台湾日記  2002年1月1日〜
  
(台湾日記 バックナンバー 2001年6月7月8月9月10月11月12月


1月5日
花蓮・台東
○ 正月は、台湾の東海岸の花蓮、台東を旅行した。この地域は、急峻な山地が海際まで迫っており、景勝地であるが、観光以外の目立った産業はなく、人口も少ない。昔日本人が高砂族と呼んだ原住民が、多く住んでいる地域でもある。旅の途中でこの原住民について思ったことなどを書いてみたい。

○ 台湾原住民は、4百年程前に現在の本省人の先祖が中国の福建省あたりから移住して来る前から台湾に住んでいた人々で、主としてマレー系で、現在台湾政府は、十族あるとしている。(昨年、認定民族を一つ増やしたが、一般的には、台湾人も「9族あります。」と説明することが多い。)「それぞれの言語は通じないので、今でも、彼らの共通語は、日本語だ。」とも日本の本などには書いてある。しかし、実際には、かなり同化されており、同化の進んだ民族の若い世代は、勿論、北京語を話し、日本語は話せない。また、交流が進み境界の曖昧な民族などもある上に、漢民族との混血もすすんでいるので、明瞭に区分できない場合もままある。以上が、旅の前に知っていたことである。

○ 花蓮では、タロコ渓谷という、大きな渓谷を車に乗って見てきたが、そこのビジターセンターで、その道路の建設の歴史を写真で展示解説していた。険しい山中の渓谷に付ける道路故、大変な難工事であったが、時の蒋経国(蒋介石の息子)総統が、平和になって仕事のない外省人の軍人を活用してつくったとのことであった。建設機械を持ち込めないような難所なので、スコップとツルハシを使った人力での工事が続いた。その建設現場の白黒写真は、かなり印象的だ。内戦などで大きな軍隊を持ってしまった国が、平和になった時に、その大人数の軍隊をどうするかがいつも問題になる。豊臣秀吉の朝鮮出兵や西郷隆盛の西南戦争など、日本では、失敗の歴史が目立つが、蒋経国のこの工事は、実に立派な活用法だったといえる。さて、現代に目を移して、アフガニスタンでは、うまくいくだろうか。

○ 花蓮の後は、ガイドを兼ねた運転手さんの車で東海岸沿いを台東まで南下したが、道すがらその運転手さんに色々話を聞いた。大きな都市を結ぶ道の途中にある多くの小さな村々に住んでいるのは、殆どがアミ族の人達とのこと。中の一つの村に就いては、「この村は、外省人の退役軍人がたくさん住んでいます。彼らの多くは、アミ族の女性と結婚しました。」とのこと。成る程、近くに住んでいれば、そりゃそんなこともあるだろう。花蓮県は、大きな空軍基地もあり、軍人及び退役軍人が多いとのこと。「花蓮県は、確か、国民党が強かったですよね、軍人が多いからですか」と尋ねると、「軍人が多いのもあるが、国民党が選挙前に宴会をしてアミ族の人たちを上手くまるめこんでいるから」と、本省人で民進党支持者らしい運転手さんは、あまりいい顔をせず言った。昨年12月の県長選挙でも、国民党の候補が当選している。

○ 道すがら、そのアミ族の民家をみると、ものの本などでよく書かれているような木と竹で作った家は、結局一軒しか見つけることが出来ず、殆どは、コンクリート製の立派な家屋だった。その立派な家を見ると、まるめこんだというよりも、国民党政権の時から、政府が相当きっちり経済的にも支援しつつ同化を計ってきたのではないだろうかと思う。

○ 原住民の村落を見ていると、殆んど全てのお墓に十字架が立っているのに気付き、興味をもった。事情を聞いたところ、アミ族にかなり広くキリスト教が普及しているとのこと。日本の敗戦後、アメリカが台湾を支援していた時に、多くの宣教師が原住民の部落に入り込んで、食料の配給などをしながら、布教をすすめた。今では殆どがキリスト教の信者らしい。

○ 南下して花蓮県から台東県に入ると急に道路がよくなった。運転手さんによると台東県の県長を二期務めた前の原住民出身の県長が、とてもやり手で道路も良くなり、色々いいことをしたとのこと。そういえば、15年ほど前に新潟と長野の県境あたりをドライブ旅行していたとき、田中角栄の地元である新潟に入ると途端に道が良くなるのが、余りにはっきりしているので、笑ってしまった。同じようなことが台湾でもあるようだ。今回の選挙で選ばれた台東の県長が、角栄型政治家と言われる宋楚喩が率いる親民党なのも偶然の一致ではあるまい。

