台湾日記  2002年6月1日〜
  
(台湾日記 バックナンバー 2001年6月7月8月9月10月11月12月
      
2002年1月2月3月4月5月6月 

8月27日
一辺一国論
○ ご無沙汰です。色々ありますが、まずは、「一辺一国論」から始めます。

○ 陳水扁総統が8月3日に、「一辺一国論」を唱え、台湾の主権が対等であることを主張し、「台湾の将来は、住民投票で決めるべき」と発言したことがニュースになった。これに対して幾つかコメントさせてください。 (「一辺一国論の全文訳は、ココ http://www.roc-taiwan.or.jp/news/weeknews192.htm です。)

○ この発言の意図は、次のようなものだろう。1)対中国では、最近、台湾と国交のある国を積極的に断交に持ち込んでいる中国への牽制。2)台湾内向けでは、中台交流の経済的な規制を緩和してきた最近の政策に対し、バランスをとる意味で、李登輝前総統率いる「台連」及び、民進党内部の独立志向の強い勢力への配慮。ひいては、国内世論への配慮。3)国際社会に対しては、アメリカ含む国際世論に対し台中関係への注意の喚起。

○ この発言は、総統就任以来最も独立寄りの発言ではあるが、総統就任時の「中国が武力行使をしない限り、任期中に独立か統一の住民投票をしない」というスタンスからは、微妙に逸脱していない。これは、その場の思いつきでも、失言でもなく、熟慮された言動であることは間違いない。

○ 結果としては、この発言の翌日に、株価が下がったが、その後はそれほどでもなかった。市場は、「一辺一国」発言よりもアメリカの景気動向の方が、台湾経済に対する影響が大きいと見切っている。また、各種調査では、台湾の世論は、概略、陳総統の今回の発言を支持している。

○ 僕が思うに、対中国に対する時に「とにかく問題をおこさないのがいい」という態度は、最悪であり、間違ったメッセージを伝えるという意味で中国に対しても、結局は、迷惑をかけてしまう失礼な態度ですらあると思う。その意味で、今回の陳総統の発言を時々するくらい、別に問題ないと思う。(これくらいリスクを踏んだ発言でないと忙しい中国当局の人の耳に残らないと思いますが、どうざんしょ)

○ 中国との経済交流が台湾経済に当面、よい効果があると考えている台湾のビジネスマンの多くが、今回の発言を批判している。それはそれで、一理あると思う。しかし、だからといって、これらの台湾人ビジネスマンと一緒になって日本人がこの発言を批判するのはどうかと思う。少なくとも、日本の対中国政策よりは、「よく考えられた」ものであることは、間違いない。台湾人が批判するのはともかく、日本人に説教されるような発言ではないと思うがどうだろうか。

8月9
夏休み
「一辺一国」、「LCDの値下がり」等、色々なことが起こっておりますが、しばらく忙しい日が続き、更新できませんでした。そして明日から夏休みで日本に帰ります。色々ありまして、8月26日の週までこのサイトの更新もお休みとさせてください。

7月30日
怪しげな話
○ 最近出会った怪しげな話です。

○ 日本からの出張者のご希望で、台北の秋葉原と言われる「光華商場」に行くと、「千と千尋の神隠し」のDVDを大々的に売っていました。(中国語では、「神隠少女」といいます。)正規品は、安いところで大体550元(約2000円)なのですが、中に、それよりも更に100元(約350円)くらい安い大特価で売出しているところが複数ありました。その特別安いソフトをよく見ると、「レンタル専用」と印刷されています。怪しいですねえ。

○ このように台湾では、日本の映画などのDVDソフトが、正規品でもかなり安く手に入ります。しかし、これを日本に買って帰って、DVDプレイヤーにかけてもちゃんと見ることはできません。DVDは、著作権保護の為に、ソフトとプレイヤーの双方に国コードが入っており、日本で買ったプレイヤーでは、日本で買ったソフトしか見ることができないようになっています。そこで、台湾駐在の日本人は、台湾で売っている安い日本のソフトを見るために、台湾でDVDプレイヤーを買うことになります。すると、今度は、台湾で買ったプレイヤーでは、日本で買ったソフトが見ることがでません。なかなか不便なのです。

○ なんとかどの国コードのソフトでも見られるプレイヤーが手に入らぬかと探すと、そこは台湾、これが手に入るらしいです。購入する電気屋さんがちょこちょことプレイヤーをいじると、国コードの制限が解除されるとのことです。作業を見た人によると、DVDプレイヤーをテレビに接続し、隠しコマンドと暗証番号を入れると、見事に「国コード選択画面」というのが出てきます。そこで、日本、台湾、アメリカなどとの選択肢の最後に、「全部」というのがあり、それを選べば、どの国で買ったソフトでも見ることができるといいます。怪しい。怪しい。

○ ところで、こんなことを書いていると偶然にも、ある読者(初めての方で、筆者のらくちんは、存じ上げない方)から、アダルト系のDVDの値段について問い合わせがありました。このサイトで殆どふれたことのない色っぽいお題を頂戴したので、好奇心の強いらくちんは、感謝感激、早速、「光華商場」行って調べて見ました。とにかく、この手のものは、値段にバラツキがあるようですね。まあ、平均して、1タイトル250元(約880円)というところでしょうか。このジャンルは、まだまだ、DVDよりVCD(CD−ROMに入れる動画像の規格で、DVDより画像は悪いが、安い。日本以外のアジアでは、非常に普及している)の方が、品揃えが豊富なようでした。この読者からは、「XXのもの」との制限がありましたが、これは、ちょっと、買って見ないと分かりません。(とうとう伏字まででてしまいました!)怪しいですね。全く。

