2004年インド公演へ
未知の読者へ
あるいは
プロの舞踊家を目指している人へのメッセージ
ここにはそれぞれの個性から発現された”活きたインド” が語られ、アマチャーの眼からプロの眼へと成長を遂げつつあるプロセスの一断面が克明に描かれています。一地方のイ ンド舞踊教室のメンバーが世界の桧舞台に立つことの幸福と不安と緊張の綯交となった複雑な心境が直截に綴られ、その成長の跡付けを読者は深い想像をめぐらせながらお読み下されば幸いです。 |
夏目 由紀子
インドで考えたこと
「 最初で最後だから、一生のお願い!」と懇願して参加した99年インド公演から早5年。
人生とはフシギなもので、2004年、再びインドの大地を踏んでしまいました。前回は、舞踊サークル(現ダンストゥループ)に加入したばかりで、かなり呑気にわけもわからず先輩方に便乗してしまいました。しかし今回は、インドで、そして日本で、ママタ・シャンカール舞踊団の踊りを目の当たりにした後なので、この素晴らしい舞踊団と同じスタイルで同じ舞台に立つことの恐れ多さをひしひしと感じながらのインド行きでした。舞踊団の学校には、千人を越える生徒が毎日何時間も厳しい練習を積んでいて、その中から舞踊団員として舞台に立てるのはほんの一握り。
私はウダイ・シャンカールスタイルを学びはじめて5年半ほどですが、レッスンは週に1・2回、練習量で考えると彼らの2年にも満たないのです。そんな私達が舞台に立つなんて、彼らはどう思うのだろうかと考えると、申し訳なさと責任の重さを感じました。そして、私達は精一杯踊りました。短いキャリアでよくそこまで踊れるようなったと、日本人とは思えない踊りだったと、お褒めの言葉をいただきました。「そうだよね、舞踊団の人たちとはちがうんだから。私達は精一杯やったんだから。」そうやってなんとなく自分を納得させていました。しかし、舞踊団のダンスドラマを見た時、あまりの衝撃に私は完全に打ちのめされてしまいました、彼らの、美しく生命力あふれる踊りとともに、人間の心の奥底・根本にうったえかけてくる感情表現は、見る者に理由の説明できない涙を流させるのです。彼らのパフォーマンスから「ダンサーはアクターでもあるのだ」と強く実感しました。あんな、人の心にうったえかける感情の表現がしたい!なれないとはわかっていても近づきたい!そう思わずにはいられませんでした。そして、ふと、「人の心にうったえかけたい」などという外向きな考えを私はいつからするようになったのだろう、と思ったのです。
「この子は一人でバスにも乗れないんだからねエ・・」コルカタでレッスンへ向かうバスに揺られながら、子供のころの母の口癖が頭の中によみがえりました。今回のインド滞在中は、なぜだか、少女時代のことが思い出されてなりませんでした。公演の楽屋で、皆で街をそぞろ歩いている時、ゲストハウスで練習をしている時、などなど、折にふれ思い出していました。私は身体的なことで、少女時代はずっといじめられていました。そのせいか、物心ついたころには、消極的で人と向き合うことを恐れる臆病な、自分の意見も心の中に押し込めて人の後ろにかくれている(感情表現なんてとんでもない!)そんな子供になっていました。そして、自分の暗さの原因であるおのれの醜さを憎んでいました。授業参観でのこと。あらかじめ指される生徒は決まっていたので、指されないとわかっている生徒は答えがわかっていなくても(笑)はりきって手をあげる(そうすると親は喜ぶ、という仕組み?)。そんな時でも、クラスメイト達が意気揚揚とあげた手の中で、一人縮こまって手をあげられずにいました。そんな私を憂いて、「この子は・・」という言葉を母よく口にしていたものでした。
人間の性格はそう簡単に変わるものではありません。成長し大人になってからもネガティブな性格はそのままでした。しかし、舞踊との出会いは私を大きく変えました。言葉で表現できない私にとって、「身体で表現する」こととの出会いは衝撃でした。自分を表現する道をみつけ、楽しくて嬉しくてしょうがありませんでした。そして、「もっと踊れるようになりたい!もっとたくさんの人に踊りの素晴らしさを知ってもらいたい!」という気持ちが生まれ、いつのまにか、大勢の観客の前で、笑顔で、その身をさらけ出して踊っている自分がいました。しかもインドで!!以前では考えられません。踊りだけでは説明しきれないことは、言葉で伝えなければなりません。こうして図らずも、おどれるようになりたい!という欲する気持ちから、人前で話しができるようになっていました。父によると、幼少のころの私は、たくさんの人の中で歌いだす、物怖じしない活発な子供だったそうです。そんな、自分でも知らなかった本来の自分を、舞踊は解き放ってくれました。そして、踊る喜び、表現する喜び、生きる喜びを教えてくれました。
ダンス・トゥループは、学生の部活でも、仲良しサークルでもありません。年代も考え方も様々な、見ず知らずの他人が「踊り」という目的のために集まってきた集団です。先生は「舞踊そのものだけでなく、舞踊を通していろいろなことを学んでください」とおっしゃいます。私は、この「踊り」のために集った人たちの中で、会社でも学校でも学ぶことができなかった、たくさんのことを学びました。立場や年代の違う相手をおもんばかること、人と向き合うことの大切さ、悩むことも多かったけれど、そのぶん、人や物事をより深く考えられるようになったと思います。夫婦喧嘩も減ったような…?