○ ここまで聞いて、このあたりの70歳以上の原住民は、この片田舎に住みながら、世界の歴史の影響を次から次へと受けながら暮らしてきたのだろうなあと想うと、感慨深かった。日本統治時代には、日本語を覚え、日本軍にも従軍し、国民党が来たかと思うと、アメリカ人宣教師がやってきて食料をくれ、しばらくすると、国民党が軍隊を連れて来て道路を建設し、今は、日本人の団体客相手の観光業をしていたりする。第二次大戦、中国内戦、冷戦、日本の成長など、20世紀の歴史をもろに体験している。そして今、民主主義の成立により原住民出身の県長が活躍して、暮し向きが良くなったりしている。数奇な運命をたどった人もさぞや少なくあるまい。

1月6日
非対称の戦争と同盟
○ 昨年のテロ対テロ対策の戦争は、非対称性の戦争といわれたが、同時にその非対称性の戦争は、日本人にとっては、日米同盟という非対称性の同盟の意義を考えさせるものであった。

○ テロ事件とそれへのアメリカの対応は、従来の国家対国家の戦争ではなく、私的なグループと国家との戦いであったため、非対称性の戦争と言われた。この奇妙な戦争は、アメリカの議員が郵便受けを心配顔で覗かなければならないという、「戦争」の定義すら再考を迫るような戦いであった。テロリスト達は、社会と価値観こそが、アメリカと自分達のそれとが非対称であることを最大限に活用しアメリカの正規軍が想定していない、そしてアメリカ軍が真似のしようのない非対称的な作戦を次々繰り出し、世界最強のアメリカ軍とアメリカ社会を最小のコストで最大の混乱をまねいていった。

○ しかし、考えてみれば、近代以降の戦争観は、ヨーロッパで成立し、適当な規模とある程度の共通の規範をもった「国民国家」同士の争いの中で醸成されたもので、必ずしも、古今東西で通用するものではない。言い換えれば、人間の歴史の中では、戦争というものは、対称的な戦争よりも非対称の戦争の方が多かったのかもしれない。冷戦に勝利した後、アメリカが軍事的にも経済的にも相対的に図抜けた存在であるかぎり、アメリカに対称的たりうる国などあり得ないのであって、今後、アメリカが直面する戦争は、多かれ少なかれ非対称的な戦いともいえるのである。アメリカ社会は、この非対称性の戦争をどう遂行していくか、急いで対応することになるだろう。

○ 一方、日米同盟は、制度上、日本が攻撃を受けた時には、アメリカが共に戦うが、アメリカが攻撃を受けた時に日本が戦うかどうか分からないという、非対称性を持った同盟になっている。これは、「同盟」の定義すら、再考させるような協力体制である。今回のテロ対策で、日本は、その非対称性の戦争で非対称の同盟国はどう対応するのかという、いささか、とんちめいた問いに対応しなければならなかったのである。

○ しかし、これもよく考えてみると、「同盟」と呼ぶかどうかはともかく、歴史上、安全保障の協力体制の多くは、非対称的な国同士の非対称的な関係であった。ヨーロッパでは、勢力均衡による平和の維持という発想が根強く残ったが、歴史上の考察は、この勢力均衡よりも強大で且つ領土的野心の少ない覇権国による安全保障体制の方が、長期間安定し得ることを示している。対称的な国が同盟を形成し、その同盟同士が睨み合うことによる対称的な均衡という発想は、机上の静的な理論では美しいが、現実には、各主体が激しく活動している結果、前提とした均衡からすぐはずれてしまい、なかなか安定しない。ヨーロッパで勢力均衡を図った時代、名だたる優秀な政治家が、東奔西走して同盟の組換えを頻繁に行い、それにもかかわらず戦争が絶えなかった。このことは、対称と均衡による安定という発想の現実的な危うさを示しているのではないだろうか。やや小難しくいうと、人間の社会において、対称と均衡による安定という発想は、美しくはあるが机上の静的な安定の想定にすぎず、現実社会で活動する主体間の動的な安定を長期に得る対応策としての有用性は低いと言えるのだろう。