7月21日
会計処理
○ WorldCom(以下コムとします)の不正会計について、前CFOサリバン氏のコメントが出、それが、"Just For Record"というホームページで解説されています。(ココ、7月15日)僕は、社会人に入ってすぐ3年間だけ経理の部署にいました。ですので、ビジネスマンとしての基礎的な会計上の知識しかありませんが、まあ、いつもどおりのんきにコメントさせてください。

○ コム側の見解は次のようなものです。
1) 急増する回線需要に備えて、長期、大規模、固定料金で回線の確保をした。
2) 契約期間中の初期に払う回線リース料のかなりの部分が、その後、回線の利用が増えたときの収益に貢献するものだと考えた。そこで、費用収益を対応させる為に、回線を確保した費用の一部を資産に計上し、将来、回線利用が進んだ時にあわせて費用化しようとした。
3) しかし、現実は、思った程、回線利用がすすまなかったので、資産に計上したものを今期、一括償却するつもりだった。

○ 上記の処理を「邪悪な処理」と決め付けては、思考停止になってしまうので、できるだけコム側に寄り添って、これに似た例を考えて見ます。会計のごく初歩知識のおさらいです。

○ まず、一般的な、製造原価、売上原価の計算に見られる費用収益対応の原則です。例えば、ある文房具屋さんが、2000年に50円でノートを仕入れ、輸送費の10円と共に支払ったとします。そのノートが2001年に100円で売れました。その場合のキャッシュフローは、2000年-60、2001年+100です。しかし、損益計算書上は、2000年の収益/費用:0、2001年:収益40(=100−50−10)となります。2000年末には、このノートは、60円の在庫として貸借対照表の資産の勘定の一つに入れておき、2001年に100円の売上を計上すると同時にその見合いの費用(60円)を認識することになっています。ここで、「2000年の決算は、60円の赤字でした」と報告するのは、違法な処理で、税務署に叱られます。非常に大雑把にいうと、コム側の主張は、この文房具屋さんが60円を在庫という資産の勘定に入れた処理と、コムの行った処理は、同じものだと言うものです。

○ 実際の運用でも、メーカーの仕掛品として資産に計上されているものには、材料費だけでなく、ある種の人件費も含まれています。また、直接関係あるものなら「通信費」なども含まれ得ます。そこまでいくと、この処理とコムの処理とどこが違うのかと迫られるとすぱっと一言で答えるのは、難しくなります。

○ 次に、保険の例。あるメーカーが、新設の工場の火災保険費30万円を、3年分として一括前払いしました。この場合、一年目に30万円を費用として認識すると、これもまた、違法な処理で、税務署にしょっぴかれます。期間で均等に費用化して、一年目は、10万円だけを費用として認識し、残り20万円は、前払い費用(前払い費用という名前でも、費用の勘定ではなく、資産の勘定です)として資産の一部に計上しなければなりません。

○ 一方で、この工場が、できたばかりなので、一年目の売上が非常に少なく、3年目に巨大な売上が見込まれているとしても、売上比例ではなく、期間均等で、一年目には、保険代10万円の費用を認識します。つまり、時間的な期間を基準にして費用化していきます。期間で費用認識するものの例は、利息、保険費、倉庫代、家賃などです。今回のワールドコムのリース契約が、家賃などと同じ契約内容で、且つ、2000年分として支払ったものを費用認識せず資産に計上していたなら、コム側の処理は、やはり、稚拙且つ、違法な処理といえるでしょう。(僕自身は、せいぜい、こんなところかと思っています)

○ 次に、権利料の扱いです。前CFOが説明しているように、コム側が回線リース契約で支払ったお金が、家賃と同じものではなく、「回線確保権利金」といった、権利料だとすると、話は複雑です。一般的に権利料の処理は、難しく、個々の契約書をよく読んで個別に処理するしか方法は、ありません。概して言うと、繰延資産、長期前払い費用、無形固定資産などの資産の勘定にいれ、償却処理されることが多いと思います。この場合、コムの処理も一概に悪いとは言い切れないことになります。(但し、バランスシートをチェックする実務の人間にとっては、繰延資産、前払い費用、無益固定資産といった勘定は、大体は、換金性のない資産で、「怪しい勘定」です。その会社の純資産を見る時には、まっさきに資産から除外する(費用として扱う)ことが多いと思います。)

○ ちょっとぞくっとする例を上げれば、最近まで、日本で電話を使った事業をすると、電話加入権が必要で、その為の権利金は、無形固定資産という資産の勘定に計上することになっており、しかも、償却すらできませんでした。これと同じものだとすると、コム側を責めるのは、難しいでしょう。

○ 次は、リースです。ある会社が、法律上8年で償却するとされている300万円の設備を導入しようとしました。税務上のメリットを得る為にもと、リース会社と契約し、3年リースで毎年100万円強ずつはらい、リース期間満了後、ただ同然の安価で買い取ることになりました。この場合、いくら「リース契約書」という契約書があっても、リースとはみなされず、資産計上しなければなりません。実質上は、賃貸ではなく、リース会社がファイナンスした割賦販売と見なされ、資産を計上し、8年かけて減価償却します。また、導入時に、3年間で払う負債を計上します。

