断腸亭日常日記 2010年 その22

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
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5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日 5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日
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10月23日〜11月12日 11月14日〜11月26日 11月27日〜12月4日

 12月5日(日) 晴 13365

 JCダートは、何を買うか考えていない。Jリーグ最終戦が昨日行われて、降格と昇格の3つのチームが計6チームが決まった。FC東京は、京都に0−2で負けて降格が決まった。これで首都東京には,Jリーグ1部に不在になった。こういうリーグがあるのだろうか?野球に比べて国民的な関心がまだ、Jリーグにないのだろう。だから、お金も人も集まらない。ヴェルディがリーグの管理下にあったことでもその状況が判る。こういうところを改善していかないとJリーグの発展はないだろう。


 12月6日(月) 晴 43210

 昨日のJCダートは、名ばかりのGTで、実質GUのメンバー構成。あまり乗り気でなかった。金額もそんなに入れなかった。買い目は、逃げ馬のトランセンドから、馬連で、シルクメビアス、キングスエンブレム、バーディーバーディー、グロリアスノア、オーロマイスターへ流した。結果は、ハイペースでトランセンドが逃げ切り、グロリアスノアが2着に入り、3着がアドマイヤスバル。馬連が4350円ついた。最終も取ってそれまで連敗だった馬券はプラス収支になった。それまでのレースの方が自信があったのに、結果はどうなんだろうと思っていたJCダートが当たったので、改めて競馬ってこういうものなのかと思ってしまった。先週の降着で払い戻しにならなかった分までは取り返せなかったが、今週も銀行へ入金しなくてすんだ。

 さて次は、阪神ジュベナイルフィリーズ。『週刊競馬ブック』の想定でデータを観たが、やはり2頭が有力だ。関東のダンスファンタジアと関西のレーヴディソール。この2頭が抜けていると思う。どっちが勝つかのレースになるだろう。自在に立ち回れて、末も切れるダンスファンタジアの方が、末だけのレーヴディソールよりは有利だと思う。

 どこかで、老婆が耳の下にハサミが刺さった状態で発見された。1万5千円の売上金がなくなっていたという。他に胸などを差されていたと言うが、そんな金額を盗むためにそんなことをするか?気味の悪い事件だ。それと自殺者は今年も3万人を超えるのが確実だという。これで13年連続になるのだという。鈴木宗男が収監された。国会は終わって菅首相が会見をしたが、内閣支持率は讀賣新聞の調査では、25%になったという。Jリーグの最優秀選手にGKの楢崎が選ばれた。GKでは初めてのMVPである。


 12月7日(火) 曇 5729

 ちょっと寒いと、腹の調子がおかしくなる。風邪なのかどうなのか判らないが、日々の天気に、体調は敏感に反応している。相変わらずの寝不足気味。日本人の睡眠時間は少ないという。特に東京に住んでいる人の睡眠不足が1番深刻だという。俺もその1人なんだろう。

 本田啓祐のアトレティコ・マドリードへの移籍話が浮上しているという。リバプールへの移籍話もあり、1月の移籍市場解禁に向けて、CSKAモスクワが本田の移籍を容認すれば、噂のチームか水面下で交渉を進めているところがあればそちらへの移籍が発表になるだろう。


 12月8日(水) 雨のち曇 40988

 日にちが変わってからマドゥルガダにかけて降った雨の影響で朝は寒かった。今日はジョン・レノンが暗殺されて30年目である。考えてみると山口百恵が結婚式を挙げたのが、この年の11月18日。それから10年前の1970年の11月25日には三島由紀夫が割腹自殺した。この10年間で社会は大きく変わった。高度成長で所得が上がった後、人々の目は社会に向けられていた。色々な矛盾が鬱積し学生運動が代表するようにデモやストライキは日常的に日本の中にあった。それから浅間山荘事件で象徴されるように、運動の敗北が決定する。72年グアム島のジャングルから横井庄一、74年ルバング島から小野田寛郎少尉が帰還する。日本中が熱狂する。記憶が確かならば、このとき小野洋子は、「小野田さんが、白鳥なら、横井さんは、(みにくい)アヒルの子」と言っている。