今回のインド公演にむけても、色々ありました。どうなることかとハラハラしました。しかし、インド公演という目標に向けて汗を流してきたメンバーは、バラバラなようでいて、不思議な一体感が生まれていたように感じました(私だけ?)。それぞれのキャラクターを知れば知るほど楽しくて、皆の中にいることが楽しくてしょうがなかった。「みんなとインドに来ることができてよかった!みんな大好きだよー!」といつのまにか思っている自分に驚きました。人との交わりが嫌いで、一人を好んでいた私が、こんなふうに考えられることが嬉しくて、道端にかたまって鶴を折りながら、密かに胸を熱くしていた夏目でした。
舞踊はたくさんの出会いをくれました。厳しさと優しさで私達を導いてくださる先生、はげましあえる仲間、公演活動等で出会った友達、そして、インドでお世話になったたくさんの心温かい人たち。
今回、私はわがままを言って、現地でレッスンを受けさせていただきました。(わがまま言ってゴメンナサイ)
その時お世話になったのが、シュヴァ先生の兄弟子、ベンキッタ先生のご家族です。レッスンをつけてくださったのは、ご婦人のミセス・プリータです。プリータは、私がヘタクソな英語で何を言っても、いつも、コロコロと笑ってくださる、相手に気を遣わせない、優しさのにじみ出た、お母さんのような(私より一つ年下なんですが、プリータごめんなさい!)あたたかさを感じさせる女性です。ベンキッタ先生は、偉大な舞踊家であるにもかかわらず、尊大さをみじんも感じさせません。一見普通のおじさん(すいません)なのですが、身のこなしや話ぶりに気品と慈愛が満ちた素敵な方です。踊っている時はまさに神様そのものなのです!!
ある日、ベンキッタ家でランチをご馳走になりました。自家製のヨーグルトが美味しくて、おかわりをたくさんしました。すると翌日、「あなたのために、彼が仕事にでかける前に作っていったのよ」とプリータがヨーグルトを出してくださいました。ベンキッタ先生は、大学での講義へ出かける前のお忙しい時間に、私のためにヨーグルトを作っていってくださったのです。こんな私なんかのために!?ありがたいやら申し訳ないやら感激したやらで、胸が熱くなりました。(ランチでよほど美味しそうにいただいていたのでしょうか?)
インド滞在中は、私達にはもったいないほどの親切や真心をみなさんからいただき、胸が熱くなりっぱなしでした。そのたびに、私も真心を持って人に接することができる人間になりたい、と思いました。しかし、気のきいたお礼の言葉の一つも出でこない自分がもどかしいやらはがゆいやら。実は、これでも、ラジオ英会話でこっそり練習していたんですけど、あまり効果は…ガクッ
こうして舞踊を通してたくさんの出会いを重ねていくうちに、「目に見えない、なにか不思議なチカラ」ってあるんだなと感じるようになりました。逆に言うと、不思議なチカラに導かれてたくさんの出会いがあった、ということになりますか。インド公演の直前に、どう考えても大怪我をするはずだった、という交通事故に遭遇したのですが、奇跡的に無傷ですみました。事故の瞬間、11月に亡くなった友のことを思いました。彼女は前回のインド公演で共に踊った仲間ですが、その後、長い闘病の末11月に亡くなったのです。彼女は、人を、自然の移ろいを、そして舞踊を愛していました。そんな彼女が「インドで踊らなくちゃだめでしょ!」と助けてくれたのではないかと、不思議なちからを感じ、涙が止まりませんでした。
これから先、どんな出会いがあるのでしょう、どんな人生が待ちうけているのでしょう。どんな時でも、舞踊から学んだことや経験は、私に勇気を与え、感謝の気持ちを思い起こさせてくれるでしょう。
最後に・・ 今回も前回も、インドへ送り出してくれた夫といつもサポートしてくれる義父母への感謝は言葉では言い尽くせません。本当に感謝感謝です。そして、公演の準備だけでも寝る間も無いほど大変なのに、いつも私達のことを気にかけてくださった先生。ご自身の疲れをおして、「あれが食べたい、あそこへ行きたい、あれが買いたい」という11人のわがままな子供達の願いを次々とかなえてくださって、ありがとうございました。女の長い買い物におつきあいくださったご主人、公演の準備から滞在中の細々したことまでお世話くださったチャクラバティ家のみなさん、優しさに満ちたベンキッタ家のみなさん、ゲストハウスのおじさんと子供達、そしてそして、改めて舞踊の素晴らしさを教えてくださったママタ先生と舞踊団のみなさん、インドで出会ったすべての人達に
NAMASHKAR!!
