く2ケタにもっていけていれば……。(韓国ペアとの差は)要所要所のところだと思います。大事なところを決められる力、集中力を上げられる力が韓国の方が上でした。
(韓国ペアは大きかったが)大きい選手に前衛に立たれると触られるので、触られないように球の高さをしっかりと決め、大きくなら大きく、ドライブならドライブ、ショートならショートとメリハリをつけていけとコーチからも言われていました。

(メダルの重圧はあったか)取れたらいいなというくらいでした。2人ともそういう性格なので、逆にプレッシャーを自分たちにかけてしまった方が、悪い試合になっていたんじゃないかと思います。
 昨日の夜、家族が試合を見に来ていて会ったんですけど「やるだけやってこい」ということを言われました。
(韓国ペアの抗議について)うちらがフォルトを取られているわけではないので、それで1点もらえるのはラッキーなんですけど、あまり長く続くとこっちのリズムが止まってしまうので、それが嫌で早く審判にくれくれと言っていたんですけど……。

(日本ではすごく話題になっているようだが)選手村の新聞とかで見た程度ですけど、友達や会社の人のメールからはすごいことになっているよと、メールが来ました。想像がつかないです。
 私たちというよりも、バドミントン競技がやったぞという感じで広まっていることがうれしいです。(三位決定戦は)あと一回試合できることがうれしいので、またしっかり動いて勝ちたいと思います。最後1回なので、とことん楽しんでやろうと思います。」 ーースポーツナビよりーー

 韓国ペアは、ルールの範囲内なら何をやっても良いというように、抗議や相手が嫌がることをことごとくやってきた。あれだけ、やって審判の制裁を受けないから良いのだという態度は、観ていて腹が立った。勿論、あの選手の目的は、相手選手をイライラさせるて、自分たちのペースにするが目的なのだからそれは達成できたのだろう。1セットのセット・ポイントを先に取りながら逆転されたのは、彼女が行った一連の行為の影響が大きいと思う。

 暑い日が続いているが、オリンピックも熱くなってきた。星野ジャパンはキューバに、1-2で負けている。

 12日の結果。 マラガ。フンディ、耳1枚が2回。モレノ、ロペス・チャベス、耳なし。 サン・セバスティアン。モランテ、耳なし。フリ、耳2枚。ファンディ、耳1枚が2回。 ヒホン。マノロ・サンチェス、耳1枚。エル・シド、耳2枚。タラバンテ、耳なし。


 8月14日(木) 晴 6542

 サッカーは、3戦全敗だった。メダルを取ると、反町監督が言っていたが、そんなに甘いもんじゃない。岡田監督だって同じ事が言える。良いサッカーをするが、結果が出ない。ヨーロッパのリーグに所属している選手を揃えているチームでも、世界に行ったらそう簡単に勝てないのが常識だ。考え方が甘いし、現状認識も甘い。もっと、自分に厳しくならないと、勝つことは出来ないだろう。野球もキューバ戦で負けた。これもダメだなぁと、思った。

 「北京五輪のフェンシング男子フルーレ個人は13日、太田雄貴(京都ク)が決勝でベンヤミン・クライブリンク(ドイツ)に9−15で敗れたが、日本フェンシング史上初となる銀メダルを獲得した。
 以下は、決勝後の太田のコメント。

■太田雄貴「下に向いていた調子を一気に上げられた」
 率直に喜んでいいんじゃないでしょうか。ただ、何度も負けている相手なので、そこが男として悔しいですけど。でも本当に今日はタフなゲームが多かったので、準決勝、準々決勝、3回戦も本当に厳しい試合だったんで、その中で自分のパフォーマンスはできたんじゃないかと思います。

 (決勝はどういう作戦だったか?)オレグ(代表コーチ)には失礼かもしれませんが、本当にもう疲れていて、なかなか(作戦が)頭に入ってこなくて……。またクライブリンクの調子が異常に良かった。ポイントの突き、スピード、緩急、正確さ――本当に素晴らしかったので、なかなか厳しいところでしたね。

 正直疲れましたね。けっこうJISS(国立スポーツ科学センター)でそれ相応の練習をしてきたつもりだったんですけど、試合と練習では違いますし、こういうのって場数を踏まないことにはなかなかできないんで。今年に限っては、ワールドカップで1回もベスト4にも立ってないですし。それでオリンピック2位だったら、非常に自分としては立て直せたかなと。だいぶ下に向いていた調子を、一気に上げられたかなという気はします。

 (表彰台に上って)率直に言って金メダルにいきたかったですけど、今僕ができることを最大限できたんじゃないかと思います。クライブリンクにはまた負けちゃいましたけど、(準々決勝で対戦した)ペーター(ヨピッヒ=ドイツ)に5連敗している中で、オリンピックという舞台で勝てたというのは、負けていた試合分の5勝分に値するんじゃないかなという気もします。(3回戦で対戦した)崔(秉哲)にしても、高円宮杯や東京のワールドカップで負けている相手に勝てたということは、勝負どころでしっかり勝負できたということだと思います。

 (調子が悪いとこからどう立て直した?)アジア選手権が終わった4月の後半から、7月頭のワールドカップまで、ベスト8が限界ってくらいで、プレッシャーがありました。いろんな意味で「何とかメダル」「何とかメダル」って言われるし、自分でも思ったし、それが本当にしんどくて……。それを1回ゼロにしようと思って、オリンピックまで1カ月を切る少し手前位から、とりあえずしんどいことをしようと全くフェンシングをやらない3週間を作って、ひたすらフィジカル(トレーニング)だけしていました。本当にその2週間、3週間は死ぬような思いでした。
 その分、フィジカルを鍛え直してからフェンシングができました。ワールドカップで勝てなかった僕がオリンピックで表彰台に立てたということは、調整がかなりうまくいったってことと、周りのバックアップがしっかりいったというのが要因だと思います。