 小野田さんが野坂昭如とTV出演して対談したとき、天皇陛下を馬鹿にしたとして、野坂を殴った。この場面はTV中継されなかった。「帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ事や現地住民との銃撃戦によって多数の住民が死傷した出来事が明らかになった事(フィリピン政府当局の判断により、小野田への訴追は行われなかった)、また本当に敗戦を知らなかったのかという疑問が高まるに連れて、「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」といった批判も表れた。 小野田に対し、政府は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田は拒否する。拒否するも見舞金を渡されたので、小野田は見舞金と方々から寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付している。天皇との会見も断り(自身が勝手に潜伏していたので、陛下は声の掛け様が無いだろうと判断)、小野田は戦闘で亡くなった島田と小塚の墓へ行っている。」 ーーウィキペディア」ーー

 「戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという」 ーーブルーシー・アンド・グリーンランド財団ホームページ 『注目の人』No.030より ーー

 横井さんが日本の順応したのに対して、小野田さんは、どこに行っても熱狂する群衆や、マスコミの虚偽報道など(マスコミのヘリコプター取材がゲリラ戦を思い出させ悩ませた時期もあったという)に嫌気が差して、次兄のいるブラジルに移住する。ちなみに、ルバング島から小野田さんを連れて帰った鈴木紀夫さんは、マドリードのユースホステルに半年間住んでいた。規定ではそんなに長期間滞在できないことになっている。日の丸を掲げていたという。同時期番長もいたという。

 人の幸せとは何だろう?三島由紀夫は割腹自殺して幸福と思ったのだろうか?ジョン・レノンは全く望まない形で暗殺される。理不尽な死である。「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っていた鈴木紀夫は、ヒマラヤで遭難して死亡する。小野田さんは、戦中絶対に「玉砕は一切まかり成らぬ。3年でも5年でもでも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と命令され、戦後29年間任務を遂行した。陸軍中野学校出のスパイ教育を受けた人間。小野田さんは、鈴木さんが死ぬとわざわざヒマラヤまで尋ねていっている。「死に残った身としては淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ」と語っている。

 12月8日は、ジョン・レノンの命日であると共に、太平洋戦争開戦日でもある。なお、小野田さんがルバング島で過ごした末期、ラジオで日本の競馬中継を聞き、小塚金七一等兵(フィリピン警察軍に射殺される)と賭けをするのが唯一の娯楽であったそうだ。まだ、ジャパン・カップが始まる前の話である。


 12月9日(木) 晴 4050

 仕事場が変わるので、送別会のような形の飲み会があった。これが楽しい雰囲気で飲むことが出来た。企画したHを始め参加した人に感謝の気持ちだ。食って、飲んで、話して、盛り上がった。こんなに盛り上がるとは思わなかった。さっき帰ってきたばかり。家に帰ってきても、バーボンを飲み始めた。最近は飲むと次の日疲れるので、飲まないようにしていた。でも、今日はもう少し飲んで寝る。


 12月10日(金) 晴 27759

 携帯を代えた。液晶部分がネガフィルムのように反転しておかしくなったのが原因。携帯ショップに行って話をしていたら、修理には5千円から1万円かかるという。僕が持っている携帯は、タダで手に入れたもので、機種が古いので、2012年7月までしか使えないもので、買い換え促進のキャンペーンをやっていて最新機種が、5千円で手にはいるという。ワンセグは付いていない。そんなのあると競馬を観てしまうのでまずい。それでいて、月々の支払いが今と同じ契約で、値段が8百円安くなると言う。それで、買い換えをした。

 昨日、ラジオ関西のディレクター?から出演依頼のメールが来た。「谷五郎のこころにきくラジオ」で、電話によるインタビューという形式で10分程度のものだという。今日もメールをやり取りして、週明けには概要が分かるだろう。出演は、12月20日14時半からの予定。

 なお、ホセ・トマスは、復帰できる状態になったそうだ。復帰は年明けの3月のオリベンサになるようなことを、アポデラードのサルバドール・ボウが言っていた。


 12月11日(土) 晴 25749

 日曜日の阪神ジュベナイル・フィリーズの枠順が決まった。1番人気が予想される、レーヴディソールは、6枠11番。2番人気が予想されるダンスファンタジアは、7枠14番になった。レーヴディソールは内枠に入ったら切ろうかと思っていたが、これで切れなくなった。勝つのは、ダンスファンタジアだと思う。調教も良かったし、レースも展開不要の注文がない。唯一不安があるとすれば、鞍上が武豊だけ。馬は最高。末脚勝負のレーヴはどうしても展開の注文つく。それでも実力で2着には来るだろう。馬連ならこの1点。3連単なら1着ダンス、2着レーヴ固定で、3着に何を買うかというレースだろう。