○ ひるがえって、日米同盟をみれば、非対称性に対して、双方が寛容であり、且つ、むしろその非対称性の価値を双方が認めている限り有効に作用するように思われる。非対称の戦争というのは、アメリカにとって、頭痛の種であるかもしれないが、非対称の同盟に関しては、歓迎すべき価値あるものとの認識を広めたいものである。また、日本の側でもその非対称性それ自体を問題視することなく、アメリカを異なる能力を持ちながら多くの価値を共有できる大切な友人として、そして、安全保障の面では、力強い兄貴分として、真剣に且つ率直に応対することが大切なのだろう。繰り返して言えば、そこには、対称とか均衡とか静かな安定という言葉が相応しい世界ではなく、非対称的で活動的でありながら安定しているシステムを、能力の相違と価値の共有を相互に認識することにより成立させようとする世界がひろがるべきだと思う。

1月6日の2
奇妙な雑誌
○ 今読んでいる日本の新聞の一面に奇妙な雑誌の広告がでていたので、思わず、筆をとってしまった。
(広告からの引用文は、青字で表示)

○ その名も「寺門興隆」。サブタイトルにこう書いてある。「「月刊住職」改め・寺院の月刊誌
内容が、すごい。次のようなものだ。
宗派の管長はいかに選ばれるか?実情と手当<仏教主要宗派調査>
 ううむ、住職でなくったって一目みたい。普通の週刊誌なら、「これが、坊主まるもうけの実態」なんて、陳腐なタイトルをつけるだろう。この雑誌の広告のような「実情と手当」というワーディングは、素人衆では、使えない。
住職の墓が給与課税された驚愕 
 この「驚愕」という言葉使いがすばらしい。仏教用語になじんでいるせいか、画数の多い漢字に抵抗感が少ないのだろう。
墓地反対の看板は名誉毀損か
 「毀損」も画数多いでしょ。
寺院対応セキュリティ各社の評価
 なるほど、悩みは尽きませんねえ
史上初?たった一人の本山団参記 
 このタイトルの筆者のペンネイムがふるっている。「ツッパリ和尚
お呪いの形 
 あな、おそろしや!しかし、「呪い」に「お」をつけると怖さが倍増しますね。

○ 以下、連載として、法律税金相談葬送論説法の極意墓地経営と続く。そして「毎月「法話」別冊(12頁)付き本体A5判150頁」とある。 
まだ、見ていないがホームページもあるようだ。
www.kohzansha.com
いやあ、ちょっと、興奮してしまいました。失礼。

1月7日
非対称のインターネット
○ 2002年に日本で流行るものの一つに、ADSLサービスがある。このADSLサービスは、非対称デジタル加入者線の意味で、その名のとおり、下り通信、即ちインターネットの側から家庭へ流れる通信のデータ量が、逆向きの上りの通信量より圧倒的に多いという非対称性を前提にしている。このインターネットの非対称性を前提に通常の電話線を使って、高速でインターネットに接続するのがADSLサービスだ。

○ 日本のADSLサービスは、昨年9月にヤフーが月額2280円という超安価で参入した後、各社が同様の料金設定を行った為、世界で一番安価となった。2001年中に加入者数が100万世帯を超えたが、なかなか接続工事が追いつかず希望者に接続しきれていないようで、本格的に接続される2002年には、もっと加入者が増えると思われる。

○ ADSLサービスの名前の由来が非対称というのも面白い。(技術的には、必ずしもその非対称性が本質とは、言えないが。)自分の身を振り返ってみても、インターネットを利用する時、自分から出す情報より、受け取る情報のデータ量が格段に多いのに気付く。通常は、見るだけつまり受信するだけのサイトのデータ量は、電子メールのデータ量より格段に多い。普通の人にとって、自分から情報を出すというのは、電子メールを送ることぐらいだ。しかも、その電子メールすらも、受信したメールの15%から20%しか発信をしていないのではないだろうか。少し考えれば分かるのだが、情報を発信する為の手間と時間は、受信する為の手間と時間の千倍以上かかる。僕のように、サイトを作っていると、なおさらそれを痛感する。

○ この受信量と発信量のアンバランスの度合いは、通信するデータ量が増大すればするほど、大きくなる。身近な例でいうと、メールの数が増えてくるほど、返信する率は低くなる。例えば、僕の場合、一日100通受信しても300通受信しても、発信するメールは、せいぜい30通くらいが限界になってしまう。また、画像や音楽のようにデータ量の多いものは、そもそも作るのに手間がかかる為に、サイトであれなんであれ自分で作成し発信するのは、ずっと大変になる。つまりブロードバンドが普及して、インターネットの通信量が増大するほど、一般ユーザーにとっては、より片側通行に近くなり、より非対称的な通信となる。もともとインターネットは、フラットなシステム構成と相互扶助を哲学として普及していったのだが、皮肉なことに、普及が進み、とうとう、その非対称が目立つようになってしまった。従来の考えでとらわれて、この非対称性が進んでいる現実を見落とすと、手痛い失敗をしてしまうだろう。