 7月以降は、ほとんどメディア(対応)も(フェンシング)協会としてやらないというようにしてくれました。メディア好きの僕ですが、知らず知らずのうちにそれがどこかプレッシャーになっていたと思いますし。それが取り払われたことで練習にも集中できましたし、今日という8月13日に照準が合わせられたと思います。

 金メダルだけがメダルではないと思いますし、本当に自分の中では頑張ったと思いますから。もちろん金がいいですけど、フェンシング界は今まで、自分の(同志社大学の)OBでもある田淵(和彦)名誉監督らが取られた東京オリンピックの(男子フルーレ)団体の4位が最高だったので、何とかそれを塗り替えてきますという話はしていたんですけど、塗り替えられたので自慢したいです。


 本当にオリンピック、今メダルを獲って初めてオリンピックだという感じがしますね。開会式もテレビで見ていましたし、日曜日に(北京に)着いて、中2日での試合だったんですけど、変な緊張がありませんでした。メンタルトレーニングをやっていた部分もあって、トレーナーさんが言っていたんですけど、「太田雄貴らしくあれと。頭を使うな、感覚と神経だけでやれ」という後押しがあったのが、(メダルを)決める要因になった気もします。

 (次の目標は?)いきなりロンドン(五輪)とはなかなか言えませんが、世界選手権ではメダルを獲ったことがないので、2010年にパリで世界選手権があるので、本場のパリでやれたら面白いなとは思います。ただ自分自身が目標を見失わないように、これからもいろんな人の助けを得て、競技をしっかり続けていきたいと思います。

 いろんなマイナー競技が今、頑張っていると思います。フェンシングもメダルを獲れば少しは(状況が)変わるんじゃないかとみんなが期待していて、僕に期待してくれていたのがしんどい時期もありました。それでも、最後にはそれが僕の先輩やチームメートが応援してくれる「頑張れ」とか「あきらめるな」とかいう言葉が力になったので、今日は本当に素晴らしい日だと思います。

<以下、メダリスト会見でのコメント> 

 オリンピックという夢舞台で、今日は多くの試合ができたことが、まず幸せでした。小さいときからこの舞台で勝負するというのが、またメダルを獲ることを目標にしていたで、もちろん金メダルが良かったですが、今は銀メダルということで非常に満足しています。

 (メダル獲得を誰に伝えたいか?)誰にと限定するのは非常に難しいんですけど、フェンシングを始めるきっかけをくれた両親に、本当にありがとうございますと、普段はなかなか恥ずかしくて言えないですけど、この場を借りて伝えたいと思います。

 (今一番何をしたい?)友だちと遊びにいったりということをオリンピックまで控えていたので、オリンピックが終わってみんなではしゃぎたいですね。」 ーースポーツナビよりーー

 今日はこれから北島の200m平泳ぎがある。思った通りの結果を出せるような気がする。

 13日の結果。 マラガ。リマ・デ・エステポナ、耳なし。マリ・パス・ベガ、耳1枚が2回。サルバドール・ガルシア、耳なし。 サン・セバスティアン。ポンセ、アントニオ・バレラ、場内1周。カステージャ、耳1枚。 ヒホン。フリ、耳1枚、耳2枚。ペレラ、耳1枚が2回。 ダックス(フランス)。クーロ・ディアス、耳なし。エル・シド、タラバンテ、耳1枚。


 8月15日(金) 晴 44760

 夜、同窓会があって、会場から学友からTELがあった。なつかしい声をいくつも聴いた。病気で死んだ奴もいることを訊く。サッカー部は一杯来ていたそうだ。それはそうだ。去年全国優勝したんだから…。TELをよこしたのもサッカー部の学友。あいつとは学園祭の時も一緒にステージに上がった中だ。サッカー部で一番仲が良かったのは一緒にギターを弾いていたからだと思う。他の学友から盛岡に話しに来るように言われた。時間があったら行こうと思った。

