断腸亭日常日記 2009年 その17

−−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

por 斎藤祐司


過去の、断腸亭日常日記。  −−バーチャル・リアリティーとリアリティーの狭間で−−

太い斜字で書いてある所は99年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年のスペイン滞在日記です。

99年4月15日〜5月11日 5月12日〜6月4日 6月7日〜6月10日 2000年4月20日〜4月29日
5月1日〜5月14日 5月15日〜5月31日 6月1日〜6月15日 6月16日〜6月29日
2001年4月19日〜5月3日 5月4日〜5月17日 5月18日〜5月31日 6月1日〜6月11日
6月12日〜6月22日 2002年4月16日から4月30日 5月1日〜5月15日 5月16〜5月31日
6月1日〜6月13日 2003年4月16日〜5月24日 5月25日〜6月10日 6月12日〜6月26日
2004年4月14日〜5月7日 5月8日〜5月31日 6月1日〜6月17日 2005年3月31日〜4月24日
4月25日〜5月22日 5月23日〜6月16日 2006年4月13日〜5月6日 5月7日〜5月29日
5月30日〜6月19日 2007年4月20日〜5月19日 5月20日〜6月16日 2008年5月13日〜6月16日
2009年1月1日〜2月10日 2月11日〜3月19日 3月20日〜4月16日 4月17日〜4月24日
4月25日〜5月11日 5月12日〜5月25日 5月25日〜6月6日 6月7日〜6月12日
6月13日〜6月22日 6月23日〜7月3日 7月4日〜7月21日 7月22日〜8月6日
8月7日〜8月22日 8月23日〜8月31日 9月1日〜9月15日 9月16日〜9月23日
9月24日〜10月2日 10月3日〜10月13日 10月14日〜10月26日 10月27日〜11月7日
11月8日〜11月15日 11月16日〜11月30日 12月1日〜12月18日

 12月19日(土) 曇 4126

 一昨日辺りから続く群発地震。10日くらい続くかも知れないと気象庁が発表した。

 「12日間の日程でコペンハーゲンで開かれていたCOP15は、最終日の18日、鳩山総理大臣をはじめおよそ130の国と地域の首脳による会合が開かれました。首脳級会合では各国の首脳による演説が行われ、鳩山総理大臣は「われわれは一つの政治合意を作ることに精力的に努力を傾けており、きょうじゅうに採択すべきだ。そうすることが全員参加型の国際的枠組みに向けての大きな一歩を踏み出すことになる」と述べて、各国に歩み寄りを呼びかけました。また、アメリカのオバマ大統領は「温室効果ガス削減の約束が履行されているかを確認し、透明性のある情報交換を行うための仕組みが必要だ」と指摘し、途上国はすべての削減対策について第三者機関の検証を受け入れるべきとの立場を重ねて示しました。これと並行して行われた非公式協議では、▽2020年までの温室効果ガスの削減目標を各国がそれぞれ示すことや、▽途上国の検証の受け入れなどを盛り込んだ政治レベルの合意文書案が示されたのに対して、中国などがすべての削減行動の検証はあくまでも受け入れられないと主張して、協議は進展していません。現地では最終日の夜を迎えて、一部の首脳が帰国の途につくなか 、温暖化対策の新たな枠組みをめぐる交渉はきわめて難しい局面を迎えています。」 ーーNHKニュースよりーー

 数値目標など検証もどうなるか判らない状況だ。自分たちのことしか考えないから決まらない。日本人的な感覚からすれば理解できない。世界では、自然の上位に人間がいる。日本では、人間の上位に自然があると考えるのが素直な感覚なのに…。


 12月20日(日) 晴 34403

 中山競馬場へ行って朝日杯を観ようかと思ったが、火曜日に検査が入っているので持重した。調教などを観てもデータと変わらない結論が出た。自宅でTV観戦。井崎修五郎がいっていたが、ローズキングダムは落ち着いている。2歳馬と思えない。ああいうのを観るとやっぱりパドックで馬が観たかったと思ってしまう。遅生まれの5月10日生まれ。このレースは珍しく2月生まれが多く、それだけこの時期の2歳馬は早生まれの馬が有利ということ。エイシンアポロンなんて1月生まれ。

