インドで流通しているウダイ シャンカールの切手
ウダイ・シャンカールの伝記本
表紙 背表紙 裏表紙
シタール奏者として西洋音楽やビートルズに多大な影響を与えたとされるラビ シャンカールの名は世界的にも著名である。それに反し兄であるウダイ シャンカールの名はそれほど人口に膾炙されてはいない。もちろん「日本では―」という但し書きが付く。 |
ラヴ シャンカール
弟のラヴ・シャンカールがウダイ・シャンカール舞踊団で団員として踊っていた頃の貴重な写真です(左写真)。
〜ラビ シャンカール先生のことなど〜 ラビ シャンカール先生がお亡くなりになられた。 多言を要さずとも音楽の世界ではインド古典音楽にとどまらずロックやポピュラー、映画音楽など様々な分野に進出された、その功績と後世に与えた影響ははかり知れないものがある。 ラビ シャンカール先生は私の師であるママタ シャンカール先生の父ウダイ シャンカールを兄とし、ママタ先生にとっては叔父にあたられ、《ウダイ シャンカール舞踊団》の一員として舞踊の世界で活躍されていた一時期があり、その意味では私が主宰するインディアン クラシカル ダンス トゥループのメンバーにとっても浅からぬ縁で結ばれていると言えるだろう。 在世中はママタ シャンカール舞踊団の関係から幾度もお目にかかったことがあり、ニューデリーではラビ シャンカール先生のお招きを受け、ご自宅に伺ったことも少なくない。 いつの年であったかご自宅のパーティの席で古典声楽を学んでいたことのある私が乞われ、ラビ シャンカール先生の前で拙い歌声を披露したことがあった。盲蛇に怖じずというか若気のいたりというのか、今から思い返しても顔から火の出るような恥ずかしさが伴うのだが、しかし私が歌い終えると笑顔で拍手をしてくださったその時のラビ シャンカール先生のお姿を私は生涯忘れない。 新聞やテレビで報じられる情報以上にママタ先生からラビ シャンカール先生の私生活についての細かなお話を聞く機会も多かったが、ことに三度目の結婚の時にはシャンカール一族がかなり揉めたというお話を伺ったこともある。今なら笑い話で済まされる事も当時であれば深刻な問題としてママタ先生の心を悩ませていたのだと知るのである。 あらゆる意味でラビ シャンカール先生の身近に接し、その薫風に触れる機会を得たことは私のその後の人生に大きな示唆を与えていただいたように思う。敢えて言葉にしてみれば《古典も創作》も舞踊で括られるという一事であり、その下にインドの《伝統や文化》を忘れなければ舞踊表現は無限だということであった。少なくともラビ シャンカール先生自身の人生はそのようであったし、遺された功績が見事にそれを証しているのである。 私はこの教えを座右の銘とし、その精神は今では私のもとで舞踊に励むインディアンクラシカルダンス トゥループのメンバー、一人ひとりの心に確実に受け継がれて来ている。 今回の悲報に接しインディアン クラシカル ダンス トゥループも哀悼の意を表し、ママタ先生を通じ花束を贈らせていただいた。上に載せた写真がその花束である。 心よりご冥福をお祈りする次第である。 小久保 シュヴァ |
ウダイ・シャンカール夫人 (ママタ先生のお母さんです)
夫人と共演した映画の一場面
ウダイ・シャンカール舞踊団で活躍していたころのママタ先生
アンナ・パブロワ
ウダイ・シャンカールに舞踊を勧めたロシアの一流バレリーナ 「瀕死の白鳥」はあまりにも有名。ラビンドラナート・タゴール。
ウダイ・シャンカールとも親交のあったベンガルの芸術家。各界の著名人等と
1966年ウダイシャンカール舞踊団 アメリカ公演時のチラシです
2012年5月 《カンヌ映画祭》 ママタ先生とお母さん ママタ先生との電話で 〜とても嬉しい、ビッグニュースです!!〜
ウダイ シャンカール 1948年制作の映画「カルパナ」が第65回カンヌ映画祭で復元される1本に選ばれました。
ウダイ シャンカールの舞踊が収められている貴重な映画です。