台湾で想うこと (やや長文のエッセイ)
  台湾にいて想うことを、やや長めですが、書いていきたいと思います。
  (話題は、必ずしも台湾に絞らない予定)

優しいコスモポリタン −台湾人 (2001.6.4)

 1.台湾人は優しいコスモポリタン
台湾人は、「優しいコスモポリタン」だ。台湾でITビジネスをしていて痛感するのは、台湾の社会は、アメリカのヴェンチャー起業システム、日本の製造業のものづくりの精神、そして、中国伝統の交渉上手を、見事に上手く引継ぎ融合していることである。台湾人は、「文明の衝突」などとは意識せず、軽々とアメリカ、中国大陸、日本を行き来し、工場を建て、ビジネスをクリエイトしていく。そして、大陸の中国人、香港人と好対照をなすのは、厳しいビジネス環境で育ってきたにもかかわらず、いかにも人あたりのよい、日本人には、懐かしささえ覚える、「優しさ」をもって人に接する点である。外省人、本省人を問わず、優れた台湾人が持つ、この「優しいコスモポリタン」性は、単にビジネスの創造という意義にとどまらず、グローバル化、脱産業社会化の中での個人のあり方という先進諸国が共有する問いの、一つの解答としての意味さえもっている。
 
 2.アメリカのヴェンチャーシステムを組み込んだ台湾社会
 台湾のIT産業は、アメリカのシリコンバレー・システムを非常に上手く組み込んでいる。数年で、あれよあれよという間に立ち上げてしまった、半導体、LCDの事業などは、その好例であろう。現在の不況下でも、筆者が先日携わった案件などは、設立1年程の会社に、IT系有力会社の経営幹部出身者を中心にMBA取得者などの優秀な人材と、50億円程の投資金が、すぐに集まっている。しかもこれは、特別な例ではなく、いわば、台湾式のヴェンチャー起業方法として、定型化しつつある。人材の面でいうと、全人口のxx%が社長だという旺盛な独立精神と高い雇用流動性により、大企業からのスピンアウトやアメリカからの里帰りなどで、日本と異なり非常に優秀な人材が、創業からまもない会社に豊富に供給されている。10数年前、筆者の知る会社も、アメリカで韓国系大手半導体工場の工場長をしていた人材が、台湾に里帰りして半導体工場を立ち上げていた。次に、投資家という点では、数千万円の資産を株で運用しているという市井のおばさんは枚挙に暇なく、数億円の個人資産をヴェンチャー企業に投資しているエンジェル的投資家もよく見かける。さらにその上には、家族で数兆円の資産をもつ財閥系のグループが、シリコンバレーでのヴェンチャー投資経験者をトップにしたヴェンチャーキャピタルを組成し、ヴェンチャーへの投資・育成を行っている。こうして、数多くのヴェンチャー企業が存在し、また、それに投資する数多くのエンジェルともいえる個人投資家、そして、組織だったヴェンチャー=キャピタルが、ヴェンチャー起業を支える厚い層を形成している。
 そもそも台湾は、90年代にヴェンチャー企業を中心に繁栄したアメリカのIT産業を影で支えてきたともいえる。シリコンバレーにあまたある半導体メーカーは、製造を全面的に台湾の半導体受託生産工場に依存し、設計と販売のみを行い成長してきた。台湾の大手の受託製造会社は、90年代の初めなどは、こうした資金力の無いアメリカのヴェンチャー企業にファイナンスまでして、サポートしていた程である。また、成長企業としてもてはやされているアメリカのPCのトップブランドメーカーの殆どは、台湾からOEM供給を受けて成長してきた。台湾のビジネスマンは、こうした協業の経験を通し、シリコンバレー型の起業システムの長所も短所も熟知した上で、それを台湾の外部・内部の環境に適応させて修正して実践してきている。
 台湾のヴェンチャーの起業が、アメリカのそれと最も違う点は、ハードウェアの製造業のヴェンチャーが、成立している点であろう。前述したように、最近、アメリカで上場に成功したヴェンチャー企業の殆どは、自社で製造ラインを持たない。インターネット系のいわゆる「ドットコムカンパニー」は勿論のこと、半導体メーカー、PCメーカーとして名の通っているところでも製造ラインを持っていないことが多い。これに対して、台湾では、数千億円ともいわれる投資が必要となる半導体の前工程のラインをもつ会社や、LCDの製造会社が、ヴェンチャー的起業で成り立っている。しかも、ビジネスとしても、投資しても十分成功している例も多い。