○ 2002年のキーワードの一つは、この「非対称性」なのかもしれない。

1月12日
ブロードバンドの利用法
○ ADSLサービスを筆頭に2002年の日本は、ブロードバンドが普及しそうだ。しかし、安いからブロードバンドをひいたものの何に使うのかよく分からないという状況ができかねない。そこで、何に使うかについて、有望なアプリケーション、コンテンツについて、主としてビジネスの視点から書いてみたい。普通に挙げられるのは、1)動画像、2)音楽配信、3)VOIP(インターネット電話)、4)ネットワークゲーム、である。1)以外は、別にブロードバンドでなくてもできるとの主張もあるだろうが、ブロードバンド時代のアプリであることは、違いがないだろう。

○ 動画像配信
ブロードバンドの本命中の本命だ。これだけは、確かに、ブロードバンドでないと出来ない。しかし、動画像でお金儲けをするのは大変だ。動画像を作り続けるのは、非常にコストの高い人材と組織と設備を持ち続けなければならない。普及する可能性は高いが、ビジネスとして成功する人は少ないと思う。

○ 音楽配信
数年前、一度、この分野(といっても周辺分野)に、手を出そうかと思い、少しだけ調べたことがある。日本の場合、とにかく日本著作権協会が強力で、何をするのにも、みんなこの協会の顔色をみながらやっており、なかなか新しい取り組みができない体制であった。少なくとも、アメリカより先行してことが進むというのは、考えにくい。また、調べれば調べるほど、この分野は、ソニーが要所要所で、いいポジションを取っているのに驚く。

○ VOIP(インターネット電話)
意外に面白いのではいかと思う。地方のおばあちゃんと都会の孫がブロードバンドを使ってほぼタダの感覚でテレビ電話をするというのは、想像するだけで楽しい。ただ、この分野は、意外な問題がちょくちょくある。例えば、110番と119番をどうするのかというのが業界の大問題になっている。従来の電話なら、110番を回せば、かけた場所の管区内の警察につながるが、インターネット上で電話を使っているかぎり、かけている人の住所の特定をするのは技術上不可能に近い。火事の時に市外局番をまわしてから119番というのは、いかにもまずい。また、従来、PCでするインターネット電話というと音質が悪い印象があったが、原因は、通信速度の遅かったということだけでなく、PCのCPUと音声処理チップが音声処理をちゃんとタイミングよくできていないという問題も実はあった。色々な現実的な障害はあるが、どれも、ちょっとしたアイデアで解決できると思う。

○ ネットワークゲーム
可能性は高くないがもしかしたら爆発する大穴である。本場は韓国。従来のネットゲームは、数人で対戦するマッチング型というものだが、今年の注目は、韓国の会社などが提供している数千人が同じ一つのフィールドでプレイするマッシブ型というものである。技術的には、ちょっとしたジャンプがある。台湾では、CD自体を安価で配り、ホストへの接続料でお金をとっている。面白いのは、そのホスト使用権利付きのCDをコンビニで売っていることだ。子供達は、使用可能時間を消費してしまうと、途中でやめるにやめられず慌てて、さいふをもって赤い目をしてコンビニに駆け込むのである。クレジットカードを持たない子供からどうやって、ネット使用料をとるかという古い問題の一つの解だと思う。

1月13日
楽観論
○ 2002年は、広く普及しそうな電気製品が、近年稀に見るほど多いのではないだろうか。ちょっと挙げてみよう。金融分野の不調で経済全体ではバケツの底が抜けたよう状態のなので、マクロ的にどれだけ影響があるのかは、分からないが、大型ヒット商品があれば、気分だけも元気がでるではないか。

○ 薄型テレビ
大型のPDPテレビ、中型小型の液晶テレビが、2001年に流行したが、値段も下がりいよいよ今年は本格的に普及するようだ。従来、PDPは、高価、大型、業務用。液晶は、高価、超小型、特殊用途。で、ブラウン管が最も数の出る中型のところをおさえていた。しかし、技術進歩により、PDPが小型化、液晶が大型化に成功し、どちらも安価な中型をできるようになってきた。そこで、一部の中型のサイズでは、液晶とPDPが競合するという、ちょっと数年前では想像しがたい事態が起こっている。どちらにしても、省スペース商品で、可処分所得だけでなく可収納スペースの問題で、日本の消費が盛り上がらないと思っているらくちんとしては、2重丸ものである。