 レースは、平均より速いペースで進み中段に付けたローズキングダムが楽に4コーナーを廻って外に出して楽勝した。2着には、エイシンアポロン。この2頭は強い。3番人気のトーセンファントムはレース中にかかっていた。そして、右前浅屈腱不全断裂を発症し14着に惨敗した。来年のクラッシックは、牡馬は、ローズキングダムが中心に動いていくだろう。大人のレースで相当な大物を感じさせる。牝馬は、アパパネが中心になるだろうが、距離が伸びてどうなるかは未知数。

 ところで、ローズキングダムについて一つ気になることがある。尻尾だ。他の馬に比べて極端に尻尾が短いのだ。それが非常に気になる。馬券は久々に当たった。ネスカフェ、ゴールドブレンドを飲んだ影響か、違いのわかる男になったのだ。


 12月22日(火) 晴 24694/2

 昨日から検査の準備。食事がレトルトのおかゆなど。ところが昼頃から頭が痛くなり下痢になる。肩がこるというか痛くなるような感覚。病院にTELをしてどうすればいいか訊くも、20時前に再度TELを入れるようにとのこと。19時半からTELを入れるが話し中。20時までに何度もかけるも繋がらず。頭痛と肩こりと下痢でこれで下剤を飲んだらヤバイと思って食事を取ることにした。それからガンガン痛い頭を抱えて寝た。起きたら頭痛は治っていた。朝になって病院にTEL。事情を話して検査を中止にして貰った。20時前にTELを取らなかったのは、急患で死亡した患者の処置が入ったので取れなかったとのこと。風邪の診察で病院に来るようにいわれた。


 12月23日(水) 曇 2003

 体調悪化で、下剤を飲まずに食事して、医者に行った。医者はあれで下剤を飲んでいたら、ちょっとしんどかったでしょう、といっていた。下剤を飲まなかったので体調は回復している。風邪薬を貰ってきたので飲んでいる。検査の方は、年明けに日程を決めることになった。あれほど非道い状態になったのは、久しぶりだった。

 20日の結果。 メキシコDF。ギジェルモ・カペティジョ、口笛、罵声。ホセ・ルイス・アンヘリノ、耳1枚。ダニエル・ルケ、耳なし。


 12月25日(金) 晴 28791/2

 有馬記念の枠順が決まった。今年は、天皇賞・秋やJCの優勝馬、および上位馬が出走しない有馬記念である。当然、3歳馬に注目が集まる。1番人気になりそうなブエナビスタが、1枠2番。菊花賞馬スリーロールスが5枠10番。ダービー2着のリーチザクラウンが、4枠8番。菊花賞2着馬フォゲッタブルが8枠16番。2年前のグランプリホース、マツリダゴッホが4枠7番。天皇賞・春優勝馬マイネルキッツが2枠4番。春のグランプリホース、ドリームジャーニーが5枠9番などとなっている。

 「鳩山由紀夫首相の資金管理団体の収支報告書に虚偽記載したなどとして、東京地検特捜部は24日、政治資金規正法違反の罪で経理担当だった勝場啓二元公設第1秘書(59)=解任=を在宅起訴した。首相本人は嫌疑不十分で不起訴とした。首相は同日夜、都内で緊急記者会見を開き、「検察の判断を重く受け止め、責任を痛感している。国民に深くおわびする」と表明。引責辞任は否定したが、今後の政権運営に大ダメージは必至だ。」 ーーサンスポよりーー

 事業仕分けなどで支持率を保っていたが、首相の指導力が上手く機能しない現状で支持率が50%前後に落ち込んだ。北野大は、理系的な実験をやっている段階で、仮説があっているか、間違っているのか検証して、次の段階に進もうとしている時という。物事の本質を掴もうとするのが理系だから、これからどうなっていくのか見守りたいという事を言っていた。それはそれなりの理論だと思った。