3.日本の「ものづくりの精神」を組み込んだ台湾社会
 台湾のこうしたヴェンチャー的起業の製造業会社には、技術系出身の経営者、技術者への尊敬、日本からの技術移転などのいわば、日本の「ものづくりの精神」ともいえる特徴が見られる。たくさん出来すぎてしまう程、製造ラインの立ち上げという意味では成功した台湾でのLCDの製造で、日本の会社を引退した多くの日本人技術者が協力したことは、業界では周知の事実である。日本人技術者の中でも、職人かたぎの優秀な技術者程、年をとると無理やり管理職をさせられ、あげくは、技術ではなくヒトの管理ができぬからといって、評価されない日本の会社より、純粋に技術者として尊敬してくれる台湾の企業に協力するほうが、やりがいがあったのかもしれない。台湾の企業は、日本との人的交流や技術移転などで得たこのような、今や「忘れてしまった日本」ともいえる「ものづくりの精神」を、脈々と引継いでいるようにさえみえる。

4.中国文化の伝統を感じさせる台湾人の交渉上手
 筆者も様々な文化、人種の人とビジネスを行ってきたが、台湾人の交渉上手には、未だに舌を巻くことが多い。それは、えてして、剛直なハードネゴでは無く、実にしなやかな、政治よりも商売に向いている交渉スタイルである。こちらが、部品を納める業者としての立場であり、台湾の企業が「お客」の立場の時でも、台湾側が宴を主催し「我々が存在できるのも皆さんのおかげですから」などと実に丁寧な、日本企業の購買担当者に聞かせてみたいような台詞を、真剣に述べたりする。そして、それでいい気持ちになっているといつのまにか世界で一番安い値段で供給している自分にふと気づくのである。また、戦略的な場面では、短期的な利益を度外視しても、こちらが驚くほど大きく譲ることも多い。こうした、大局、小局の両面にわたる交渉の上手さは広い意味での、数千年の歴史を誇る中国の文化的影響ではないだろうか。

5.日本、アメリカ、中国の文化の融合した台湾社会
 このように、台湾の社会は、アメリカのヴェンチャー起業システム、日本のものづくりの精神、中国文化の交渉上手を、巧みに取りいれ融合することに成功している。それは、同時に、個人の文化、社会的な振る舞いにも当てはまる。そこで、台湾企業の経営幹部ともなると、アメリカ人にも、日本人にも、中国人にも立派だと思わせる人物であることも多い。念の為にいうと、これは、外省人にも内省人にも見られる人物像である。こうした人達を見ると、台湾人は、現代のコスモポリタンだと思えてくるのである。
 ただ、台湾のコスモポリタンは、7つの海を制覇するとか、自分たちの精神を遍く他国に広めようとかという威勢のいい剛直なものではなく、実にしなやかな、優しさを基調としている。それが、私には、産業化以後の現代の社会に対する重要な答えを彼等が持っていると思わせる点でもある。