 「 序
 私たちの生命は、その始まりから音楽に包まれている。その世に生まれ落ちる以前から、私たちは豊で多様な音に包まれている。
 最近の研究によれば胎児はお母さんのお腹の中で外の音を聴いている。母国語とそうでない言葉を聴き分け、それぞれで異なる反応をしている。言葉には、意味だけでなく、響きや調子、勢いといった属性がある。育まれつつある小さな生命は、まずは一つの「音楽」として、父や母の声を聴き始めるのだ。
 音楽とは、人間にとって、一体どんな存在だったのだろうか?脳の働きから見れば、「音」だけが音楽にかかわるのではない。音楽を聴く喜びは、その成り立ちを一般化、普遍化してこそ初めてその本質をとらえることができる。音楽において大切なリズムやメロディ、イントネーションといった要素は、つまりは音がお互いに結ぶ関係性に由来する。その際、それぞれの要素が時間軸の上でどのように並ぶかということが大切になる。
 タイミングが大切だということは、脳の中の情報処理が一般的に持っている性質である。たとえば、A、B、Cという要素が統合される時、それがあるリズムで一つの神経細胞に到達するのと、違うリズムで合流するのとでは、計算結果が全く異なってしまう。音楽において、楽器がなるのが一秒の何分の一かずれるだけで違和感が生じてしまうのと、同じ事である。
 脳の中には一千億個の神経細胞がある。その活動がお互いに響き合って私たちの意識を創り出している。その様子は、オーケストラの様々な楽器が力を合わせて一つの音楽を生み出すプロセスに似ているのだ。
 外からの音が鳴り響くずっと前から、私たちの脳では神経細胞たちの「音楽」が鳴り響いている。内なるシンフォニーに、外から音の刺激が付け加わる。合わさり、重なり、融合する。音楽を聴く時、私たちの脳の「内なるシンフォニー」は「外から来るシンフォニー」とトキメキに満ちた出会いを果たすのだ。
 子どもの頃、家にあったレコード・プレイヤーでベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いた時から、私は音楽の虜になった。IT\雷、少しずつ、自分の触れる音楽の世界を広げてきた。オーケストラの生演奏を初めて聴いた日。高校生の時に皆で上演したオペラ。ウィーン楽友協会ホールで耳にした麗しき響き。新しい音楽に出会う度に、私の心はそれまでにない形で共鳴した。脳の神経細胞が奏でる内なるシンフォニーも、そのようにして次第に深く豊かなものになってきたように思う。
 クラシック音楽だけでない。中学校の時、ビートルズの曲に夢中になったこと。ニューヨークのクラブで耳にしたジャズ。今でもなつかしく思い出す。子どもの頃親しんだ歌謡曲。様々なジャンルの音楽体験が、私の魂の中に鳴り響く内なるメロディのダイナミック・レンジを広げてきてくれたのである。
 音楽の体験を積み重ねることこそが、生きることの充実につながる。音楽的なるものは、音の芸術だけにかかわるのでなく、より広く、「生命の躍動」(エラン・ビイタール)の色艶を増して、力強さに拍車をかけることにつながるのである。
 内なるシンフォニーの響きを高める上で、中の演奏を聴くことほど大切なことはない。修練を積んだ演奏家たちの心尽くしに、私たちの生が感銘を受け、動き出す。会場を出る聴衆の上気した表情には、人の心の中の最も美しいものが顕(あらわ)れている。
 音楽の本質を理解することは、生命なるものの心を据えることと同じである。本書では、シューベルトをはじめとする音楽家の作品に向かい合うことを通じて、音楽について考えた。シューベルトの名曲のように、音楽の本質を考える作業は常に「未完成」に終わる運命にある。たとえ完結しなくても、少しでも美しい響きに近づいてくれれば良い。そう思って日々を過ごせば、人生はしみじみとした喜びに満ちている。出会った音楽に感謝したくなる。


私の中に楽器がある〜シューベルト/交響曲第八番≪未完成≫

 ヴァイオリンが鳴り、ホルンが響き、チェロが美しい調べを奏でている。歌い続けるオーケストラは、客席にいる私にも、「歌え、鳴り響け」と叫びかけているかのようだった。----そんな音楽体験をしたことがある。ジュゼップ・シノーポリが指揮した、ウィーン・フィルによるシューベルト/交響曲第八番≪未完成≫の演奏。時は一九九二年三月。場所は東京、渋谷のNHKホール。
 演目自体は、大学院時代から、研究の合間に時間を見つけてクラシックコンサートへ行く癖がついていた私にとって、さほど心を沸き立てるようなものではなかった。しかも、当初はカルロス・クライバーが振る予定だったのだ、シノーボリに変更となって、会場には「残念……」という空気が少なからずあったのも事実だ。
 だが、その出来がすばらしかったのだ。私が今まで聴いた演奏の中で一番といってもいい。
 私だけでなく、おそらくあの場にいた聴衆は皆、多かれ少なかれ感じていたと思う。「心が震えた」などと言ってしまうと、凡庸かも知れない。だが、「旋律」と「戦慄」が同じ音であるのは偶然だろうか、そんな問いが反語として立ち顕れた。
 シノーボリによるシューベルトの理解、≪未完成≫という曲の解釈が、オーケストラの演奏という形で現れる。それが、客席へと波及し、聴衆はシューベルト≪未完成≫の解釈というものを実感できる。コンサートホール全体に、「解釈の波」とでも呼ぶべきものが流れていた。
 精神医学と人類学を専攻し、もともとは作曲家志望だったという指揮者シノーボリにとって、音楽解釈とは、作曲家の心理を理解することでもあったろう。彼は、なにを表現したかったのか。この旋律、この和音、この休止符、このテンポは、この曲をどのように創り上げようとした意図によるものなのか。作曲家についてのそうした解釈を、文字通り自らが指揮をとった旋律によって、シノーボリは私たちに伝え、私たちを揺さぶった。そこには、言葉にいっさい頼らない、音楽そのものの強さがあった。
 彼には、伝えたいことがたくさんあったのだろう。オーケストラの一人ひとりに表現を要求すると同時に、シノーボリは、客席の聴衆にも表現を要求しているかのようだった。自分の本当の感情を表現せよ、心の深いところにある、あるがままの感情を解放せよ、と。
 あの時、私の体は確かに共鳴していた。まるで身体が一つの楽器になったような気さえした。オーケストラの紡ぎ出す音が自分の中から生まれてくるようにも感じられ、音楽の生々しい躍動感につられて、心がざわめき始めた。体中が内側から響き出し、その響きとともに、体内の深い深いある一点に、手がとどきそうに思われた。私自身が鳴っていたのだ
 あの日の演奏会は、私の内なる楽器の存在を教えてくれたのである。以来、それを超える体験をしたことはない。