 そして、今日の小倉のメイン、中日新聞杯は、トゥーザグローリー。中山のメイン、ラピスラズリ・ステークスは、ジョーカプチーノから買うつもりだ。

 ノーベル賞授賞式が行われた。「ノーベル化学賞など5賞の授賞式が10日、スウェーデンのストックホルムで開かれ、化学賞に輝いた鈴木章・北海道大名誉教授(80)と根岸英一・米パデュー大特別教授(75)らに、メダルと賞状を授与。中国の民主活動家、劉(りゅう)暁(ぎょう)波(は)氏に決まった平和賞の授賞式はノルウェーのオスロで開かれ、獄中にある本人はもとより、代理人の姿もない異例の式典となった。 鈴木、根岸両氏はストックホルムの老舗紳士服店「ハンス・アルデ」で採寸したえんび服を着用。鈴木氏の夫人、陽子さん(79)は薄小豆色の着物、根岸氏の夫人、すみれさん(73)は菊と松模様の着物姿で同伴。 物理学、化学、医学・生理学、文学、経済学5賞の授賞式には約1570人が出席。世界初の体外受精児を誕生させ医学・生理学賞に輝いた英国のロバート・エドワーズ氏(85)は、体調不良で出席できず、家族が代理で受賞。

 日本人の受賞は、2008年に物理学賞の南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(89)=米国籍▽小林誠・日本学術振興会理事(66)▽益川敏英・名古屋大特別教授(70)▽化学賞の下村脩・米ボストン大名誉教授(82)の4氏が受賞して以来、2年ぶり。日本人は00年以降、計10人が受賞している。

 平和賞の授賞式では、中国当局は劉氏や、妻の霞さんらの代理出席を許さず、劉氏の受賞演説に替え同氏の文章を朗読。100年を超える平和賞の歴史の中で、政治的な理由で本人が出席できなかったのは、劉氏を含むこれまでの受賞者121個人・団体のうち5人だけだという。本人も親族も出席できなかったのは、ナチスの支配下にあったドイツの反戦ジャーナリスト、オシエツキー氏以来、74年ぶり。 式典には、海外亡命中の中国人民主活動家約50人や、日本、米国など45カ国の代表が出席。一方、劉氏への授与に猛反発する中国に同調し、中国を含めロシア、ベトナムなど19カ国が欠席したとみられる。」 ーー産経新聞よりーー

 市川海老蔵が殴られて大怪我をした事件の伊藤リオン容疑者が逮捕された。殴ったことを認めているという。詳しいことは、気持ちの整理が付いたら話したいと言っているそうだ。一方、海老蔵の代役を務めている上方歌舞伎の若手・片岡愛之助が評判が良く好評だという。こちらは、歌舞伎とは無縁の家庭からこの世界に入った役者。こういう人が市川宗家の代役で評判になっていることが、面白い対比になっている。なお、愛之助の愛称は、ラブリーと女性ファンが命名したという。

 「夫婦どつき漫才」正司玲児さん死去 正司玲児氏(しょうじ・れいじ、本名・及川玲児=おいかわ・れいじ=漫才師)10日、成人T細胞白血病リンパ腫で死去。 71歳。」 ーー讀賣新聞よりーー   この漫才は涙を流して笑った記憶がある。理屈抜きに面白かった。


 12月12日(日) 晴 41495

 注目の阪神ジュベナイル・フィリーズは、ダンスファンタジアが、スタートからかかりどおしで最後の直線では、もう脚が残っていなかった。勝ったのは、外から豪快に差しきったレーヴディソール。2着には、ホエールキャプチャ、3着には、ライステラス。唯一心配していた武豊では、ダンスの気性が本番でわざわいした。しょうがない。才能は、物凄く輝くものを持っているが、こういう事もある得るとどこかで思っていた。それがこの馬の血統だからだと思う。こういう気性が今回の場合、悪い方にでたが、この気性がレースで能力を最大限に発揮する起爆剤にもなる。要するに、諸刃の刃である。今日は、気持ちよく負けた。JCと違って…。

