断腸亭日常日記 2010年 その23

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。

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 12月17日(金) 晴 7957

 これからは出来るだけテレビを観ずに本を読みたい。ああいうのは観ているときりがない。本を読むか、人と会って話がしたい。今後はどうなるか判らない。東京にこのまま住んでいるかも不明。親の病気のこともあるのではっきりしないが、希望としては京都に住みたい。仕事がどうなるかも判らないが…。


 12月18日(土) 曇 30713

 寒くなった。今日の競馬はトントン。1月の闘牛ビデオ上映会にむけて下調べに行ってきた。12月は出来ないので、1月にやろうと思っていた。狭い部屋だったが安いのでそれで良いと思った。日にちも当たりがついた。来週開けに電話で再確認して予約を入れるつもりだ。1月からは公共の場になるので、誰でも参加できるようになる。それまでの2回は、個人宅でやったので、ネット上には載せられなかった。これでネットで、新しい参加希望の人が集まれば嬉しい。

 帰りに、マックで明日の朝日杯など競馬の予想をして、『もしドラ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』)を読んでいたら非常に明るい気分になった。僕がやる闘牛ビデオ上映会もこういう風になってくれたら良いなぁと思った。この本が売れる理由が判る。もう160万部売れたそうだ。『週刊ダイヤモンド』のドラッカー特集には、中学や高校で、『もしドラ』ブームが起きていて、実践している話が載っていたが、そういう気持ちになるのが、読んでいると判る。僕自身もそういう気持ちになった。僕は本来流行りものが嫌いだ。だから、今までドラッカーの『マネジメント』の方を読んでいたが、『もしドラ』は、非常に読みやすく夢中になってしまう面白い本だ。読んでいる人の人生を、感化し希望を与える。そして、何か行動を起こさせようと、後押ししてくれる。


 12月19日(日) 曇 7433

 横山典弘も、武豊も、藤田伸二も、内田博幸も、岩田康誠も出ないGT朝日杯フューチュリティ・ステークス。予想に気が入らないのは当然だ。ましてや、圧倒的1番人気のサダムパテックは出遅れ癖のある馬。かといって、中山1600mは外枠不利。7・8枠は死に目になっている。馬体重を観てからでないと最終決断が出来ないが、調教後の体重が前走と同じで輸送で減ると思われる1番人気サダムパテックをどう扱うかが問題だ。それ以外では、内枠のリベルタス、リトルインパクト、リフトザウイングス、グランプリボス辺りだろう。8枠に入ったアドマイヤサガスは切るつもりだ。

 クラブ・ワールド・カップは、インテルが、アフリカ代表のマゼンベを、3−0で破り優勝した。スペイン人のベニテス監督は初タイトルかな?


 12月21日(火) 曇 36367/2

  昨日、ラジオ関西に出演した。あっという間に時間が過ぎた。時間が短すぎる。自分自身言いたいことを言えなかったし、聞いた人が闘牛を理解できたかどうか判らない。

 『もしドラ』読了。最後の部分で泣いた。読み終わって組織作りをしっかりすれば、強い絆が生まれるんだと改めて思った。


 12月22日(水) 雨のち晴 31110

 『もしドラ』が読みたいので貸して欲しいと言われたので、明日持って行く。ドラッカーを知ったのは、『星野リゾートの事件簿』を読み、その後に星野佳路社長が目指す企業作りで主に経営學のビジネス書を参考に社員研修をやった。その実践した教科書などを紹介した『星野リゾートの教科書』の中にドラッカーの本があった。本屋でやはり目に付いたのが、『マネジメント』である。それを買って読んでも、なかなか進まない。難しいのだ。所が、『もしドラ』は実に読みやすいし、分かり易い。主人公のみなみという名前も、マンガ『タッチ』の女子マネージャーみなみと同じ名前だ。そういうところも当然意識しているはずだ。

