台湾日記  2005年1月〜
 
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2月12日
日本、北朝鮮に辛勝
○ ちょっと書き遅れましたが、9日に、日本が北朝鮮に2-1で辛勝しました。いやあ、しびれましたねえ。ジーコジャパンというのは、本当に最後までハラハラドキドキさせられます。それでいて、ほとんど神がかりの選手起用が最後にあたって勝ってしまう。

○ この感覚、どこかで味わったなあとつらつら考えていたら、思い出しました。長嶋監督が、最下位の翌年の1976年に初優勝したときがこんな感じでした。あのときも、長嶋監督のヤマカンの代打攻勢が毎日のように見事にあたり、終盤で大逆転しました。後で冷静になると、そもそも実力で上回っているのに接戦になったのはどうしてだろうとか、ヒーローになった代打の選手があんなに上手なら先発で使った方がいいんじゃないかとかと、思ってしまうところも、ジーコジャパンにそっくりです。

○ いや、非難ではありません。「名選手、必ずしも名監督ならず。」ですが、やはり、ジーコや長嶋のようなかつての名選手は、そのスポーツの球際、つまり、最後のキメの瞬間を言葉ではなく本能で分かっているのでしょう。ジーコは、直前の練習や選手の目の色などをみて、本番でゴールを決める人をカンで当てる確率が高いのだと思います。これって、監督としてとても大切な能力だと思います。

○ 次のイラン戦ですが、三都主がイエロー累積で出場できず、三浦(敦)が出てくるので楽しみにしています。今の日本代表は、守備の悪い左サイド、三都主の後ろが弱点なのは、今やアジア中に知れ渡っています。北朝鮮も最初から日本の左サイドの奥に連発で放り込んできました。失点の場面も、最後は(日本の)右サイドのフリーの選手からのシュートでしたが、右サイドの加地を責めるのは酷です。その前の左サイドの攻防で負けているから人数が足らなくなり、加地を中央に引きずりだされて起ったことです。また、守備的MFの福西、遠藤の攻めあがりが少ないという解説もありましたが、あれは、左サイドを攻められる三都主の守備をサポートせざるを得ず、出るに出られないのだと思います。

○ というわけで、三都主よりは守備力がある三浦(敦)が出てくると、日本チームもガラッと変わるのではないでしょうか。まず、少なくとも、敵は、三都主の後ろを狙うという「アジアの常識」から離れて考え直さざるを得なくなる。また、三浦(敦)ならバーレーンがイランの強力攻撃陣を完封した4バックもできるかもしれません。さらに、4バックの場合、攻撃的MFを二人に出来、小笠原と中村とか、中村と中田といったタレントの共存も可能です。苦手な守備を気にしながらおずおずと出てくる三都主と小笠原の組み合わせより、二人とも前にいる小笠原と中村の組み合わせの方が余程、攻撃面でも強力なのは、今回よく分かったことです。

○ と、まあ、そうは言っても、三浦(敦)も最近は、日本代表のレギュラーで出ていないので、未知数の部分はあります。やはり、球際のところで大丈夫かどうかは、名選手でもなかった素人では、分かりませんねえ。


2月11日
スパムメール
○ このホームページで使っているメールアドレス宛にスパムメールが余りに多いので困っています。ホームページ上のアドレスを自動的に拾っているのだと思います。一日100通前後、添付ファイル付の変なメールを送りつけられると、本当に知り合いから来ているメールを見落としてしまいます。ささやかな抵抗として、ホームページ上で、クリックするとメール送信画面が立ち上がる機能は、解除してみました。らくちん宛のメールは、このホームページ上にあるアドレスを、皆さんのメールソフトに手動で書き写して使ってください。さて、効果があるものかどうか。

○ 一応ここでもアドレスを書いておきます。読者の皆さんのmailは、大歓迎です。お待ちしております。わざと@マークの手前で改行していますが、メールをお出しの際は、改行しないでくださいね。 

rakuchin
@mvj.biglobe.ne.jp


○ よろしくお願いします。


2月9日
台湾の春節(旧正月)

○ 新年快楽!(明けましておめでとうございます。の意)

○ 今日は、台湾のお正月、春節(旧暦の一月一日)です。店舗もみんな閉まり、居ても仕方ないと聞いていたので、毎年海外に逃避していたのですが、今年は、台湾駐在四年にして初めて、春節を台湾で過ごしました。

○ 好奇心にまかせて、昨日、つまり大晦日の夜6時半に街の様子を見に散歩してみました。この時間は、人でごった返しているのが常の通りにも、この日ばかりは、人影もまばらで閑散としています。いつも大勢の人が待っているバス停も、一人しか居ませんでした。普段は渋滞のひどい道路にも、車がまばらにしか通っていません。なにより、ネオンの大半が消えて、街がとても暗いのに驚きました。人影の少なさ、街の暗さは、平日の夜中の12時よりもひどいでしょう。一言でいうと、街が死んでいるようです。

○ 店舗は、スターバックスもマクドナルドもローヤルホストもモスバーガーも閉まっていました。数軒の例外を除いてほぼ全ての飲食店が、大晦日の夕方には閉めています。他の物販店もほぼ全てネオンを消してシャッターをおろしています。やっていたのは、セブンイレブンなどのコンビニとビデオレンタルのブロックバスターくらいでした。

○ でも、よく耳をすませば、各家庭でバーベキューやら麻雀などをしている音が聞えます。大晦日はそう言う日なのでしょう。バクチクの音が夜通しなるのではないかと恐れていたのですが、住宅地でもあるせいか、数度派手な音がしただけで予想したほどではありませんでした。

○ 今日、つまりお正月の朝は、一転して、意外にも賑やかでした。朝からスターバックスもマクドナルドもローヤルホストもモスバーガーも開いています。通りかかった小さなお寺には、大勢の参拝客に、「新年快楽!」と言って、煮込みうどんを振舞っていました。そればかりか、午後からは露天の屋台や洋服を売っている店もたくさん繰り出していて、人通りも土日かそれ以上の多さです。こうした、大晦日の夜の静かさと、正月の昼の賑やかさとの対照は、日本にはないものでした。