谷口 とも子
本場のインドで
思えば5年程前の夏にシュヴァ先生のインド舞踊教室の門を叩いたのは、その2年前にマレーシア人バラタナティアムダンサーの踊りを見てからでした。ただ“自分でもやってみたい”というだけで、“舞台に出たい”とか、“美しい踊りの追求”などということに全く考えがなく、ましてや、本場インドでプロの人達と同じ舞台に立つ、などということがあの頃どうして予想出来たでしょうか。 インドに行く前の不安材料としては、私たちがインドで踊るということは、例えば、西洋人が着物と日本的メークを施し、日本舞踊を踊る姿は不思議な気がしますが、それと同じくらい奇妙に映りはしないか?ということ。食べ物や風土が身体に合うか?と、そして、インド10日間の滞在中、舞台は4公演と言われていて、日本で1つの公演をするにも大変なのに、慣れぬ土地で4公演というのは無事に生きて帰れるか(!?)、が心配でした。とにかく、不安と不安と不安で胸は一杯でした。……ただ、ショッピングだけは期待に胸を膨らませていましたが。
私達も踊るラビンドラ・サダンへ、ママタ・シャンカール舞踊団の舞台を見に行った時のこと。やっぱりすごいと思うのと同時に、私達もあんな風なムードが出せたら、と感じたのです。一人一人の表情や踊りの技術の高さはもちろんのこと、踊っているのは一人一人でもグループ全体が一体となって、一つの幻想的な空間を作り出す。“上手な踊りが踊れます。”という次元ではなく、見ている側が時間を忘れて、そのムードにどっぷり浸り込むことが出来る。見る者の心に印象深さを残すのです。
9日の、いよいよインドでの初公演、1stステージ。私には、“これが本命”という舞台があって、それは2ndステージ10日のラビンドラ・サダンでの舞台だったのですが、1stステージは私にとって、一生懸命やるんだけれど明日の為の練習、と思っていました。1stステージでは、間違いもなく、悪い緊張感もなく、雰囲気に飲み込まれもせずに割と落ち着いて出来たと思います。これで、きっと明日も大丈夫、そう思いました。そして、10日、本命公演。悪い緊張はありませんでした。身体もよく動く。気おくれもしてない。
「今日もいけるな。」幕が開く直前の暗い舞台、自分の立ち位置に付いてポーズを取る。沢山の客がいる幕の向こう側。何とも言えない感じ。舞台というのは、その日の為だけに長い時間をかけて苦しい稽古に耐え、何度も何度も繰り返し踊る。私は、ラビンドラ・サダンでの舞台が一番上手く踊れた!と、言いたかったのだけれど…。結局それが出来なかったのは、体調も良く、落ち着いているつもりでも、やっぱり気持ちが普通じゃなかったのだと思います。1曲目で、練習でもやったことのない様な、痛恨のミス。2曲目でもふらつきがあり、3曲目も4曲目も上手く出来たと言えるものではありませんでした。私は、自分の精神的弱さを克服しない限り、良い踊りは一生出来まいとそう痛感しました。
舞台終了後、ママタ先生にお褒めの言葉を頂き、その賛美の言葉はあまりに多く、信じられない程でした。私のルームメイトなどは感激して涙していました。私は、我々がシュヴァ先生の生徒であるから、そこまでおっしゃってくださるのだろうと感じていました。それよりも、自分の目の前で、かの有名なママタ先生が自分達を批評してくださっている、という現実がすごいと思ったのです。終わってしまえば、あっという間。かくして、私のラビンドラ・サダンでのシャンカールフェスティバルは終わりました。
3番目は寺院での公演。素晴らしく良い会場。私達にとってインドで唯一古典を披露をする公演です。日本から来た者達によるインド古典舞踊は、インドの人達に一体どう映るのか?インドの人達の心の中の正直な気持ちを覗いてみたい思いです。この日の公演はインドにも馴れ、2公演も踏んだ後なので、精神的には最もやりやすかった様に思えます。案の定、失敗もなく、私の中ではこの公演が一番良く出来たと思っています。
公演と公演の合間には、衣裳を縫ったり、食事をしたり、お買い物や、観光、ルームメイトと遅くまで起きていたり、色々な思い出があって、10日間の割に濃度の高い日々でした。ハードスケジュールで睡眠時間もろくになかったのに、何故か毎日元気で楽しかったのです。人も車も多く、エネルギッシュで活気ある町の雑踏。食べ物も身にまとう物も芸術や文化、今でも独自のカラーを色濃く残している国。インドへ足を踏み入れる前、シュヴァ先生の生まれ育った国がどんなだか一度は見ておきたいと思っていました。それを見、そして、先生と一緒に美味しいインド料理を食べ、一緒に買い物し、一緒にステージを踏み、一緒に寝て、インドで先生と共に過ごせた時間は、一生私の記憶から抜け去ることはないでしょう。私達が街を歩く様子は、まるであひるの親子みたく、あひるの子供がお母さんの後に必死で付いて行ってる様でおかしかったです。(お母さんは大変ですが…)
