台湾日記  2005年6月〜
 
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7月17日
台湾国民党主席選挙
○ 昨日、台湾の最大野党である国民党の主席選挙で、馬英九台北市長が、約7割の得票率で圧勝した。「台湾独立反対」を主張してきた馬英九市長は、2008年の次期総統選挙での総統就任を目指すことになる。

○ 馬英九市長は、外省人(中国大陸出身者とその子孫)で、国民党の政治エリート。ハーバード大学博士号をもち、英語を流暢に話す。98年の台北市長選では、現職だった陳水扁総統を破っている。映画俳優のようにハンサムで、マラソン大会に出場したり、夜市に出かけたり、パフォーマンスも上手く、今でも台北市で人気投票すれば、陳総統より強いだろう。ただ、南部や非都市部にいくほど、そのハンサムなルックスと英語好きが、「きどっている」とみられるらしく、人気がなくなっていく。台湾語をたどたどしく話す。

○ 僕が台湾にいたときの印象でいうと、まず、非常に丁寧。陳水扁総統が馬市長を非難するときは、「馬は、..」と呼び捨てにしたりするが、馬市長は、陳水扁総統のことを政治的に非難するときでも、「陳水扁総統は、..」と丁寧に呼んでおり、市民に好感されていた。また、そんなに票にならないと思われる日本人学校のイベントにも来たりしていて、マメだなあと思った。連戦前主席にも、世代交代をやかましくいわず、丁寧に接していたと思う。

○ 行政能力については、不安感がある。台北市では、SARSの拡大があったし、水不足と洪水が一年おきに起こったのは、まずかった。馬市長自身の判断ミスとも見えなかったが、ギリギリの場面で、政治的決断によって行政組織をリードできずに、被害を拡大させたようにみえた。ただ、総統となれば、スタッフや行政組織ももっとしっかりしているだろうし、問題ないのではないだろうか。少なくとも、今の陳政権より行政能力が劣るとは、ほとんどの台湾の有権者は、思わないだろう。

○ 08年の次回総統選についていうと、以前にも書いたとおり、僕が「うす青の本省人」と呼ぶ、本省人の弱い国民党支持者をどう取り込むかが鍵になると思う。台湾社会を支える企業経営者の多くが、この「うす青の本省人」だからである。(これについては、ココなどで、かなり長く書いた。)

○ また、次回総統選で気になるのは、与党民進党側で、陳水扁総統の後継者といえる強い候補がいないことである。少なくとも、馬市長ほどの強い印象のある政治家は、いない。

○ 最後に思うのは、馬市長というのは、現政権を担っている本省人にとっては、異なるエスニックグループであるが、丁寧で、且つ、それほど大胆なことをできない印象があり、政権を担当させてもそれほど危険ではないと思われている。これは、李登輝氏が総統就任前に、当時政権側であった外省人に与えていた印象と同じだろう。外省人は、今、みんな、「李登輝にだまされた」と言っている。台湾の人は、馬市長が李元総統のように、手のひらを返したような大胆な政策を実行できないと決めてかかっているようだが、僕のような外国人には、どうも確信がもてない。李登輝氏は、「台湾民主主義の父」であり、彼のとった政策は現実的にやむを得ないものだったと、僕は思う。しかし、政治家の一貫性について常に疑問符が残ってしまうのは、台湾の悲哀なのかとも思う。


7月6日
5票差
○ 郵政民営化法案が衆院本会議で、わずか5票差で可決された。与党の自民党から反対、欠席、棄権など大量の造反者が出たので、小泉首相の求心力の低下などが報じられている。しかし、僕には、どうも、この5票差という票差が余りに絶妙すぎて、まだまだ自民党も、ぶっつぶれないのではないかと思い直してしまう。

○ 激しく対立していて、みんなアドリブでやっているのだけれども、結果的には、考えつくして行われたような繊細な結論になっているとき、その組織の寿命は、まだ長く残っていると思う。結果的に絶妙な落としどころになるというのは、メンバー全員が、なんらかの共通の価値観を共有しているからであり、また、互いに他のメンバーの行動についておおよその予測がつくからだと思う。