○ DVDレコーダー/プレーヤー
いよいよ、VHS機と並存しつつも、リプレースされる頃にはいったと思う。これも省スペース商品だ。どこの家でも、捨てるに捨てられないVHSテープの山がある。これらのテープの内容を、場所をとらずに保管できるから便利だ。また、気軽に持ち歩ける。見落としたテレビドラマのビデオを友人と貸し借りするのに、VHSテープは、ちょっと「大きくていやだなあ」という感じが残るが、DVDなら、バッグに軽くはいる。

○ デジタルカメラ
市場規模は、2000年1千万台、2001年2千万台程度とものすごい勢いで出荷量を伸ばしているが、少なくとも2003年までは、まだ延び続けると思う。これも省スペース商品ともいえる。僕は、最近「デジタルカメラの3333(3x4)仮設」を提唱している。つまり、2003年に300万画素、光学3倍のモデルが小売価格300米ドルで販売され、デジタルカメラの市場規模は、4千万台から6千万台の間になるというもの。少し前、300万画素モデルで撮った画像をフィルムのプリントショップで、印刷すると、銀塩カメラと変わらぬ程実に綺麗にできあがっていた。その今最も売れ筋の300万画素、光学3倍モデルは、市場価格6万円台である。これが、同程度の仕様で、売れ筋のコンパクト銀塩カメラの価格帯である3万円台になれば、需要は急増すると思う。そうなれば、我が台湾メーカーの出番だと思うのだが...

○ ブロードバンド
昨日のこのサイトで書いてみた。ブロードバンドが普及するのは間違いない。しかし、何に使われるかは、考えどころだ。

○ PDA、新型携帯電話
これは、昨年の延長上で普及するのだろう。買い替えも早い商品だ。しかし、発想にジャンプがないので、らくちんは、なんとなく気が乗らない商品だ。ハードを供給するメーカーにとっては、技術的な難点が多く、利益が少なく、納期が厳しく、利益の薄い商売であることには違いない。また、携帯電話の回収騒ぎが起こるかもしれない。得てしてこういう商品が、経済を支えるものではあるが。

○ BS110度
ワールドカップ前にサービススタートする。パーフェクトTVの殆んどのチャンネルも見られる。爆発するとは、思いがたいが、ゆっくり確実な商品・サービスではないだろうか。

1月19日
中内さんの責任
○ 昨日の新聞を見ていると、再建中のダイエーの銀行主力3行が、創業者の中内氏の責任を追及し、私財提供をもとめる方針だという。おやめなさいよ。みっともない。

○ ちょっと話はそれるが、僕が1990年頃シリコンバレーでヴェンチャー企業相手に仕事をしていた時、アメリカ経済は、最悪で、僕の担当の会社も次々倒産していった。なかには、僕の勤める会社が10億円近いリスクポジションを持っているヴェンチャー企業が経営悪化している場合もあり、毎日のようにそうした会社に行って社長と話しこんだものだ。しかし、たいていの場合、当の社長は、シレッとしたもので、むしろ心底こちらに同情してくれて悪気もなく「そんなにお前が困った顔をするなら、倒産させようか?」と真顔で言う。こうした社長は大手ハイテク企業の技術部長を勤めた人などが多く、もう余生を暮らすだけのお金は持っており、山の上の立派な家に住んでいたりする。もちろん、社長が会社の債務に個人保証などしていないので、会社が倒産したところで、社長個人が日本のように人生の破滅までには至らない。一方こちらは、倒産されると巨額の損失が出るので、そうした社長に優しく「まあまあそういわずに続けて頑張りましょうや」などと言わなければならない。そんな立場違いの対応をせざるを得ないことに困惑を覚えたものだ。

○ しかし、少し冷静に考えるとこれくらいの創業者に対する配慮がなければ、ヴェンチャービジネスに良い人材は、来ないと思う。日本のヴェンチャー企業は、アメリカのヴェンチャー企業に比べ一番違うのは、この経営陣の人材の薄さだと思う。良い人材というのは、普通、現在それなりのポジションにおり将来もそこそこの生活設計ができているものだ。大企業の技術部長がどんどんヴェンチャー起業をするようになるには、失敗した時にも、残りの人生を破滅にはしない安心感をもてるようにしななければならない。最近では減ったようだが、銀行や商社が中小企業に融資する時に、社長の個人保証を要求するなどという風習は止めたほうがいい。
 