観光でもなく仕事でもなく、踊る為にインドに足を踏み入れました。ラビンドラ・サダンでは、素晴らしいプロのダンサー達が連日舞台を踏む中に交じっての参加公演。素晴らしい寺院での公演や心温まる地元の方々の歓迎の中の公演。どれをとっても、印象深く幸せな毎日でした。その時は必死でよくわからなくても、日本に帰ってからインド滞在中の事をしみじみと思い出し、私にとってのインド10日間は幸せだったなぁ?、と感じます。こんな日々を過ごすことが出来たのは、やはり、シュヴァ先生のご両親はじめ、一族の方々、ママタ先生や、ヴァウミック先生、地元の方々、その他沢山のインドで接した方達、そして、シュヴァ先生とご主人のお力添えのおかげです。皆様に心より感謝したい気持ちで一杯です。私達の滞在中、日が経つにつれ先生の声がどんどんかすれていき、最後には出なくなってしまうのではないか?と心配しましたが、最後の最後まで細かい所まで気を配り、そして、普通では体験出来ない様なチャンスと経験を与えてくださって本当にありがとうございました。シュヴァ先生、心より感謝致します。
榊原 寛子
思い出のインド行
インド舞踊を習い始めて五年、念願のインドにとうとう行くことができました。しかも、ただの旅行ではなく公演も兼ねてのインド行です。
日本とインドの文化や習慣の違いから、行く前の私には色々なことが想像すら出来なかったので、あまり先入観を持たず、自分の眼で直接見て触れることでインドを知ることが出来ればいいナ、という気持ちでした。とはいえ、やはり心配から、あれもこれもと用意した荷物は増える一方でした。
ウダイ・シャンカール・ダンス・フェスティバルの行われる「ラビンドラ・サダン」はインドのガイドブックにも必ず載っている、とても有名なホールでプロのダンサーたちが踊る由緒正しいステージ。それゆえにプレッシャーを感じ、とても緊張しました。「練習どおり踊ればよい。場所がかわってもやることは同じなのだから」と頭ではわかっていても、公演直前に行われた新聞の写真撮影時には笑顔を作ろうにも顔がケイレンしてしまい、うまく表情が作れません。「こんなに緊張している情態で私は最後まで踊ることができるのだろうか?!」と、とても不安になりましたが「ここで踊るために今まで精一杯練習してきたのだから」と気持ちを切り替え、舞台にのぞみました。インドの舞台は暗転時、本当に真っ暗になってしまいます。事前に先生からそう聞いていましたが、あれほど暗いとは!! 曲の間に衣装の早替えをするのですが、駈け足で着替場所に戻りたく思いながらも、焦る気持ちのみが先行し、手探りでそろりそろりと歩くほかなく、本当に大変でした。三公演とも振りを間違えたり、まだまだ練習が足りない部分も多く、良い踊りだったとは決していえませんが、インド舞踊の本場で踊ることができて本当に良い経験になりました。
私がインドに行ってとても嬉しかったことの一つに、以前来日した折りにお会いした方たちとの再会がありました。
ここには書ききれないくらいの心からのもてなしをして下さったヴァウミック先生、何度見ても感動してしまう素晴らしい踊りのママタ先生とママタシャンカール舞踊団の皆さん、ワークショップに参加する機会を与えてくださったベンキッタ先生、可愛い奥様と娘さんにもお会いすることができたシュモン先生、その他シュヴァ先生のご両親など、インドの地で再びお会いすることができて、とてもとても嬉しく思いました。シュヴァ先生のお姉さんご夫婦をはじめ皆さんに笑顔で歓迎していただき、大変お世話になったことに感謝の気持ちでいっぱいです。
食事のことはかなり心配していましたが、先生が連れて行ってくださったレストランはどこも美味しくて、常に食べ過ぎ状態で持参した日本食は出番ナシ。見たこともない果物が露店で売られ、日本の料理屋にもないメニュー、特に私はモチモチした食感の「クルチャ」がとても気に入り、ベンガル語で美味しいという「パロー」を連声していました。食後に出てくる「モーリ」という口直しのスパイス(?)もクセになりそうでした。
「インドは買い物をするのが楽しいよ」と以前インドへ行ったことのある人に聞いていましたが、本当でした。日本だとデザインが限定されてしまうサルワール・カミーズやサリーも気合を入れて選ばないと目移りして決められないくらい種類が豊富な上に、サルワールはノースリーブタイプもたくさん見かけ、どれも可愛らしかったし、サリーはどれも色づかいがきれいでした。
バラタナッティアムの衣装を仕立てるお店が以外にこじんまりしていたのには小さな驚きでした。小スペースを有効に使うためか、天井裏が倉庫になっていて、欲しい物を伝えると、上から物が落ちてくるのです。日本のように同じデザインや色の商品がサイズも豊富にそろっているわけではありませんが、品数はバラエティーに富み、少しずつデザインが違っていたりして、よく吟味して、気に入るものを見つけるまでのプロセスがとても楽しく思い返されます。
少しだけ観光もでき、ガンジス河で小舟に乗りました。夜だったので少し風があり、涼しく、月がとてもきれいで幻想的でした。カップルのデートコースになっているというのも頷けました。
宿泊先のゲストハウスに入った当初は、電気は暗く、布団は染みだらけ、シャワーもうまく使えない部屋に正直戸惑いましたが、三日も経つと人は慣れてくるもので同室の岡田さんと宇野さんの助けも大きかったのですが、だんだんこのゲストハウスが「インドの自分の家」のようにも感じられだしたりもして、少しずつ居心地良いものに変わってゆくのでした。