○ 反対に表面は平和で仲良くやっているようだけれども、ちょっとしたハプニングによって結論が悪いほう悪いほうにいってしまうときは、意外に組織の寿命は、短い。おそらく、平和すぎて、価値観の共有や、不測の事態に対する互いの行動の予測が深まらないからだろう。

○ 自民党も、伝統芸である、腹芸の能力や、あうんの呼吸による調整の技芸が衰えておらず、まだまだ寿命が残っていそうである。今回の政策のよしあしは、人により意見が違うだろうが、いずれにしても自己変革能力があることを示しているのは、間違いない。小泉氏の本意か不本意かはしらないが、郵政民営化が本当に実現されるようなら、自民党は、ぶっつぶれまい。


7月4日
試論 インターネットの法則2
○ インターネットビジネスは、サービス業である。
インターネットビジネスを製造業と勘違いしている人が多い。インターネットは、この15年程で出てきた新しい技術だけに、そこでのビジネスというと、技術志向となりがちで、製造業としてのアプローチをしがちである。しかし、革新的といわれる技術は、この数年、ほとんど出てこないし、出てきたとしても、それは、比較的短期間に競合者が、容易に似たような結果を別の手法でできるものが多い。この点では、全く他社の追随を許さない日本の製鉄業の技術とか、ボーイングとエアバスの飛行機の技術とは、違っている。

○ インターネットは、既に普及してしまっており、いまや、技術よりもサービスの質が問われている。インターネットという新しいツールを使う中で、消費者がどういうサービスに便利だと思うか、気持ちいいと思うか、そういうことを見つけ出し、実行する方法の競争が今、行われている。最近のインターネットビジネスでの成功例でも、ユーザーのニーズを上手くくみ出した点に革新性があるもので、技術的な革新性があるものは、少ない。ブログにしても、トラックバックなどが思った以上に便利だというだけで、それを実行する技術的な困難さは、たいしたものではない。

○ サービス業一般にいえることだが、サービス業が厄介なのは、製造業と違って、質の高いサービスを提供しようとすると、多くの人に提供できなくなる。多くの人に提供できなければ、巨額の利益を産むビジネスを創り出すのは、難しい。極端な例では、こういう質の高いサービスを受けられるのは、限定された自分たちだけだという希少感が顧客満足の重要な要素を占めるときがある。この場合、本質的に、このサービスの量の拡大には、限界がでてくる。例えば、アパレルのブランドビジネスなども、この希少性による顧客満足と、規模の拡大という、矛盾する目的で悩むことになる。ユニクロの今の悩みは、これだろうし、多くの海外ブランドが上場しないのも、不断に規模の拡大と成長を要求されるのを避けるためである。

○ 結局、インターネットビジネスがサービス業である以上、高い品質のサービスを大量に提供する方法を見出した人は、競争に勝て、成功する。それが、Amazonであり、Googleだったといえるだろう。これからも、もともと品質と規模が矛盾するサービス業において、その矛盾を技術かアイデアか根性で解決した人が、インターネットビジネスで成功するのだろう。(続きは、しばらく、間をおいてから書きます。)


7月3日
試論 インターネットビジネスの法則1
○ インターネットとテレビの融合などというのが世間で議論されているので、僕なりに、メディアとしてのインターネットについて考えてみた。まだ、体系だってまとまってはいないが、いくつかの思いつきを書き留めておこうと思う。いわば、建物の基礎工事というか、あるいは、その基礎工事のためのボーリング調査のようなものである。

○ インターネットは、強力なCtoBツール。テレビは、最強のBtoCツール。
インターネットビジネスを語るときに、よくBtoB、BtoCという区別がされた。それは、もともとインターネットの分野内での区分だったのだが、BtoCという言葉の印象が強くて、インターネットが企業から消費者にメッセージを伝える新たな強力な武器であるような気になっていないだろうか。

○ しかし、通信手段としてみた場合、インターネットは、消費者からビジネス側への上り通信、つまりCからBへの通信で強力である点が、最大の特徴である。実は、BからCへの通信手段としては、インターネットは、それほど強くない。BtoCビジネスなどといって、ホームページをいくら熱心に作っても、たいていの場合、誰にも見てもらえず、他のメディアで広告を打たなければならないほどである。

