インドについてのプロローグ 2
 (コルカタの名所旧跡及び近郊) 
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★1999年第1回インド公演それぞれのインド ★2004年第2回インド公演それぞれのインド ★2004年インドの思い出 ★2007年第1回アメリカ公演 それぞれのアメリカ
★2008年インドの思い出 ★2008年第3回インド公演それぞれのインド ★2010年第2回アメリカ公演 それぞれのアメリカ

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★1999年 第1回自主公演「インドの夕べ」 ★1999年 第1回インド公演 ★2000年 公演「Subha Chakrabortyの世界」 ★2001年 第2回自主公演「インドのこころ」
★2001年 アジア民族舞踊フェスティバル ★2003年 日印国交50周年記念特別公演 ★2004年 インドの物語公演 ★2004年 第2回インド公演
★2005年 第3回自主公演「インドへの道」 ★2007年 第4回自主公演「インドの風・日本の風」 ★2007年デトロイト公演
★2008年 第3回インド公演 ★2009年 第5回自主公演「インドへの祈り」 ★2010年 チャリティ合同公演 ★2010年アトランティックシティー公演
★タゴール生誕150周年記念公演 ★ナマステインディア2011 ★2012年 第6回自主公演「インドからのおくりもの」

★Subha他・資料 97年 ★Subha他・資料 98年 ★Subha他・資料 99年(前) ★Subha他・資料 99年(後) ★Subha他・資料 00年(前) ★Subha他・資料 00年(後)
★Subha他・資料 01年(前) ★Subha他・資料 01年(後) ★Subha他・資料 02年 ★Subha他・資料 03年(前) ★Subha他・資料 03年(後) ★Subha他・資料 04年(前)
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 ビクトリアメモリアル イギリス植民地時代の象徴として、いまも観光客で賑わっています。
 
動物園                                                            博物館
 
ボタニカルカーデン
 

 
ワンポイント(カルカッタ史)
  インド北東部,西ベンガル州の州都。 
  人口1102万(1991年)を形成する。 
  1772‐1912年には英領インドの主都であった。コロマンデル海岸ぞいに北上してきたヨーロッパ人にとって,ガンガー川デルタの西端にあるフグリ川は,ベンガルのなかで最短地点にあり,かつ同川水系を通じてガンガー平原の内陸地方への進出が容易であった。イギリス東インド会社がここに最初にやって来たのは,1686年であった。 
  フグリ川東岸にそう自然堤防上の現在のカルカッタの地には,当時北からスターヌティ (現在のハウラー橋北方)、カーリーカタ (現在のダルフージ広場周辺で現地名の語源),ゴービンドプル(現在のマイダン南部)の3農村集落があるのみであった。 
 1690年になってスターヌティでの商館設置に成功する。 
  1696年にはカーリーカタでウィリアム要塞の建設許可(1702完成), 
  1698年には前記の3村の購入許可を得た。 
  これがカルカッタの発端であった。 
 18世紀初めには,カーリーカタにはウィリアム要塞とその東の公園と教会を取り巻いてイギリス人の住宅地,その北に他のヨーロッパ人住宅地があり,ホワイトタウンとよばれた。一方スターヌティにはインド人の商人が,ゴービンドプルにはインド人の下層階級が住み,そこはブラックタウンとよばれた。 
  1756年のシラージ・ウッダウラーによるカルカッタ攻略,翌年のプラッシーの戦でのイギリスの勝利を契機に,カルカッタは〈ベンガルにおける商業根拠地〉から〈英領インドの支配拠点〉へと変貌し,現在の都市構造の基本ができ上がった。 
  1758年から15年をかけて星状形稜堡の壮大な新ウィリアム要塞が現在地に完成し,その北・東・南面には戦時に備えて広大なオープンスペースが設けられた。現在のマイダンである。 
  19世紀にはいってからは,マイダン周辺における政庁(1804),博物館(1814),市庁舎(1817),高等法院1872)などの諸公共建造物の建設,ウェリントン道路などの幹線道路の拡幅建設,ハウラー,シアルダーの鉄道ターミナル駅の建設,拡充整備がなされていく。 
   1947年の独立はカルカッタに大きな打撃を与えた。食料,ジュートの供給源であるガンガー川デルタの主要部を,印パ分離によって喪失し,そこから約70万人の難民が流入した。 
  インド博物館は,1814年創設のインド最古にして最大の規模を誇る多目的博物館であり,考古学,美術,人類学,地理学,産業(実用植物学),動物学の6部門より成る。考古部門はバールフットの欄楯をはじめとして先史から中世末期までの彫刻類や貨幣,美術部門は細密画,タンカ,工芸品,染織品などの代表作品を網羅する。ほかに貴重なサンスクリット写本を所蔵するアジア協会,カルカッタ大学付属のアシュトーシュ美術館,イギリス統治時代の各種資料を展示するビクトリア記念堂などがある。
 
ダイヤモンドハーバー
カルカッタを貫流するフーグリ河の河口の小さな漁村です。
車で二時間ほど走る距離にありピクニックに最適な風光明媚な場所です。
 


ハウラーステーション
 

 

 

ポーター 




インドの列車の内部
ポーター                        車内売子

チケット
日本と違い一人一人の住所、性別、年齢までが記されている。



セントポール カテドラル
 
ビルラ寺院
 
ベルルモッツ
境内は広く大学のキャンパスの雰囲気をもち、
河岸に立地しているため沐浴場もある。
 
ジャイナテンプル
広い境内のなかには大きな沐浴場もあります。
 
ハウラーブリッジはカルカッタのシンボルだと言い切ってもけっして過言ではありません。

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