○ リース会計というのは、色々と複雑で、それだけに、会計上のごまかしがよくあるものです。実務の経験で言うと、行き詰まる会社は、末期には資金繰りに困っていることもあり、大抵は、変なリース契約と、それに基づく変な会計処理があるものです。コムの事件を最初に聞いた時は、リース会計かなと思ったのですが、続報を聞く限り、そうではなさそうです。

○ この他の論点としては、修繕費があります。つまり、修繕費は、通常すぐ費用に落とすけれども、耐用年数を延長するもの、能力を拡大するものは、資産に計上します。しかし、今回のコムの件は、関係なさそうです。

○ 結論として、僕自身の個人的な感想を言うと、今回のコムの件は、回線利用の契約書の内容が、「権利金」的なものだったか、単なる「利用料」だったかによると思います。そして、恐らく、支払いごとに対象となる特定の期間が明示された「利用料」だったのではないかと想像しています。だとすれば、会計的には面白い議論ではあるけれども、やはり稚拙な違法処理といわざるを得ません。

○ 色々と書いてきたのを見ていただいても分かるように、会計といっても、数学のように、回答が一つだけという訳では、ありません。実務では、公認会計士も一緒になってどう処理するか悩むようなことも多いものです。そこで、いつも思うのですが、会計監査のコメントがいつも、「問題無し」のようなコメントなのは、やめればよいのにと思います。「適法な処理だ。しかし、強いて注意すべき点を上げるとすれば、これとこれであり、そのインパクトはこれぐらい。」というコメントを全ての会社でつければよいと思います。今、監査法人のコメントがついたりするとそれだけで株が暴落するので、上場企業の監査では、重要なものから少なくとも3つは、指摘することをルール化すればいいと思います。そうすれば、財務諸表の分析もずっとしやすくなります。また、そのコメントをみれば、監査人の実力もよく分かると思います。今の最大の問題は、「監査法人を継続的に評価するシステム」が上手く機能していないだと思います。僕は、日本人は評論家をちゃんと評価するのが下手だとかねてから思っているのですが、その意味で、日本でも、じっと見ているだけでなく、手を打つべき事件でしょう。

7月16日
おばちゃんの弁当
○ 今日の昼食は、「おばちゃんの弁当」だった。昼時になると、会社が入っているビルの前の路上で、小柄の歳をとったおばちゃんが、みかん箱二つ程、せいぜい80個程のお弁当を並べて売っている。僕は、好きな具の入った弁当を指差さして、「これ、これ、これ欲しいヨ」と、真っ黒に日焼けしたしわだらけのおばちゃんの顔を覗き込むように、お金を渡す。すると、おばちゃんは、電光石火の早業で、その弁当をビニール袋に包んで渡してくれる。ヤクルト一本のおまけつきだ。これで、55元、日本円にして200円程。おつりを手渡しでもらうとき、その皺だらけの真っ黒な手に触れるとなんとも暖かい気持ちになる。

○ それにしても安いと思う。日本のほかほか弁当なら、普通、倍の400円はするだろう。200円台だと、のり弁当があったけれども、のり弁当に比べれば、おばちゃんの弁当の方が余程豪勢である。具も7,8種類入っており、メインは、でかい鶏肉のかたまりがどてっと入っていたりする。少し脂っこくはあるが、決して簡素なものではない。お味の方は、というと、デリシャスとまでは言えないが、いいかげんなものではない。

○ しかし、台湾人の同僚は、10元高いのに近くの弁当屋に買いに行っている。なんでも、おばちゃんの弁当の箱が、プラスチックなので、健康に良くないからだそうだ。健康の為には、少し余計に歩いても、紙の箱に入った10元高いのを買うというのだ。贅沢な連中だなあ。

○ ところで、僕は、昨日、日本の所得格差の少なさは、異常ではないかというようなことを書いた。しかし、台湾では、55元でメインディッシュになりうるほどの弁当が買えるから、タクシーの運転手さんも、初乗り70元で、やっていけるのである。ここでは、多少のムードなどを諦めて、安く暮らそうと思えば、相当安く暮らせる。日本が今の物価体系のまま、今の低所得者層の所得をさらに減らすと、暮らしていけなくなるから問題だと思う。日本は、デフレが問題だというが、ムードとかブランドを気にしなければ、今よりずっと安く、結構おいしいものを食べて暮らせるようにすることは、ある種のセーフティネットになり、いいことだと思うがどうだろう。

○以前NHKの番組で、左官屋さんだったのに、不況で職を失いホームレスになった人を取材していた。今は、一日自転車で走り回って、空き缶拾いをし、本当にわずかの収入を得ている。僕が思うに、日本には、もう少し中間がないものかと思う。給料は、安いだろうが一応職はあり、それでもそこそこ食っていけるという選択肢を広く用意して欲しい。会社をクビになったら、いきなりホームレスでは、おっかなすぎる。