○ 台北の人の多くは、父母や祖父母のいる南部に帰るようです。そして、南部に多い有名なお寺のひとつに毎年詣でるのがその家のしきたりになっていたりします。こういうのも、また面白いですね。台湾の人たちは、今年、どんな願かけをしたのでしょう。


2月8日
イラクと台湾
○ イラクの政治勢力比をみていると、台湾の状況と比較したくなる。

前の独裁政権下の位置 イラク [人口比] 台湾 [人口比]
被抑圧側多数派 シーア派 [60%] 本省人(客家人除く)[75%]
被抑圧側少数派 クルド人  [15%] 客家人         [12%]
体制側少数派 スンニ派  [20%] 外省人         [10%]
少数派 その他   [ 5%] 原住民         [ 3%]


○ イラクでは、フセインの強権政治に抑圧されてきたシーア派が、多数で60%。台湾では、国民党統治の戒厳令時代に抑圧されてきた多数派の本省人(客家人を除く)が、75%程度。これが、現体制下では、多数派で政治的に最大の力を持っている。

○ フセイン政権下で、優遇されてきた少数のスンニ派は、20%。台湾では、統治側だった外省人が10%。基本的には、この前政権における体制側少数派(スンニ派、外省人)vs. 被抑圧側多数派(シーア派、本省人)の対立と妥協が政治の焦点である。

○ 台湾は、何年もかけて徐々に民主化をしてきたし、日本の統治時代にも日本のデモクラシーを間近に見ていたので、イラクのような急な民主主義の移植という難しさとは、事情が違うとは思う。

○ それでも、勝手に台湾との類推でみれば、次のような点に注目したくなる。

○ 前の抑圧政権下にある程度協力的だった、シーア派の優秀な人達がいたのか。いたとすれば、今どういう政治的な動きをしているのかが気になる。台湾の場合、国民党に属していた本省人のエリート(李登輝も含まれる)や、体制側とつかず離れずで、ちゃんと伸びてきた本省人の企業経営者などの動向が、現体制でも政治的な鍵となっている。イラクでは、どうだろうか。

○ もう一つは、クルド人が、旧体制では、被抑圧側、現体制では、体制側で且つ少数派という位置づけになるが、この人達をどう政権に取り込むかが、微妙な駆け引きとなる。台湾でも、客家票の動向というのは、選挙でも重要な意味をもつ。 

○ 最後に、これこそは、台湾の特殊事情かも知れずあてはまるかどうか分からない。旧体制で抑圧されていた側が政権をとったとき、漫画的、図式的理解をしていると、これまで抑圧してきた側への強烈な報復を普通予想する。しかし、台湾の場合、民進党政権になってからも、外省人に対する目立った報復は、政権レベルでも民衆レベルでもあまり無かったと思う。人にやさしい台湾人の民族性もあるだろう。とはいえ、親戚や友人を殺された恨みは忘れ難く複雑な心境ではあるが、それよりも社会的安定を優先させようという、民の良識が強く働いているようにみえる。そうした「声なき多数の良識」は、日本人などが外から漫画的に理解している対立の図式よりも、社会に強い影響を与えている。メディアは、分かりやすい対立の図式をより強く報道しがちになるが、実態は、こうした静かだけれども強い力を無視して理解することができない。

○ イラクでも、そうした「声無き多数の良識」が、過去の恨みよりも、現在の社会的安定を優先する力はあると思う。その良識が、これから何度か起るであろう失望せざるをえない政治的事態にも忍耐できるかどうかが、イラクの安定のカギのような気がする。イラクの今後については、アメリカの政治や、近隣諸国の動向や、欧州の動きなどを通して分析されている。しかし、選挙をとにもかくにもやり遂げた今からは、こうしたイラク人の声無き多数の民心の動きがより重要性を増すだろう。


2月7日
台湾語と中国語の違い
○ 台湾語と中国語がどの程度違うのか、よく聞かれます。台湾語はもとより中国語もおぼつかない僕が分かるはずも無いのですが、台湾人や台湾語のできる日本人から聞いた話をもとに、「はじめての台湾語」(明日香出版社)という本を使って説明してみようと思います。

○ まず、台湾での言語の状況を説明すると、学校や公の場、初対面の人同士では、北京語(日本でいう中国語)を話します。北京語のほかに、日常生活では、人種によって次のような言葉を使っています。

言語 人種 人口比
ビンナン語(台湾語) 本省人(客家人以外) 75%
客家語(ハッカ語) 客家人(普通、本省人にいれる) 13%
各地中国語(広東、上海等) 外省人 10%
原住民諸語(アミ語、プユマ語等) 原住民 2%

この他に、台湾では、日本語の影響で、オバサン、オジサン、ウンチャンなどが、日本語と同じように通じます。

○ おおよその話をすると、台湾語と中国語の違いは、日本語の方言の違いより格段に大きいようです。台湾の人と一緒にカラオケボックスに行って、台湾の人が台湾語の歌を歌っているとき、僕なんかが画面に出てくる漢字の歌詞をじっとみて意味を理解しようとしても、さっぱり分かりません。台湾人の友人からは、「発音をもとに当てはめている当て字だから中国語として意味を理解しようとしても無理だよ。」と言われてしまいます。

○ 一方で、中国語の上手な日本の人で、最近台湾語を習い始めたかと思うと、ほんの数ヶ月で、台湾人から「私よりも台湾語がうまい」と言わしめた人もいます。その人に聞くと、「発音は、違う。単語も違うのが多い。でも、文法が一緒だから、中国語が出来れば簡単に覚えられるよ。」という。ま、このあたりは、個人の才能の違いがあるのだろうけれど。

○ 発音については、中国語には4声がありますが、台湾語には、7声あります。(8声と言われていたが、今は、第6声がなくなってしまった。)これを聞いただけで、中国語の4声でもさっぱりできない僕は、降参してしまいます。