普段日本で生活する中で、なにかと神経質になりがちな私にとって、インドでの生活は確かに不便な部分もありましたが、日に日にインドを好きになり、心が軽くのびのびしてゆくように想われはじめました。(←うまく言い表せませんが)。それが風土のせいなのか、人のせいなのかわかりませんが、世界中の人が何度も訪れたくなる「インド」という国の魅力が今回の旅で少しわかったような気がします。また訪れる機会があればバラタナッティアム以外の古典舞踊をぜひ観てみたいです。
最後に初めてインドを訪れたメンバーも多かった私たちを連れて、いろいろな面からインドの素晴らしさを教えてくださったシュヴァ先生に心から感謝しています。ありがとうございました。
宇野 依里
インドで出会った様々なこと
◎空港に到着した時に飛行機の窓から見た夕陽がとてもきれいで、日本で見ている太陽と同じものとはとても思えなかったこと。
◎建物や人の姿がオレンジ色の街灯の光に浮かび上がる、空港からゲストハウスに向かう途中、初めて見たインドの夜の風景が幻想的で美しかったこと。
◎ドライバーさんの運転に悲鳴をあげながら、毎日車窓から眺めた街並。
◎排気ガスのにおい。
◎クラクションが絶え間なく鳴り響き、一日中たくさんの車で埋め尽くされた道路。
◎途切れることのない車と車の隙間を縫って、器用に横断する歩行者に驚いたこと。
◎いろいろなお店でカレーや中華料理を食べたこと。
◎エビのカレーとクルチャの感動的なおいしさ、ゲストハウスで毎朝出てきたトーストとチャイの素朴なおいしさ、忘れられない味がたくさんできたこと。
◎ビクトリアメモリアルの建物の素晴らしさ、バニヤン樹の大きさに感動したこと。
◎高速道路の中央分離帯で寝そべる牛の姿に目を丸くしたこと。
◎ママタ・シャンカール舞踊団の方々のチャーミングな表情、自分と同じ人間とは到底思えないほど柔らかく美しく、優雅な踊りに衝撃を受けたこと。
そして、同じ舞台で踊れたこと。
インド滞在中印象に残ったことを書き上げてみましたが、これはほんの一部で、書こうと思えばいくらでも書けるほどの思い出が、まだまだたくさんあります。滞在中に見た風景や経験した出来事、ほんの小さなことまで事細かに思い出すことができるくらいです。
インドで、インドの皆さんの前で、インド舞踊を踊ることができるという滅多にない舞台。仕事もある、家のことも・・・迷いに迷った末、「この先観光旅行はできるかもしれないけど、こんな機会は一生のうちで一度きりかもしれない」そんな気持ちで、今回のインド行きに飛び乗ってしまいました。途中、こんな満足に踊れない自分が行ってしまっていいのだろうかと不安になり、またそれはインドで舞台に立つ寸前まで引きずった不安でした。「2度目のインド公演で、観客の目も前回より厳しくなっているはず」というプレッシャーを感じ、練習不足を悔やみつつ、それでもなんでも踊るしかないのだと自分に言い聞かせながら臨んだ3つの舞台。結果は・・・結果は、自分の出来はとても満足できるものではありませんでした。3回とも練習ではしなかったミスを「何故、どうしてここで間違えるの?!」というところでしてしまい、自分で自分が情けなくなりました。しかし、それでも観客の皆さんは惜しみない拍手を下さいました。嬉しくて申し訳なくて、でもやっぱり嬉しくて。インドの皆さんの温かさに感謝です。
そして、インドの思い出を語るうえで外せないのが、人との交流です。
8日間の滞在中、多くの方々にお会いすることができました。先生のご家族やお友達の方、日本の公演でご一緒させていただいた先生方、ゲストハウスのスタッフ等々。「はじめまして」の方から「お久しぶりです」の方まで、本当にたくさんの方々と触れ合えた毎日でした。片言というのもおこがましいようなおぼつかない英語で一生懸命会話したり、でもほとんど会話にならなかったり。また、言葉はなくても笑顔だけでコミュニケーションできたことも多くありました。しかし、英会話ができたらもっと楽しかっただろうにと、2年前に挫折した英会話をもっと真剣にやっていればと、後悔しています。そんな気持ちから、帰国後、英語の辞書を開く機会が以前より増えた私です。
皆さんとても優しくて、本当に親切にしてくださいました。空港でのお出迎えやお見送りをいただいたり、お花やプレゼントをくださったり、公演に関わった方に至っては、当日だけでなく前々から準備のために動いてくださったり、本当にいろいろとお世話になりました。人に囲まれ恵まれたインドでした。
今回インドでは嫌な思いを味わうことはなく、楽しい思い出しか残っていません。インドに着いてすぐは、慣れなくていろいろ惑ったり不自由に感じたりすることがありましたし、正直「あと何日たったら帰れる」と思うこともありました。しかし、1日、2日と経った辺りからだんだん居心地が良くなり、帰る頃には「まだまだここにいたいのに」と思うようになりました。ほかのメンバーより一足先に帰らねばならないのが残念で仕方なかった。
そう思えるようになったのは、ただ単に自分が環境に慣れたせいだけでなく、周りの人がいろいろと気を配ってくださったからだと思います。特にシュヴァ先生は、滞在中休む間もなく私たちのために奔走してくださいました。本当に感謝しています。いろいろな経験をさせてもらい、たくさんの思い出を残してくれたインド。いつかまた行くことができたら素敵だなぁと思います。そして、その時もまた舞台で踊るために行けたら最高です。そのためにも、もっと練習、うんと練習!ドンノバード、アバールデカホビー!