○ これに対して、テレビは、最強のBtoCツールである。企業側が消費者に対してメッセージを伝えるときに、テレビほど、多くの人に、同時に、且つ、深い影響を与えるメディアは他にない。この点において、インターネットは、テレビの百分の一以下と言っていいだろう。一方で、テレビには、上り通信がない。テレビでの双方向通信なども出ているが、ほとんど実験の域を出ていないし、電話線やインターネットの助けを得ている。消費者側から企業への情報送信について、つまり、CtoBの通信で、テレビは、インターネットに勝ち目はない。

○ 上り通信(CtoB通信)について、テレビが弱く、インターネットが強いことを示す良い例が、ショッピングである。テレビショッピングにおいて、テレビは、逆立ちしても受注ツールになりえず、電話かインターネットで受注せざるを得ない。つまり、CtoB通信では、テレビは、無力である。一方で、これまで電話での受注がほとんどだったカタログ通販において、今ではインターネットでの受注が数十%も占め、さらに伸びている。上り通信のツールとしてみたとき、これまで最強であった電話と比べても、インターネットは、消費者にとって、多くの情報量を、確実に、そして、恥ずかしくなく(心理的抵抗感が少なく)企業側に伝える最強のツールなのである。

○ インターネットがテレビを駆逐して入れ替わることはない
上記のように、大量の人に深い影響を同時に与えることについては、インターネットは、テレビにかなわないし、テレビは、インターネットの得意とするの上り通信ができない。これほど対照的ともいえる特徴をもったテレビとインターネットというメディアが代替することは、ないだろう。

○ CDがレコードを駆逐したように、同じ機能を担ったものであれば、代替することもあるだろうが、著しく違った特徴をもったメディアが代替することはない。テレビが普及したからといって新聞が駆逐されなかったのと同じだ。

○ また、完全な意味での融合もないだろう。テレビと新聞が、新聞のテレビ欄以上の融合が見られないのと同じことである。ただ、紙媒体の漫画からテレビのアニメーションへ、劇場映画からDVDへと行われているように、コンテンツの種類によっては、同じコンテンツが、メディアを変えて2次、3次利用されることは、ありえると思う。
(次回に続く)


6月29日
テキサスとちょんまげ
○ 前回の、ネクタイとチョンマゲで思い出した話がある。僕が、15年ほど前にテキサスに住んでいたときのことだ。地平線のかなたまで広がる荒野に、例のきつつきのような古ぼけた石油くみ上げ機がゆっくりと動いてぽつんぽつんとたっているような田舎だった。当時、ニューヨークや、ロスの都会のアメリカ人は、日本のこともかなり知っており、箸を使える人もいたようだが、田舎では、全く日本のことなど知られていなかった。

○ そこで、日本文化に興味を持ち始めたテキサス人と仲良くなった。彼に、ビデオで、大岡越前だか、金さんだかの時代劇を見せてあげるとたいそう喜んだものである。時代劇を見終わった後、彼がまじめな顔で聞く。
「このヘアースタイル(チョンマゲ)をしている人は、まだ、日本にもたくさんいるのか?」
僕は、飲みかけのビールを吹き出してしまった。
「これは、百年以上も前の話だから、同じファッションの人がいるはずないじゃない。いまは、相撲レスラーとか、古典劇の人しかチョンマゲは、しないよ。」
と、言った。そんなはずないじゃない。といった微かに嘲笑するニュアンスが顔にでてしまっていたかもしれない。
そのテキサスの友人がむっとしたように、反論してきた。
「だって、お前、ここらあたりでは、100年前と変わらずカウボーイのカッコをしたやつが一杯いるぜ。カウボーイハット、でっかいバックル、先のとがったシューズで歩いている人は、ショッピングモールに行きゃいっぱい歩いてのは、お前も知っているだろう。」
これには、全く、反論できなかった。実際にそういう人は、テキサスに多かった。60歳をこえるおじいさんでも、20歳代のおにいちゃんでも、そんな格好をしていた。

○ そう、アメリカの国土のほとんどを占める田舎には、100年前のカウボーイと変わらない格好で町を闊歩し、今の日本人もチョンマゲをしているかも知れないと思っているような人がたくさんいるのだ。そういうテキサスからでてきたのが、今のアメリカの大統領でもある。


