古 典 と 創 作

Indian Classical Dance Troupe
  

私の先生 現代創作舞踊家 ママタ・シャンカール について

 
  インド古典舞踊はその長い歴史の中で美しく彫琢され、もうこれ以上美しさを表現できないという頂点を極めた舞踊です。ですから、余分なものを付加える事も、また、反対に削りとることも出来ません。それと対照的な位置にあるのが創作舞踊といえましょう。私の現代舞踊の先生であるママタ・シャンカールは大きな公演を終える度に、いつもため息をつき「創作舞踊は本当に難しい」と言っていました。そしてそんなママタ先生のため息が、私自身も公演の回を重ねる毎に、いつの頃からか理解できるようになってゆきました。ママタ先生も私も古典舞踊を幼い頃から学び、創作舞踊はその古典舞踊をベースに延長線上に発展させたものですから、先生の努力が皮膚感覚として理解できたのでした。単に古典舞踊を学ぶのであれば、師の教えを忠実に守り、練習に励めば、それなりのレベルに達することは誰にとってもそれほど困難なことではありません。しかし、創作舞踊は古典舞踊の素養を加えたとしても発想の観点からいえばゼロからのスタートとなるのです。生活の流れをリズムに換え、生活の動作をメロディーに乗せ、喜怒哀楽の感情をムードとして如何に表現するか、日常生活の中にまで鋭い感性のアンテナを張りめぐらせることが創作舞踊のそもそもの発想の基本となっているからです。そうした中からアイデアが生まれ、美しい創作舞踊が完成されるのです。要約すれば演出と演技とストーリーの三つを一人の人間が兼ね備えていなければならないのです。そこに至るまでの過程に安易な妥協など寸毫も入り込む余地はありません。私がママタ・シャンカール舞踊団で指導していた当時、生徒数は800余名を数え、毎年その中から正団員として選ばれる者は、わずか数名という一握りの限られた者でしかありませんでした。しかし選ばれた者にしても、そこからが本当のスタートラインであり、自分との闘いの始りとなるのです。なぜならママタ先生の本格的指導の厳しさはここより始まるからです。脱落者の数はさらにこの時点から旧に倍して増してゆき、最終的に残る者は一名か二名、時にはゼロということもあります。ママタ先生がその父ウダイ・シャンカールから受け継いだ舞踊スタイルはママタ・シャンカール舞踊団のこのような厳しさの中で守られてきているのです。「シャンカール」というママタ先生の家系はインド音楽やインド舞踊に少しでも興味を持たれたことのある人なら必ず目にしたり、耳にしたりしたことでしょう。ママタ先生の父ウダイ・シャンカールや叔父のラヴィ・シャンカールはインド国内にとどまらず世界にその名を知られていますが、他の家族も皆同様に音楽や舞踊の世界ではその名を知られた芸術一家です。ママタ・シャンカール先生自身も偉大な父の名を裏切らぬ現代創作舞踊家として世界を舞台に活躍しています。また、ママタ先生は映画女優としてもその名は知られ、今は亡きサタジット・レイ監督(監督としてアジアでは日本の黒澤明と共にサタジット・レイだけがオスカーを賞受しています)作品を含め、ムリナール・セーン等の映画やテレビドラマにも多数主演しその演技力は高い評価を得ています。1997年の東京国際映画祭の招待を受け審査員として来日されたこともあり、また親日家であるママタ先生はこれまでにも公私を含め幾度も来日された経験を持っています。
Kokubo Subha