○ 台湾語の表記法については、色んな方法が提唱されておりまだ標準が決まっていないようです。ここでは、台湾語も中国語も知らない日本の人に両言語の違いが分かればいいということで、カタカナで発音を表記してみました。上記の様に台湾語で7声、中国語で4声あるので、日本人が普通にカタカナ読みしてもまず通じません。念のため。

○ では、代表的な台湾語を「はじめての台湾語」のカタカナ表記で表してみます。中国語のカタカナ表記は、らくちんによるものですので、少し間違っていても許してくださいね。

日本語 台湾語 中国語
いくらですか ルァゼヒン ドゥシャオチェン
高すぎます シゥングィーラ タイグィラ
こんにちは リ ホウ ニイ ハオ

 でも、台湾では、「リ ホウ」よりも「ジャッバーベー」(ご飯食べた?)の方が使われると説明されています。僕は、余り遭遇していませんが、台湾らしい、現実的且つ率直な表現でなかなかよいですね。

ごめんなさい パイン セイ ブカァチイ
ありがとう ドォ シャー シェーシェ

 台湾人は、ドォシャー、ドォシャーと2連発でいいます。

乾杯! ホッダーラー ガンベイ

 ある日本のビールメーカーが台湾市場において「ホッダーラー」をCMで連発して、売上げを伸ばしました。

きれい スイ ピャオリャン

 ゴルフをやっていると「ナイスショット!」の意味で、「スイ!」と声を掛け合います。

日本語 台湾語 中国語
私は日本人です グァシー リップンラン ワォシー リューベンレン
結婚していますか リゲェ フン アベー ニィ ジェフンラ マ
一緒に写真を撮りましょう ライゾーフェー ヒップション ラ イーチー ジャオシャンバ
あなたの電話番号は、何番ですか リエ デンウェ シーギェイファン ニィダ デイェンハァ シィ ジィハオ


○ 上の対比を見ているととても同じ言語の方言とはいい難いのが分かると思います。別段発音が違う例文をことさら挙げたわけではありません。よく読むと別の基準で選んだとお感じかもしれませんが..

P.S.台湾は、13日まで旧正月休みです。らくちんの会社にmailを頂いてもお返事できません。よろしくお願いします。


2月6日
台湾の外国為替市場
○ みずほ銀行台北支店の方の講演があって、台湾の外国為替市場について、要領を得た説明がありましたので、それをもとに、「ほとんど無断転載」+「らくちんのコメント」で書いちゃいます。

1) 市場の特徴
@ (変則的な管理)変動相場制度(管理変動相場制と変動相場の中間)。制度上は、固定相場制を放棄。
A 明確なターゲットレンジは存在せず、中央銀行のきめ細かで且つ強力な介入により安定を実現。
[らくちんのコメント] 米ドルと円との中間あたりを変動することが多いように思います。
B NT$(NEW TAIWAN $)の市場規模は、円の50分の1、HK$の5分の1、韓国WONの3分の1。
[らくちんコメント]ちょっとこの数字、他の統計でのウラがとれません。再確認中です。
C NT$について、次の規制ある。
 −原則として、非居住者による台湾ドルの取り扱い禁止
 −インターバンク取引の中銀への報告義務あり
 −居住者の為替取引も原則実需ベースに限定

2) 中央銀行の介入について
@ 決定権(規模/方法/タイミングなど)、執行権共に中央銀行が持つ。(日本は、決定権が財務省にある。)
A 自国通貨売り介入資金の調達方法は、貨幣創造による
− 資金が不足すれば、貨幣を印刷する。(日銀:政府短期証券の発行により市中から円資金を調達)
− 介入後、タイミングをみてNCD(中央銀行が業務局が発行する譲渡性預金)を発行することで市場から資金を吸い上げる。
⇒ 自国通貨の印刷により介入資金は無制限に調達可能。(もちろん、極端にやると通貨の暴落のリスクは生じる)前述のようにi)居住者のii)実需ベースの取引が原則で、iii)市場が小さいからできるもの。
B 介入実施の際は、外銀を一切使わず、地場銀行のみを使う。

3) そのほか
@ 外貨準備の保有主体・運用主体
運用の主体は、米国国債。株式の購入は認められていない。2004年12月の外貨準備高は、2,417億米ドル。日本、中国に次ぐ世界第三位。通貨別の保有比率は、米ドル約60%、ユーロ30%、円約5%。
[らくちんコメント]へえー。ユーロが意外に多いですね。
A 金融政策
独立した金融政策を標榜しているが、実際には、アメリカの金利政策に追従することが多い。
B 資本取引の自由化
外貨の対内投資に関わる制限の緩和も進み自由化の方向。但し、非居住者がNT$を扱えないのが制約。

[らくちんコメント]結局、貿易にはほとんど支障を出さずに、うまく規制をして為替のゆるやかな安定には成功しています。貿易をする分には、香港と変わらず、非常に自由でほとんど不都合も感じません。一方で、規制と市場規模の小ささと中央銀行の強力さにより、海外のヘッジファンドなどの投機的な攻撃にはあいにくくなっています。アジア通貨危機の時でも、被害を最小限に食い止めました。しかし、長期的には、台湾経済が、生産拠点を中国に移して資本取引の要素が増えてくると、いまのままでやっていけるかどうか考え直すべきときがくるかもしれません。

詳しくて淡々とした説明は、財務省が公開していますね。
ココ:http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou023f.pdf


1月31日
駐在員の為のグルメガイド
○ 「駐在員の為のグルメガイド」というのをまとめてみました。海外に駐在していると時々無性に日本のラーメンとか、日本のパスタなどが食べたくなります。また、見た目はきれいではないけれども美味しい中華料理屋とか、逆に、台湾の若い人が集まるようなおしゃれなバーなどに、たまには行ってみたいものです。日本から旅行や出張で来た人がわざわざ行くところでもないかもしれないが、台湾に住んでいる人には役立ちそうな店を選んでみました。

