練習着と舞踊を学ぶための基礎知識

Indian Classical Dance Troupe

  

練習時に着用するものにサリーとサルワール・カミーズがあります。
どちらを着て練習してもかまいません。

サリーで踊る


 

「舞踊を学ぶための基礎知識」

小久保 シュヴァ チャクラバティ

1.背筋を伸ばし、姿勢を正しく保つようにする
 肩や背中が曲がっていたらきれいに見えません。必ず背筋を伸ばし、肩を落とさないよう常に注意することが初歩の初歩、基本中の基本です。常に意識して背筋を伸ばすよう日頃から心がけ生活してください。  

2.音楽(歌)の意味を理解し、表情を豊かにする 
 歌の意味を理解することにより、感情表現が豊かになります。「喜怒哀楽」の表現はバラタナッティアムのたいへん重要な要素の一つです。表情表現は「世界共通語」であり、豊かな表情こそが、観るものの心に一体感を与える唯一の方法なのです。また、これは日本ではあまり知られていませんが、インドではバーラタナッティアムを学ぶものは"音楽も重要な一事"として舞踊のカリキュラムに組み入れられています。身体を動かすだけでなく音感も同時に学ぶこと。これは舞踊家にとって必須のことです。

3.リズム感を磨くため音楽に常にしたしむ  
 そのためにはインド音楽
(学んでいる舞踊の音楽)に親しむことが大切です。たとえばドライブする際にも音楽を聴くくらいの心がけが必要です。当然、家の中では身体で覚えるくらい聴いてください。

4.練習は最低でも週に三日は行う  
 週一回ではとても練習とはいえません。最低限、週三日は練習していただきたいものです。特にステップの練習は重要です。日本の住宅事情ではなかなか家の中でステップを踏むのが難しいという問題がありますが、そんな時は両の手を使い、足代わりにイメージトレーニングをしてみて下さい。何もしないことに比べたら、この練習方法でも初心者にはかなりの効果が期待できます。  

5.髪は染めず(黒髪)、そして切らない  
 日本でも昔は「髪は女の命」と言われていました。インドでは日本以上に女性は髪は大切なものだと考えられています。長い女性の黒髪は、もともと女性のみに受け継がれてきたバーラタナッティアムの歴史の中では大変重要な意味をもつものだと考えられています。短く切ったり、染めたりするなどは絶対してはいけません。 

6.メイク、衣装、アクセサリーも踊りの重要な要素である  
 踊りが上手だからといって衣装やメイクを二の次に考えるのは大きな間違いです。化粧や衣装、アクセサリーも舞踊の大切な一部であるということを忘れてはいけません。
 
 
7.ノートを取る  
 舞踊を学んでいる方でもなかなか気がつかないのが、「ノートを取る」ということです。学校の授業ではありませんから、先生が黒板に書くということはあまりありません。したがってノートの取り方も自由です。ノートの取り方は自分なりの創意工夫をし、自分の分かりやすいように、先生の言われたことを、練習の合い間、合い間に、あるいは終わってからでも書き留めて下さい。そして、分からないところは先生に質問をして、しっかり確認をとること。誤って覚えてしまっては後々に尾を引き、元に戻るのが大変です。覚える前に、先生に疑問に思うところをどしどし質問しましょう。  

8.グループで踊る場合、全員で一人なのだという気持ちを持つ  
 もともとは個人で踊っていたバラタナッティアムも最近ではグループで踊る機会が増えてきました。グループで踊る際には自分だけが目立とうとせず、全員で一人なのだという気持ちを持つことが大切です。揃わないバラバラな踊りはとても観られたものではありません。心を一つにしなければきれいに観えません。たとえグループで踊っていても努力を続けている人、あるいは才能のある踊り手であれば、同じ踊りを踊っていても、その人は必ず目立ってきます。見る人はちゃんと観ているということです。  