人生の絶対的な座標軸

 シノーボリの夜から十五年ほどが経った今も、私の心の座標軸となっている。ふとした拍子に、あの夜のコンサートが甦る。鳴り響いた音を思い出す。存在を根底から揺さぶられるくらいの感動は、消えることがない。
 すばらしい。あの時強く感じたのは、他の誰でもない、私の感情だった。本当の体験から生まれた、自分自身の価値だった。
 人間は、生きていく上で様々な事態に出逢う。時には困難と向き合わなければならない。銀のスプーンをくわえて生まれてきたとしても、どんなに風光明媚な場所で暮らしていたとしても、難事の連続である人生の本質や、この世で生きることの辛苦から逃れることはできないのだ。
 だが、絶対的な座標軸----たとえば「喜びや美の基準」といったものさし----が自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。
 これは、あくまでも自分のものさしだ、という点に強みがある。世評や人気といったような、他人を介在するものさしではない。浮き世の表面的なこととは関係がない。自己の体験から生まれた独自の軸なので、揺らぐことなく自分を内側から支えてくれる。
 絶対的な座標軸の存在が、その人にとって、生きるということの決め手になるのだと思う。人生の苦しみを緩和し、さらには、世界の美しさに目を向けさせてくれるような、生きる秘訣となるのではないだろうか。
 この世はままならぬことばかりである。自分の理想とはほど遠い現状に憤慨や焦燥、諦念を覚えることも少なくない。だが、座標軸があれば、周りがどう思おうと関係ない、という潔い強さを持てる。「周りがどうあろうと、自分の中から光を発し続けていればいいのだ」という域に達することができるのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。
 「美しい」「嬉しい」「悲しい」「楽しい」……。一瞬一瞬に生身の体で感動することによって、人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。それが「生きる」ということである。だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。生きていく上で、迷わない。揺るがない。折れない。、くじけない。
 音楽は、そんな座標軸になり得る。音楽の最上のものを知っているということは、他のなにものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるのだ。」 ーー『すべては音楽から生まれる』 茂木健一郎(脳科学者) 著よりーー

 バドミントンの末綱・前田ペアは中国ペアに負けた。彼女たちは準々決勝で世界ランク1位、前回のオリンピック・チャンピオンに競り勝った。あの瞬間、彼女たちは自分たちの音楽を聴いたはずだ。それが絶対的な座標軸を手に入れた瞬間だったのだと思う。だからこそ銅メダルと取らせてやりたかったのだが…。残念だ。でも、絶対的な座標軸を手に入れたのだから、それにまさるものがないと、思う。良くやった。TV中継があったが、生でやって欲しかった!

 14日の結果。 マラガ。フェルナンド・カマラ、コヒーダされて大腿骨骨折の重傷。ガジョ、耳なし。サルバドール・コルテス、耳1枚、耳要求で場内1周。 サン・セバスティアン。ポンセ、耳1枚。フィニート、耳なし。バウティスタ、耳1枚が2回。 ヒホン。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳1枚が2回。闘牛士、ウセダ・レアル、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳1枚、耳1枚と強いもう1枚要求でプレシデンテに罵声。 ダックス(フランス)。ルイス・ボリバル、場内1周、耳1枚。ダニエル・ルケ、ホセリート・アダメ、耳なし。 ベジエ(フランス)。フリ、耳1枚。マンサナレス、耳なし。ペレラ、耳1枚が2回。 バエサ。フンディ、耳1枚。オルドニェス、サルバドール・ベガ、耳なし。 カラタジュ。パディージャ、耳なし。フェレーラ、耳2枚。サンチェス・バラ、耳なし。 カステジャル・デ・サンティステバン。ファン・モラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。ビクトル・ハネイロ、耳2枚。 セニシエントス。エンカボ、場内1周、耳1枚。フェルナンド・クルス、弱い口笛。ホセリージョ、コヒーダ されて鼠けい部6cm2ヶ所、太腿に15cm、10cmの角傷を受ける重傷。 セウティ。コルドベス、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。ペピン・リリア、耳4枚と尻尾2つ。アルフォンソ・ロメロ、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。 ミラフロレス・デ・ラ・シエラ。アパリシオ、イバン・ビセンテ、バルベルデ、耳2枚。 サン・ロケ。エル・シド、耳1枚、耳2枚。クーロ・エスカルセナ、耳なし。ファンディ、耳1枚、耳2枚。 セセニャ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、イバン・マグロ、耳1枚が2回。闘牛士、ダビ・モラ、耳1枚、耳2枚。ホセ・マリア・ラサロ、耳1枚。


 8月16日(土) 曇 6135

 男子の柔道は非道かったが、最後に石井が金メダルを取った。彼は、決勝の試合を自分らしい柔道と言って表現した。その後、斎藤監督に、「1本を取る柔道をするように」と、怒られたという。石井には石井の絶対的な座標軸がある。それで良いのだと思う。逆に結果を出せなかった斎藤監督は、「腹を切らなければ」と言っていたそうだが、あんたが腹切ったって、誰もそのことに関心を持たないと言いたい。そういう考え方こそ変えるべきだと思う。反省というものを知らない人だ。