○ ですので、おいしい中華料理屋さんで、僕も大好きなところでも、旅行や出張で来た人にお勧めしたいところは、敢えて入れていません。別途、旅行者の為のガイドを書いた時に紹介したいと思います。また、例えば、今回挙げた日本式ラーメン屋などは、日本から旅行や出張で来た人に、お勧めするほどではなく、せいぜい日本のどこにでもある普通のラーメン屋程度です。

○ 最近の日本の旅行ガイドというのは、非常に情報が早くて詳しいので、感心します。特に単行本ではなくて、「るるぶ」のような雑誌形式で毎年更新されるものは、長く台湾に住んでいる人でも知らないようなマイナーな店まで載っています。今回の僕が紹介したものも、なんらかの形で既に日本語で紹介されているものがたくさんあります。誰も知らない秘密の穴場というのは、僕も余り知りません。期待し過ぎないでくださいね。

○ 読者の方が他にお勧めの店をご存知であれば、是非教えてください。


1月30日
帰国
○ らくちんは、2月下旬に東京に転勤となります。大好きな台湾を離れるのは、少しいやですが、日本から近いことですし、来ようと思えばいつでも来られる訳で、それほど感傷のようなものは、ありません。

○ この「台湾つれづれ」サイトも、何らかの形で続けようと思っています。ブログになるかもしれませんし、タイトルが変わるかもしれません。しかし、いずれにしても、写真も絵もほとんどなくて、分野を問わず書き散らした文が時系列で並んでいるという今のスタイルで続けていきたいと思います。台湾のことも継続して書いていきたいですね。東京に戻っても、仕事とは別に、台湾と何らかの係わり合いを続けられる仕組みがもてると便利なのだけれど。

○ タイトルですが、「大手町つれづれ」に変えるというのも考えたのですが、やや爽やかさに欠ける点が気になります。台湾に関する記事が今の半分になっても「台湾つれづれ」のままでいようかとも思います。また、どうせしがないサラリーマンの身、転勤はつきものですので、ここらでいっそ、「らくちんのつれづれページ」とでもしておいたほうがいいかもしれません。読者の方の御意見もお聞かせください。

○ 帰国準備もあり、更新の頻度が前より一層、バラバラになりそうです。毎日書き続けるかと思えば、一週間ほど予告無しに更新しないかもしれません。ご容赦ください。


1月26日
SWING
○ 面白い店ができました。日本風家庭料理+お酒+ジャズピアノ。こういうのが、駐在員には、ありがたい。東京は、飲み屋にしろ、ショーパブにしろ、色々な種類があって、飽きることがありませんが、台北の夜は、林森のサービスもワンパターンですぐに飽きてしまいます。また、食べて且つゆっくり飲めるところがあまりなかったので、貴重です。

○ マスターの桑原さんは、台湾人女性と結婚した日本人。ジャズピアニストです。彼のピアノは、Shangrila(遠東飯店)のラウンジでも、日によって聞けます。店でも、客の酒が回った頃にポロロンと弾いてくれます。時間は決まっていなくて、本人曰く、「弾きたくなったときに弾く」とのこと。

○ チャージもなくって、こんないいピアノを聞けるのは、ありがたい。それでいて、BGMのように切れ目なくそっと弾いてくれるので、拍手するタイミングを探しながら聴く気遣いがいりません。お話ししながら、聞いていられます。

○ 旧正月明けからは、昼食も始めるとのこと。お試しください。

SWING
光復南路417巷6号   8789-0320
仁愛路から光復南路を南に下がって額縁屋がある二本目の小道を左に曲がってすぐ。


1月25日
「ビジネスモデル」モデルの終焉 2/2
○ 前回は、ビジネスの良し悪しをみるのに、「ビジネスモデル」を重視してみる考え方を「ビジネスモデル」モデルとよんだ。この「ビジネスモデル」モデルには、計画と実行の分離、計画の重視、高い成長性への期待という3つの特徴があり、それは、ヴェンチャー投資家の求めるものにぴったりあてはまっていた。しかし、現実は、違っており、上記の3つの考え方がどれも、上手くあてはまらないことが分かってきたのである。

○ まず、計画と実行は不可分であった。現実には、計画を立てながら実行し、実行しながら計画を立てた方が、成功する確率が高いし、スピードも速いことが多い。以前ソフトウェアの開発手法で、IBMが開発するソフトの仕様を明確に決めてからプログラミングに入るのに対して、マイクロフトは、仕様を決めるのとプログラムの開発を同時並行でやるといって話題になった。これは、目指すビジネスによって違う手法が取りうるという話で、一概にどちらかが悪いとは言い難い。しかし、全てのビジネスにおいて、事前に綿密な計画を要求するのは、不可能であるばかりでなく、不効率であった。結局、人間は、全てを予め計画することなどできない。それは、有限の能力しかない人間が無限の多様性をもつ自然や人間の社会に適応しようとすれば、必然的に直面する人間存在の本質ともいえることである。

○ また、多くの場合、計画より実行の方が大切であった。サイトを作成するのは、簡単だが、そこに、損益分岐点を越えるだけの数のアクセス数を獲得し、顧客を囲い込むのは、極めて難しい。実行の成功には、もって生まれたセンスと、血ににじむような努力と、不合理ともいえる事業への思い込みが必要だった。難事を成し遂げるのに必要なこれらの要素は、千年前と変わらない。

○ アマゾンドットコムも、成功の原因は、着想や計画のよさではなく、実行の素晴らしさだろう。書籍の販売は、当初、多品種少量の商品で大量の在庫をかかえなければならず、在庫を無くすことの出来るインターネットショッピングに最適なビジネスと思われた。これが、着想と計画の出発点である。しかし、いざ始めてみると、結局大量の在庫が必要となり、毎年赤字を続けた。当初のプランに無い在庫運営による赤字よりも優先して、すぐに欲しい本を届けるという顧客満足度を実現するのに血眼になったのが、結果的に成功だった。顧客が欲しい本を探すのに便利なようによく考えられたサイトは、実に素晴らしかった。要するに、技術上の視点から新しい手法を持ち込もうとする他社を尻目に、着想の新しさというよりも、昔ながらのいわば泥臭いサービス業の原点をサイトビジネスに持ち込んだのが勝因であった。