○ さてダイエーの話。新聞によると銀行が狙っている中内氏の個人資産は、現在時価で78億円だそうだ。僕は、あれだけの大企業の創業者にしては、実に少ないと思う。近しい人によると、現役の時の中内氏は、昼食は、ローソンのお弁当を食べ、社内の打ち合わせでは、自分でコーヒーメーカーにまで行き紙コップにコーヒーを注ぐのだそうだ。性格的には特異なところもあり、人格的に立派とは言いがたいとも聞くが、少なくとも私財を肥やそうとして会社を傾けた経営者ではないと思う。現在の失敗も、彼なりにダイエーの拡大を目指して行ったことの結果であって悪い動機に基づいたものではない。彼が起業以来行った社会や従業員への貢献を考えれば78億円くらいは、たいした金額とは思えない。

○ 一方、責任を追及する側の主力銀行の責任はどうだろうといいたくなる。銀行は、ダイエーを、中内氏の方針にも修正を加えることができず、結局、立ち直らせることはできなかった。その意味で不作為の罪である。しかし、その銀行員達の不作為の罪は、会社の利益よりも自らの保身という、いわば、汚い動機に基づいていると思う。中内氏の失敗は、良い動機に基づいた、積極的な活動の結果であった。僕は、この点では、中内氏の失敗の方が銀行の罪より軽いように思えてならない。ビジネスの世界では、時に、なさざるの罪は、なした罪より、重いと僕は常々思っている。

○ さらに言えば、この15年間の主力3行の歴代取締役から5千万円ずつ取り立てれば78億円くらいすぐ集まるのではないか思う。僕は、撤退戦を処理していたときに気付いたが、本当にその損失に責任があったにもかかわらず当事者意識を持っていないレベルの低い人ほど、他の人の責任を口汚く訴えるものである。それは、意識するしないにかかわらず自らの責任を追及されることの恐怖からきている。主力銀行は、自らの責任を追及されるのが怖くて、中内氏の責任を追及しようとしているのだろう。しかし、それはみにくい。

○ ビジネスは結果主義の支配する世界であって、会社が傾けば、勿論、動機のいかんにかかくわらず「ダメ」である。しかし、同じ「ダメ」の中で罪の大小を問うというのであれば、「良い動機に基づいて動いた罪」よりは、「悪い動機に基づいて動かなかった罪」の方が重い。

1月22日
政治学者
○ この前の日曜日、知り合いに紹介いただいた大学の政治学の先生が台湾に出張でこられたのでお会いした。素人の僕が以前からその著作を読んだことがあるくらいだから著名な方ではあるが、同年代と分かっていたこともあって、正直に言って、「お友達のお友達」感覚で、ラフな格好でラフな気分で出かけていった。

○ すると、待ち合わせ場所には、彼と一緒に僕でも知っている大変有名な研究者がたくさん並んでおられ、「さあ、一緒に行きましょう」と言われ偉く恐縮してしまった。取引先の幹部とお会いするのは、よくあることだが、どうも、有名な学者の方となると、かってが分からず、しどろもどろに、なってしまう。緊張している僕に、相手の先生が、むしろこちらに気を使ってくださり、この「台湾つれづれ」サイトのことなどに話題をふってくださるのだが、こちらは、頭が真っ白で、気の利いた返事ができない。結局、このページでも紹介したVCD事件のことなどを話始めてしまい、しまったと思っても後の祭り、その高名な先生方を前に色っぽいスキャンダルについて延々と講義をしてしまった次第。ああ恥ずかしい。
 
○ そうは言っても、自分なりに結構好きな内容を書いておられる先生方ばかりだったので、お会いできたというだけでミーハーな気分はえらく満足させられ、楽しかった。紹介してくれた方に迷惑が及ばなければいいのだけれど。次回は、もう少しちゃんとしますので、見限らずに、また声をかけてください。また、専門を問わず、色々な政治学者が台湾に来てくださるのは、台湾にとっても日本にもとっても、すごくいいことだと思っています。

○ 先日お会いした中の一部の先生が書いておられる論文を、罪滅ぼしも兼ね、また、内容がいいのでこのサイトの読者にも読んでもらいたいと思い、ここで紹介させてください。