○ そう思って、おばちゃんの手を握った自分の手をじっとみつめた。

7月14日
給料
○ 日本人から、「台湾の人の給料は、幾らくらいですか」とよく聞かれる。日本人慣れした台湾の方が「大体、日本の半分です。」と説明しているのを見かけたことがあるが、どうも実際に台湾に住んでみると、「半分」と言うのは、しっくりこない。

○ ブランド物の店などでは、日本と値段が変らないのに、台湾の人が結構買っている。台湾の中小企業の社長さんが行く飲み屋さんは、日本人駐在員にとっては、会社の経費でも個人でも行けないくらい高い。そこで働く女性の給料も、日本人相手の飲み屋より高いという。スターバックスの値段も、日本と変らないのに、店はいつも台湾の人で一杯だ。一方、タクシーの初乗りは、70元(約250円)で、30分くらい乗っていても300元(約1000円)もかからない。要するに、なかなか、一言で答えるに難しい質問だと思う。ここで、ぐたらぐたらと知っていることを書いてみよう。

○ まず、「な〜るほど・ザ・台湾」という雑誌に、製造業従業員平均給与:38,792元(2000年)と書かれている。(出典不明)この数字で見ると、日本よりかなり低いように思われる。(因みに、現在、円高で、1NTD=3.5〜3.6円程度)

○ 次に、人材紹介の104人力銀行が6月18日に公表した新卒新入社員の給与に関する調査を見てみよう。
単位:台湾元

産業 大学 大学院以上
金融 29,637 34,300
情報通信 28,908 34,243
流通 27,943 32,289
サービス 27,861 32,951
従来型製造 27,630 32,706

僕は、日本の大卒初任給を正確には知らないのだが、比べると、大体日本の6割くらいではないだろうか。ここで、興味深いのは、大学卒と大学院卒で18%程度も違うことである。

○ 台北駅前のマクドナルドのアルバイトに、恥ずかしかったが、時給を聞いてみたら、「72元」(約250円)との答えであった。東京の中心地での、マクドナルドのアルバイトの時給は、800円〜900円程度だから、これは、また、格差が大きくて、日本の30%程度でしかない。

○ これらの数字を並べてみて思うのは、要するに、職務により、給料の差が大きいのだと思う。台湾では、タクシーのドライバーやマクドナルドのバイトは、非常に安い。大卒の給料になると、日本に近づいてくる。そして、中小企業の社長さんになると、日本の同年代の人に比べても、また日本の社長さんに比べてもずっと高給取りなのではないだろうか。つまり、「所得格差が大きい」ので日本と比べて一言で説明するのが難しいようである。

○ しかし、「台湾の所得格差が大きい」と一言で済ましていいのかとふと思った。おかしいのは、台湾ではなくて日本であり、「日本の所得格差が小さすぎる」のではないだろうか。マクドナルドのバイトの時給が、ハンバーガー10個分以上というのは、高すぎやしないか。 「中国の田舎の人と同じことしかできない日本人は、中国の田舎の人と同じ給料しかもらえない。それがグローバリズムの本当の意味だ。」とある人が言うのを、しゅんとして聞いたことがある。手に職のない僕個人としては、こういわれるのはつらいが、それにしても、日本の給与体系は、行き過ぎなのかもしれない。

○ ところで、ハンバーガーの値段で、為替レートを決めるハンバーガーレートは、有名だけれど、マクドナルドのアルバイトの時給で、為替レートを試算してみるとどうだろうと思っている。この話は、また、別の機会に続けさせてください。

7月12日
台湾のデパート
○ 日本と違い台湾のデパートは、元気だ。セールの時の休日に行くと、エレベーターに乗る人が長い行列を作り、ワゴンの前には人だかり、押すな押すなの大盛況となる。僕は、初めて台湾のこの風景を見た時、「ああ、僕が子供の時、日本のデパートの熱気はこうだったなあ。」と懐かしく思った。

○ さらに面白いのは、日系の百貨店が、とても強いことだ。台湾人が、日系百貨店にどんどん入っていくのである。エスカレーターでは、日本語で「お気をつけてお乗りください」といったアナウンスが放送されているが、売り場では、殆ど日本語が通じない。つまり、日本人は、ターゲットの客ではないが、日本語がおしゃれな雰囲気をだす演出に使われているのだ。

○ 7月11日付けの工商時報によると、2002年上期(1-6月)の台北地区の主なデパートと大型ショッピングセンターの売上は次の通り。

 単位:NTドル(現在、1NTドルは、およそ3.5円)

名称 2002年上期 昨年比 摘要
新光三越 94億 +7.5% 新館オープン
台北そごう 79.2億 +0.5%
遠東百貨(全国) 70億 43億元 高雄店新設。全国合計
大葉高島屋 26.7億 -4%
衣蝶(台北2店) 16.5億 -6%
明曜百貨 8.2億 -16%
来来百貨 5.1億 -19%
中興百貨(1-5月) 11.6億 +7% 1-5月。5月に信義店新設
微風広場 24.8億

○ 日本では、つぶれたそごうが台湾では、トップブランドである。総売上では、新館の増設をした三越には抜かれているが、旗艦店の太平洋そごう忠孝東路店は、台湾のナンバーワン店舗である。日本のそごうの影響力は、現在ほぼゼロであるが、これだけ人気があると太平洋グループもそごうの看板をおいそれと降ろす訳にはいかない。