6月28日の2
クールビズは、暑い
○ ノーネクタイ、上着なしで、空調を28度に設定という、「クールビズ」が、僕の職場でも行われている。最初、この話を聞いた時、ネクタイが大嫌いな僕は、大喜びだった。しかし、始まってみると28度というのは、けっこうつらい。クールビズは、暑い。

○ 空調が切られる土日にビル全体が暖まってしまっているからか、月曜日の職場は、特に暑く感じる。シャツにじとっと汗がしみていくのが分かる。昼食や外出から帰ってきたときなど、少し体を動かした後、席についてデスクワークを始めると、汗が鎖骨の辺りから胸のほうに肌を伝わり落ちていくのが感じられたりする。お、お、つたってる、つたってる。と、汗の玉のありかが分かるほどだ。あるいは、肩甲骨あたりから背中をつつーとつたうのが分かる。なかなか気色悪い。ネクタイもいやだが、28度もいやだというとわがままだろうか。

○ もともと、僕は、ネクタイを本当に馬鹿げた風習だと思っている。大陸の西の端で始まった妙な因習が20世紀に世界中に広まってしまった。暑いし、苦しいし、動きにくいし、頭の血の巡りも悪くなるし、全く実用的でない。おまけにカレーや、ラーメンの汁がついたりすると腹立たしいことこのうえないではないか。

○ 例えば、100年後の世界の人が20世紀の人々の暮らしを映像で見たときに、ネクタイは、非常に不思議な風習に見えるにちがいない。今、中国の辮髪や、日本のチョンマゲを奇妙なファッションと感じると同じだろう。クールビズなど関係なしに、ネクタイなんて風習は、早くなくなればいいのに。


6月28日
ブログ:らくちんのつれづれ暮らし
○ ブログを始めました。タイトルについては、ずっと「ニッポンつれづれ」にしようと思っていたのですが、ちょっと大げさすぎる気がしたので、今のところ「らくちんのつれづれ暮らし」というタイトルです。どちらがいいか、読者のご意見もお聞かせください。

○ 日本に住んでいるのに「台湾つれづれ」というのも、いかがなものかということで、タイトル変更をし、そのついでに、ブログに変更したといったところです。

○ 少しの間、この台湾日記と同じ内容で重複させようと思っています。その後、ブログの方を主にし、台湾に関するエッセイを書いたときだけ、このホームページ「台湾つれづれ」にも同時にアップしようと思います。

○ 日本に戻ってから更新頻度が減っていましたが、これを期に、もうちょっと頑張ろうと思っています。今後ともごひいきに。


6月27日
台湾の対中投資の減少
○ 台湾の対中投資が、大幅に減少している。6月21日の日経新聞で次のように報道された。

○ 台湾の対中投資が3割減、ベトナムなどに分散
外資の中国進出の先陣を切ってきた台湾資本が対中投資を減らしている。台湾当局が1―5月に認可した対中投資額は前年同期比で3割近く減少した。中台関係の緊張や人民元切り上げなどのリスクを嫌い、ベトナムや台湾域内に投資先を振り替えている。台湾の対中投資は2000年から5年連続で増加してきたが、転換点を迎えたようだ。
 台湾の経済部(経済省)が20日まとめた1―5月の対中投資認可額は約19億6400万ドル(2130億円)と同28.7%減少。地域別では江蘇、広東、浙江、福建の上位四省向けがそろって25%を超える減少となった。
 業種別では投資全体の43%を占める「電子電器製造業」が同39.8%減少したのが目立つ。経済部は「台湾企業の対中投資は2004年11月ごろにピークを超えた」(投資業務処の欧嘉瑞処長)としている。


○ まず、もともと、台湾の対中投資が過小評価されがちなことに気をつけるべきだろう。上記の統計数字にしても台湾当局の投資認可額であり、実際には、その何倍もの規模でケイマン諸島などを経由して台湾から中国に投資されている。それを含めて、メディアでは、中国政府に遠慮してか、台湾の投資の規模の巨大さと中国での経済発展への大きな貢献度をちゃんと報道していない。貢献度を知らないと、その急減によるダメージの震度が分からず、結局、気づくのが遅れ市場に対してネガティヴなサプライズになるのではないかと心配している。