中台の危機に対する論考です。
http://www.gsec.keio.ac.jp/project/taiwan/index.html

○ いや、それにしても、もう、恐縮です。はい。

1月26
亡国のイージス
○ 複数の友人に勧められたので、流行遅れかもしれないが「亡国のイージス」(福井晴敏、講談社。654頁!)を読んだ。自衛隊の新鋭イージス艦の艦長が腹心の部下とともに、そのイージス艦を乗っ取り、東京湾に進出、新型爆弾で日本政府を恫喝するという筋立てである。マンガの「沈黙の艦隊」の小説版。軍事上の専門用語の洪水とともに、日本の政府や自衛隊の危機に臨んだときのドタバタ振りがこれでもかこれでもかと描かれている。敢えてキザに評すれば「人物描写はともかく、日本人が実によく書けている」といったところだろうか。

○ まず、日本人のリーダーのあり方について、改めて考えさせられた。僕にとっても、また、多くの日本人にとっても、リーダーというのは人格高潔だけではまずいと痛感したのは、先頃追悼式のあった、阪神淡路大震災では、ないだろうか。時の村山首相の対応と、台湾の大地震で李登輝総統(当時)がとった敏速で果断な対応と、結果としての犠牲者の数の大きな違いとを見比べたと時、憶測の域を出ないが、首相の対応がもし違えば、千人単位で犠牲者の数が減っていたのではないかと思う。少なくとも、神戸のかなりの人には、その思いが消えていない。僕が知る限り、つまりこの30年ほどの中で、村山元首相は、歴代の首相の中で最も人格的に立派な首相であったと思うし、いまだにそう思い続けている。電波少年の松村にアポ無しで、まゆげを切らせた首相が、悪い人とは思えない。しかし、その村山首相の危機管理の身構えが悪かった為、震災の犠牲者を増やしてしまった。あれ以後、日本の世論は、最低限の危機管理対処能力を首相に求めるようになったと思う。

○ この「亡国のイージス」では、無能なリーダー達と対照的に表現されるのが、日本の組織の優秀な現場の人たちである。組織ルールを熟知し忍耐強く組織の判断を待ち、それが出ぬときには、時に積極果敢に自分のリスクでそのルールを超え、孤軍奮闘、涙ぐましい思いで組織と社会を支えている。しかし、この本のふるっているのは、そういう、優秀な現場の日本人も、最後の詰めで、本当にリアリスティックになリ切れず、敵に甘くなってしまう。それにより何度失敗を繰り返してもやめられない。そういった最後まで抜けきれない「甘さ」もまた、この本で、飽きるほどに繰り返して描かれる。こうなると、僕も日曜評論家よろしくリーダーの悪口を言っている場合ではなく、わが身を省みることになる。

○ この本の結論もまた、たっぷりとした日本的な甘さを含んでいる。最後に、リーダーは退陣するが、現場同士が生き延び許しあう。結局、何に白黒が付いたのかはっきりしない結末となる。この結末を読んで、一つ思い出した。ロシアやアメリカの子供に、「浦島太郎」の話を聞かせたところ、「で、結末は?」と、いつまでたっても納得できない様子だったという。白黒のつかない結末もまた、この本が図らずも日本人を表現しているのだろう。

○ 以前、アメリカで活躍するインド人の知性豊かな学者が、カースト制には理性では反対しているのだけれども、それでも地元に戻って、自分のカーストに戻った暮らしをすると気分が落ち着いてしまうという話を聞いたことがある。ある意味で甘い結末も、日本的なんだよなあと思い、その日本的なるものに、やだなあと思いつつも、懐かしいような、暖かい、いごごちの良さを感じる自分に驚く。

○ こうしてまた、結論のはっきりしない駄文を書いてしまった一人の日本人をお許しください。

1月28日
田中明彦教授
○ 先日の政治学者の話(ココ)、御紹介頂いたかんべいさんに、サイト上(「溜池通信」1月24日)でお礼を言われちゃって、また照れちゃいました。こちらこそ大変な名誉です。御紹介頂いた信田氏(国際大学)の「官邸の権力」に就いては、知合いの官房にいた役人が上手い説明だと言っていたのを印象深く覚えています。また、台北で会わせて頂いた田中明彦氏(東大教授)について、一方的で個人的な思い出を書かせてください。

○ 5年程前、田中氏の「新しい「中世」」を読んでえらく感動して、知合いの防衛大学の神谷氏や同級生のM君などをお酒に誘い、この本に関して詳しく話を聞こうとしたことがあります。その時に、外資系証券会社のM&A部門に勤めるM君が、僕と同じサラリーマンなのに、専門の神谷先生とは話は合うは、こともなげにこの本に関してはナイを読むといいよなどと、薦めてくれるはで、偉く驚いたことを覚えています。このM君に刺激され、学生の時に少しだけ勉強した政治経済のことを、純粋に「趣味」として勉強し続けるのもいいものだなあと思ったものです。それがきっかけで、色々な人から教えてもらおうと、知合いの主催する勉強会にも入れてもらいました。その勉強会で出会ったかんべいさんの紹介の紹介で、田中氏とお会いするとは、縁は、不思議なものです。