 星野佳路は、ホテルや旅館を利用する、顧客から要望や苦情を、教育した従業員の日々の仕事で受け止めて、重要な情報を受け取り、経営に生かしていった。『もしドラ』のみなみたち高校野球のマネージャーは、ドラッカーの『マネジメント』の本を勉強し、それを基に野球部をマネジメントしていった。僕も、スペイン闘牛ビデオ上映会に来る人たちのからマーケッティングをしていくことから始めたい。


 12月24日(金) 曇 29691

 寒い日が続いている。スペイン闘牛ビデオ上映会の会場申し込みに行ってきた。今月予定していたが、色々あって出来ず、来月することにした。会場は、飲食禁止だという。参加者の名簿は提出しなくても良いが、人数を教えて欲しいということ。会場で掲示板を観て参加するのは原則禁止と言うことだ。それは、不特定の人に貸し出すことが禁止されているというのだ。それと会場費が発生する。安いが、上映会で回収できるようにしたい。しかし、これも原則会場内での、金銭の授受はしないでくださいと言うことだった。あくまで原則。参加費を徴収しないと会場費は持ち出しになってしまう。取りあえずは、何人かに連絡していつやるかを話した。HP上には明日載せることとする。

 それから、マックに行って有馬記念などの競馬予想をしてきた。ローズキングダムが腹痛を発症して回避。やっぱりブエナビスタが本命。


 12月25日(土) 曇 7711

 寒波が来ているので寒い。今年影響を受けた本や著者のことを書いておきたい。『星野リゾートの事件簿』『星野リゾートの教科書』 『20歳のときに知っておきたかったこと』ティナ・シーリグ 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』 の4冊は同じ土壌の作品だ。非常に刺激的な本だった。仕事でこういう事が出来たらどんなに幸せだろうと思った。これに、松岡正剛の編集工学を合わせると、面白いことが出来るような気がしている。


 12月26日(日) 晴 29935

 有馬記念を観に中山競馬場へ行ってきた。最強馬ブエナビスタがその力を示すレースだと思っていた。しかし、ゴール前追い込んできて差したと思ったが…。鼻差2cm足りなかった。デムーロの乗り方でヴィクトワールピサが勝ったのには驚いた。向正面でルーラシップがかかり気味に上がっていったときに一緒に上がり先頭に並びかける。フォゲッタブルでやった失敗をまたやったと思った。しかし、レースはスローペース。これが結果的にブエナビスタの末脚を封じた。上位5着までのうち、ブエナビスタ以外はすべて先行集団にいた4頭だった。スローペースという展開で負けたブエナビスタ。それとスタートが良かったペルーサは、直後に押して好位をキープしてレースを進めたが、思ったほど末脚が切れなかった。

 帰ってきて、女子フィギアを観た。浅田真央が復活したのは嬉しいことだ。でも優勝は、安藤美姫。3位はフィギア界のあややこと村上佳菜子。日本女子は世界レベルで最高峰を行っているだろう。NHKで今年1年のスポーツを振り返る番組をやっていた。色々な場面が思い出される。サッカーのワールド・カップでスペインが優勝したは非常に嬉しいことだった。番組では日本代表の駒野が来て話をしていた。でも、1番印象に残った言葉は、イチローの10年連続200本安打の大リーグ新記録を作った後に、気持ちを強く持って頑張るとか、精神的な事を良く言いますが、僕はそういうことを信じていません。大事なのは技術です。と断言した言葉がズシンと響いた。こういう言葉が僕にとって分かり易い言葉なのだ。 


 12月27日(月) 晴 11594

 『ブルボン王朝 12の物語』読了。カトリーヌ・ド・メディシアスからナポレオンの時代まで、フランス・スペインを中心に書かれた物語は絵画から語られている。少なくても現スペインのファン・カルロス国王家系は非道いことをやってきた様だ。でも、ファン・カルロスが現在のスペインの民主化と繁栄の礎を作ったことは間違いないことだ。だから、人気がある。やってきたことが素晴らしい。『国王』というインタビュー本を荻内先生が訳しているがこれを読めば面白い現代史が判る。