○ 僕は、丁度一年前に(04年6月23日「台湾企業の中国投資」)、03年下半期から台湾企業による中国投資の増加速度が減退していることを、書いていた。今回は、増加率の減少ではなく、投資額の減少で、ますます台湾の対中投資への消極姿勢が強くなっている。

○ 台湾企業の対中投資が減少した理由は、電力不足、人件費の高騰、中台関係の政治的緊張、生産拠点の移転のし尽くし(特に電子産業)などだ。中台関係の緊張については、具体的には、奇美グループへの中国当局の嫌がらせなどが影響したのではないだろうか。

○ もう一つ最近思うのは、ミャンマー、ベトナムへの投資に振り替える例が多いことだ。中国当局は、沿海部の開発から徐々に内陸部の開発に、海外からの投資も振り向けようとしている。しかし、沿海部に出尽くした海外投資は、中国の内陸に向かわずに、中国以外に向かっている。もしそうなら、中国の沿海部と内陸部の経済格差が広がってしまう。だから即ち、中国の崩壊だというのは、短絡に過ぎるが、用心して様子を見たほうがいいだろう。


6月25日
株主総会と時間どろぼう
○ 昨日6月24日は、日本の株主総会の日だった。どこの会社も一斉に株主総会をするので、丸の内、大手町辺りには、黒塗りの車があふれた。その中にはグレーのスーツを着た難しい顔をしたおじさんたちが乗っている。年に一度のこの風景を見ると僕は、ミャエル=エンデの「モモ」にでてくる「時間どろぼう」を思い出す。その気持ちは、3年前に書いたときと変わらない。(「時間どろぼう」02年6月26日

○ そのとき、次のように書いた。
10年前に黒塗りの車に乗っていた人々こそが、日本の失われた10年という時間を盗んだ「時間どろぼう」かもしれない。さて、今の日本に「モモ」は、現れるのだろうか。

○ 日本では、結局、時間どろぼうを退治しようとしたのは、純真なモモとは対照的な、どろぼうさんよりも狡猾な「株主」だったようにみえる。


6月21日
貿易摩擦天井
○ アメリカとの貿易摩擦で中国が今直面しているのは、日本が70年代〜90年代に味わった「貿易摩擦天井」とでもいえる現象だと思います。

○ 教科書などでよく言われるように、戦後から1960年代にかけての日本は、景気が良くなると輸入が増えて国際収支が悪くなり、国際収支が悪くなると景気引き締めをせざるを得なくなる。こうして持続的な成長がなかなかできない「国際収支天井」に悩まされました。

○ その後、輸出競争力がつき「国際収支天井」を解消したと思ったら、今度は、逆に、貿易黒字が引き起こす様々な問題に直面します。競争力をつけた輸出を軸に経済が成長すると貿易摩擦がひどくなり、貿易摩擦がひどくなって強引に輸出を抑えると、輸出依存の経済体質になっているだけに、すぐに景気が悪化します。さらに、円高政策、ひずんだ形での規制の強化と自由化、不自然な金利政策などが行われ、経済状態が混乱し停滞します。70年代以降の日本は、こういう、「貿易摩擦天井」に悩まされてきました。(なお、「貿易摩擦天井」ということばは、どこかで見たように思いますが、検索してもでてきませんでしたので、筆者の造語のようです。)

○ 失われた10年と言われる経済の不調の多くの原因も、遡れば70年代からの度重なる急激な為替変動、無理のある低金利、ひずんだ形での金融自由化などであり、よかれあしかれ、何らかの形で貿易摩擦と関係があったといえるでしょう。

○ 貿易摩擦の激しさは、煎じ詰めれば、情緒的ともいえるアメリカ世論の温度の変化によります。また、アメリカの安全保障政策における日本の位置付けによって風当たりも変わります。いずれにしても、貿易以外の日本ではどうにもならない要因により、激しさが急に変わります。しばらく何も言わずに静かにいるかと思うと、急に御無体な要求がでてきます。そして、こういうときのアメリカ要求というのは、こちらの面子を立てて引きやすくするというようなことは一切省みず、こちらの鼻っ柱をへし折るように譲歩を迫ってきます。