 12月26日(土) 曇 28164

 有馬記念の予想を新聞を観て練っている。本命は、ブエナビスタ以外考えられない。これ自体が間違いかも知れないが、横山典弘とブエナを信じるしかない。前走のエリザベス女王杯3着の負けっぷりが良かった。あれだけ離されていながら2着とは僅差だった。サンスポで岡部幸雄がブエナの乗り方について言っているが、好位でレースを進めるだろう。1枠2番の枠順なら当然そうするだろうと思う。それで結果が付いてこなければ仕方ない。

 展開はおそらくハイペースでリーチザクラウンが逃げるだろう。ミナビランベリやテイエムプリキュアが続き、マツリダゴッホ、フォゲッタブルの後くらいにブエナになるような気がする。少なくても、中段くらいに位置するだろう。そこからインをこじ開けて来れればブエナが勝つ。馬券は、パドックを観てから決めるが、ミヤビランベリ、マイネルキッツ、リーチザクラウン、ドリームジャーニー、スリーロールス、ネヴァブション、フォゲッタブルに流すつもりだ。7頭に流すことになるが、パドックで取捨選択して3頭から5頭くらいに絞れるだろうと思う。

 明日は、阪神の新馬戦でエアグルーヴの子どもがデビューする。どういうレースぶりをするか楽しみだ。勝てば兄のフォゲッタブルが有馬で来そうな気がする。8枠16番は死に目なんだけど。


 12月27日(日) 曇 9208

 中山競馬場へ有馬記念を観に行ってきた。自信を持って切ったドリームジャーニーが優勝してガッカリした。パドックでは、天皇賞の時と変わりがなかったのだ。だから切った。そしたらハイペースで流れたレースで、後方の3頭、ドリームジャーニー、フォゲッタブル、エアシェイディが優勝、4着、3着と入る展開のレースで、好位から2着に入ったブエナビスタは3歳牝馬ながらやはり強い馬。

 「単勝1番人気のブエナビスタは、テン乗りの横山典騎手が新味を引き出し2着に入った。注目された作戦は好位からの正攻法。残り200メートル手前で先頭に躍り出た。結果的にはドリームジャーニーに目標にされる形になったが、初めて後ろから馬にかわされても集中を欠くことなく2着を確保した。「勝った馬が強かった。あれ以上どうするんだ?」。あん上は、パートナーの好走をたたえた。」 ーー日刊スポーツよりーー

 一緒に中山に行っていたFが、天皇賞は左回りで、有馬は右回り。それで右が得意なドリームジャーニーが来たんじゃないかと言った。なるほどと合点がいった。俺もまだまだ甘い。パドックが同じだからといって、それで切るというのは、単純すぎる。馬場や距離、競馬場の廻りを考えて結論を出すべきだったのだ。競馬はいつまで経っても難しい。これが今年の総決算有馬記念だとは。

 勝ったドリームジャーニーの鞍上池添謙一が号泣していた。人目をはばからず。幼い頃から厩舎社会で育った騎手の彼は、有馬記念優勝は夢だったのだろう。そしてそれを見ていた中山の人ごみ中から、「泣きたいのはこっちだよ」と、いう声が聞こえた。これも競馬なのだ。もうすぐ年が暮れる。


 12月28日(月) 曇 14035

 

 「第54回有馬記念(27日、中山10R、GI、3歳上オープン国際、定量、芝・内2500メートル、1着本賞金1億8000万円=出走16頭)ブエナ破ってGP制覇! 中央競馬の総決算レース・第54回有馬記念は、ドリームジャーニーが1番人気の2冠牝馬ブエナビスタをくだして優勝。宝塚記念以来となるGI3勝目を挙げ、史上9頭目となる同一年春秋グランプリ制覇を達成した。有馬初Vの池添謙一騎手(30)は11万観衆からの“イケゾエコール”に涙を流し、ファンと喜びを分かち合った。夕暮れの中山でひときわ小さな馬体が大きく弾む。ゴール前で襲いかかる末脚は女王も容赦しない。俺こそがナンバーワン! メンバー最軽量426キロのドリームジャーニーが、史上9頭目の春秋グランプリ制覇を成し遂げた。