 12月28日(火) 晴 28548

 天気予報では、年末は日本海側を中心に大荒れの状態になる。明日の東京大賞典の馬券を買おうと思ったが、疲れて眠くて買いに行くのをやめた。予想はスマートファルコン、フリオーソの1点。堅いだろう。部屋を片付ける気にならないが、本を読む気は沸いてくる。30日の夜には盛岡にいる。新幹線の切符は夕方しか取れなかった。後は立ち席で昼行けるが体がしんどいのでそれはしない。

 以前、廃業した風呂屋に来ていた身障者のおっさん。足が悪く、踏み出す足が半歩しか出せない人だったが、その人、タバコを吸うとき本当に美味そうに吸う。幸せそうなその表情を観ているだけで、この人の人生も幸せなんじゃないかと思えてしまう感じがした。歩きながら杖を突き、口にくわえたタバコをくゆらせながら半歩ずつ歩くその歩みはゆっくりだが確かなもののように思えた。ああいう風なタバコの吸い方が出来る人生を歩きたいと思う。


 12月29日(水) 曇 4858

 TV番組の編成が年末年始体勢に変わった。『ゲゲゲの女房』や『龍馬伝』など総集編が今日から始まる。NHKを始め放送局は何とかTVを観て貰おうと視聴率稼ぎに出ている。明けには、『メジャー』『ハーバード白熱教室』などを一挙に放送する。ようやく正月用のTVガイドを買ってきたのでそういうことが判った。録画が忙しい。HDDを整理して予約を入れた。

 夜中に、『ぼくはロックで大人になった〜忌野清志郎が描いた500枚の絵画〜』をやっていた。清志郎が画家になりたかった事を始めて知る。高校の時に画家になるか、フォーク・シンガーになるか、悩んでいた。高3の時に、急に受験用のデッサンになって愕然としたといっていた。だから受験しなかったのだろう。80年くらいまで、『ぼくの好きな先生』以外ヒット曲に恵まれず、すさんだ生活をしていた。三浦友和が、空気がよどんでいた。と証言していた。

 高校時代、口数の少ない美術教師と遅刻の多い口数の少ない生徒が美術準備室で話もせずにたむろして仲良くなっていく。それが『ぼくの好きな先生』になった。それから以降もゴッホにあこがれ売れない時代、ゴッホの本を読んで歌を作っていく。生涯に1枚の絵しか売れなかったゴッホが当時の清志郎の支えになっていたようだ。高校最後に書いた自画像が顔がない。それから30年後に書いた自画像は、極彩色で顔がある。口数の少ない美術教師が出てきて当時のことなどを振り返って話していた。何となく良い気分になった番組だ。


 12月30日(木) 曇 35415 盛岡にて

 東京に向かう途中、キャリーバックを引いていたら、持っている手が寒さでかじかんでくる。盛岡に着いたら、雪が積もっていた。そして、東京よりももっと寒かった。NHK『龍馬伝』総集編を観ている。龍馬は大きな事をやった。おそらく、司馬遼太郎が、『龍馬が行く』を書く前は、それほど坂本龍馬は注目されていなかっただろう。西郷隆盛や大久保利道、高杉晋作、桂小五郎の方が功績を讃えられていたのだと思う。でも今は、龍馬の功績を讃える人が大勢いてファンも多い。大政奉還によって武士階級の恨みを買い暗殺される。市民社会を日本に作ろうとした龍馬。それは大勢の武士階級には絶望を与えただろう。

 2010年。良いことがあまりなく、非道い年だった。こんな1年は思い出したくない。15年を精算した。無駄の多い事ばかりだった。ほとんど馬鹿らしくなった。良いことは、6月スペインに行ったことと、11月京都に行ったことが、良い思い出だ。それが来年に繋がる希望だ。