○ 変化が急なので、それに対応するために必要以上に多くの社会的資源を使うことになり、たとえ本来は正しい政策目標であっても、効率の悪い政策遂行になります。結局は、急発進、急停車が多く、乗り心地の悪い経済運営にならざるを得ませんでした。これは、30歳代後半より年長の今に生きる日本人の共通実感でしょう。

○ 「貿易摩擦天井」がやっかいなのは、発展途上国が「国際収支天井」という問題を解消するために必死で身につけた「輸出競争力」がそのまま、「貿易摩擦天井」という問題の原因になってしまうことです。言い換えると、日本に限らず経済発展をする国は、「国際収支天井時代」を経て、必然的に「貿易摩擦天井時代」に至るということになります。

○ これに悩み始めたのが今の中国ということだと思います。そして、インドには、「貿易摩擦天井」の予兆が出始めているといえるかもしれません。いずれにせよ、安全保障上の理由などで一時的に鎮静化することはあっても、長期間にわたり、反復して、急にご無体な要求を突きつけられる事態が続くのではないでしょうか。それを辛抱しながら解決しなければいけないのが、高度成長期に甘やかされて育った世代の人々になるところも、日本と同じくつらいところです。


6月19日
上海と台北
○ 上海と台北に出張してきました。

○ 上海行きの飛行機は、反日デモ直後は、8割くらいの席が空いていたようですが、先週では、ほとんど埋まっていました。街に出ると、上海は、相変わらず華やかでした。僕には華やか過ぎて、最近では、仕事が終わるとすぐホテルに戻ってしまいます。

○ 上海で、感じる変化といえば、製造拠点を作る外資を当局側がもろ手をあげて歓迎していたのが、最近では、どちらかというと高度なサービス業などに関心が向き始めています。世界の工場などといわれていい気になってみたものの、結局、環境は破壊されるし、公有資産は毀損するし、その割には、独自の製造技術はなかなか育たないし、思ったほどいいことではないと思う人が増えたのではないでしょうか。僕は、それでも、外資の工場での経験は、地元の技術のレベルアップに貢献すると思うのですが。

○ 台北には、2月に日本に帰国して以来初めて行きました。懐かしかった。街行く女性のファッションセンスがますます日本と変わらなくなっています。僕は、舗道をきれいにしたのが利いていると思います。舗道がきれいになると、スニーカー以外のヒールもはく、ヒールをはけば、パンツだけでなくスカートもはき、カジュアルだけでなくシックなきれい目ファッションを楽しみ始める。僕は、ジーンズとスニーカーを颯爽ときこなす台湾女性も好きなのですが。

○ 台湾の経済は、好調。下げていた株価も、この数週間に上昇し、みんなたちまち元気です。とはいえ、洪水とか、毒混入事件とか、テレビのニュースは、相変わらずにぎやかなようです。


6月7日
タイ在住日本人のサッカー応援
○ 真偽の程は、定かではありませんが、楽しい噂を聞きました。8日に北朝鮮との試合がタイで行われます。ホテルの大きな部屋にタイ在住日本人が集まってテレビで見ながら応援します。その会場に、サロンパスが配られるそうです。そこで、みんなは、赤のマジックで真ん中に丸を書き入れ、日の丸をつくり、体のあちこちに貼って応援するのだそうです。確かに、ペインティングには、タイでは入手しにくいであろうそれなりの道具もいるし、また、後できれいに剥がすのも大変です。サロンパスならカンタン。

○ メーカーさんは、薬事法上の効果が出なくなる恐れがあり、歓迎しにくいでしょうが、いいじゃないですか。お役人様も本日ばかりは、お目こぼしくださいまし。


6月6日
理想の日本代表
○ バーレーン戦にも勝ったし、そろそろ言いたい放題ということで、らくちんが勝手に希望するワールドカップ本選での先発案を書いてみましょう。

FW:久保 
攻撃的MF:小野、中村 
サイド:三浦(左)、稲本(右) 
守備的MF:福西、中田ヒデ 
DF:松田、中沢、田中(茂庭、または、坪井?)
キーパー:楢崎
ジョーカー:大黒。後半途中で、点を取りにいくときに、小野か中村と替える。