「 世界ランキング2位の中国ペアには及ばなかったが、「応援にメダルでお返ししたかったけど、頑張りは伝わったと思う」と前田。末綱は「ここまでやれるとは思わなかった。達成感がある」。二人の表情には充実感が漂った。
 第1ゲームで粘り強さを発揮、一時は17-14とリードした。中国を熱烈に応援する客席のブーイングは、相手を焦らせた証拠だ。だが、ここから第2ゲームの序盤にかけて14連続失点。身上のレシーブを崩されたのは力の差だった。
 それでも、4位は日本勢として五輪で史上最高順位。準々決勝では世界ランク1位の中国ペアを破るなど、小椋、潮田の人気ペアをはるかにしのぐ活躍だった。二人で地道に磨き、はぐくんできたものをしっかりと形にした。
 「多くの選手が都会に出て行くが、九州から出て来て4強入りした。やればできると、みんなが感じてくれてうれしい。日本のバドミントンがここまでできると伝えられてよかった」と27歳の末綱。22歳の前田は「また五輪に出たい。楽し過ぎる」と笑った。殊勲のペアは試合後、言葉と握手で互いの気持ちを伝え合った。

「2人らしく最後まで笑顔でできてよかった」。15日、北京五輪のバドミントン女子ダブルス3位決定戦。末綱聡子(27)、前田美順(22)組=NECセミコンダクターズ九州・山口=は銅メダルを逃したものの、一時は互角に競り合う大健闘を見せた。
 末綱選手は「負けたのは悔しいが、オリンピックで4試合もできて幸せ。バドミントンをやっている日本の小中高生の励みになれば」。前田選手は「4年後は長いが、もう一回オリンピックに出たい。楽し過ぎる」と笑顔で語った。
 2004年に初めてペアを組んだ。末綱選手のペア相手がけがをし、入社したての前田選手に白羽の矢が立った。チームの今井彰宏監督が「ピピッときた。2人は合うと感じた」。
 以来、不動の組み合わせ。「オグシオ」人気の陰に隠れていたが、今年、世界ランキングを8位に上げた。7月にはチームの地元熊本での大会でオグシオに勝った。
 大分市出身の末綱選手は8歳、鹿児島県国分市(現霧島市)生まれの前田選手は6歳でバドミントンを始めた。週2回、午前中に出社する以外、ほとんど練習漬けの毎日。ともに「負けん気が強い」と自己分析する。
 2人の両親とチーム仲間ら20人でツアーを組み観戦したが、「想定外」の活躍。「負けるはず」だった世界ランク1位の中国組を下した試合を最後に帰国した。所属会社では、体育館の一室で社員らが応援。3位決定戦のテレビ中継はなく、北京に残ったスタッフが電話で「実況」した。

◇幸せ者
 末綱聡子 負けは悔しいけど、4回も試合ができて幸せ者。対策はなく、最後まで笑顔でいこうというだけだった。ここまで来られるとは思わなかった。こういう経験を後輩に伝えていきたい。
◇楽し過ぎる
 前田美順 一つずつの試合だと思って五輪に臨んだのが良かった。(客席の)ブーイングは当たり前。日本の応援団、負けるなと思っていた。もう一度五輪に出たい。楽し過ぎる。」 ーー時事通信よりーー

 「■末綱「この場に立てて幸せ」
 今の気持ちは負けたので悔しいけど、4回も試合ができて幸せ者です。(第1ゲームで)17−14からまだ行けきれないのが、自分たちの力だと思います。失敗したときには、お互いに「次行こう」と言って、最後までやり通しました。まさかここまで来れるとは思いませんでした。達成感がありました。メダルが欲しかったという気持ちはありますが、この場に立てて幸せです。(試合が終わって)お互いに「ありがとう、ごめんね」と言いました。(末綱を前田がカバーしていたことについて)後輩に最後まで助けられました。

 ありがとうという気持ちでいっぱいです。(今後は)後輩がこういう場に立てるようにサポートしていきたいです。(4年後のロンドン五輪は?)考えてないです。力は出し切れない部分はありましたが、うちららしく楽しみました。九州から出ていって日本初のベスト4になれて、やればできるということをみんなが感じてくれたことがうれしいです。うちらの活躍より、日本のバドミントンがここまでで来たことがよかったです。

■前田「今までで一番楽しかった」
 最後まで残れて、みんなが頑張って応援してくれたので、メダルという形で恩返しするのがよかったんですが、頑張りは伝わったかなと。1発目のミスでポンポンと行かれてしまいました。どうしても私の性格上、攻め急いでしまって……。まだまだですね。精度のいい選手とやると、足を踏み入れるのも、球のところに行くのもすごい疲れるんですよね。体力も集中力もすごい使うので。それが1ゲームの時点でちょっと切れて、すぐ切り替えられなかったところかなと思います。

(どんな戦術で臨んだ?)相手はスマッシュが強くて攻撃力もあるし、なにしろ左右っていうのがあるので、クロスの球に注意しないといけなかったんですけど、1ゲームの最後にクロスでやられてしまって……。あとは小さい方(張亜☆=☆は雨かんむりに文)が体力がないイメージがあるので、打たせるなら小さい方とか、でも一番はレシーブですね。1ゲームは自分たちの形に持っていけたんですけど、2ゲーム目は全然させてもらえなくて。(準決勝と)同じ形でやられてしまったなと思います。