○ そして、結局、インターネットビジネスは、収益性が低かった。インターネットビジネスでは参入が容易なだけに競争が厳しい。在庫を持たない売り買いだけの場合、粗利率は1%も無いのが普通だった。例えば、創業時10人でスタートすれば、あっという間に年間1億円くらい経費がかかる。収益率1%で、黒字化するには、年間100億円という巨大な売上高が必要になる。

○ そこで、ある人は、広告をしてその売上げを達成するという。しかし、1億円の広告で、100億円もの売上げが確保できないだろうし、その広告費1億円を回収するにも更に100億円の売上げが必要なり、いつまでたっても終わりそうもない。ある人は、いやB2B(企業相手のビジネス)ですから、優良顧客へ個別営業して囲い込むという。10人の営業マンを雇って100億円の売上げを達成するのは、一人10億円新規営業をしなければならず、極めて困難である。たとえそれを成し遂げたととしても、これもまた、その10人分の営業力を養うのに更に100億円の売上げが必要となり、いつまで経っても黒字化しそうもない。

○ これらの結果からみると、つまるところ、当初計画した「ビジネスモデル」がいかに立派で精緻であるかということと、ビジネスに成功する確率は、それほど関係はなかったのである。少なくとも経営者の人柄の良し悪しを見ている方が、成功の確率をあてやすい。こうして、「ビジネスモデル」モデルは、終焉しつつある。


1月23日
「ビジネスモデル」モデルの終焉 1/2
○ ITバブル華やかざりし頃、「ドットコム」、「ビジネスモデル」という言葉を早口で連呼してパワーポイントでプレゼンテーションをするお兄さん達がたくさんいた。新鮮な響きが自慢であったドットコムという言葉は、じきに死語になりはて古めかしい言葉となった。今も残るアマゾンドットコムのドットコムの音の響きには、ネット業界では、歴史と伝統を誇る老舗であることをアピールする役回りに落ち着いているようにさえ見える。

○ 一方、ビジネスモデルという言葉は、かつての輝かしい印象は無くなってしまったが、まだ使われている。どうにか命を保っているだけに、かえって老醜をさらしているといえなくもない。ドットコムというのが、単なるポータルビジネスの名前の付け方の流行だったのに対し、ビジネスモデルという言葉の背景には、ビジネスに対する一つの考え方があった。それで、突然死滅することなく、しかし、その考え方の有効性が薄れるとともに、使用頻度も緩慢と衰退しているのだろう。

○ ビジネスモデルという考え方、即ち、「ビジネスモデル」モデルには、次のような認識が背後にあったと思われる。

○ 「ビジネスモデル」モデル
1) 計画と実行の分離
ビジネス構築にあたっては、計画と実行を明確に分け、計画を策定してから実行するのが有効である。計画段階では、誰からどのようにお金を得るのか、市場には、何をアピールするのか、明確にしなければならない。その明確な計画ができた後に、計画の実施がされていくべきである。

2)計画の重視
実行よりも計画が重要である。簡単なホームページの作成なら、ほぼただで、素人が3日もかければできる。サイトビジネスの「実行」は、結局、このホームページ作成の延長上にあり、難しいことではない。半導体製造などのように巨大な設備がいるわけでもないし、自動車製造のように多くの労働者を管理する必要もないし、化学産業のように長年の技術蓄積がいるわけでもない。当初の計画の狙いが有効で且つ明快であれば、ビジネスは、すぐに立ち上がり、急速に拡大できる。

3)高い成長性
明確で有効なビジネスモデルをもつビジネスは、成長性が非常に高い。簡単に出来たホームページでも何万のアクセスを得ることができる。しかも、アクセス数が10倍になろうとも、追加投資は、ごくわずかである。シリコンバレーを支えた半導体ビジネスも量産効果が大きく、収益逓増が顕著に見られたが、インターネットビジネスは、それを越える収益逓増がみられる。従って、成長率も高い。

○ こういう「ビジネスモデル」モデルは、シリコンバレーなどで活躍するヴェンチャーキャピタルの論理にも実に上手く適合していた。投資家というのは、自分達のお金がよく分からないことに使われることを最もきらう。できれば事前に、詳細にどう使われるか知っておきたい。資金の使い道をよく知っており、リスクを承知した上で失敗したのなら、それは、投資家にとって、計算の範囲内のできごとである。従って、実行の前に明確な計画をたて、実行よりも計画を重視する「ビジネスモデル」モデルは、投資家には、非常に受け入れやすい。

○ また、事業収入による継続的な収益を目指すのではなく、投資先企業の上場による株の売却益を狙うヴェンチャー投資家にとっては、高い成長性は、非常に魅力的である。設立5年で上場できる可能性のある会社など、そうそうあるものではない。それなのに、いい「ビジネスモデル」を持つ会社は、3年でキャッシュフローが黒字になり、5年で上場するのが当然のようなプランがまかり通り、実に魅力的であった。

○ しかし、現実は、違っていた。上記の3つの考え方がどれも、上手くあてはまらないことが分かってきた。そのあたりを次回に、述べたい。


1月19日
台湾人の好む色
○ 昔、日系アパレル会社に勤めていたという台湾人から飲み屋で聞いた話です。

○ 台湾のファッションは、日本の流行を追いかけて取り入れる傾向があります。けれども、日本人は、好んで着るが、どうしても台湾の人が着ない色があるとのことです。それは、明るいオレンジ、薄いグリーン、薄い黄色。言われてみれば、日本の女性はよく着ているけれども、台湾の街では、ゼロではないものの、あまり見かけません。もしそういう色の服を着ている女性を見ると、あ、日本人かな、と自然に思っています。桃色といえるようなピンクも、昔は、台湾の人は着なかったようです。ただ、最近の若い台湾の人は、着始めています。