9.創作と古典は区別して学ぶ 
 古典舞踊は伝統の上に成立している舞踊ですから、大きな制約があります。その制約からはみ出すとき古典とはいえなくなるのです。衣装からメイクに至るまですべてが約束事の中で踊られます。それと反対に創作舞踊は全くの自由です。何の決まりもありません。この点を忘れてはいけません。また、同じ古典だからといって、バラタナッティアムとカタック、あるいはオデッシーなど同時に二つを学ぶ人がまま見受けられますが、これは最悪で、どちらも駄目になってしまいます。基本動作が混乱し、踊りの形が崩れてしまうからです。単にバーラタナッティアムが踊られる、オデッシーが踊られる、ということと舞踊家として感動を与えられる踊り手になる、ということの距離は些細な違いのように思われがちですが、その実、内容的には天と地ほどの隔たりが出来てしまいます。独りよがりの踊りは観客に好奇の眼で観られはしても、決して称賛されることはありません。飽きられてしまうからです。この点はとても大きな一事なので、はき違えないよう十分注意してください。 
 

10.舞台について  
 舞台と客席の間には目に見えない大きな膜がかかっています。この膜を取り払い、舞台と客席が一本に通じる道を開くのが舞踊家の役目です。大きな舞台では大きな表現で、小さな舞台では観客の一人一人に語りかけるよう、細部にまで気を配り踊ること。ここに初めて観客と舞踊家の一体感が生まれ感動を呼び起こすことが可能となるのです。たとえばメイクも舞台の広さで濃くしたり、薄くしたりするなどの工夫が必要でしょう。単に踊られるというのでは真の舞踊家とはいえません。  

11.舞台に立つということ
 年少よりプロの舞踊団で育ってきた私は、私の経験から学んできた練習方法として、基礎的な修練を十分マスターした生徒と認めれば、機会があればどしどし舞台に立たせるようにしています。もちろんインドではこのような練習方法は通常、採られていません。これは私が日本に来てから考えたものです。インドと様々な事情の違いもあり、日本の生徒に教えるには、あまりにも時間が足りないからです。したがって実践で経験してもらうしかありません。言い換えれば、教室の中だけで教えること、覚えてもらうことには限界があり、皮膚感覚で覚え、言葉では伝えきれないものを舞台から学んでもらいたい。その限りにおいて私は生徒を舞台に立たせるようにしているわけです。インドでは通常幼い頃から長い歳月をかけてそれらのことを学んでゆくものですが、日本では幼い頃から学ぶということはまずないですね。だからこそ、それらに換わるものとしては舞台に立つことが、いちばんよい練習方法だと考えたのです。観客の眼は正直です。観客の皆さんの眼によって舞台に立つ者は育てられ、洗練されてゆくのだということも知っておいてください。しかし、だからといって、先生に黙って踊るということはいけませんね。これは師弟の関係における基本的最低限のマナーです。予め舞台に立つならば先生の承諾を得てください。生徒の生涯にわたり学んだ先生の名前がついてまわるのだという自覚を持って下さればと思います。

12.機会があれば意欲的に公演を観に行く
 時間に余裕があれば出来るだけ公演は観に出かけてください。特に同じジャンルの舞踊を学んでいる公演があった場合はなおさらです。どのような内容であれ観なければ語ることも出来ません。また観ることは学ぶことと同義でもあります。そして自分が学んでいるジャンル以外の踊りも機会があればどしどし見に行ってください。常に新しい発見があり、いま学んでいる舞踊の糧になるはずです。結論的には「観るに耐えないひどい内容の踊り」であろうと観(視)るということが大事なのだということです。最後に日本の中世室町時代に世阿弥によって書かれた「花伝書」という書物があります。芸能にたずさわるものにとって「必読の書」と言わねばなりません。舞台芸能に対する姿勢や日々の練習から舞台上の心構えまで実に理を尽くして書かれています。ぜひ一度手に取り、目を通してみてください。


サルワール・カミーズで踊る

私の教室ではサルワール カミーズに統一して練習しています。


インディアン クラシカル ダンス トゥループ 「十周年記念同窓会」 (2007年トゥループ保見教室前にて)