 12月31日(金) 雪 5015 盛岡にて

 夜半から降り続いた雪は朝まで続き、一旦日が出たが、また、雪が降り続いた。今日の盛岡の降雪は27cm。積雪は57cmになっている。1時間に8.5cmも降っていた。大晦日から元旦にかけてまた雪が降るという。何か今年の元旦も雪が降った記憶があるが、2年連続の雪の元旦になりそうだ。1日家の中にいた。朝に日が出たときに雪かきをした。雪が湿気を多い雪だったので雪が重かった。叔父さん夫婦がやってきて話をした。正月両親がこんな状態なので、赤飯とおせちのような料理を持ってきてくれたのだ。その中にあった焼いた鮭。今はあまり食べれなくなったしょっぱい鮭だった。こういうのをお茶漬けに入れて食べると美味いんだよなぁ!

 『ゲゲゲの女房』総集編を観るために7時10分ごと起きて、外には出なかったが昼から眠かったが、20時過ぎには眠くなって風呂に入りバーボンを飲み始めたら目が冴えてきた。TVを観ながらボソボソと弟と話をした。これで親父がいなくなったらどうなるのだろう。お袋だけ残ったら大変だ。誰かが一緒にいないと生活が出来ない。親父がいるから何とかなっている。紅白で北島三郎の、『風雪流れ旅』を聴く。高橋竹山のことを星野哲朗が書いた詩だ。こういう雪の降っているときに盛岡で聴くと、県営会館で観た竹山を思い出す。津軽三味線を抱えて地吹雪の中を門付けして歩いたぼさま(盲目の芸人)の竹山が、2000人も入るコンサート・ホールで喝采を浴びて、『津軽じょんがら節』を弾いていたのを鮮明の思い出す。何しろコンサートで背筋がゾクゾクしたのは始めにして最後だったのだから…。

 高校の時に観た竹山。確か親父にどうしても観たいからといって切符を買って貰って観たはずだ。親父は、行ってこ。と、いって買ってくれた。昨日、寝る前にTVを観ながら酒を飲んでいたら、仕事に行く弟が起きてきて飯を食いながらボブ・ディランの、BSで録画しただろう『ノー・ディレクション・ホーム』を見せてくれた。勿論、DVDで持っているが、それは言わず観ていた。そうしたら、ディランが、自分が生まれるべき両親の所に生まれてこなかったんだと思っていた。自分の居場所を探しに街を出た。と、言っていた。少年時代いかがわしいサーカスに出会った話も面白く語っていた。それを観ながら寺山修司の、映画『田園に死す』のいかがわしいサーカスを思い出した。こういう年代の人たちは日本だけじゃなくアメリカでも、いかがわしさと、外の世界へと目を開かせていたんだと思った。

 同じ青森出身の寺山修司が、高橋竹山をどう思っていたのかは知らない。記憶にない。おそらく悪く言うはずがないと思う。大体ぼさまなんて言うのは、憐れみとか、蔑みの感情をもって土地の人にむかえられたんだとおもう。それでもわずかなお金や米などの食べ物を与えたのは、土地の人のわずかな優しさでもある。竹山は、生まれてこなければ良かったと思ったことも多くあっただろう。ディランの、「自分が生まれるべき両親の所に生まれてこなかったんだ」と、いう言葉には、僕が小さい頃から思っていた事と同じ事が語られていて強いシンパシーを感じた。こういう人生の中心の所に、ディランへの共感があったのかと驚いた。親に対する思いは、外の世界へ思いをめぐらされたのだろう。

 NHKのTVを観ていたら京都の知恩寺の除夜の鐘を突いているシーンが映っていた。出来るなら来年は京都で大晦日を過ごしたいと思った。雪の京都にいたかったなぁ。ISOさんが羨ましい。

 「やろうと思っていたことは、直ぐにやらなければならないことに気付きました。」チリ落盤事故で救出された作業員ビクトルの言葉。


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