(硬くならなかった?)準決勝よりは硬くならなかったと思うんですけど。最後は勝っても負けても笑って終わろうと言ってたので、そのおかげで硬くならなかったのかなと思います。(終わった瞬間は?)「ありがとう」って言われて、ここまで来れたのは先輩(末綱)のおかげなので、私はなかなか言葉にできずに握手するくらいしかできなかったんですけど、先輩はしきりに「ありがとう」って言ってくれて。こっちの方が「ありがとう」って言いたいくらいなのにって。

(初めての五輪で)どういうふうな雰囲気か全く分からずに臨んで、でも私たちの場合は1つ1つの試合というように乗り込んできたので、その入り方もよかったかなと思います。この舞台で戦えることは、今まで行った海外遠征の中でも一番楽しかったです。(ブーイングも大きかったが)それは当たり前だと思いますし、中国のブーイングよりもインドネシアの方が荒い感じなので。
(ロンドン五輪は?)4年後ですか、長いな……。ロンドンを狙うというよりは、もう1回オリンピックに出たいなと思います。楽しすぎる(笑)。」 ーースポーツナビよりーー

 末綱聡子が、引退するのかどうかは判らないが、日本の大会に前田と一緒に出場して観客から声援を受けて欲しいと思った。オグシオも引退するような話があるが、国内大会の決勝で戦って欲しい。それが観たい。決勝で勝ったのは中国ペア。あの汚い韓国ペアが負けたのは良いことだ。あんなのに勝たれたら後味が最悪だ。こざかしい奴は大嫌いだ。

 15日エル・プエルト・デ・サンタ・マリアで、ペピン・リリアが、マルケス・デ・ドメク牧場の“インセンサト”という名の牛(No55、510キロ)をインドゥルトした。

 15日の結果。 マドリード。セラフィン・マリン、耳なし。フェルナンド・クルス、場内1周。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。 セビージャ。ルイス・デ・パウロバ、ピネダ、耳なし。セサル・ヒロン、耳要求で場内1周。 マラガ。ウセダ・レアル、クーロ・ディアス、バウティスタ、耳なし。 サン・セバスティアン。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、メンドーサ、耳なし。闘牛士、ガジョ、耳なし。ダニエル・ルケ、耳1枚。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。ペピン・リリア、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ。ハビエル・ロドリゲス、耳なし。ヘスリ・デ・トレセラ、耳1枚。 ヒホン。コルドベス、耳1枚。オルドニェス、口笛。ファンディ、耳2枚が2回。 バイヨンヌ(フランス)。ビクトル・メンデス、場内1周。フリ、マンサナレス、耳1枚。 ダックス(フランス)。フンディ、耳1枚、耳2枚。ラファエリジョ、耳2枚。フリエン・レスカレット、耳1枚。 ベジエ(フランス)。ポンセ、カステージャ、耳2枚。タラバンテ、耳なし。

 アルファロ。エスプラ、ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚が2回。ルイス・ボリバル、耳1枚。 ブルゴ・デ・オスマ。バレラ、耳1枚が2回。アベジャン、サンチェス・バラ、耳1枚、耳2枚。 セニシエントス。エル・ヒノ、耳なし。ビルチェス、耳なし。コヒーダされ左足に2ヶ所の角傷を受ける重傷。 エレラ・デル・ドゥケ。フェレーラ、耳1枚、耳2枚と尻尾1つ。セサル・ヒメネス、耳1枚、耳2枚。マティアス・テヘラ、耳1枚。 ハティバ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、フェルミン・ボオルケス、耳1枚、耳2枚。カリファ、耳なし。トマス・サンチェス、耳2枚が2回。


 8月17日(日) 雨 52162

 シーラさんがスペインから帰ってきた。ホセ・トマス2日前のエル・プエルト・デ・サンタ・マリアでコヒーダされて重傷を負い、ヒホンには出れなくなり、観れなくて落胆しているという。でも、カステージャ、タラバンテ、エル・シド、ペレラ、メンドーサなどが見たはずなので、行って良かったのだと思うし、何よりも、スペインに闘牛を見に行ったことが良いことだと思う。シーラさんは、サン・イシドロで、プエルタ・グランデも見ているし、自分の座標軸を見つけているはずだ。それに合わせて闘牛を見れば楽しめるはずだ。闘牛の会で、僕が流しているビデオも充分参考になっているはずだ。

 セサル・リンコンやホセ・トマスは、人生の絶対的な座標軸を、持っている。ホセリートもそうだ。彼らは、絶対音感と自分の奏でる「闘牛」という至上の音楽をを持ち合わせているし、それを観客の前で表現できる技術も心も持っている。そういう自己の成功体験を持っている人間は、強いのだ。