 ゴールを過ぎ、向こう正面まで流していったジャーニーの背の上で、池添謙一騎手の喜びは頂点に達した。天を仰ぎ、雄叫びを上げ、指を1本突き立てた。「今回は負けられないと、自分をプレッシャーで追い込んでいたから」。11万超の観衆からの“イケゾエコール”に胸を熱くしながらのウイニングラン。関係者の出迎えに、こらえていた涙は一気にあふれた。

 出遅れ気味のスタートはいつものこと。後方2番手で、相棒の末脚を最大に爆発させるためのエネルギーを蓄える。故障したスリーロールスと馬体がぶつかるアクシデントにも動じず、外めを回った3〜4コーナーでは他馬と手応えが違った。 「リズムよく走れば絶対に最後は伸びてくれると信じていた。内にブエナビスタがいるのはわかったし、直線を向いたときには、全部かわせると思った」

 先に抜け出したのはブエナビスタ。春2冠の3歳牝馬に1番人気は譲ったが、1着は譲れない。馬場の外から一気に並びかけた勢いのまま、ゴールでは半馬身前に出ていた。 「決めてくれよな」とレース前に池添に声をかけて送り出した池江泰寿調教師(40)は、立ち上がる人垣に阻まれて、ゴールの瞬間を見られなかった。 「隣にいた調教師の先生に『おめでとう』と言われて、ああ、勝ったのか、とやっと分かった」

 池江寿師が助手時代に携わったジャーニーの父ステイゴールドは、98年の有馬記念で3着。母の父メジロマックイーンは「絶対に勝てると思っていた」が2着(91年)だった。 「競馬は血のドラマ。私たちはそれを大事にして馬を育てています。ステイが強くなっていくと実感したのと同じものをジャーニーにも感じていました」 父が01年にラストランの香港ヴァーズでGIを制した地、香港のクイーンエリザベスII世C(4月25日、シャティン、GI、芝2000メートル)に登録するが、来春の目標は天皇賞(5月2日、京都、GI、芝3200メートル)と、宝塚記念(6月27日、阪神、GI、芝2200メートル)の連覇だ。

 今年、再婚して子供が生まれた池添騎手と、11月19日に長男の悠喜君が生まれたばかりの池江泰寿調教師。「血のドラマ」は人馬ともに大きなものだった。09年を最高の形で締めくくった池添騎手&池江寿師、そしてドリームジャーニーは、10年も多くの夢をファンに見せてくれるはずだ。」 ーーサンスポよりーー

 引退するのかと思ったら、メジロマックイーン肌にステイゴールドという晩成の血統なので未だ現役を続けるという。

 「〔1〕枠(2)番からのスタートで、初コンビの横山典弘騎手が選んだのは先行策。“勝ちにいくにはこの作戦しかない”という気合の表れでもあった。リーチザクラウンが引っ張る速い流れにも、5番手のインで折り合い、抜群の手応えで直線を迎えた。場内のボルテージは最高潮に達し、多くのファンはブエナのトップゴールを信じて疑わなかった。しかし、外から同じ勝負服のドリームジャーニーにかわされた。

 「よく走ってくれたよ。あれ以上は…。ドリームジャーニーが強かった」。横山典騎手は勝ち馬を称賛する一方で、パートナーを労った。ブエナはGI舞台で古馬の牡馬との対戦は初めてだったが、かわされてからも食い下がり、2着を死守。先行馬総崩れの厳しい展開を考えれば、強さは十分に示した。松田博資調教師も「力は出し切った。走りには満足しているよ。それにしても(ブエナが)差されたのは初めてだよな」とレースぶりに文句はなかった。

