サリーで踊る |
「舞踊を学ぶための基礎知識」 小久保 シュヴァ チャクラバティ
1.背筋を伸ばし、姿勢を正しく保つようにする |
サルワール・カミーズで踊る |
私の教室ではサルワール カミーズに統一して練習しています。 |
インディアン クラシカル ダンス トゥループ 「十周年記念同窓会」 (2007年トゥループ保見教室前にて) |
「十周年によせて思う幾つかのことなど」 このようなことを記すのは手前ミソのそしりを免れないと知りつつ、それでもあえて言いたいことは、「私の生徒は日本一の素晴らしい」生徒ばかりだということです。舞踊における技術面、その精神面でも、そして人としての態度やマナーの点でも、どこに出しても恥ずかしくない生徒ばかりです。それぞれが心ならずも辞めて行かれた生徒たちも含め、私は内心の誇らしさを感じています。「どこに出しても恥ずかしくない」は文字通りの意味で私は言っているつもりです。 この日本では、わずかばかりの年月をインドで舞踊を学び、帰ればひとかどの「センセイ」として教室を持ち舞踊を教えている、こんな風潮を私はこれまで嫌というほど視てきました。型どおりの踊りしか学んでいないにも関わらず、日本に戻れば教室を開き、生徒が持てるという風潮がどうにも私には納得出来ないでいます。 インドでは幼少時から舞踊を学び、自分の教室が持てるまでには気の遠くなるほど修行の歳月を要します。舞踊に加え、音楽のレッスンはもちろん、古典声楽の素養も必須で、それらの総合を学ぶわけですから、簡単に3年や5年で学べるというような安易なものではありません。だからこそ、インドの舞踊家たちは厳しい修行を経た後、大学に教授として迎えられるということも当たり前の話しですし、現に私の親しい知人の幾人かも実際、大学の教壇に立ち生徒に教えているのです。 インドでよく聞く話に日本人の生徒は「金払い」がよく、踊りの二、三も教えれば満足して帰ってゆくとのことです。要するに日本で教える材料がなくなると、せっせと「踊り」を仕入れに「渡印」するわけでしょう。その果てに言葉の不自由さもあるせいなのでしょうが(実際、英語や現地の言葉を話せる日本のセンセイはほんの一握りしかおらず、私に関して言えば、残念ながらほとんどお眼に掛かったことがありません)個性のない、まるでハンコで押したような踊りを学び、そして支払うお金は現地のインドの人たちの月平均サラリーの一年分にも相当する金額を謝礼として払ってくる。何のことはない、その実体は、お金で「踊り」を買っているようなもので、そこには舞踊に対する厳しさも節度もなく、馴れ合いの「商取引」が行われているに過ぎません。 金払いがよいからインドの先生は厳しさもなく、手加減して教えるというわけです。そして未熟のままに帰国し、見るに耐えない踊りを披露し、それでも日本では物珍しさゆえの賞賛を浴び、「唯我独尊」として舞台マナーも礼儀も弁えぬ「センセイ」たちが同様な「生徒」を生産し「粗製乱造」の典型的見本を呈し続けています。もっともこの点では日本に限らずドイツでもイギリスでもアメリカでも事情は似通っていますが、しかしそれらの国の「先生」と、日本の「センセイ」と称される一群の人たちの相違は、日本のセンセイ方には「謙虚さ」がなく、自分自身を「疑う心がない(懐疑の心)」という点です。欧米の先生方は少なくとも自分自身の力不足を自覚していればこそマナーの面では謙虚さが見受けられますが、日本のセンセイ方に限っていえば、ふんぞり返って「私こそは」という姿勢が感じられてなりません。同じアジアだからという意識構造の違いが洋の東西を根底のマナーの面で相違させているのだろうか、とも考えます…。なぜなら、西洋のクラシックバレエを学んでいる日本の子供たちはマナーを踊りの一部として学んでいて、実に礼儀正しいですね。