 16日の結果。 マラガ。アベジャン、耳1枚。カペア、アンヘル・テルエル、耳なし。 サン・セバスティアン。フリ、耳1枚。マンサナレス、耳なし。ペレラ、耳1枚。 ヒホン。バルベルデ、耳なし。サルバドール・ベガ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳1枚が2回。 ダックス(フランス)。ポンセ、耳2枚が2回。バウティスタ、耳1枚。セラニト、耳なし。 ベジエ(フランス)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ディエゴ・ベントゥラ、耳1枚、耳2枚。闘牛士、ファンディ、耳要求。セサル・ヒメネス、耳2枚。 シウダ・レアル。エスプラ、口笛。クーロ・ディアス、耳なし。アニバル・ルイス、耳1枚。 モトリル。オルドニェス、口笛。モランテ、耳2枚。エル・シド、耳2枚、耳1枚。 アルファロ。カナレス・リベラ、耳なし。マティアス・テヘラ、耳2枚、耳1枚。ガジョ、弱い口笛。 アルメンドラレホ。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、アンディー・カルタヘナ、耳1枚。闘牛士、フィニート、耳なし。パディージャ、耳2枚が2回。 アスアガ。アレハンドロ・アマジャ、耳1枚。アンベル・ポサダ、場内1周。 カンタレホ。フンディ、ウセダ・レアル、耳1枚が2回。 セブレロ ス。ギジェルモ・アルバン、耳2枚が2回。コヒーダされ鼻骨骨折、左太腿に角傷を受ける。ルイス・ゴンサレス、耳2枚。ラウル・クアドラド、耳なし。 セニシエントス。ロペス・チャベス、口笛。イバン・ガルシア、ホセ・マリア・ラサロ、耳1枚。 ギフエロ。バレラ、耳なし。カスターニョ、耳2枚。ルイス・ボリバル、耳なし。 ミラフロレス・デ・ラ・シエラ。カリファ、場内1周。アルフォンソ・ロメロ、耳なし。チェチュ、場内1周。 タファジャ。フランシスコ・マルコ、耳1枚。サンチェス・バラ、耳1枚が2回。ピネダ、耳なし。 サラス・デ・ロス・インファンテス。ラモス、耳2枚、場内1周。モレニート・デ・アランダ、場内1周、耳2枚。 バルベルデ・デル・カミノ。ペピン・リリア、耳なし。ラファエル・デ・フリア、口笛。サルバドール・コルテス、耳1枚が2回。 ハティバ。コルドベス、耳1枚。トマス・サンチェス、耳2枚。アレハンドロ・タラバンテ、耳なし。 キンタナル・デ・ラ・オルデン。フェレーラ、耳2枚と尻尾1つ、耳2枚。アントニオ・バレラ、耳1枚。コヒーダされて肋骨骨折。ア ンドレス・パラシオス、耳2枚が2回。 結果が判らないが、バエサでアパリシオがコヒーダされて首に8cmの角傷を受ける。重傷ではない


 8月18日(月) 晴 5826

 昨日は雨が降って涼しかった。半袖では寒いくらいだった。お盆休みの週が終わり今日から会社員が東京に戻ってくる。また、電車が混むのだろう。オリンピックは、北島、内柴に続いて、女子レスリングでも、吉田、伊調妹が連覇した。吉田は、勝って初めて泣いた。伊調は姉妹で取った金を強調していた。チャンピオンが連勝が途切れたり、怪我で追いつめられながら、勝ち取った金は価値がある。

 バエサで、エル・ファンディが、フリオ・デ・ラ・プエルタ牧場の“アネガド”という名の牛(No150)をインドゥルトした。

 17日の結果。 バルセロナ。パウリタ、耳なし。アレハンドロ・アマジャ、場内1周。アンベル・ポサダ、耳なし。 ビルバオ。アントニオ・バレラ、ルイス・ボリバル、耳なし。イバン・ファンディニョ、罵声。 サン・セバスティアン。ペピン・リリア、フェレーラ、耳なし。ディエゴ・ウルディアレス、耳1枚。 エル・プエルト・デ・サンタ・マリア。アレハンドロ・モリジャ、耳1枚が2回。アレハンドロ・タラバンテ、耳1枚。カロ・ヒル、強い口笛。 ダックス(フランス)。フリ、マンサナレス、耳なし。ペレラ、耳1枚。 ベジエ(フランス)。フンディ、耳なし。パディージャ、バルベルデ、耳1枚。 バエサ。フィニート、耳2枚。クーロ・ディアス、耳1枚、耳2枚。ファンディ、耳1枚、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。 カンタレホ。パンセ、耳2枚。エル・シド、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳2枚。 セニシエントス。ラファエリジョ、ロブレニョ、耳なし。セルヒオ・アギラール、場内1周。 エステポナ。オルドニェス、耳1枚、耳2枚、耳2枚と尻尾1つ。 マルベージャ。アパリシオ、耳1枚、場内1周。耳2枚。カステージャ、耳1枚が 2回。 ロア・デ・ドゥエロ。コルドベス、耳なし。サルバドール・ベガ、耳1枚。ガジョ、耳なし。 タファジャ。バウティスタ、耳1枚が2回。セサル・ヒメネス、耳1枚。カペア、耳1枚が2回。


 8月19日(火) 晴のち雨 43770

 手と足が痛いので病院に行った。薬を貰って来た。オリンピックは未だ続いている。中だるみ気味になっていたが、期待していなかった男子レスリングで松永共広が世界チャンピオンなどを破って銀メダルを獲得した。