6.台湾人のやさしさ
 まず、台湾のビジネススタイルと中国のビジネススタイルの違いに就いて述べてみたい。前述したように台湾のビジネスも中国文化の影響を受けていると私は、思うのであるが、ただここでは、台湾のビジネススタイルは、長い中国の歴史の影響を感じさせるといっているだけで、現在の大陸中国のビジネススタイルと似ていると言いたいのではない。むしろ逆に、上述した台湾と、ハードネゴを得意とする(大陸)中国の交渉スタイルは対照的である。筆者は、それこそ、興奮して机をわれんばかりにバンバン叩く中国側パートナーと北京で夜中の2時まで話し合いをしたこともあり、そうした、風景にもそれ程違和感もないが、ビジネスとしては、こうしたハードネゴが、長い目でみて自らに利益を生み出すことは少ないようである。少なくとも台湾人は、このようなスタイルが日本人との交渉では、余りいい効果をださないことを知っているようである。
 やや話題はそれるが、中国人の交渉と日本人の交渉の仕方の違いについて、大陸中国出身で日本に帰化した知人の話しを紹介したい。彼は、日本に来てアパートを決める時、最初は、大陸中国式交渉で部屋に入るなり「ここが悪い。あそこが悪い。だからまけろ。」とやったところ、なかなか、交渉がまとまらなかった。そこで、頭のいい彼がすぐに発想をかえ、日本人相手の交渉では、けなすのではなくて誉めることにした。つまり、「ここもいい。あそこもいい。しかし、悲しいかな、私にはお金が無くてもう少し負けてもらえないと住めない。」とやったところ実に上手く交渉が進んだという。台湾人は、もともとしなやかな交渉スタイルであるが、その上に、このあたりの対日本人相手の交渉の仕方を充分に心得ているようである。
 最近、政治上の「グレーターチャイナ」という言葉の影響か、企業の戦略・企画部門あたりから、台湾と中国の一体的な戦略とのかけ声をよく耳にするようになった。しかし、その多くは、基本的に同種の社会なんだから同じようにひとくくりに扱おうという大雑把な議論であることが多く、違和感は、禁じえない。現場で、両社会のビジネスを経験したものにとっては、数十年前のアメリカのテレビで、日本人が登場すると同時にドラがドーンと鳴っているのを見て感じた違和感に似たものを感じるのである。

7.台湾人の「優しいコスモポリタン」性の意義
 随分と議論が脇道にそれてしまったことを御容赦願いたい。テーマは、台湾の優しさとしなやかさであった。台湾人が生活のみならずビジネスにおいても、その優しさを相手に感じさせるのは、文化的な理由に加え、自身がおかれた国際的な環境の厳しさにもあるだろう。奇跡の経済成長を成し遂げてきた歴史は、そのまま、台湾が政治的に国際社会から締め出されていった歴史と時期的にぴったり重なっている。彼らは、一歩外国に出れば、自国の政治権力に何も期待できない状況で、アメリカ、日本、中国やヨーロッパの大国の大企業とぎりぎりの交渉を続けビジネスを拡大しなければならなかった。その中で、敵をできるだけ作らず、自分が利益を得ても周囲から恨まれないよう配慮しつつ、相手の文化社会にあった方法で交渉し、しかも、現実的且つ迅速な行動でビジネスを拡大してきたのである。台湾人が育んだそのしなやかな資質は、結局、これからのグローバルな社会のどの人間ももたなければならない資質の一つのように思われる。
 村上泰亮が、その最晩年の代表作「反古典の政治経済学」のまさに最後に記した文をここに引用したい。
「さまざまの文化や人種を包み込んで国際社会を形成していくためには、何が今最も必要であろうか。個々の文化の特殊性を俯瞰する抽象的・普遍的な枠組みが必要だ、という答えがこれまでの常識だろう。だがそれは、誤りではないにしても、殆んど新しい「超宗教」の誕生を期待することに近い難しさを抱えている。したがって、他の文化をわがことのように体験しようとする「解釈学的姿勢」こそ、今最も必要なのではないだろうか。その実効性は、異常ともいえる最近のコミュニケーション手段の発達によって、著しく高まっているように思われる。いいかえれば、人類がいま必要としているのは、共通の宗教や科学よりもむしろ、伝統や教養のあり方についての寛容であり共約可能性の拡大ではあるまいか。」
 この時、村上は、日本の社会が文明史的に世界に貢献できる可能性についての期待を表したのであろうが、今、彼のいう「解釈学的姿勢」を実践に最も上手く活用しているのは、官民にわたる組織の硬直性から抜け出せずにいる日本の社会ではなく、台湾の社会といえないだろうか。そうすると、現在の台湾の社会は、21世紀の国際社会に文明史的な意義を投げかけているといっては大げさであろうか。少なくともそういう大きな目で、台湾の社会を見て接してみても十分意義のあることだと思われる。それは、グローバル社会の行く末を見ることでも有り、日本の社会そのものをもう一度見つめなおすことにつながるのだから。