 TBSで、『夢の扉』という番組を観た。東北大学環境学科教授の石田秀輝。ネイチャー・テクノロジーの第一人者。50歳で、INAX の重役から大学教授に転職。 「自然界には人間が想像も出来ないような力を持ったものが無数にあり、それを理解し、今までと異なる発想で物作りに活かし、そうする事で環境問題を解決して行こうとする考え方を基本とする研究開発が進んできています。 その考えとはネイチャー・テクノロジーというもので、その第一人者として活動している人に東北大学環境学科教授の石田秀輝さんがいます。  石田先生はこれまで、カタツムリの殻の構造を研究して油汚れに強いキッチンの開発や、シロアリの巣を研究する中から電気のいらないエアコンの開発に成功してきました。 そして今も、自然の中から研究対象を見つけ出し研究に取り組んでいます。 そんな石田先生は今、大分県、日本文理大学、小幡章教授との共同でトンボの羽を研究することで、殆ど風のない状態でも風車が回る発電器の開発を進めています。 新しい観点から進められるネイチャー・テクノロジーという学問を広めて行く石田先生の取り組みに密着します。」 ーーTBSのホームページよりーー

 汚れが着かないタイルは、確かNHKの番組で観たことがある。カタツムリの殻の構造を解明して作った。ビルや家の外壁に利用されている。これは雨が降ったり、水をかけて利するだけで汚れが落ちるのでメンテナンスの手間がかからない。それが、油汚れに強いキッチンにまで発展していることに驚いた。トンボの羽の構造を解明して殆ど風のない室内の抜き抜け天井部で風車発電するというアイディアには、凄いなぁと感心した。トンボは、微風で羽をあまり動かさずに飛ぶことが出来、また、殆ど無風で静止飛行が出来る。こういうトンボの羽の特性を生かして風車の羽をトンボの羽の構造を使っている。こういう風にアイディアは、自然の植物や昆虫・動物から得る。だから、ネイチャー・テクノロジーというのだろう。石田さんは、いう。自然の中には我々の知らないものがいっぱいある。それを感じれるか、感じれないか。自然は完璧ですからそこからエコロジーを学ぶんです。というようなことを言っていた。

 明日から新しい職場。と、言っても元働いていた所に戻るのだ。


 12月13日(月) 曇のち雨 8107

 左手だけの為のピアノ曲を弾き続けている人がいる。戦争とか、何かの障害で右手が使えなくなったピアニストの為に、20世紀に作曲された曲が多いという。その数約700曲。楽譜を収集して300曲ほど集め、演奏会を開いている日本人。それを聴いて勇気を貰った、同じ右手に障害を持って絶望していたピアニストが、ピアノを続けようとレッスンに通っているという。ラヴェルも戦争で右腕をなくした友人の為に作曲しているという。こういう風に、自分の置かれた状況を受け入れて生きていく姿は、凄いと思った。


 12月14日(火) 雨のち曇 30565

 討ち入りの日。師走というが、今週に入って何か忙しいような感じになってきた。朝も寒くなってきて冬らしくなってきた。明日は北海道、東北では雪が降る予想になっている。ネットで頼んでいた山田風太郎関連の本が3冊届いた。2日前に電話で当日配達を頼んだが、待っていても来なかった。今日来たときに、それをいうと、伝票にある電話番号を指さして、こちらにかけると確実だと思いますといった。その電話は機械的な音声案内で番号をしていくものではなく、人が電話に出るものだった。機械より、人の方が間違いないと言うこと。今月は、本を読もう。風太郎関連のものを中心になるだろうが他のものも読みたい。

 そろそろスペインの闘牛のカルテル情報がネットで流れ出した。ヌニェス・デル・クビジョ牧場が出場する闘牛場が、セビージャに続きマドリードも3回出るという。他の闘牛場も呼ぶ。ホセ・トマスを呼ぶための環境作りが進んでいると考えられる。ただ、マドリードに3回出場とは考えにくい。おそらく2回だろう。しかも、ヌニェス・デル・クビジョ牧場以外の牧場の牛で2回出場する可能性だってある。でも、1回は出場するだろう。ただ個人的には、マドリードやセビージャのようにアレナ部分が広い闘牛場では、ヌニェス・デル・クビジョ牧場の牛はバテるので良い闘牛を観れる可能性は少なくなると思っている。ビクトリアーノ・デル・リオ牧場やエル・ベントリジョ牧場のように、ファン・ペドロ・ドメク系の血統の牧場でやる方が良い闘牛が観れる。アレナの小さい闘牛場では、ヌニェス・デル・クビジョ牧場のように、カルロス・ヌニェス系やアタナシオ・フェルナンデス系でも、充分良い闘牛が観れるけど。