 「音楽の女神は微笑む

 音楽の演奏において生まれる未知の感動は、今ここで新しい宗教が誕生するくらい、世界が全く変わってしまうぐらいの力がある。そうした音楽に接した時、私たちはただもう無言でひれ伏すしかない。どれだけ言葉を尽くしても、どんな理論を用いようとしても、語り得ないほどすごい。
 私は、ここに、音楽の素顔を感じる。なんだかよくわからないけれども、とにかく、すごいということだけはわかる素顔を。
 もちろん、音楽を理論的に解釈する方法は多様にある、音程やリズム、階調を把握し、分析し、理解する。「標題音楽」に見られるような、音楽とはなにか別の概念を表すためのもの、という捉え方もある。
 だが、それでは音楽の本質は得られないと私は考える。理論的な解釈を超えたところに音楽の神髄があるのではないだろうか。
 誰も本当のことを把握していない。演奏家も指揮者もつかめない、もしかしたら作曲家自身でさえもわかっていないような「なにか」、軟体動物のような「なにか」があって、そこにただ音符が貼りついているだけ、とでもいおうか。
 ただ、はるか高いところで音楽の女神様が微笑んでいるような。
 誰にもつかむことのできない抽象的ななにか、言語での説明を超えたところにこそ、きっと本質がある。音楽の儚くも強いはざま、旋律のあわいに、女神の微笑みが見える。
 そう気づいた時から、私の音楽との接し方は変わった。「自分は、全くクラシックの聴き方がわかっていなかったんだ」とわかっていなかったのである。
 かつての私は、頭でっかちな聴き手であった。 …中略… 
 私は本当には音楽を聴いていなかったのだ。聴こうともせずに、もっともらしい説明や理解を求めていたのである。
 音楽の至福とは、音楽そのものの核心、わからない「なにか」に接した時の愉悦であり、感動であり、喜びなのだ。
 シノーボリの≪未完成≫にしても、私があの曲を聴いて得たものがなんだったのかは、わからない。はじめに述べたことに嘘はないが、あれがすべてではない。ただ一つ確かなのは、あの≪未完成≫を聴いたことで、私は変わった。聴く前と後では、きっとなにかが違っている。それは信じるということもまた、一つの真摯な音楽なのだ。


 人はなにを語り得るのか

 何も言う術を持たないこと。わからないことを、わからないままにすること。
 音楽によって発見したこの姿勢を、端的に代弁してくれる概念がある。釈迦の思想、「無記」 …中略…
 わからないものは、わからない。わからないのなら、断定的なことを語らない。これが釈迦の「無記」の思想であり、死後の世界や魂の存在の有無について、いっさい答えない、という仏教の哲学である。音楽に対しても、私はこういう姿勢で臨みたい。
 釈迦を拒否して動じないものだけが美しい。語り得ないことについては、人は沈黙せねばならない。確かにそれは正しいだろう。
 だがそれは、いっさい口を閉ざすということではない。わからないということを前提とした上で、それでも語るということ。そこにはどんな意味があるのだろうか。沈黙に耳をすました時、聞こえるものはなんだろう。


 優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或(あ)るものを表現していて、これに対しては
 学問上の言語も、実生活上の言葉も為(な)す処を知らず、僕等は止むなく口を噤(つぐ)むので
 あるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に満ちているから、何かを語ろうとす
 る衝動を抑え難く、而(しか)も、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。
                              (『モオツァルト』小林秀雄/新潮文庫)

 音楽について、私の言葉で語りたい。自分なりにその正体に少しでも近づいて、自分のものとして音楽と接したい。
 そのために、なによりもまず真摯に耳を傾けたい。
 本物の音楽は、もう、ここにある。始まっている、流れている。聞こえないとすればそれは、聴こうとしていないからだ。耳をすまして、音楽を聴く。全てはそこから始まるのである。」 ーー『すべては音楽から生まれる』 茂木健一郎(脳科学者) 著よりーー

 2008ヨーロッパ選手権の特集を雑誌でやっていたので買ってきてつらつら読んだが、サッカーの解釈というのは、多様だと思った。ジダンがスペインとロシアのサッカーが良かったと言い、オランダについては、予選を圧勝しても、オランダはいつもここからが問題だ。と指摘していた。全く違う事を言っているのが、ヨハン・クライフ。オランダの見せた予選の内容は歴史に残ると力説していた。サッカー界のスーパースターの2人の意見が対立している。ジダンはもっと偉大なサッカー選手だが、指導者としての経験がない。クライフは、バルセロナで監督しての素晴らしい実績を持っている。が、この意見には失望した。どう見てもジダンが言っていることの方に理がある。

 闘牛について、意見の対立することが少ない。闘牛の会では殆どない。サン・イシドロ開催中にコロキオを開くとそこでは対立がある。これが面白いのだ。自分の言葉で闘牛を語り合う。見方が違う。そこが良いのだ。だからこそ、励みになるのだ。自分に欠落している部分や気づかなかった事を発見する喜び。逆に他人が気づかなかったことを指摘して驚かせたりする事も面白い。また、この闘牛であの人はどういう反応をするかという楽しみや、やっぱりこういう語り口をするのかというらしさも心地よい。そういう仲間が一杯いることが、闘牛を見終わった後の楽しみなのだ。

 観戦記を書く時は、自分の言葉で書く。出来るだけ無心で、そこで行われている闘牛を観て、牛と闘牛の、「翼を燃やす天使たちの舞踏」を感じようとする。そこには、人間世界に存在する最も濃密な生が詰まっている。だからこそ、「感動に満ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く」なる。だから今表現できる最良の自分の言葉で語りたい。

 ホセ・トマスは、20日マラガで復帰する模様。

 18日の結果。 ビルバオ。モランテ、耳なし。エル・シド、耳1枚。ペレラ、耳1枚が2回。 マラガ。マティアス・テヘラ、耳なし。アレハンドロ・タラバンテ、アビソ3回で罵声、罵声。ダニエル・ルケ、耳1枚が2回。 カンタレホ。フィニート、耳1枚。コルドベス、ファンディ、耳2枚。 ロア・デ・ドゥエロ。セラフィン・マリン、耳2枚が2回。カスターニョ、耳2枚、耳1枚。モレニート・デ・アランダ、耳1枚。


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