日本のインド舞踊のセンセイ方には見られない相違がここにあり、インド古典舞踊を学んで来たものとしては実に恥ずかしい思いに駆られます。 この10年間、私はそんなセンセイ方を静かに見物してきました。そこには名の知られた「センセイ」と言われる人たちが実に数多く含まれていました。目の前に見るそれらセンセイ方の「喜劇」は実に見ものでした。黙ってみている分にはケッサクで、当人の踊りを超える「作品」がそこにはありました。その「センセイ」方はインドでいったい何を学んで来たというのでしょう。私の頭の中は「?」で一杯になります。 どうやら「インドに行って学ぶ」ということが、@名を売ることと、Aステータスへの近道であり、B箔をつける、もっとも手っ取り早い手段なのだということを知らず語らずのうちにその言動から、はからずも告白しているかのようでもあります。実際にはそんなことは本人の実力とは何の関係もありませんのに…。 私が教えている生徒はもちろんインドで学んだということはありません。しかし、どう考えても、私のクラスの幾名かの生徒はどこに出しても恥ずかしくない実力と礼儀を兼ね備えているようです。たぶん彼女たちならば、日本でも、いや世界に出してもトップクラスの「先生」として通用することでしょう。客観的にもインドやアメリカで高く評価されたことは見過ごせない事実です。また公演の終了後、何の面識もない在日インドの方がわざわざ楽屋を訪ね、私の生徒たちの踊りを観て「インド本国のインドの舞踊家より、上手な踊りを踊っている」と評価してくださっています(余談ですが、彼女たちは楽屋を訪ねるまで私の生徒をインドの人たちが踊っていると勘違いしていました)。似たような話しなら枚挙に暇もありません。したがって、これは掛け値なしの評価です。舞台マナー、舞踊技術、テクニック、そしてなによりインドの「心」を日々練習に綯交ぜて学んでいる姿がトップクラスであることを証明しているのです。日本人が踊るインド古典舞踊だから賞賛されるのではなく、インド古典舞踊が本当に素晴らしいから賞賛される、この点はかなり重要なキーワードとして心にとめておいていただきたいものです。 カネとコネでいくらインド現地で公演を行って来たと麗々しく吹聴しても、そこに継続が伴わない点を考慮すれば、自ずとそのセンセイが現地でいかに遇され学んできたかは言わずとも知れ、そのレベルが奈辺にあるか明瞭に推察されましょう。所詮は好奇の眼で眺められただけの「ご祝儀公演」であったということが証明されているわけです。インドの大学で舞踊を学んできたと大上段で振りかぶる人も似たようなものです。卒業は終了の節目ではなく、舞踊家として本格的修行の始るスタートラインに立ったという節目なのです。それを勘違いして日本に晴れやかに帰ってくるなり教室を開いて「センセイ」を始めても、最初のうちは物珍しさも手伝って公演も教室も賑やかしさに包まれるでしょうが、三年も経つ頃には、生徒は集まらず、そのセンセイは「センセイ」を辞めざるを得なくなっている。何のためにわざわざインドまで留学し舞踊を学んできたのでしょうか…。残念ながらこのようなケースも実際、多く見受けられますね。 「学ぶ」ことと「教える」ことを同義と考えた結果からくる「錯誤」がここに見られるのです。修行の一貫と捕らえれば、教え方にも謙虚さが加わり、知ることを知ると謂い、知らないことを知らないと謂う姿勢が生まれ、自ずと初心に還ってインド時代の学んでいた心を思い起こすはずです。そこにこそインド古典舞踊の本来の道も拓かれると思うのですが、多くの人はそのことを忘れ果ててしまう…。実に残念です。 いずれ、そう遠くない将来、私は日本を去りインドに帰るでしょう。その時になって私の蒔いた「インド古典舞踊」という種が大きく生徒一人ひとりの心に育っていることを今回、この10周年を機に改めて切望してやみません。 小久保シュヴァ |