「十周年によせて思う幾つかのことなど」

 私にとって、この10年という歳月が長かったのか、短かったのか、「あっ」という間の歳月であったようにも思えますし、過ぎてみれば「こんなものなのだろう…」と奇妙に納得している自分もいて、しかしやはり時は確実に誰の上にも平等に過ぎていることを確認し実感しつつ、インディアン クラシカル ダンス トゥループ10周年記念「同窓会」という場を企画し、かつての生徒さんたちと賑やかで楽しいひと時を持つことが出来ました。時間が作られなく参加出来ない生徒さんもいましたし、記念写真を撮る前に仕事の関係や家庭の事情などで帰られた生徒さんも多数みえられましたが、和気藹々のムードは会の解散まで続き、冗談のように「次回は15周年をお願いしたいです」と言って帰られた生徒さんもいたとのことでした。
 このようなことを記すのは手前ミソのそしりを免れないと知りつつ、それでもあえて言いたいことは、「私の生徒は日本一の素晴らしい」生徒ばかりだということです。舞踊における技術面、その精神面でも、そして人としての態度やマナーの点でも、どこに出しても恥ずかしくない生徒ばかりです。それぞれが心ならずも辞めて行かれた生徒たちも含め、私は内心の誇らしさを感じています。「どこに出しても恥ずかしくない」は文字通りの意味で私は言っているつもりです。
 この日本では、わずかばかりの年月をインドで舞踊を学び、帰ればひとかどの「センセイ」として教室を持ち舞踊を教えている、こんな風潮を私はこれまで嫌というほど視てきました。型どおりの踊りしか学んでいないにも関わらず、日本に戻れば教室を開き、生徒が持てるという風潮がどうにも私には納得出来ないでいます。
 インドでは幼少時から舞踊を学び、自分の教室が持てるまでには気の遠くなるほど修行の歳月を要します。舞踊に加え、音楽のレッスンはもちろん、古典声楽の素養も必須で、それらの総合を学ぶわけですから、簡単に3年や5年で学べるというような安易なものではありません。だからこそ、インドの舞踊家たちは厳しい修行を経た後、大学に教授として迎えられるということも当たり前の話しですし、現に私の親しい知人の幾人かも実際、大学の教壇に立ち生徒に教えているのです。

 
インドでよく聞く話に日本人の生徒は「金払い」がよく、踊りの二、三も教えれば満足して帰ってゆくとのことです。要するに日本で教える材料がなくなると、せっせと「踊り」を仕入れに「渡印」するわけでしょう。その果てに言葉の不自由さもあるせいなのでしょうが(実際、英語や現地の言葉を話せる日本のセンセイはほんの一握りしかおらず、私に関して言えば、残念ながらほとんどお眼に掛かったことがありません)個性のない、まるでハンコで押したような踊りを学び、そして支払うお金は現地のインドの人たちの月平均サラリーの一年分にも相当する金額を謝礼として払ってくる。何のことはない、その実体は、お金で「踊り」を買っているようなもので、そこには舞踊に対する厳しさも節度もなく、馴れ合いの「商取引」が行われているに過ぎません。
 金払いがよいからインドの先生は厳しさもなく、手加減して教えるというわけです。そして未熟のままに帰国し、見るに耐えない踊りを披露し、それでも日本では物珍しさゆえの賞賛を浴び、「唯我独尊」として舞台マナーも礼儀も弁えぬ「センセイ」たちが同様な「生徒」を生産し「粗製乱造」の典型的見本を呈し続けています。もっともこの点では日本に限らずドイツでもイギリスでもアメリカでも事情は似通っていますが、しかしそれらの国の「先生」と、日本の「センセイ」と称される一群の人たちの相違は、日本のセンセイ方には「謙虚さ」がなく、自分自身を「疑う心がない(懐疑の心)」という点です。欧米の先生方は少なくとも自分自身の力不足を自覚していればこそマナーの面では謙虚さが見受けられますが、日本のセンセイ方に限っていえば、ふんぞり返って「私こそは」という姿勢が感じられてなりません。同じアジアだからという意識構造の違いが洋の東西を根底のマナーの面で相違させているのだろうか、とも考えます…。なぜなら、西洋のクラシックバレエを学んでいる日本の子供たちはマナーを踊りの一部として学んでいて、実に礼儀正しいですね。日本のインド舞踊のセンセイ方には見られない相違がここにあり、インド古典舞踊を学んで来たものとしては実に恥ずかしい思いに駆られます。