 今春の2冠牝馬は、秋は無冠に終わったが、「このあとはドバイのつもり。馬の回復を見てからやけどな」とトレーナーはドバイワールドカップデー(3月27日、メイダン競馬場、レースは未定)への参戦を明言した。」 ーーサンスポよりーー

 秋に札幌記念の敗戦で凱旋門賞挑戦を断念したが、有馬の結果で自信を持ってドバイに出掛けるようだ。ウォッカが挑戦しても跳ね返されたドバイワールドカップ。ブエナビスタはどうなるのか?鞍上は誰になるのか?横山典弘であって欲しいなぁ。今年の有馬は珍しく2歳チャンピオン同士の1、2着という結果だった。これは記憶にない。


 12月29日(火) 曇 30661

 病院に行く。薬が合わないかも知れないので、変えると言われる。どうなるか。TVや新聞に今年1年の事を色々やっている。

 「イチロー・秀喜・ウッズ…スポーツ名言海外編
 ◇3月23日 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表のイチロー
 「無の境地でいたかったけど、メチャクチャいろんなことを考えた。ここで打ったらオレ持ってるなあとか、今すごい視聴率だろうなとか。そういうことを考えるとあまりいい結果は出ないんですけど、出ましたね」(決勝の韓国戦で決勝の2点適時打を放って)

 ◇7月26日 ゴルフの宮里藍
 「子どものころからの夢がかなった。最後のパットが入った瞬間、いろいろなことが込み上げてきた。時間はかかったが、この4年間はすごく価値あるものだと思う」(エビアン・マスターズで、米ツアー挑戦4年目で初優勝)

 ◇7月28日 日本ラグビー協会の森喜朗会長
 「日本でW杯を開きたいというだけでなく、ラグビーを世界に広めたいと努力してきて、皆さんの賛同を得た。ラグビーにとって歴史的な日だ」(2019年ラグビーW杯の日本開催が決まって)

 ◇8月20日 陸上のウサイン・ボルト(ジャマイカ)
 「自分に『不可能はない』と言い聞かせた。目標は『伝説』になることで、それを目指してやっている」(世界選手権男子200メートル決勝で、19秒19で優勝。16日の100メートル決勝で9秒58で優勝したのに続き、世界新記録を連発)

 ◇9月13日 米大リーグ・マリナーズのイチロー
 「解放された。最高ですよ。達成していく過程がおもしろかった」(9年連続シーズン200安打のメジャー新記録を樹立して)

 ◇10月2日 石原慎太郎都知事
 「(国際オリンピック委員会の)力学について私たちももうちょっと勉強していないと、なかなか難しい戦いが続く」(2016年五輪招致の敗北を受け)

 ◇11月4日 米大リーグ・ヤンキースの松井秀喜
 「最高ですね。この日のために1年間頑張ってきた。何か、夢みたいです」(ワールドシリーズで優勝し、最優秀選手に選ばれて)

 ◇12月11日 ゴルフのタイガー・ウッズ(米)
 「自分の背信行為が妻や子どもたち、多くの人々を失望させた。自分はより良い夫、父、人間となるよう全神経を集中する必要がある」(公式サイトで不倫を認め、無期限のツアー出場自粛を表明)」 ーー讀賣新聞よりーー

 スポーツでは、日本は色々良いことがあった。また文化的な事でも色々素晴らしいことがあった。辻井伸行のバン・クライバーン国際コンクール優勝など。NHKの『旧友再会』を観る。最後の流れていた曲はトム・ウェイツだと思うけど何という曲なのか凄く気になる。


 12月30日(水) 曇 4551

 女優の桜井幸子が引退を表明した。

 「ドラマ「高校教師」の女子高生役などで人気だった女優の桜井幸子(36)が28日、今年いっぱいですべての芸能活動から引退することを公式ホームページで発表した。今年も順調に女優業をこなしていたため電撃的な引退宣言だが、海外留学などの経験を機に「数年間考えた末に」決断したという。病気や結婚ではなく、“人生観の変化”が根底にあるようだ。芸能界にデビューしてから丸20年。女優として順風な芸能生活を送っていた桜井が、突然の引退表明だ。

