2011 ナマステ インディア in TOKYO & KARIYA
~三つの舞台とタゴール生誕150周年記念によせて~
Indian Classical Dance Troupe
「三つの舞台とタゴール生誕150周年記念」によせて
今年は何年ぶりかで「ナマステインディア」に参加させていただいた。加えてセミナーハウスでは「タゴール生誕150周年記念公演&ワークショップ」も主催者から特別に時間を設けていただいた。また日と所を移し、愛知の「ナマステインディアin
刈谷」にも公演依頼を受け舞台に立った。一年のうちで「ナマステインディア」、セミナーハウスでの「タゴール生誕150周年記念公演&ワークショップ」そして「ナマステインディアin
刈谷」と、あまり日を置かず続けて三つの舞台に立つという貴重な経験だった。
私自身は気づかなかったが、「同年で東京と刈谷と二つのナマステに参加するのさえめずらしいことですのに、セミナーハウスでのワーク&公演も担当されて…シュヴァさんとインディアン
クラシカル ダンス トゥループのご活躍は本当にすごいですね、ご苦労様でした」と刈谷のナマステ関係者から過分な言葉までいただいた。
ちなみに愛知県の刈谷市で行われるナマステインディアは東京のナマステインディア本部から正式に許可を得て同様な名称を用いて行われる年に一度のインドフェスティバルのことをいう。東京とは比べられない規模ながら、愛知万博から始った一地方の行事としては市民の間に確実に根をおろし、年経るごとにその華やかさはいや増して、近隣の県からもわざわざ足を運んでくる人々で賑わいをみせている。年年歳歳、集客数を伸ばしつつ人々の間に認知されてい来ているのが「ナマステインディアin刈谷」である。
私は刈谷のナマステの担当者の言葉を反芻しながら、確かに一つのグループが東京と刈谷で舞台に立つさえあまりないことだろうし、またナマステのセミナーハウスのブースを提供されるという主催者側からの破格の好意にめぐまれたこともタゴールが導いてくださった縁なのだろう、とありがたい思いにとらわれた。
東京ではナマステ当日、私たち同様舞台に立ったある知人の舞踊家から「ナマステに出られるだけでも名誉なことですよ」と言われたが、私は黙って聞いていた。もし、その知人の言葉を素直に受け入れるなら、私たちトゥループは三つの名誉を同時に手に入れたことになるのだろう。
いまから9年前の2002年、まだナマステインディアが築地の本願寺に会場を置いていたころ、やはり主催者側からの要請で舞台に立ったことがあった。現在ほどの規模ではなかったが、それでも大勢の人々が集い、会場内は一種独特な活気に満ち溢れた空間を醸し出していた。当時は屋内に舞台もあって、一人当たりの舞台の持ち時間も長かった。そこで私は古典舞踊を披露した。しかしナマステが代々木公園を主会場に替え、舞台も野外となって以降、何度か出場の要請はあったものの参加は差し控えさせていただいていた。
「古典舞踊を舞う以上、飲食をする人々の前で踊ることは神様を冒瀆することになるのだから決して踊らぬように」、これが私が幼少の頃より学んできた古典舞踊の師からの戒めの言葉である。私はいまも師のこの言葉を守り、代々木公園に移ってからのナマステ参加は遠慮してきたのだった。同じく創作舞踊の師であるママタ
シャンカール先生の教えも、舞踊団とはいえ常に妥協はギリギリの線まで諮られ公演場所は決められたものだ。そうした先生方の舞踊のみならず、舞踊に対する真摯な姿勢や心の在り方も私は同時に学ばせていただいてきた。
世界的に見てインド古典舞踊は舞台芸術として、あるいは舞踊芸術としての評価は高く定まっている。古代から中世、近世に到るまで、巫女は寺院の奥深くに棲まい、生涯を神を夫として踊りを捧げてきた歴史を持つ。月夜、ほのかに射し込む光の中で、美しく飾った衣装を身にまとい、巫女はただ一人自分の夫とさだめた神の御前で東の空がほの白むまで踊り続けたという。近代になりバーラタ
ナッティアムは舞台芸術として脚光を浴び、その真価が世界に認められ、西洋のクラッシックバレエに並ぶ東洋のバレエとして新たな歴史段階に入った。しかし古代から続く現代においてなお、それがたとえ舞台が寺院からコンサートホールに移ろうと、敬虔なる祈りを、神に対する巫女の心をもって踊る精神世界の有様に少しの変化も生じてはいない。神秘の「舞」と賞賛され、高貴な「踊」りと言われる所以もここにある。