○ 日本から出向で来て台湾そごうを経営していた日本人を引き抜き、経営者に迎えいれたのが、最近できたショッピングモール微風広場である。この微風広場と、それと競うように新設された大型ショッピングモール京華城が、今年の話題になっている。台湾での消費のスタイルが百貨店からショッピングモールに変るかどうか、みんな注目している。

7月9日
500万人のブロードバンド利用者
○ 日本でのブロードバンドの利用者が500万人に達したようだ。総務省の発表によると、5月末時点のブロードバンド利用者数は、465万人。(ココ)そして、6月単月は、まだ集計できていないが、ブロードバンドの内のNTT回線を利用するDSLの加入者数は、6月単月で27万人増加した。(ココ)従って、恐らく6月末から今日7月9日までのどこかの日に、500万人に達しているのだろう。

○ ブロードバンドというと、DSL、CATV利用、光ファイバー(FTTH)の三つを指す。FTTHは、数%で無視できる数なので、大雑把にいって、DSL:CATV利用=2:1で考えられる。IT見栄講座風に言うと、「7月初め時点で、500万人。DSL:CATV=2:1」と覚えておくと、ちょっと知ったかぶりができる。

○ つい先日、台湾のネットワークゲーム会社の人に、「もうすぐ500万人だよ」と言うと、非常に驚いていた。彼も、それなりに日本のマーケットを調べて昨年末の数ぐらいは頭に入っていたので、却って、その急激な伸びに驚いたようだ。なにせ、毎月30万人増えているのだから、恐ろしい。日本の「インターネット国」は、毎月30万人の「市(し)」を新たに一つずつ増やしていくほど人口が増えているのだ。

○ その台湾のゲーム会社の人に真剣に「何に使っているの?」と聞かれて、答えに窮してしまった。「結局は、WEB程度だよ」というと、天井を仰いで、「なんとぜいたくな」という顔をしていた。もっともなことである。

P.S.つい筆が滑って書いた、「IT見栄講座」っていいですねえ。歳がばれるかな。

7月7日
商人
○ 僕は、自分が商人である故に、貨幣とか商人については、いつも、時を忘れて考え込んでしまう。考える人としての自分にとっては、毎日、商人のフィールドワークをしていると言えなくもない。

○ 商人として毎日のように値段交渉をしていて気付いたのだが、値段交渉には、二つのスタイルがある。一つは、「他の競合者がこの値段なのだからそれより安く(或いは、高く)しろ」という、「比較論」。もう一つは、「コストにこれだけかかるのだから、これ以上高くないと売れない。」或いは、「これだけしかコストがかかっていないのだから値段を下げろ。」という「積み上げ論」。個人的な独断的印象を述べると、どちらかというと、「比較論」は、商人(営業)や中国系の人が採りやすく、「積み上げ論」は、メーカーや日本人が採りやすい。中沢新一も、西欧の「重商主義」と「重農主義」の論争の背後に、この二つの発想の違いがあることを指摘している。

○ 紀伊国屋文左衛門が、みかんで大儲けをした。和歌山の価値体系では、10円しか値打ちの無いみかんが、東京の価値体系では、100円であることに目をつけ、その、価値体系の違いを使った。商人というのは、価値体系の違う二つの社会において、一つの商品を融通する存在であり、それこそが、利益の源である。――こういう理解は、「比較論」であり、「差異論」とも言える。僕が思うに市場社会の商人は、まずは一旦、「差異論」としてものを見ることができなければならない。価値体系の差異を嘆くのではなく、価値体系の差異をチャンスと捕らえなければビジネスを興せる目はない。そこで、ここに、「差異の狩人としての商人」が立ち現れる。

○ では、金融業者とは、金利とはなんであろうか。金融業者は、商人の一人でありながら、お金という商品に特化した特殊な商人である。上記の商人的視点でいうと、特に、他の商人が空間的に異なる社会が生む価値体系の違いを利用するのに対して、金融業者は、時間的に異なる社会が生む価値体系の違いを利用する。そこで、今の日本と3年後の日本における、お金の値打ちの違い、それが、金利ということになる。

○ 商人がこの世に登場した契機について、物々交換→貨幣の誕生→貨幣の普及→商人の登場という、漠然としたイメージが頭に残っている。しかし、僕は、この差異の狩人としての商人や金融業者の働き無しに、貨幣がその基本機能である、交換機能、価値尺度機能、価値貯蔵機能を果たすことは、できないと思う。つまり、貨幣が成立したその同じ日に、利潤が発生し、商人が誕生した。それほど、商人というのは、貨幣がある限り生息した、最も古い職業だと思う。

○ 因みに、絶対的な一神教であるイスラム教では、神が全てを支配するこの世にある価値体系は、一つしかなく、二つ目の価値体系などありえない。従って、その二つの「差異」もない。となれば、金利は否定される。実に論理的で透明なイスラム教の論理は、却って、上記の「差異論」を理論的に縁取り、クリアに示してくれる。