 12日セビージャ近郊のロス・パラシオスで行われた闘牛で、フィニート・デ・コルドバがフエンテ・インブロ牧場の“ブリシオソ”という名の若牛をインドゥルトした。また、メキシコ・シティーで行われた闘牛で、セバスティアン・カステージャがテオフィロ・ゴメス牧場の“グアダルペノ”という名の牛をインドゥルトした。

 11日の結果。 メリダ(メキシコ)。エル・パジョ、ホセリート・アダメ、耳2枚。カペア、場内1周。 サン・ペドロ・エル・アルト(メキシコ)。ミックス闘牛。騎馬闘牛士、ガストン・サントス、耳2枚と尻尾1つ。闘牛士、マリ・パス・ベガ、耳1枚、耳2枚。

 12日の結果。 メキシコ。カステージャ、シンボルとしての耳2枚と尻尾1つ(牛、インドゥルト)。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳なし。アルトゥロ・サルディバル、耳1枚。 レオン(メキシコ)。ソトルコ、場内1周、耳2枚。マティアス・テヘラ、耳1枚。エル・パジョ、耳なし。 ロス・パラシオス。フィニート、インドゥルト。パディージャ、耳2枚。クーロ・ディアス、耳2枚と尻尾1つ。ダニエル・ルケ、耳2枚。ぺぺ・モラル、耳2枚と尻尾1つ。マヌエル・ロドリゲス、アレハンドロ・ヒメネス、耳2枚。


 12月16日(木) 晴 38170/2

 紀伊国屋の前を通ったので中に入った。急に、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海 著 を読みたくなったからだ。直ぐに見つかり読み始める。それと、夜になって、マックに行って、『列外の奇才 山田風太郎』角川書店編集部 編 を読む。沢木耕太郎の説は面白かった。こういう切り口があるのかと感心した。今や風太郎と、司馬遼太郎は、ネガとポジ的な歴史小説家と言われ方をするし、2人の太郎という言い方で、伝奇小説家と語られたりする。色々な人が風太郎のことを書いている。お約束の、関川夏央、縄田一男、阿佐田哲也、江戸川乱歩、馳星周、日下三蔵など。他の小説家では、筒井康隆、野坂昭如、都築道夫、角田喜久雄、森村誠一、横溝正史、小松左京、桐野夏生などである。その他に風太郎の未収録小説3つ、岡本喜八が撮ろうとして撮れなかった映画の脚本『死言状』 『幻燈辻馬車』などが載っている。

 実は、馳周星の何気ない文章に涙が流れた。風太郎らしさを感じたからだと思う。縄田一男の文章を読んで、ショックを感じた。 
「 実際、新保氏と山田風太郎の遺品を調べていたら、出るわ出るわ、忍法のアイディアを記したノートや、自分なりの歴史年表、明治期の出来事を詳細に調べたノート等々。生前、風太郎さん(私がこういってはまたまた失礼のようだが、どうも風太郎先生でも、風太郎氏でも、何かそぐわない気がする)は、あれほど、
「僕は勉強なんてぜんぜんしないんだ。」
 といっていたではないか。
 そしてしばらく考えて腑におちた。風太郎さんは、あの膨大な自ら創り上げた資料を勉強と思っていなかったのだ。そこが天才の天才たる所以であろう。
ーー中略ーー

「あの奇想天外な忍法の数々をどうやって思いつかれたのですか?」
 と、たずねると、しばらく考え込むような顔をして、
「君は考えつかないかね」
 と、おっしゃる。
 考えつくはずがないではないか。はじめはからかわれているのかと思ったが、どうやら風太郎さんは大まじめのようである。 」

 もう全然違う世界の人だ。所で全然気付いていなかったが電話が2本かかっていて留守電になっていたが、マックで本を読んでいるときに気付いて電話をとった。1本は、ラジオ関西の担当者から、20日の出演についての簡単な打ち合わせ。もう1本は親からだった。ラジオ出演のCDを送るという事なので住所をメールで伝えることになった。


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