私の主宰するトゥループのメンバーも当然のことながら野外ステージでの公演は、よほどの《例外》がない限り踊ることはない。野外での公演の依頼が来た場合、十中八九はお断りをしている。野外で踊る場合であっても、アナウンスで事前に飲食禁止の注意を極力よびかけいただき、主催者側の理解と協力を得てはじめて野外公演の舞台に出させていただく。ホテルからの依頼もよく受けるが、ホテルでの舞踊も飲食がされるのであれば、名の知られた超のつく一流ホテルであろうと、こちらもお断りをしている。実際ホテルの企画物は多く、依頼の件数は両手にあまるほどくるが断り続けている。ホテルの場合はなかなか飲酒や飲食と切り離せず、妥協点が見出せないからである。だが踊る以上は演目も慎重に考え選んで踊る。要するに踊る環境さえ整っていれば、野外であろうとホテルであろうと、他のどのような場所であれ、厭いはしない。これは古典舞踊を学ぶものの初歩的なマナーであり、舞踊家なら最低限知っておかなければならない心得でもある。しかし飲食飲酒をし喧騒の飛び交う衆人の面前で平然と踊る自覚なき《舞踊家》と称する一群がいる。「神の踊り」と称し、「舞を捧げる」と真顔で言う。長く舞踊を続けておられる「大家」といわれる人でさえそのような認識しか持たれていない。いったいその人たちの舞踊の「神」はどこにいるのだろう? …誰か機会があればお教え願いたいとさえ思う…。
舞踊家各々でそれぞれの事情もあろう。一概に商業ベースで踊ることをとやかく言うつもりはない。割り切って踊っている舞踊家はインドにだっているだろう。しかし「神様の踊り」と吹聴し、少しの懐疑も抱かぬままハンで押したような踊りを披露する…羞恥心さえどこかへ棄て去ってしまったかのような、自覚なきその姿勢に疑問がわくのである。自らが加担してインド舞踊を矮小化し侮辱を加えていることに気づかない。まさに欺瞞に満ちた人形踊りにすぎないではないか。神不在のインド舞踊が、掛け声のみ高く「神」と叫び、単なる好奇の視線によってのみ拍手が贈られている現状を省みれば、そこにこそインド舞踊が未だ日本社会に広く浸透され得ない大きな要因の一つとなっていることが理解されよう。見る観客は、仏を作って魂の入っていない「踊り」であることを、踊り手側の欺瞞として見抜いているからである。
インド古典舞踊はインドのすべてが凝集された哲学であり思想なのだということに、どうして気づかないのだろうか。そこに自負もあれば誇りも生まれ、また自戒も反省もあってこそ、インド古典舞踊が内在する数千年の歴史を経てきたことの本質も視えて来るはずなのだが…。残念ながらその点に気づき実践している舞踊家もグループもこれまで私の観て来た限りにおいてきわめて少ない。大河の一滴という趣で、ひたすら自己肯定の世界に浸りきり、路上パフォーマンスに安住しきっている様子である。このような舞踊家のいる限り、日本のインド舞踊界に希望はない、ということを知るべきであろう。
今年はタゴール生誕150周年記念の年にあたり、在日のベンガル人によるタゴール生誕150周年記念祭を東京の船堀タワーホールで行う予定であった。前年より綿密な計画を立て、プログラムの流れも煮詰まってきていた。しかし3月11日の予期せぬ不幸が日本を襲った。東北関東大震災であり、東電による原発漏れの事故である。そのため記念祭は中止となった。恐怖から日本を出てゆくインドの家族が後を絶たなかった。
私は予定を変更し、私の拠点とする名古屋でタゴール生誕150周年の舞台を急遽行うことを考えた。さいわい快く会場を提供してくださった「揚輝荘の会」のメンバーの田中進様のご尽力を得て、松坂屋デパートの創始者である、15代伊藤次郎左衛門佑民の、現在では名古屋市の有形文化財に指定されている、大正時代に造られた別邸「揚輝荘」の自然豊かな環境の中で「タゴール生誕150周年記念公演」を行う運びとなった。
当日は大阪からタゴールの縁者に当たるタゴール サンディップ氏と暎子御夫妻をお招きし250名を越える人々と共にタゴール生誕を祝い、公演を成功裡に終えることが出来た。ただ私は日本でいちばん多くインドの人々が暮らす街、東京でもタゴール祭に代わるものを行いたいという思いも断ち切れないでいた。考えた末に、これまでひかえてきた
野外ステージで踊るナマステインディアにインディアン クラシカル ダンス トゥループとして参加することに大きく舵を切ることにした。