○ では、製造業者とは、なんであろうか。革新的技術をもったメーカーを差異論で説明することは、可能だ。薄型の大型PDPテレビを作った人は、3年先の技術を自らが引きよせ、現在に使えるようした。そこでは、3年先の未来の価値体系における安い値段と、現在の価値体系での高い値段との違い、及び、その違いを自分達だけが橋渡しできることが、その革新的企業の利益の源泉となった。しかし、殆どの製造業者には、この「差異論」はピンとこない。コストダウンと歩留まりの向上に地道な努力を毎日続けている彼らにとっては、市場の動きを常に注視し差異を求めるよりも、日々の細かな積み上げこそが腕の見せ所であろう。やはり、製造業者を見る時には、「積み上げ論」的視点をとるほうが、分かりやすい。

○ 今度は、逆さまに、「積み上げ論」の視点から、色々な産業を見渡してみよう。製造業者というのは、できるだけ低いコストで、モノとモノを組み合わせ、モノとモノとの折り合いをつけるモノのプロフェッショナルである。確かにこの方が、上記「差異論」による説明より、製造業者の実態を知るものには、分かりやすい。この論を延長すれば、商業は、モノと貨幣を組み合わせ、折り合いをつける生業であり、金融業は、貨幣と貨幣を組み合わせ、折り合いをつける生業となる。

○ ここでは、我々が手に入れた二つの視点、「差異論」と「積み上げ論」のどちらかを放棄してしまうのではなく、両方を上手に使いこなして生きていく方が、実益が多いだろう。日本の金融業が、商人の一人でありながら、結果的に「差異論」を無視するかのように誰に対しても固定の金利でほぼ手数料のみでの資金媒介をしている限り、貨幣の流通の促進は、すすみそうもない。(デフレスパイラル!)一方、日本の製造業は、実は金融業よりも早くから海外の荒波に自らをさらしてきたせいか、まるで差異の狩人のように、海外企業への投機的投資や、短期的視野での事業売却を繰り返しはじめた。もちろん事業の整理は、必要不可欠だが、製造業としての「積み上げ」を軽視しては、長期的によい結果を生むことは、不可能だろう。

○ 中沢新一のいうように、「モノ」に対する特別の敬意を持ち続けた日本社会。モノづくりに関して、弱ったといえ、天才の輝きを失わない日本社会。この日本社会としては、敢えてこの差異論と積み上げ論の二つの論を並存させることによって、もう一度知的にも、物質的にもみずみずしさを取り戻すべきだと思う。それが、日本の外の世界でも役立つと信じたい。

○ 個人としては、結局、製造業、商業、金融業に携わるものそれぞれが、自分の役割を誠実に果たしていくことだと思う。僕に関して言えば、商人は商人らしく、仕事を進めるが大切なのだと、自戒をこめてもう一度見直さなければなるまい。


7月5日
「緑の資本論」
● 中沢新一の「緑の資本論」を読んだ。いつものように、本の主旨から外れるのもお構い無しに、個人的なコメントを並べたい。

● 圧倒的な非対称
911事件を契機としてこの本を書いた中沢新一は、「圧倒的な非対称」として、アメリカとテロ側、イスラム教とキリスト教、イスラム経済体制と資本主義とを対比する。僕自身、911事件を契機に、「非対称の戦争」「非対称の同盟」「非対称のインターネット」などと、現代の非対称性について関心を寄せてきた。(ココ)今年の初めには、この「台湾日記」で、
  2002年のキーワードの一つは、この「非対称性」なのかもしれない。(ココ
と書いていたりしたので、実に興味深く読んだ。

● イスラム教
○ 「緑の資本論」では、イスラム教をかなり寄り添った形で説明をしながら、資本主義を精神的に支えたキリスト教と対比している。中沢新一は、キリスト教における、父と子と精霊の三位一体論のアクロバテックな論法の難点を指摘しつつも、その三位一体論こそが、資本主義の発展を支える精神的な源であったと説明する。ここで、イスラム教は、絶対的な一神教であり、利息を禁止し、大量同一商品の販売を嫌う宗教として、資本主義経済を背後で支えるキリスト教と対比される。

○ 僕は、 911事件とそれ以降のイスラム教文明に対する皮相な否定的な見解(「文明の衝突」)を見るとき、いつも、イスラム教の碩学、井筒俊彦が生きていれば、何かコメントを聞いてみたいなあと思ったものである。何といっても、イスラム教への敬意と深い洞察無しに、現代の国際社会の安定を実現するのは、不可能なのだから。その意味で、この「緑の資本論」のような、考察が出てくる事は、とてもありがたい。

○ 少し脱線するが、イスラム教について、気付いていない人が多いと思われる事をここに幾つか挙げておく。第一に、井筒俊彦が述べていることだが、通常、キリスト教徒とイスラム教徒が政治力無しに、純粋に理論的に討論すると、イスラム教徒の方が勝ってしまうという。イスラム教は、キリスト教の成立後に出現したものなので、キリスト教の論理を十分に研究し尽くしており、成立当初より、キリスト教に勝ちやすいように作られている。イスラム教は、理論的で非常にソフィストケイトされた(洗練された)宗教の一つである。第二に、中沢新一も指摘しているが、モハメットは、砂漠の商人、しかも優秀な商人であった。井筒俊彦が述べているように、コーランの中にも、商人の言葉があちこちにたくさん出てくる。イスラム教について「砂漠の宗教」と語られることが多いが、実は、「商人の宗教」としての性格も強い。第三に、イスラム教は、利息をとることを否定しているとよく言われる。しかし、銀行がお金の余っている人から、足らない人に融通する「手数料」をとることは、認めている。資本主義の世界でもギャンブルのようなマネーゲームに対して否定的な人は多いが、発想としては、その感覚と共通するものである。