岡田 さち代
初めてのインド‥そしてインド公演
インドへ行くと決めてからも「本当にインドに行くのかな?」と信じられない気持ちでした。
徐々に「なんかすごいかも!」という気負いが加わり、そこに少しだけ『不安』と『あせり』が‥そんな感じのまま、出発の日を迎えました。
いざ、カルカッタへ!・・・躍動感溢れる街並み、力強く生命力に満ち溢れた人々。自分がその場にいることさえ不思議で、まるで映像を見ているよう・・・。食べ物は本当に何を食べてもおいしくて、ショッピングも楽しかった。
公演は想像していた以上に緊張しました。まず、舞台そで、客席、暗転の暗さに驚き、それに対するライトの明るさ・・・もう何がなんだかわからなくなってしまい、地に足がついていない感じを自分でも気づいていながらどうすることも出来ず、初日の公演が終わりました。
先生に「バランスが崩れている」と注意を頂きましたが、不器用さゆえ修正もきかず・・・。いろんなことで焦ったり、取り乱したり、それでも先生やメンバーの皆さんのお蔭でなんとか三回の公演を踊ることが出来ました。反省すべき点は多々あり、技術的にはもちろん精神面も含め、自分自身の(思っていた以上の)未熟さに気づくことが出来ました。それを今後の課題としていきたいと思います。
日本に帰り一ヶ月が経ちました。いま、インドの暖かさとおいしかったインド料理がとても懐かしい・・・。素晴らしいインド行を、そして本場インドの立派な舞台に立つという貴重な体験が出来たことをシュヴァ先生をはじめ、先生のご主人様、お父様、お母様、お姉さま、義兄様そしてすべての方々に感謝しています。
日置 雅美
私流インドの感じ方
私がインド舞踊を始めて、はや5年(1年間のお休みもありましたが…)。月日は驚くように過ぎ去って、あっという間にインドへ向かう日になってしまいました。大学入学と同時にインド舞踊を始め、その時からの夢がシュヴァ先生と一緒にインド舞踊をインドの舞台で踊るということでした。その夢が本当のことになるなんて、ミラクルです。本当に本当に幸せな瞬間でした。私はいつも「短期集中型」タイプなのですが、今回も自分の都合により他のメンバーのみなさんより舞台用の踊りを習う時期が遅れてしまい、大変ご迷惑をかけました。みなさんには感謝、感謝です。(特に鬼コーチにはお世話をかけました。)本当に凝縮された10日間でした!!今回は私の目で見たインド公演をここに書いてみたいと思います。(あくまでも私が思ったこと、感じたことなので、人によって様々な受け止め方があると思います!!)