○ FWは、調子の波があるので、そのときにJリーグでどれだけ点をとっているかというのも参考にするべきだと思います。鈴木にこだわるのは、やめてもらいたい。FWたるものボールをもらうときは、ゴールを背にもらうのではなく、大黒のように半身でいるべきです。

○ 中盤ですが、アジア予選より守備的にならざるを得ず、小野より中田に守備力があるので、小野が2列目、中田が3列目というのがいいと思います。それに、中田は、主張が強すぎて結果的に周囲とのコミュニケーションが低下する危険があるので、中田にもまともにくってかかれる福西と組ませるのがいいかと。小笠原が出せないのが残念ですが、いつも上記全員が出られるわけではなく、きっと先発出場のチャンスはあると思います。

○ 稲本の右サイドというのは、彼本来のポジションではありませんが、スパッと相手を抜くというよりも、相手とぶつかりながら戦車のように右サイドを上がり、それでも、正確なクロスを上げることを期待します。三都主は、守備力の向上が必須ですし、攻撃力も今のままでは世界で通用しそうもなく、普通であればベンチ入りも難しいところでしょう。左サイドは、若いヴェルディの相馬あたりが出てきてほしいところですが現状では三浦でしょう。こうすると、守備に回るMFは、三浦、福西、中田、稲本となり、人には負けにくい布陣になるでしょう。遠藤は、ベンチに必ず入れておき、調子の悪い人と替えるべきです。

○ DFの宮本は、アジアではともかく世界にでると、1対1で通用しないと思います。松田が出てくればいいのに。そうすると、セットプレーでも、ヘディングに強い、久保、中沢、松田、福西、稲本あたりが飛び込むことになりなかなか迫力がでそうです。田中は、最近パッとしません。第二の中沢が出てこないかしらん。

○ キーパーは、川口もいいですが、安定感のある楢崎の方が僕は、好きです。キリンカップの2点は、楢崎なら防げたかも、と思うのは、僕だけではないでしょう。

○ まあ、こんな好きなことを言っているのは、北朝鮮戦に油断しているからに他なりません。実際、今度の水曜日に日本が北朝鮮に負け、バーレーンがイランに勝つと、とたんに、日本が不利な状況に陥ります。選手の皆さんは、らくちんのようにのうてんきでないことを祈るばかりです。


6月4日
バーレーン戦
○ やりましたね。予選は、結果が全て、大満足です。それに、中東に住んでいる知り合いが日本サッカー協会のお手伝いをしており、今回は、間接的に日本代表の直前の情報などが入って、よりたくさん楽しめました。

○ ところで、小野が怪我をする前に、ジーコ監督も「フォワード中田」のフォーメーションを試していたようです。僕は、2年近く前の03年9月10日に、「フォワード中田」と題して、そういうオプションも用意するべきだと述べています。 (ココ)少し自慢したいところです。エヘン。ただ、今の日本代表と中田ヒデの状況をみると、中田ヒデは、守備的MFの方が機能するように思えますね。

○ 聞いた話ですが、日本代表のスタッフのほとんどが、鈴木隆行と三都主のレベルが落ちていること、大黒の体が抜群にきれていることを認めているそうです。唯一神様ジーコだけが鈴木と三都主の起用にこだわっており、いくら周囲が言っても替えようとしないそうです。バーレーン戦では、さすがに、神様も鈴木は、引っ込めたようですが、やはり三都主は起用され、相変わらずバカっぽいプレーを続けていましたね。アジアでも彼の守備は狙われているくらいなので、ワールドカップ本戦では、全く通用しないでしょう。

○ 日本代表クラスで、世界で通用する選手を見るとボランチばかりです。中田ヒデ、稲本、福西、中田浩、遠藤、小野、戸田、阿部…ボランチだけで1チームできるほどです。これは、日本のサッカー界の体質の問題かもしれません。ボランチというのは、守備も攻撃もでき、チーム全体のバランスをみて手薄なところ埋めるべく献身的に走りまわってポジションを上手くとる。重要な役割です。しかし、別の言い方をすれば、点をとるとか、相手のシュートを最後に止めるというフィニッシュのエキスパートでは、ありません。こうしてみると、日本にボランチが多いのは、文化と社会の反映か、ともサラリーマンの目からは、思えてしまいますね。


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