● 貨幣
○ 中沢新一は言う。キリスト教の三位一体論では、父と子の間を結び付けるのは、精霊の豊かな増殖能力である。その精霊の増殖能力を肯定する事で、貨幣が貨幣を生む資本主義社会を精神的に支えてきた。しかし、絶対的一神教のイスラム教では、神以外のものが自発的に増殖をすることを許さない。それ故に、聖霊の増殖能力は否定され、貨幣が貨幣を生む利息も否定される。

○ 僕は、思う。イスラム教とは、なんと理論的に透明で、静謐な精神体系なのだろう。その揺らぎなき体系が、どこまでいっても、せわしない資本主義と、或いは、産業化と対峙してしまっている。しかし、一方でこうも思う。資本主義がパラダイム変換につながるような大きな技術革新がないままに、順調に進んでいけば、結局は、イスラム教の想定するような、理論的で均衡した社会に近づくような気がする。それは、近代経済学のいう「均衡」に近いかもしれないし、村上春樹のいう「世界の終わり」に近いかもしれない。少しひやりとするのは、手数料としての金利しか許さないということが、実態としてこの日本で、起こってしまっているのを見つけるときである。預金の金利よりもはるかに高いATM利用料を払っている社会の住人が、金利を否定するからといってイスラム教を非近代的と言えるのだろうか。

○ どんどん脱線する。ここで、貨幣について改めて考えさせられることが、911事件のまさにその由来の地で起こっている。今、アフガニスタンでは、見た目が殆ど同じ2つの種類の紙幣が出回っている。どちらも、一応「本物」であるが、価値が何倍も違う。微妙な印刷のインクの違いを人々は見分けながら暮らしている。これもまた、貨幣とはなんだろうと考えさせる。

http://www.tanakanews.com/c0621afghan.htm
http://www.peace-winds.org/03project/koe/yama3.html

○ もっと脱線する。中沢新一は、キリスト教の三位一体論の父/子/聖霊を、資本主義の商品/資本/貨幣に当たるものとして説明する。ここで、僕は、最近この「三位一体論」なるものをどこかで読んだことに思い当たった。ポール=クルッグマン(「恐慌の罠」)によると、国際金融制度には、1)独立した金利政策、2)自国通貨の為替相場での安定、3)完全な通貨の交換という「和解不可能な三位一体」がある。こうなると禅問答であるが、人を待っているときなどに考える絶好の材料である。キリスト教の父/子/聖霊、資本主義の商品/資本/貨幣、国際金融の金利政策/通貨安定性/通貨交換性。これらの関係を考えてみるもの、時間つぶしにはもってこいだと思うがどうだろう。

● 日本の「モノ」思考
○ 「緑の資本論」に戻る。中沢新一は、日本の社会が古くから持っている、「モノ」の多産性、豊穣さに対する敬意に、問題の解決の糸口を見出そうとしている。「モノ」は光り輝くものではなく、陰影があり、闇から立ち上がり明るみにでたと思うと、また、闇に消える。資本主義社会の、明るみに照らされた冷たい「物質」が商品として転々する社会観から離れ、イメージ豊かな「モノとの同盟」が決意される。

○ 僕も、確かに、東洋の社会の一つとして、日本から何かしらの切り口の提示ができないかと思う。一方で、ワールドカップでも感じたけれども、果たしてトルコまでに至るイスラム教国から東端の日本までを東洋として一くくりにして意味があるのかとも思う。井筒俊彦が、鬼気迫る思想的情熱で追求していたのもこの「東洋とはなにか」である。

○ この意味で、中沢新一の言う、日本人の「モノ」観というのは、一つのヒントであろう。思想的な面でも、イスラムも含む東洋的な思念と、産業化との折り合いつける一つの基盤になる可能性をもっている。また、世俗的な面を見ても、ものづくりの天才としての日本人をもう一度見直すことで、緩慢たる衰退を見せる自らの社会にみずみずしさを与えることになると思われる。それがまた、「圧倒的な非対称」のなんらかの和解につながることを期待したい。

7月3日
焼き魚焼け
○ この前の日曜日に台中でゴルフをしました。白地に黒のボーダー(横縞)の入ったポロシャツを着ていたら、黒いところが日光をたくさん吸収して、背中がボーダー状に日焼けしてしまいました。シャワーを浴びていると、一緒にプレーしたひとに、「お前、焼き魚みたいだぞ。」と言われて大笑い。台湾は、もう真夏です。

7月2日
台湾の写真館
● 以前、台湾の自動車泥棒の話(「自動車泥棒との交渉」、ココ)を教えてくださった河野さんから、台湾の写真館についてemailを頂きました。僕も、このサイトを立ち上げた時の最初の台湾日記で台湾の写真のことを紹介したりしていて(「結婚写真」、ココ)、とても、興味を持っていました。以下は、河野さんからのemailと、その後の河野さんと僕とのQ&Aです。