○ そういえば、僕も、四年ほど前、ユニクロで買った白のフリースを着てスターバックスに行くと、英語で注文しているのに、紙コップに「日本人」と書かれて閉口したことがありました。あれ以来あまりそのフリースを着て外に出なくなりましたね。男の人の白も、珍しいようです。

○ 台湾に住んでいる人で、ファッションに興味がある人や業界の人には常識なのかもしれませんが、素人には、面白かったです。タイトルほどは、妖艶な話ではなくて、失礼しました。


1月18日
為替介入
○ 円高になりつつありますね。僕は、前回の円高局面で、日本の当局の巨額の為替介入をどちらかというと支持していました。(04年4月27日02年10月28日) でも、今回、根拠なきヤマ感でいうと、1ドル100円やそこらで介入するべきではないのではないかと思います。しかし、それも90円−80円辺りまで来ると、さすがに何かした方がいいと思うけれど。

○ まず、前回の介入というのは、とにかく巨額でした。2003年で20兆円、2004年の1月と2月で10兆円、合計30兆円。とはいえ、これって、どんな金額かなんて、さっぱりイメージが沸かないですよね。テレビニュースで押収したピストルの大きさが分かるようにタバコの箱を横において写したりしますよね。ここらあたりに詳しい人のお勧めに従って、それと同じことをしてみましょう。

○ 日本銀行のホームページの「年末銀行券発行高」をみてみました。
これによると、2003年末の銀行券発行高は77兆円。つまり30兆円の介入というのは、世の中にある日本の全てのお札、その4割くらいの額を、介入しちゃったんですよね。まさに、巨額の介入です。

○ ついでにこのページには、面白い説明がありました。03年末のお札の発行額77兆円は、お札の枚数でいうと133億枚、これがどんな量かというと。
 発行枚数(133.0億枚)は、一枚ずつ積み重ねた場合には、1,330kmとなり、富士山の高さの約352倍、一枚ずつ横に並べた場合には、205万kmとなり、地球の約51周分、月までの距離の約5倍に相当します。

○ 上の日本銀行さんのたとえから類推すると、介入した額をお札にして積み重ねると富士山の高さの100倍くらい、横にして並べると月まで行って帰ってこられる。これは、ピラミッド、万里の長城、戦艦大和に並び称されるバカでかさです。月旅行的為替介入。

○ これだけ巨額だと、「投機により為替が乱高下するのは、正常な貿易を阻害する。」という為替介入の理由では、説明ができません。貿易をしている一部の人がいくら不便だからといって、世の中のお札の4割にあたるまで円を買う必要はないでしょう。

○ 結局、前回の為替介入は、デフレ対策でした。そうでしか、これだけの巨額の介入を正当化する理由がありません。デフレ対策としてヘリコプターでお札を撒くというアイデアが真面目に議論されたことがありますが、不胎化をともなう前回の為替介入は、ヘリコプーター政策の一種だったとしか説明がつきません。そして、その政策は、意図したようには見えませんが、とにかく結果として、政府が行ったデフレ対策の中で唯一成果のあった政策です。政治は、結果主義だ。というか、すべからくプロの世界は結果主義だとすれば、やはり前回の為替介入は、肯定的評価をするべきでしょう。

○ 一方で、今、日本の経済は、病み上がりとはいえ、やっぱり良好といえるでしょう。数字でみると、数%の経済成長、インフレなし、低金利です。これって、経済学の教科書では、ほとんど満点です。こんなときに、巨額の為替介入を正当化する理由を見つけるのは難しいと思います。

○ 今回の円高は、円高というより以前にも増して明白にドル安局面ですからね。これを支えようとすると、もしかすると、前回より巨額の介入が必要かもしれない。こりゃすごいですよ。天文学的為替介入。

○ 今は、景気腰折れ懸念はあるものの、取りあえず現時点では、デフレに深刻に悩んでいるわけではありません。懸念があるとすれば、原油や鉄などの値上がりによる輸入インフレです。さらに、原材料の不足から輸出製品は、これ以上生産できなくなっている。鉄鋼が手に入らなくて、自動車が生産調整をしている。輸入品が値上がり、輸出品は、これ以上生産の拡大が難しい、こんなときに円高を阻止する理由は、見つけ難い。

○ それに、この介入で得た天文学的に巨額なドルは、使いようがない。日本が介入で得たドルを売り始めたとなると、ドルが売られて安くなりますからね。マイクロソフトのビルゲイツが世界一の資産家としてインタビューを受けた時に、「僕は、金持ちではなくて、株持ちだ。それも売れない株をね。」と言ったそうです。ビルゲイツの資産のほとんどは、マイクロソフト株でしょうが、ゲイツ氏は、そのマイクロソフトの株を容易には換金できません。マイクロソフトの株は、ゲイツ氏が売り始めたとたん、暴落するのは間違いないからです。日本の当局が保有している巨額のドルも同じで、日本の当局がドル以外の通貨に替えだすと、途端に暴落するので、替えようがありません。

○ もちろん、輸出企業や、僕の勤める会社のような貿易会社は、円高になると収益がどんどん悪くなります。100円でなんとか持ちこたえても、90円代前半になると、ほとんどの企業で収益がなくなってしまい、悲鳴があがると思います。僕だって、会社でメディアの人に、「円安は、好ましいですか。円高阻止の介入は、すべきですか。」とマイクを向けられたら、「これ以上の円高は、困ります。」と答えるでしょう。この質問は、「あたりの宝くじをもらえたら嬉しいですか悲しいですか」という質問と同じで、「嬉しい」という答え以外はありえません。

○ でもね、今回為替介入すると、宝くじで、全てのくじを買占めるようなものです。もちろん、全ての当たりをとれますが、結局、損しますよね。だって売り場のおばさんのお給料やくじびきの印刷代も払われているので、くじの購入代金よりも当たりの合計額の方が少ないのですから。