タゴール生誕150周年を祝うお祭りである。多くのインドを愛する日本の人々にこの事を知ってほしかったし、知らせたいという思いの勝りが、一ベンガル人である私を参加へと駆り立てた。東京・川崎教室で学ぶインドの子供たちも参加した。野外が似合うタゴールダンスで幕を開け、タゴールの生誕を人々と共に祝っていただいた。ベンガル人の誇り、そしてインド人としての誇りを、舞う者も、観る者も一体となって、ともに共有した時間であった。実際、ナマステインディアを見に来た観客の皆さんはマナーを守って見てくださっている様子も分かり、「日印」の理解を深める行事としてのナマステインディアの持つ性格も再認識できたことは、たいへん有意義な参加であったと思っている。
我われトゥループの三つの公演はタゴールの縁から始ったものであり、すべての公演は納得のゆくもののように私には思われた。また公演に参加した トゥループのメンバーの一人ひとりの思いも私と同じであったに違いない。なぜなら悠久の時間のなかで受け継がれ守り継がれてきたインド舞踊を、そしてインドの心も同時に併せて学んできている生徒たちであり、メンバーたちだからである。《合
掌》
インディアン クラシカル ダンス トゥループ代表
小久保 シュヴァ
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《9月24日 ナ マ ス テ in TOKYO》……………………………………………………
★ インディアン クラシカルダンス トゥループ出演者/小久保シュヴァ・夏目由紀子・岡田さち代・久野伊保子・
木下浩子・清水あけみ・鈴木文子・アンナラウラ シュッカ |
のっけから、こんな写真で失礼しま~す ナマステ!!
「たべて! タベテ!! 食べて!!!」 どうにも止まらない ナマステ
名古屋から朝食抜きで駆けつけたのです。許してください! ナマステ
ハイ、もう一皿お代わりしま~ス ナマステ
三人ともカメラ目線で舞台を観ておりません ~食べてる姿でなくてホント好かった~ ナマステ!!
★ 控室の中は母親たちの戦場だった ナマステ!! ~東京・川崎教室の子供たち。お母さん達の方がヤル気満々~
他の子供は眼もくれず、自分の子供のみ可愛い (こんな時に人間性がしっかり顕れる ナマステ)
ひたすらわが子のみに専念する真剣な母親たちの眼差しが厳しく、いそがしく、そしてコワイ!! ナマステ
~さあ、きれいに仕上がりました~
最後に先生が額にカラーをつけて
このように 可愛くととのいました ナマステ
★ さて、舞台の始まりです、ナマステ!! ~こんな大観衆の中で踊るのは生まれて初めてです (子供たちの母親の告白)~
名古屋・豊田クラスの遠征組みは余裕シャクシャク、笑顔が子供たちを前では母親の顔になっておりました
~ヒンディー語、ベンカリー語、英語、日本語が飛び交う、大島・川崎教室の子供たち~
タゴールダンス ~オーレグリホバーシ~
3歳の子供にはステージに上がる階段も大きな山のように感じるのです。踊りの前にこの山を越えるのが一仕事
新古典舞踊 ~ゴビンダム クザロサイ~
《古典の基本動作をもとに、演劇の要素を取り入れた小久保シュヴァの創作舞踊劇》
司会進行をつとめて頂いた 波多野 むつみさんに ナマステ
創作舞踊 ~モルビナ~
小久保シュヴァ振付けによるバラタナッティアムとタゴールダンスのコラボレーション
《10月2日 ナ マ ス テ in KARIYA》…………………………………………
★ インディアン クラシカルダンス トゥループ出演者/小久保シュヴァ・夏目由紀子・岡田さち代・久野伊保子・アンナラウラ シュッカ
木下浩子・鈴木文子・金浪晴子・近藤陽子 |
舞台の前のショッピング。食べているところでなくて好かった…
~出店の前で~
《公 演》 バイシュナバ ジャナト -------------------------------------
クリシュナ バンダナ -------------------------------------
パッラヴィ -------------------------------------
ゴビンダム クザロサイ -------------------------------------
マンガラム-------------------------------------
~控 室 に て~
~全 員 で ナマステ~
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