 この日、所属事務所のHP上にいきなり、「桜井幸子は平成21年末をもちまして、すべての芸能活動から引退する決断を致しました」と記した。

 所属事務所はサンケイスポーツの取材に芸能界引退の事実を認め、「今年秋ごろに本人から申し出があった」と説明。19日に出演映画「ウルルの森の物語」が公開されたばかりだが、本人の意向を重く受け止め、秋以降は仕事の予定を入れていなかった。

 理由について、桜井は「十数回海外の仕事を頂き、また数回の海外留学の経験をさせて頂きました。これらの経験が契機となり、数年間考えた末に今回の決断に到りました」とつづっている。数年間は悩んだ末の結論だったようだ。

 また引退後は「より一層社会的見聞を広め、社会に貢献できる個人を目指し、実り豊かな人生となるよう目標を定め、研鑽に努める」とし、「皆様にはこのたびの私の決断をご理解頂ければ幸いです」。具体的な“転身先”などは不明だが、芸能界や女優業には未練はなさそうだ。

 大人びた美貌と清純なイメージで人気を集め、92年のNHK朝の連続テレビ小説「おんなは度胸」のヒロインを好演。93年のTBS系「高校教師」では真田広之(49)演じる教師と禁断の恋に落ちる女子高生を演じて大ブレークした。

 今年もNHK連続ドラマ「コンカツ・リカツ」の主演や、映画「ウルル−」など仕事は順調だった。私生活では03年12月に音楽プロデューサーと結婚したが、06年4月に離婚している。

 桜井は大手芸能事務所サンミュージックからデビューし、約十年前まで所属した。覚せい剤事件で有罪となった酒井法子(38)と同じ事務所だが、同事務所が育てた人気者が同じ年に、まったく別の形で芸能界を去る形となった。」 ーーサンスポよりーー

 麻薬で逮捕されたりして引退するよりは、こういう引退の仕方の方が印象に残るのは何故だろう。山口百恵が未だに印象に残っているのは、その存在の大きさもあるが、辞め方にも理由があるはずだ。明日盛岡に帰る。体調が悪いのか良いのか判らない状態。向こうは天気予報では、雪になっている。

 27日の結果。 メキシコDF。ウンベルト・フロレス、耳なし。カペア、耳1枚。ギジェルモ・マルティネス、口笛が2回。モレニート・デ・アランダ、口笛。 カリ(コロンビア)。ミックス闘牛。闘牛士、パコ・ペルラサ、耳1枚。ゲリタ・チィコ、口笛。騎馬闘牛士、アルバロ・モンテス、耳2枚。

 28日の結果。 カリ(コロンビア)。ディエゴ・ゴンサレス、耳なし。フリ、耳1枚ともう1枚要求、耳2枚。ペレラ、耳なし。


 12月31日(木) 雪 31901

 仙台で乗客の大半が降りてガラガラになった新幹線。『競馬ブック』の横山典弘と内田博幸の新春対談を読んでいたら、いつの間にか外は雪景色。まるで雪が舞っているようにかすかに降っている。盛岡についてホームに出ると寒い。エスカレーターを降りていくと両親が待っていた。弟は大晦日で仕事が伸びて来れない。駅で買い物をしてタクシー乗り場に行くと雪が激しくなっていた。雪はシンシンと降る。

 ボサマ(盲目の津軽三味線門付け芸人)だった竹山が地吹雪の中を津軽三味線で門付けをして家々を廻って歩きながら何を思っていたのだろう。編み笠に蓑を付けて裸足にわらじの姿で…。凍え死にそうな絶望的といっていい状況なのに…。僕が小学生の頃には、三味線かどうかは忘れたが、めくらが門付けをして廻っていたように記憶している。異様な光景は子供心に怖かった。大人達も忌み嫌うものに映っていたのだと思う。しょうがなしにお金や物を与えていたように思う。そういう中から、三味線一つでコンサートを開けるようになり、TVにも出るようになると、竹山の三味線の音色に感動する人たちが増えていった。