私の先生 古典舞踊家 タンコ モニクッティ について

 私が舞踊を習い始めたのは三歳からだった。フォークダンスと古典舞踊を同時に習い始めた。その時の先生はニルモ二 バッタチャリアといって、十五歳でママタ シャンカール舞踊団に入るまでお世話になった。ニルモニ先生は九十一年にお亡くなりになられたが、私がママタ シャンカール舞踊団の入団試験に最年少で、ただ一人合格した時、まるで自分のことのように喜んで下さった姿を私はいまも懐かしいカタルシスの中で思い出すのが常である。
 十七歳でタンコ モニクッテ先生からバーラタナッティアムを直接指導して頂けるようになった。モニクッティ先生は南インドのケララ州の出身で古典舞踊の世界ではすでにその高名は知れわたっていて、特に若手の育成に定評があった。マンツーマンで教えていただく時のモニクッテ先生の指導はとても厳しく、腕の曲げ具合から手や指の動き、腰の落とし方など細部にいたるまで、少しでも間違えるとその場で容赦なく鞭が飛んで来て訂正された。モニクッティ先生は古典舞踊一筋に打ち込んで来られた方で、私は平行して学んでいた創作舞踊を辞めるよう何度も注意を受けたものだった。私が大学を卒業したその年、イギリスにあるモニクッティ先生の古典舞踊の教室に指導に行かないか、という相談が先生から持ちかけられた。モニクッティ先生が開かれていたインド古典舞踊教室がイギリス国内にいくつかあって、その中の一つを私に任せてくださるというのだった。私より長く学んでおられた諸先輩方の中からの大抜擢で、たいそう心惹かれるお話であったが、私はすでにママタシャンカール舞踊団の団員と教師を兼ねていたため、自分一人の一存で話を決められるものではなかった。悩んだ末にモニクッティ先生の好意をお断りした。イギリスに行くということは創作舞踊を辞めることを意味していたからである。インド古典舞踊の汲めども尽きぬ奥深さは認めていたものの、より以上に創作舞踊の表現力の可能性に一層の魅力を感じていたのであった。それにもまして古典舞踊と創作舞踊がけっして断絶するものではないということを、これまでの自分の経験から私はすでに承知していたことも理由の一つにあげられよう。私が指導している舞踊教室は古典と同時に創作舞踊も併せて教えているが、何の違和感もなく生徒は熱心に学んでいる。
(自著「インドの風・日本の風」より抜粋)

Kokubo Subha


私の先生 古典舞踊家 Dr.マフア・ムカジー について

 私は昨年の十一月初めから十二月末までの約二ヶ月間インドに帰っていました。私の古典舞踊の師であるタンコ・モニクッティ先生との再会をとても楽しみにしていたのですが、しかし、残念なことに先生は時を同じくして公演のためカルカッタを留守にしており、ついに最後まで会う機会は得られませんでした。
 今回ここに記す、Dr.マフア・ムカジー はタンコ・モニクッティ師の一番弟子であると同時に私とは15歳余の年齢差があるとはいえ同門の兄弟子にあたり、また時にはタンコ・モニクッティ師に替わる直接の先生でもありました。今回はこのDr.マフア・ムカジー師について語りたいと思います。
 名前の前に「Dr.(ドクター)」と付いていることはすでにお気づきのことと思います。カルカッタ大学で植物学の博士号をとり、つい最近まで同大学で教鞭をとられていました。大学も私の大先輩にあたられる方なのです。そして現在、ラビンドラ・バラティ大学に籍を移し、同大学で古典舞踊を教える傍ら、西ベンガルに昔から伝わる古典舞踊「ゴウリオ・ヌリッティア」の研究をしています。インド古典舞踊は「カタカリ」「バーラタ・ナッティヤム」「カタック」「マニプリ」等が昔から有名ですが、最近は「オリィッシー」も古典舞踊の仲間に加えられているようです。インドは歴史が古く文化の層に厚みがあり、インド古典舞踊というものの解釈の仕方次第では幾つもの「インド古典舞踊」がオリィッシーの例を引くまでもなく、これからも発見される可能性を秘めてます。もともと「オリィッシー」は文献やレリーフより復元された古典舞踊ですが、事実は存在しているにもかかわらず広く人口に膾炙されていないためその存在を知られていない、と言った方がより正しいのかもしれません。現在、Dr.マフア・ムカジー師は西ベンガル州に古くから伝わる伝統舞踊を文献を頼りに研究し、あるいは地方の寺院や遺跡に残された塑像や彫刻、レリーフなどを精力的に採取して2200年以上にも遡る事が可能な西ベンガル州に古くから伝わる古典舞踊「ゴウリオ・ヌリッティア」の復活にその学問のすべてを捧げようとしています。近い将来、「ゴウリオ・ヌリッティア」がインド古典舞踊の仲間に加えられることもけっして夢物語ではありません。私もこのページをかりて、Dr.マフア・ムカジーの研究成果を皆さんに少しでも早くお知らせしてゆけたらと思っています。
Kokubo Subha

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★2008年 第3回インド公演 ★2009年 第5回自主公演「インドへの祈り」 ★2010年 チャリティ合同公演 ★2010年アトランティックシティー公演
★タゴール生誕150周年記念公演 ★ナマステインディア2011 ★2012年 第6回自主公演「インドからのおくりもの」 
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 ★2013年 東大寺奉納舞

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