○ もう少し個人的な話を続けると、今、台湾に僕がいるのも、「新しい中世」と、無関係ではありません。この本では次のように説明されていました。中国とアメリカは、経済的には、相互補完関係で引き合う力が強く、政治的には、根本的に相容れない対立関係で、結局、この二つの大国の関係は、対立と協調の間を大きく揺れ続ける。そして、その大きな揺れは、21世紀前半の世界政治の最大の焦点になり続ける。この説明に納得し、その米中関係が最も敏感に反映する中台関係に強い興味をもつうようになりました。岡崎久彦氏が、「台中関係は、21世紀前半の世界政治の最大の焦点」と述べているのを見つけ、膝を叩いたものです。そこで、かなり周囲も驚いたようですが、仕事上の必然性が無いに等しいのにもかかわらず、急に台湾赴任希望を強硬に主張して、台北に赴任してしまったのです。(会社には、勿論、もっともらしい説明をしています。)

○ いやまあ、かなり個人的な話をしてしまい読者の皆様には、すいません。でも、どうしてこんなサラリーマンが台北でこんなサイトをやっているかという説明になっていればいいと思い書いてしまいました。

1月29日
自動車泥棒との交渉
○ メンバーになっているTaiwan-JPmailing list(http://www02.u-page.so-net.ne.jp/momo/yoshimin/taiwan-jp/)に投稿された話が面白いので、筆者の河野さんの快諾を得て、転載させてもらいます。河野さんの奥様(台湾の方)の弟さんが自動車を盗まれた時の話です。

○ この話は、台湾の人の交渉のスタイルをすごく上手く表していると思います。強引だけれどもちょっと情けないような、恫喝しているようでもあり泣き落としをしているようでもあり、柔軟なようで、でも、ちゃんと計算しているといったところです。僕は、中国大陸でもビジネスをしたことがあるのですが、このお話は、大陸ではみかけない交渉スタイルだと思え、その意味で、大陸と台湾の文化の違いも上手く出ていると思います。(台湾と大陸での交渉スタイルの違いに就いての僕の私見は、このHPの「優しいコスモポリタンー台湾人」6.台湾人のやさしさ、を見てください。)

○ 私の義弟が最近自動車を盗まれました。以下はその体験談。
義弟は駐車場で盗難にあったそうです。台湾の泥棒は、日本のように盗んだ車を転売するのではなく、本人に電話をしてきて、買い戻させるのだそうです。以下、義弟と泥棒のやりとり


泥棒「20万元払え」 (らくちん注:1元=3.5〜4円程度)
弟「3万元でどうだ」
泥棒「それは安すぎる、10万元でどうだ、私は信用第一でやっている。10万元払ってくれれば、間違いなく車は戻す、これ以下ならバラして部品にして処分する」
弟「高すぎる5万元でどうだ、これ以上ならもう車も古いし、いらないからすきにしてくれ」
泥棒「私にも妻や子供がいる。命をかけてやっているのだから、お金を払ってくれ」

○ 等々のやり取りの末、8万元で交渉が成立したそうです。(車は4年くらい乗っているセフィーロです)義弟も子供がいるのではかわいそうだと思い、手を打ったそうです。お金は、盗んだIDカードで作られた銀行口座に振り込ませるのだそうです。車は、ちゃんと戻ってきたそうです。ちなみに義弟はこの電話のやり取りを録音して、警察に持っていったそうですが、警察には、「払った方がいいよ」と言われ、すごすご帰ってきたそうです。義弟の回りにも何人か車を盗まれた人がいるそうで、手口はだいたい同じだそうです。買い取り相場は、ベンツなどの高級外車が20万元、国産車なら5から10万元とのこと。嘘のような本当の話でした。

○ 「台湾つれづれ」への転載を快諾頂いたmailで後日談まで教えてくださいました。

○ 自動車泥棒の話には後日談がありまして、この話を聞いた姉たちから、義弟は、
「そこまで交渉するなら、どうして私の車は二度と盗まないように仲間に伝えろ、という条件をつけなかったんだ」
と、非難されたそうです。もちろん半分冗談だとは思いますが、半分は多分本気?


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