 僕もそんな1人で、岩手県民会館の大ホールに高橋竹山を聴きに行った。『津軽じょんがら節』だったと思うが、あの三味線の音には背中がゾクゾクして、腕だけじゃなく背中にも鳥肌が立ったのを覚えている。あれこそ「しびれる」ということなのだ。あんな事は後にも先に初めてだった。「渋谷のジャンジャンで火が点いて定期的にコンサートをして若者の心を捉えて津軽三味線ブームの先駆けになる。新藤兼人監督の『竹山ひとり旅』という映画も作られ86年アメリカ公演では、ニューヨーク、ワシントンDCなど7都市10公演が世界的に評価されるきっかけになった。ニューヨーク・タイムズは、「まるで魂の感知器ででもあるかのように、聴衆の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」と最高の賛辞を贈った。

 竹山は明治43年6月18日青森県中平内村(現在の平内町)小湊生まれ。本名高橋定蔵。3歳の時に麻疹(はしかのこと)をこじらせて半失明する。その後近所のボサマであった戸田重次郎から三味線と唄を習い17歳頃からボサマを始める。昭和13年イタコ(恐山などで死者の霊を呼び、自分の口を介して霊の言葉を口移しにして伝えるめくらの巫女)をしていたナヨと結婚。戦争激化でボサマでは食えなくなり昭和19年鍼灸師とマッサージ師の資格を取得して芸の世界から一時身を引くが、昭和25年津軽民謡の神様と呼ばれた成田雲竹の伴奏者として各地を興行。その際に雲竹より『竹山』の芸名を受ける。昭和29年雲竹と共にラジオ青森の民謡番組に出演。当時の津軽民謡には三味線伴奏の付いたものが少なく、『津軽じょんがら節』『津軽よされ節』『津軽小原節』のいわゆる『津軽三ッ物』にくわえて『津軽あいや節』ほどでしかなかった。成田雲竹は高橋竹山に対して、伴奏のみならず他の津軽民謡に三味線伴奏を付けるように依頼。以降雲竹の作詞作曲した『りんご節』など、雲竹、竹山のコンビで多くの津軽民謡を発掘・制作し発表した。
 昭和38年キングレコードより史上初のLPレコード『源流・高橋竹山の世界〜津軽三味線』を発売。これによって竹山の名は津軽三味線伴奏者としての名声を得る。」 ーーウィキペディアよりーー

 演奏の合間に竹山の三味線ををチューニングしながら木訥(ぼくとつ)とした津軽弁がまた良かった。津軽三味線はチューニングから演奏が始まるのだがそれと喋りが重なっているところも竹山らしい素朴な田舎者という感じで好感がもてた。津軽弁は殆ど言っていることが判る。イタコの口移しを訊いたときも全く違和感なく訊けた。何故なら南部弁とあまり変わらないからだ。

 「平成5年妻ナヨ死亡。平成10年2月5日喉頭癌により(出生の地)平内町立中央病院にて死亡。享年87。戒名「風雪院調絃竹山居士」。晩年は衰えを自覚しながらも現役を退かなかったが、内弟子として師事し最後まで演奏活動を共にした竹与に二代目高橋竹山の名を譲った。他にも弟子はいたが、竹与だけが教授活動を一切せずに生活していたことを認め、その行く先を心配してのことであった。」 ーーウィキペディアよりーー

 外は雪が降っている。八幡平では、吹雪のために通行止めになっている。両親はもう寝て弟と紅白を観ながらバーボンを飲んで話している。「風雪院調絃竹山居士」か。北島三郎が歌った『風雪ながれ旅』は竹山がモデルだ。竹山は死ぬまでボサマだったことを忘れてはいなかったのだ。年の暮れに雪を観ながら竹山を思う。


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