●河野さんからのemail
○ 私(=河野さん)の今の仕事も写真に関連があるのですが、サラリーマンのころ、台湾写真館見学ツアーを組んで日本の写真屋さんを台湾に何度も連れてきました。そんな訳で、台湾の写真事情にはある程度詳しくなりました。意外かも知れませんが、台湾の例の婚礼写真スタイルは、いまや日本を始め、東南アジア各地に広まっており、この世界では、台湾は隠れたナンバーワンです。写真屋さんの世界を見ると、日本人と台湾人のビジネススタイルの違いが象徴的に現れていると思えることがあります。(独断ですが)
 以下、ちょっと長くなりますが、台湾と日本の婚礼写真業界の違いについて…

○ ご存知のように、日本の婚礼写真は、業者の大部分が、ホテル、結婚式場などにテナントとして入ることで、その施設を利用する結婚対象者を自動的に顧客としています。言い換えると、利用者は写真屋を選べません。また、写真屋も、いくら自分の写真を気に入ってもらっても、他のホテルの利用者を顧客にすることができません。日本の婚礼写真大手は、写真が上手でも、宣伝が巧みなのでもなく、ホテルや式場にテナントとして入店する金と力があるだけといっても過言ではありません。通常、中規模のホテルでも、写真室としてテナントに入るためには、数千万円の権利金が必要です。そして、売上げの20〜30%のマージンをホテルに払います。その代り、一端テナントとして入ってしまえば、自動的に年間売上げがある程度確保できるのです。いわゆる、利権商売ですね。
 このような業界では、何が起こるか?本来のお客様にではなく、ホテルに顔を向けて商売をしているのです。ですから、10年前、20年前と変わりないような写真を撮っているのです。

○ 台湾では、結婚をする時、披露宴はレストランや、ホテルを使いますが、写真は自分たちが気に入った写真屋さんを、二人で何件も回って探します。必然的に、写真屋さんでも新しい撮影スタイルや、衣装、アルバムなど、次々に考え、商品にしていきます。愛国東路(中山記念堂の南側)などは、写真屋さんが100件近くズラリと並んで、互いにしのぎを削って商売をしています。利用者もそういう場所のほうが、いろいろと見比べて選べて便利ですから、たくさん集まってきます。一年もすると、新しいデザインのアルバムや撮影スタイルがどんどん出てきます。そんなところを日本の同業者が見ると、新鮮に映るのでしょう、今でこそ少なくなりましたが、日本の写真屋さんの台湾詣では一時ブームになっていました。15年くらい前に日本の結婚式場が日本スタイルを台湾に持ち込んで式場を作ったことがあったらしいですが、うまくいかずに撤退したそうです。

○ 台湾人は、日本のように、式場を選んだら、写真や衣装、花や引き出物まで、そこで選ばなくてはいけないなんてお店は、絶対に受け入れないと思います。また、商売をやる方も、何千万円もお金を預けて、さらに黙って売上げの2割、3割持っていかれるなら、自分でお店を持って宣伝をして、お客を集めることを考えるのではないでしょうか。
これって気質(買い物と商売両方の)の違いのような気がしますね。

● 僕の質問とそれに対する河野さんの答え
Q) よく台湾の結婚写真の方が、技術的にも日本よりも10年は進んでいるというようなことを聞きます。具体的に、どこが違うのでしょうか。修正して綺麗に見せる技術ですか?
A)修正の技術は日本のほうが良いかもしれませんね。ただ、今は修正してきれいにするということはほとんどないと思います。メイクとライティングのテクニック、あとは、ポーズのつけ方ではないでしょうか。台湾の写真館が進んでいるのは、このライティングやポーズを含めた演出(小道具を使ったり、撮影場所を変えたりする)ですね。しかし、これはほとんどコマーシャル写真の手法を取り入れているだけなんです。彼らの元ネタは、日本のファッション雑誌だったり、「コマーシャルフォト」ですから。日本の写真屋さんが不勉強ともいえますし、前にご説明したように、エンドユーザーと直接商売をしているので、ユーザーのニーズに敏感に反応しているのだと思います。日本では、どうしてもホテルや式場に目が向いていますから。

Q)日本の写真屋さんでもやろうとすればできるものなのでしょうか?あるいは、そうそう真似ができないものでしょうか?
A)日本の写真屋さんでも、台湾スタイルを取り入れているところが多くあります。むしろ式場にテナントとして入っていない独自店舗の写真館に多いです。(台湾からカメラマンを連れてきて、それをウリにしている写真屋もあります)ただ、本格的にやろうと思うと、スタジオの造りをコマーシャルスタジオ的に変えていかなければならないのと、どうしても旧来の写真スタイル(2人で立って正面を向いている写真:業界では型物写真と言っています)の需要がありますので、全面的には切り替えられないのでは。 台湾と日本の写真屋の一番の違いは、台湾では写真屋さんが、衣装を自前で持って、メイクやヘアーセット等美容室の仕事もこなしていますので、ドレスを何着ようが、ドレスにあわせてメイクやヘアーをやり直そうが、社内で対応できるのに対して、日本の写真屋さんは、衣装は貸衣装屋、メイクは美容室ですから、なかなかフレキシブルに対応できませんね。(自前で衣装を揃える写真屋さんも増えていますが) つまり、ビジネススタイルを変えないと、表面上の写真テックニックを真似ても日本ではできないと思います。


台湾日記 バックナンバー
 2001年6月7月8月
9月10月11月12月
2002年1月2月3月4月5月6月

emailください!rakuchin@mvj.biglobe.ne.jp