○ 僕の勤めている商社などは、円安のほうがありがたいのです。でも、それとは反対のことを個人的に思っているとき、こうしたマイナーなメディアで、書くのは気持ちいいものです。ああ、スッキリした。


1月17日
震災10年
○ 今日は、阪神淡路大震災から10年である。今から七年前程前になるから、震災から3年程たった頃かと思う。中学高校の同級生で医者になったKと、10年以上ぶりに京都で会って一晩飲んだ。

○ Kは、おとなしいが、誠実でやさしい男で、宿題をいつもやっていない僕は、よくノートを借りたりしたものだ。一緒に六甲山を縦走したときは、脱落しそうになった僕の荷物を持ち、じっと黙って待っていてくれた。

○ Kは、三ノ宮近くの街中に住み、大変な阪急ブレ−ブスファンだった。1970年代当時、本当の神戸っこで、且つ、本当の野球ファンは、阪神ファンではなくて、阪急ファンに多くいたといえるかもしれない。その頃の阪急ブレーブスは、福本、蓑田、加藤、大橋、山田、足立、山口等々と漫画のように個性的なスペシャリストが集まって、玄人をうならせる野球をする全盛期だった。Kは、いかにも彼らしく、僕達が阪神だ巨人だといって掴みあいをせんばかりに口角泡を飛ばしているかたわらで、阪急の職人達の渋い芸を静かにほめそやした。シーズン中の大事な試合での山田の配球を諳んじることのできるほどだった。そんなKの解説を聞きながら、西宮球場で日本シリーズを見るのは、阪急ファンではない僕でも実に面白かった。

○ そんなKとは、高校卒業以来ちゃんと連絡もしなかったが、久しぶりに飲んだ。中学高校の同級生と久しぶりに会えば、ご多分にもれず仕事の愚痴のようなものから始まって、お互いこんな職に就くとはなあなどという話になる。医者というと高収入で派手な暮らしをしている印象が強いが、大学の研究に係わっている医者は、意外なほどに地味な暮らしをしている。夜勤を含めたその労働環境からいうと、正直いってかわいそうなくらい給料が少ないとすらいえる。そんないやな話を、別に誰に怒るでもなく、素人の僕に淡々と説明してくれた。その誠実な話し振りに、昔のKの面影を僕は思い出したりした。

○ 震災のとき、もちろんK本人もポートアイランドの高層住宅に住む被災者であったが、不眠不休で被災者の救済に当たっていたのを僕は、ほかの同級生から聞いていた。普段は冷静でおとなしいKであったが、震災のときは、鬼神のようにというか、むしろそういうかっこいい表現よりも、何かにとりつかれたようにというべき必死さで休まずに患者を診続けていたという。周囲がいつ倒れるかと心配していた。僕は、いかにもKらしいと思ってその話を聞いたものだ。

○ 酒も回り、同級生の気安さもあったのだろうか、僕は、妙なことを言ってしまった。医者というのもつらいことも多いだろうが、Kのような「いい奴」にとっては、震災のときこそ医者になって良かったと思えたのではないか。僕は、医者になりたいなどと一度も思ったことはなかったが、あのときほど自分が医者で救助を手伝えたらなあと思ったことはない、と言った。

○ Kは、一瞬、いつになくギョと驚いて僕を何か異星人でも見るかのように一瞥してから、普段の顔に戻り、「そんなことはない」と断言した。「あのときほど、医者があかん。何の役にもたたんと思ったことはない。」とくやしそうに繰り返した。次々と運ばれてくる多くの患者が救いようがなかったり、既に死んでいたりする。そういう人が次から次へと運ばれてくる。こんなに医者の無力を感じることはない、と。何ぼ自分が頑張っても、あかんのや。つらかったと。「おれは、あのとき心から思うたで、消防士さんになりたいと。ほんまに命を救えるんは、消防士さんなんや。」

○ 僕は、自分の発言の浅はかさが恥ずかしかった。本当にその場にいた人は、誰しもが、人の命を救おうとし、それがかなわず、誰しもが無力感に打ちひしがれ、誰しもが、消防士になりたくて、それもかなわず、みんな、そんな無力感のなかで頑張り続けたのだろう。そんなことに気付かない、自分の人格の狭さを眼前に見せられたようでつらかった。

○ それでも、なお、いやしさがとまらない僕の心は思っていた。死ぬときは、Kのように「医者よりも消防士の方が偉い」と思っている医者に看取ってもらいたい。


1月16日
ぶっどびスープ
○ 日本では、「ぶっとびスープ」と紹介されている「仏跳牆」を、それで有名な「明福」という店で食べました。ココに詳しく紹介されています。「仏跳牆」は、あわびやフカヒレなどの豪華な食材をふんだんに使って、長時間煮込んだスープです。美味でした。台湾でのグルメ探求者にとっては、小龍包と並んで語られるべきものでしょう。

○ 長時間煮込むので、数日前から予約しなければならず、また、少なくとも五、六人は、一緒に行かないと食べられないので、なかなか食べる機会がありませんでした。台湾の人に聞いても、結婚式か正月くらいしか食べないので、年一、二回しか食べないとのことです。

○ 一緒に行った台湾の人が言っていたのですが、他の店の「仏跳牆」は、濁っているけれども、明福の「仏跳牆」は、スープが澄んでいておいしいとのことです。このあたりの爽やかでそれでいてゴージャスな食感によって、明福の「ぶっとびスープ」が特に日本人に特に好まれているのでしょう。まだまだ、台湾のグルメ道は、奥が深いのです。


1月12日
占い
○ 台湾の占い師さんに、僕の運勢を占ってもらいました。ここです。

○ 紫微斗数という占いで、誕生日、誕生時刻、出生地により、パソコンを使って計算して星の配置を割り出します。その星の配置を占い師の許さんがしっかりとした日本語で解説して、運勢を占ってくれます。許さんは、感じのいい人で、いい運勢は、楽しそうに、悪い運勢も勇気付けるように話してくれます。