<インド人の歓迎の仕方、おもてなしの仕方>
インド人はとにかく「花を贈ることが好き」ということ。私が滞在している間に生花、造花合わせて6つもいただきました。しかもその花の仕組みが面白い!竹で作られた枠に花がくくりつけてあるのですが(もちろん生花ですよ?)、菊は花の部分だけ切り取られていて、茎の部分はつまようじのようなものに刺してあります。だから菊の命はとても短い!!しかも菊の色は白なのですが、もし他の色にしたければスプレーで色づけをします。だからオレンジ、緑、ピンク…など様々な色の菊がありました。さらに日本でいう「盾」のようなものを、公演に出演すると自分の名前入りでいただきました。インドの物に自分の名前が刻まれているだけで、インドに名前が残ったような気がして大喜びの私です。
面白かったのが、ヴァウミック先生の生徒さんたちでした。私たちの周りに集まってきて「何が始まるんだっ!?」と思っていると写真の嵐、サインの嵐でした。まるで自分たちが有名人になったかのようでした。
<交通事情>
まず驚いたのは、「インドのタクシーにはサイドミラーが存在しない」ということ。もしついていたとしても壊れていたり、たたんでしまってあったり。なぜかというと、インドの交通量の多さが関係しているのです。車の数が多すぎて、サイドミラーは運転のジャマになってしまうのです。あれだけたくさんの車が路上にひしめいているのに大きな事故を目撃しなかったのがとても不思議です。そんなルールもひったくれもないインドの交通事情ですが、ドライバーさんがやたら助手席に座っている人のシートベルトを気にしているのが笑えました。シートベルトだけはかかせないようです。
一般道はすごい混雑なのに高速道路にはほとんど車が走っていません。その代わりに中央分離帯に牛が走行していました。さらにドライバーさんは道を間違えたらしく、高速で逆走していました。何でもありのインドでした。
<食べ物>
先生がおいしいレストランに毎回連れて行ってくれたおかげか、毎日3食中1回はカレーを食べていたにもかかわらず、カレーにまったく飽きませんでした。インドには本当にたくさんの種類のカレーが存在していました。海老、じゃがいも、玉子、豆そしてチキンカレー…特にほうれん草とパニール(チーズ)のカレーはたまらなくおいしかったです。カレーと言えば「ナン」が思い浮かぶわけですが、カレーにつけて食べるパンにも様々な種類があります。ナン、チャパティ、クルチャ、ローティーなどなど、数えだしたらきりがな?い。ドリンクにも驚かされました。ラッシー=ヨーグルトの甘い飲み物という方程式があっさり崩れました。なんと、しょっぱいラッシーが存在するのです。味は…う?ん。私は甘いのが好きだなぁぁぁ。
<舞台>
これまた様々な舞台を体験させていただきました。これがどうやったら照明付の舞台になるのか!?という舞台もあれば、あまりに立派すぎて足がすくんでしまうような舞台もありました。その中でも、ラビンドラサダンで踊れたことを誇りに思っています。なぜなら、ママタ先生やその他有名な舞踊家の方々が踊った同じ舞台に立つことができたからです。舞台に立った時は頭が真っ白になりました。今まで一番大きな舞台が自主公演だったので、2000?3000人のも収容できる舞台に圧倒されてしましました。そのおかげで、照明が点いた瞬間に動くべきではない所で踊り始めてしまいました(泣)。そんな自分にとてもびっくりしたと同時にまだまだ練習不足だなぁと感じました。建物がとても素敵だったのはビーラ寺院での公演でした。寺院の壁、ロビー、楽屋すべてにインドの歴史を感じました。廊下に飾られている絵画も踊りの絵がかかっていたり、壁に像の彫刻がしてあったり…とにかく「いかにもインド」という舞台で古典も創作も踊れたことはとても嬉しかったです。
<メンバーのみなさん、そして先生>
Indian Classical Dance
Troupeのみなさんは1人1人とても個性的で大好きな人ばかりです。そして生き生きしている人たちの集まりなので、一緒にいるとパワーをもらえる感じがします。だから約10日間のインド滞在も、とても面白かったです。
先生には本当にお世話になりました。先生には「踊る」ということの喜びを教えてもらいました。インドに行ってさらにパワーアップした先生。みなさんから愛されているのだなぁ、というのがひしひしと伝わってきました。携帯電話が常に鳴り止まなかったですね(笑)。本当に感謝しています。
色々と書いてきましたが、とにかく「未知の体験」づくしのインド公演でした。今回この公演をもって休会する予定だったので、一段とインド公演には力が入っていました。このような形でインドに到着して、インド・カルカッタを飛行機の窓から見た時、言葉では言い表すことができない程の感動を覚えました。そして、それはインドの舞台に立った時も同じです。このようなすばらしい機会を与えてくださった先生、そしてそれを支えてくれたメンバーの皆さんに感謝の気持ちを言い尽くせません。本当にありがとうございました。インド万歳!!
近藤 かね子
また、ふたたびのインド
メンバーの殆どがはじめての参加という中で私は五年前にも参加させて頂いており、今回が二度目になります。先生がいつも言われるように「よりグレードアップした内容で」という趣旨からゆくと果たして私が参加してよいものかどうか迷いました。もう一度あのインドでカレーを食べたいという気持ちもありましたが、前回のインド滞在中に大変親切にお世話して下さったホストファミリーのお母様が体調を崩されているとうかがっていました。お目にかかってぜひ励ませないかしらという期待で、自分の踊りの力量も仕事仲間の迷惑も置いてゆくことにしました。言葉で伝えるのは無理なので千羽鶴に思いを込めようと思いました。友達に声をかけたら一つ返事で承知してくれました。遠く離れた日本で彼女の回復を願って日本の何人かが心を込めて作ったということで思いが伝わり恩返しができるような気がしました。