 
この10年間、私はそんなセンセイ方を静かに見物してきました。そこには名の知られた「センセイ」と言われる人たちが実に数多く含まれていました。目の前に見るそれらセンセイ方の「喜劇」は実に見ものでした。黙ってみている分にはケッサクで、当人の踊りを超える「作品」がそこにはありました。その「センセイ」方はインドでいったい何を学んで来たというのでしょう。私の頭の中は「?」で一杯になります。
 どうやら「インドに行って学ぶ」ということが、@名を売ることと、Aステータスへの近道であり、B箔をつける、もっとも手っ取り早い手段なのだということを知らず語らずのうちにその言動から、はからずも告白しているかのようでもあります。実際にはそんなことは本人の実力とは何の関係もありませんのに…。
 私が教えている生徒はもちろんインドで学んだということはありません。しかし、どう考えても、私のクラスの幾名かの生徒はどこに出しても恥ずかしくない実力と礼儀を兼ね備えているようです。たぶん彼女たちならば、日本でも、いや世界に出してもトップクラスの「先生」として通用することでしょう。客観的にもインドやアメリカで高く評価されたことは見過ごせない事実です。また公演の終了後、何の面識もない在日インドの方がわざわざ楽屋を訪ね、私の生徒たちの踊りを観て「インド本国のインドの舞踊家より、上手な踊りを踊っている」と評価してくださっています(余談ですが、彼女たちは楽屋を訪ねるまで私の生徒をインドの人たちが踊っていると勘違いしていました
)。似たような話しなら枚挙に暇もありません。したがって、これは掛け値なしの評価です。舞台マナー、舞踊技術、テクニック、そしてなによりインドの「心」を日々練習に綯交ぜて学んでいる姿がトップクラスであることを証明しているのです。日本人が踊るインド古典舞踊だから賞賛されるのではなく、インド古典舞踊が本当に素晴らしいから賞賛される、この点はかなり重要なキーワードとして心にとめておいていただきたいものです。
 
カネとコネでいくらインド現地で公演を行って来たと麗々しく吹聴しても、そこに継続が伴わない点を考慮すれば、自ずとそのセンセイが現地でいかに遇され学んできたかは言わずとも知れ、そのレベルが奈辺にあるか明瞭に推察されましょう。所詮は好奇の眼で眺められただけの「ご祝儀公演」であったということが証明されているわけです。インドの大学で舞踊を学んできたと大上段で振りかぶる人も似たようなものです。卒業は終了の節目ではなく、舞踊家として本格的修行の始るスタートラインに立ったという節目なのです。それを勘違いして日本に晴れやかに帰ってくるなり教室を開いて「センセイ」を始めても、最初のうちは物珍しさも手伝って公演も教室も賑やかしさに包まれるでしょうが、三年も経つ頃には、生徒は集まらず、そのセンセイは「センセイ」を辞めざるを得なくなっている。何のためにわざわざインドまで留学し舞踊を学んできたのでしょうか…。残念ながらこのようなケースも実際、多く見受けられますね。
 「学ぶ」ことと「教える」ことを同義と考えた結果からくる「錯誤」がここに見られるのです。修行の一貫と捕らえれば、教え方にも謙虚さが加わり、知ることを知ると謂い、知らないことを知らないと謂う姿勢が生まれ、自ずと初心に還ってインド時代の学んでいた心を思い起こすはずです。そこにこそインド古典舞踊の本来の道も拓かれると思うのですが、多くの人はそのことを忘れ果ててしまう…。実に残念です。
 いずれ、そう遠くない将来、私は日本を去りインドに帰るでしょう。その時になって私の蒔いた「インド古典舞踊」という種が大きく生徒一人ひとりの心に育っていることを今回、この10周年を機に改めて切望してやみません。

                                      小久保シュヴァ
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