○ 知り合いの知り合いで、台湾で占いを受けたところ、「旦那が浮気している」と断言されて、真っ青になったということがあるそうですが、それは、いくらなんでもひどい占いですよね。ここの許さんは、そういうことを言うタイプには、見えませんでした。

○ 僕の占いの結果はというと、全体的には、「常識を備えるも、自分を犠牲にする傾向」だそうです。エヘン。

○ 仕事は、まあまあ。と。いやあ、なんだか、この占い当たるかもしれない。

○ 外国などで危険な目に会いやすい。特に水に注意。サウナや温泉には、一人だけで行かずに何かあれば助けてもらえる友達と一緒に行く様にしてください。とのこと。気をつけようっと。でも、「行くな」と言わずに実践的なアドバイスをするのが、許さんのいいところです。

○ 金運は、いいそうです。沢山入ってくるし、貯まるし、一生不自由はしません。たくさん使うけれども、食うに困るということはありません。あなたは、名より実をとりますからね、と。よい。非常によい。人生そうでなくっちゃ。

○ 50歳くらいから周囲に認められるようになるかもしれない。それは、仕事ではなく、今やっている趣味を継続していった結果、そうなる可能性が高い。とのこと。ふうむ、では、50歳までこのホームページを続けたほうがいいですね。

○ 恋愛運。とても、とても面白かったです。でも、こればかりは、内緒です。
ふ。ふ。ふ。


1月9日
関西
○ 正月に関西に帰ったときは、関西空港からバスで神戸(三ノ宮)まで行った。利用するたびに思うのだが、関西空港というのは、なんとも不便な場所にようけのお金を使こうてアホなもんを作ったものだ。最初から神戸に作っておけばよいものをとつくづく思う。また、神戸へのバスで近くを通ったUSJも、金ばっかりかけて、失敗やったんやろうなあと思う。関西では、およそ大きなハコものは、アカン。

○ それから、JRに乗ろうとすると、ICOCAという、JR東でSUICAと言っているJR乗車用ICカードの関西版の宣伝をしていた。イコカとは、関西弁で「行こうか」の意味。このICOCA(イコカ)というネーミングは、SUICAなど、足元にも及ばぬ出来栄えのよさだ。こういう、ソフトウェアというか、肩の力を抜いたセンスで勝負させると関西人はうまい。

○ その後、三ノ宮を歩くと靴下専門店が並んでいるので、驚いた。聞くと、京都などでも多いらしい。東京には、これほど多くはないだろう。靴下に凝るという肩の力の抜けたおしゃれの演出がうまいのも関西らしい。また、三ノ宮を歩くと想いだすのがルミナミエである。ルミナミエも、ハードウェアは、仮設でしかなく、どちらかというとセンスで勝負するソフトウェアが鍵である。

○ こうしてみると、ハードウェアというか、堅牢な構築物を作ろうとすると、関西人は、あまり成功していないようだ。ドーンと大きなハードで勝負するのは、実は、あまり得意ではない。更に中途半端に官がからんだりすると失敗作のオンパレードになる。関空、USJ、大阪ドーム、フェスティバルゲート...

○ 一方で、ソフトウェアというか、センスとアイデアで勝負させると関西人は、うまい。ルミナミエと靴下専門店の他にも、上方の芸能だってそう。そういえば、外国人が驚く日本の風俗産業のヴァラエティに富んだ趣向もほとんどが関西発である。

○ 関西が元気になるには、苦手を克服して東京に対抗しようとするよりも、長所を伸ばして独自の位置を確保したほうがいい。大きいものをがっちり作ったりするのは、河内の武士や箱根の向こうの田舎サムライに任せ、関西人は、柔らかい頭で気の利いた企画で勝負したほうがいいと思うがどうだろう。


1月5日
明石焼き
○ 今年もよろしくお願いします。新正月は、家族とは別に一人兵庫県の明石の実家に帰っていました。そこで、久しぶりに明石焼きを食べました。おいしかったス。小麦粉が入ってなくて、ほとんど卵だけで、それを銅のたこ焼き板でやいて、お汁につけて食べました。

○ 前から不思議なんですが、僕が子供のときは、「たこ焼き」と言えば、上記のようなものでした。高校生くらいになって初めて、自分達が「たこ焼き」といって食べているものが、神戸や大阪などの明石以外の人から、「明石焼き」と呼ばれているのに気づきました。なんともむずかゆかったです。

○ たこ焼き、即ち明石焼きと言っても、僕達が子供のときは、夕方、遊んでいる途中、おじいちゃんとおばあちゃんがやっている席が四つくらいしかないたこ焼き屋に友達と行って食べるおやつのようなものでした。汁をつけて食べるといってもそんなにこだわりがある訳でもなく、「汁にする?ソースにする?」と言われて、四人子供がおれば、三人が汁、一人がソースというような具合だったと思います。

○ 今、銀座辺りにある、寿司かさしみがのるような立派な木の台にのっている「明石焼き」様を見るとどうも、「何をえらそうに」と思ってしまいます。とはいえ、今の明石では、たくさんある「元祖明石焼き屋」で、えらそうにどてっと木の上にもられた明石焼きが出てきます。

○ およそ地名のついた食べ物というのは、その地名の場所に住んでいる人にとってなんともむずかゆく聞えるように思えます。北京ダックしかり、上海ガニしかり。なかでも、本人達にとって一番嫌なのは、「アメリカンコーヒー」ではないでしょうか。薄くて大量で、だから、アメリカン。て、ひどすぎる。でも、スタバのメニューにもあります。

○ 「ブランデー、水で割ったらアメリカン」というテレビコマーシャルがかつて日本でありました。その話をアメリカ人にすると、僕が作ったうまいジョークだと思って、大口あけて笑います。日本では、本当にテレビで放映されたんだと再度言うと、びっくりするやら、苦笑いするやらに変わります。いずれにしても彼らの表情の変化は、一見の価値ありですので、お試しください。

○ イラクの部隊もアメリカン、なんて言うと、目をむいてしかられますから、試さないようにしてくださいね。


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