先生の先生であるママタ先生とお弟子さん、先生のご家族、ホストファミリーの方々との再会は五年という歳月があったにもかかわらず、目が合った瞬間に私の中から血が強く流れ出したのを感じました。私が日本人で遥かインドまで来ているのではなく、ただただ懐かしい場所に戻ってきたという思いでいっぱいでした。こんなに遠い異国に私の知っている人々が変わらず一生懸命生活していて、日本に戻って生活する私と運命のケーブルで結ばれているなんて、なんて不思議な、そして素晴らしいことなのでしょう。日本でも頑張っているよっていつか叫ぶことができる気がします。
インド舞踊を習うことで伝えたいインドの心に二度目のインド訪問で少しは近づけたかもしれないと思っています。また、五十歳にもなって踊りのために私をインドまで行かせて下さった方々に感謝です。ありがとうございました。
清水あけみ
インド公演に参加して
私がインド古典舞踊を始めた動機は新聞でSubha先生の一回目インド公演の記事を見て先生とインドで踊るというのが夢で入会しました。今回その思いがかなって11名の皆さんと共に参加させていただきました。
胸を躍らせてKOLKATA空港に到着、先生のご両親、お姉さまのご家族、Bhomick先生の歓迎を受けてゲストハウスに向かう道路は大渋滞と騒音、その人の多さにびっくり、ゲストハウスに入ってまたびっくり、あまりの凄さに泣きたくなり、その夜は一睡もできませんでした。しかし慣れとは不思議なもので二、三日も過ぎると快適に過ごしている自分に気づいて更にびっくり。チームワークもでき、年齢差も越えて、公演に向け絆も強まりました。
十二月九日、初回の公演は緊張して失敗が目につきました。
十二月十日、RabindraSadan素晴らしい舞台で公演、テレビ局、新聞社等のインタビューではスターになったような錯覚を起こしました。今までこのような素晴らしい舞台で踊ったことがありませんから。
十二月十三日、BirlaSavaghar寺院の大きさに圧倒され、地下の舞台での公演が出来たこと、写真を見て本当にこの建物の中で踊ったのか、今でも信じられません。
忙しい公演の合間にワークショップ、ショッピング、夕暮れのガンジス河遊覧、観光旅行では体験することのできない路地裏を散策できたことに感謝。先生のご親族一同様、ママタ先生、Bhomick先生Das先生、ベンキッタ先生に感謝。
インドの大地、心、風を全身に感じ、これからの舞踊に変化が現れると信じて、シュヴァ先生に感謝、ありがとうございました。
小川さやか
インドでの公演
ずっと長い間夢見ていたインドに着いたのは夕方。入国審査が終わって空港の外に出た頃には、もう外は薄暗くなっていましたが、私の胸は興奮で高鳴っていました。日本で練習していた時から、インドの舞台で踊っているところをよく想像したものでした。スポットライトの熱、観客の視線、速くなる心臓の音、気分の高揚‥舞台芸術をやる人だけにわかる言葉には代えられない感覚です。
私の中で一番印象に残った公演は十三日のビルラサバガルでの公演です。あれほど美しい寺院で踊らせて頂けるなんて、私の想像を遥かに超えていました。そして、その寺院で自分の力を出し踊ることができたので、とても素晴らしい思い出になりました。
大変貴重な経験をさせていただいたこと、そして目標であった「十代のうちに大きなことをやり遂げる」という願いがかなえられたこと。なにより私の指導をとても丁寧に親身にしてくださったシュヴァ先生に感謝しています。このインドでの貴重な経験は私の一生の宝物です。
木下 浩子
初めての海外、初めてのインド
12月7日カルカッタの空港に降り立ち、なんだか懐かしいような近い未来のような、不思議な感覚に陥りました。私にとっては何から何まで初めて尽くしの経験だったのですが、初めての経験はすべて刺激的で貴重な体験でした。中でも私が一番印象深く思い出すのは「ベンキッタ先生のワークショップ」に参加させて頂いたことです。目の前でベンキッタ先生の生徒さんの舞踊を拝見し、自分も習えたことはとても光栄なことでした。小さな可愛らしい生徒さんもたくさんいらっしゃって、当たり前なのかもしれませんが、インドにおけるインド舞踊の層の厚さを感じました。そして自分がその清らかな場にいられる幸せを奇跡のように感じました。
今回のインド旅行では、普通の観光では決して経験できないことを、たくさんさせていただきました。インドで舞台に立てたこと、ウダイ・シャンカール・ダンス・フェスティバルを見学できたこと、ヴァウミック先生の公演を見学できたこと、等々。行く先々で出会った人たちはすべて親切で笑顔が素適でした。先生、そしてご家族、出会った人たちすべてに心から感謝します。
横山 弘子
インド舞踊公演についてはぜひ一度参加したいと思い憧れの地でした。初めてのバンコクの夜はたくさんの夜店の立ち並ぶ中を一目散に歩き、一店舗ずつのぞくと楽しいことも思いながら通り過ごし、少し残念でした。ゲストハウスでは色々とはじめての経験をしましたが、今となっては楽しい思い出となっています。インドの方々の舞踊を直に観ることが出来、その繊細な動きに圧倒され感動いたしました。インドに来られて良かったと実感が湧きました。またベンキッタ先生のワークショップにも参加することが出来て、かわいい子供たちとふれ会ういい時間を過ごすこと等思い出になります。先生の案内によって色々な買い物も出来、特に複雑なインドの香料が入ったタンドリーのエッセンスは日本で若い人のパーティにお出ししたのですが大好評でした。もう一度買って来られたらなあーと残念です。インドの方々は情の深い良い方が多いように思いました。これを機会にインドについて色々勉強したいと思っています。先生には色々御気気配り戴き感謝致しております。ありがとうございました。 |